やりすごせ。息を殺し、石になれ。

 風太は思った。西郷はこっちに完全に気づいたわけじゃない。なんとなく人の気配がしたからカマを掛けてるだけだ。この暗闇の中じゃ見えないはず。

「無駄タイ。そこにいるのはわかってるタイ。センサーが張られてるのに気づかんかったタイ?」

 センサー? そんなものが張られてあったのか?

 いきなりライトで顔面を照らされた。しっかり懐中電灯を持っている。ある意味とうぜんといえばとうぜん。

「風太くんタイ。正直意外タイ。いったいどうやってここを見つけたですタイ?」

「さあな」

 柿の種を追ってきたんだよ。とはいわないでおこう。得意がって手の内を明かすやつは、ぜったいあとで失敗する。

「君以外に、ここのことを誰が知ってるタイ?」

 誰も知らねえよ、今んところな。なんてことは口が裂けてもいわない。

「諦めろ。もうすぐにでも大群が駆けつけてくるよ」

 いったいどこの大群だよっ!

 自分で自分につっこんでもしょうがないが、そんなものがあれば苦労はしない。

 だが、それがばれれば、ここで俺までとっつかまったらそれで終わりだ。しかし、援軍が来るとなれば、やつらも場所を移動しようとするだろう。そこに隙ができる。というか、隙を作るしかねえ。

「ハッタリに決まってるタイ」

「それはどうかな?」

 いや、ハッタリだけどさ。

 だが西郷は自分で判断がつかなかったのか、スマホを取りだし、かけた。

「ジュベール。風太タイ。なぜか風太がここに忍びこみ、しかも援軍が来るといってるタイ」

 敵対してる最中にスマホとは、俺を舐めすぎだ。

 風太は階段をかけ上がり、西郷に突進した。そこに渾身のストレートをぶち込む。

 ひゅわっ。

 西郷のダルマのような巨体が、宙に舞った。風太のパンチは空を切る。

 ダルマのくせに風船のようにふわりと手すりの上に舞いおりた。

「君、すこしおいどんのこと、見くびっとるタイ。この前の採用試験のときは、たがいに手加減しとったのが、わからんですかい?」

 いわれてみれば、あのとき、他の面子とも戦っていたが、最初から仲間なんだから、本気でつぶし合ったわけもない。つまり、暁や麝香院相手に手こずってたのはイカサマ……というか、なれ合いの猿芝居か。

 それにこの身のこなし。

「二次試験で失格になったのも、わざとか?」

「あたり前タイ。二次に残った面子を見て、全員が勝ち残る必要も感じなかったタイ。あまり優秀な人材が集まりすぎて、不自然に思われるのもまずいですタイ」

 さっきの身軽さを見る限り、負け惜しみとも思えない。

 西郷はスマホをポケットにしまった。

「こっちも援軍を呼ぶことにしたタイ」

「なに?」

 そりゃあ、ちょっと計算外すぎないかっ!

 ただでさえ大ピンチなのに、これ以上敵が増えてどうする?

「それとあちこちに仕掛けてあるトラップの安全装置を外したタイ。あとはよほどそういう戦いに慣れた人間でない限り、ここまでたどり着けんタイ」

 うげっ、そんなものまで張ってたのか?

 もし、その安全装置とやらを外してなかったら、俺は今ごろ死んでたかも?

 それがどんなトラップなのかはわからないが、どうせ生やさしいもんじゃないだろう。

「もちろん、どこにどんなトラップを仕掛けてあるかは秘密タイ。万が一にも、君が逃げ出さんとも限らんしね」

 マジかよっ!

 もしつららがあの留守電メッセージを聞いて、こっちに向かってきたらヤバい。

 つららに一報を届けたいところだが、風太には西郷とちがって電話する余裕など欠片もなかった。

 びゅわっ。

 西郷が飛んだ。鳥のように。

 懐中電灯の光源がまわる。西郷を中心に超高速で。

 それはほとんど球体のUFOだった。

 それがうなりを上げて、風太めがけて飛んでくる。

 なんとかかいくぐってかわした。

 ぱーん。

 風船が弾けるような音が炸裂。無数のコンクリートの破片が飛んでくる。

 一瞬、なにが起こったのかわからなかったが、どうやら西郷の蹴りがコンクリートの壁を削り取ったらしい。

「採用試験のときも思ったが、君はよけるのだけはうまいタイ。たぶん、生まれ持った動体視力に優れた反射神経、それに勘が発達してるタイ」

 まあ、それもつららとの日常的なやりとりのおかげ。とも思っていたが、もともとそういう才能はあったらしいしな。あくまでもつららの親父のいうことを信じればだが。

「だが、それだけでは勝てんですタイ。敵を倒すには攻撃する力が必要タイ」

 そりゃあ、たしかにその通りだ。そしてつららの親父曰く、そっち方面の才能はないらしい。

「たとえば、こんなふうにですタイ」

 西郷の手が風太に向かって伸びる。貫手、つまり指を伸ばした状態での攻撃だ。最初ゆったりとした動きながら、近づくにつれて加速してくる。

 ヤバい。

 本能的にそう感じた風太は、大げさに逃げる。

 案の定、西郷の貫手はいつの間にか信じがたいスピードまで上がり、後ろの壁を貫いた。

「ほう? これまでもかわすとは。なかなかやるタイ」

 西郷は手首までコンクリートの中に埋まった手を抜くと、にやりと笑った。

「はぁああああ」

 西郷が息を吐く。懐中電灯の明かりだけが頼りの薄暗がりの中で、西郷が構える。すこしずつ、ゆっくりと形態を変えながら。

 それはまるで踊っているかのようだ。するすると地をすべるようなフットワークを使い。両手は舞を舞うかのよう。ダルマのような巨体にはまったく似合わないしぐさだ。

 しかしそれに目をうばわれていると、いきなりスピードが上がり、蹴りが飛んできた。

「うおっ?」

 それも完全にかわしたつもりだが、西郷のスピードは予想を上回っていた。風太の学ランがまるで刃物で切り裂かれたかのように、脇腹の部分が裂けている。さいわい、体のほうは、皮一枚切ったくらいで、たいしたことはない。

 風太は階段を後ろ向きのまま、駆け上がる。

「しゃおっ!」

 貫手が乱れ飛んでくる。コンクリートの壁すらぶち抜く威力を持つ貫手。

 風太は必死でかわした。

 もっともいつの間にか、学ランはささくれ立ち、頬からは血が流れる。かわしきっていない。

 西郷はふたたび、間合いを保つとゆっくりとした動きになる。

 こいつの動きは緩急自在だ。それが相手の勘を狂わせる。

 こりゃ、徹底的にまずいな。

 とても勝てそうにない。いったん逃げるか?

 ほんの数分でいい。自由になる時間が取れれば、スマホで警察を呼べる。つららに警告もできる。

 風太はじりっ、じりっと下がる。正確には後ろ向きに階段を上がっている。

「逃げる気かね。忘れたらいかんタイ。トラップがあることを」

「ハッタリだ」

「そう思いたければ、思えばよか」

 西郷は暗闇の中で笑った。下のほうから照らされる懐中電灯の明かりのせいで、まるで悪魔のように顔に見える。

 そのまま威嚇するかのように、のっしのっしと階段を上がってくる。

 めっちゃ、怖えぇええええ!

 そのまま背を向けて逃げ出したかった。

 しかしそれはあまりにも危険。この男に一瞬でも背中を見せるのは、恐ろしすぎるし、そもそもトラップの話はハッタリとも思えない。籠城する以上、とうぜん考え得る作戦だ。

 どうする? どうする? どうする?

 まさしく、前門の虎、後門の狼。

 だったら、横に逃げてやらあっ!

 風太は階段の手すりをつかむと、それを飛び越えた。

 そのまま、下に向かう階段に飛びおりる。

 落差はけっこうあるし、下は平らではなく階段。おまけに暗がりだ。かなり危険ではあるが、しょうがない。

 案の定、着地に失敗し、そのまま階段を転がり落ちる。あちこち打ったが、さいわい頭とかは無傷だし、骨も折っていないようだ。

 とにかく地下二階の廊下に来た。

 そしてすこし離れたところには、ドアから漏れる明かりが。

 魔子はあそこか?

「どこいくタイ?」

 後ろから、むんずと首根っこをつかまれる。そのまま後ろに放り投げられた。

「まさか、あの程度の動きで、このおいどんがついてこれないと思ったわけじゃあるまいね」

 ま、そうだよな。

 それでも魔子を助け出すためにはこいつを倒すしかない。もっともそれができたとして、あと三人残ってはいるが……。

 いや、こいつさえ倒せば、電話できる。

 風太ははね起きると、西郷にパンチを見舞う。

 だがするりとよけられると、ふたたび床に這わせられた。一瞬で、ポケットをまさぐられ、スマホをうばわれる。

「さあってっと、誰に電話ばしとるかいね?」

 西郷が発信記録を調べる。

「ふふ。思ったとおり、警察には連絡しとらんばい。電話したのは、木枯つらら、あの小娘ひとりタイ」

 やべっ。

「着信もなか。援軍が来るっていうのは、ハッタリ決定タイ」

 ばればれです。

 西郷はスマホを握りつぶした。

「くそっ」

 反撃しようにもなにもできなかった。

 西郷は風太に馬乗りになる。いわゆるマウントポジション。

「この状態なら、どんなにディフェンスがうまくても意味ないタイ」

 そういいつつ、右腕を高々と上げる。コンクリートすら破壊する恐怖の武器でもある腕を。

「死ぬタイ」

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