第2章 教え子は魔界美少女
1
風太にとって、きょうが魔子の家庭教師をやる初日。今、学校を終え、自転車で向かっているところだ。
先日、両親にバイトの面接に受かったことを説明すると、泣いて喜んだ。
「えらい。さすがに俺の息子だ。そんだけの時給もらえるんなら、俺の給料とあわせて、すぐに借金貸せるな」
「ああ、ほんと孝行息子だよ、風太は」
ってな感じだ。数日前までは……こうだったくせに。
「あああ、風太をこんな学費の高え中学に入れるんじゃなかったぜ」
「ほんとだよ。公立でよかったのにさあ」
俺だからよかったが、ふつうならグレるぞ。
まあ、これでとうぶんは俺に頭が上がらないな。
そう思えばちょっと気分がいい。
そのかわり、へまをやってクビにでもなれば、こういうにちがいない。
「あほか、おめえ。そんなわりのいい仕事、もう一生涯見つかんねえよ。石にかじりついてでもやり通せ。なんでそれができねえんだ、アホ」
「ほんとだよ。このろくでなしのごくつぶし」
おっかねえ。おっかねえ。せいぜいクビにならないように気をつけないとな。
巣豪杉家からもらった魔子用の教科書は、拍子抜けするほどふつうの教科書だった。とりあえず、全教科、最初のほうは目を通したが、なにも問題ない。
もっとも魔子は昼間学校に行けないわけだから、補習は受験対策ではなく、風太が一から受け持たないといけない。そういう意味では、学校で六時間かけて教える内容を、四時間で教えるわけだが、夏休みとかもとくに設けない方針のようだし、教えるのは四教科だけだから、なんとかなるだろう。
ただ、義務教育なのに教師の資格もない中学生が教えるだけでいいのかという疑問はあるが、そんなことはあの一家ならどうにでもしてしまうのだろう。
まあ、なんとかなるさ。
風太は巣豪杉家の正門前にたどり着くと、インターホンのマイクに向かって叫んだ。
「興梠風太です」
『は~い。今開けます』
この声は、採用試験のときにもきていたメイドさんらしい。
馬鹿でかい門がオートマティックで開いた。風太は自転車のまま、中に入っていく。なにせここからお屋敷の玄関に行くだけでも、あまり近いとはいえない。
例によって花園とゴルフ場を横断する気分だったが、数分でお屋敷の正面玄関前にたどり着いた。
やっぱどう見ても、これ城だよなぁ。
そびえ立つ天守閣を見上げながら、そう思う。
自転車を駐め、石段を登ると、玄関前には門番のごつい大男ふたりが並んで立っている。侍ならそのまま時代劇だが、着ているものは警官の制服に似ていた。日本刀のかわりに木刀。もっとも当家の奥さまが、箒に刀を仕込んでるくらいだから、あの木刀も仕込みじゃないという保証はない。
「家庭教師の興梠風太です」
ちょっと緊張しながらいった。
「お待ちしておりました」
門番はにこりともせずに、玄関の引き戸をがらがらと開けた。
中は相変わらず外観に似合わない洋風御殿。床はぴかぴかつるつるの大理石。真っ白な壁に数々の名画。上を見れば、むき出しの梁に、きらきらのシャンデリア。
「スリッパをどうぞ」
メイドのお姉さんが、笑顔で風太を出むかえてくれた。
「ど、どうも」
風太は体をこわばらせつつも、魔子の部屋に向かおうとする。
「うふふ。じつはあたし、採用試験を見てたんですけど、ひそかに風太君を応援してました」
メイドさんは楽しそうに風太の肩をたたいた。
「それはどうも」
「だって他の人は、変な人ばかりなんですもの。でも風太君なら安心してお嬢様をお任せできます。というか、お嬢様の人を見る目が確かで安心しました」
人を見る目が確かというか、普通の人間ならたいていあいつらは選ばないと思うが……。それほど異常なやつらばかりだった。
「風太君、いえ、先生。まず、旦那様がご挨拶したいそうです」
「旦那様?」
……いったいどんな人なんだ?
風太は好奇心より、恐怖感のほうが強かった。なにせ、これだけの大金持ちだ。いったいなにをすりゃこんだけ稼げるんだよ?
なんせ奥さまにしてあれだけ型破りで、怒らせたら怖いからな。ヤーさんみたいのが出てきてもびびるなよ。
「こちらです」
風太はメイドさんのあとをついていく。
案内された部屋は、どう見てもリビングルームというより、ちょっとした広間だった。
二階分ぶち抜いているのか、天井高はどう見ても八メートルくらいはあった。広さも教室三、四個分はある。しかもほかとはちがい、なぜか和室で、青々とした畳が敷き並べられ、柱や梁も飾りなのかもしれないが古びた木造。ここだけはほんとうの城内のようだった。
「わははははは。君が風太君か?」
豪快な笑い声と供に、のっしのっしと異様な足音を立て、巨人が歩いてくる。
いや、それはけっして大げさなどではなかった。着流し姿の身長にして三メートル近くありそうな……いや、ほんとだって……筋肉質な男。腕なんか丸太のようというか、どう見ても丸太よりも太い。腹は出ていないが、その分胸がすごい。ぶ厚いというか、装甲車を連想させる。体重は優に二百キロを超えるだろう。いや、あるいは三百キロをぶっちぎってるかもしれない。なにせ、その男が足をついた畳は、両端がめくれ上がるほどだ。顔はいかつく、髪も長いが、それ以上にあごひげが伸び放題で、黒々つやつやとしたものが腹のあたりまで達している。
関羽かよっ!
そう、それはまさに一般人のイメージする三国志の関羽が和服を着流した姿だった。
こ、こうきやがったか!
この家に足を踏み入れて以来、驚きの連続だから、余裕があった。ちょっとだけ。
もしなんの予備知識もなくこれを見ていたら、高給捨てて逃げ帰っていたのはまちがいない。
「ほほう? ワシを見て驚かんとは、見かけによらず、胆力があるの。さすが太刀と魔子が選んだ男よのぉ」
いや、あんたの娘は、俺の無様な姿を見て、おもしろがって選んだだけだけどな。
「わしが当主の
そういわれ、風太ははっとして頭を下げた。
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
なにせこのお方は、自分に大金を払ってくれる人なのだ。
「まあ、座りなさい、座りなさい」
そういいつつ、まず自分が率先してあぐらをかいた。風太が正座すると笑い飛ばす。
「堅苦しいのお。そんな座り方は武道の稽古のときだけで充分じゃけんのお」
そういわれて、かたくなに正座し続けるのも変だ。風太は足を崩した。
「ところでのお、風太君よ。わしゃあ、娘を溺愛しとってのぉお」
ちょっとだけいやな予感。
「もちろん、きびし~く指導してくれるのはなんの問題もないが、娘に手を出すのだけはやめといたほうがいいのぉお」
「え、そんな、体罰なんか……」
「ちが~う。男と女の関係になったらいかんといっとるんじゃぁあああああ!」
はああああ? 過保護すぎだろ? 中一と小六なんだからそんな心配するな! どんだけませてると思ってるんだ!
でも怖いからいえない、そんなこと……。
「はい。それはもう。これでも俺、紳士ですから」
「ほおお? 紳士。しかしわしゃあ、自分のことを紳士などという輩は信じないことにしとるんじゃけんのぉおおおお」
「い、いや、それ以前に俺、プロですから。プロは教え子に手を出したりしません」
「そうか、そうか。プロか、なら信じるしかないけんのぉお」
いや、プロどころか、バイトすんのも、家庭教師すんのも生まれて初めてだけどな。そもそもプロって中学生が自分のことをいう台詞じゃねえ。
「わしゃあ、プロの仕事ってやつが大好きじゃけんのお。うわあっははははははははは」
つられて風太も笑った。もっとも顔が笑ってたかどうかは知らないが。
「と、ところで、プロといえば、ご主人のお仕事は……」
「仕事? わしゃあ、仕事はしておらん。ま、今風にいうならニートじゃけんのぉおおお」
ニートかよっ!
「ま、親が金持ちだったんじゃ。それと家内が稼いでくれてのお」
「え、奥さまが? いったいどうやって?」
「ん? まあ、悪人を、ころ……こらしめて、依頼主から大金をもらう仕事とかのお」
今、「殺して」っていいそうになったろ?
「まあ、いほ……税金を払うことを政府から特別に免除された仕事でのお」
そりゃ、税金払う殺し屋はいねえっ! ついでに今「違法な仕事」っていいそうになったな?
「一件につき、一千万から一億は稼いでくれるけんのお」
いったいどんな殺し屋だよ、そりゃ!
っていうか、ほんとに殺し屋なの? 俺の勘違いだよね。でなきゃ、ジョーク。まあ、そういうことにしておこう。保身のために。
「もっとも仕事をしていないといっても、家事はしておる。つまり主夫だ」
主夫? 似合わねえにもほどがあるだろっ!
そもそも、メイドさんがいるのに?
「といっても、料理しかしないがのお。うわ~はっははははははは」
「ちょっと、あなた、なにいいかげんなこといってるの!」
いきなり乱入してきたのは奥さまだ。
「うおりゃ。いたのか、おまえ?」
「いたのかじゃありません。風太君、まさか、今の信じなかったでしょうね?」
「え、今のって、悪人を、ころ……こらしめる、政府から税金免除された仕事のことですか?」
「うん」
「もちろん、冗談……ですよね?」
「あたりまえでしょ。ついでにうちの旦那が無職ってのも嘘だから。あれで会社いくつも経営してるから。料理はただの趣味だし」
おおお? そうだよな。常識で考えれば、そっちが正解だよな。
この一家に常識が通用するのかどうかは知らんが。
っていうか、採用試験のとき、あんたが仕込みの刀抜いて、髭もじゃ脅してる姿見てなかったら、俺だってそんな話信用してねえよっ!
もちろん、口にはしない。正式に雇い主になった以上、失礼な口はきけない。この前はあまりに異常な状況にエキサイトして、つい怒鳴ったり、タメ口を叩いたりしてしまったが、そういうことはあらためないといけない。
「ばぶばぶ」
その声に、今はじめて奥さんのそばに小さな赤ちゃんがよちよち立っているのに気づいた。天使のような笑顔って言葉がよく似合う子供だ。手には熊さんのぬいぐるみ。なぜか傷だらけだけど、案外、あつかいが荒いのかもしれない。
「ああ、紹介しとくわ。長男の太郎。うちの子供は魔子と太郎ふたりだけだから」
「ばぶう」
「やあ、よろしくね。太郎君」
「ぶう」
いきなりぬいぐるみを投げつけられた。
このガキゃあ!
もちろんそんな言葉は口にしない。
太郎はとことこと倒れたぬいぐるみのところにやってきて、馬乗り。俗にいうマウントポジションってやつだ。
腕白坊主だな。このとき思ったことはその程度だった。
太郎はどこからともなく、いきなり二本の包丁を取りだした。それもしゃきーんって感じで。
おおおおお?
なにがはじまるのかと思っていると、それでぐさぐさと熊のぬいぐるみをめった刺し。
「あら、また熊がオイタしたの? ええい、やっつけちゃえ」
「わははははは。悪い熊にはお仕置きをせんといかんのお!」
おまえら、自分の息子を殺人鬼にしたいのかっ!
もっとも風太の心のつっこみが聞こえるはずもなく、このふたりときたら、なぜか大喜びで拍手喝采。
やっぱりおまえ、殺し屋だろっ!
っていうか、この子の将来のために、俺がいわずにはなるまい。怖いけど。
「その子の家庭教師までは頼まれてませんが、それはやっぱりまずいんじゃ? っていうか、その前に危ないでしょ?」
「あははは。だいじょうぶ」
奥さま、太郎から包丁を奪うと、いきなり投げつけた。風太の心臓めがけて。
「ぐおおおおおおおおお?」
「それ、おもちゃだからっ」
たしかに、それはおもちゃだった。刃はついてないし、しかも軽い。だから風太の心臓に刺さるどころかほとんど痛みもなかった。
「じゃあ、なんでぬいぐるみに刺さるんだよっ!」
「よく見てよ。最初から穴が開いてるの。まあ、鞘があらかじめ内蔵されてるようなもんよ」
なるほど。たしかによく見ると、ぬいぐるみの傷口はプラスティックのケースのようなものが内蔵されている。それにおもちゃの包丁を差し入れると、深く突き刺しているように見えるらしい。
だけど風太は新たなことにも気づいた。そのケースがあらかじめ内蔵されている場所は、首、心臓、脇の下、みぞおち。人体の急所ばっかり。
それって、急所に寸分違わずナイフ突き刺す特訓にしか見えねえぞっ!
ほんとにヤバすぎだろ、こいつら。
いきなりスマホの着メロがなった。たしか、最近流行りの魔女っ子アニメのテーマソング。
「わしじゃああ」
旦那が着流しの中に手を入れ、スマホを取り出す。体でけえから、百円ライターくらいの大きさにしか見えん。
「……ん、ん。ぬあにぃ。おまえ、わしから社長を命じられて身だろうがぁああ。それくらいの判断もできんようじゃ、首のすげ替えも考えないといけんようじゃのぉおおお!」
ん? やっぱり主夫というのは冗談で、複数の社長を使う会長さまというのはほんとうらしい。
もっともだからといって、奥さまが殺し屋というのが冗談とは限らないが……。
いつの間にか、太郎がぬいぐるみから離れ、とっとこと風太のほうに歩いてきていた。そばに落ちていたおもちゃのナイフを拾う。
その瞬間、太郎はナイフを風太の喉めがけて突きつける。
うおおおおおおお?
完全に油断していたが、かわしたのはつららのつっこみで鍛えぬかれてた反射神経と動体視力のおかげ。
思わず引っぱたきそうになったのを堪える。
天使のような笑顔で「きゃっきゃ、きゃっきゃ」とはしゃぐ太郎を奥さまは抱き上げた。
「こらあ、人にやっちゃダメでしょ?」
ほんとか? ほんとはおまえが命じたんじゃないだろうな?
もう、ここには一秒だっていたくはないぞ。
「あの……、そろそろお嬢さんの部屋に」
「あら、そうだったわね。きっと魔子怒ってるわ」
「じゃ、すぐに行きます」
さいわい、部屋はこの前行って知っていた。風太はさっさとこの部屋を出る。
「やっぱりただものじゃないわよね」
後ろからかすかに奥さまの声が聞こえた。
それって俺のことか?
なんか知らんが、俺のことを勘違いしてるぜ、ぜったい。
「たいへんですねえ」
廊下にいたメイドさんが哀れみの表情を浮かべる。っていうか、この人待っててくれたんだ。
「あ、場所はわかるから」
「じゃあ、お気をつけて」
なぜか意味深な笑顔を浮かべた。
お気をつけて? またそういう不吉な台詞をいう。
風太はちょっと気にしつつ、廊下を進む。魔子の部屋の前まで来ると、ノックをした。
「興梠です」
「ちょっと遅いじゃないのよ。初日から遅刻? いい根性してるわね。べつにあたしはきょうのこと、楽しみにしてたわけじゃないんだからねっ!」
いきなりツンデレ風に怒られた。
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