風太は覚悟を決めた。

 まず、全力で助走。そのままジャンプ。最初の跳び箱に飛びのった。

 しゃーっ。

 まわりのコブラたちがいっせいに風太を見上げる。

 こりゃ、端から見てるのと、じっさいやるのは大違いだな。

 毒蛇たちの異様な殺気に、風太はすぐに脂汗を浮かべた。

 だいたい、四段の跳び箱なんて、たいした高さじゃないし、コブラが飛びかかってきても不思議じゃない。

 そう思うと、さっさと高い段に飛びうつりたくなる。

 焦るな。距離を測れ。

 冷静に見てもそれほど遠くはない。いけそうだ。

 さっき、つららがやったように、動ける範囲で一番後ろまで下がると、一歩前に踏みだし、そのまま台を蹴った。

 ふたつめの台に無事着地。同じ要領で、みっつめに飛びのった。

 ぐらりと跳び箱が揺れる。

 じょ、冗談だろ?

「風太、平行棒に飛べっ!」

 つららの声が響く。

 反射的にその声にしたがった。無我夢中でジャンプ。視界に入った平行棒にしゃにむにしがみつく。

 がらがらがっしゃーん。

 ついさっきまで風太が乗っていた跳び箱は、無惨にも崩壊していた。

 マジかよっ!

 まさに危機一髪ってやつだった。もっともほっとしている余裕はない。ここからが危険なのだから。

 とりあえず、不格好にしがみついているバーを両手でしっかりとつかみ直し、ぶら下がった。このときはじめて気がついたが、この体勢だと足はかなり床に近くなり、コブラが飛びついてきても不思議じゃない。

 そう思うと、ただぶら下がっているのは心臓に悪すぎる。ほとんど無意識に振り子運動が開始された。

 このまま飛ぶ?

 だんだんゆれが大きくなっていっても、風太にはそれがイメージできない。

 たしかに向こうのほうが低いし、思いっきり勢いをつければ届くはず。理屈ではそうだ。問題はそんなことを一度たりともやったことがないことだ。

 だが、できる。できるはずだ。できそうだろ。あるいはできるかもな。できる可能性はなきにしもあらず。

 できるわけねえだろうがっ!

「風太、覚悟決めて飛べ。その状態が続くとどんどん悪くなるぞ」

 つららの檄が飛ぶ。

 いわれてみると、だんだん手のひらが痛くなってきた。なんていうのか知らんが、体操選手が手のひらにつけるプロテクターみたいなやつをしてないんだから当然だ。握力だって弱まってきている。

 下手すりゃ、飛ぶ前に落ちる。

 ちくしょう。やるよ。やりゃいいんだろ? まあ、コブラに噛まれたって血清があるんだから死にゃあしねえよ。だよな?

「うおりゃああああああ!」

 もうやけくそだった。とにかく勢いをつけ、脚を振り上げて手を離す。

 風太の体は思った以上に飛んだ。高く。速く。

 あれ?

 バーがずいぶん下のほうにあるぞ。

 イメージでは伸ばした両手がやっと届くかどうかのはずなのに。

 こんなアクロバティックな真似などする気はさらさらなかったのに、気づくと両足でバーの上に着地していた。バーが体重と衝撃でしなる。

「そのまま、前に飛べっ!」

 耳に響くつららの叫び声。

 くそう。やったらあ。どうにでもなりやがれっ!

「いっけえええええええ!」

 渾身の力を込めてジャンプ。

 上を見ても体育館の屋根しか見えない。

 飛び越えたか?

 反射的に下を向く。

 あれ? やけに遠くねえか、平均台?

 そうなのだ。思い切りジャンプしてようやく届くはずの平均台が、遠い。二、三メートル下にある。

 どんだけ飛んでんだよ、俺っ!

 落下。落下。落下。加速する。

 どう考えても、足の位置と平均台の位置はずれていた。

 このままじゃ、落っこちるじゃねえか!

 風太は必死で腕を伸ばし、平均台にしがみついた。

「うぎゃああああ。死ぬうぅ」

 そんな情けない声をあげたが、どうやら死ぬのはまだ先らしい。

 気づくと風太は平均台の下にナマケモノのように両手両足でぶら下がっていた。

「ええい、風太、もうそのまま進め。失格じゃないだろ、たぶん」

 つららのありがたいお言葉。

 たしかにこれから一度立ち上がって、バランスを取りながら歩くなんて真っ平ごめんだ。風太はいわれるがままにナマケモノのごとく、もそもそと平均台を渡りきった。

 そして両足を台から外すと、マットに着地。

「タイムレースだったら、まちがいなく最下位失格だったのに」

 麝香院の冷たい目つきと、きついお言葉。ありがたくって涙が出らあ。

 とん、とん、とんという軽やかな音にふり返ると、検査官の奥さまが同じルートをたどりながら、こっちに向かっている。両手には箒を持ちながら。

 あっというまに平均台の端っこまでたどり着くと、高々とジャンプ。ムーンサルトを決めながら着地した。

「二次試験合格者は四名ですね」

「やっぱり俺も合格でいいんだよね?」

「ええ、問題ありませんよ、風太君」

 奥さまはにっこりと笑った。

「というわけで、いよいよ三次試験です。こっちに来てください」

 奥さまはくるりと背を向けると、非常口のようなドアを開け、外に出た。そこからはお屋敷に向けて屋根付きの廊下が伸びている。メイドさんが用意したのか、入り口で脱いだ靴が揃えておいてあった。

 風太たち二次合格者は、奥さまのあとに続いた。

 一次はバトルロイヤル。二次は命がけの行進。三次はなんだ?

 どうせつぎもろくなもんじゃねえだろうと、風太は思った。

「ねえ、三次試験はなんなの?」

 推理しようとしていると、つららがストレートに聞いた。

「面接です」

 面接? ようやくまともな試験だな。

 いったんそう思った風太だが、すぐに疑心暗鬼に陥る。

 ほんとか? ほんとにそうなのか? なんかすげえいやな予感がするんだが。

「うふふ。心配しなくてもだいじょうぶですよ。すくなくともつぎは危険なことはありませんから」

 後ろもふり返らずに、奥さまは風太の心を読んだかのような発言をする。

「面接相手は、合格者の生徒になるわたしの娘、魔子まこ。じつは一次と二次の様子はテレビカメラを通じて、魔子の目にも入ってますから」

 え?

 風太は思わず焦る。

 一次はともかく、二次のあの無様な様子も見られているのか?

「ひょっとして、最終決定権はその子にあるわけ?」

「はい。もっとも、わたしも相談に乗りますけどね」

 この母親こそが風太のへたれぶりを間近で観察した張本人。

 終わったな。

 風太はため息をついた。

 長い廊下が終わり、風太たちはお屋敷の中へと入った。戦国時代の城のような外見とは裏腹に、内部は豪華ホテルのようなたたずまいだった。

 床は大理石。壁は腰壁まではやはり大理石で、その上はつるつるに仕上げたモルタルに真っ白な塗装をむらなく塗られている。そこら中に絵画が掛けられ、美術館を歩いているような気になってしまう。

 天井は五メートルほどあり、梁が露出し、豪華なシャンデリアが並んでいる。

「面接会場はこちらです」

 奥さまはしばらく歩いたあと、一室のドアを開ける。

 まだ昼間なのに、みょうにうす暗かった。窓がない。人工照明もかなり弱めに設定されているらしい。部屋自体は個室だとするとかなり広い。もっとも庶民感覚での話だが。

 本棚が多く、背表紙のタイトルを読むと、なにやら怪しげな単語が目につく。ようはオカルト関係の本ばかりだ。

 奥にひとりの少女が座っていた。机には書物の他に、パソコン、さらに正面の大きなものをふくめ、モニターがみっつほどある。少女はこちらに背を向け、モニターに目をやっていた。

 全身は華奢で、黒ずくめ。足首までありそうな黒のワンピース。袖は長袖で、手には黒い手袋。見たところ肌が露出しているところはない。もっともここから顔は見えないが……。

「魔子。候補者たちよ。聞きたいことをなんでも聞きなさい」

 奥さまの言葉に、魔子は椅子を回転させ、こっちを向いた。

 風太は思わず、うげっと叫びそうになった。魔子の顔には仮面が被せられていたからだ。

 真っ白で、きちんと人の顔を形取ったもので、その造形も美しいのだが、そのせいでまるで魔子自体が人形のように感じられる。

 風太たちが唖然としているのを察したのか、奥さまは説明した。

「この子は皮膚の病気なの。直射日光を浴びれないのよ」

 なんとなくそんな病気のことは聞いたことがあるような気がする。紫外線に極端に弱いのだろう。あっという間に水ぶくれになってしまうとか。

「くすくすくす」

 魔子が人形でない証拠に、笑った。それも全身を振るわせて、さもおかしそうに。

「お母様、質問なんかありません。もう決めました」

「え、決めちゃったの?」

「はい。だっておもしろいんだもの、その人」

「ふ~ん?」

 奥さまはこっちをちらっと見る。

「ほんとにそれでいいの?」

 今度は娘に確認。

「はい」

 奥さまは娘のそばまで行くと、小声でふたことみことささやき、魔子も同じようにした。

「魔子の意思が固いようなので、面接は省略し、決めさせていただきます」

 このとき、風太は本能的にいやな予感がした。

「合格者は興梠風太くん」

 母親の言葉に、魔子は立ち上がってスカートの裾を両手で持った。

「よろしくね。風太センセ」

 そういったあと、狂ったようにけたけたと笑った。まるで小悪魔のように。

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