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「なんだ、こりゃ?」
体育館の中に入って、風太が放った第一声がこれだった。
そもそも一次試験からして、なぜあれが家庭教師選抜のための試験なのか理解に苦しむものだが、強さを重視するのなら、二次試験はトーナメントでもやって、強いやつを決めるのかと内心思っていた。
だが、ちがうらしい。目の前に広がっている光景がそれを物語っている。
まず、手前には跳び箱が置かれてあった。それも島のように二メートルほど離れてぽんぽんと。離れるにつれて高くなっていく。ちなみに、はじめは四段で、六段、八段と続く。
たぶん、跳べといいたいのだろう。問題は柵に囲まれた床に無数の蛇がいることだった。しかもどう見てもコブラ。
ひょっとして、これだけのために、コブラ輸入してきたのかぁああああ!
いや、問題はそこじゃない。落ちたらヤバいってことだ。それくらいわかっている。現実逃避してみただけさ。
跳び箱の先には段違い平行棒。これを使って先に進めということらしい。落ちたらもちろんコブラが待っている。
その先は平均台。ただし台が底上げされていて、高さ地上から四メートルほど。下にはコブラはいない。そのかわり、長さ一メートルほどある鉄製のトゲが床一面を覆っていた。
冗談きつすぎるぜ。
コブラはひょっとして襲わない可能性もあるが、このトゲはだめだ。落ちたらまちがいなく死ぬ。
「ちょっと聞いていい?」
風太は手をあげた。
「はい、どうぞ?」
奥さまは、「なにかわからないことでも? そんなはずないわよね。こんなにわかりやすいのに」とでもいいたげな顔をする。
「一次試験のときも思ったけど、これって、家庭教師といったいなんの関係が?」
「え? わからない?」
「はい」
って、わかるわけねえだろっ!
「たぶん、わからないのは、あなただけです」
嘘をつけっ、嘘を!
と思ったが、風太はまわりを見わたしてみる。
誰もが、「おまえはいったいなにをいってるんだ?」ってな顔をしていた。つららまでもだ。
え、マジ? おかしいのは、俺なの?
「ひょっとして、巣豪杉家のことを、なにひとつとしてご存じない」
「ご存じありません」
風太は奥さまが醸しだすみょうな迫力に一瞬押された。
奥さまは首をふりながら、ため息をつく。
「ならばむしろ好都合。ただし試験の意味は一応説明しておきましょう。我が巣豪杉一族は敵が多いです。しかも凶悪な輩が。ですから、スタッフとして出入りする以上、生半可な人間にはつとまりません。そもそもわたしの大事な娘と一対一になる時間があるわけですから、ときにはボディガード役を演じることも必要です。おわかりいただきました?」
奥さまは素敵な笑顔でおっしゃった。
聞いてねえよ、そんなことっ!
だが説明を受けて、風太ははじめて異常に高い時給に納得がいった。高い報酬には裏がある。資本主義社会において、それはとうぜんのことなのだ。
「つらら。おまえ、知ってたの?」
「あのあと、ネットで調べた。もちろん、調べられることに限界はあったけど、まあ、なんとなくわかった」
正直、風太はショックを受けた。あのつららですら、巣豪杉一族について下調べをしていたのだ。自分のなんと甘いことか。ある意味、舐めていた。
「っていうか、おまえ、俺を守るために受けてくれたんじゃなかったの?」
これはつららにだけ聞こえるようにいった。
「気が変わった。だって、おもしろそうだしな」
つまりライバルがふえたわけだ。もっともそれに関しては文句をいう立場にはない。そもそも最初から頼ってなどいなかったわけだし。
「棄権しますか?」
奥さまが風太に聞いてきた。たしかに命がけだが、自分の将来を考えると、このチャンスを逃したくはない。それになんかやたらと燃えてきた。
「いいや。やります」
「けっこう」
「ただ、もうひとつ疑問が。教科を教えるほうの査定は?」
「ああ。そっちはしません。だって、大学受験の指導ならともかく、小学六年生の勉強ですから。ここにいるメンバーなら試験するまでもなく、問題ないでしょう?」
そりゃそうだわな。東大医学部に京大大学院、ソルボンヌ大学だ。定時制高校のダルマは知らんが、頭はよさそうだし問題ないんだろう。
「では、納得いただいたところで、二次試験の説明をします。見てわかるとおり、ゴールに行ってもらいます。ただし、タイムで順位を競うことはしません。たどり着けば合格。簡単でしょ?」
いや、たどり着けない場合、不合格というより死んでそうだけど。
「あ、もちろん、無理そうだと思ったら、棄権してください。救助します。それとコブラ毒の解毒剤はありますが、あのとげとげに落ちた場合、命の保証はしません。質問は?」
誰もなにもいわなかった。
「では行ってもらいましょうか。順番は指定しません。行きたい方からどうぞ」
「じゃ、あたしから」
一番に手をあげたのは麝香院だった。
風太としては、他の連中がどうやってクリアするのかを見ておきたいから、ありがたかった。
みなが注目する中、麝香院はたたたと小走りすると、華麗にジャンプ。一番手前にある跳び箱の上にふわりと乗った。
そのままいきおいを殺さず、ぽんぽんと飛びうつり、あっという間に一番高い八段の跳び箱に到達する。
いったんそこで止まるかと思いきや、麝香院はそのままつっきった。段違い平行棒の上に飛びのると、そのままもうひとつのバーの上に。その反動を利用し、一気に平均台の上にたどり着く。
さらにまるで体操の選手のように、手を台についてぐるんぐるんと縦回転しながら前に進み、そのままジャンプ。
空転して、下に引いてあったマットの上に着地。胸をはり、両手を高々と上げてフィニッシュのポーズ。
こいつ、忍者の末裔っていったのは、案外ほんとじゃねえのか? いや、そういえば、体操でインターハイ優勝ともいってたから、そっちのほうか。
なんにしろ、風太は素直に感心した。しかし正直いってレベルが高すぎて自分の参考にはなりそうにない。
麝香院は自信があったから、真っ先にやったのだろう。参考にされるどころか、プレッシャーを与えられるわけだ。
「つぎは僕がやろう」
名乗りを上げたのはジュベール。なんとジュベールはまるで麝香院の動きをなぞるかのようにそっくりな動きで、やすやすとクリアする。
マジかよ、こいつら?
風太は内心びびった。
そういえば、こいつは一次試験のとき、ただひとり人知れず梁の上に飛びのってやり過ごしていたな。こいつこそ忍者じゃないのか?
向こうでは麝香院とジュベールがにらみ合っていた。さしずめ、「あたしの真似しやがって」、「はん、あんなの誰にだってできるさ」ってとこだろう。両者の間で見えない火花が弾けあってる。
「じゃ、つぎはあたしがやる」
立候補したのはつらら。こんなやつらに身軽さで負けてたまるかって顔をしている。
「おい、だいじょうぶなのかよ、つらら?」
「だいじょうぶだって、風太。おまえの参考になるようにやってやるよ」
つららは助走をつけると、四段の跳び箱に飛びのった。
麝香院のようにそのまま、ぽんぽんとは跳ばず、いったん跳び箱の上で後ろに下がると、一歩前に踏みだしてからふたつめに飛びうつる。
なるほど。俺がやるにはこっちのほうが確実そうだな。
どうやら、つららは風太に手本を見せてくれているらしい。
同様のことをして、つららは六段と八段の跳び箱をクリア。
問題はここからだ。風太には麝香院やジュベールがさっきやったような真似はできない。
つららはまず手前の高い段の平行棒に飛びついた。
麝香院たちのようにそのまま足でバー上に乗り、下の段に飛びうつるような真似はせず、両手でしっかりとつかんだ。反動で起きた振り子運動をじょじょに大きくしながらくり返していく。
反動が充分についたころ、つららは奥の下段のバーに飛びうつった。大きく足を上げ、その後、両手を上から振りかぶるようにしながらがっちりとバーを掴む。
ゆれが収まったころ、つららは頭を下にして両足を両手の中に入れると、そのまま上からバーに引っかけた。つまり、今つららは曲げた膝をフックのようにしてバーにかけ、そのままぶら下がったかっこうになる。
パンツ丸見えだぞっ!
とつっこみたいが、そんなことは百も承知のはず。しかしつららは微動だにしない。なにせ、男前なのだ。
つららはそのまま腹筋運動の要領で起きあがった。その結果、バーに腰かけた状態になる。一度離した手でバーを掴んで転落をさける。
そのまま手を伸ばせば、平均台にとどくか? ちょっと無理そうな気がした。
つららは右膝を立て、足をバーに乗せると、そのまま一気に立ち上がった。ようやく両手が平均台に届く。あとは懸垂の要領で体を持ち上げ、そのまま平均台に乗る。
そのあとも無理せず、つららはゆっくりと立ち上がると、両手を左右に伸ばし、バランスを取りながら、とことこと歩く。端っこまでたどり着くと、下にあるマットに向かって飛びおりた。
「これくらいできんだろ? っていうか、やれよな」
着地すると、風太に向かって檄を飛ばす。
う~む。なんとかやれそうな気がしなくもない。問題は、段違い平行棒だ。うまくバーを掴めるかどうか。そして平均台に移るとき、バランスをくずして落っこちないかどうかだ。
今のイメージが消えないうちにやろうとしたら、先を越された。
「おいどんがやりますタイ」
ダルマこと西郷が、鼻息を荒げ、ずいと前にあゆみ出る。
そのまま、すたたたといいたいところだが、どすどすと轟音を立て、西郷が走る。
ジャ~ンプ。
でかいわりには身の軽い西郷の巨体は、最初の跳び箱に乗ると、ゴムまりのようにはずんだ。そのままふたつめの跳び箱を目指す。
しかし、いきおいがよすぎたのか、飛びだしたいきおいで、最初の跳び箱がぐらりとゆれる。そのせいで、西郷はバランスをくずし、ふたつめの跳び箱に足から下りることができなかった。
はっきりいうと、腹がぶつかった。
ころりん。
まさに坂道から転げ落ちるボールのように、西郷は落ちた。
「しまったタ~イ」
マ、マジかよっ!
西郷は体をアルマジロのように丸め、床に直撃すると、ぼよよ~んとはねる。
ぼよよ~ん。ぼよよ~ん。ぼよよ~ん。
おまえ、ほんとに人間かっ!
まるで巨大な透明人間が手毬をついているかのように、黒くて丸い固まりは、何度も上下する。蛇たちは噛みつくどころか逃げまわる始末。
「死なんタ~イ」
そして何度目かのバウンドのあと、西郷はついに八段目の跳び箱に飛びうつった。
「完璧タ~イ」
「残念。なんかすごいけど、落ちたから失格」
「嘘タ~イ」
「嘘じゃないの。失格ね」
奥さまは笑顔でダメだし。
「おろろ~ん。三十人の兄弟たちよ、あんちゃんを許すタイ。こうなったら振り込め詐欺かワンクリ詐欺でもやって稼ぐタイ」
西郷は泣きながら、突き進んだ。戻ればいいのに。
すでに失格なのにもかかわらず、あっという間に段違い平行棒もぽんぽんはねながら飛び越え、平均台に至ってはごろごろと転がっていった。そのまま向こうまでたどり着くと、どこへともしれず、走り去っていく。
「どうやら俺の出番が来たようだな」
風太が西郷の姿を呆れながら追っているうちに、髭もじゃ暁三四郎に先を越された。
「はああああああああああああっ!」
雄叫びと供に三四郎は走った。ジャンプ一番、怪鳥のように天を掛け、ひとつめとふたつめの跳び箱を無視し、いきなりみっつめに降り立った。
いくらなんでも、飛びすぎだろっ!
風太の心の中のつっこみもむなしく、三四郎はまたも飛翔する。
段違い平行棒の頭上を飛び越え、平均台の上に着地。
むささびか、おまえはっ!
「わはははははははははは。楽勝だ」
つるん。
一歩前に踏みだした途端、三四郎は足を滑らせた。
うおおおおおお? 油断しすぎだろ!
三四郎は落下しながら平均台を掴むことすらできず、そのまま頭から落ちた。
鉄のトゲは、無惨にも三四郎を串刺しにした……、いや、するはずだった。
なんと三四郎は逆立ちの状態で、トゲの先端を掴んでいた。
「わははははははは。これくらいで死ぬ、紅の傭兵、暁三四郎様ではないわ」
「でも、失格ぅ」
奥さま、無情。しかもにこやか。
「ぬあんだとぉおおおおおおおお?」
三四郎、逆立ち状態でトゲを掴みながら、のっしのっしと奥さまのほうに向かっていく。
そのままトゲの地帯の終わりまで行くと、ひらりと床に足をつけ、今まで掴んでいたトゲを根本からもぎ取った。
「これでも失格かぁああああああ!」
三四郎は巨大なトゲの先端を奥さまに向け、今にも投げつけそうないきおいだ。
「ええ、失格は失格よ。そんなことをしたって覆らないの」
「じゃあ、死ねぇえええええええ!」
三四郎は容赦なく、鉄のトゲを槍のように投げた。
次の瞬間、風太は信じがたいものを見た。
奥さまが風のように軽やかに動いたかと思うと、その両腕が翼のようにはためく。空飛ぶ鉄のかたまりが細切れになった。
嘘でも冗談でも気のせいでもなく、トゲは空中で十数個の鉄のかたまりとなって四散する。
いつの間に握られていたのか、奥さまの手には日本刀。それでたたっ切ったらしい。
もっとも巨大な鉄のトゲは三角コーンのような構造で、鉄の部分は数ミリ、中は空洞だったようだが。
「ふざけた真似してんじゃねえよ、ビチグソがぁあああ!」
奥さまにお似合いの上品なお言葉。
「巣豪杉家舐めて、生きて帰れると思うなよ」
奥さま、さっきまでのおだやかで優しげな表情はどこへやら。まさに般若のようなご面相。
刀を上段に構えると、三メートルほどあった間合いを瞬時につめた。
「おわっ、待て。悪かった。俺が悪かったぁあああああ!」
電光石火のスピードで振り下ろされた日本刀が寸前でぴたりととまる。
三四郎、顔面蒼白、体はかたまり、ズボンは股のところが激しく濡れていた。
「これにこりたら、オイタしちゃダメよ」
奥さまはにんまりと笑った。
抜いた刀をどうするのかと思っていると、床に投げすててあった箒を拾い、それにぱちんとさし込んだ。
あの箒は『仕込み』だったのかよっ!
どうりで柄がやたらと太いと思ったぜ。
風太はようやくそのことに気づいた。
こてん。三四郎が寝ころぶ。目は白目を剥いていた。気絶したらしい。
「さあ、それじゃあ、最後は風太くん。いってみようか」
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