悪魔の銃

「なんて奴だ……むちゃくちゃだ」

 岩の影に隠れて、クラウドがうなった。

「今なら逃げられるかも知れないが、どうする?」

 同じ岩に身を隠しているレイニーが、不気味にうごめくダリウスの背を見つめている。彼は、ずるずると、メリンダを捕らえた網を引き寄せていた。

「時間が無いよ。アウトロウらしく決めようよ」

 サンディが低い体勢で地面に手を着いたまま、言った。

 腰だめに銃を構えたまま、クラウドが頷く。

「ひとつ。俺はあの蜘蛛野郎をぶっ飛ばしたい」

「ひとつ。おれはあんな美人をあんな化け物に食わせたくはない」

「ひとつ。あたしはあいつを絶対、許さない」

 三人が一息に告げた。

「……決まりだな」

 にやりと、レイニーが笑った。

「見たところ、あの脚が生えてる場所は、他の場所ほど皮膚が硬くないはずだ。関節の付け根だからな。虫の脚だって根本から取れやすいんだ。そこを狙う。だが、俺の銃ではやつの脚を剥がすのほどの威力はない。……分かるな?」

 レイニーがクラウドに視線を向けた。

「ああ。だが、俺の銃はこの距離じゃ当たらねえだろうな」

「なんとかするよ」

 サンディが見上げ、しっかりと頷いた。クラウドはその瞳が金色に輝くのを見て、なぜか安心した気分になった。

「できる。無理じゃない」

 言い聞かせるように呟く。確信に満ちた声。

「やるぞ!」

 レイニーが鋭く声を上げた。見れば、地面に寝かせたままのメリンダの体に、ダリウスが食いつこうとしていた。ジェイムズが絶望的な表情を浮かべていた。

 レイニーが岩陰から半身を覗かせ、まっすぐに銃を構える。メリンダに撃たれた肩がずきりと痛んだ。

「ふ……っ!」

 呼吸。集中の儀式を一瞬で終えると、傷の痛みがふっと消え去った。

 ひどく乾いた銃声と共に弾丸が飛ぶ。今まさにメリンダに食らいつこうとしていたダリウスの背、四本の腕の付け根中心へ突き立った。虫の関節のように繋がっている、その場所に釘を打つように弾丸が刺さる。

「……がぁっ!」

 初めて、ダリウスが悲鳴に似た声を上げた。

「絶対……許さない!」

 サンディが目の前の岩を駆け上る。人間の身体能力ではとても不可能な跳躍と共に、どくん、とその入れ墨が脈動した。祖先達が秘密にし続けたこの地で、彼らの伝えてきた技術が、サンディの体に力を宿らせる。

「うぅううぅああぁあ!」

 獣の叫びを上げて、サンディが駈ける。

「悪党どもが! 邪魔だッ!」

 ダリウスが振り返り、四本の脚をサンディに向けた。びゅう、と網が放たれ、同時に二本の脚が無数の弾丸を吐き出す。形だけでなく、機能もそっくりヴォルカニックの“ヴォルケーノ”と同じだ。

「よくも! よくも!」

 吠えるように叫びながら、少女の体が走り、跳ね、転がる。弾丸の雨をかいくぐり、あるいは岩の裏に飛び込んで網をかわす。その隙に、レイニーの乾いた銃声が響く。

「無駄だ、どこを狙っている!」

 レイニーの弾丸は、何もない場所を狙っていた……いや、少なくとも、そう見えた。ダリウスの正面から彼を狙うのは無意味だと、レイニーには分かって居た。

 弾丸は、牙のように突き立った岩に当たり、カンと乾いた音を立てて跳ねた。そして再び、別の岩に当たり、跳ねる。複雑な軌道を描いた跳弾。

「こっち……だよっ!」

 弾丸の向かう先にサンディ。が、少女の体にレイニーの放った弾丸が当たるはずがないことを、彼女は知っていた。だから、獣の動体視力で弾丸の軌道を見極めて、両手で輪っかを作る。

 飛来する弾丸が不自然に軌道を変えた。少女に触れることすら許されないその弾は、その肌を傷つけない角度に自らを向ける……すなわち、少女が指で作った輪の中を通り抜けた。

 レイニーの狙いをサンディが調整した弾丸はそれはダリウスのすぐ背後にある岩に跳ねて、ふたたび彼の腕の付け根に刺さった。

「ギイイッ!」

 奇妙な悲鳴が一層高く上がった。狙い違わず、その銃弾が先ほどの弾丸と同じ場所に命中し、その弾丸をより深い場所に押し込んだのだ。どろりと、黒い血液に似たものがその継ぎ目から噴き出した。

「貴様……貴様らあああっ!」

 ダリウスが怒りの咆吼を上げ、右の二本の腕でレイニーに、左でサンディを狙う。

 レイニーは素早く岩の影に隠れた。が、ガトリングの弾丸がその岩を削っていく。焦りの汗が、レイニーの額に浮かんだ。

「長くは保たないか……」

 かといって、岩陰から飛び出せば弾丸の雨に晒されるだけだ。レイニーは自分が昔の癖で神に祈ろうとしていたことに気づき、誰にも見えないように自嘲した。

「うううううぅぅ!」

 サンディは降り注ぐ弾丸の雨を野性的な勘と俊敏性でかわし、ダリウスに迫る。網を飛び越えて、鋭い爪を振り上げ、一気にダリウスへ飛びかかった。

「馬鹿め!」

 頭上に迫る少女へ向けて、ダリウスが腕を振りかざした。悪魔の姿になって背中から生えた蜘蛛の脚ではない。生来の、人間の腕の形をしたものだ。それは超人的な腕力でサンディの体を払い飛ばし、地面へと打ち落とした。

「あっく、うううっ!」

 肌が岩に裂かれ、血の色に染まる。糸に巻かれたメリンダのすぐ横で、サンディが苦悶の声を上げた。

「残念だったな。お前が教えてくれたおかげで、私はこんなにも強くなったのだよ」

 にやりと、血に染まった笑みをダリウスが浮かべた。サンディを見下ろしながら、左のガトリングと化した腕を向けた。右の腕は、レイニーへのけん制を続けている。

「ホワイト様、もうおやめになってください、もう……」

 震える声と、紫の瞳が向けられている。失神から回復したのだろう、メリンダが糸に包まれながら哀願している。

「私は神など恐れていない。お前の力もすぐに私がもらってやる」

 それはもう目の前だという実感が、ダリウスにはあった。無法者たちによって邪魔をされはしたが……と、考えて、ふとダリウスは気づいた。

「あの小僧の姿が見えないな。……ははあん、そう言うことか。貴様が囮になって、あの小僧が私の背を狙っている、と。確かに、あの拳銃なら私の背中ぐらいなら砕けるかも知れん」

 そのとき、ダリウスの背後で、がちりと列車の歯車がかみ合うような、撃鉄の音が響いた。

「貴様らが束になっても、私に敵うものか!」

 瞬時。ダリウスはあの拳銃の音に違いないと判断し、残った腕から網を放った。振り返りもしなかったが、超人的な感覚のたまものか、網は寸分違わずその音が響いた場所へ飛来した。そして、特大拳銃をその持ち主ごと捕らえ、地面へ絡みつけた。

「くっ!」

 拳銃を握ったジェイムズが、苦悶の声を上げた。

「……なに!?」

 なぜアウトロウの銃を他の人間が持っている? アウトロウが悪魔の銃を手放すはずがない。それは麻薬よりも遥かに彼らを魅了しているはずなのだ。それ以前に、自分を倒しうる唯一の武器を手放すはずがない……

 なぜ、ジェイムズが“ドリーマー”を持っている?

「あの小僧はどこにいるんだ!?」




 ダリウスの注意をサンディとレイニーが引きつけている間、クラウドは岩の影から影を伝って、ジェイムズの元へ向かっていた。

「ヘイ」

 岩の影から、クラウドはジェイムズに声をかけた。両手足と利き手を銃と共にダリウスの糸に絡め取られ、状況を見守るしかなく、歯がゆい思いをかみしめていた連邦保安官は、驚きと共に振り返った。

「君は……」

「しっ、静かにしろ。手短に言うぞ。俺はこれからやつにとどめを刺す。でも、俺の銃は一発撃つのがやっとだ。それじゃあ奴は倒せない。だから、協力してくれ」

 囁くように低く、クラウド。その琥珀色の瞳が、ジェイムズの碧眼をじっと見据えていた。

 ジェイムズはごくわずかな時間、考えた。だが、今更悪党に手を貸すことを悔やんだりするものか。

「奴を倒せるんだな?」

「ああ」

 そして、クラウドはためらいなく、自分の銃をジェイムズの手元に滑らせた。

「これを使え。やつの気を惹くんだ」

 驚いたのはジェイムズだ。

「これは……君の銃だろう? 僕には使えない」

「使わなくていい。こいつで奴を脅かせばいいんだ。ただし、引き金は引くなよ。暴発してお前ごと木っ端みじんだぞ」

「しかし……」

「いいから、やれ! みんな死んじまうぞ!」

 叱咤する口調。ジェイムズはその言葉の意味を痛感した。

 保安官の自分が、誰も守れないまま死んで良いのか? 正義はどうなる。メリンダを見捨てられない。アウトロウだって、人間だ。ダリウスがザ・ロウを蹂躙してもいいのか? 一瞬のうちに様々な思いがジェイムズの胸の内を駆け巡った。

「……分かった」

 そして、ジェイムズは悪魔の銃を手にした。




「悪魔の銃はな、手段だよ」

 ダリウスの背後から声。ダリウスが振り返ろうとした瞬間、背中を何か、巨大なものが打った。

「があっ!」

 まるで鉄柱で打たれたような衝撃。右のガトリングと化した腕の付け根がぐしゃりとつぶれる感触が伝ってきた。

 馬鹿な。馬鹿な。自分を倒しうるのは“ドリーマー”だけだったはずだ。ジェイムズがあの銃を持っている以上、他に武器があるはずがない……

 ダリウスは振り返った。確かめずにはいられなかった。

 彼の背後に立つクラウドの両手に、ヴォルカニックから奪った“ヴォルケーノ”が振りかぶられていた。

「手段と目的をはき違えてんじゃねえよ、馬鹿野郎!」

 ふらつきながら、クラウドがガトリング銃を振り下ろす。倒れたダリウスの背中にガトリングの銃口がたたきつけられ、その重みがぐしゃ、と硬い皮膚にめり込んだ。左の二本の腕がまとめて根本を砕かれ、地面にだらりと垂れた。

「ようやく分かったぜ。つまり、大事な事を見失うなってことだ」

 荒い息を吐きながら、クラウドはダリウスを上からにらみつけていた。

「お前が本当にしたいのは、もっと偉くなってみんなを守るんだか、好きに操るんだか、どっちでもいいけど、そういうことだろ」

 ぎりぎりとクラウドが体重をかけ、ダリウスの背中にガトリングを押し込む。

「そのために人間やめてどうするんだよ、州保安官にまでなったくせに。アウトロウを利用しても、まっとうに社会の役にたってたくせに!」

 その言葉には、どこか羨みが混じっていた。社会からつまはじきにされたアウトロウの、わずかな本音。

「そんな必要が無くなったからだ!」

 ダリウスが叫ぶ。同時、残った最後の腕が持ち上げられた。蜘蛛の糸を吐き出す右の腕が、クラウドの体へ向けられる。

 びゅう、という銃声に、たんっ、という控えめな銃声が重なった。

 吐き出された弾丸は、空中で網と化す前に、別の弾丸によって弾かれていた。

「ホワイト様。これ以上、罪を重ねないでくださいませ……」

「……まさか。馬鹿な……」

 ダリウスが視線をさまよわせる。弾丸を放ったのは、血まみれで横たわるメリンダだ。……その体にかけられていた糸が、切り裂かれている。

「へへー……よかった、あたしも、クラウドのこと、守れたね」

 半身を血に染めながら、サンディが頬に太陽を浮かべて笑っていた。長く伸びた爪が、メリンダの糸を引き裂いていた。

「チャンスが俺についてくれたな」

 クラウドは笑みを浮かべた。獲物に飛びつく直前の狼の笑みだ。そして、ガトリングのクランクに手をかけた。

「やめろ、やめるんだ! お前達は神の法から解放されたいとは思えないのか! 私がこの世界を壊してやろうと言ってるんだぞ!」

「俺はな、お前をぶっ飛ばしたいんだよ!」

 クラウドの手がクランクを回す。本来の持ち主……ヴォルカニック以外に触れられたその銃は、怒りともあきらめとも着かないがちりという音を立て、暴発した。

 ガトリングの中に詰まっていた火薬が一斉に弾ける。銃身に込められていた弾丸が一斉にダリウスの体へ突き刺さり、轟音と共にガトリングがばらばらの破片になって爆発した。

 クラウドの体が爆発に巻き込まれて吹っ飛ぶ。ガトリングの破片がその体にいくつもぶつかって、胸や腹を打ち、細かい傷がいくつも全身に刻まれる。。

 クラウドはごろごろと地面を転がり、首だけをぐるりと動かした。ダリウスは……ダリウスだったものは胸を後ろからぐしゃりと潰されていた。

 レイニーがゆっくりと近寄り、ダリウスの姿を確かめた。血にしては黒すぎる体液が大量に流れ出し、動かなくなっている。

「……やったみたいだな。おい、生きてるか?」

「は……はははっ」

 ぼろぼろになりながらも、クラウドは笑っていた。

「なんだよ、またか? 今度はどうした?」

 牢でのやりとりを思い出して、レイニーはばつが悪そうに頭を掻く。

 が、クラウドは倒れたまま、空を指さした。

「夕焼けだ」

 岩山の間からぽっかりとのぞく空が、赤く染められていた。

「そんなに、珍しいものじゃないだろう」

 と、ジェイムズ。手足を糸に絡め取られて、動けない様子だ。

「でも、生きてるから見れるんだよ」

 空を染めているここから太陽を見る事はできない。その代わりとでもいうように、サンディが頬に太陽を浮かべていた。

「そう……ですわね。神に感謝しなければ」

 プラチナブロンドの髪を恥ずかしそうに手で押さえながら、メリンダ。お互い、血に汚れながらも、少女たちはほほえみ合った。

「こ、これは乾いたら外れるんだろうな?」

 手足を全て縫い止められたジェイムズが、むうとうなっている。

「大丈夫、後ではずしてあげるよ」

 くすくすと笑うサンディ。尖った爪の生えた指をわきわきと動かしている。

 戦ってよかった、とクラウドはその笑顔を見て思った。

 全身がずきずき痛んでいたが、そんなことは気にならなかった。

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