司法取引
夜が明けても、ブルースターに振る雨はやんでいない。
ジェイムズはブルースターの郊外にある小さな教会堂を訪れていた。
昔は白かっただろう壁は汚れ、貴板を打ち付けて穴を塞いだ後が見える。屋根には掲げられた柱の形をした看板……この世界を貫き、支える法の象徴。
どことなく、沈鬱な気持ちだった。悪党を捕らえることはできた。しかも、これは彼にとっての初仕事だ。本来ならもちろん、喜ぶべきだろう。大統領にだって自慢できるような手柄だ。にも関わらず、彼の心は重かった。
手で祈りの形を作ってから、戸を開く。がらんとした教会の中には、何人かの子供達が入り口に背を向け、奥にある男性の像……かつて神からザ・ロウを受け取ったという預則者の像に跪いて祈りを捧げている。
「失礼……」
ジェイムズが彼らに声をかけようとすると、子供たちの一人が振り返り、しー、と口に指を当てた。
「朝のお祈りの間は、しゃべっちゃ行けないんだよ」
「あ……ああ、すまない」
ジェイムズは帽子を押さえて頭を下げ、彼らの黙祷が終わるのを待った。
「朝のお祈りは欠かさずにしなさいって、シスター・メリンダが言っていたの」
年長らしい女の子が、ぺこりと礼をしながら言った。彼女の真似をするように、周りの子供達も次々にジェイムズに向けて頭を下げてくれる。
「……その、シスターに会いに来たんだが」
「居ないよ」
「なに? どこかに出かけたのか?」
「私、聞いたわ」
年長の女の子が、あくびをかみ殺しながら言った。ジェイムズの真似をして、失礼、と舌足らずに言って頭を下げる。
「朝早くに、州保安官さまから呼び出されたみたいです。シスターが居ない間は、私がみんなの面倒を見るようにって」
「そうか。偉いな」
ジェイムズがほほえむ。が、すぐにその表情が考え込むものに変わった。ダリウスには、まだメリンダに用事があるのか? 彼女がこの街に帰ってきて一日も経っていないのに?
「あの、失礼ですが、シスターにどんなご用事が?」
考え込んでいるジェイムズの顔を見上げ、女の子が問いかける。
「あいのこくはく?」
「ち、違うよ」
子供達がはやし立てそうになるのに、慌てて首を振る。
「ぼく知ってるよ。あのバッジ、連邦の偉い保安官なんだよ。誰かを捕まえに来たんだ」
「お前がいつもご飯を残すからだ」
「ち、違うわよ! あなたこそ、ベッドにカエルを入れて……」
わいわいと子供達が騒ぎはじめる。ジェイムズは少し困惑したが、言いにくそうに、告げた。
「懺悔したいんだ」
「え、保安官が?」
「保安官でも、神に聞いて欲しいことぐらいあるさ」
きょとんと見上げてくる子供達に対して、頭を掻くジェイムズ。
「懺悔は、神と聖職者以外は聞いてはいけないのよ。行きましょう」
年長の女の子が、子供達の手を引いて側面にある扉へ向かっていった。ありがとう、とジェイムズはその背中に声をかけてから、彼らがしていたのと同じように、像の前で跪いた。
「法にまします我らが神よ、お聞きください」
定型句を口にして、猫のように丸めた手を胸の前で合わせる祈りの形を作った。懺悔すべきことを、頭の中で整理する。昨晩はずっとそれを考えていたのだが、いざ口にしようとすると、うまくイメージができない。
「……僕は、アウトロウを狩るために連邦保安官になりました。今でも、アウトロウを憎いと思っています。市民の安全を脅かし、合衆国に不安を与えて、自分たちは利益を思うがままに独占している連中。そんな奴をひとり残らず消し去れば、もっと世の中がよくなると思っていました。
でも、この西部に来て、不思議な事に気づいたのです。アウトロウを語るとき、人々が時に愉快そうに笑うことがありました。はじめは、皆、毒されてると思いました。悪党に肩入れして喜ぶなんて、西部の風に吹かれると心がすさむのかと考えた事もあったほどです」
うなだれて、静かに目を閉じる。雨の音と、彼の言葉だけが、教会の中に響いていた。
「それから、僕は本物のアウトロウに出会いました。クラウド・ゴールドシーカー。レイニー・ラヴァーズ。サンディ・アイアンストマック。それにあなたのしもべたるメリンダ。
彼らは、確かにあなたのおつくりになったものではない悪魔の銃を持っています。でも、それは人を害するためではありません。彼らは、確かに悪いこともします。それは彼らが欲望を受け入れたからです。
彼らに会って、僕ははじめて気づきました。愉快そうに話していた人たちは、アウトロウの持つ欲望に惹かれていたんだと。自分のしたいことを、やりたいようにやる姿に憧れていたのです。もちろんそのせいで他の人間を害することもあります。殺したり、奪ったり。それはもちろん悪いことです。でも、人間が欲望をなくすことなどできるでしょうか? いいえ、何もかも失ったって、欲望だけは残るのだと思います。
なら、欲望そのものが悪いわけではないのではないでしょうか? 僕はあなたが僕たちに授けてくださったザ・ロウを信じています。法は、欲望を消すためにあるんじゃない。欲望を活かすためにあるんだと」
ジェイムズは自らも祈りの形に手を合わせた。そして、本当の懺悔を口にする。
「……アウトロウを捕らえることが、正しいことなのか、分からなくなってきました。ヴォルカニックが自由なままだというのに、ゴールドシーカーやラヴァーズを捕らえてもいいのでしょうか?
そして、あの州保安官……ダリウス・ホワイトは、アウトロウを利用しているのではないかと思うのです。
彼は僕に、野の人々の少女を捕らえるように言いました。男達は生死不問だとも。彼は、僕がアウトロウを強く憎んでいることを知っていたはずです。だから、念を入れて少女を生かすように言ったのではないかと疑っているのです。
それに、ヴォルカニックがいかに巧妙に犯罪の証拠を隠しているとはいえ、ホワイト保安官がその痕跡さえ掴めていないのは、不自然だと思います。この州に来てすぐの僕でさえ、アジトを見つけることができたのに。……僕は彼を疑っています。彼がヴォルカニックと何かの取引をしているのではないかと。
保安官は、サンディと取引をしていました。そしてメリンダとも、誰かを殺す代わりに孤児院を助けるという約束を交わしていました。ホワイト保安官は、アウトロウがザ・ロウに守られていないことを利用して、自分の利益になるように使っているのです」
神への懺悔に見せかけて、彼は自分の考えを吐露していた。やがて、自分の心が形を取り始めるのを感じて居た。目標へ向かう矢印の形。
正義感。それはジェイムズの欲望だった。
「……僕はメリンダを助けたい。孤児院のために人を殺し続けることで、彼女は苦しんでいる。……ですから、行きます」
ジェイムズは立ち上がり、教会を出た。
雨はいつの間にか上がっていた。
ぴりぴりと肌が引きつるような、意識とは無関係に手足が動き出そうとするような、そんな奇妙な感覚を、クラウドは味わっていた。
「近づいてきてる」
起き抜けに呟いた。ぱりっと口の中の血が乾いて、舌がなんとか動くようになっていた。
「何がだ?」
レイニーは向かいの壁に寄りかかっていた。コーヒーがないせいか、いまいち冴えない様子だ。
「チャンスだよ! 用意しろ!」
毛布代わりにしていたコートを羽織る。血で汚れたバンダナを頭に巻いた。
「なんだ、どうした?」
目を白黒させながらも、レイニーがジャケットと帽子をつけたとき。
がちゃん、と扉が開かれた。ジェイムズが、二人の銃……“ドリーマー”と“エイミィ”を手に立っている。
「……司法取引に応じるつもりはあるか?」
走って来たのか、ジェイムズの息は荒い。有無を言わさぬその迫力に、少し気圧されたようにレイニーが眉を寄せた。
「ここは州の保安官事務所だろう。州の施設に拘留されているおれたちと、お前が取引する権利があるのか?」
「君たちを捕らえたのは僕だ。その時点で、君たちの身柄を最初に扱う権利を得ているはずだ。ホワイト保安官の監督を受けただけで、一時的に捜査権を彼に譲っていただけだと解釈することもできる」
「解釈することもできるって、お前……」
クラウドにはジェイムズの理屈はよく分からなかったが、なにやら無理を言っている雰囲気を感じた。
「いいから、聞け! 僕はある人物が犯罪を犯しているかも知れないと考えている。その捜査に協力すれば、僕の裁量で君たちを減刑することができる」
「とにかく、外に出られるってことか?」
「そうだ」
クラウドの問いに、ジェイムズは力強く頷いた。
「驚いたな。クラウドの勘が当たることがあるなんてな」
「神の思し召しかもな」
「君が神の名を口にするんじゃない」
ぎろ、とジェイムズがクラウドを睨んだ。
「なんだよ、釈放してくれるんじゃなかったのか?」
「釈放するわけじゃない。話を聞いてなかったのか?」
「小難しいことを聞いてられるかよ!」
「それより、サンディは?」
地団駄を踏みかけているクラウドを尻目に、レイニーが鋭く聞いた。ジェイムズは扉の外を指で示す。
「これから彼女の部屋の鍵を開く。一緒に来るんだ」
「わお、保安官命令だよ」
「早くしろ、時間が無い!」
苛立ったようにジェイムズが叫び、早足に部屋を出て行った。
二人は一度視線を見合わせてから、素直にジェイムズの後についていく。途中ですれ違った州保安官補は、何か言いたげにジェイムズを睨んでいたが、結局何も声をかけては来なかった。
ジェイムズが辿り着いた独房の鍵を開けた。二人が中をのぞき込むと、硬いベッドの上でサンディが体を震わせている姿が見えた。
「サンディ! 大丈夫か!?」
クラウドが駆け寄り、体を抱き起こす。サンディの顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れていた。
「クラウド、レイニー。よかった。州保安官(シェリフ)が約束守ってくれたんだ……」
「いや、こいつは連邦保安官(マーシャル)だぞ。……どういうことだ?」
もとからぼろのコートで顔をぬぐってやりながら、クラウドがジェイムズをにらみつける。
「ホワイトは彼女と取引をしたんだ。重大な情報を彼に話せば、君たちを釈放すると」
「てめえ、それじゃあ俺たちとの取引は無効じゃねえか!」
「その取引を有効にさせるわけにはいかないんだ! 彼は今朝早く、どこかに出発した。おそらくは彼女から聞き出した『知られざる金属』の鉱脈のありかだ。彼はそこで何かをしようとしている!」
怒りをむき出しにするクラウドにも増す焦りを募らせて、ジェイムズが叫ぶ。ハッとしたように、レイニーがサンディの顔を見た。
「話したのか、奴に。鉱脈のありかを?」
「どうしよう。あたし……あたし、しゃべっちゃダメなのに……」
「落ち着け。ひとつずつ話すんだ」
クラウドが体を支えてやる。サンディはクラウドのベストに顔を擦りつけるように何度も頷いて、すがりつきながら話し始めた。
「ふたりを解放するって言われて、あたし、すっごく迷ったの。迷ったけど、部族のみんなが、命をかけてあたしに託してくれたことだから、喋れないって、答えたの」
レイニーがそっとサンディの頭を撫でた。
「それでいい。おれたちは、お縄にかかることも承知で無法者をやってるんだ。それをお前に助けてもらうことはないさ」
サンディはまた、こくこくと大きく頷く。
「そしたら、あの州保安官、薬……あたしたちが、霊と話、するときに使う薬を取り出して」
「それは、まさか……無法者たちが取りに来ていたという、あの草を使ったものか?」
レイニーが問う。檻車の中で聞いた話が本当なら、わざわざ悪党が狙うような薬だ、ろくな物であるはずがない。
「なんてこった」
クラウドはうなった。サンディはひく、ひく、としゃくりあげながら、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。
「あたしの入れ墨には、部族の秘密が刻まれてるって言ったでしょ? それは、入れ墨の中に居る霊が知ってることなの。それで、その薬を嗅ぐと、霊を呼び起こすことができて……あたしは必死にダメって言ったんだけど、霊が、しゃべって……」
「……そうか」
ぎゅ、っとサンディの頭を抱いて、クラウドはうなった。
「これで分かっただろう。ホワイト州保安官は、彼女から聞き出した情報をもとに、その鉱脈のありかへ向かった。……何をしようとしているのか分からないが、僕は彼を止めなければならない。僕が正当な取引に基づいて行動している限り、この州の保安官や保安官補に止められるいわれはない。協力してくれるな?」
連邦保安官は、問いとともに、クラウドとレイニーの銃をさしだした。
クラウドの脳裏に一瞬、銃を受け取った途端に撃ってすぐに逃げだそうという考えが浮かんだが、すぐにそれを打ち消した。そうすればサンディが悲しむだろうと思ったからだ。
結局、素直に“ドリーマー”を修めた背負いホルスターを担ぐ。レイニーも何を思ってか、“エイミィ”を受け取って肩に吊していた。
「あたしも……行く。いいよね?」
ようやく落ち着いた様子のサンディが立ち上がった。
「ああ。もともと、君の部族の問題でもある。どうか力を貸してくれ」
ジェイムズは、早速行こう、と部屋の出口を示す。
「……でも、その前に、ご飯食べても良い?」
サンディがぽそりと呟いた。あまりに声が小さすぎて、ほとんど同時に鳴った腹の音にかき消されたくらいだ。
「……移動には列車を使うこともあるだろうから、それまではいいぞ」
緊張感を崩されつつも、ジェイムズは渋々といった様子で頷いた。
「おれは女が欲しいんだが」
「自分で何とかしろ」
「おい、俺の金はどこに行った?」
「釈放までは僕が預かるのが規則だ」
「何だよ、規則規則って。ザ・ロウはケチなんだな」
「ヴォルカニックから盗んだ金だろ! とにかく、ついてこい! 僕から5メートル以上離れるな!」
いかにも締まりのない連中の相手に早速疲れた様子で、ジェイムズは長々とため息を吐いた。
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