ラヴァーズ

 一方、ブルースターに帰り着いたジェイムズはダリウスから呼ばれ、休みもそこそこに保安官事務所の地下へ向かった。

 扉の奥には短い通路があり、その奥にもうひとつ、部屋がある。

「この構造は、第一に捕らえた犯罪者や悪党が逃げるのを難しくする目的がある」

 一つめの扉に鍵をかけながらダリウスが言う。そして、奥に進んで扉を開く。

「第二の目的は、中の音を聞こえづらくすることだ」

 その部屋の中は、周囲とは明らかに違った雰囲気だった。薄暗く、すえたにおいが漂っている。石造りの壁はでこぼこで、天井の照明をつけてもいくつもの影が壁に落ちるようになっていた。壁が暗く見えるのはそのせいだけではない。古い血痕がいくつも、壁にこびりついていた。

 そして、やはり石造りの台座の上に、目隠しをしたひとりの少女が寝かされていた。赤い肌に黒い髪。サンディ・アイアンストマックだ。その両手足は台座に備え付けられた枷に縛められている。気を失っているようで、呼吸には力がこもっていない。

「これは……」

 ジェイムズは驚愕した。この部屋は、まるで……

「拷問室ではないですか!」

「大きな声を出さないでくれたまえ。確かに、ここは拷問室だ。だが、今では実際に拷問をすることはほとんどないのだよ。プレッシャーを与えて、自供を促すために使っているだけだ。この機会に、君にもアウトロウの扱いを見せておこうと思ってね」

 二つめの扉に鍵をかけ、ダリウスがサンディの目隠しを解く。

「うう……んっ」

 まぶた越しに光を感じて、サンディが目を開いた。そして、見下ろしている男達の姿に気づいて、声を上げる。

「保安官! クラウドたちを離せ! この……っ!」

 少女が手足に力を込める。が、しっかりとはまった枷はぴくりとも動かない。

「落ち着きたまえ。私は、州規則に従って彼らを捕らえているだけだ。だから、州規則に従わなければ解放することもできない」

「そんなこと言って、クラウドたちをいじめるつもりでしょ! 悪いやつは、においで分かるもん!」

 サンディが必死に体を動かそうとする。手首が圧迫されて、掌が白くなるほどだ。

 ジェイムズは、それをじっと見ていた。痛ましくは思えたが、彼女の体に刻まれた入れ墨が、彼女がアウトロウであることを証明している。ザ・ロウには、悪魔の銃の所持者やアウトロウのことが記されていない。すなわち、彼らは法によって生きる者ではない。人間でもなければ、ましてや獣ですらないのだ。

 警察や保安官ら司法組織は、アウトロウに対しては、「自分はアウトロウではない」と自発的に認めさせるためにあるというのが、現在の合衆国規則の考えだ。罪を犯した者を再びザ・ロウの内側に呼び戻してやらなければ、彼らに罰を与えることもできないからだ。

「困ったな。実は、私は君と取引に来たんだ」

「嘘! こんな所に閉じ込めて!」

「他に場所がなかったんだ。信じてくれ」

 ダリウスがかぶりを振る。そして、サンディの褐色の瞳をじっと見下ろした。

「私は、あの無法者ふたりを釈放してもいいと思っている」

「えっ?」

 きょとんと、サンディが瞬いた。

「ホワイト保安官! 何を!」

 驚いたのはジェイムズも同じだ。だが、ダリウスは手を挙げて彼を制した。

「司法取引という言葉を知っているかね?」

 サンディがぶるぶるっと水場の犬のように首を振った。

「そうだろうね。簡単に言えば、君が我々に協力してくれれば、わたしの権限で君たち三人を減刑……罪を軽くすることができる。君たちがよいことをすれば、そのぶん悪いことを許してあげる、というものだ」

「本当?」

「ザ・ロウに誓って、真実だ」

「ですが、ホワイト保安官。強盗犯の懲役を免除するほどの司法取引なんて……」

 ジェイムズが不安げに聞く。ダリウスは懐からきっちりとたたまれた一枚の紙を取り出した。

「極めて重大な情報を、彼らが届けてくれたのだよ。これが何か分かるかね?」

 今度はジェイムズが首を振る番だ。それを見て、ダリウスは紙を確かめるように開いた。

「悪魔の銃の発生に関わっていると思われる、“知られざる金属”に関する研究報告だ。署名は連邦科学研究所となっている。彼女の仲間が証言したところによれば、もとはガストン・ヴォルカニックのアジトからくすねたものらしい」

 仲間と呼ばれて、なぜかサンディは嬉しそうに笑みを浮かべた。ジェイムズは、手癖の悪い連中だ、と思ったが、すぐにその意味するところを察した。

「ヴォルカニックの犯罪の証拠というわけですか!」

 ヴォルカニックが、連邦の機関である科学研究所の報告など持っているわけがない。となれば、彼が非合法な手段を用いて手に入れた事は想像に難くない。州に名を轟かせる大悪党にして、犯罪の証拠を残さない黒幕の尻尾を握る事ができたのだ。

「それもそうだが、問いただしてもやつは適当にはぐらかすに違いない。それよりも重要なのは、彼女の体に彫られたこの入れ墨が、知られざる金属を用いて為されていることだ。すなわち、彼女は知られざる金属の鉱脈を知っているのだ」

 サンディはぎくりとした。ダリウスの聞こうとしていることを察したのだ。

「それは……それは、部族の秘密、だから……」

「君の部族にとって重大な問題だと言うことは分かっている。だが、鉱脈の位置を知ることができれば、より多くの知られざる金属を研究することができれば、悪魔の銃に対する対策が分かるかも知れない。これは、連邦の治安に関わる問題なのだ」

 ジェイムズはふと、違和感を覚えた。司法取引で減刑するために認められているのは、より重要な犯罪の捜査に関わる情報だけだ。だからはじめ、ジェイムズは彼らと取引をすることでヴォルカニックを捕らえようとしているのだろうと思ったのである。

 ダリウスが聞こうとしている情報は、直接、犯罪の防止に繋がるようなことではない。長い目で見れば悪魔の銃の研究に関わることだし、多くの犯罪が防げるかも知れない。だが、保安官の裁量を超えているのではないか? むしろそれを求めているのは、連邦科学研究所のほうだ……

 そこまで考えて、ふとジェイムズは思い当たった。単に犯罪者と司法取引をするのに、自分が立ち会う必要はない。保安官補で十分だ。なぜ自分がこの場所に呼ばれたのか?

 おそらくは、彼は自分が正当な方法でこの情報を手に入れた事を証明する人物が欲しいのだ。

 おそらくは、研究所の機密資料の内容を知ってしまったことを、攻められないように。

 ぞっと背筋が震えるような気がした。まさか。まさか……。

「話してくれれば二人は助かるんだ。そうでなければ、懲役は十年は下らないだろうね」

「でも、でも……」

 サンディが葛藤に苦しんでいる。ダリウスはその肩にぽんと手を置いた。

「私が聞こうとしているのは彼女にとって重要な秘密らしい。その秘密を聞くのは、少ない方がいいだろう。すまないが、ジャスティス君。席を外してくれないか」

 そして、扉にかけた鍵を開けた。奥の扉を開けるため、ダリウスが先に立って歩く。

 拷問室を他の部屋と隔てる二枚の扉の間で、ジェイムズは小さな声で聞いた。

「つかぬ事をうかがいますが、ホワイト保安官が僕の派遣先をこの州にするように要請してくださったのですか?」

「いきなりの質問だね。確かにそうだが、何か?」

「いえ、保安官に協力できて、光栄です」

 ジェイムズは嘘をついた。胸がちくりと痛んだ。




「要するに、サンディはお前に足りなかった『理由』になってくれたんだ。彼女を助けてやるために、ヴォルカニックにケンカを売ったじゃないか? お前にも女に良い所を見せたいって気持ちができたのかな」

 やめろよ、そんなんじゃない。クラウドは首を振った。

「照れるなよ。おれなんか、そのために生きてるんだぜ」

 冗談めかしてレイニーが笑う。クラウドは、いまだにきっと彼をにらみつけていた。

「ちょうど良い。他にやることもないし、昔の話をしてやるよ。おれが結婚してたっていうのは言っていたか? ……その顔じゃ、知らなかったみたいだな。おれが軍に居たってことは?」

 クラウドはにらみつけるのも忘れて、、首を振った。何もかも、初めて聞くことだ。レイニーの過去など、聞いたこともなかった。

「つまり、おれは軍属で、妻が居た。名前はエイミー。貴族の四女。男が生まれなきゃ困るってんで子供を作りすぎた家の娘でな、そのときたまたま戦果を挙げたおれに嫁ぐことになった。考えてみりゃ、かわいそうだ。彼女にとっちゃ、屈辱だっただろうな。

 そんな彼女のことも考えず、おれも勝手に憤っていた。おれが欲しかったのは名誉や階級だったのに、その代わりに女をよこすなんて、ってな。今じゃ考えられない話だろ?」

 まったくだ。クラウドは素直に頷いた。

「ちょっとは遠慮しろよ。……で、おれはもっと戦果が欲しかったから前線に出してもらったのさ。エイミーの親父が用意してくれた家にはほとんど帰らなかった。ひでえ話さ。エイミーはせっかく居心地の悪い実家を抜け出してきたっていうのに、今度はろくでなしの旦那。浮気するのも当然だ」

 そのときのことを思い出したのだろう。レイニーの表情が悲しげに曇った。

「間が悪いことに、おれはその現場に帰ってきた。頭に血が上って、仕事帰りで持っていた銃を……撃った。自分の妻を殺したんだ」

 衝撃の告白だった。クラウドは驚きに声を上げる代わりに、口から血を吐き出した。

 あの女好きのレイニーが? まさか、信じられない。女に向けて銃を撃ち、しかも殺しただなんて。自分の知っている彼と、その過去の違いに、クラウドは引きつるような舌の痛みも忘れて慄然とした。

「どうして良いか分からなかった。本当は、警察か保安官に自首すべきだったんだが、おれは軍の上官に連絡したんだ。それで、上官はあれこれ手を尽くして、おれが罪に問われないようにしてくれた……だが、それがよくなかった。おれは断罪もされず、贖罪もできなくなっちまった。夜、目を閉じるたびに彼女の姿が浮かんでくるんだ。夢の中だってのに、決まってシトラスのにおいがした。彼女がいつも髪につけていた香水だ」

 青ざめた表情。贖罪されることのない懺悔。アウトロウである限り、彼の罪を許す法など存在しないのだ。

「すぐに兵士としては使い物にならなくなった。毎晩、おれは彼女に謝った。でも、すぐに気づいたんだ。おれは彼女を愛してなんかいなかったんだ。お笑いだ、愛してもいない女が浮気して怒って撃ち殺したんだぜ。おれが気にしていたのは体面だけだ。完璧な男になったつもりになって、彼女はその妻にふさわしくないって考えてただけだ」

 レイニーが大きく息を吸った。喉の奥が怒りに震えている。

「だから、おれは今までこだわってたそういうものを全部捨てた。出世や、誇りや、名誉や、そういったものをな。それで手に入れたのがあの銃さ」

 今はその手の中にない“エイミィ”。気づけば自然に、その銃を構える形に手が動いていた。すがる仕草そのままだった。

「それで分かったんだ。おれは誰かを愛したい。だが、愛し方がいまだに分からないんだ。一番欲しいものがもう手に入らないんだよ、おれは。おれは、だ」

 レイニーの青い目が、じっとクラウドを見つめていた。お前は違うはずだ、と語っていた。

「……あぁ、なんでこんな話をしたんだっけな」

 黙ったままの……喋れないクラウドに対して、業を煮やしたように頭をかきむしる。この男はこの告白を何年の間、胸の中だけに抱えてきたのだろうか?

「……つまり、大事なものを見失うなってことだよ」

「ふっ」

 クラウドの鼻から息が漏れた。

「ふっ、ふっ、ふははっ……」

 笑っていた。舌の痛みも構わずに。唾液と混ざった血がだらだらと垂れた。

「なんだよ、人がせっかくいい話を聞かせてやったのに」

「は、ははは……」

 憮然とするレイニーにも構わず、クラウドは笑い続けた。

 この男が、いつも涼しげな態度でそつなく物事をこなすこの男が、自分のことを話すときだけ急に不器用になったのがおかしかったのだ。

「……ったく。とにかく、なんとかしないとな。このまま刑務所にぶち込まれるのはゴメンだぜ」

 レイニーが気を取り直すように牢の入り口に目を向ける。

 クラウドはバンダナで口元をぬぐい、頷いた。この男なりに、自分を勇気づけようとしてくれたのだろう。たまには、女の居ない場所でこの男に会うのも悪くない。きざな態度を捨てて、彼の本音を聞くことができたのだから。

 とにかく、なんとかしなければ。その思いが同じだと言うことが分かって、クラウドは妙に安心した気分になった。

 心の底に熱された鉛のように貯まっていた怒りは、いつしか冷えて鋭角な弾丸の形に変わろうとしていた。いつでも待ち望んでいたチャンス。それが引き金を引けば、すぐに飛び出せるように。

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