ミキサー・オブ・ハーブ、あるいはアイアンストマック
車掌が汽笛を鳴らし、列車が動き始めた。ごとごとと荒馬のように車体を鳴かせながら、加速。先ほどまで居た町があっという間にサボテンのように小さくなった。
列車にはじめて乗るサンディは激しい揺れですぐに具合が悪くなったようで、檻車の中で横になっている。枕はないので、代わりにクラウドの腿に頭を乗せている。
檻車に乗っているのは、三人だけだ。すぐ前には列車全体を引っ張る機関車があり、後ろには檻車を監視するための車両が繋がれている。壁に開けられたのぞき穴から、時折ジェイムズの目が彼らの姿を確認している。
檻車の中は、冷たさを感じるほど静かだった。
やがて、ぽつぽつと雨が降り始めた。雨はすぐに大ぶりになり、檻車の中は一層冷え込む。雨音が列車のがたがたという音に重なって、かえって静けさが増していく。
何度か、レイニーと目が合うこともあった。しかし、どちらも相手に話しかけるつもりになれず、ただ風景が前から後ろに流れていくのを眺めていた。
静かなのはサンディがしゃべらないせいだ、とクラウドは感じていた。男ふたりの旅にこの騒がしい少女が加わって、まだ一週間も経っていない。だが、今となってはレイニーとふたりだけでは何をしゃべればいいか分からないほどだ。
ブルースターまでの道のりを半分過ぎた頃だろうか。雨が降っていなければ、太陽がもっとも高く昇る時間帯だ。
「……あたしね」
ぽつりと、サンディが漏らした。
「あ……ああ、どうした?」
彼女から聞いたこともないようなか細い声に驚いて、クラウドは少女の顔をのぞき込んだ。サンディの頬に浮かんでいるはずの太陽は消え去って、赤い肌が青ざめて見えた。
「あたし、嘘ついてたの。覚えてないって。ふたりに、本当の事話すの、怖かったから」
輝いて金色に見えることがある瞳が、湖底の金貨のように涙に沈んでいる。
「なんだ、そんなことかよ。ずっと分かってたよ、それぐらい。だから、あんまりしゃべるな」
クラウドはなだめるように髪に手を置く。だが、サンディはゆっくり首を振った。
「違うの、聞いて。黙ってたのは、言うのが怖かったから……口に出したら本当の事になっちゃう。呪いを口にしたら、呪っちゃうから」
「部族の教えか」
クラウドと違って、レイニーは苦しげなサンディの顔から目を逸らして、檻の格子を見つめている。
「それで、あたし、もう、誰も知らないことだから、しゃべらなかったら誰も分からないと思って……あたしが忘れるまで、ずっと、黙ってようって」
「でも、忘れようとしても忘れられなかったんだな?」
黒髪の上から額に手を添えながら、クラウド。
「うん……」
涙が溢れて、締め付けられたような喉から、苦しげな呼吸が漏れている。クラウドとレイニーは、サンディが再び口を開くのを待った。待つしかなかった。
「あたし、村ではミキサー・オブ・ハーブって呼ばれてて。部族の薬師だった。だから、本当はこんな風に、狩人みたいに入れ墨を入れたりしないんだけど……」
長い時間の後、サンディが震えた声で話し始めた。腿に頭を任せたまま、クラウドをじっと見上げている。クラウドはじっとその瞳を見つめ返していた。
「部族はね、山で暮らしてた。でも、村の近くには、街の人間が欲しがるような草が生えてた。それで、クラウドやレイニーと同じ無法者がたまに来て、草を取っていったの。
でも、そこは部族の土地でしょ? だから、部族は草を取らせてあげる代わりに、その人達からいろんなものをもらってたの。街の食べ物とか、食器とか、飲み物とか……それに、たまに武器も」
もらっていたものが偏っているのは、おそらくサンディの印象に残っているものばかりを挙げているからだろう。さすがに、そこをわざわざ突っ込んで聞いている場合ではない。
「でも、そのうち、別の人たちが来るようになったの。最初の無法者より、ずっと怖い人たち。その人達は部族が草を取るのを止めようとしたら、銃で脅かしてきて。それからは、いつもケンカしてた。部族の狩人や戦士がけがをするから薬を塗ったり、死んじゃったのを埋めたり……いつも、そんなことしてたの」
サンディがぎゅっと目を閉じた。その目の端から、ついに涙が溢れてこぼれた。
「それで、あの男……あの大きくて怖い人が来たの」
「ヴォルカニックか」
サンディが小さく頷き、自分を落ち着かせるようにゆっくりと呼吸を繰り返す。痛むのか、きゅっと胸を押さえていた。
「あの男は、私たちに入れ墨の原料……あたし達は、
「やつは、それを知られざる金属って呼んでいた。こいつを見て、どこからかお前の部族がそれを持っていることを聞きつけてきたんだな」
レイニーがジャケットの胸を押さえながら呟く。ヴォルカニックのアジトで見つけた研究資料がそこにおさめられているのだ。
「でも、部族にとっても大事なものだから、教えられないって言った。そしたら……」
サンディの震えが激しさを増す。目からぼろぼろと涙がこぼれて、寒さを訴えるように体を丸める。
「大丈夫だ。落ち着け。あいつには何もできやしない。何かしてきたって、俺たちが守ってやるよ」
その言葉が気休めにしか過ぎない事は分かっていたが、言わないわけにはいかなかった。クラウドの腕がサンディの涙をぬぐい続ける。
「あの人、部族の半分を殺したの。長い銃が束ねてあるような武器で、一度に、何人も……」
「ガトリングだ」
レイニーの直感。
「奴の悪魔の銃か」
「おそらくな。銃身をいくつも並べて、それを回しながら次々に弾丸を撃つんだ。手で弾を込めたり、薬莢を捨てたりしなくて良いから、何発も連射できる。人殺しどころか、虐殺のための武器だ」
そこまで言ってから、サンディの恐ろしげな表情に気づき、あ、と声を漏らした。
「すまない……君のことを追い詰めるつもりはなかった」
「うん……分かってる。最後まで、聞いてくれる?」
「ああ。もちろんだ」
サンディは胸に置いていた手で、ぎゅっとクラウドの手を握った。クラウドは何も言わず、小さな手を握りかえしてやった。
「半分を殺してから、一晩やるからよく考えておけって。黒い金属のありかを教えなかったら、残りの半分を殺すって。部族は、どうしようもなくって。あんな男に勝てるわけがない。でも、部族の秘密を教えるわけにはいかない……だから、一番若いあたしに、秘密を全部任せることにしたの」
「それで、入れ墨か」と、クラウド。
サンディは頷いて、一度だけ自分の体に目を向けた。
「あたしの入れ墨は、霊を呼ぶためのものだけじゃなくて、部族の歴史や、秘密や……もちろん、黒い金のことも、みんな刻まれてるの。それで、部族のみんながあいつと戦ってる間に、あたしだけでも逃げるようにって。
でも、逃げられなかった! あいつが村のみんなを皆殺しにしてるところから、必死に逃げた。お腹が空いて、狩人じゃないから狩りの仕方も分からなくて……薬草の代わりに何か食べ物をもらおうと思って町に入ったら、あいつの手下に見つかって……」
「ヴォルカニックの手下は、この州じゅうに居るからな」
感極まって、サンディがクラウドにすがりついてくる。クラウドはその頭を胸に抱いてやった。
「お前が悪いわけじゃない。やるだけのことをやったんだ。おかげで、ほら。まだあいつに捕まっちゃいない。どうなるか分からないけど、ヴォルカニックに捕まるよりは、州保安官のほうがちょっとはマシだろ。事情を話せば、俺たちはともかく、お前は守ってもらえるかも知れない」
胸に温かいものがしみこんでくるのを感じる。泣くための胸を貸すだけでも、この娘の力になれるのが嬉しかった。
「やだ、クラウドと、レイニーと一緒がいいよ……」
サンディがしゃくり上げながら、声にならない嗚咽を漏らす。
その体は、部族の残した物全てを受け継ぐためにはあまりに小さすぎるように思えた。
やがて、ブルースターの街が線路の向こうに見え始めてきた。サンディは落ち着いたようで、クラウドに体を預けながら、そっと寝息を立てている。
「そういえば、ずっと気になってたんだけどさ」
ふと、クラウドがレイニーに声をかけた。
「うん?」
「俺たちを捕まえた金髪は連邦保安官だろ? で、これから俺たちを州保安官に引き渡すって言ってるじゃないか」
「ああ、そうだな」
クラウドは眉を寄せ、首をかしげた。
「
「うん、学がないお前が知らないってことを恥じずに、ちゃんと人に聞けたのはすごく偉いことだ」
皮肉を効かせたレイニーの物言いに、クラウドがぶすっとにらみつける。
「良いから答えろよ」
「合衆国……連邦とも言うが、この国は一〇〇以上の州に別れてる。州ってのは、まあ小さな国だ。州ごとに法律もあるし、知事が行政を取り仕切ってる。それぐらいはお前も知ってるな?」
「当たり前だろ。俺に学がないつっても、この国のことくらいは知ってるよ」
サンディを起こさないように体を動かしこそしないが、不機嫌さは隠しもしない。
「州保安官は、州の連中が選挙して決める。警察と違って、住民が直接選ぶからいろいろ権限が強いんだ。いわば、州が雇った用心棒みたいなものだな。連中には州の治安を守るためなら何をしたって良い部分がある。その代わり、やり過ぎるとクビにされるってわけだ」
「それで、しょっちゅう悪党を撃ち殺してるってわけだ。で、連邦保安官ってのは?」
「たとえば、悪党が別の州に逃げることもある。州保安官としちゃあ、州を守ることができたからオーケーなんだが、悪党がいろんな州に逃げ続けたら誰も捕まえられないだろ。それで、州に関係なく悪党を捕まえたり、いくつもの州に跨がって起きた事件を調べたりするやつが必要だ。それが連邦保安官。大統領から任命されるから、連邦直轄ってわけだ」
「どっちが偉いんだ?」
「お前、おれの話を理解してないな?」
レイニーはそうだろうと思ったと言いたげに、首を上に反らした。
「現場での権限が強いのは州保安官だ。だが、連邦保安官は州保安官に命令をする権利がある。捜査に協力させたりな」
「じゃあ、なんであの金髪マーシャルは州保安官に従ってるんだ?」
「おおかた、実地訓練だろうな」
「訓練?」
「聞いたことがある。連邦保安官は試験や訓練をして選ばれるものだから、実際の捜査や撃ち合いはしてないものなのさ。それで、州保安官のところで見習いみたいなことをして捜査のやり方や実戦を経験するってわけだ」
「はあん、なるほど。そういや、見るからに新米って感じだったもんな」
「ああ。……さて、そろそろ到着だ。その州保安官様の顔でも見てやろうぜ」
レイニーが前を示す。ブルースターの街はすぐそこだ。列車がゆっくりと速度を落としはじめていた。
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