一歩も動くな

 クラウドは屋根の上を走っていた。勢いをつけて跳び上がり、また別の屋根へ。通りからごろつきどもが追いかけてくるが、下から上に、しかも勢いよく動き回っている的に当てることなど、普通はできない。

「ハイ・ホー!」

 叫びながら、また跳んだ。

 自分の鼓動がどきどきと聞こえる。風が頬を撫でて後ろにながれていく。跳び上がるたび、太陽が近づいてくる気がする。

 爽快だった。

 ぞくぞくするようなスリル。危険に近づけば近づくほど、頭の中のどこか深い場所がかっと熱くなり、体を電撃のように爽快感が走り抜けていく。

「やってやった! やってやったぜ!」

 思わず声が漏れた。州の大悪党、ガストン・ヴォルカニックをコケにして、その手下どもを手玉に取っている。今すぐあの暗い地下アジトに戻って、大声でヴォルカニックを罵倒してやりたかった。

 自分の方が大物だと。

 お前は大馬鹿野郎だと。

 指さして笑ってやりたかった。少年らしい過剰な優越感が全身に満ちて、スリルと一緒になってぐるぐると頭の中を回っていた。

 前方に、目的の宿が見えた。サンディが中に居るはずだ。クラウドはことさら勢いをつけて、屋根を蹴った。

 自分たちが泊まっている部屋の窓に向かって、一気に飛び込む。どんな無茶をしても自分がケガすることなどないという、傲慢に裏打ちされた確信があった。

 がしゃん、と木枠とガラスを一緒に砕いて、クラウドは部屋に飛び込んだ。事実、けがのひとつもなかった。

 ごろごろと床を転がって、中を見回す。

「サンディ!?」

 叫ぶ。だが、返事はなかった。部屋の中に人影はない。入り口が開き、きいきいきしんでいた。。

「……まさか」

 その扉から飛び出し、一気に階段を駆け下りる。カウンターの下でガクガク震えている宿の従業員を横目に、外に飛び出した。

「クラウド!」

「おっと、動くな!」

 男の声。見れば、宿の表でひとりの男がサンディの首を左腕で捕らえ、そのこめかみに銃を突きつけていた。

「ちょろいもんだぜ。仲間が呼んでるって言ったら、ほいほい着いてきやがった」

 にやにやと男が笑う。サンディは捕らえられたまま、小刻みに震えている。

「バカ、俺たちが帰ってくるまで待ってろって言っただろ!」

「動くな!」

 背中から銃を抜こうとするクラウドに、男が短く叫ぶ。

「こいつがどうなっても良いのか?」

「そいつは、お前たちのボスが知りたいことを知ってるんだぞ。殺しでもしたら、てめえもボスに何されるか分からねえぞ」

 掌を肩の上あたりで凍り付かせ、クラウドが男をにらみつける。

「てめえは大間抜けだな。聞いてもいないことを喋りやがって。それじゃあ……」

 男が銃をゆっくりとずらす。そして、こめかみの代わりに脇腹に銃口を押しつけた。

「まあ、口が動けば良いだろう」

「てめえ!」

 ぎり、とクラウドは歯ぎしりした。それを見て、サンディが声を震わせる。

「ご、ごめん、クラウド。あたし、悪いことした?」

 金色の目が曇って、すぐにボロボロと大粒の雨のような涙が、太陽がくっついているはずの頬に落ちていく。

「クラウドに怒られるの、やだよ。ひとりぼっちになるの、やだぁ……」

 小さな体がさらに縮むように震える。涙が滴り、男の腕を濡らす。

「泣いてんじゃねえ、気色悪い。おい、両手を挙げろ。俺の仲間がすぐにサービスしてくれるぜ」

 サンディを捕らえた男の背後から、ごろつきたちが現れる。クラウドたちを追いかけていた連中に、後から来た連中が追いついたのだろう。

「ち……くそ」

 両手を挙げた。サンディの目からさらに涙が溢れる。悔しさで自分も泣きたい気分だった。

 男たちがクラウドを取り囲み、その背中の背負いホルスターから銃を抜いた。クラウドより背が低い男はひとりも居ない。品定めされる羊の心地。

「なんだ、このでかい銃は。拳銃か、これ?」

「悪魔の銃だよ。にしても、ふざけた銃もあるもんだぜ」

「引き金に触るなよ。使い手以外が引き金を引いたら、暴発してそいつごとぶっ飛んじまうって話だぜ」

 両手を挙げたままのクラウドを見下ろし、男たちがにやにやと笑っている。ふらふらと前に屈んだままの男が前に進み出た。

「おい、こいつにはおかえししてやらなきゃいけねえんだ。押さえてろ」

 股間を蹴り上げられた男だ。いまだに顔色が良いとは言えないその男の形相から何かを察したのか、別のごろつきがクラウドの腕を掴み、羽交い締めにする。

「たっぷりおかえししてやるぜ。おらあっ!」

 どす、と鈍い音を立てて、男の拳がクラウドの腹に突き刺さる。視界が一瞬、真っ白になった。猛烈な嘔吐感がこみ上げてくる。

「ぐっお……」

「クラウド!」

 サンディの悲鳴。顔を向けようとしたが、首を押さえられてうまく動かせない。呼吸は苦しかったし、喉に何かつかえている気分だった。

「これがボスの部屋から盗んだお宝か?」

「がめつい奴だ。相当の量だぜ」

「ちょっとぐらい俺たちが頂いちまっても、分からないよな」

 げらげらと笑いあいながら、男たちがクラウドのコートのポケットに手を突っ込んだ。コインや紙幣を手にして、その代わりだと言うように、クラウドを一発ずつ殴る。

 全身を打たれ、じんじんと頭が痛むような気がした。鼻血がだらだらとこぼれて、シャツを汚している。まぶたが切れて腫れ、片目が見えない。

「覚えてやがれ……」

 口の中が切れている。血と一緒に、捨て台詞に似た負け惜しみを吐き出した。

「どうするってんだ? このまま、ボスに突き出してやるぜ。おっと、その前に、ちゃんとおかえししてやらないとな!」

 股間を蹴られた男が仲間に言って、クラウドの足を開かせた。

「やだ! やめて! クラウド!」

 サンディが悲鳴を上げている。

「暴れるなよ、小娘が!」

 男が銃口を腹に突きつける。入れ墨の力を使っても、撃たれる方が先だろう。

 サンディは涙ににじむ視界で、クラウドがなぶられる姿を見つめていた。

 いや、撃たれてもいい。クラウドがこれ以上殴られるくらいなら……

「見てるだけなんて、もう、二度と嫌だ……」

 自然と、声が漏れた。全身がびくりとこわばる。入れ墨がどくんと脈打った。

 そのときだ。

「てめえも動くんじゃねえ!」

 サンディを捕らえた男が叫び、体の向きを変えた。




 男が振り向いたのは、背後から近づくレイニーの気配に気づいたからだ。慎重というべきか臆病と言うべきか、クラウドがなぶって楽しんでいたごろつきどもと違い、周囲に気をめぐらせていた。

 物陰から猫のように近づいていた彼は、銃を胸の前に抱えたままの体勢だ。

「おっと、撃とうなんて思うなよ。てめえがいくら腕が立つって言っても、この状態で女にぶち当てずに俺だけ撃つなんてことはできねえだろ。構えてる間に俺の仲間がてめえを撃つぜ」

 サンディの脇腹に銃を押しつけたまま、男は狙撃銃を捨てないレイニーをにらみつける。サンディを盾代わりにしたままだ。

「レイニー……ごめん、あたし」

 脈打ちかけた入れ墨が、動きを止める。自分の状況を改めて思い知ったのだ。クラウドが動けないのは自分のせいだ。その上、レイニーまで同じ状況にたたき込もうとしている。

「何も言うな、大丈夫だ」

 確信に満ちた静かな声で、レイニーが言った。流し目をクラウドに向けた。口元には涼やかな笑みが浮かんでいた。

「調子に乗りすぎたな。良い薬になっただろう」

「てめえにもな。スカしやがって、俺はてめえが気に入らなかったんだ」

 クラウドの股間を蹴り上げようとしていた男がその動きを止め、色男をにらみつける。

「女を撃たれるのは嫌だろう、ラヴァーズよう。てめえもあいつと同じように男前に叩き直してやるぜ」

 これからこいつで殴るぞ、とアピールするように、右手の拳を左手で撫でる。レイニーは両手に銃を持ったままだ。

「おい、銃を捨てろ! この女がどうなってもいいのか!?」

 サンディを人質に取った男がさらに叫ぶ。だが、レイニーはゆっくり首を振った。

「おれは男に追い回されるより、女の尻を追っかけるほうが好きなんだ。もう終わりにしよう」

 告げて、最小限の動作で銃を構えた。

「なに!?」

 男たちが驚くと同時、引き金を引く。

 乾いた音と共に飛び出した弾丸は、サンディの細い首のすぐ横を通り抜け、彼女を捕らえた男の首に突き刺さり、頸椎を粉々に砕いた。

「あおっ!」

 押し出された空気が妙な悲鳴に変わり、男の首が奇妙な角度に倒れた。体はびくんと痙攣して糸の切れた操り人形のように崩れた。

「な……なんで、女に向かって……?」

 男はごぼごぼと血を吐き出しながら、驚愕と疑問に満ちた表情のまま、動かなくなる。

「悪魔の銃を相手に、よくそれだけ強気に出られたものだ」

 レイニーは銃を油断なく構えたまま、身体ごと向き直って別の男に照準を合わせる。

「こいつで撃った弾は、決して女を傷つけないのさ」

 新しく買った家を自慢するように誇らしげな口調。ぽかんとする男たちが、はっと状況に気づいて、レイニーに向かって銃を抜く。

「やっちまえ!」

 一斉に銃声が響く。レイニーは建物の影に飛び込んで銃弾をかわしながら、鋭く叫んだ。

「サンディ!」

「う、うん!」

 男たちに遅れて、サンディが呆然とした表情から舞い戻ってくる。今度こそ入れ墨がどくんと脈打ち、獣の俊敏さがその身に宿る。

「がアあっ!」

 獣の叫びを上げて、少女が走る。獣のように一瞬で最高速まで達し、駆け抜けざま、男たちの首を爪で掻ききる。

 大量の血が噴水のように噴き上がり、通りの一面を赤く染める。何人分もの血が混ざり合って飛び散り、誰が誰の返り血を浴びているのかも判然としない。

「あ……が、がっ……」

 男たちが口をキンギョのようにぱくぱくと動かして、失血で意識を失って倒れ込む。サンディは腰を抜かしかけている別の男に飛びかかり、右目から唇まで、縦に顔を引き裂いた。

「よくも……よくもクラウドを!」

 男達の返り血を浴びて赤く染まった顔に、ぼろぼろと大粒の涙がこぼれている。視界を赤くにじませながら、全身のバネを縮める。飛びかかる直前のジャガーそのものの体勢。

「ひ……ひいっ!」

 男は悲鳴を上げて、クラウドを突き飛ばした。

「きゃっ!」

 サンディは驚いて、クラウドの体を抱き留める。獣の力を忘れてしまったように、体を支えきれずにふたりして地面に倒れた。

「ば、バケモノだ! 助けてくれ、誰か……ぎゃっ!」

 背中を向けて逃げ出す男。レイニーが、その大きな的をいとも簡単に撃ち抜いた。

「クラウド! クラウドっ!」

 腕の中のクラウドをがくがくと揺さぶり、涙ぐんだサンディが叫ぶ。

「バカ、ゆらすな。ケガしてるんだぞ……」

 クラウドがうなる。温かい涙が傷に落ちて染みるのが、なぜか心地よかった。

「そいつを立たせろ。いちゃついてる場合じゃないぞ」

 レイニーが告げる。通りの向こうから、蹄の音が聞こえてきていた。

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