第3話 一人の時間

陽も沈み、外の熱気がいくらか落ち着いた頃、明美が本を読んでいると、志乃が仕事を終えて帰ってきた。

「ただいま。」

普段よりもトーンの低い彼女の声に、明美はぱっと顔を上げ、そっと本を閉じる。

「おかえりー。外暑かった?」

「うん。」

短い返事だけを残した志乃は、リビングに居た明美に目もくれず、さっさと自分の部屋へと引っ込んでしまった。

そんな彼女の後ろ姿を見届けてから、明美はさっきまで読んでいたページを探すため、再び本を開いた。


翌日のよく晴れた正午。仕事がひと段落着き、明美は手早く机の上を片付けてから、作業部屋を出た。

今向かっている休憩室には、きっと今朝注文した弁当が届いているだろう。

今日のお弁当も楽しみだな。

今日頼んだのは、馴染みの店の中でも一番のお気に入りのもの。

小さな箱に詰められた色とりどりのおかずに思いを馳せれば、自然と足取りも軽くなる。

すると、不意にポケットに入れていたスマートフォンがぶるりと震えた。

ああ、志乃かな。

昨夜のルームメイトの様子がふと頭に浮かび、なんとなくだが、そう思った。

画面に目をやると、「ただいま」と一言、メッセージが入っていた。

送信者を確認すれば、やはりメッセージは志乃からのもので明美は思わず小さく笑った。

今回は割と早かったなと思いながら、「おかえり」と打ち込み送信した。


志乃は時々、“ここ”に居ないことがある。

頭の中に流れる空想を追っていることもあれば、気持ちの切り替えに集中している時もある。

主に前者が多いように明美は感じているが、他にも明美が知らない理由で自分の世界に入り込んでいることもあるだろう。

切っ掛けや内容がなんであれ、志乃には「一人の時間」が大切で、必要不可欠なのだと明美は認識している。

それに加え、彼女は人よりもずっと多くの時間をそれに充てている。

以前、志乃は”それ”を人に理解して貰えないのだと零していた。

彼女ほど顕著ではなくとも、明美もまた一人で静かに過ごす時間を大事にしている。

だからこそ、志乃が内側の世界に居ると気づいた時は、彼女が自ら戻って来るまで干渉しない。

そのため過去には約三日間、同じ家に居ながら、ほぼ言葉を交わさないということもあった。

それでも明美がそろそろ話したいことが増えてきたなと思い始める頃には、志乃も一人の世界で組み立てた思考を片手にふらっと”ここ”に帰ってくる。

その土産話が明美の楽しみでもある。


「今回はどんな話が聞けるかな。」

今日の夜が楽しみだ。

思わず上がる口角に、ここが廊下の真ん中であったことを思い出し、明美は湧き出る高揚感を宥めた。

止めていた足を動かした時、再びスマートフォンがメッセージの受信を知らせた。

”放っといてくれてありがとう”

そのメッセージに、明美はとうとう堪えきれずに、声をあげて笑った。

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しのとあけみは空想する カトカウキ @t_y_kusou

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