042 『空気叩き』と『試合の結末』

 さて――。

 どの角度から攻撃しても、テオさんのハンマーによって迎撃されてしまいそうな雰囲気だった。

 いや……テオさんはわざわざ迎撃なんかしないで、私のアゴを直接叩きにくるかもしれなかった。

 超高速のハンマーは、私の攻撃がテオさんに触れるよりも先に、こちらのアゴを揺らすことが充分に可能だったからだ。


 中途半端な攻撃を仕掛けたら、こちらが負ける!

 リーグ戦でも一度も使わず、テオさんとの戦闘でもまだ披露していない技――。

 温存していた『奥の手』で、一気に勝負を決めるんだ!


 そう考えた私がハンマーを握り直すと、テオさんが笑った。


「ふふっ。オギュっちくん……身にまとっている空気が変わったな。どうやら奥の手を見せてくれるみたいだね」

「はい。全力でいきますよ、テオさん」

「ああ。受けて立つよ」


 私はじりじりと移動して、テオさんとの位置関係を調節した。

 自分の戦いやすい距離があるのだ。


 続いて、『ちから加減かげん』と『ハンマーに込める魔力』、『ハンマーを振る角度と速度』をそれぞれ変化させて、『目の前の空気』を5回叩いた。

 破裂音はれつおんが5回、闘技場内に響いた。

 むちを鋭く振ったときに、パンっと音が鳴るけれど、あれに似た雰囲気のもう少し重たい音だ。


 目の前の空気を叩いた直後――。

 私は心の中でカウントダウンをはじめた。


 5、4、3……。


 それから私は少しだけ横移動して、回り込むようなかたちでテオさんに向かっていった。

 テオさんはきっと、こちらの不思議な行動に戸惑い、警戒したことだろう。

 けれど私は、彼に考える時間を与えなかった。


 2、1……。


 カウントダウンを続けながら、私はテオさんの間合いに踏み込んだ。

 そして、テオさんが例の構えから超高速のスイングを繰り出そうとしたまさにその瞬間だった――。


 ……着弾ちゃくだん


「なっ!?」


 と声を漏らして、テオさんは自身のハンマーを振ることなく身体をぐらつかせた。

 1発目の『空気くうきたたき』が、彼の右肩に命中したのである。

 きっとテオさんは、見えない何者かに右肩を突然ハンマーで強打されたかのような感覚に襲われていたことだろう。


『ハンマーで空気を叩く研究』を、私は町でずっと続けてきた。

 これくらいの魔力と力加減、この角度と速度で目の前の空気を叩けば、ハンマーの衝撃がどこそこに何秒後に着弾する――。

 そんな研究からみ出した『空気叩き』という技を、テオさんとの試合中にも成功させることができたのだ。


 空気叩きを放った後の私が、横移動して回り込むようにテオさんに向かっていったのは、空気叩きの通り道を避けて彼に近づくためだった。

 まっすぐテオさんに向かっていったら、自分が放った空気叩きにぶつかってしまうからである。


 そして運が良かったのは、テオさんが例の構えのまま私の攻撃を受けて立とうとしてくれたことだ。

 彼のあの構えは、どちらかというと『カウンター狙いの返し技』という性質が強かった。

 ほとんど動かず、テオさんは私の攻撃を見極めてから超高速のスイングをカウンターとして叩き込むつもりだったのだろう。


 だから、空気叩きという技にとって、テオさんは相性の良い相手だった。

 素早く動き回る相手には、空気叩きを命中させることは難しい。けれど、ほとんど動かない相手ならば、命中させやすいのだ。


「いったい何が!?」


 空気叩きによる攻撃を右肩に受けたテオさんがそう声を出したところで、時間差で送り込んでいた2発目の空気叩きが、テオさんに襲いかかった。


 ……着弾。


「っ!?」


 と声を漏らし、テオさんは表情をゆがめた。

 1発目よりもやや遅れて到着した2発目は、テオさんの腰のあたりに命中したのである。

 再び彼は、見えない何者かにハンマーで強打されたような感覚に襲われていたはずだ。


 テオさんは地面に倒れこそしなかったが、2発目の空気叩きによって姿勢をさらに崩した。

 何が起こっているのか彼が理解できていないうちに、私は勝負を決めたかった。

 間髪を入れずに、テオさんのアゴに向かって気絶スタンハンマーを放ったのである。


 しかし、目の前の強敵は身体をぐらつかせながらも、左の腰に構えていたハンマーを無理やりスイングさせた。

 テオさんの苦しまぎれのハンマーが、私のハンマーをかすめた。

 彼の攻撃によってこちらのハンマーの軌道きどうがわずかにずらされたのである。


 私の攻撃はテオさんのアゴ先に触れることなく空振りに終わった。

 そして――。


 3,2、1……不発。

 2,1……不発。


 時間差で着弾する予定だった3発目と4発目の空気叩きは、テオさんに当たらなかった。

 予想していた以上にテオさんが動いたので、私の狙いが外れたのだ。


 ハンマーに込める魔力のやりくりの関係で、私が一度に放つことができる空気叩きは、5発までだった。

 次の――最後の1発が着弾したとき、絶対に勝負を決めなくてはいけないと思った。

 奥の手を披露したからには、これで勝利をもぎ取らなくては……。

 テオさんも次は、空気叩きを警戒してくるだろうから……。


 3,2……。


 カウントダウンを続けながら私は、5発目の空気叩きが到着するタイミングで、足をかがめて大きくしゃがんだ――。


 1……着弾!


「くっ!?」


 そんな声とともに、テオさんが上半身を大きくのけぞらせた。

 最後に着弾した空気叩き。

 5発目だけは、他の4発とは少し違うのだ。


 最後に放つ空気叩きだけは、次の一振りのコントロールを考えなくていい。

 だから、後のことは考えず、全力で広範囲に向けて放つことができるのである。

 そして、広範囲に放てる分だけ命中率もあげることができた。


 背の高いテオさんの胸から上あたりを狙って広範囲に放った5発目の空気叩き。

 それが見事に命中した。

 私は5発目の到着とタイミングを合わせてしゃがむことで、自分の放った空気叩きに当たることを回避していたわけだ。


 すでに体勢が崩れていたところに、テオさんは最後の空気叩きを受けた。

 さすがの彼でも、ハンマーをスイングできる状態ではなかった。

 そんなチャンスを逃がすわけがない。

 姿勢を低くしていた私はすかさず飛び上がって、テオさんのアゴに向かって気絶スタンハンマーを叩き込んだ。


 ガードのない、がら空きのアゴ。

 そこにハンマーを命中させると、テオさんは一瞬で気を失った。


 彼は手にしていたハンマーを地面に落とした。

 テオさんの両膝から、カクンっと力が抜けるのがわかった。

 私は彼の大きな身体が地面に崩れ落ちる前に、抱きかかえて支えたのだった。


 ガラガラの客席が、静まりかえった。

 私が試合に勝利したことは、きっとみんなわかっていただろう。

 けれど、試合を見ていた人々は、いったい何が起こったのか詳しく理解できておらず、戸惑っていたのだと思う。


 空気叩きは目に見えない。

 だから、最後の攻防でテオさんがどうして急に上半身をのけぞらせたのか、観戦していた人々はわからなかったと思う。


 私がやったことを理解できていたのは、客席ではきっと一人だけ。

 空気叩きの存在を知っているロメーヌのみである。


 やがて、試験官席の進行役の男性が口を開いた。


「1回戦! 第1試合! 勝者はオーギュスト・フジタ!」


 進行役が大声で、私の勝利を告げたのだ。

 ガラガラの客席から拍手が聞こえてきた。

 ひときわ大きく響く拍手があった。

 もちろんそれは、ロメーヌの拍手だ。


 私は気絶しているテオさんを抱えたまま拍手を浴びると、客席のロメーヌに向かって微笑みを向けたのだった。

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