035 『テオドール・ヒシカワ』という名の青年

 一次試験の翌日。

 鉄道の客車内で私は、ロメーヌの隣に座ることができなかった。『競売人オークショニア養成学校』の案内係の人が、座る席を決めたからである。


 案内係から指定されたのは2人がけの席だった。

 私は窓側の席に座り、通路側には背の高い青年が腰を下ろした。

 彼は25歳で、一次試験の合格者の1人だ。

『テオドール・ヒシカワ』という名前である。

 服装は私と同じくスーツにネクタイ。そして、小さな箱をなぜか大切そうに膝の上に抱えていた。


「長い移動になるようだね。道中どうちゅうよろしく頼むよ、オーギュストくん」

「はい。テオドールさん、こちらこそよろしくお願いします」

「昨日の自己紹介でも言ったけれど、俺のことは『テオ』でいいよ。ふふっ」

「じゃあ、テオさん」

「うん、そうそう」


 私たち一次試験合格者は前日に、宿泊施設で簡単な自己紹介を済ませていたのである。

 テオドールさんの髪は、青みをびた黒色だ。毛先がほんの少しだけカールしていた。

 毛量が多く、どちらかといえばもっさりした印象の髪型だろう。


 だけど、不潔な印象はまったく受けなかった。

 テオドールさん自身が、爽やかな性格の顔のきれいな青年だったからだと思う。

 そんな整った顔で両目を細めて、やさしく「ふふっ」と笑うものだから、私は彼にすぐ好印象を抱いた。

 名前の話になっていたので、自分が周囲の人々から『オギュっち』と呼ばれていることを、彼に伝えた。


「へえ。じゃあ、オギュっちくんと呼ばせてもらうよ」

「はい」

「オギュっちくん。隣の席のキミには、俺が抱えている箱の中身を伝えておいた方がいいよね?」

「お願いします。実はテオさんのその箱、何が入っているのか気になっていました」

「ふふっ」


 テオドールさんが微笑みながら箱のふたを開けた。

 箱の底には白いハンカチのような布が敷いてあり、青い小鳥がその上で横たわっていた。

 鳥は、眠っているみたいだった。

 箱には小さな穴がいくつか空いていたのだが、通気なんかを考えてのものだろうか。


「鳥……ですよね?」

「ああ。ケガをしているんだ」

「だから、保護したんですか?」


 青みを帯びた黒髪を揺らして、青年は小さくうなずいた。


「宿泊施設を出発する直前に、この鳥と出会ってね。ちょうどいいサイズの箱を持っていたから、こうして寝かせているんだよ」

「えっと……もしかして、その鳥を王都まで連れていくつもりなんですか?」

「一応、ケガが治るまでは面倒をみるつもりなんだけど……オギュっちくんは、どうしたらいいと思う?」

「えっ?」

「駅員さんに事情を説明して、ケガをした鳥を客車に持ち込んでいいかと尋ねたんだ。特別に許可がもらえたよ。だから、このまま王都まで小鳥を連れていくつもりだけど、他にもっと良い方法を思いつくかい?」


 テオドールさんは、箱にふたをかぶせた。

 小鳥はおとなしいもので、鳴き声をあげなかった。


「あの……テオさん。王都に着いたら、二次試験がありますよね? 試験の間は、どうするつもりなんですか?」

「二次試験がはじまる前に、誰か一時的に預かってくれる人がいないか探してみようと思うんだ」

「そうですね。でも、もし誰も見つからなかった場合、交代で面倒をみられるようでしたら協力しますよ」

「オギュっちくん、本当かい? そりゃ、助かるよ」


 隣の席の青年は、両目を細めてやわらかく微笑んだ。

 少し変わった人だと思った。だが、悪い人ではなさそうなので私はすっかり安心した。


 ロメーヌは、私とテオドールさんのすぐ後ろの席だった。

 彼女も私と同じく窓側の席で、隣の通路側の席には一次試験を抜群ばつぐんの成績で合格した例の獣人じゅうじんの女忍者が座っていた。

 彼女たち二人は、まだ打ち解けていないようで、会話も特に聞こえてこなかった。

 私がロメーヌの隣に座ることができたら、移動中ずっと楽しく会話できただろうから残念だ。

 それに、人間の世界に慣れていない妖精の少女のことが私は心配だった。


 2人がけの座席が向き合っているタイプの客車であれば、4人で仲良く会話することが可能だったかもしれない。

 けれど、座席はすべて進行方向を向いていたのだ。

 ロメーヌたちの後ろの席にも一次試験の合格者が2人座っており、その後ろには養成学校の案内係の人が座っていた。


 テオドールさんは、会話好きな青年みたいで、鳥が入っている箱を抱えながら次々と話しかけてきた。


「オギュっちくんが暮らしている町は、『勇者が生まれる』って噂の町だよね?」

「ご存知なんですか?」

「ああ。俺はその町よりも、もっとずっと東にある島の出身なんだ」

「へえ。島の出身なんですか」

「大陸の外にあるサムライが暮らす島を知っているかい? そこの出身だよ。俺は海を越えて来ているんだ。それと、数年前までは俺もサムライだった」

「えっ? テオさん、サムライだったんですか?」

「そうだよ。今はハンマー術を身につけて、オークショニアを目指しているけどね。去年、はじめてこの試験を受けたんだけど、恥ずかしながら実力不足で一次試験を合格できなかったよ、はははっ」


 海の向こうの島。そこで暮らすサムライたち。彼らの話なら、過去にアニキから少しだけ聞いたことがあった。

 おもかたなを武器にして戦う人々である。

 私の隣の席の青年は、武器を刀からハンマーに持ちかえて転職活動をしているようだった。


「養成学校の人から言われたんだけどね、今年の一次試験の合格者の中では25歳の俺が最年長じゃないかってさ」

「そうなんですか」

「オギュっちくんはやっぱり、幼いころからオークショニアを目指してハンマー術の修行をしていたのかい?」

「はい。15歳になったので、今回ようやく試験を受けることができました」

「へえ。はじめての試験で、いきなり一次試験を合格したんだね。キミはすごいなあ」


 テオドールさんは、青みを帯びた黒髪を揺らして「うんうん。すごい」と、うなずくと話を続けた。


「俺はさあ、オギュっちくんみたいに、子どものころからオークショニアを目指していたわけじゃないんだ。たった2~3年の修業で身につけたハンマー術だから、どうにも自信がなくてね。二次試験は、ハンマー術による戦闘なんだよね?」

「そうだと思います。一次試験の合格者同士で戦って『ベスト8』まで勝ち残れば、とりあえず合格だって噂です」

「俺もその噂は聞いているよ。あとは、二次試験の戦闘内容から判断されて、『ベスト8』まで残れなかった受験生からも、追加で何人か合格者が出るらしいね」


 二次試験は毎年だいたい、10~20人ほどの合格者が出る。

 そして合格者は、2年間『競売人養成学校』で学ぶことになるのだ。


「俺は元サムライだからさあ、刀だったら20年くらい修行してきたんだよ。二次試験が刀の使用OKだったら、ベスト8も目指せるかもしれないんだけどなあ。武器はハンマーしか認められないんだよね。自信ないなあ、ふふっ」


 隣の席の青年は、どうやら刀の腕には自信がある様子だった。

 テオドールさんは20年近く刀の修行をしてきたのに、どうしてオークショニアを目指すことにしたのだろうか?

 私はそれを質問してみようかと迷った。

 しかし青年が、どんどん話を続けるので、質問するタイミングを逃してしまった。


「ところで、オギュっちくん……」


 テオドールさんは急に小声で話しはじめた。


「なんですか?」

「俺たちの後ろの席のさあ、窓側に座っている女の子は、オギュっちくんのメイドさんなのかい?」

「えっ?」

「いや、実はね。一次試験のときから、何度か見かけていてさ。そのたびに『おっぱいの大きなメイドさんだなあ……』って、俺は思わず声に出してしまっていたんだけど、どういう関係なんだい?」


 あっ……。お前か!

 私は思わず、心の中で苦笑いを浮かべた。

 一次試験の会場で私は、『おっぱいの大きなメイドさんだなあ……』と誰かがつぶやく声を耳にしていたのだ。

 けれど、まさかそれがテオドールさんだったとは……。

 確かに思い出してみると、あのときの声は隣の席に座っているこの青年の声で間違いないような気がした。


「いや、オギュっちくん。別に俺は、あのおっぱいの大きなメイドさんにちょっかいを出したりはしないよ。約束するさ。ただ、試験会場でずいぶん目立っていたから、何者なんだろうって――。その反応から察するに、オギュっちくんの大切な女の子なのかい?」


 テオドールさんが小声でしたその質問に、私は黙ったままうなずいた。


「OK! オギュっちくん。キミとあのメイドさんの関係については、これ以上質問しないよ。キミと彼女が2人仲良く二次試験を突破できることを俺は心の中で祈っておくさ、ふふっ」


 そう言うと顔のきれいな青年は、鳥の入った箱を大切そうに抱えたまま、楽しそうに微笑んだのだった。

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