026 町に戻ってからそれが恋であることに気がついた

 ロメーヌは、お昼ごろには妖精の屋敷に戻らなくてはいけないとのことだった。

 本当に短い時間だったけれど、私はハンマー術の知識をぎりぎりまで彼女に教え続けた。


 時間が来ると、ロメーヌは私に向かって深々と頭を下げた。

 彼女はお礼を口にしてから、こう言った。


「あの、オギュっち先輩。来週の同じ時間に、また会うことは出来ないでしょうか?」


 彼女のその言葉に、心がおどった。

 自分の中の陽気な自分が、胸の内側で満面の笑みを浮かべながら無邪気に「ひゃっほう!」と飛び跳ねている感じだ。


 ロメーヌとまた会えることが、とにかくうれしくて、私は「もちろん」と即答してからこう提案した。


「なんなら毎週会って、いっしょにハンマー術の修行をしようよ!」


 メイド服姿の少女は、微笑みながら「すごくうれしいです!」と答えてくれた。

 けれど、すぐに彼女はうつむいて言った。


「でも……オギュっち先輩と会えるのは、おそらく来週が最後になると思います」

「えっ……どうして?」


 ロメーヌは理由を説明してくれた。


「その……女王様が避暑地でお過ごしになるのは、夏のほんのわずかな間だけなんです。だから、もうすぐわたしも女王様といっしょに避暑地の屋敷から離れなくてはいけません。先輩と会えるのは、たぶんあと一回だけ……来週で最後だと思います」


 避暑地なのだから、妖精の女王が滞在するのは夏の間だけ。それはまあ当然だろう。

 来週が過ぎたらロメーヌも、次の夏までこの森に来ることはないとのことだった。


 そんなわけで、一週間後に再び会うことを約束すると、私はロメーヌと別れて一人で町に帰ったのである。



   * * *



 町に帰ってからも、私はロメーヌのことばかり考えていた。

 食事のときも寝るときも、ハンマーを握っているときも、何をしていても、ふとした瞬間にロメーヌの笑顔が心に浮かんだ。


 たった一人の女の子にそんなにも心を乱された経験は、生まれてはじめてだった。

 町には同じ年代の女の子が何人も住んでいた。だけど、彼女たちに心を乱されたことなんて一度もなかった。

 ロメーヌだけだったのだ。


 そして――。

 町に戻ってから二、三日じっくりと考えて、私はそれが恋であることに気がついた。

 当時の私は恋を知らなかったのだけど、「たぶん、これが恋なんだ……」と、町に帰ってからようやく初恋を自覚したわけである。


 そんなロメーヌへの恋心と同時に、彼女のハンマー術についても私はよく考えた。


「もしかして妖精は、魔力の使い方が人間よりも上手いのか? 普通の人間の何倍も魔力が強いのか?」


 ロメーヌが巨大化させたあのハンマー。あれを目にした限り『ハンマーに魔力を込めること』に関しては、彼女は天才だった。


 この先、ロメーヌが順調にハンマー術の基礎を身につけていったら?

 それはとてもうれしいことである。

 けれど、私はきっと数年後には彼女に負けてしまうことだろう。

 潜在能力だけなら、ロメーヌのほうが私よりも格段に上なのだ。


 私はロメーヌのことが好きだった。

 でも、恋とハンマー術とはやはり別の話だ。


 ハンマー術に関しては、私は誰にも負けたくなかった。

 恋をした相手にも絶対に負けたくなかったのだ。


 才能で大幅に劣っている分、私は何か工夫して、これまでとは違う『別のハンマー術』のようなものに、たどりつかなくてはならないと直感していた。

 単純に今のままの修行を繰り返し続けていても、ロメーヌに負けてしまうと――。


 幼少の頃から私はハンマー術を身につけ、10歳までずっとその腕をみがいてきた。

 相手が同年代なら、ハンマー術では誰にも負けない自信があった。

 しかし、ロメーヌという私とは比べ物にならないくらい異質な才能を持った少女と出会い、自信がすっかり揺らいでしまっていたのだ。


 ロメーヌは私の中で、『異性』としても『ハンマー術のライバル』としても、とても大きな存在になっていた。




「ねえ、オギュっちくん。なんだか最近、悩み事でもあるのかな?」


 悩める私に優しく声をかけてくれたのはアニキだった。

 それは、ロメーヌと再会する前日のことである。


 その日は、気持ちのよい青空が広がっていた。アニキが町で私を見かけてわざわざ駆け寄って来てくれたのだ。

 昼食を済ませたアニキは、一人で川に向かう途中とのことだった。

 私たちは二人横並びで歩きながら川に向かった。


「実はボク、難しい顔をしているオギュっちくんを、前から何度か見かけていたんだ。今まで忙しくて、なかなか声をかけられなくて、ごめんよ」


 美しい金髪を風になびかせながら、アニキが申し訳なさそうに微笑んだ。

 アニキが謝ることなんて何ひとつないのにである。


 自分の知らないところで、アニキに心配をかけてしまっていたことがわかって、申し訳ない気持ちになった。

 これ以上、余計な心配をかけたくない。

 自分が何を悩んでいるのか、私はアニキに可能な限り打ち明けておこうと考えた。


 もちろん、『ロメーヌが、実は人間の姿をしている』ということは秘密にしておく必要があるだろう。

 でも、私が彼女に恋をしていることは、アニキにきちんと伝えておいた方がいいと思った。

 私が振り回されている主な原因は、『恋の悩み』なのだから。


 やがて、川に着くころには、私の打ち明け話も終わっていた。


「ふふっ、おめでとう。オギュっちくんにも、とうとう好きな女の子が出来たんだね」


 アニキは両目を細め、うれしそうに微笑んだ。

 仮に打ち明けた相手がマルクだったら?

 きっとニヤニヤしながら、からかわれたことだろう。けれど、アニキなら安心だった。


「それにしても、あの記録係の妖精さんがハンマー術をね。オギュっちくんがそこまでめるほどのすごい子だったんだ。彼女の周囲にハンマー術を教えてくれる指導者がいないのは、本当に残念なことだね」


 ハンマー術に関しての潜在能力は、ロメーヌのほうが私よりも格段に上であることをアニキに説明していた。

 ただ、私はハンマー術で、ロメーヌには負けたくないということも口にした。


「あの妖精さんについてさ、たとえばオギュっちくんの木槌さんはどう思っているのかな? 木槌さんも、ハンマー術に詳しいんだよね? ちょっと訊いてみようよ」


 アニキは私が首から下げている木槌を眺めながらそう言った。

 川辺にはアニキと私しかいなかったので、木槌がしゃべりはじめても誰かに聞かれる心配はなかった。

 面倒なトラブルを避けるために、木槌は町中では声を出さないで過ごしてくれていたのだ。


「ロメーヌハ、天才ダナ。今スグ、誰カガ基礎ヲ、キチント教エテヤルベキダゼ」


 やはりロメーヌは、とんでもない逸材であるとのことだった。

『もし自分がロメーヌの木槌だったら、きちんと指導してやることが出来るのだが……』という内容のことを、木槌は残念そうに漏らしたのである。

 私は木槌に尋ねた。


「えっ? 木槌って、ハンマー術の基礎を、教えることが出来るの?」

「ハハハッ。木槌ナンダカラ、当タリ前ダロ。ハンマー術ノ基礎クライナラ、教エラレルゼ」


 木槌の言葉を聞いて、私とアニキは顔を見合わせた。

 アニキが木槌に質問した。


「ねえ、木槌さん。じゃあ、オギュっちくんには、何かハンマー術を教えないの?」

「ウーン……オーギュストハ、基礎ガモウ、キチント出来テイルカラナ」


 木槌の話によると――。

 私にはちゃんとした師匠――ジュリーの父親――がいるし、木槌から私に教えてやれることはすでにないとのことだった。

 そんな木槌に、アニキが相談した。


「じゃあ、木槌さん。オギュっちくんは、この先、どんなハンマー術を身につけたらいいと思う?」

「ウーン。オーギュスト、今、スゴク悩ンデイルンダヨナ。マア、オーギュストノ父親モ、ヨク悩ンデイタゼ」


 木槌は、私が『ハンマー術』に関して悩んでいることを知っていた。

 だが、基礎以上のことは教えられず、力にはなれないとのことだった。


「オーギュストノ悩ミヲ、解決シテヤレナクテ、スマン」


 木槌はそう謝ると、話を続けた。


「タダ、オ前ノ父親ハ、同ジヨウニ悩ンデイタトキ、『空気ヲ叩コウ』トシテイタナ」

「空気を叩こうとしていた?」


 私がそう訊き返すと木槌は答えた。


「ソウダ、オーギュスト! オ前ハ、空気ヲ叩ケ! ソレヲ目標ニシロ! オ前ナラ、キット出来ル!」


 それから木槌は、私の父親について少し教えてくれた。

『空気を叩く』ということがどういうことなのかは木槌にもわからないが、私の父親はずっとそれに挑戦していたらしい。

 まあ結局、父親にも出来なかったみたいだけど。


 アニキがつぶやくように言った。


「うーん……『空気を叩く』かあ……」


 金髪の天才少年剣士は、何か思いついたみたいだった。


「オギュっちくん。木槌さん。ちょっとボクのやることをそこで見ていてよ」


 そう言うとアニキは、こちらにくるりと背を向け、流れる川に向かって剣を構えたのである。

 そして――。


 私の目の前で、アニキは川を斬った。


 流れる川に対して垂直気味に立ったアニキが、剣を上から下へと静かに振り下ろした。

 特にりきんで剣を振った感じでもなく、かと言って力を抜きすぎている様子でもなかった。

 7~8割ほどの力で、川に向かって素振すぶりをしたような、そんな印象を私は受けた。


 すると、川の流れが分断されたのである。川底が一瞬、はっきりと見えた。

 川がふたつに割れて、向こう岸まで続くまっすぐな道が出現したのである。

 もちろん、すぐに川が流れたため、その道を歩くことなど出来なかった。川底の道が現れたのは、ほんのわずかな時間だったのだ。


 元に戻った川を眺めながら、私はアニキに尋ねた。


「えっ……? アニキ……今の何なんですか?」


 私の驚いている顔が面白かったのか、アニキはくすくすと笑い声を漏らした。

 続いて、いたずらを成功させた後の子どもが浮かべる微笑みを私に向けながら言った。


「ふふっ。実はボク、7歳くらいのときから5年間ほど、川を斬ることに挑戦し続けていたんだ。でも、ずっと出来なくてさ。けれど、妖精の屋敷から帰ってきた次の日に、急に成功したんだよ。きっと妖精の世界で、色々と新鮮な刺激を受けたことがよかったのかな?」


 結局アニキでさえ、どうして急に川を斬れるようになったのかは、よくわからないみたいだ。

 すごく感覚的なコツらしきものはあるのだけど、うまく言葉で人に説明は出来ないとのことだった。


「そんなわけで、ボクは川を斬れるようになったよ。だから、オギュっちくんも頑張れば、空気を叩けるようになるって。普通の人には出来ないだろうけど、オギュっちくんなら、きっと出来ると思うよ!」


 常識はずれの剣技けんぎ披露ひろうしたアニキがそう言うと、なんだか説得力があった。

 実際に川を斬ることで、私の目の前でアニキは、ひらりと常識からはみ出してみせたのである。

 そして私に『常識からはみ出せ』と教えてくれたわけだ。


 空気を叩くなんて、正直、意味がわからなかった。

 しかし、天使のような笑顔を浮かべたアニキが「オギュっちくんなら、きっと出来る」と応援してくれると――。


 私だって『常識はずれの技』を、ひとつくらいだったら身につけられるんじゃないか?


 不思議とそんな気がしてきたのである。

 昔からアニキの言葉には、そういうキラキラとした魔法みたいな力がいつだって宿っていたのだった。

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