023 わたしの本当の姿

 私はまだ10歳の子どもだった。

 けれど、目の前の少女が『とんでもなく重大な秘密を打ち明けてくれた』ということは、もちろん子どもの頭でも理解できていた。


 ――えっ? 妖精じゃなくて人間かもしれないっ!?


 突然の告白に対して、私は何も言えず黙ってしまった。

 彼女の方は、頭から外したカツラをどこに置こうかと悩むような素振そぶりを見せていた。

 その後、近くにあった木の枝にひょいっと引っ掛けた。


 続いて少女は、カツラをかぶっていた影響で、ぺたんとなってしまった黒髪を気にしはじめた。

 手櫛てぐしで何度か髪を整えると、彼女は話を続けた。


「そんなわけでピンク色の髪は、カツラだったんですよね。わたし、本当は黒髪なんです」


 そして、私の頭を見つめながら少女は微笑んだ。


「オークショニアさんも黒髪ですよね。わたしと同じくらいの色かな? ふふっ」


 打ち明けた秘密の重大さに対して、少女はそれほど緊張している様子でもなかった。

 むしろ、こんな話を聞かされた私の方がものすごく緊張していた。

 自分の心臓がトクントクンと乱れはじめていることがわかった。


 私は木槌で自分の胸を叩きたかった。『ハンマー術』の中に、人間の脈拍みゃくはくを落ち着かせる胸の叩き方があるからだ。

 けれど、当時の私はまだその技術を身につけていなかった。だから、胸を叩いても無駄だということもわかっていた。


 とりあえず私は、いいかげん何か彼女に向かってしゃべらなくてはいけないと思い、素直な感想を口にした。


「ピンク色の髪、カツラだったんだ。全然わからなかった……びっくりした」


 彼女は「びっくりしましたか?」と口にして、いたずらっぽく微笑むとこう言った。


「ふふっ。女王様の魔法のおかげなんです」

「女王様の?」

「そうなんです。『カツラを地毛じげのようにナチュラルに馴染なじませる女王様の魔法』がすごいんですよ」

「えっ。じゃあ、もしかして女王様もこの秘密を……」


 少女はこくりとうなずいた。


「はい。女王様は、わたしが人間かもしれないってことはご存じなんです。ちなみに、とがった耳も女王様の魔法のおかげなんですよ。わたしの耳、本当はとがっていませんからね」


 それまで私が出会った妖精たちは、みんな耳がとがっていた。

 目の前にいるメイド服姿の少女も、その時点ではちゃんと耳がとがっていた。

 彼女は持っていた鍋を私に差し出して言った。


「あの、すみません。この鍋を少しの間だけ持っていてくれませんか? 今からわたし、耳をまなくてはいけないので」


 私が鍋を受け取ると、少女は両手で自分の耳を揉みはじめた。

「血行が良くなる」と言って町のどこかの大人が、似たような行動をとっていたことを私は思い出した。


 あのとき耳を揉んでいたのは中年の男だった。

 目の前の少女も同じような行動をとっていたのだけど、彼女の動作は町のおじさんとは違って、ずいぶんと可愛らしく思えた。


 しばらくすると、耳を揉み終えたみたいだった。少女は左の耳にかかっていた黒髪をさっとかき上げた。それから、首を少しかたむけると、左耳を私に向けながら言った。


「オークショニアさん、どうですか? わたしのとがっていた耳、とがりがゆるやかになっていませんか?」


 髪をかき上げ、首をかたむけ、片耳をこちらに見せてくる――彼女のそんな一連の動きが、私には愛くるしいものに思えた。

 少女の耳から首筋にかけての可愛らしいラインを目にして、子どもながらに私の心はざわついた。

 これは、言葉にするとすごく恥ずかしいのだけれど、10歳だった私はそれなりに性的な興奮を覚えはじめていたのだと思う。


 しかし、肝心かんじんな彼女の左耳だけど、とがったままで特に変化していなかった。


「えっと……まだ、とがったままかな」


 鍋を持ったまま私はそう答えた。


「あれ? 揉み方があまいのかな?」


 少女は小首をかしげると、再び耳を両手で揉みはじめた。

 やがて彼女は、また黒髪をかき上げて私に左耳を見せた。


「オークショニアさん、今度はどうですか?」

「あっ……とがってない」


 先ほどと違って、彼女の耳はとがっていなかった。

 まるで人間の耳のように、丸みのあるものに変化していたのである。


 それにしても、少女の耳の変化も大変なことだったけれど……。

 私にとって、もっとずっと大変だったのは『自分の心の変化』だった。彼女を相手に、自分の心がどうしようもなく乱れていた。


 鍋の取っ手を握る手に、私はずいぶんと余計な力を入れていたことだろう。

 オークションのときから、もともと少し気になっていた少女だった。

 私はこの時点で彼女のことを完全に、異性として強く意識するようになっていたのだと思う。


 とにかくそんなわけで、記録係の女の子は、とがり耳ではなくなった。

 外見は、メイド服を着た黒髪の人間の少女となったのである。


「オークショニアさん、これがわたしの本当の姿なんです。髪は黒くて、耳もとがっていないんですよね。なんだか、人間の姿みたいだと思いませんか?」


 そう尋ねられたので――少し迷ったけれど――私は黙ったままうなずいた。


「ああ、やっぱり。オークショニアさんも、人間の姿みたいだって思いますよね、ふふっ」


 彼女は微笑むと、私に向かって手を伸ばし「鍋、ありがとうございます」とお礼を口にした。

 そしてメイド服姿の少女は私から鍋を受け取ると、鍋肌なべはだを人差し指で、つーっとでてから言った。


「でも、オークショニアさん。不思議なことにわたしの両親はちゃんと妖精なんですよ。妖精の両親からわたしが生まれてきたってことは確実で、間違いのない事実らしいです。人間の子どもが妖精の国に迷い込んだとか、そういうことではないそうですよ」


 彼女の投げ込んでくる話は、次から次へと衝撃的過ぎた。

 私はやっぱりどう反応していいのかわからなくて、黙ってうなずくことしか出来なかった。

 それでも彼女は、自分のペースで話を進めていった。


「日頃から自分でも、『わたし、どう見ても人間だよなあ』って思うわけですよ。ねえ、オークショニアさん。わたしって何なんですかね? 妖精なのかな? それとも人間なのかな? ああ、でもこんな質問されたって、オークショニアさんも困っちゃうか。ふふっ、すみません」


 けっこう繊細せんさいな問題な気がするのだけど、彼女はわりとあっけらかんとした様子だった。

 それから少女は、何かを思いついたような顔をした。


「あっ、でも……わたし、なぜか羽はちゃんと出せるんですよ。妖精の羽。これが出せるから自分はやっぱり妖精なのかなとも思うわけですよね。オークショニアさん、わたしの背中を見ていてください」


 そう言うとメイド服姿の少女は、鍋を手にしたままその場でくるりと180度ターンして、私に背中を見せた。

 スカートがふわりと舞うと、彼女からほのかに甘いミルクのような香りが漂ってきた。

 そして次の瞬間――。

 彼女の背中に、羽が出現していたのだった。


「ほら! 妖精の羽、すぐ出せますよ」


 私に背中を向けたまま少女はそう言った。


 彼女の羽は、リザやサンドロのものと見た目が同じだった。半透明な飴細工あめざいくみたいな印象である。

 厚みはそれほどなく、薄くて繊細で、羽の向こう側が透けて見えた。


 妖精の羽は――リザのものもそうだったけれど――背中から直接生えているわけではなかった。

 メイド服の背中に羽を通すための穴なんかは空いておらず、羽は少女の背中から少し離れて存在していた。

 確かリザが『羽は魔法の一種らしい』と言っていたはずだ。『妖精なら生まれつき誰でも簡単に使える魔法』なのだと。


「ねえ、オークショニアさん、どうですか? わたしの羽、ちゃんと見えていますか?」

「うん、見えてるよ。綺麗だと思う」

「えっ!? 綺麗!? わたしの羽、綺麗なの!?」


 それまで背中を向けていた少女は、なんだかあわてた様子で私の方を振り向いた。

 心なしか彼女の両頬が赤く染まっていたのが気になった。彼女のそのちょっとした照れ顔を目にして、私は素直に可愛いと思ってしまった。


「あの、オークショニアさん、綺麗ってそれ本当ですか? 私の羽、汚いですよ? 本当に綺麗なんですか? えっ!? 嘘っ!?」


 彼女がどうしてそれほど過剰かじょうに反応するのか私にはわからなかった。とにかく、『本当に綺麗だと思っている』ことを私はあらためて伝えてみた。


「本当に本当ですか? 本当にこの羽、綺麗だと思います?」


 なぜ何度も確認してくるんだろうと思いつつ、私は嘘はついていないことを彼女に伝えた。

 お世辞ではなく、ちゃんと綺麗だと思ったのだ。


 彼女は顔を真っ赤にすると、手にしていた鍋で顔を隠しながら言った。


「ああ……えっと……どうしよう。これは、意外な展開かも……」


 それまで私は、妖精の羽はリザやサンドロのものしか見ていなかった。どの羽もそれぞれ美しい羽だと思っていた。

 羽の美しさの優劣ゆうれつが、妖精同士ではあったりするのだろうか?


 私は目の前の少女の羽が、リザやサンドロの羽と比べて美しさで劣っているとは思わなかった。

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