022 レーズンばばあ

 私たちの商談も一区切りついた。

 魔法使いの血判状は、マルクが代表して預かることになった。


 まったりとした空気が部屋に流れはじめると、老婆がふたつめのレーズンパンを食べはじめた。

 そのときだった。

 マルクが予想外の行動に出たのだ。


 銀髪の少年は突然、魔法使いのお姉さんに向かって頭を下げると言った。


「俺、魔法使いになりたいんです! どうか俺を弟子にしてください!」


 お姉さんはすぐに断った。


「ああ、いや……ごめん。あたし、弟子なんてとれないから」


 彼女の話によると『自分はまだ未熟みじゅくだから弟子をとれるような立場にはない』とのことだった。

 すると二人から少し離れた場所でレーズンパンを頬張ほおばっていた老婆が会話に参加してきた。


「もぉぐもぉぐ……いいよ、坊や。もぉぐもぉぐ……あたしが弟子にしてあげる、もぉぐもぉぐ」


 老婆はパンを食いながら、マルクを弟子にすることをなんだか気軽に決めた様子だった。

 銀髪の少年が「えっ……?」と声を漏らした。

 老婆が不思議そうな顔をしながらマルクに尋ねた。


「んっ? あんた、魔法使いになりたいんだろ? もぉぐもぉぐ」

「はい」

「じゃあ、いいよ。あたしが弟子にしてあげる」


 そして老婆は、レーズンパンをかじった。

 お姉さんが老婆に尋ねた。


「婆さん。あんたはもう弟子はとらないんじゃなかったのか?」

「気が変わったんだよ」


 老婆はそう言うと、けらけら笑った。

 のちにマルクから『レーズンばばあ』と親しみを込めて呼ばれる老婆が、人生で最後の弟子を決めた瞬間だった。


 マルクとしては、きっとお姉さんの弟子になりたかったのだろう。初恋相手に対する下心なんかもあったのかもしれない。

 けれど話の流れで、彼の師匠ししょうは老婆になったのだ。

 レーズンばばあは、マルクに言った。


「もぉぐもぉぐ……銀髪の坊や。自分の家族ときっちり話をつけてきな。家族が許してくれたなら、すぐにでも修行をはじめてやるよ」


 続いて、お姉さんがマルクに尋ねた。


「お前、何歳なの?」

「11歳です」

「うーん……魔法使いの修行をはじめるには少し遅いね。努力しても、せいぜい三流の魔法使いにしかなれないかもよ。それでもいいのか?」


 そう言われて、マルクは即答した。


「はい。それでも構いません。今からがんばって、俺は立派な三流の魔法使いになりたい」


 マルクだって、自分で色々と考えた上で選んだ道だったのだろう。

 一流の魔法使いにはなれないかもしれない。けれど、それでも彼は魔法使いの修行をはじめたかったのだと思う。

 レーズンばばあは、けらけら笑うと言った。


「いやー、気に入ったよ。おそらくあんたが、あたしの最後の弟子になるね。いーっひっひっひ。数々の魔法使いを育ててきたこのあたしが、最後に『立派な三流の魔法使い』を育てあげてやるよ」


 そんなわけでマルクの弟子入りは、私とパブロの目の前で突然決まったのである。



   * * *



 妖精の女王の避暑地に行った日から、ちょうど一週間後の朝だった。

 私は一人で森の入り口に向かった。

 約束の日だったのである。オークションで記録係をしてくれた妖精の少女と再会するのだ。


 森の入り口から少し入ったところが待ち合わせ場所だった。

 美しい緑の葉を茂らせた木々の間を歩いていくと、なべを持った少女が一人で立っていた。

 髪は淡いピンク色で、肩に触れる程度の長さ。頭には白いフリルの付いたヘッドドレス。そして、黒と白を基調きちょうとしたメイド服を身につけていた。


 少女が手にしている鍋は、私がハンマー術の修行で制作したものだ。

 私がオークションに出品し、記録係の彼女が落札したのである。


「オークショニアさん、おはようございます!」


 私の姿を見つけると、彼女はぺこりと頭を下げた。

 それから「よかった。約束通り来てくれましたね」と言って、にこりと微笑んだ。

 私は彼女に挨拶あいさつを返すとこう尋ねた。


「どうして鍋なんか持ってきたの?」

「それは、もしオークショニアさんに顔を忘れられていたら、鍋が待ち合わせの目印めじるしになるかと思って」

「えっ?」


 私は彼女の顔を忘れてはいなかった。だが、もし仮に忘れていたとしても、こんな森の中でメイド服を着た妖精の少女を見つけたら、待ち合わせの相手だとすぐにわかるだろう。

 鍋を目印にする必要なんてない気がしたが……まあ特に何も言わなかった。

 少女が私に質問してきた。


「オークショニアさん。これって、ハンマー術の修行で制作した鍋ですよね? あと、五枚一組のお皿も」

「うん。オークションで両方落札してくれたよね。ありがとう」

「いえいえ。実はですね、わたしと同じ歳くらいの子どもがハンマー術でどれくらいの鍋や皿を作れるものなのか、手元に置いてよく観察しておきたくて。それで落札したんですよ。もちろん下見会で目にして、鍋もお皿も気に入ったからってのもあるんですけどね」


 少女はそれから「もう穴がくんじゃないかってくらい、この鍋を観察しました。もちろん穴は空いていませんけど」と言って、私に鍋の底を向けた。

 私は微笑むと、彼女に尋ねた。


「ねえ。もしかして、ハンマー術に興味があるの?」


 少女はこくりとうなずくと、その質問を待っていましたとばかりに両目を輝かせながら答えた。


「はい! 実は、わたしもハンマー術の修行をしているんです。独学なんですけどね!」

「えっ、独学で?」

「そうなんです! ハンマー術を教えてくれる妖精が私の周りにはいないんですよ!」


 それを聞いて私は、さらに彼女に尋ねた。


「もしかして、今日の相談ってハンマー術のこと?」


 少女は「うーん……」と小さくうなってから言った。


「それもあります。けど、本題は――」


 彼女は自身の頭に手を伸ばし、白いフリルの付いたヘッドドレスを外した。続いて、肩に触れるくらいの長さの淡いピンク色の髪を引っ張る。

 すると――。


 ピンク色の髪はカツラだったようだ。頭からするりと脱げると、その下から黒髪が現れたのである。

 黒髪はカツラより短くて、彼女の耳がぎりぎり隠れる程度の長さだ。ボーイッシュな髪型だった。


 そして少女は、黒くんだ瞳で私のことをまっすぐに見つめながら言った。


「あの……オークショニアさん。もしかするとわたし、妖精じゃなくて人間かもしれないんです」


 突然の告白に私は驚き、まばたきを繰り返した。

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