002 魔法使いのお姉さんの下着の色

「たぶん今日も、魔法使いのお姉さんがパンを買いにくると思うんだよ」


 事件が起こる前――。

 マルクがそう言って、パン屋の前で両目を輝かせていたことを思い出す。

 彼は私よりひとつ年上の11歳の少年だった。

 中肉中背で、髪はどこか涼しげな銀色。瞳は青く、よく晴れた冬の日の空みたいな色だった。


 マルクの見た目の印象を動物にたとえるなら?

 子どものころの彼は、クールな猫みたいな感じだ。それも全身が灰色一色の猫。私はずっとそう思っていた。


 けれど、それはあくまでもの印象である。

 口さえ開かなければ周囲にクールな印象を与えるマルクだけれど、私の周りにいた子どもたちの中では、とにかく一番よくしゃべる活発な性格の少年だった。


 そんなマルクの初恋を奪ったのは?

 兵士たちといっしょに町にやってきた『魔法使いのお姉さん』だった。

『勇者誕生の予言』を口にした大魔導師の弟子の弟子らしい。孫弟子というやつである。


 都会からやって来た魔法使いのお姉さんは、私たちが暮らす地味な町には、少々まぶしすぎるくらいの美女だった。

 実際、彼女が来てからずいぶん長い間、町の多くの男たちが――少年からじいさんまで――落ち着きを失っていた気がする。


 もし、このときの町の男たちのそわそわした気持ちを、すべて拾い集めて川に流すことができたなら? 川の下流にある別の町で暮らす男たちまで、数百人単位でそわそわさせられたのではないだろうか。

 そのくらい、町の男たちのそわそわは次から次へと伝染病のごとき広がりを見せていたのだった。


 そんなふうに男たちをそわそわさせていたお姉さんの年齢なのだけど……実は誰も知らなかった。

 見た目から20歳くらいなのではないかと、みんなは噂していた。


 お姉さんは、いかにも魔法使いらしいイメージの黒い衣装を着ていることが多かった。外出するときはいつも黒いとんがり帽子をかぶっていた。

 髪は茶色でボリュームのあるロングヘアー。

 胸はとても大きい。深いスリットの入ったスカートをいつもセクシーに穿いていた。


 私たちの町で、ふとももまでざっくり見えるような深いスリット入りのスカートを穿いている女性は、それまで一人もいなかったと思う。

 だから、魔法使いのお姉さんのふとももは、『歩くたびに揺れる彼女の豊かなバスト』と共に、町の男たちの視線を集めまくっていた。


 パン屋の前で、お姉さんのそういった魅力をマルクが熱く語っていると、私の隣にいたパブロがつぶやくように静かに言った。


「んっ……。マルクの言った通りだ。魔法使いのお姉さんがやって来た」


 パブロもマルクと同じ11歳だった。

 二人とも私よりひとつ年上のお兄さんなのである。


 パブロの髪は赤色で、そういう髪質のせいなのかいつもボサボサ頭だった。

 肌はやや色黒で、瞳の色はグリーン。

 身体を鍛えるのを日課にしている細マッチョで、背が高かった。


 パブロには妹が一人いて、兄妹きょうだいで町の古びた道場に通い、大陸東部発祥の古い格闘術を習っていた。素手すでかわらなんかを割ったり、りで木の棒を真っ二つに折るようなタイプの格闘術だ。


 性格は、おしゃべりなマルクとは対照的に寡黙かもくだった。

 パブロの見た目の印象を動物にたとえるなら?

 ……いや、動物よりも植物にたとえた方が適切だろう。

 赤髪の印象もあってか、紅葉こうようで真っ赤に染まった秋の樹木じゅもくみたいな少年だった。


 パブロは普段、口を開かないことが多い。けれど、たまに広葉樹こうようじゅが風にわさわさと吹かれたときみたいに、静かに何かをしゃべった。


 私たち三人は、よくいっしょに遊んでいた。

 本当はアニキもいれば四人でもっと楽しく過ごせたのだけど、天才少年剣士として将来を期待されている彼は、剣の稽古けいこで本当に忙しかった。

 だからその日、アニキはいっしょにいなかったのだ。


 魔法使いのお姉さんは、どこか気だるげな面持おももちで私たちの前を通り過ぎて行くと、店の入り口へと向かった。

 町で見かける彼女は、いつもどこか機嫌が悪そうだった。

 マルクに言わせれば、そういうところも彼女の魅力のひとつらしかった。


 そんなお姉さんがパン屋の扉を開けようと立ち止まったときだった。

 強い風が吹いたのである。


「んっ?」


 と、彼女は小さく声を漏らした。

 強い風が、スカートをめくりあげたからだ。


 全身をいつも黒い衣装で包んでいた魔法使いのお姉さん。

 彼女の下着の色は白だった。


 パンツは白なんだ……。


 その場にいたマルクやパブロも、たぶんそう思ったことだろう。下着も黒いものを身につけているものだと、私は勝手に思い込んでいた。


 風が作り上げた刺激的な光景は、ウブな三人の少年を黙らせるには充分過ぎる光景だった。

 私たちは誰も声を出さなかった。


 マルクなんて、たとえば大人から「うるさい。黙れ」と何度も何度も注意されてようやく黙るような、おしゃべりな少年だった。

 けれど、顔を赤くして一言も発せずに硬直していた。


 パブロの方は、お姉さんの下着を目にした後、自身の左胸に手を当てると黙ったままそっと顔をそむけた。

 赤髪を小刻みに震わせながら、罪悪感で胸が苦しいといった様子だった。

 おそらく、日頃の筋トレで鍛え上げた胸筋きょうきんをピクピクさせていたことだろう。


 私はというと、手にした木槌で心臓のあたりを一定のリズムでトントンと叩きながら、乱れた脈拍みゃくはくを落ち着かせようと努力していた。

『ハンマー術』の中には、人間の脈拍を落ち着かせる胸の叩き方というものがあるのだ。

 けれど、このときの私はまだその技術を身につけていなかったので、この行動はまったく無意味だった。


 魔法使いのお姉さんは首をほんの小さくかしげた後、スカートを手で押さえ周囲をさっと見渡した。

 彼女はすぐに私たち三人の存在に気がついた。そして、やや高圧的な態度で話しかけてきたのである。


「やっべ。おい、ガキども! 今、アタシの下着、見えたか?」


 私たち三人は同時に、ぶんぶんと首を横に振った。事前に打ち合わせをしていたわけでもないのにだ。


「そっか。なら、よかった」


 そう言うとお姉さんは、気だるそうに首の後ろをポリポリ掻くと、パン屋に入らず私たちの方に向かってきた。


「いやー、ガキども、疑って悪かったな。ちょっとだけ言い訳させてもらうとさ、アタシ、魔法の研究が忙しくて徹夜てつや続きでぼーっとしてたんだよ。今、風でスカートがめくれた気がしたんだけど……まあ、気のせいだったかな」


 嘘をついていた私は、お姉さんの顔をまっすぐ見ることができなかった。

 たぶん、他の二人も私と同じような気持ちだったと思う。


 魔法使いのお姉さんが、笑いながら言った。


「ふふっ。まあ、これをやるから許せよな、お前たち」


 私たちに飴玉あめだまをひとつずつ手渡してくれたのである。

 いつも機嫌が悪そうなお姉さんでも笑うことがあるんだ……と、私は少しだけ驚いた。


 私たちはお姉さんにお礼を言うと、飴玉をすぐに口の中に放り込んだ。

 いちごミルク味だったのを覚えている。甘い味は罪悪感といっしょになって口の中いっぱいに広がっていった。


 パンツも見せてくれるし、飴玉もくれる。

 当時の私は、魔法使いのお姉さんに対する罪悪感で、とても申し訳ない気持ちになったものだ。

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