003 町のパン屋の一人娘のしましまパンツ

 お姉さんはそれから、飴玉を舐めている私たちに向かって愚痴ぐちをこぼしはじめた。


「アタシさあ、仕事の関係で最近この町に引っ越して来たんだ。けれど、一部の人たちからはあまり歓迎されていないみたいでさ――」


 彼女は、男たちからは熱烈に歓迎されていた。

 その逆に、女たちからはあまり歓迎されていなかったのかもしれない。


「アタシの黒ずくめの魔法使いの服装も、印象がよくないみたいだね。全身真っ黒な服を着て町を歩いているから気持ち悪いのかな? まあだからってアタシ、この格好をやめる気はないんだけどさ」


 私は彼女の容姿をあらためて眺めてみた。

 すごくざっくり言えば、顔が綺麗で、肌も綺麗で、背が高くて、胸が大きくて、足が長くて、ただ普通にそこに立っているだけなのに、どこかほんのりとエロい――。

 仮に私が女に生まれ変わることがあるとしたら、こんな美女になりたいものだと素直に思った。


 まあ、女性たちの中には、お姉さんの容姿と自分の容姿とを比較して、ちょっと嫌になっちゃう人がいてもおかしくない話だ。

 黒ずくめの魔法使いの服を着ていようが着ていまいが、お姉さんは嫉妬しっとの対象になっていたことだろう。


「でもアタシさ、服装以外のところでは、出来るだけ悪目立わるめだちしないよう大人しく過ごそうって考えているんだよ」


 私たちにそう打ち明けると、お姉さんはため息をついた。


「はあー。それなのに、町でアタシが下着をガキどもに見せていたなんて噂になったら……やばいだろ?」


 さすがにそこまでは考え過ぎではないか、と私は思った。

 お姉さんも、見ず知らずの子どもに愚痴をこぼすくらいだ。新しい土地での生活で、とにかく色々と悩んでいたのだろう。

 町での慣れない新生活でそれなりに追い込まれ、神経質になっていたのだと思われる。


 穏やかで平和な町ではあった。

 それでも、都会からやってきた余所者よそものに対して、町の人たちすべてが優しく接していたわけでもなかった。


「アタシのこと痴女ちじょじゃないかって、噂している人までいるんだよな。こんなときに変な噂が重なったら本当に困るよ」

「あの……」


 口を開いたのは、マルクだった。

 私たちはそれまで誰も、お姉さんに向かってまともに声を発していなかった。

 けれどついにマルクが、次のような質問をしたのだ。


「お姉さん、『ちじょ』ってなんですか? 空の反対?」

「いや、そりゃ地上だろ」

「ですよね」

「地上じゃなくて、痴女。みだらな……エッチな女の人のことだよ。ものすごくざっくり言えばね」


 あこがれの女性との記念すべき最初の会話。

 マルクにとって、初恋の相手であるお姉さんとのはじめての会話の中身は『痴女』についてのマヌケなやりとりだった。


「ちなみに、アタシは痴女じゃないよ。アタシさあ、見た目は軽そうな女に見えるかもしれないけど、そういうところはけっこう真面目なんだ」


 マルクがさらに質問した。


「そういうところって?」

「んっ?」

「お姉さん、そういうところが真面目って、どういうところですか?」

「だ、だから……そのぉ、エッチ方面のこととか、そういうところだよ」

「お、お姉さんは、エッチに真面目ってことですか!?」

「はあ!? えっ!? い、いや、そういうふうに言い直されるとなんか違うような……」


 お姉さんはやや顔を赤らめながらそう答えた。

 照れた表情は、お姉さんのそれまでの高圧的な態度とのギャップもあってか、とても可愛らしく思えた。


 もしマルクがお姉さんのそんな表情を引き出すために、わざと質問をしたのだとしたら?

 そりゃあ、なかなかの策士さくしである。


 マルクは勉強をあまりしない少年だったので、一部の分野の知識がすっぽり抜け落ちていることも多かったのだけど、頭の回転自体は町の子どもたちの中ではトップクラスだった。私は個人的にそう思っている。

 だから、この銀髪の猫みたいな少年は、ときどき策を練って大人を翻弄ほんろうすることがあった。


 まあ、今思うと、マルクはこのときお姉さんを翻弄しようなんてことは考えておらず、疑問に思ったことを素直に口にしただけかもしれない。

 ただ、普通の子どもなら、自分の好きな異性とのはじめての会話で『エッチに真面目かどうか』なんてことは、まず質問しないだろう。

 マルクは頭の回転がいいと周囲に思わせることも多かったけれど、恋愛面ではバカだなと思わせることも多かった。


 魔法使いのお姉さんは、慌てた様子で首を横に振りながら言った。


「まった、まった。この話はここまでだよ。エッチに真面目だとか……もう、なんだかおかしな方向に話が転がりそうだからさ……」


 続いて彼女は、自分自身に言い聞かせるかのように小声でつぶやいた。


「まったく、アタシはガキ相手に何の話をしているんだ……」


 お姉さんは、「じゃあな」と私たちに手を振ると、顔をちょっとだけ赤らめたままパン屋の中に消えていった。


 そんなわけで――。マルクの初恋相手は、新生活に少し疲れた感じの大人の女性だった。

 マルクがこの先の人生で、基本的にはずっと年上のお姉さんばかりを恋愛対象にしていったのも、彼女がそもそもの原因なのだと思う。


 そして、町で彼女に初恋を奪われたのは、なにもマルクひとりだけではなかった。

 多くの少年たちが、都会からやってきた美人でセクシーな魔法使いに、初恋を奪われていたのだ。


 黒ずくめの衣装を身につけ都会からやってきた素敵なお姉さん。彼女は、町の少年たちにとっては『初恋泥棒』だった。

 まあ、彼女本人にその自覚はなかっただろうけど……。


 正確な統計をとったわけではないのだが、私と同年代の町の男たちにはなんとなく『年上のお姉さん好き』が多い。

 それはやはり彼女が原因なのだと考えられている。


 お姉さんがパン屋の中に消えると、マルクがぽつりとつぶやいた。


「お姉さん、パンツは黒じゃなくて白だったな……」


 私もパブロも、マルクの言葉には反応せず、黙ったままだった。

 マルクとしてはきっと、お姉さんのパンツの話題を少し広げたかったのだろう。けれど、私もパブロもその話題からは逃げた。

 だって恥ずかしいじゃないか……。


 それが気に食わなかったのか、マルクはパブロに向かってこう言った。


「ま……まあ、フランソワーズのパンツなら、俺は今週二回は見たけどな。あいつ、しましまのパンツをいつも穿いてるよな。青と白とか、ピンクと白とか」


 一瞬でパブロの機嫌が悪くなった。彼は眉間にシワを寄せながら、赤髪をポリポリと掻いた。

 いくらなんでもこれはマルクが悪いだろう。

 パブロがパン屋の一人娘であるフランソワーズに恋をしていることを知っていて、からかったのだから。


 パブロの初恋の相手であるフランソワーズは、彼と同い年の11歳だった。マルクとも同い年で、私よりもひとつ年上ということになる。

 ふわりとした茶色い髪が印象的な小柄な少女だ。


 彼女の父親が経営するパン屋のクロワッサンは、他の店のものよりも焼き色がしっかりとついていたのだが、フランソワーズの髪はちょうどその焼き色のしっかりついたクロワッサンみたいな色だった。


 学校の昼休みなんかにフランソワーズは、いつも大量のパンをおいしそうに食べてニコニコと幸せそうに微笑んでいた。

 彼女は昼休みだけでなく、放課後もパンを食べていたし、町中でみかけたときも、よくパンを食べていた。

 学校の写生大会でも、他の子どもたちが風景を描いているなか、彼女は家から持ってきたパンを丁寧に写生して、その後おいしそうに食べていた。


 とにかくパンを愛している女の子で、毎日のようにすごい量のパンを食べていた。

 けれど、身体は小柄でほっそりとしていたから、『フランソワーズの胃袋』は子どもたちが決めた『町の七不思議』のひとつに選ばれたほどだった。


 そんなパン屋の一人娘なのだけど、運動神経がものすごく悪かった。

 彼女は行動にかなり鈍くさいところがあって、学校でよく転んでは意図せずスカートの中を、ものすごく豪快に披露してくれた。それも、けっこう頻繁ひんぱんにだ。

 マルクもそんな感じで、彼女のしましまパンツを見たのだろう。私だって、何度も見た。


 よくパンチラ・パンモロをしてくれるせいなのかは知らないが、フランソワーズは町の少年たちの間でも地味に人気のある女の子だった。

 どちらかといえば、物静かな男の子たちが彼女に恋をした。


 パブロの恋のライバルは、それなりに多かったと思う。

 だけど、私の友人の赤髪の細マッチョ少年は、誰にも負けなかった。


 パブロは昔から、「フランソワーズのことが好きだ」と私たちの前で公言していた。

 あまり自己主張をしないタイプのパブロが、自分の恋愛に関しては包み隠さず公表したので、アニキもマルクも、そして私も当然ものすごく驚いたものだ。


 とても幸運なことに私たち四人は、女性の好みに関しては昔から、それぞれが東西南北に視線を向けているかのごとく、全員まったくみ合わなかった。

 マルクはパン屋の娘のことは好みじゃなかったし、アニキは絶対に教えてくれないのだけど、昔から心に決めた人がいるようだった。


 私はというと、フランソワーズのことは人間として嫌いではなかったが、恋の相手という感じでもなかった。

 そもそも10歳のころの私は、まだ一度も恋をしたことがなかった。

 女性の身体に興味を持ちはじめていたけれど、だからといって特定の女の子に夢中になることもなく、父親からもらった木槌きづちで、町のでっぱりなんかを叩くことに夢中だった。

 とにかくパブロのライバルとなる人間は、私たちの中には一人もいなかったのである。


 私たちはパブロの恋を応援するという雰囲気でもなかったが、それほど邪魔もしなかった。

 学校や町中で、チャンスを見つけては積極的にフランソワーズに声をかけにいくパブロの後ろ姿を目にするたびに、私もマルクもニヤニヤと笑ったものだ。

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