009 屋敷と庭と妖精の少年

 森が目の前から消えた。

 それが私が最初に抱いた感想だった。


 美しい青空の下。目の前に突然、ひらけた土地が現れたのである。

 周囲を取り囲んでいた背の高い木々たちが消え、私たちが通り抜けてきた門のような二本の木も消えていた。

 代わりに、広い庭と大きなお屋敷が出現していたのだ。


 屋敷は大陸の西側の文化を基礎にして建てられたもののように思えた。

 木造ではなく、赤茶色のレンガ造りの美しい建物だった。私たちの町にある教会なんかよりも、もっとずっと大きくて、一目見てお金持ちの屋敷だとわかる豪華なものだった。


 屋敷と庭は、周囲をレンガのへいで囲まれていた。

 敷地の出入り口には、豪華な装飾が施された金属製の門扉もんぴがあった。門扉は柵状さくじょうだったので、その向こうに広大な庭が広がっているのがよく見えた。

 庭師にわしと思われる二人組がいたのだけど、花の手入れなんかを終えた直後だったようで、屋敷の方に引き上げて行った。私たちの存在には気がつかなかったみたいだ。


「毎年、夏になるとこのお屋敷で、わたしの家族は過ごしているんですよ」


 豪華な門扉の前で、妖精の少女が微笑んでそう言った。

 マルクが質問した。


「んっ? 一年中ここに住んでいるわけじゃないの?」

「はい。夏の間だけです。わたしたち妖精は、普段はもっと南の方に住んでいます。南部の夏は、もっと暑いですよ。この屋敷は、わたしたち家族の避暑地ひしょちですね」


 私たちはずっと勘違いしていたのだ。町の近隣の森には『妖精の国』があって、たくさんの妖精たちが暮らしていると――。

 勝手にそう思い込んでいた。けれど、どうやらこの森は妖精の避暑地にすぎなかったようである。

 夏の間のみ、ごく少数の妖精たちが過ごしているだけだった。


 妖精さんと私たちがそんなやりとりをしていると、庭につながる門扉が開いた。


「リザか? お前、どうしたんだよ。屋敷の人間が何人か、朝からお前がいないと騒いでいたぞ。今度はいったい何をしでかしたんだ?」


 そう言いながら現れたのは、妖精の少年だった。

 妖精の見た目と年齢の関係については当然よくわからなかったけれど、仮に相手が人間の男だったとしたら12~13歳くらいの印象だ。だから私は、第一印象で彼を少年だと思った。


 妖精の少年もリザと同じく髪が淡いピンク色で、育ちが良さそうだった。着ている緑色の衣服も、身にまとっている雰囲気も、どことなく上品な気がした。

 そんな彼だけど、細身の剣を腰に下げていた。

 だから私たちは警戒けいかいして、少しピリピリした雰囲気を漂わせていたと思う。


 パブロは妹と手をつなぎ、少し後ずさりした。

 私は首に下げていたハンマーを右手で握りしめ、いつでも戦闘できるよう準備しておくと、左手ではジュリーの小さな手をしっかりと握った。


 警戒しているのは何も私たちだけではなかった。妖精の少年も同じだ。

 腰の剣に手を伸ばしながら彼はこう言った。


「それで、リザ。いっしょにいるそいつらは、なんだ?」


 妖精の少女が答えた。


「サンドロ、この方たちは近隣の町の人間さんたちです」

「人間だと? お前、どうしてそんな奴らといっしょにいるんだ? おどされたり、何か弱みでも握られているのか?」

「いえ。この方たちは、森でわたしに優しくしてくださった人たちでして」

「森で? やはり、屋敷を抜け出して森に行っていたのか?」


 サンドロと呼ばれた妖精の少年は、リザの手をつかんだ。そして彼女を強引に自分の方に引き寄せたのだ。


「リザ。人間どもから離れて、さっさとこっちに来るんだ。お前はそいつらにだまされているんだよ。人間に騙された妖精の少女が最後にどうなるか、お前も昔話は知っているだろ?」


 それから妖精の少年は、私たちをにらみつけて言った。


「その昔、妖精の少女は人間の男と駆け落ちし、妖精の国ではなく人間の国で暮らした。けれど彼女は人間たちから迫害はくがいされ、不幸な目にあって死んだんだ。俺はリザを、そんな目にあわせるわけにはいかない」


 サンドロの背後で、妖精の少女がつぶやいた。


「サンドロ。それは真実なのでしょうか? 妖精の中に、その結末を本当に見届けたものはいないとも言われています。人間さんについての昔話をいくつか調べてみると、悪い結末ばかりでもありませんよ」

「リザ、お前は人間に興味を持ちすぎなんだ。昔から夏になると、たびたび一人で森の中に遊びに行っていたみたいだが、人間と交流していたのか? 俺とお前は許嫁いいなずけなんだぞ? いくら俺と仲が悪いからといって、まさか人間の男と駆け落ちすることをたくらんでいたのではないだろうな?」


 その問いにリザは、黙ったまま何も答えなかった。

 サンドロは小さくため息をつくと、再び私たちに向かって言った。


「人間ども、お前たちは今すぐ自分たちの世界に帰ってくれないか」


 彼は腰の剣を静かに抜いて、私たちに向けた。ギラギラと銀色の剣を輝かせてこちらを脅してきたわけだ。

 けれど、帰れと言われたところで、私たちだって帰り方がわからない。

 ここには不思議な方法で連れて来られ、帰り方は教えてもらっていなかった。あの門みたいな二本の木も消えていた。


 そんな私たちの思いを、マルクが言葉に出してくれた。


「いやいや、妖精のお兄さんよぉ。俺たちは帰り方がわからねえんだよ。なんだか不思議な方法でここまで来たわけだしな。それに帰れと言われても、こっちにも目的があるんだ。簡単には帰れねえな」

「ああ? お前たちの目的など、知ったことかっ!」


 サンドロがそう大声をあげたときだった。

 彼の背後にいたリザが突然、魔法を詠唱えいしょうしだしたのだ。


「『ト・ウサン・ガ・ミニス・カート・ヲ・ハイテル』っ!」


 魔法が発動した瞬間――。

 妖精の少年は、身体から紫色の煙のようなものを出し、「ううううぅぅ……」と唸り声をあげて苦しみはじめた。

 マルクがリザに尋ねた。


「い、いったい何をしたんだ?」

「このままでは危険と判断し、サンドロに魔法を使いました。『思春期の子どもをいちじるしく戸惑わせて動きを止める魔法』です」

「なんだよ、その魔法……?」


 銀髪の少年がそうつぶやくと、リザは説明を続けた。


「この魔法は、ある程度年齢を重ねた大人には効果がありません。ですが、たとえばサンドロのように、融通ゆうづうのきかない性格で、怒りっぽくて、10歳までおねしょをしていて、そのうえ足が臭くて、お気に入りのヌイグルミがそばにないと眠れないことを周囲のみんなには絶対に秘密にしておいてくれと許嫁であるわたしに頼み込むような子どもには、絶大な効果を発揮します」


 マルクが顔をひきつらせた。


「あ、あんた……なにげに重大な秘密を漏らしているけど大丈夫か? それにしても、どうしてこんな魔法覚えたのさ?」


 妖精の少女は、微笑みを浮かべて答えた。


「サンドロ対策です。わたしたち、許嫁同士なんですけど昔からとても仲が悪くて……。以前、むしゃくしゃしたときに、お風呂上がりのサンドロにこの魔法をかけてやったときは……うぷぷっ。この人、戸惑いながら裸でお屋敷の中をゆらゆらと歩きまわって、それはそれは傑作けっさくでした」

「お、おう……」


 と、マルクが声を漏らすと、彼女は言った。


「さあ、こんなバカな人のことは放っておいて、みなさんはこちらへ」


 リザが私たちを屋敷の敷地内へと導こうとしたときだった。

 サンドロが、大きな唸り声をあげた。


「ぬううぅぅっ!」


 妖精の少年は、背中から羽を出して空へ飛び上がると、銀色の剣を私たちに向けた。

 上空から今にも突撃してきそうな様子だったのである。完全に正気を失っているように見えた。

 アニキは素早く腰の剣を抜くと言った。


「ねえ。ボクたち、なんだかとっても厄介やっかいな状況に巻き込まれていないかな?」


 アニキを先頭に私たちは、上空にいる妖精の少年に対して戦闘態勢せんとうたいせいをとったのである。

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