第2章 森で出会った妖精さん

007 第2章 森で出会った妖精さん

 アニキは私たちに状況を説明してくれた。


「今朝はボク、ずいぶんと早く目が覚めてしまったんだよ。友達と集まって何かをするってことが久しぶり過ぎて、本当に楽しみでね」


 少年剣士は両目を細めて微笑むと話の先を続ける。


「すごくワクワクして、家を早く出過ぎてしまって。集合場所にとても早く到着したものだから、一足早く森に入ってみたんだよ。みんなが来る前に少しでも下見をしておこうと思って」


 アニキはそう言うと、少女に視線を送った。


「そしたらボク、森の木の下で彼女がうずくまっているのを見つけてさ。色々と話してみたら妖精さんだったんだ」


 妖精さんと呼ばれた少女は、緑色の帽子を脱いだ。腰まで伸びた淡いピンク色の髪が揺れる。

 彼女は脱いだ帽子を両手できゅっと握りしめると、緊張した様子で口を開いた。


「そ、その……わたし……実は母親とケンカをしてしまいまして……。それでイライラして昨夜は一睡いっすいもできなくて。早朝に一人でそっと屋敷やしきを抜け出したんです」


『家』ではなく『屋敷』を抜け出してきたという部分が少し気になったけれど――お金持ちの妖精なのだろうか――私は黙ったまま話の続きを待った。

 他のみんなも何も言わずに少女の話に耳をかたむけていた。


「それと……わたし昔から、人間さんたちの暮らしをこの目で一度見てみたいという思いがありまして。そんな気持ちと、母親から逃げたいという気持ちとが合わさって、暴走しちゃったっていいますか……。思い切って森の外に行ってみようかなあって……。それで、早朝の森を一人で歩いていたんです」


 そこまで言うと少女は、なにやら恥ずかしげな様子で両足をもじもじと動かしてこう続けた。


「……でも、ここまで来て、いざ森から出ようとしたら怖くなって。直前で足が震えちゃって……。人間の町に一人で行くのはやっぱり怖いし……母親の元に戻るのも怖い。もしかしたら、屋敷では大騒ぎになっているかもしれないから……」


 妖精の少女は「はあ……」と小さくため息をつくと、再び口を開いた。


「――だからわたし、森の外に行く勇気も屋敷に帰る勇気も持てなくて……木の下でうずくまっていたんです。そうしたら、こちらのかたから優しく声をかけていただいて」


 妖精の少女が、アニキの方を向いた。

 少女と目が合うと、アニキはこんな提案をした。


「ねえ、妖精さん。とりあえず、朝ごはんを食べませんか?」

「えっ?」

「ボクが昼食用に持ってきた食べ物を差し上げます。それを朝ごはんにするといいですよ。早朝に屋敷から抜け出してきたのなら、きっと食べていないんですよね?」


 妖精の少女は遠慮えんりょして首を横に振った。

 しかし、抜群ばつぐんとも言えるタイミングで彼女のお腹が「ぐー」と悲鳴をあげる。


 少女は「うっ……」と恥ずかしそうに両頬を染めた。

 すかさずマルクが「妖精の腹の音なんてはじめて聞いたぜ」と余計な一言を口にした。そのせいで、妖精さんはさらに顔を赤くした。


 アニキは自分の荷物から、いくつか食べ物を取り出して少女に見せた。


「ボクが自分で用意したものなので、たいした食べ物はありませんよ。それに人間の食べ物が妖精さんのお口に合うかはわかりません。おいしくなかったら遠慮なく残してくれていいですからね」


 妖精さんは「ありがとうございます……」と言って、ビスケットを一枚だけ選んだ。


「ああ、そのビスケットには、ジャムをったほうがいいですよ」


 アニキはそう言いながら、瓶入びんいりの赤色のジャムを取り出して、スプーンでたっぷりと塗った――というよりは、こんもりとビスケットの上にった。

 アニキはものすごく甘党あまとうで、ジャムをジャムだけで一瓶バクバク食べちゃうような人だった。


「うーん……妖精さん、ビスケット一枚にジャムだけでは元気が出ないかも。これなんかどうですか? おいしいですよ」


 妖精さんがジャム山盛りのビスケットを食べ終えると、アニキは別の食べ物を差し出した。

 妖精さんは、はじめて目にする食べ物だったようだ。


「その、つるんとした木炭もくたんみたいなものは、食べ物なんですか?」

羊羹ようかんです。妖精の国にはありませんか?」

「あるのかもしれませんが、少なくともわたしは見たことがないです。そのぉ……わたし、妖精の中でも世間知らずな方だと思いますので……」


 少女がそう答えると、アニキはナイフを取り出して羊羹を切り分けはじめた。


「ボクの家族は全員これが大好きでしてね、登山するときや遠出とおでして修行するときに、みんな最低でも一本は持っていくんですよ。おいしいですよ。これほどの羊羹を売ってくれる店がボクたちの町にあるという奇跡に感謝するくらいに」


 そして、切り分けた羊羹を一切れ少女に差し出した。


「おいしいですね! すごく!」

「ふふっ、もう一切れどうぞ」


 妖精さんは続けて羊羹を食べた。

 アニキは途中で水筒すいとうのお茶も差し出した。最終的に妖精さんは羊羹を三切れ食べた。


 残った羊羹を、アニキは私たちの人数分切り分けて配った。

 妖精さんはその光景を目にして、また顔を赤くした。


「ご、ごめんなさい。わたし一人で、食べすぎてしまったみたいで……」

「気にしないでください。あと、二本ありますから」


 そう言ってアニキが微笑むと、マルクがぼそっと「アニキ……羊羹を三本も持ってきたんですか……」と、つぶやいた。


「それにしても、羊羹という食べ物は本当においしいですね」


 妖精さんがそう口にすると、ずっと黙っていたパブロがついに口を開いた。


「妖精さん。町にはおいしいパン屋もある」


 妖精さんは声のした方に顔を向けると、「んっ?」と首をかしげた。

 パブロはフランソワーズを愛するあまり、フランソワーズの父親のパンのおいしさをどうしても妖精に伝えておきたかったのだろう。けれど、しゃべりが下手すぎるのだ。


 赤髪の少年は、知らない人がいると普段以上に無口になる傾向があり、たまにしゃべったと思ったら、いつもそんな感じだった。

 パブロの背後に隠れていた赤髪の少女が、ぴょこんと顔を出して会話に参加する。


「ま、マリーアも、町にはおいしいパン屋があると思います! お兄ちゃんの言う通りだと思います!」


 妹は兄の援護えんごをしたわけだ。

 妖精さんにとっては、何のことやらという感じだっただろう。

 赤髪のきょうだいは、二人そろってコミュニケーション能力が低かった。


 続いて、私と手をつないでいたおかっぱ頭の5歳児・ジュリーが失礼なことを口にした。


「妖精さん、羊羹おいしかったか? じゃあ、代わりに妖精さんも、人間さんになにかおいしい食べ物をよこせ」


 私はあわてて妖精さんに謝ると、普段よりも少しキツめの声色で、おかっぱ頭の少女に言った。


「お嬢、そういうことを要求したら駄目だよ。そもそも、妖精さんに食べ物をあげたのはアニキだよね。お嬢じゃないんだよ?」

「そうか」


 ジュリーは私と妖精さんに、ぺこりぺこりと頭を下げた。


「妖精さん、すまん。兄様にいさまも、すまん。今のわがままで、わたしのことを嫌いにならないでもらえると、わたしはとても助かる。わたしはまだ5歳だからな、色々とわがままなんだ」

「大丈夫。お嬢のこと、嫌いになんかならないよ」


 すぐに私がそう答えると、ジュリーは妖精さんに顔を向けて、彼女をじーっと見つめた。

 妖精さんは「あははっ……」と苦笑いを浮かべた後、ジュリーに言った。


「わ、わたしも嫌いになりませんよ」

「サンキュー。わたしは助かった」


 ジュリーはそう言うと、おかっぱ頭をポリポリと掻き、少しだけ落ち込んだような様子を見せた。

 すると妖精さんがジュリーのそばまでやって来て、おかっぱ頭をそっとでてくれた。


 そんなふうにして私たちと妖精さんは、はじめて接触したわけだけど、このとき実は――。

 私は妖精というものを木槌きづちで叩いてみたいと思っていた。

 もちろん、絶対にケガをさせないようやさしく丁寧に叩くのだ。軽くペチペチと感触を確かめてみたいと考えていた。


 少年時代の私だが、『生卵なまたまごからを割らないで叩く修行』はすでに終えていた。

 こちらに向かって投げられた生卵を、割らずにハンマーで打ち返す技があるのだ。

 だから、身につけたハンマー術を使って、少女にダメージをまったく与えることなく木槌で叩くことは可能だった。


 妖精も人間と同じような感触なのだろうか?


 子どものころの私は、叩いたことのないものはとにかくなんでも一度は叩いてみたいと思っていた。

『人類の歴史の中で、木槌でいちばん多くのものを叩いた人間』になりたかったからだ。

 妖精の身体を木槌で叩いてみて、感触を確かめたくて仕方がなかったのである。


 もちろん、実際に彼女を叩くようなことはなかった。

 それをやったら確実に、『クレイジーなやつ』になってしまうと私は自制した。

 さすがにそこまで私の心はこわれていなかったのだ。

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