006 【第1章 完】森の入り口にて

『町で起きたちょっとした事件』は、それで終わらない。

 むしろパン屋のステンドグラスが割れたのは、プロローグといった感じだった。


 翌日にパブロから聞いた話なのだけど――。

 あの日の夜、パブロの祖母はお金を握りしめてパン屋に向かったらしい。もちろん、割ったステンドグラスを弁償するためだ。


「うちのおばあちゃんが持っていったお金じゃ、まあ、弁償する金額には全然足りなかったと思うんだけど……」


 結局、フランソワーズの父親は、お金をまったく受け取らなかった。

 逆に店の売れ残りのパンを、パブロの祖母にたくさん持たせて帰らせたとのことだった。


 その話を聞いて、私もマルクもパン屋のおじさんを心から尊敬した。

 やはり、おじさんに対して少しでも何かをしたくなった。このまま何も出来ないで終わりというのはどうしても嫌だった。


 しかし、私たちにはお金もなければ、アイデアもなかった。

 それで私たち三人は、アニキに相談したのだ。


「――なるほどね。そういうことなら、ボクにひとつ考えがあるよ」


 青空の下で、金色の髪をそよ風になびかせながら、アニキはそう言った。

 私は黒髪なのだけど、アニキのその金髪に少しあこがれていた時期があった。

 別に自分の黒髪が嫌いというわけではなかったのだが、太陽の下で輝いているアニキの金髪はキラキラと並はずれて美しく、子どものころはちょっとだけうらやましく思っていた。


 そんな私たちのリーダーだが、町の近隣の川に一人でいた。

 川辺の大きめの石に腰かけていたのだ。


 修行の一部なのか、それとも趣味なのかはわからないけれど、ナイフ一本で木材を器用に削っていた。アニキは、猫の木彫りを作っている途中だった。

 手のひらに収まるくらいの小さなサイズの猫だ。二本の前足をぐっと前に出して『伸び』をしているポーズのようだった。

 木彫りの手を休めると、アニキはこんな提案をした。


「よし。ボクたちでオークションを開催してお金を集めようか」


 マルクが「えっ?」と声を漏らした。


「マルクくん、自分たちの力でお金を集めて、弁償べんしょうしたいんだよね?」

「ええ、まあ」

「じゃあ、やっぱりオークションがいいよ。ちょうど、ボクたちの仲間には、素敵なオークショニアがいるじゃないか」


 そう言うとアニキは、青い瞳で私の顔を見つめながら微笑んだ。

 彼のことをよく知らない人は、まさかこんなにもやわらかくチャーミングな微笑みを浮かべる少年が、大人顔負けの天才剣士だとは絶対に信じないだろう。


「ねえ、オギュっちくん。オークショニアをやってくれるよね? キミならきっとできるよ。ボクはそう思うな」


 アニキからそう言われて、私は黙ったままうなずいた。

 当時10歳の私は、オークショニアを務めたことなどもちろん一度もなかった。

 だけど……。森の奥の奥にある本当に澄み切った泉の水だけを集めてきゅっと小さく固めて宝石にしたような、アニキのあの青い瞳に見つめられながら「キミならきっとできるよ」なんてことを言われたら、誰だって不思議と妙な自信がわいてくるのではないだろうか。


 そもそも、自分は大人になったらオークショニアになるものだと信じていたし、そのためにハンマー術の修行を毎日していたのだ。

 だから『やれないことはない』と自分でも、心のどこかで思っていた。


 マルクが当然と思えるようなこんな質問をした。


「でも、アニキ。オークションで売って金になるようなものを、俺たちは何も持っていないですよ。売り物はどうするんですか?」

「うーん……確かにボクたちは、売って大金が手に入るようなものは持っていない。ただし、それは人間を相手にオークションをしたときだね」

「んっ? どういうことですか、アニキ」

「妖精ならどうだろうか? 妖精相手のオークションなら」

「えっ……妖精? 妖精って……アニキ、まさか……」


 マルクは川の上流にある森に視線を向けた。

 町に隣接する森。そこには、妖精が住んでいるという伝説があった。

 妖精たちは普段は人間と接触しない。けれど、町の子どもが本当に困っているときには力を貸してくれた。そんな伝説があったのだ。


 ただしそれは100年以上前にあったといわれる昔話だった。

 もはや町の誰も――子どもですら――本心では信じていなかったと思う。


「ボクは思うんだよ。人間がガラクタだと思い込んでいるものが、妖精たちにとっては、とても珍しく面白いものなのかもしれないって。ボクたちの持ち物でも売り物になるかもしれないよ?」

「でも、アニキ、あの森に妖精が住んでいるなんて、ホラ話なんじゃ……」


 マルクの言葉を聞くと、座っていたアニキが、がばっと立ち上がった。


「えっ!? そうなのっ!?」

「えっ?」

「えっ? いや……ボクはずっと信じていたんだけど……」

「……そ、そうスか。アニキ、なんかすんません」


 銀髪の少年が気まずそうな表情を浮かべると、アニキの方は微笑みを浮かべた。


「マルクくん。とにかく一度、オークションで売るものを持って森に行ってみようよ。それで、妖精に会えなければ、そのときはまた別の手を考えればいいさ」


 そう言われてマルクも、とりあえずアニキの提案を受け入れたのだった。


 私たち四人は、別の日の朝に集まって森へ向かうことにした。

 昼食のお弁当と妖精相手のオークションで売れると思うものをそれぞれ持ち寄ってだ。



   * * *



 朝からよく晴れた一日だった。

 けれど、青空とは対照的にマルクの表情はどんよりと曇っていた。

 いくつかある森の入口のひとつを集合場所にしていたのだけれど、アニキはまだ来ていなかった。

 銀髪の少年は眉間みけんにシワを寄せ、口をとがらせながら言った。


「どうして、予定にないチビっ子が来ているんだよ! それも二人もっ!?」


 パブロと私がそれぞれ5歳の女の子を集合場所に連れてきたからだ。

 パブロは妹と手をつないでいたし、私はハンマー術のお師匠様の娘と手をつないでいた。


「なあ、オギュっちが手をつないでいる子は、確かハンマー術の師匠の娘さんだろ? ジュリーちゃんだっけ?」


 銀髪の少年は、私の隣にいる少女を眺めながら顔をひきつらせた。

 ジュリーは、こげ茶色の髪をおかっぱ頭にしたとてもキュートな5歳の女の子だ。私はマルクに理由を説明した。


「ごめん。今朝、急にお師匠様の知り合いの人が亡くなったとかで……。お師匠様と奥さんは、お葬式だかのお手伝いで今日は忙しいって。夕方までジュリーの面倒を頼まれたんだ」


 おかっぱ頭の少女が、ペコリとお辞儀じぎをしながらマルクに言った。


「おくやみ申し上げます」

「いや……それは、パパやママと葬儀に参列したときに口にしてくれる? 俺は関係ないし、今、俺に向かって言う言葉じゃないよな」

「そうか。すまん、マルちゃん。とにかく今日は頼むぞ。こんなわたしの面倒を、兄様にいさまといっしょに見てくれ」

「こんなわたしって、どんなわたしだよ。俺、お前のことよく知らないぞ?」

「マルちゃん、わたしのことを教えてやろう。わたしは5歳だ。ここだけの話だが、この間まで4歳だった」

「だろうな。ただし、別に俺は、お前の年齢に興味なんてねえよ」

「興味持ってくれよ、マルちゃん」


 銀髪の少年は私の方を向いて、


「オギュっち、こいつなんなんだよ? なんで俺のこと、『マルちゃん』って親しげに呼ぶんだ?」


 と不満そうに言った。

 私が無言のまま苦笑いを浮かべると、ジュリーがマルクの服のすそを引っ張った。


「マルちゃん、マルちゃん。わたしは今日、いい子にしているぞ。父上も母上も、今日は忙しいのだ。わたしは朝から夕方まで、兄様の言うことをよく聞いて、いい子にして過ごすよう言われている」

「そうか」

「ちゃんといい子にしていると、わたしはご褒美に甘いものをもらえるんだ。3つくらい。たぶん、アメ玉と、アメ玉と、アメ玉だ」

「アメ玉・オンリーなんだな。もっといいものをほしいってパパやママに言わないのか?」


 マルクがそう尋ねると、ジュリーはおかっぱ頭をスイングさせながら急に私の方を向いた。


「よし! 兄様、早くハンマー術の修行をしよう」


 すぐにマルクが、「いや、俺との会話はどうしたのさ? 話の途中だったでしょうがっ!?」と声をあげた。

 けれど、ジュリーはマルクを無視して私と話を続けた。


「兄様、ハンマーで叩いて、この森の木を全部倒そう」


 相手にされなくなったマルクが、「……物騒ぶっそうなことを口にする5歳児だな」と、小声で言ったのだが、ジュリーはマルクを無視し続けた。

 私は彼女に言った。


「おじょう、なんでも叩いたら駄目なんだよ。それに木は、森の動物たちの家なんだ」

「動物たちの家……。そうか。兄様、森にはリスどもが住んでいるな」


 ジュリーは、森に向かって頭を下げた。


「森のリスども、家を叩いて倒そうとして、すまんかった」


 私たちの背後でマルクが、「リスにしか謝らねえのかよ。サルや鳥だって木の上で暮らしているのになっ!」と、今度は大きな声で言ったが、ジュリーは無視した。

 銀髪の少年は、「はあ……」と小さなため息をつくと、今度はパブロに尋ねた。


「それで、お前の方はどうして妹を連れてきたんだ? んっ?」

「オギュっちと同じ理由だ。おばあちゃんが、お葬式のお手伝いでな。自分が妹の面倒をみなくてはいけなくなった」


 赤髪の少年がそう答えると、妹は兄と同じ赤色の髪を揺らしながら「マリーアです」と自分の名前を口にして頭を下げた。

 マルクは苦笑いを浮かべながら言った。


「い、いや、さすがにマリーアの名前は知っているから……。俺たち、昔からもう数え切れないくらい何度も会っているだろ? いっしょに仲良く遊んだりもしたじゃないか。いまさら自己紹介しなくていいよ」

「マルクさん、さっきから怒ってる……。マリーア、こわいな」


 赤髪の少女は三つ編みのおさげを揺らしながら、兄の背中に隠れた。

 マルクは「はあ……」と、再びため息をついてから大声をあげた。


「中止だな! 中止だ、中止! こんなチビっ子たちを連れて、森の中に入れるかよっ!」


 続いて彼は眉間にシワを寄せると、パブロと私に言った。


「いいか、二人とも。アニキが来たら、全力で謝るぞ! 剣の修行で忙しいのに、今日はわざわざ時間を作ってくれたんだ。まず俺が土下座するから、二人も俺に続け」


 マルクは森を背にして町の方を向くと、両膝を地面に着いた。


「たぶんもうすぐ町の方からアニキがやって来るはずだ。アニキが俺たちの視界に入った時点で土下座どげざをはじめるんだぞ。パブロもオギュっちも、土下座の準備をしろ!」


 マルクがそう言い終わったときだった。

 背後の森から、ガサガサと何やら物音が。

 続いて――。


「やあ! みんな集まっているみたいだね!」


 アニキだった。

 革鎧を身に着け、腰に剣を下げた天才少年剣士が、背後の森の中から登場したのである。

 町の方に向かって土下座の準備をしていたマルクが、地面に膝を着けたまま「んなっ!?」と声をあげた。


 アニキはニコニコしながら近づいてきた。けれど、背後には私たちの知らない少女が一人いた。

 見た感じは、アニキと同じく12歳前後といったところだろうか。

 腰まで長く伸びた髪は淡いピンク色で、身体は細い。なんだかとても弱々しい印象の女の子だった。

 緑色の帽子を被っており、全身を緑色を基調とした上着とスカートで着飾っていた。


 町の子どもとは明らかに雰囲気の異なる少女だ。

 なんといっても耳がとても特徴的で、とがっているように見えた。

 アニキが、彼女を私たちに紹介してくれた。


「みんな、紹介するよ。こちら、妖精さん」

「ど、どうも妖精です」


 緑色の衣服で着飾った少女が、そう言って私たちに頭を下げたのだった。

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