005 ステンドグラス

 やがて、マルクがパブロとちょっとした言い合いをはじめた。

 フランソワーズを相手にしていても話の着地点を見つけられそうにない。そこで、銀髪の少年はターゲットをパブロに変えたのだと思う。


 まあ、二人の言い合いはケンカというほどでもなかった。

 友達同士が半分じゃれ合っているようなやり取りだ。


 フランソワーズと私は、そんなマルクとパブロを眺めていた。

 彼らの近くで突っ立って、二人とも口を開かずに大人しく眺めていただけだった。

 それなのに――。


 ドサっという音が私の隣でした。

 目を向けると、フランソワーズが地面に倒れていた。

 スカートが豪快にめくれており、青と白のしましまパンツが丸出しだった。


「ど、どうしたの!?」


 私がそう声をかけると、パン屋の一人娘はめくれたスカートを慌てて元に戻した。


「えへへっ……足がもつれて転んじゃったよ」

「えっ!? ただ、普通に立っていただけなのにっ!?」


 私が驚くと、フランソワーズはスカートをパンパンと叩きながら立ち上がった。


「うん。ただ、普通に立っていただけなのに転んだんだよ」

「貧血?」

「違う違う。わたし、単純に運動神経が悪いから、たまにあるんだよね。えへへ……」


 いやいや……運動神経が悪いとか、そんなレベルの話ではなかった。

 ただ普通に立っていただけなのに転んだ人を、私はこのとき生まれてはじめて目にしたかもしれない。

 すぐさまマルクが、パブロをからかった。


「なあ、パブロ。お前もパンツ見えたか? 青と白のしましまパンツ」


 パブロの機嫌が、みるみる悪くなった。

 赤髪の細マッチョ少年は、ほっぺたを膨らませると、道に転がっていた石ころを蹴飛ばした。石に八つ当たりしたのだ。


 しかし、それがいけなかった。

 これが『町で起きたちょっとした事件』のはじまりだった。


 パブロの鍛え上げられた脚によって蹴飛ばされた石は、その場にいた私たちが誰一人として想像できないような不思議な跳ね方をした。

 石はまず、パン屋とは逆方向に蹴飛ばされた。勢いよく転がっていった先にあった少し大きな石にぶつかって跳ね返り、空中にを描いた。

 空中に飛んだ石の着地点にも、また大きな石があった。

 石は着地点にあった石に当たってさらに跳ね返り、空中に二度目の大きな弧を描いた。


 骨董品こっとうひん好きのパン屋のおじさんは、店の入り口の扉にご自慢のステンドグラスをはめ込んで美しく飾っていた。

 とても運の悪いことに石は、ステンドグラスめがけて飛んでいった。


 要するに、パブロが店とは逆方向に蹴飛ばした石が、予想外に二度進行方向を変えると、パン屋の入り口の扉へと吸い込まれるように飛んでいったわけだ。


 カシャンっと悲しい音が周囲に響いた。


 この国一番の占い師だって、あんな石の飛び跳ね方はわからなかったと思う。

 誰にも予想ができないような気の毒な事故だった。


「お、お、お父さんのお気に入りのステンドグラスが……」


 フランソワーズが真っ青な顔でそう言った。

 石を蹴飛ばしたパブロも、パブロが石を蹴飛ばす原因をつくったマルクも、真っ青な顔をしていた。

 おそらく私も、真っ青な顔をしていたことだろう。


「ぱ、ぱ、パブロちゃんは、悪くないからね。安心してね」


 フランソワーズはそう言いながら赤髪の少年に近づいた。そして、彼の震える手を握りしめてこんな提案をした。


「ねえ、こ、このステンドグラスは、わたしが割ったことにしよう。わたしが急にイライラして、道に落ちていた石を拾ってステンドグラスに向かって投げたってことで。ねえ……そうしよう」


 パブロをかばうにしても、フランソワーズの考えた嘘は、さすがに苦しすぎると私は思った。

 そもそも、いくらイライラしたからってフランソワーズがそういう無茶なことをしない子どもだということは、父親だってよく知っていただろう。


 パブロは青い顔をしたまま首を横に振った。


「い、いや……自分が割ったってことを正直に話して謝るよ。かばおうとしてくれてありがとう、フランちゃん」


 赤髪の少年の言葉を聞いて、フランソワーズの両目に涙がにじんだ。

 そうこうしているうちにパン屋のおじさんが、ステンドグラスが割れてしまった扉を、ゆっくりと慎重に開けて店の中から出てきた。

 白いコック服に、赤い前掛けという姿のおじさんが、私たちに言った。


「大丈夫か? 誰もケガをしていないか?」


 おじさんは、割れたステンドグラスよりも先に、子どもたちのことを心配してくれた。

 パブロにはその優しさが胸にこたえたことだろう。

 客として店内にいた人たちが二、三人ほど店の外に出てきたのだけれど、魔法使いのお姉さんの姿もあった。

 大人たちの前でパブロは、言い訳もせず素直に謝った。


「ごめんなさい、おじさん。自分が蹴った石が、ステンドグラスを割ってしまいました」


 その立派な行動に、どうか慈悲深じひぶかい反応がいただけることを、私は心の底から願った。

 パン屋のおじさんは、深々と頭を下げる赤髪の少年を見つめながら「キミは……?」と尋ねた。


「自分は、パブロ・オギスと言います。本当にすみませんでした。割ってしまったステンドグラスは……どうにかして必ず弁償べんしょうします」


 私たちの町には金銭的に裕福な人間なんて、ほとんどいなかった。

 パブロもやはり裕福な家庭の子どもではなかった。パブロは、妹とおばあちゃんと三人で慎ましく生活をしていた。

 割ったステンドグラスの弁償となると、パブロの家庭にとってその負担はけっして軽くはないだろう。そのことは、子どもの私でも容易に想像できた。


 マルクがパブロの横に並び、同じように深々と頭を下げた


「おじさん、ごめんなさい。俺が、パブロをからかったのがいけないんです。パブロが石を蹴ったのは俺のせいなんです。だから、俺が弁償します」


 マルクだって裕福な家庭の子どもではなかった。簡単には弁償できないはずだ。それでも彼は、パブロのことをかばった。


 そんな二人を眺めながら、私もおじさんに何か言おうと思った。

 だけど、そのころの私はとても無口で、こういうときにいったい何を言えばいいのか、ぱっと思いつかなかった。

 私はマルクとパブロの横に並ぶと両目をきゅっと閉じ、無言のまま二人といっしょにおじさんに向かって深々と頭を下げた。


 パン屋のおじさんの大きなため息が聞こえた。

 続いて、フランソワーズの声が聞こえた。涙声だった。


「お父さん……わたしの大切な友達なの……」


 フランソワーズは、この出来事が事故のようなものだと、涙を流しながら父親に説明してくれた。

 パン屋のおじさんの大きなため息がもう一度聞こえてきて、それから私たちはこう言われた。


「とりあえず、おじさんは割れたステンドグラスの掃除をする。キミたちは、割れたガラスには触らなくていい。その代わり、おじさんがステンドグラスの掃除を終えたら、キミたち三人は店先を綺麗に掃除しなさい」


 おじさんはフランソワーズに、お客さんたちの会計や接客をするよう指示を出すと、自分はホウキを手にして、割れたステンドグラスの処分をはじめた。

 おじさんが掃除をしている間、私たち三人は横並びになって大人しくそれを眺めていた。


 しばらくすると、パンの会計を終えた魔法使いのお姉さんが、私たち三人のところにやってきて、何も言わずに飴玉をひとつずつ手渡して去っていった。

 暗い顔をして並んでいた私たちを、彼女なりになぐさめてくれたのだと思う。


 やがて、割れたステンドグラスの掃除が終わった。

 おじさんは店の中に戻り、私たち三人は店先の掃除をはじめた。おじさんが綺麗に掃除した後だったので、店先にはほとんど掃除するところなんてなかった。

 だから私たちは店先といわず、店の裏や横や、隣の店の前まで移動して、とにかく掃除できそうな場所を見つけて黙々と励んだ。


 それでも掃除をしていたのは、たった1~2時間くらいだったと思う。

 おじさんがやってきて掃除をやめるよう私たちに言ったのだ。


 おじさんは、私たち一人ずつに袋を手渡してきた。袋の中にはパンがぎっしり入っていて、香ばしい匂いが漂ってきた。

 私はぐーとお腹を鳴らしてしまった。その音を聞くとおじさんは軽く微笑んで言った。


「そのパンは、キミたちにあげるから好きに食べていい。とにかく今日は家に帰りなさい。弁償もしなくていい。今日のことは気にせず、明日からまた娘と仲良く遊んでほしい。おじさんも、もう気にしないことにしたよ」


 パブロとマルクが「弁償したいんです」と、おじさんに何度も言った。

 けれど、おじさんは絶対に首を縦に振らなかった。


 パン屋からの帰り道。パブロがぽろぽろ泣き出した。

 大好きな女の子のお父さんに迷惑をかけたのだ。泣きたくなるのも当然だと思う。

 それからマルクも――たぶんパブロにつられて――ぽろぽろ泣き出した。私も二人といっしょにぽろぽろ涙を流しながら帰り道を歩いた。

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