第10話 朝の光
「お、終わった、のか?」
ひとみを開けたクーラリオに飛び込んできたのは祭壇のある山頂だった。
しかし様子は少し変わっている。積み上げられていた祭壇はくずれ落ち、そしてその前には、まるで石像のようにひざをついたまま固まってしまったゲオルギィがいた。
「フーガ、ミズチ、エンジュ、アダマント、それにクーラリオ。みんなみんな本当にありがとう」
クーラリオが見上げると、そこにはどろで汚れ、キズだらけになってしまっていたユウトのやさしい笑顔があった。
「なあに、クラヤミは見事におさまったし、ゲオルギィのやつもあんなふうになっちまった。お礼を言うのはこっちのほうだぜ、な?」
チリチリのボロボロになり、動かせるのはまぶたとクチバシくらいになってしまったクーラリオがこたえる。
フーガの羽かざりもミズチのマフラーも、エンジュのブレスレットもアダマントのアミュレットも、みんなみんなボロきれやガラクタのようになってしまっていたが、なんとかしっかり生きていた。
「さあて、あとは命の光を全部元に戻して……」
クーラリオがヨタヨタしながらつぶやいたその時だった。崩れ落ちてしまいそうな石像のように成り果てていたゲオルギィが、ヨタヨタと立ち上がったのだ。
「ゲオルギィさん?!」
心配してよびかけたユウトだったが、ゲオルギィはその声が聞こえていないようだった。
鋼のような筋肉は、やせこけてなくなってしまい、顔には割れた焼き物のようなヒビが入っていた。そして棒切れのようになってしまった手で、ゆさゆさと何かをゆすっていた。
「……、息子や、息子やぁ」
それは息子の体、だったものだった。クラヤミがあふれだし元に戻った直後に、ゲオルギィの息子の体は土くれのようになってしまっていた。
その時、ユウトの手のひらから、小さな小さな光が飛び出した。それはユウトが一度出会った見知らぬ人の命。
ユウトが静かにうなずくと、光はホタルのようにふわふわと、白みかかった山頂の空を、風に逆らって進んでいく。
やがてゲオルギィの目の前までたどりつくと、だきかかえようとするその腕の中で、ぱあっと一瞬明るく光り、風化してしまった体に飛び込んだ。
「お、おおぉぉぉ……」
ゆっくりと体が持ち上がり、小さく口元が動くのが見える。何を語ったのか、言葉は聞こえなかった。だが、言い終わった後に風にとけこんで消えていく、その時ユウトたちが見たのは、風よりもさわやかで優しい少年の笑顔だった。
「ちゃんとお別れ、言えてよかったね」
ユウトはその光にやさしく声をかける。光はそれに答えてくれたのだろうか?
ふき消えて見えなくなってしまっては、もうわからない。わかっているのは、もうゲオルギィの息子の命の光は完全になくなってしまった事。そしてみんなの命の光はユウトの中にあるということだけだった。
「見事じゃ!」
白みかかった空に、まぶしく光る大きな星が二つ現れた。それはゆっくりと人の形にかわっていく。
「“元”赤銅の魔導師ゲオルギィ!脱獄および無許可での地上世界侵入、そして特務魔導師への任務妨害と、未成年魔導師への暴行の現行犯で逮捕します!」
駆けつけたのは二人の魔導師。一人はユウトに命の光を与えて助けてくれた、白銀の魔導師マーダル。そして大きなメダルのようなものをゲオルギィに向けているもう一人はサナだった。
「さすがに抵抗できないようね」
サナはゲオルギィの姿に、おどろきをかくしきれなかった。
「うむ」
マーダルは空を見つめたままひざを折って呆然としているゲオルギィにむけて、まっ白い小石のつぶをあびせた。
小石はゲオルギィのま上でくだけて粉になりその体にくっつく。すると粉は体を固めるように広がって、ついにはゲオルギィの体を石像のようにしてしまった。
「ゲオルギィさん!」
体中におもりを付けられてしまったように重たい体を何とか動かして、ユウトは動かなくなったゲオルギィのところに向う。そして、空にいた二人もゆっくりと降りてきた。
「ユウトくん、ありがとう。ワシらが来る前に大方かたづけてくれたのじゃな」
ユウトの体をやさしく抱きかかえてくれたは、ユウトに魔法の力を与えてくれたマーダルおじいさんだった。
ユウトはうれしさとかなしさと、ほかにもいっぱいためこんでしまった感情をおさえられなくなって、わんわんと声をあげて泣き出してしまう。
「よしよし。本当にユウトくんにはつらいおもいをさせてしまったな。このワシも、ただあやまるだけで済ませるわけにはいかんのう」
ユウトは何を口にしていいのかもわからなくなったようで、とにかく泣きつづけていた。
「ゲオルギィが息子を生き返らせようとしたその気持ち、確かにワシにもわからんわけではない。じゃが、この者は大きな間違いをしていることに気がつかなかった」
しみじみとマーダルはつぶやく。
「いや、あやつは気づこうともしなかった。息子一人を生き返らせるために、あまりにも多くの人の命を犠牲にしようとしている、その恐ろしさとおろかさを」
マーダルは石像と言うよりあらあらしく彫られた木像のようになってしまったゲオルギィを、あわれみの目で見ていた。
「まずは命の光じゃな。いくら居心地が良くても、ユウト君の体一つに入れておくわけにはいかん。この中に集めねば」
マーダルが取り出したのは、大きな金魚鉢のような丸いガラスのうつわ。そのフタを開けると、中から霧がたくさんあふれてきた。
「マーダルおじいさん、これは?」
「ふむ。これは外に出てしまった命の光を呼び集めて保護するための魔法のうつわなのじゃ。この中に入れば、外気にふれて消えてしまうのを防ぐ事ができる」
それを聞いたユウトは、顔を明るくしてみんなに呼びかけた。
「みんな!ここならだいじょうぶだよ!もうすぐ戻れるからはやく!」
ユウトの呼びかけにこたえて、ユウトの中に避難していたみんなの命の光が、あふれ出た霧をさかのぼってうつわの中にとびこんで来る。
「すごいわ。こんなにたくさんの命の光が入っていたなんて!」
「うむ。ユウト君はワシが思っていたより、ずっとずっとすばらしい器を持った子だったようじゃ」
ユウトの中に身を寄せていた、何百という命の光は全部きれいに中に入ってくれた。これで朝日を直接浴びても命の光が消えてしまうことはなくなったのだ。
「さて、ゲオルギィを引き取らねば……」
次にマーダルが取り出したのは、メガネのケースのような小さな箱。この箱を開いたまま石像にされたゲオルギィのま上にかざすと、その体をすいとり、箱の中におさめてしまった。
「そして精霊たちじゃな」
ゲオルギィにむりやり連れてこられ、はげしい戦いでキズつき力を失ってしまった精霊たちは、気張ってみせていても、やっぱりボロボロになっていた。
マーダルはキラキラと光り輝くタマゴのような四色の水晶をとりだすと、それを精霊たちの目の前に置いた。すると、水晶のタマゴの中に精霊たちは光の粉になって吸いこまれる。
「みんな、ありがとう……」
「あとは……」
ユウトが言いかかっている事がわかっているのだろう。マーダルは右手をくるくると回すと、がらくたのようになってしまったクーラリオを手元に呼び寄せた。
「ま、マーダルさま……」
「お前にも苦労をかけてしまったな。すぐに元に戻してやるから待っておれ」
次に左手をくるくる回すと、クーラリオの体は空中で、あっという間に部品の一つ一つにまでバラバラに分解されてしまう。そして壊れてしまった部品が、新しいものに入れ替えると、これまたあっという間に組み立てられてしまった。
「ありがとうございます、白銀の魔導師マーダルさま!」
バサバサと元気よく羽ばたいてとびまわるクーラリオだったが、いきなりユウトにとびかかられて落っこちてしまう。
「ふわーん!クーラリオが元に戻ったぁ!」
「ご、ごらぁ!そんなに乱暴にされたら、また壊れちまうだろうが!」
泣いてよろこぶユウトをしかりつけるクーラリオだったが、それも本気ではなくうれしそうな声の色。
「こんなに口の悪い使い魔をそんなに心配してくれていたのか。クーラリオ、よかったのう」
てれてしまって答えられないクーラリオの様子に、みんなうれしそうに笑い出す。
「ユウトくん、あなたのおかげでこの事件も無事に解決したわ。私からもお礼を言わせて」
少しユウトがおちついたところを見計らって、もう一人の魔導師の若い女の人が、やさしく話しかけてきた。
亜麻色の長い髪をポニーテールに結わえていて、背丈もマーダルおじいさんと同じくらいに高い。顔もTVや映画で見る外国人のモデルのようで、特にサファイヤのように青く澄んだ目がとてもきれいだった。
「あ、あの……。お、お姉さんは?」
その若い女の人は、マーダルおじいさんと同じ白とうすい青緑色のローブを着ていた。
「私の名前はサナ。青銅の魔術師よ。白銀の魔導師マーダルは私のおじいちゃんなの」
「そ、そうなんですか……」
サファイヤのようなひとみにみつめられて、ユウトはどきどきしてしまう。
「おじいちゃんは責任感が強いから、もう引退していたのにゲオルギィを捕まえるって無理しちゃったの。それで罠にひっかかった上に、あなたにまでこわい目にあわせてしまって……。本当にごめんなさい」
頭をていねいにさげるサナ。
「まったく、孫の言うとおりじゃった。いくら道をふみ外した弟子の不始末とはいえ、こんなことになってしまっては面目もないわい。本当にもうしわけない」
「い、いいんです。みんなさえちゃんと元に戻れるなら……」
マーダルにも頭を下げてもらって、うれしいと思うより、とまどってしまうユウトだった。
「そうね、早く元に戻してあげないといけないわね」
その時、清々しい風が吹いて、ぱあっと空が白くなった。もう夜明けが間近なのだ。
「急がなきゃいけないけど、すっごく気持ちがいい景色だなぁ」
すうっと大きくすいこんだ朝の空気の冷たさが、胸の中をひんやりさせる。
「ふわっ、へっくち!」
その冷たさに思わずくしゃみしてしまい、体がカタカタとふるえだしてしまう。それを見たサナは、自分の着ていたマントをさっと着せる。うすい絹のような布地のものだったが、人の肌と同じあたたかさで体をつつんでくれる。
「ユウトくん、だいじょうぶ?」
「は、はい!だ、だいじょうぶです」
冷たさを感じてさむがったり、暖かさを感じてドキドキしたり。ひどい大ケガだけでなく、何度も死にそうになったりしたユウトには、生きていることの意味が、大切さが、体と心の底から実感できていた。
「言うまでもなく命というものは一つ一つが大切でかけがえないものじゃ。誰にとってものう」
「でも、だからこそ、自分や自分の大切な人の命の事だけにとらわれてしまうと、このゲオルギィのように、他の人の命を何とも思わなくなってしまう人もあらわれてしまうのね。悲しいこと……」
朝日の光と目を覚ました山の動物たちの声を聞きながら、二人の魔導師はしみじみと語る。
「ボクは、ゲオルギィさんの希望をこわして、なくしてしまいました。最後まであきらめさせて、やめさせることはできませんでした……。本当にこれでよかったんしょうか?」
マーダルの手にした小箱を見ながら、ユウトは悲しそうにつぶやいた。
「ユウトくん、全てを何もかもきれいに終わらせることはとってもむずかしいことよ。それは地上でも、私たちの住んでいる魔導界でも変わらないことなのよ」
サナの白くてやわらかい手が、そっと肩に。
「誰にでも生き返って欲しい人はいるものじゃ。でも、どんなにがんばって、寿命をのばすことができても、一度消えてしまった命は元には戻らないのじゃよ」
「それをむりやり元にもどうそうとして、ほかの大勢の人の命をつかうことは絶対に許されぬ。ましてそれが、あのクラヤミに至ってしまうのならばなおさらじゃ」
「だから、ボクはその事に気がついてほしかったのに……」
ホロリとこぼれた涙は、道をあやまった一人の父親のためにながされたのか、それともくやしさとかなしさ。いや、きっとそのどちらもだろう。
「じゃがユウトくん。本当なら、その悲しみと痛みは息子を失った時に向き合わねばならなかったことじゃ。今度こそ犯した罪の重さ共々しっかり向き合ってもらわねばならぬ」
そう言ってユウトをやさしくだきよせると、その涙をやさしくぬぐってあげる。木の枝のようにかたくて、それでいてあたたかい指の感じがユウトの心をすこし安心させた。
「さて、この命の光をみなに戻す事にしよう」
朝の日差しが照らしたと同時にマーダルの杖が大きく振られたとき、みんなはその姿を山頂からきれいさっぱりと消してしまった。
山頂にはすでに朝日が差していたが、山かげのこの場所にはまだ日は差さず暗いまま。
「ふむ、これなら大丈夫じゃろう」
マーダルがガラスのうつわのフタを開けてかかげると、中からたっぷりと霧があふれ出す。
「霧は太陽の光をやわらげる水の幕じゃ。そして空気よりもゆるやかに命を運ぶ事もできる」
ポタージュスープのように白くて重たい霧が、キャンプ場をゆったりとつつみこんだ。それを見計らってマーダルは少しずつ命の光を解き放つ。命の光たちはうつわから飛び出すと、まようことなく自分たちの元の体の中にとびこんでいった。
テントをのぞきこんでみると、カチコチに凍っていたみんなの体は、光が飛び込んだその瞬間に元のあたたかみを取りもどして元に戻っていく。そして、すやすやと寝息を立てて眠りについたのだった。
「よかった……。みんな元に戻った!」
「まだ一時間くらいは眠ったままじゃよ」
ほっと胸をなでおろすユウトだったが、ふとあることに気がついてあわてはじめる。
「あれ?あれれ?!」
「ユウトくん、どうしたの?」
あわててだれかを探しはじめるユウトにおどろいてたずねるサナに、ユウトは涙目になりながらこたえた。
「あと三人、あと三人いないんです!」
「ええ!?本当なの?」
二人はマーダルにたずねたが、うつわには命の光はもう残っていなかった。
「変じゃのう。命の光は全て元の体に戻ったし、ここから他の場所にとんでいった光もなかったはずじゃが?」
首をかしげるマーダル。サナも思い当たりがないわとお手上げだった。
「も、もしかして、肝だめしをしたお堂の方にいるのかも!」
ユウトに案内され、全員でその肝だめしをしたお堂の方に向う。
「いるとしたら、ボクが一人で行く事になって別れたこの辺りだと思うんだけど……」
一人で行って来いと突き放された、立て札のあたりからユウトは探しはじめたが、なかなか三人組は見つからない。
「おいユウト、お前が探していたのはコイツらか?」
手分けして探していると、空を飛んでいたクーラリオが三人組を見つけてくれた。
「よかった!三人とも巻きこまれなかったんだ!」
でも飛び上がって三人の無事をよろこんでいるのはユウトだけ。
「あっちゃあ……」
サナは道ばたに転がっていた三人の様子を見て、カリカリとほほを軽くかく。マーダルもどんな顔をしていいのか困った様子で、クーラリオはあきれかえって、さげずむ目で見ていた。
無理もない。道ばたに転がっていた三人組は仲良くならんで、おもらししたまま気絶していたからだ。
「ふむぅ。ここは確か、ワシが地上界に最初に出てきた場所だったのう」
マーダルは腕を組んで小首をかしげながら、その時のことを思い出していた。
「あの時、ワシはゲオルギィのくりだした罠にまんまと引っかかってしもうて、手痛いダメージを受けてしもうた。何とか地上界に出る事はできたが、出てきた時にヘビどもをここにうち捨てたからのう。大方その時にでくわしたんじゃろうて」
ばつが悪そうしほほを軽くかくマーダル。このしぐさはどうやらマーダルの一族のくせらしい。
「マーダル様、コイツらは日頃から悪さばかりしていたようですからバチが当たったんですよ」
この三人組がユウトをいじきたない罠にハメて、その様子をながめて楽しんでいた事をしっていたクーラリオは怒り心頭。顔からお湯がふっとうしたヤカンのように、プンスカと蒸気を出していた。
「バチが当たったってばかりとは言えないわよ、クーラリオ」
「お嬢様、と、言いますと?」
サナはとても冷静にこの様子を分析しているようだった。
「こんなところでずっと気絶していたんだから、この子たちは命の光を取られずにすんだのよ。ちょうどクラヤミがあふれ出して流れ落ちようとした方角の正反対だったんだし、一番助かった可能性が高かったのはこの子たちだったんだから、運は強いとも言えるわ」
ユウトの肩にとまったクーラリオは、はふぅと大きくため息をついて、心底あきれていた。
「こんなヤツら、このままここに放っておけよ。このまんま見つかって大勢の人たちに笑いものにされたほうが、こいつらのためになるぞ」
冷たく言い捨てるクーラリオに、ユウトはそれはいけないよと力強く首をふる。
「それはあんまりだよ。ちゃんとテントにかえしてあげなきゃいけないよ」
「なんでだ?」
「だって三人ともこのままにしてたら、みんなが目をさましたときに三人がいなくなっていたのがわかったら大さわぎになっちゃうよ」
やれやれと、両翼をあげてみせるクーラリオ。
「まったくなぁ。いい加減身にしみたけどなぁ、お前ってやつは、本当にお人よしだよなぁ」
ユウトはとりあえず、口をだらしなくぽかんと開けて、大の字になってねころがっていた鉄也を背中におぶる。
ユウトより頭半分ほど背が高い鉄也だったが、あれだけのきびしくてつらい試練を乗り越えてきた今のユウトには、鉄也の少しだけ大きいだけの体なんて、ちっとも重たく感じられなかった。
「ねえ、ユウトくん。あなたは今夜ものすごくがんばったのよ。だから体は必ず疲れ切っているはずよ。私たちが手伝わなくて大丈夫なの?」
「大丈夫です。ちゃんとボクが連れて帰ります」
ユウトはサナに笑顔を見せて体をしゃんとはって見せると、テントの場所まで鉄也をおぶったまま駆け足で運んだ。まるで吹き抜ける風のように。
「おじいちゃん、あれって……」
「うむうむ。あれは風足の魔法じゃな。どうやらユウトくんは自分でも気がつかないうちに、本物の魔法の力に目覚めたようじゃ」
ほかの二人を運びつづけるユウトだったが、自分が魔法の力を使っている自覚はなかった。とにかく三人組がみんなが目を覚ましたとき恥をかかなくてすむようにという気持ちだけで体が動いていたのだ。
やがて朝の日差しがキャンプ場をやんわりと、だかジリジリと力強く照らし出そうとする頃に、ユウトは三人を運び終えた。そう、これで全部が元通りになったのだ。
あとはみんなが起きるのを待つこと、そして、今夜出会ったみんなとのお別れが待っていた。
「お別れの前に、ちゃんとユウトくんの服を元通りにしておかねばならんな」
「だったら大丈夫です!服を元に戻す魔法は……」
自信満々に呪文を唱えようとしたユウトだったが、そんなユウトの頭の上にクーラリオがやれやれと着地した。
「おい、帽子をよく見ろ。帽子についているマジカルレリーフが動かなきゃ着替えはできねぇぞ」
その時、はじめてユウトは帽子につけていたレリーフが壊れていた事に気がついた。
「あ!わわっ!レ、レリーフが!」
顔をまっさおにして今にも泣き出しそうになってしまうユウト。レリーフは激しい戦いで大きなダメージを受けていたのだ。
「せっかくクーラリオからもらった物だったのに……」
がっくりと肩を落としてしまうユウトを、ふわりとやわらかい光が包みこむ。するとボロボロのマジカルスーツは元の勇斗の服に戻り、帽子もレリーフも元通りに。
「はい、これでいいでしょ?服装がボロボロのまんまだと、気分までめいっちゃうからね」
ユウトの服装はサナの魔法であっという間に元通りに。
「ありがとうございます、サナお姉さん」
「いいのよ。これくらいはお安い御用よ」
こうして準備が整うと魔導界への扉をサナが呼び出す。その扉は見えないくらいに透明な空間の壁。その奥に広がっていたのは夜空の星のように小さな光がたくさん流れている空間だった。
この空間の先は、違う世界へ本当につながっている通路だということが、見ただけで理解できてしまう。
「それでは、わしらはこれでお別れじゃ……」
勇斗は、ぐしぐしと目を腕でこすりこすりしてしまう。
「マーダルおじいさん、サナさん、フーガ、ミズチ、エンジュ、アダマント、そしてクーラリオ……。本当に、本当にありがとうございました!」
声を少し上ずらせながら、勇斗は深々と頭を下げてお礼を言った。
「これこれ、礼を言うのはこちらの方じゃよ。君がいなければ、もっともっと大変な事になっておったのじゃからのう」
「そうよ、心からお礼を言わせてもらうわ」
やさしい言葉をかけてくれる二人。精霊たちは、くるくると勇斗のまわりを回って感謝の気持ちを伝えてくれた。そしてクーラリオはといえば、目をうるませているユウトに、またお説教をしはじめる。
「ユウト、お前はそんじょそこらの魔導師にだって簡単にできねぇような事を、キッチリやりとげたんだ!」
「う、うん」
「いいなユウト!お前は最初っから最後までずーっと泣き虫のまんまだった……。でもな、でもなぁ!お前は絶対に、絶対に弱虫なんかじゃなかったぞ!このオレ様が保障してやる!」
「あ、ありがとうクーラリオ!」
本当に力強い応援をもらって、やっぱりがまんできずにポロポロ泣き出してしまう勇斗。その様子に、みんなもやっぱり涙ぐんでしまうのだった。
そしてとうとう別れの時が来たのだが、その前に一番大きな問題が待っていた。
「ところでおじいちゃん、ユウトくんの記憶はどうするの?」
「決まりでは、地上の人間に魔導界のことを知られるのは禁止されておる。決まりに従えば、確かにユウトくんの命をうばわぬまでも、記憶は消しておかねばならぬ」
ゲオルギィが言っていたのは本当のことだった。
魔導界の決まりでは地上の人間に魔導界のことを知られてはいけないと決められていたのだ。その決まりを守るためなら、地上の人間の記憶を消すどころか、魔導師の判断次第で命を奪うことさえ許されているほど。
「や、やっぱりボクは今夜の事を、みんなの事を忘れなきゃいけないんですよね……」
サナはがっくりと肩を落としてうなだれる勇斗の両肩をしっかりつかんで、元気づけると、マーダルの方をキッとりりしい目でみすえた。
「白銀の魔導師マーダル様、私は反対です!」
「青銅の魔導師サナよ、それはなぜじゃ?」
お互いに魔導師としての名前でよびあうという事は、これは身内ではなく仕事としてのやりとりということ。
「ユウトくんはマーダル様の力を借りていたとはいえ、魔法の力を使いこなし四つの結界を解いて精霊とも契約を結び、これまで我々がやったことのない方法でクラヤミを元に戻し、そしてゲオルギィの逮捕に活躍してくれました。彼は魔法を使いこなす才能を、魔法の力を間違いなく持っています!」
「つまり、ユウトくんは地上の人間であって地上の人間でない、と言いたいのじゃな」
「はい。魔法の力を感じ取るだけでなく、あそこまで使いこなせたのです。例外が認められると思います」
二人の間に流れる空気は、ピリピリと緊迫し、肌につきささるようだった。だが、マーダルはゆっくりと表情をくずして答える。
「ふむ。青銅の魔導師サナよ。お前の考えはわしと同じじゃ」
「だったら……」
サナとユウトの顔が明るくなる。
「うむ。基礎は全然できておらんが、ユウトくんは特例中の特例として、魔導学校の初等教育卒業の資格を与えよう」
「やったぁ!」
サナもクーラリオも飛び上がって大よろこび。
「おじいちゃん、本当にいいの!?」
「ふむ、こう見えてわしは四十七人の白銀の魔導師の代表を押しつけられておってな、腕をみとめた魔導師を任命する事ができるのじゃよ」
「キャー!おじいちゃん最高!」
マーダルに抱きついて、ぐるぐると小さい子供のように回るサナ。
「あ、あの……」
勇斗はたどたどしくたずねてきた。
「初等教育の卒業ってどういうことなんですか?」
自分の記憶が消されずにすんだのはわかった勇斗だったが、自分がもらった資格というのが良くわからなかったらしい。すぐにクーラリオが教えてくれた。
「それはな、ユウト。お前は入学もしてないのに魔導師の小学校を卒業できる実力があるって、認めてもらって、卒業した事にしてもらったんだぞ」
「ええっ!?」
大きくおどろいた声を出した勇斗。きっとうれしかったに違いないと思ったのだが、どうも様子がおかしい。
「そ、そんなぁ……」
勇斗はショックを受けたらしく、しょんぼりとしてしまった。
「む?」
「どうして?うれしくないの?」
「だ、だって……」
ゆっくりと口を開いた勇斗の答えは、マーダルにもサナにも、クーラリオにとってもビックリするものだった。
「だって、入学式もしてないし、クラスで友達も作っていないし、授業だって受けていないし、遠足にだって行っていないし、卒業式もしていないのに、いきなり卒業しましたなんて……」
思わずみんなで大笑いしてしまう。
「なんだそんなことかよ!」
「どうかねユウトくん。ワシといっしょに魔導界に来て魔導師の勉強をせんかね?君さえ望めば、魔法の力でご両親を説得する事も簡単じゃぞ?」
マーダルはさそったが、勇斗の返事は……。
「ごめんなさい!ボクはやっぱりお父さんとお母さんと、みんなと一緒にいたいから、パスさせてください」
申しわけなさそうに口を開いてあやまっていたが、しっかりと力強く自分の考えを口にした勇斗だった。
「うふふふ……」
「ふははは……」
マーダルもサナもほほえましく笑っていた。
「ちっ。そりゃあそうか。たった一晩活躍しただけでこっちには来ねぇよな、やっぱり」
その答えを二人と一羽ともわかっていたようだったが、クーラリオは本当にさびしそうだった。
「そっか……。クーラリオもさびしいって思ってくれていたんだ……」
「ば、ばっきゃろ!そんなわけねぇだろ!でもなぁ、お前をそのまんまにしておくのも不安なんだよ。どうせオレさまが見てないと、すぐにグシグシ泣き出しちまうだろ」
翼をばたつかせてけんめいに否定してみるクーラリオだった。けれど飛びまわりながら少し考えたらしく、勇斗の頭にちょこんと着地してからつげた。
「よっし、お前の帽子につけたおいたマジカルレリーフ、そのまんま持っとけ!」
「い、いいの?!」
「心配すんな!どうせなおったって言っても魔力と気合がなきゃ地上界じゃつかえないんだ。ユウトががんばったのが、夢なんかじゃないって証拠に持っとけ!」
「ありがとうクーラリオ!」
頭の上のクーラリオをつかまえると、うれしさとさびしさで思いきりぎゅっと抱きしめてしまう勇斗。
「勇斗、約束しろ」
「うん!」
「いいな、これからは簡単に泣き出すんじゃないぞ。男の涙は簡単に流すもんじゃない。大事に、本当に大事な時に流すために取っておくんだ。いいな!」
「う、うん。わかったよ……。簡単に、簡単に泣いたりしないから……」
思わずクーラリオの羽毛を涙でぬらしてしまう勇斗。
「言ってるそばからグシグシしやがって……。こいつめ、いきなり約束やぶってるんじゃねぇよ!」
「だって、本当に泣かなきゃいけないのって、こんな時だよ……」
「ばっきゃろ……。言ってくれるじゃねぇか」
すると今度は精霊たち、フーガが、ミズチが、エンジュが、そしてアダマントが姿を現した。それぞれ口に小さなガラス玉のような物をくわえて。
「え?これをボクにくれるの?」
その声にこたえるようにガラス玉はゆっくりと宙を舞い、クーラリオからもらったレリーフに飛び込む。するとレリーフには、白、青、赤、黄の四色のガラスの装飾が加えられたのだった。
「おいユウト、これがオレ様たちの気持ちだ。お前がへこたれそうになっても、必ず力になってやるってな」
「ありがとう……。みんな本当にありがとう!」
そんな勇斗とクーラリオと精霊たちの姿を、目を細めていとしげに見ていたマーダルとサナだったが、だんだんと強くなる朝日の光を見て、ゆっくりと口を開いた。
「なごり惜しいようじゃが、もうそろそろ時間じゃ」
「わかりました」
勇斗がクーラリオを抱いていた手を離すと、クーラリオはゆっくりとマーダルの肩に。すると星空のような空間の扉が開かれ、青白い光があふれてきた。とうとう魔導界への道が開いたのだ。
「本当にありがとう、ユウトくん!あなたは本当に立派な事をしたのよ。地上の人たちは誰も知らない事だけど、私たちはしっかり覚えているわ」
「はい!ありがとうございます!」
勇斗はもう一度ほめてくれたサナに元気いっぱいに手を振って返事する。
「いいかな、ユウトくん。涙というのはのう、自分自身の心をきれいにみがきあげたからこそながれてくるものなのじゃよ。もちろん泣いてばかりで何もできなくなってしまうのはいけないことじゃが、何かに心を動かされて涙をながす、そのせん細さと優しさをなくさないでおくれ」
「はい!わかりました!」
泣虫はいけないと怒られてばかりだった勇斗は、はじめて正面からほめてくれたマーダルにしっかりと答えた。
「じゃあなユウト!お前は自分をもっともっと信じろ!お前がその気になったらできないことなんてなんにもねえんだからな!」
「うん!」
「今度会うことがあったら、その時はビシッとシャキッとした男になってろよ!いいな、約束だぞ!」
「クーラリオ、約束するよ!」
力強くうなづきあう勇斗とクーラリオ。
「じゃあな、ユウト!」
「じゃあね、マーダルおじいさん!サナエお姉さん!フーガ!ミズチ!エンジュ!アダマント!そしてクーラリオ!ボク、しっかりがんばるよ!」
扉の奥からあふれてきた光はトンネルのようになって、みんなは吸い込まれるように消えていった。勇斗は本当にみんなが見えなくなってしまうまで、力いっぱい手を振り続けた。
「本当に消えちゃった……」
光のトンネルは扉といっしょに霧の中にとけこむように消えた。勇斗はあたりを調べてみたが何も残っていない。やはり魔導師と精霊たちは影も形も残さず消えてしまっていた。
「でも、夢なんかじゃないんだね。本当に……」
勇斗が手にしていた帽子には、にぶい銀色に光っているマジカルレリーフが納まっていた。それを何度もさすりながら確かめる。
「ふわぁぁ……。何だか眠たくなってきちゃった。ボクもちゃんと寝よう……」
眠たげな目をこすりこすり、キャンプ場にもどる。そういえば結構距離があったんだよなぁと思い出したが、頭の半分は先に眠ってしまっていて、あまり時間を感じなくなっていた。
キャンプ場にたどりついた勇斗は、いそいそと自分のテントに戻って、タオルケットにくるまってコロンと転がった。
「おやすみなさ……」
おやすみなさいも言い終わらないうちに、勇斗は底なしの眠りの沼に、どっぷりとしずみこんでしまった。
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