第9話 クラヤミの中で

 クラヤミの入口でユウトたちが奥に乗り込もうと決心したその頃、外の世界ではあふれだしたクラヤミが一気に山を駆け下りようとしていた。


 一度勢いがついたクラヤミは止まらない。まわりの命という命を全て飲み込んで大きくなっていき、その勢いは大きくなればなるほど激しくなるのだ。


 クラヤミが山頂を飲みつくして雪崩のように駆け下りようとした時、銀色に輝く光の玉が光の波をくりだして、クラヤミを押し返していた。


「クラヤミをこのまま、下界にあふれさせるわけにはいかん!」


 それは白銀の魔導師マーダルだった。だが、一人の力では支えきれないほどクラヤミは力を強めていく。クラヤミもこのままおさえられていたら消えてしまうからだ。その死にものぐるいの勢いに、じりじりとおされていくマーダル。


「おじいちゃん、一人で無理しないで!」


 おされるマーダルを後ろから支えたのは、あわい緑色の光。その光もゆっくりと輪郭を人の姿に変えていく。そして現れたのは、亜麻色の髪をポニーテールで結わえた、若い女性の魔導師だった。


「サナか。これはゲオルギィを弟子としたワシの責任、ワシの仕事じゃ。お前まで巻き込むわけにはいかん」


 古木の肌のように固いしわしわのひたいから汗をながしながら、マーダルは孫娘に帰るようにと言い聞かせる。けれど、その孫娘はかたくなに戻ろうとはしない。


「白銀の魔導師マーダル様、ゲオルギィの逮捕は元々私の仕事です!仕事を投げ出して帰るなんて、位を与えられた名誉ある魔導師には絶対にできません!」


 少し前まではまだ自分の腕の中でころころと甘えていたというのに、立派な魔導師としての姿を見せてくれている事にほろりとしてしまうマーダル。ゲオルギィのワナにはまって地上界と魔導界のはざまにとじこめられてしまったのを助けてくれたのもサナだ。


 もう自分の時代が終わり、引退する時が来たのだと思い知らされていたが、それは今この時ではない。この事件が全て終わってからだ。あふれ出ようとするクラヤミをおさえる力をさらに強めるマーダル。


「おじいちゃん、このままクラヤミを朝日がのぼるまで押さえ込んでいればいいの?」


「いや、そうではない!」


 たずねるサナに力強く首をふってこたえるマーダル。


「あのクラヤミの中にはクーラリオが、そしてユウトくんがおる!」


「ユウトくんって、ついさっきおじいちゃんが魔力を分けてあげたっていう即席の、それも地上界の子供でしょう?!」


 おどろきと不安の声をあげるサナだったが、マーダルには不安な様子はない。


「ユウトくんはワシの想像以上に強い子じゃった。ワシがどうにか戻るまでに少しでも結界をどうにかしてくれていればと考えておったが、クーラリオと共に全ての結界を解いて、ゲオルギィと渡り合っておる」


「でもおじいちゃんの力は、もう全部なくなってしまったのよ?」


「クラヤミの中で必要なのは魔導の力ではなく心の力じゃ。クラヤミにこれ以上力を与えさえしなければ、必ずやあの子が解決してくれる」


 サナはほんの少しだが、見たこともないユウトという少年がねたましく思えた。魔導師の中でも認められた者にしか与えられない青銅の位をさずかった自分でさえ、なかなか一人の魔導師として認めてくれなかったマーダルからこれほど認められている男の子がいるというのだ。


 おじいちゃんっ子で背伸びばかりしてがんばってきたサナにとって、年下には興味はなかったのだが、そこまでマーダルが認めているというのなら興味がわいてきた。


「そんなすごい子がいるんだ。私も会ってみたくなってきたわ」


 すきあらばあふれ出そうとするクラヤミをおさえる光に一段と力が入る。


「がんばるのじゃぞユウトくん。君ならきっとこれまでのやり方とはちがう、別の方法で解決できると信じておるぞ」




 ユウトとみんなはクラヤミの中に身を投じて吸い込まれていた。深くに行けば行くほど、体と心を押しつぶそうとする力が強くなってくる。だが、ユウトは目をしっかり見開いてがまんしていた。


(この先に、一番奥にみんながいるんだ。そこまでたどりつかないと何もできない!)


 やがて吸い込む力が急に弱まる場所まで来た。そこはまるで重たいオイルの中のように、力を入れなければ身動きするのもむずかしいところだった。


「よいしょっと。ここ、まだ一番奥じゃないみたいだけど」


「そうだな。ここはどうやら、吸い込んだ命を完全に分解してしまう、胃袋のような場所みたいだぞ」


 すると目の前に、七色にかがやく大勢の人の顔がぐちゃぐちゃにあわさったような、巨大な雲が現れた。


『おおぉーん』


『ぶわぁぁ……』


『ぐぅるぅわぁ』


「ふ、ふわわ!」


 おどろいてタクトをふりかざし、風のやいばで雲を切りさく。するとかたまりはあっという間にバラバラに引きちぎれ、真っ暗な闇の中にとけこんで消えてしまう。


「あれ?」


「油断するな。まだ終わっていないぞ」


 クーラリオの言った通りだった。切りさいたはずの顔の雲は、今度はもっと大きくなり、さらに何十もの数に増えてユウトに向ってくる。


「く、くるなぁ!」


 今度は火の力だ。ビー玉くらいの大きさの火の玉を、雨あられとうちだして近づいてくる顔の雲を焼き払おうとする。顔の雲はこれにたえられず、強い風に流された煙のように飛びちって、元のクラヤミにかえっていく。


 ぜいぜいと、苦しそうに息をつくユウト。まわりの空気がオイルのように重たいので、息つぎするだけでも体力と気力を使ってしまう。


「こ、今度こそ……」


 しかし、まわりを見わたすユウトの目に飛びこんできたのは、さっきよりもさらに数を増やし、顔のかたまりがいびつにつながった、まるで入道雲のような姿の怪物だった。


「そ、そんなぁ」


 ユウトの背中に冷たい汗がながれ、あごがカタカタふるえだす。


「ユウト、ビビるんじゃねえ!オレ様たちがついているのをわすれるな!」


 ユウトをはげまそうと、精霊たちみんながユウトの肌にあたたかさをくれる。そのしっかりしたあたたかさが、ユウトのふるえをとめて、まわりの様子を冷静に見て考えるゆとりもくれた。


「そうだったよ。ここはクラヤミの胃袋の中だったんだ」


「命の光を恐怖と苦痛でぬりつぶして、バラバラにしてしまおうとする場所だからな。だれでもブルっちまうようなもので襲わせて、つかれさせて怖がらせ、あきらめさせるのはお得意だ。それにクラヤミの中だから、いくら攻撃しても、次々に数を増やしてわきだしてくるだけだ」


 だったら、いくら攻撃してもどうにもならないという事だ。


 クーラリオの話だと、今までクラヤミが起こった時は、大勢の魔導師たちが出し惜しみなく魔法の力で攻撃し、とにかく力でクラヤミを消し去ってきたのだと言う。


 でも、今このクラヤミに立ち向かっているのはユウトたちだけ。外でマーダルとサナが二人でがんばっていることをユウトたち知らなかったが、数が足りない事にはちがいはない。


「力ずくじゃあどうにもならないし、やりすぎたらみんなの命の光を消しちゃうかもしれない」


「でも他の方法はだれも知らないんだぜ?どうする、魔導師ユウト」


 どうするのかたずねるクーラリオだったが、その声に不安の色はない。ほんの少しのアドバイスをするだけで、体当たりでどうにかしてきたのがユウトだ。きっとだれも知らない方法で何とかしてくれると、心の底から信じていた。


「ボクはクラヤミを、みんなを消すために来たんじゃない。みんなを助けに来たんだ。それにあのたくさんの顔の雲だってみんなの一部なんだ」


 ぐっとこぶしを固くにぎると、ユウトはクラヤミのさらに奥に向って歩き出した。手ににぎっていたタクトを腰に差して、両手には何も持たないまま。


「おい、これで行くのか?」


 おどろく、それ以上にワクワクする期待にみちた声でたずねるクーラリオ。


「うん。こうするのが一番だと思うんだ。とにかく自分を強くもってとにかく奥に、みんなが集まっているところに行くんだ」


 オイルのように重たくなっている空気の中を、一歩一歩前に力強くふみしめて進むユウトに、いびつにゆがんだ顔の雲たちが群がってきた。


「ユウト、本当に大丈夫なのかぁ?!」


「こわいけど、こわくない!こわいけど、こわくなんてあるもんか!」


 ユウトの目が見ているのは顔のかたまりたちではなく、クラヤミのもっと奥、一番奥の闇の中。そんなユウトの様子を見た顔の雲たちは、ついに口を大きく開けて、するどい牙をむきだしにしておそいかかってきた。


「う、うわぁぁ!」


 悲鳴をあげるクーラリオ。だがユウトはきゅっと口元を横一文字にむすんで、だまってとにかく前に進む。


 顔の雲は本当に煙のようにすり抜けていくだけだったが、すり抜けるたびにユウトの体中にこまかいキズがきざまれ、血がながれだして霧ふきで水をまいたように飛び散っていく。


「ユウト、ユウトぉ?!」


 顔の雲はまざりあってもっともっと大きくなり、そして身も心も引きさくような悲鳴をあげながらおそいかかってくる。


 雲が突風のようにふき抜けるたびにユウトのキズは、より深くえぐられ、ながれ出る血の量もどんどん増えてくる。


 けれどもユウトは悲鳴どころか声も出さず、口を横一文字にきゅっとしめたまま、一歩一歩と前に進んでいく。


「本当にこのまま行けるのか?少しでも反撃しないと、お前の体がもたねえぞ!」


 心配するクーラリオに、ユウトはようやく口を開いてこたえた。


「大丈夫。痛いけれど痛くない。痛いけど痛くない!」


「いったいそりゃあどんな理屈だよ?!」


 前に立ちはだかる重たい空気が、さらに壁のように立ちはだかってくる。それに顔の雲たちの攻撃も、もっともっとはげしくなってくる。


「おいユウト、お前体が?!」


 はげしい攻撃はユウトの体をどんどんおかしくしていた。手や足の先が、暗いむらさき色のマグマのようにぐるぐると色を変えている。


 それはクラヤミにふれすぎてしまった時に起こる中毒症状のようなもの。手や足の感覚がクラヤミにうばわれてしまい、そのままにしていれば、やがてくさってくだけてしまうのだ。


 それでもユウトはただひたすら前だけ見すえて、手で空気をかきわけながら前に進んでいく。その時、ユウトの顔から涙がこぼれおちてながれてくるのにクーラリオは気がつく。


「ユウト!」


 もうクーラリオはユウトの名前だけしか呼べなくなっていた。ほかに言える言葉がなかったからだ。でもその気持ちはしっかり伝わったのだろう。ユウトはやさしく、力強く返事をした。


「みんな死にたくない、消えたくないから、本当にこわさや痛みで一つになろうとしているんだ。だからボクも本当にこわいし本当に痛いよ。でも痛いからって痛さに、こわいからってこわさに心が負けちゃいけないんだ」


 空気の壁をかきわけるユウトの手に、ふんばる足にさらに力がこもる。


「ボクまで負けちゃったら、みんな本当に痛さやこわさで苦しんだままになっちゃうんだ。ボクが負けちゃったらみんなを助けられなくなっちゃうんだ」


 自然に涙がぼろぼろとこぼれおちるが、ぬぐうこともできない。いや、涙をぬぐってくれるのは、ユウトに立ちはだかる空気の壁や顔の雲たちだ。


 こぼれおちた涙はクラヤミの中に静かに消えていくが、そのやさしさと思いやり、そして決意のこもった涙のしずくは、無意味にクラヤミにとけこんでいるのではないように思えてくる。


 そして前に進み続けたユウトは、クラヤミの、本当にかきわけられないくらい固い壁のところまでたどりつく。


 それは今までおそってきた顔のかたまりたちが空気と一つになってできあがった壁。人が痛みと恐怖に苦しみ、そしてそれを嘆いてできた壁だった。


「まさに嘆きの壁ってやつか……」


 壁が持っている気迫に、押しつぶされてしまうような気持ちになるクーラリオ。それはほかの精霊たちも感じているらしく、羽かざりにマフラー、ブレスレットにアミュレットが小きざみにふるえている。


「大丈夫だよみんな。こわがらないで」


 おびえるみんなをはげましたのは、いままではげまされてばかりだったユウトだった。


「大丈夫。ここまでずっと、みんなと一緒にがんばってきたんだよ。負けるもんか。ここまで来て負けるもんか!」


 ユウトは嘆きの壁をあけようと、大勢の人の顔がうかびあがっている壁に手を当てて押しはじめた。指先が壁にしずんでいくと、たちまち壁から耳と心を引きちぎるようなけたたましい悲鳴があがり、そのさけびがユウトたちを打ちのめす。


「がんばれユウト!オレ様たちがついているんだ。このまま前に突き進め!」


 涙目になりながらも、ユウトは涙をぬぐって前にふみだす。すると涙でぬれた手の先が、すっとなめらかに壁の中をかきわけていく。ユウトの心の結晶が、嘆きの壁を少しずつとかしているのだ。


「ボクたちは負けない……。痛さやこわさになんて絶対負けない。ボクたちは、勝つまで負けないんだ!」


 その想いが、その叫びが、ついに嘆きの壁をつらぬいた。スローモーションで割れた水風船のように、嘆きの壁がくだけちって飛び散り、そのしぶきが七色の光のしずくになって雨のようにふりそそぐ。


「いよっしゃぁ!」


 クーラリオは歓声をあげるが、当のユウトは光のしずくに見とれながらゆっくりと前に進んでいく。そう、壁をぬけるのが目的なのではない。とにかくクラヤミの一番奥に行って……、何をどうしたらいいのだろうか?




「たぶん、ここが一番奥だよね」


「だろうな」


 気がつくとユウトはクラヤミの最果てのど真ん中にたどりついていた。どうしてそこが真ん中なのか、当のユウトにもよくわからない。


 けれども、それ以上先はないことだけは、ユウトだけでなくクーラリオも、精霊たちも感じ取っていた。


 あれだけオイルように重たくドロドロとした空気が、高い高い空の上のようにうすいものに変わっていた。夏なのにだんだんと肌寒くなってきて、火のブレスレットが熱をくれてやっと寒さがおさまる。


 やがてキラキラと真冬の夜空のように、すき通った光が天上いっぱいに、立ち上る煙のようにあふれだす。


「すごいなぁ。まるでかに座のプレセペ星団みたいだよ」


「なんだそりゃあ?地上界の夜空の星か?」


「うん。お母さんが星座とか星占いとか大好きだから、いっしょにプラネタリュウムに行ったり、天体望遠鏡を見に行ったりしてね、その時に教えてもらったんだ」


 今までずっとクーラリオから教えてもらってばかりだったユウトが、はじめて先生になって教えてあげた。


 かに座という星座にはプレセペ星団という星の集まりがあること。そしてその星の集まりは、中国という国では昔から積屍気(ししき)といって死んだ人の霊魂が集まる場所と言われている事も。


「つまりオレさまたちは、その積屍気のまっただ中にいるってわけか。いや、もしかしたら地上の人間たちは、クラヤミのことを知っていて、そう呼んでいたのかもしれないな」


 マーダルの心の一部分を写し取って生み出されたクーラリオは、こういうところはマーダルそっくりの勉強家だった。


「ちがうよ。ここは本当の積屍気なんかじゃないよ」


 ゆっくりと首をふってこたえるユウト。


「ううん。ここを本当の積屍気になんかしちゃいけないんだ」


 自分の決意を口にしたユウトは、地面を力強くふみしめると、煙のようにたなびく命の光たちに、やさしく、そして力強く呼びかけた。


「みんな聞いてください!」


 その声にこたえるように、命の光は渦を巻きはじめた。それは火の粉が星々の世界である夜空の星を目指すように美しい光景。


 だがその光景にユウトたちが心をうばわれたのは、ほんの一瞬のこと。巻き始めた渦は、きらきらと七色にまたたく小さな光たちを中に飲み込んでしまい、まっ黒なマグマの大渦になってしまう。


「それが返事ってか」


 がくぜんとしたクーラリオが言い終わるよりも早く、大渦はユウトたちにむかって、叩きつけるように降り注いだ。


「ふわわぁ!」


 渦に体がふれた瞬間、電流火花がユウトの体を走りぬけた。その熱さと痛みにユウトは悲鳴をあげる。


 息つぐひまもなく、どろどろにとけた生ゴムのような渦の流れがユウトの体をしめあげる。手や足を、本当なら曲がらないはずの方向に曲げてしまおうとするものすごい力。


「ちくしょう!やっぱり誰も聞く耳なんか持っちゃくれないのか?!」


 体中をしめあげ、おしつぶし、バラバラにしようとする大渦の力。


 それは大渦が、ユウトの持つ強い命の光をほしがっているから。新しくて、より強い命の光を飲み込み続けなければ大渦は、みんなの命は消えてしまうからだ。


『死にたくない!』


『消えたくない!』


 みんなの必死の想いが渦の力をより強くしてユウトを苦しめる。苦しめて苦しめて、苦しみだけにしてしまって、自分たちと一つにするために。


「だめだよ……。みんな、それじゃだめだよ!」


 ユウトの瞳からこぼれおちる涙の光。それは体が感じる痛さから出たのではない。みんなの苦痛と悲鳴を聞いたユウトの心が流した涙だった。


 その涙が発した光がもう一度道を開いた。渦の圧力がゆるみ、ユウトの体がその中でうかんでいる。


 大渦が、みんなが自分の声を聞こうとしている。ユウトはこの積屍気の、クラヤミのまん中で心の底からさけんだ。


「みんな聞いて!」


 そのユウトさけびは、するどく渦を、クラヤミを切りさいた。


 一つ二つと息つぎをするユウトの背中。その背中を壊れかけた体でしがみついて支えるクーラリオ。もちろんフーガもミズチもエンジュもアダマントも、みんなが支えてくれている。


 それだけではない。ユウトの心には、しっかりとお父さんやお母さんもいてくれる。


 いつもいそがしいのに、キャンプの前の日に帰ってきてくれて、力強くがんばってこいとはげましてくれたお父さん。朝ごはんにお弁当もしっかり作ってくれて、おかえしに自分のおみやげ話をまってくれているお母さん。


 帰りをまっている人がいるのはユウトだけではない。今クラヤミの一部になってしまった人たちだって、みんな帰るべき場所があって、帰りをまっている人がいるのだ。


「ケガをせずに、ちゃんと元気に家に帰るまでがキャンプですよ」


 半分冗談のように言っていた町内会長のおじいさんの言っていた事が不思議に思い出されて、そしてユウトの心を火の玉の、いや、真夏の太陽のように熱くした。


 もう一度、すうっと大きく息をすいこんでゆっくり。そしてお腹と心の底から声を出してユウトはみんなに話し始めた。


「ボクはずっと泣いていたんだ。学校に行くとちゅうで犬にほえられたり、忘れ物をしちゃったり、体育の時間にころんですりむいたり、帰り道でやっぱり犬にほえられたり。今日だって、肝だめしのときにこわくなったり、鉄也くんたちによびだされてお堂に一人で行く事になったり……」


 いきなり場ちがいのような事を言い出したのだが、だれもさわいだりしない。


「ボクにとっては、どれも全部、こわくて痛くて泣き出しちゃうことばかりだったよ。でもみんなは、そんな事でこわがったり痛がったり泣いたりしないでしょ?!」


 ユウトの声はクラヤミの中にしみていくように吸い込まれていった。今はただ、すこまれるだけだったが、それは聞いていない、聞こうとしていないのではない。みんな聞いてくれているのだ。


 ユウトはこぶしをぐっとにぎりかためて、今度ははきだすようにうったえる。 


「クラヤミの、みんなの中に入って、みんなの苦しみにいっぱいさわってきたよ。体がキズつけられて痛いとか、悲しいことがあって心が痛いとか、いっぱい、いっぱい!」


「でも、でもね。ボクが子供だからなのかな。その痛さが全然わからないんだ。わからなかったんだ!」


 その言葉に、クーラリオも精霊たちも、それにクラヤミさえも驚いてしまったようだった。それまで、しんと静まり返っていたクラヤミのなかで、何かが動き出したような空気の流れが伝わってくる。


 そのつぶつぶの、今までとちがう反応を肌で感じたユウトは、もっともっと大きな声でさけんだ。


「みんな思い出して!楽しい事とかうれしい事とか、みんな本当に、本当におんなじように感じたりしないでしょ?それとおんなじだよ」


 小さなつぶつぶの感情が、少しずつ大きくなってくる。


「楽しい事とかうれしい事が違うんだったら、痛い事や苦しい事や悲しい事だって、みんなみんな違うはずだよ。違うんだよ!みんな思い出して!」


『みんな、違う?』


 大きくなりはじめた一人一人の感情の中から、ざわざわと声がきこえはじめた。


「そうだよ!一つになんかなれないよ!」


 ざわめくクラヤミに、一気にたたみかける。


「できるのはほんの少し、ほんの一瞬だけだよ。同じ想いをみんなで持つ事はできるけど、そのままずっと一つのままでいられるわけなんてないよ!」


『一つに、なれない?』


 ユウトは大きくうなづく。


「だってボクはボクだし、みんなはみんなだよ。みんな、生まれた時も場所もちがうんだよ!」

「生まれだけじゃないよ。大きくなることだってちがうよ。親が同じ兄弟だって、ううん、双子だって、食べているのが同じでも、ちがう体で感じて、ちがうものを見ているんだよ。だからずっとずっと一つになったままでなんて、いられないよ」


『みんなは、違う』


『一つには、なれない』


「そう。そうだよ。そうなんだよ!」


 最後の一押し。ユウトは、いや、ユウトたちは力を合わせて。心をその瞬間だけ一つに合わせて、力の限り叫んだ。


「思い出して!痛いことも苦しい事も悲しい事も、楽しい事もうれしい事も、みんなみんなそれぞれちがうんだよ。みんな、自分が感じていた事を、思い出を、自分を取りもどして!」


『自分を!』


『取りもどす!』


 大渦はもう一度、はげしく渦巻き始めた。その流れに押し流されそうになるが、これまでと違って苦しさも痛みも感じない。どろどろにとけたゴムのように重たかった渦は、本当に軽い霧のように細かくちりぢりに流れていた。


「こ、こいつは」


「うん、みんな、自分を探しはじめたんだ」


 渦はやがて、さわやかにふきぬける春の風のように心地良いものになり、そして一つ一つの光のつぶつぶに戻っていく。


 みんな、自分自身を取りもどして、一人一人が命の光に戻ったのだ。


「やったぁ!みんな、ちゃんと自分にもどったんだね!」


 顔をお日様のように明るく灯したユウトのまわりに、命の光の全てが集まる。でもざわざわと聞こえてくる声には、不安の色が少し入っているようだ。


 当然だ。そのままだと消えてしまうから、クラヤミになってまでみんな生き延びようとしたのだ。元の光に戻っても、自分の体に帰れないのでは意味がない。


「まだ大丈夫だよ。お日様の光が当たる前に、みんなボクのところに来て。一つの体にずっとみんな入るのは無理だけど、ほんの少し、みんなの体に戻すまでなら大丈夫!」


 ユウトの言葉に根拠なんてどこにもなかった。一つの体に多くの光が入ってしまったら、体がたえられずに壊れてしまうのは、ゲオルギィの息子で見た通り。


 でも、やさしく胸に手を当てるユウトの姿に、みんな安心したようだった。


 やがて底なしに暗くて黒いクラヤミが、どんどんその闇を弱めていく。


 外の世界でもクラヤミが治まっていく様子が見える。


「おお!やってくれたか!」


「すごいわ!本当にクラヤミを元の命の光に戻してしまうなんて」


 マーダルとサナが見守るなか、闇はゆっくりと霧のように細かくうすいものになり、最後はまんなかに向って一気に吸い寄せられ、そして消えたのだった。

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