第三章 流した何かの分だけ

思ったよりも酷かった

異世界フォルバウムにも地球と同じように四季がある。

季節は秋。だが、寒さはさほど感じず過ごしやすい温度と湿度を保ち快適な旅の環境を整えてくれていた。

そんな中、凪森刀護はというと、汗と涙と鼻水にまみれてピクピクと痙攣しながら地面に転がっていたのだった。

「情けないわね。まだ数分も走ってないわよ?あんた魔物の前で疲れたから少し待ってなんてお願いでもするの?ほら、さっさと立って走りなさい」

酸欠で朦朧とした意識の刀護に容赦なく浴びせられるレインの言葉。

ぼんやりと歪む視界の中でどうしてこうなったと考える。

それはレインが言い出した刀護の修行プランが原因だった。


レインの顔でほぼフリーパスで通過したレリッツの西門を抜けると、おもむろに彼女は告げた。

「出発前にも言ったけど、トウゴはしばらくの間、走って私についてきてもらう事になるわ。あなたの走った距離が私たちの全移動距離になるわけだから、次の目的地に着くのが早いか遅いかはあなた次第ね」

これまでの旅の中でも散々走ってきていたし、日々のトレーニングも欠かしていない。そこに由羅の癒しと更には未熟とはいえ身体強化も加えれば、毎日100キロ以上の移動も夢ではない。刀護はそう考えていた。

「はい!頑張ります!」

「ええ、期待しているわ。それじゃ出発よ。しっかりついてきなさい」

レインの合図で走り出すフェルト。

しかしその速度は、刀護の身体強化を使った全力疾走とほぼ同等で、とてもではないが長距離を走るためのものではなかったのである。

「えっ?ちょ!えぇぇぇぇぇぇ!?」

どんどん小さくなっていくレインとフェルトの姿。そしてそれに大荷物を抱えたまま滑るように、いや、文字通り地面を滑りながら並走するククル。

一人取り残された刀護だったが、師についてこいと言われた以上そうするしかない。

気合を入れなおして走り出し、1キロと少しを踏破したところで力尽きた。そして現在に至る。


ゼェゼェと荒い息を吐きながら何とか立ち上がる刀護。地球人視点であれば、いくつの種目で世界記録を塗り替えたかわからぬ程の偉業であったが、師であるレインは不服そのものだった。

「全然ダメね。身体強化に使う魔力の効率が悪すぎる。言っておくけど私は手取り足取りなんて教えないわよ?ヒントくらいはあげるけど、あくまであなたが実践の中で見つけるの。苦労しないと本当の実力なんて身につかないもの。わかったなら走りなさい」

そう言って先程よりも少し抑えたペースで走り去っていった。

「これはまた随分とスパルタですね。昭和のスポ根映画を思い出します」

なんとか息を整えた刀護に宗角が話しかけてきた。

「それでもついていくしかないですよ。俺みたいな魔力制御の素人がこの世界の人間に追いつくためにはこのくらい無茶しないと駄目ってことなんでしょうね」

命の危険までは無いが、たった数分で精神的にも肉体的にも追い詰められるという点では過去に類を見ない修行ではあった。

「やれるだけやってみますよ。じゃないと送り出してくれた人達に申し訳がたたないし」

そして刀護も走り出した。先程と変わらぬ全力疾走で。

そんな中、昨日の件で始終無言の由羅だったが、癒しの術だけはかけ続けていたのが彼女らしいと言えば彼女らしかった。



その日の夜。

走りすぎて胃袋が固形物を受け付けないので、味は薄いが滋養のあるスープだけを飲むと、そのまま横になりピクリとも動かなくなった刀護。

本日の最終的な踏破距離は約30キロ。

本来予定していた距離はまったく消化できていなかった。

「・・・まあ最初はこんなものかしらね」

レインの思惑は刀護の体力の増強ではない。それもまったく無くはないが、やはりメインは魔力制御の強化である。効率的に魔力を全身に行きわたらせることができれば、封印された刀護の魔力量でも今日の倍は走れたはずなのである。

「おい、レインよ。もう少しまともなやり方はないのか?明日以降もこれではいくら刀護でも持たぬぞ」

刀護が眠って・・・と言うよりかはほとんど気絶していることを確認してから、ようやく由羅は今日初めての言葉を口にした。

「あら、やっと話す気になったのね。昨日は悪かったわよ。あと、刀護の修行については一切意見は受け付けないわよ。後ろから魔物をけしかけて無理やり走らせないだけましだと感謝して欲しいわ」

どこの漫画かアニメの特訓シーンだろうと由羅は思ったが、実際にやろうとすれば絶対に許容できない。しかし、そんなことを言いながら遠い目をするレインを見て、コイツもしかしてやられたのか?と少し同情してしまった。

「ならばせめてもう少しアドバイスでもしてやってくれぬか。魔力の扱いなぞ知らぬ儂らでは刀護の力になってやることができんのじゃ」

その言葉には悔しさがにじんでいる。

だが、そんな由羅に対して、レインは思わず笑ってしまった。

「な、何が可笑しい!?冗談を言ったつもりなどないぞ!」

さすがに由羅に対して失礼だと思い、慌てて訂正する。

「ごめんなさい。別に馬鹿にしたわけじゃないのよ。由羅はいつも刀護に一生懸命だなと思ってね。ちょっと微笑ましかったというか、うらやましかったというか・・・どうせ今も癒しの術っていうのを使い続けているんでしょ?」

まったくの図星であった。

「ばっ、ちがっ、これはじゃな!凪森の子らを守るのが儂らの責務だからじゃ!別に甘やかしてなぞおらん!」

しどろもどろになる由羅。そこにようやく救いの手が差し伸べられた。

「あまり、うちの姫様を虐めないであげてください。刀護君は姫様にとって特別なのですよ。なにせ長い長い時間の中で私以外に唯一まともに話すことができた最初の男性なのですから。少しくらい彼に甘くても大目に見てあげてください」

救いの手と思いきや後ろからざっくりと切り付けられた気分だった。

「そっ、そそそそそそ宗角ぅぅぅ!!!」

封印の中で争いあう目には見えない二人を眺めながら、彼女らがついている限り刀護はこれからも挫けることはないだろうと、レインはそう考えていた。



隣の街へと街道を進むこと3日。山間やまあいの道の途中、少し開けた場所で昼食をとって休憩し、そろそろ出発しようかと腰を上げた時にそれは訪れた。

最初に気づいたのは勿論レイン。続いてフェルトが何かを感じ取った方向に二つの顔を向ける。クルルの反応は良くわからないが、少し遅れて刀護もこちらに向かってくる何かの気配を捉えた。

「・・・魔物ね。こちらの戦力を把握できないほどの頭しかない小物だわ。数は・・・三匹かしら。丁度良いわね」

レインの言わんとしていることは刀護にも理解できた。

つまりは、初めての実戦であろう。

連日の猛ダッシュで体力は心もとないが、由羅の癒しのお陰で動けないことはない。

気配の方向に向かい、腰に佩いた鉄製の剣をスラリと抜き放つ。その刀身は安物ということもあって若干頼りない。

「ほら、そんなに緊張しないの。トウゴの実力なら絶対に負ける事なんてないわ。私が保証してあげる。むしろトウゴにかせが必要なくらいかもしれないわね。・・・そうしようかしら?」

せめて初の実戦くらいは普通に戦わせてほしい。刀護は全力で首を横に振った。

「初戦と言えばスライムかゴブリンといったところかのう?」

「姫様、やはり刀護君の英雄譚の最初の1ページを飾るに相応ふさわしいのは竜や巨人クラスではないでしょうか」

ゴブリンはまだしも、この世界のスライムは強敵である。というか初戦から竜や巨人などが出てきてはたまったものではない。だが、呑気な二人の言葉に緊張はほぐれた気がする。

やがて、深い緑の中をガサガサと掻き分けて飛び出してきたのはレインが言った通り三匹の大きなねずみだった。但しただの鼠ではない。前歯は鋭く発達し、頭には一本の角まで生えている。

「はぁ・・・雑魚中の雑魚ね」

レインは興味を失ってしまったようだ。

だが刀護から見れば十分すぎるほどの脅威だった。膝の高さほどもある巨大な鼠が相手である。解体所で同じものを捌いたことがあるが、やはり動いて襲ってくるものは話が別だ。

魔物と睨み合いながら油断なく剣を構える刀護。

だがそこで、ある重大な事に気づいた。

(こいつら、剣道の技術が全く通用しない・・・)

当たり前の話だった。剣術とは人間を相手にしかその本来の威力を発揮しない。人殺しをするためにしか作られていないからだ。

高度なフェイントも行動の先を読む目も野生の魔物相手には通用しなかった。そもそも膝までしかない相手を切るための剣筋など剣道には存在しないのだ。

刀護は思った。これから異世界へ向かう若者たちに是非伝えたい。時代は剣道より薙刀だと。

最終的に刀護の取った行動は、真っ直ぐ行って蹴り飛ばし倒れたところに止めを刺すという極めて原始的な戦法である。

手傷こそ負わなかったものの、勝利の余韻など無く妙な敗北感に襲われる刀護だった。

「自分の弱点が見えたって顔ね。いいんじゃない?それも収穫よ。それじゃさっさと解体してしまいましょうか。大事な収入源だからね」

そう言って死体の一つを掴むと、ナイフすら使わない謎の技術で見る見るうちに血を抜き内臓をかき出し皮を剥いで牙と角を切り落とした。

鮮やかどころか何をしているのかもわからない光景に目を丸くする刀護。

「ほら!見てないで手を動かしなさい!」

そうは言われても、未だ魔法が使えない刀護は刃にこびりつく脂を落とすための湯がないと解体を始めることができない。

結局、湯が沸く前に三匹の大鼠はレインが捌ききってしまったのだった。

「早急にあなたに魔法を教える必要があるわね・・・せめて火と水くらいは使えるようになってもらわなきゃ困るわ」

色々と穴だらけの修行プランではあるが、魔法の解禁は刀護にとって非常に楽しみなものである。文句などつけようもない。

「言っておくけど、魔法の練習と身体強化は別物だから走って移動することには変わりないわよ。勘違いしないようにね」

やはり地獄は終わらない。

手早く獲物を片付けると、楽しいロードワークの再開だった。



肉体的疲労により、日に日に距離が落ちていくかと思われていた全力疾走での旅は、当初の予想に反して、徐々にその距離を伸ばしていた。

追い詰めれば伸びると考えたレインは正しかったと言えるだろう。

刀護が気づいているのかいないのかはわからないが、レインは毎日少しづつフェルトの走る速度を上げている。それについてこれるようになっているのだ。

街と街の間にある小さな村を全て無視して駆け抜けてきた結果、レリッツを出発してから7日目にして、目的地である港町ピーカに辿り着いたのだった。

ちなみに刀護の体力が夜まで持たなかったため、魔法の練習は一度も行われていない。



「・・・着きましたね」

ピーカの外壁が大きく見える場所までやってきた刀護達。

「予定より少し遅れたけどね。でも頑張ったほうじゃないかな。本当なら魔法の練習もできてたはずだったんだけどその辺は大目に見ましょうか」

練習をしたいのは山々だったが、意思に反して体が言う事を聞かないのである。野営の見張りは睡眠を必要としないククルに任せ、刀護は死んだように連日眠り続けていた。

「刀護は本当に良くやったのじゃ。あの変態サディスト女の無茶に耐え続けたのじゃからな・・・儂は誇りに思うぞ」

「さすがにその言い方は失礼ですよ姫様」

相変わらず刀護に甘いと普段なら言っていたであろう宗角だが、今回ばかりは同意だった。それ程に道程みちのりは過酷で、尿以外の様々な体液をまき散らしながらそれでも限界を超えて走り続ける刀護の姿は、鬼気迫るとか壮絶などという言葉をもってしてもまだ足りぬ、とても人様には見せられないものだったのである。実際、彼とすれ違った一団は、あまりの異様さに武器を構えながらもひたすら後ずさる事しかできなかった。

「親父って優しかったんだな・・・」

誰に話しかけたわけでもなく、そんな言葉が自然と漏れた。

「馬鹿な事言ってないで街に入るわよ。しばらくはピーカの街に滞在して仕事をこなすつもりだから、まずは一晩休んで明日の朝ハンターギルドへ向かいましょう」

刀護はその言葉に全力で頷く。

地獄のような全力疾走の日々が終わるのならば、たとえそこが世紀末の修羅の国でも構わないと本気で思えたのだった。

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