楽しい学生ライフ(前編)

そろそろ見慣れた真っ白な街並みを走り抜け、レインに指定された研究所の東門から約50メートル手前で一旦足を止める。

乱れた息を整え、流れる汗をぬぐってから東門へと近づいていった。

「おはようございます。師、レインの紹介で参りました。トウゴと申します」

巨大な研究所の門を護る守衛に挨拶をして、身分証明であるハンタータグを見せる。

タグを確認した守衛は一つ頷くと、衛兵の詰め所に向かって軽く手を上げた。

すると詰め所の中から、他の衛兵よりも少しだけ豪華な装備を身にまとった大柄な男性が現れた。

「ようこそクリスベルン王立魔導研究所へ。レイン様から話は聞いている。俺は研究所東区画の警備隊隊長を務めているゴールズだ。よろしくな」

ゴールズは挨拶と共に右手を差し出してきた。

刀護は差し出された手をしっかりと握り返しながら挨拶を返した。

「うむ、話に聞いていた通りしっかりとした青年だな。気に入った。流石さすがはレイン様の直弟子なだけのことはある」

文字通りガハハと笑いながらバシバシと刀護の背中を叩くゴールズ。

鍛えられた体でなければ怪我の一つでもしていたかもしれない剛力に内心で歯を食いしばりながら笑顔で耐える刀護。

「今日は俺が君の案内を引き受けることになった。早速だが移動しても構わんかね?」

「はい、よろしくお願いします。しかし隊長自らが案内なんて大丈夫なんですか?」

そう言って門の方を見やる。

「心配いらんよ。別に一日中君に張り付いているわけではないからな。これから向かう場所まで案内したら持ち場に戻るさ。昼になったら迎えに行くから、それまでは先は向こうの者の指示に従ってくれ」

「わかりました。そのようにします」

「素直で結構。では行こうか、先方も待っているだろうからな」

ゴールズは逞しい腕を刀護の肩にかけると、大股で歩き出した。



何せ広大な敷地と巨大な建物である。あまり奥まで行って迷子になったら大変だとビクビクしていた刀護だったが、目的地は意外と近くにあった。

そこには、見上げるくらいに大きな荷車と、ソレが余裕をもってすっぽりと入れる更に大きな出入り口を擁した建物だった。

「・・・何かの搬入口ですか?」

日本でよく見かけていたスーパーなどにあるトラックの搬入口に似ていると刀護は思った。

「そうだ。中に入ればすぐにわかるさ」

ゴールズに促され搬入口とは別の位置から建物に入ると、まず感じたのは血の匂い。生臭く吐き気を催す匂いである。

匂いのもとになっているであろう部屋の分厚い扉の前まで案内されるとそこからは一人で行くようにとゴールズは言った。

「大変な仕事だが、頑張ってくれ。また後で会おう」

そう告げると自らの仕事を果たすために東門へと戻って行った。

(せめて中の人に紹介くらいしてほしかったな・・・)

そう思ったが、意を決して扉を開けた瞬間、ゴールズがさっさと帰って行った意味を理解した。

先程とは比べ物にならぬ程の濃密な血の匂いに思わずむせ返る。

(・・・これは・・・きついなんてもんじゃないな・・・鼻がバカになりそうだ)

入り口の前で鼻をつまんで思いっきり顔をしかめる刀護に横合いから声がかかった。

「驚いたかい、酷い匂いだろ?研究素材になりやすい血や内臓をいたませないように、魔物の行動を封じたうえで生かしたまま運び込むのさ。それからここで血抜きや内臓の摘出をするからこんなことになるんだ。でも慣れてもらうしかないね」

鼻をつまんだままという無礼極まりない状態で声の方向を見ると、そこにはがっしりとした筋肉質で長身の女性が笑いながら立っていた。

「ここは『魔獣解体所』。魔物から普通の獣の解体まで何でも請け負っている場所さ。通称『肉屋』。その責任者をやってるカノーサって者だ。アンタがレイン様のお弟子さんなんだろ?よろしく頼むよ」

責任者と名乗る女性に先に挨拶を切り出され、さすがに非礼だと鼻をつまんだ手を離し頭を下げる刀護。

「失礼しました!自分はトウゴと申します!師であるレインからはこちらのことを何も聞かされていないのですが自分はここで何をすれば良いのでしょうか?」

「そんなに硬くならないでおくれよ、話しにくいったらありゃしない。それに解体所なんて施設にきて何をすればいいなんてのもおかしな話だろ?トウゴにはこれから、魔物の解体を覚えてもらうのさ。無論、仕事をすれば報酬だって出るよ」

王都からレリッツまでの道中で、倒した魔物の牙や角などを父が回収していたのを思い出し、確かにこれからの旅でハンターとして暮らしていくには必須技能であろうと刀護は思った。

「わかりました。ご指導よろしくお願いします!」

血の匂いなど気にしていられない。くさいので嫌だなどという不満はレインの名を傷つけることになるだろう。吐き気を飲み込み自分に喝を入れる。

「へえ・・・いいね。気合の入ってる子は嫌いじゃないよ。でも、気合を入れたところ悪いんだけど、先にこっちの服に着替えておくれ。その綺麗な服が血まみれになっちまうからね」

綺麗とは言っても真っ黒な服である。多少の汚れくらいなら構わないと考えていたが、せっかく用意してもらった物を無碍むげにするのは良くないだろう。刀護はそれなりに気配りができる男なのである。

「ありがたくお借りします。どこで着替えればよかったでしょうか?」

「ここに来る途中で部屋が一つあったのはわかるかい?そこはしっかりと防臭された部屋だからそこで着替えな。着替えをしまっておける鍵付きの箱もあるから使うといいよ」

「はい、わかります。では早速行ってきます」

急いで教えられた部屋に向かうと、手早く着替えを済ませしっかりと施錠を確認してから先程の部屋へと戻った。

「早かったね?って、その背中の剣は置いてこなかったのかい?」

よっぽどのことがない限り大切な由羅と宗角を置いてくることなど無い。駄目だと言われないのならば常に身に着けておきたいのである。

その旨を伝えるとカノーサは邪魔にならないのならば構わないと言ってくれた。

「じゃあ準備はいいね?今日は大物が入っていないからそこまで忙しくはないんだ。だから私が付きっきりで教えてあげるよ。ありがたく思うんだね」

そう言って笑いながら己の戦場へと歩みを進めるカノーサ。

入り口から続く短い通路を抜けると、そこは大きな体育館を思わせる空間と、20人程の人間がそれぞれの持ち場で大きな肉塊を解体している光景が広がっていた。

「こっちだよ」

巨大な部屋の一番奥にある空いている作業台へと刀護は案内された。

「今日からここがトウゴの仕事場だよ。もっとも朝一から昼までってレイン様に言われてるから短い時間しかないんだ、さっさと始めるよ。それで、だ、トウゴ、早速だけど魔物の姿形すがたかたちと名前は一致するかい?」

言葉を覚えるのに精一杯だった刀護は、2か月以上にのぼる旅の間でも魔物について学んでいる時間はなかった。

素直にノーと答える。

「ならそこから覚えないとね。遠慮なく行くからしっかりとついておいで!」

それから昼にゴールズが迎えに来るまでの間、刀護は予想外の場所で地獄を見るのだった。




「初日にしては良くやった方だね。中々手先は器用なようだし物覚えも悪くない。この調子で明日からも頑張るんだよ」

一流の板前の様に巨大な魔物を捌いていくカノーサを見て匂いさえ慣れれば楽な仕事なのではと考えたが、実際はそんなことは一切ない。

ただでさえ身体強化の使えない刀護には魔物の巨体を支えながらの解体は重労働以外の何物でもなかった。

何とか昼までの時間を生き抜き、こびりついた血を洗い流して、便利なことこの上ない魔法薬ポーションで体に染み付いた血の匂いを消した後、迎えに来たゴールズと合流したのだった。

「おう、ご苦労さん。やっぱり大変だったみたいだな」

匂いと重労働でげっそりとした姿を見てゴールズは笑った。

「いえ、大丈夫です・・・まだまだ行けます・・・」

師からの紹介である以上情けない姿を見せるわけにはいかない。刀護は背筋を伸ばし精一杯の虚勢を張るのだった。

「馬鹿者、無理をするな。肉屋に初めて入って無事に仕事を終えて自らの足で出てきたのだ。それだけで大したものだと思うぞ。俺にはできん」

解体所の部屋の前で消えたゴールズの姿を思い出し苦笑する。だが、励ましの言葉は嬉しかった。

「ありがとうございます。その言葉で明日からも頑張れそうです」

「その意気だ、では英気を養うためにも昼食を摂りに行くぞ!遠慮することはない、お前との飯代は経費で落とせるからな。これも案内役の役得というやつだ」

豪快に笑いながら歩き出したゴールズの背をふらふらと追いかける刀護だった。




あまり食欲は無かったが、食べないと午後からが持たないとゴールズに注意され無理矢理一人前の食事量を胃に押し込んだ刀護は、行儀悪くテーブルへと突っ伏していた。

「うまかったか?さっき食った肉は君が先程いた場所で解体された物なんだぞ」

そんな話を聞いてむくりと顔を上げる。

「だから通称肉屋なんですね・・・納得しました。でも、あんな悪臭の中で解体したのに、肉に移ったはずの生臭さを全く感じませんでした。これも魔法なんですか?」

「さあな、俺も詳しい事は知らん。美味けりゃそんなことは関係ないさ。気になるならカノーサにでも聞いてみると良い」

「そうですね、そうすることにします」

食物の臭み消しの魔法、実に興味深い。刀護は真剣にそう思った。



ゴールズに誘われ腹ごなしをするように研究所の外壁沿いを北へと歩いていると、立ち並んでいた研究所の施設が途切れ東〇ドーム〇個分とでも言う様な広大な空き地が広がっていた。

「ここは?」

視界の先には何もなく、遠くに見える分厚い外壁以外はただ平らなだけの土の地面が広がっている。

「ここはな、魔法や魔道具の実験場であり、衛兵や学校の生徒の訓練場でもある。競技大会なども開かれるぞ。午後からは君もここで学校の生徒と共に訓練をすることになっている」

「それで師匠は学校に通う・・・・・って言ってたのか・・・でもこれじゃ全然学生生活じゃないですよ師匠」

「そうぼやくな。あと30分もすりゃ午後の授業が始まるから君は所定の位置で待機していてくれ。既に担当の教師が待っていてくれているはずだからすぐにわかる。施設沿いを歩いて西区画の近くまで行くだけだ。俺もそろそろ持ち場に戻らないといけないんでな」

(やっぱり最後までは案内してくれないんだな・・・)

笑いながら去って行く自称案内役の背中を見送り、教えられた通り施設に沿って西へと移動する。

すると今まで一切口を開かなかった由羅達が話しかけてきた。

「結局、学校の中には入れぬようじゃのう。がっかりじゃ」

「そうですねぇ・・・少しくらいは見学できると思っていたのですが」

魔法学校を楽しみにしていた二人は拗ねたように不満を述べる。

「しかたがないさ。最初から入学するわけじゃなかったんだし、一か月後には街を離れるんだから」

「ふむ・・・刀護がそういうのならそういう事にしておいてやろう」

「ごめんな、由羅。いつかこの街に戻ってきた時には師匠に頼んで見学させてもらおう」

納得はしていないであろう由羅をなだめながら、教師が待つという場所へと急ぐのだった。



「お待ちしていました。早めに来ていただいて助かりましたよ。下手に待たせたりなんかしたら彼らは何を言い出すかわかりませんから」

指定された場所で待っていたのは、ゆったりとしたローブを纏った細身で身長もそれほど高くない如何にも魔法使いといった風貌の男性だった。

「はじめましてトウゴ君。私はこれから一か月の間、あなたの実技訓練を担当することになりましたレネンです。こう見えても一応剣士の端くれなのですよ?」

そう言って刀護の答えを待つ間もなくローブの内側からスルリと二本の長剣を引き抜いた。少しも手を使わずに。

剣が空中を自由自在に飛び回るというなんともファンタジーな現象をみせられて目を丸くする刀護。

その反応を見て逆に不思議そうな顔をするレネン。

「おや?ファルゼン流飛剣術を見るのは初めてですか?レイン様も使われるはずですが」

知らなかった。そもそもレインから直接手ほどきを受けたことは未だに一度もないのである。

「実はまだ、師事してから日が浅く、師匠から教えを受けたことはありません」

刀護の答えに今度はレネンが驚いていた。

「レイン様からあなたの剣の腕は聞いております。魔力を使わない戦闘なら自らを凌ぐとさえおっしゃっていました。レイン様の教えなしにそこまでの技量を身に着けるとは・・・正直信じられません」

レネンの柔らかな気配がすうっと鋭くなったのを感じる。

「すみませんが、一手お手合わせをお願いします。ルールは魔力の使用は無しで先に一撃入れたほうが勝ちでどうでしょうか。ただし飛剣の使用だけはお許しください。私はこれ以外の剣は使えませんので」

突然の申し出に戸惑う刀護だったが、教師を名乗る人物が手合わせをしてくれるというのは願ってもない事だと考えた。

「こちらこそよろしくお願いします」

レネンは刀護の答えに満足そうに頷くと、準備してあった訓練用の皮鎧一式と木剣を一本浮かせて刀護へと渡した。そして自らも木剣を二本手元へと引き寄せる。

「さあ始めましょうか。いつでも打ち込んできてください」

始まりの合図に刀護は相手へと意識を集中させたのだった。

(あの空飛ぶ剣は魔法で操っているんだよな?でも俺は魔法の感知なんてできないから、死角に入られたら対処なんてできない。ならばやることは一つだな・・・)

結論を出した刀護の動きは迅速だった。

膝から力を抜き重心を斜め前へ。倒れこむ力を利用して体を前に送り出す。

知り得る内では最速の歩法で一気に相手との間合いを消し去った刀護は、空飛ぶ剣が反応を見せる前に胴を薙いで背後へと抜けた。

電光石火の一撃。

刀護が出した結論とは、どうせ防げないのなら最速最短で斬られる前に斬るという単純明快なものであった。

残身を取り、レネンの様子をうかがう。すると・・・

「ふっ・・・あっははははは!いやぁお見事です。おおよそ強化も使っていない人間の動きとは思えませんね」

木剣とはいえかなりの勢いで胴薙ぎにされ片膝をついていたレネンがゆっくりと体を起こしながら楽しそうに笑った。

「すみません。あの空飛ぶ剣に加減などできませんでした。体は大丈夫ですか?」

刀護は心配したが、どうやらその必要はないようだった。

「大丈夫ですよ。このローブは特注品でしてね、木剣どころか真剣で斬りつけられても大丈夫です。そんなことよりも謝らなければなりませんね。あなたの実力を見くびっていました。自らの未熟さを恥ずかしく思います」

「いえ、自分は魔力の制御もできない半人前です。レネン先生が謝ることなどありません」

どこまでも謙虚な刀護の姿に、なぜか目頭を熱くするレネン。

「もうすぐ来るあの子たちにトウゴ君の爪の垢を煎じて飲ませたいよ・・・これから先、とても苦労するだろうけど絶対に挫けないで欲しい」

「どういうことですか?」

「レイン様からのお達しで、これから起こるであろう事に私は関与できません。ただ、絶対に死なせはしませんのでそれだけは安心してください。あと、背中の剣はこちらで預からせていただきます。これもレイン様からのお言葉で、何があっても決して手助け無用とのことです」

嫌な予感しかしないレネンの言葉と同時に午後の授業開始の予鈴が鳴り響いた。

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