第一章 おまけ、異世界へ

勇者、楽園へ辿り着く

異世界への扉をくぐった勇者ベイルが最初に感じたものは、強い眩暈と落下の感覚だった。

まずい、と思ったが、幸い地面は近かったらしく、片膝をついて着地することができた。

軽く頭を振り、眩暈を追い出すと改めて周囲を確認する。

そこは、柔らかい明りに照らされた板張りの広い部屋の中だった。

(ここが異世界か・・・)

そんなことを考えていると、背後から人の声が聞こえた。

「どなたかしら?」

振り返るとそこには、一人の美しい女性がいた。

(何を言っているかはわからんが、驚かせてしまったようだな・・・)

何もない空間から、怪我だらけの武装した男が現れたのである。驚くのも無理はないだろう。

「私に害意はありません。話を聞いてもらえませんか?」

ここは異世界である。通じるはずもないだろうが、ベイルは女性に話しかけた。

「外人さんよね?どこの国の言葉かしら。困ったわね」

(やはり通じないか・・・どうしたものやら)

とりあえず害意がない事を示すために武装を解除することにしたベイルは、身に着けていたショートソードや投擲用のダガーを外して床に置き、その場から後ずさって女性の様子を見る。

すると女性は、傍らに置いてあった見事な造りの剣に何やら話しかけはじめた。

(知性を持つ剣か?凄まじい力を感じるが、魔力とは違うな。俺の知らない異質な力のようだが・・・)

やがて会話が終わったのか、おもむろにベイルの方へ顔を向けにっこりと微笑んだ。

そして「どこの方かは存じませんが、ようこそいらっしゃいました。ごゆっくりなさっていって下さいね?でもまずは、怪我の治療をしましょう」と言った。

その微笑みを見たベイルは、自分の顔が熱くなるのを感じながら(言葉はわからん。わからんがここに来て良かった。魔王に感謝せんとな)そう思った。



そんな出会いから3か月が経過した。


はっきり言って不審人物でしかないベイルを快く受け入れてくれた女性と、その家族の看病の甲斐あってベイルの怪我は粗方の回復をみせていた。

言葉も不自由ながらなんとか日常会話くらいはこなせるようになった。

ベイルを救ってくれた女性の名は恵美。そしてその父親である洋二郎と、母親の絹江の三人家族であり、貴き身分なのか、凪森という姓を持っていた。

古くから代々、呪い事まじないごとを生業としている家系らしい。

それと、家の近くに大きな畑を持ち農業も兼業しているとのことだ。

体調を心配していた家族からやっとのことで自由に歩き回ることを許されたベイルは、様々なものを見て回った。

まず異世界である地球に来て最初に気づいたことは、この世界には、魔力の元になるマナが大気中に存在しないこと。

元々、魔王との戦闘で魔力を使い切っていた上にその補充もできなくなったベイルは、有していた強大な力を失い、怪我の治癒も随分と遅くなってしまった。

二つ目は文化の違い。マナが存在しないので魔道具の類は一切ないが、電気というエネルギーを使うことで、様々な道具を動かし生活に役立てていた。

ベイルは特にテレビがお気に入りだった。恵美の趣味でもある映画を一緒に見て大興奮していたものである。

三つ目は魔王の言う通り、平和であることだった。魔物も盗賊も存在せず、命の危険にさらされることがない。

貴族や奴隷といった格差もなく、貧困により飢えて死ぬ人も極めて少ない。

そして、些細な罪ですらしっかりとした罰則を受けるという、法と秩序が守られた世界だった。

最後に食の違い。リハビリも兼ねて恵美に連れられ、スーパーと呼ばれるこの世界の商店へと赴いたベイルは、ただひたすらに驚き立ちすくんだ。

広大な空間に、色とりどりの見たこともない食材がずらりと並べられ、それが延々と続いているのである。

(これはすごいな・・・これほどの品ぞろえだ、さぞかし名のある、由緒正しき店なのだろうな)

そんな様子を見て取った恵美は、笑いながら告げた。

「この街は、人はそれなりに住んでいるけど田舎だからね~。都会にいけばもっともっと大きな、それこそ、ここの何倍も大きいお店が沢山あるわよ~」

それを聞いたベイルは驚愕に目を見開く。

(馬鹿な!これほどの店より大規模なものが沢山あるだと!?信じられん・・・これが異世界か・・・恐るべし)

そんなことを考えていた。

野菜類に関しては、自宅にある畑で大体の物を自給自足をしているため、肉と魚、足りなくなっていた調味料と酒、そして茶色の悪魔を買い物カゴに入れる瞬間をベイルは見逃さなかった。

(やはりアレも買うのか・・・)

特に食べることを強要されるわけではないのだが、凪森家では、朝食時に必ず茶色の悪魔『納豆』が出されるのである。

フォルバウムにも豆はもちろんあり、ベイルもよく食べていた。

だが豆をわざわざ腐らせて・・・・食べることなど絶対にしない。

糸を引く見た目も、強烈な臭いも、とてもじゃないが受け入れられない。アレをおいしそうに食べる異世界人が信じられなかった。

(他の食べ物はめちゃくちゃうまいのにな。なんであんなもの好き好んで食うのやら。まあ俺が、アレを食べることは一生ないだろうな)

そう思っていたベイルだが、長い年月の後に納豆なしでは生きられないほどの大好物になることを、その時は知る由もなかった。



ベイルが日本に辿り着いてから、一年程の時が流れた。

言葉もほぼマスターし、難解と言われたエルフ言語を遥かに超える難易度(ベイル談)の漢字も、問題なく読み書きできるようになった頃、ベイルは自分の境遇を凪森家の人々に全て話した。

洋二郎は若干、怪訝そうな表情だったが、何もない空間から突如現れたという話を聞いていたため、なんとか理解してくれた。

恵美と絹江に至っては、端から疑いもせずにこにこと話を聞いているだけだった。

そして、自らのことを話してくれたお礼にと言って、凪森家に伝わるお役目の事を話してくれた。

その内容とは、ベイルが初めて地球にきた時に見た刀『御神刀 凪』にまつわる出来事だった。

大昔に呪いによって変化へんげした、悲しき鬼を封じた刀の事。

時を経て、鬼の力が封印から漏れ出した事。

刀を再封印するため、一人の巫女が命を捧げ、その魂を以て成し遂げた事。

人柱となった巫女の魂を、凪森の人間が代々慰め続けてきた事。

そして、先代のお役目である絹江の代で、刀に封じた全ての呪いの浄化が終わり、呪いの核であった呪術師の人格が復活したことで、凪森の使命が終わりを告げた事。

本来であれば刀を破棄し、巫女と術師の魂を解き放つところだったのだが、巫女の魂がそれを良しとしなかったため、当代の恵美までお役目が続いているという事。

そんな話だった。

興味深い話ではあったが、それによって凪森の人々への感情が変わるわけでなし、むしろ、お互い隠し事せずに済んだということは喜ばしいとベイルは感じていた。

実際、恵美との距離も縮んだ気がして、ベイルとしては万々歳であった。


その後、紆余曲折あったが、ベイルは無事、恵美と結ばれ、二人の子を授かった。

一人目は女児、名前は香奈。二人目は男児、名前は刀護とうご

二人目の子供の性別が判明した時、あまり驚いた顔を見せない絹江と恵美が、珍しく驚いていた。

なんでも、刀の声を聴けるお役目の力は、直系の女児にのみ現れる。

代々、長女は婿を取り、その血を繋いできたのだ。

そもそも、男児が生まれること自体がほとんど無く、凪森の長い歴史の中でも3人しかいないらしい。

そして、男児は命に代えても刀を護る使命を帯び、例外なく刀護と名付けられる。

可哀そうだとは思ったが、しきたりであるのならば仕方がないと、あきらめることにした。

子供たちは大きな病気も怪我もなく、すくすくと成長した。

刀護はその生い立ちもあってか、幼いころから剣道を始め、本人の素質と元勇者であり、魔力などなくても超人的な技量を誇るベイルの手解き・・・という名の苛烈で凄惨な修行もあって、同年代では並ぶ者のない程の剣士になった。

姉の香奈は、母である恵美の影響で、趣味に生きる子供になった。

当代のお役目として、巫女や呪術師との対話を積極的に行うのは良い事なのだが、その内容がひどく偏っていることは問題だった。

凪を祀ってある本殿に、20インチのテレビを設置。同時に、ゲームやらアニメDVDやら漫画本やらを持ち込み、所謂、オタク文化的なサブカルチャーを教え込み始めたのである。

それに乗じて、先代である恵美も、自分の大好きな映画を巫女達に見せるようになった。

娯楽に飢えていた巫女達は、見る見るうちに傾倒し、巫女は立派なオタクに、呪術師は知識豊富な映画評論家へとなり果てていた。


平和な日々。

それがいつまでも続いていくと、ベイルは信じていたが、ある事件を境にその願いは脆くも崩れ去るのであった。

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