第2話

その皿は、正月の祝の宴に使うようにと主筋の丹波守より貸し出されたものだった。


桐の箱に入れられ十枚で一揃いとなった冴え冴えと蒼く美しい伊万里の皿である。


ことに十枚目の皿は、揃いという枠を越え、異彩を放っていた。


濡れたようなのびやかな筆使いで、月とそれを淡く包む群雲が描かれている。


皿を手に取ると、夜の甘さ怖さを辺りに解き放つようであった。


「いっそ人を狂わすようですな」


家老の帯刀は、青山の隣でそんな言葉を呟いた。


狂わせる、確かにあの皿は誰か彼かを狂わせ、その狂わせた者の内臓を皿の上に乗せて、悠久の時を生き続けてきたのかもしれぬ―


青山の命に逆らい、井戸の蓋に巻かれた荒縄を切った者がいる。


ガチッと青山は歯を鳴らし、血が滴るほど強く唇を噛んだ。


そして何者かに解かれ、おそらく庭に捨てられた荒縄のことを考えた。


誰か誰か、その縄を俺に向かって垂らしてくれ、差し伸べてくれ。


このままここに一人でいたら、凍え死ぬ前に狂ってしまう―。


縄に縋ることを考えているうちはまだいい。


やがて荒縄を切った小柄のことを思い、その小柄で一息に喉を突くことを考えるようになるだろう。


この皮膚を、肉を引き裂いてゆく雪の蛞蝓共に、生き血を吸い取られ奪われて。



「五まーい、六まーい、七まーい…」


悲鳴のような女の声が絶え間なく続いている。


青山は割れた皿のことなどもう知るかとばかりに首を振った。


ああ、一枚でも二枚でも何枚だって構わない、とにかく俺に今すぐ羽織を着せてくれ。


寒くて寒くて凍え死んでしまう―。―。

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