第2話 1957年
「チタさん」のことを説明するのは、大人になった今でも難しい。
「さすらいのお手伝いさん」というのが一番、近いだろうか。
私が物心ついた頃、いつのまにかチタさんは、村にいた。
私の家は代々、「
忙しい時間の朝と夕方だけで、あとは別の家でお手伝いさんとして働いていた。
チタさんがお手伝いに行っていたもう一軒の家の表札は「永野・坂田」だった。
夫婦ではないけれど、家族みたいに暮らす
キュウドウさんは、戦争の時に銃で撃たれて頭に2発、弾が残っているという人だった。
撃たれた時のショックで、記憶をいろいろとなくしているという話だった。
私の覚えているキュウドウさんは、寝込みがちで、いつも布団の中でごろごろしてい無邪気なおじさんだった。
そんなキュウドウさんは、ケガや災難に、とても遭いやすい人だった。
川に釣りに行って、急な大雨に降られて増水して、中州に取り残されたり、1mはあろうかという化け物みたいな鯉を釣り上げたかと思ったら、それを食べてお腹を壊した。
そういうキュウドウさんのあれこれは、ほとんどが新聞に載り、布団と包帯が友達というキュウドウさんは、村の有名人だった。
キュウドウさんは畑や近所のお使いなどをして一応は働いていたが、基本は、加奈さんが外で働いて、家族を養っていた。加奈さんは優しくて頭がよくて、その当時では珍しい、保険の外交員をしていた。
頭に弾が入っているせいか、ちょっと言動におかしなところがあるキュウドウさんを
一人にしておけず、通いのお手伝いさんとしてチタさんが雇われたのだが、チタさんも、またとても変わった人だった。
チタさんはくっきりとした目鼻立ちで、女優のように美人だった。
「原節子を外国の水で磨いたら、チタさんになる」
近所のおじさんたちが、そんなことをよく言っていたものだ。
そして、私はチタさんによく勉強を教えてもらったからわかるのだが、チタさんはものすごく頭がよかった。
田舎にたった一人で旅にきた都会の人という雰囲気だった。
そして、その一方で、チタさんは驚くほどすべてのことがどうでもいいという人だった。
チタさんには、家がなかった。
小さい頃、チタさんは、一体、どこに住んでいたのかと、不思議だった。
どこに住むも何も、チタさんは、村の近所の家々を泊り歩いていたのだ。
その家が、女が家族と暮らす家だろうと、男の一人暮らしだろうと、夫婦者の家だろうと、まるで関係なく。
毎夜、体を開きながら。
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