海とチタさん

真生麻稀哉(シンノウマキヤ)

第1話 1974年

私は招待を受けて、妻とともに、あるギャラリーのオープニングパーティに来ていた。


会場には「オープング・アート」を実演するための舞台が設けられている。


「オープニングを務めるのは女性アーティストなんですって。

 いったい、どんな作品を創作するのかしら」


舞台用の照明の熱に当てられたような上ずった声で、妻が言った。


妻の手の甲が、私の手の甲に、ちょんと触れた。


あつい―。


やがて、舞台の横にテーブルが置かれ、その上に、羽根、靴、バラの花、ぶどう、香水、ワイン、パン、口紅、注射器、ナイフ、ハサミ、鉄の棒、カミソリの刃、銃などがセッティングされた。


観客がみな、好奇心でテーブルの上を覗き込んだ。


妻が囁く。


「ふぅん。ずい分、変わったもので絵を描くのね」


そこに独りの女性がやってきて、舞台に立った。


「マリーナ」と彼女は名乗った。


彼女は、手にホワイドボードを持っていた。


ボードにはこう書かれている。


「テーブルの上に72個の物体があり、人は望むままに私の体にそれを使うこと

 ができます。


 パフォーマンス。


 オブジェクト(物体)は私です。


 上演中は、すべての責任を私が負います。


 上演時間:6時間(午後8時~午前2時)」


彼女は5分間、ボードを持って、舞台の上に立っていた。



誰かが


「お嬢さん、これは本当かい?」


と尋ねる。


彼女は頷くと、


「上演中は、すべての責任を私が負います」


という文字の横に、ペンで自分のサインを書き込んで見せた。


「おおっ…」


と会場から、いっせいに男の声が上がった。


彼女がホワイトボードを、横に用意されたスタンドにかけるまでの5分間、私はずっと彼女を見ていた。


高い鼻梁、彫りの深い造作、赤茶色のウエーブがかった髪、そして強い意志の光を放つ大きな瞳。


垂れ目なのが、彼女の美しさと人間味をいっそう際立たせて見せた。


彼女の顔立ちは、スラブ系の匂いがした。


マリーナという名の意味もきっと、英語のmarina(港)ではないのだろう。


けれど、私はその名と、夕日を映したようなその赤茶色の瞳の中に、チタさんを思い出していた。


マリーナが、ホワイトボードをスタンドに置いた。


歴史に残る、パフォーマンスの時間が幕を開けた。

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