第5章~正しい世界~

 ここは、どこだ・・・?

 目は開いているはずなのに、闇が広がっている空間。不思議なことに、自分の体だけははっきりと見え、浮いているような感覚だった。

 暗黒世界、だろうか。

 久しぶりの感覚だった。

 最後にこの世界を訪れたのは、あの夏の日だったか。

 体を動かすことが出来なくて、目の前には白髪の幼女ルノがいて。

『聞いとるのか?堀井奏太よ』

 そこから、すべてが始まった。

 悪魔との契約は危険。あの時は人間の常識としてそれが危険だとわかっていながら、どうせ夢だろうと契約を交わした。

 記憶も体も人間の時、訳も分からないまま戦いに身を投じることになった。

 殺し合い。それ確かに危険で、人間を殺す気も起きなかった。殺されたくもないし、それでもルノと協力して勝ち上がる。

 そんな生活を楽しいと感じていた。ルノがいて、非日常で刺激的な、そんな日常が。

 あぁ、でも。一回だけ死んだな。

 ルノの幼馴染とかいう吸血鬼に殺されて、アーウェルサに行って記憶が戻って。地球が滅びるから救ってこいだなんて、エストもとんだ無茶を言ってくれやがる。

 それでも、俺は自分の為にも吸血鬼を倒して、ルノとの契約が危険なものだと感じないようになっていた。

 家族や知り合いも増えた。

 それらが夏休みの話で、学校が始まってからも大変だった。

 元からまともな学校ではなかったのに、ルノがいたことでより色彩が豊かになった。

 同級生。生徒会の奴ら。人間として会いに来てくれたエル。スパイとして近づいてきた絵美と出会ったのもこの頃。

 学校祭の準備をして、忘れていたことを思い出して。

 フィルが体を乗っ取ってルノを殺そうとしたときは本当にひやひやして。

 どうやら俺は、ルノを失いたくないらしいのだ。

 あいつとの関係が崩れれば楽しみが減ってしまう。あの楽しかった日常は戻ってこなくなる。離れたくなかった。

 そう、強く感じたのが遊動園に行った頃。

 最初で最後の家族のお出かけとなったあの日。ルノが消えた。

 三日三晩、不眠不休でルノを探した。

 札幌の地下を巡り、病院でのことを思い出した。向こうの世界がこっちの世界に干渉していると知ることになった。

 本来、あってはならないはずなのに。

 ネアと再会した。

 ルノを見つけた。もう離さないと決めた。

 昔の真実。天城姉妹の正体。聖域の存在。

 知らなかったことを知り得た。

 三種族の王が人間界を急襲。

 それらをなんとかしのいで、あぁ、そうだ。

 忌々しい記憶が蘇る。

―コロサレタ。

 ディーテに。すべての元凶に。ルノと共に。

 けどよ、お前には感謝している。お前が変な気を起こしたおかげでルノと出会えたんだから。

 だからと言って、許すつもりも毛頭ない。よくもまぁ、やってくれたよ。本当に。

 さてさて、と。俺は全部覚えている。大丈夫だ。

 じゃあ、ここは一体どこだ。

 少なくとも、暗黒世界ではないことはこの長考によって判明した。

 俺はあの時、確かに死んだのだから。

 と、なれば。ここは魂の淵か。

 もうじき、消えるだけの存在だ。

 あ~あ、やっぱり死んじまったか。

 長いような、短いような、1300年余りの生。人間にしてみれば長くて、アーウェルサの住民としてはまだ短いような、そんな歳。

 兵士になり、兵長となり、秘書官になった。時折、講師として軍を目指す卵たちに戦闘スキルを教えもした。

 聖魔大戦を不本意ながら生き延び、英雄として謳われることになった。

 人間も経験した。

 あまりにも多くのことを、経験しすぎた。

―満足か?

 まぁ、そうだな。

―やり残したことは?

 いっぱいあるだろうな。

―会いたい奴は?

 たくさんいる。

―死にたくないか?

 分かんねぇな。

―どうして?

 いい加減潮時だろうよ。あまりにも長く生きたような気がする。あぁ、でもやっぱり、死にたくないかもな。だって、俺は―

 繰り返す自問自答。

 それは唐突に終わりを迎える。

 闇に一筋の光が差し込んだのだ。手を伸ばせば届く距離に。

 動かない体はその光に吸い寄せられ、考える暇も与えずに視界は一点、白い光に包まれた。




 魔法陣から放たれた光はすっかり消え、周囲は月と星の光でのみ照らされる。

 光が晴れるとともに、三人にかかっていた呪いも消え去った。

 縛り付けられていた魂は損傷のない体に戻るはずだ。

 そして、それは起こる。

 ブワッと一陣の風が吹き、あたりの木々を揺らした。

 ムジナとシュミルは突然吹いたこの不自然な風がなんなのか気づいた。

 魔力旋風。

 体に収まり切れないほどの強大な魔力が体外へと溢れだし、空気を動かして風として感じることが出来る。

 その風の影響で土煙が上がり、視界を塞ぐ。

「グッ」

「ガハッ」

 何者かがムジナとシュミルの身を襲う。

 エルは何が起こっているのか理解できず、目を細め、手で口を覆い、砂塵から身を守ることに徹していた。

 やがて風はやみ、砂塵も収まる。徐々に視界が晴れていき、魔法陣の上に誰かが立っているのが見えた。

「トリア!」

 それは間違いなくトリアだった。嬉しさのあまりトリアのところに行こうと走り出す。しかし、

「エル様!近づいてはなら―」

 ムジナに呼び止められる。

 なんだよ、と思いながらムジナの方を見て言葉を失う。

 植物でできた緑色の十字架にムジナは括りつけられ、動くことを封じられていた。

 それから、長身長髪の女の前に跪き、頭を踏まれているシュミルの姿。

「まさか、ルノ?」

 女はゆっくりとした動作で振り向き、右手の平をこちらに向けた。

「軽々しく我の名を呼ぶでない。煩わしい」

 右手から細く鋭い炎が放たれた。

「やめろ、ルノ」

 炎とエルの間に入り込み、デコピン一つでかき消す男。

「ふん」

 ルノは幾分納得がいかないというように顔を背けた。

「ト、リア?」

「よ、久しぶり」

 気づけばエルは抱きかかえられていた。

 愛する者との、蘇生した者との触れ合い。この上ない喜びのはずなのに、感じたのは恐怖だった。

 この身体を抱きしめ返し、自身の体を預けることが怖かった。

「本当に、トリア?」

「他に俺がいるのか?」

「いや、いないけど」

 言葉の返し方はいつもどおり。なんとなく懐かしくなる。

 声も見た目も全く変わらない。なのに、何かが違う。

「よぉ、ムジナ。シュミル」

 トリアはボロボロの二人に目を向け、口角を吊り上げて笑った。

「いいざまだなぁ。どうだ?かつての主に牙を剥けられる気分は」

 ムジナはかつてセミルに仕え、シュミルはルノに仕えていた。

 なぜ二人の主がそれぞれの従者に攻撃を加えたのか。トリアもかつてはエルの従者。自然と体が緊張で固くなる。

「ねぇ、トリア。これは一体どういうこと?なんであの二人が攻撃されているの?ねぇってば」

 トリアは何も言わず、下卑た笑みを浮かべたまま。

「なぁ、エル」

「な、なに?」

 次は私なのか?そうなのか?

「俺、神になるわ」

「は?」

 恐怖から一転、何を言っているのかわからず困惑する。

 ちょっとコンビニに行ってくるわ。そんな軽い調子でトリアはそう言った。

「うん、ごめん。全然さっぱり何言っているのかわかんないんだけど」

「ルノ、セミル。行くぞ」

 ただただ困惑するエルを完全に無視してトリアは翼を広げた。

 そのまま飛び立つのかと思いきや、トリアの視線は一点を見つめ、動かない。

「これは一体どういうことだい?」

 視線の先には、憤怒の色を明らかにしたディーテの姿があった。

「ムジナとシュミルが3人の遺体を連れて抜け出すまでは予想通り。けど、どうして蘇生が成功している?いや、成功じゃない。成功じゃないなら、何だこの状況は」

「我輩たちが、抜け出すのが、予想通り?貴様、一体何を」

 かすれた声でムジナは問う。

「この3人に掛けた封印。解き方を少しでも間違えればこうして中身の違うやつが蘇る。魂が変質してしまうんだよ。

 そもそも、あたしの封印だってそう簡単に解けるもんじゃない。あぁ、そうか。姫さんか。やっぱりあの時に始末しておくんだったよ。

 どいつも、コイツも。あたしの計画の邪魔ばっかしやがー」

「うるせぇぞ」

 どんどん逆上していくディーテの胸に唐突に大剣が刺さる。それが、トリアの手によって一瞬で行われたことなのだと理解するのに数秒を要した。

「お前の計画なんざ知らねぇし興味もねぇよ。が、お前には少しばかり用事があったんだ。お前には色々と感謝している。それと同じくらいお前のことが憎い」

 どこか寂しそうに、遠くの方を眺めてトリアは続ける。

「ここで、復讐と行こうか」

 言い終えると同時に、トリアは右手を前に出し何かを引き寄せるように指を引く。それに伴い、ディーテの胸に刺さっていた大剣が引き抜かれる。

 血は出ず、ディーテの姿は消えた。

 そんな中、ムジナはディーテの登場に再度考察を始めていた。

 それは、ディーテの真の目的について。

 空間の結合を果たすという当初の目的は果たされた。

 三人を殺したこと目的は果たされた。ならば、遺体や魂は捨てていいはずのもの。

 なのに、それを保管し、あまつさえムジナらに回収させた。そこに、真の目的が隠れている。

 これは深く考えるまでもない。まだ3人のことが必要だった。

 正しい方法で、正気の3人を蘇生させる必要があった。

 ディーテは何を考えている?

 それは、ディーテ以外には知りえない、考えもつかない、何かとてつもなく強大な野望。

 こうして目の前に現れたのも、この真の目的を果たすため。そう考えるべきか。

 トリアに刺し貫かれて消えたのは偽物。本物はどこか別の場所にいる。

「はぁ!」

 己の体を炎へと変え植物の拘束から一時的に逃れる。

「セミル様。何が目的ですか」

 分からないのは、ディーテのことだけではなかった。正気を失って蘇った3人の今の目的もだ。

「報復です。この世界に」

 セミルは何処までも澄み渡る声で答えた。顔には柔らかい笑みが浮かんでいる。

「ルノ!貴様は」

 咄嗟に振り返り、幼馴染に問う。

「同じじゃよ。奏太もな」

 ぐりぐりとシュミルの顔を踏みつぶしながらルノは答えた。奏太、というとトリアの人間名か。

「おいルノ、俺はもう人間じゃねぇ。だからトリアだ」

「おぉ、すまんすまん。つい癖でな」

 二人はお互いに顔も見ずに笑いあった。

「世界への報復・・・。そのためにトリアは神になるの?」

 いまだ胸の中のエルはそう問う。

「いや、違う」

 返ってきたの否定。

「俺が神になるのはまた別の理由だ。けど、まぁ、その気がないわけでもない。特にディーテに関してはな。こいつはここで殺らなきゃ気が収まらねぇ」

 どこか苛立っている。ディーテや世界ではなく別の何かに、エルはそう感じた。だが、口にはしなかった。

「ルノ、セミル。お前らもちょっと遊んでもらえ。体慣らしにはいい機会だ」

「そうさせていただきます」

「相手になればいいがな」

 ルノはシュミルに、セミルはムジナに向かって攻撃を叩き込んでいく。主二人の攻撃に対し、元従者たちはひたすらに身を守る。

 それによって生じた魔力同士の衝突があたりに暴風を巻き起こす。

 その風に乗ってトリアは前方に跳躍。宙にあった剣を回収し何もない空間に振りかざす。

 本来なら空を切り、すんなりと振られるはずの剣は、耳を刺す音と共に宙で制止した。

 エルの目には全く見えなかったが、どうやらその場所にディーテがいるらしい。

「トリア、姫さんを抱えたままなのはハンデのつもりかい?」

「充分だろ?」

 口元を歪ませて右足を軸に回転。ディーテからの視えない攻撃を避け、逆に蹴りを入れる。

「その油断が命取りになる」

「もう何も、失わない」

 何もないところからトリアに向かって無数の槍が飛んでくる。

 四方八方。時折頭上からの槍の雨をくぐり、剣を横に一筋。縦に一筋。次々と虚空に向かって剣を振る。

 端から見れば完全におかしな人だ。けれども、エルは確信する。

 トリアには見えているのだ。空間と空間の狭間に身を隠すディーテの姿が。

 それは何故か。答えは簡単。トリア自身による魔力の行使だ。

 魔力は空気、体内に存在する見えない力のことだ。それを制御することで数々の恩恵を受けることが出来る。

 エルは魔力に対しての知があまり深くないため気づいていないが、トリアは自身の目に魔力を流している。

 これにより、空気中に漂う魔力の筋を辿ることが可能となり、ディーテを追跡していた。

 空間から現れる槍は全て魔力でできたもの。それが飛び出す入り口も当然魔力で作られている。それらを辿れば必ず複数の筋もひとつとなり、一か所に集中する。

 その場所がつまり、ディーテの居場所ということになる。

「チィ!」

 トリアは左腕でエルのことを抱きかかえ、右手の剣、両足を巧みに使い攻撃をかわして反撃に乗じる。

「俺が片手だからって油断したな」

 気づけば、トリアの持つ剣の先がディーテの首筋を捉えた。

「動くなよ?」

 少しでも動けばディーテの首は飛ぶ。魔力で空間ごと逃げようにも、トリアの剣はそれよりの確実に早く動く。

 それを理解して上で、ディーテは舌打ちをした。

「・・・参った」




 その一方で、ムジナとシュミルはかつての主から逃げるので精一杯だった。

「どうするんですか!」

 シュミルは叫ぶ。

「逃げるしかないであろう!」

 ムジナも叫ぶ。

 今はそうでなくとも、かつては忠誠を誓った主。

 たとえ主たちが殺意を持っていようとも。従者たちはそれを受け入れる気も応える気もなかった。

「逃げないでくださいよ~」

 そう言うセミルを先頭に、二人を追っているのは木だった。

 地面からせり上げ、根っこを足にして駆けてくる。

「なんか、最初よりも増えている気がするのだが?」

「えぇ、絶対に気のせいではないでしょうね」

 始め、二人を追っていたのはせいぜい4,5本だった。それが今では、数えるのがばかばかしく思えるほどに増えていた。

「『インディペンデンス・ツリー』この森は素直ないい子たちがいっぱいですねぇ~」

 どうやらこの島にある木々もセミルが意思を持たせたらしい。

 見れば前方、左右、後方から木が迫っていた。森そのものが二人を追っているのだった。

「森に追われる恐怖も中々のものだな」

「呑気に言っている場合じゃないですよねぇ!?」

 木を燃やす。切り倒す。腐らせる。取れる対策は3つ。

 それらを試す価値も必要性も、二人には全く感じられなかった。

 セミルは元・神。そして、元・妖精女王。

 自然を扱う『ベジテーション』を遥かに上回る魔力『ネイデンス』の使い手。

 自然を味方につけ、その恩恵を受けている。ちょっとやそっとの魔力じゃあこの包囲網を突破することは到底不可能。

「よし、シュミル。囮作戦といこうではないか」

「え?」

 返事も聞かないでムジナはこっそり魔力を発動する。

「うぉ!」

 驚きの声と共にシュミルが視界の端から消えた。

「囮ってわたくしが囮ですか!」

 シュミルの足は一部が凍り付いていた。それで動けずに転んだ。

 と、同時にムジナは高く跳躍しあたりを見渡す。奴はどこにいる?

「ここじゃ」

 背後から響く低い声。

「『インフェルノ』」

「ぐぉ!」

 背中にルノの手、そこを中心に熱が広がりムジナの体を炎が包んだ。

 ワーペル家が恐れ呪った、獄炎の炎『インフェルノ』の魔力。

「この炎。もらい受けた」

「ほぉ」

 ムジナは自身に備わった特殊能力を発動する。魔力を吸収し我がものとする力。体を包んでいた炎は、体に吸い込まれていく。

「燃えろ」

 早速手に入れた力を動く森に向かって放つ。

 その炎は『ブレイズ』よりも激しく、『ヴォルカニック』よりも熱い。

 魔力の強さは、セミルの扱うものと同等、もしくはそれ以上。

 1本の木が燃え、その炎は隣に移る。炎はたちまち森を飲み込み、消し炭に変えた。

「なんて力だ」

 放ったのは自分だというのに、そのあまりにも強大な力にムジナは驚いていた。

 間近でそれを眺めることになったシュミルは、昔見たものよりもはるかに威力が高いことに唖然とした。

「あらあら、お仕置きが必要ですね」

 一方でセミルは冷笑を浮かべ、音楽の指揮を執るように腕をゆっくりと動かした。

「『プラントダンス』」

 地面から植物の根のような触手が無数に生える。それらはセミルの手の動きに合わせて左右に揺れ、あっという間にムジナとシュミルを取り囲んだ。

 さらに、セミルは腕を動かす速さを変える。またそれに合わせて根は動きを変え、鞭のように二人へと襲い掛かる。

「また燃やしてやる。『インフェ―』」

「そいつはもう、発動せんよ」

 ムジナは先ほどと同じように炎を放つイメージをする。しかし、ルノの言う通り、何も起こらない。体の中で魔力は熾ってはいるが、体外に出てこない。

「我の呪われた力がそう簡単に使えると思うな。たわけが」

 ムジナの内側から鋭い痛みが走る。

 内側から体外にようやく現れた炎は、ムジナの意志を無視して体を蝕む。

「我の力は一度火が点けば、燃えつけるまでは消えん」

 炎に包まれた体に重たい衝撃。炎に遮られ、ルノのかかと落としがムジナの腰に当たり、そのまま地面へと落下する。

「あぁ、お主は不死じゃったな。永遠に苦しむがよい」

「ぐ、がぁ!」

「憐れなものよ。不死じゃなければすぐ楽になったものを」

 ルノはそう言い残し、火だるまとなったムジナを放ってその場を立ち去った。

 その場に残ったのはセミル、シュミル、ムジナ。

 シュミルは火だるまになったムジナを見る。あれはもう、戦闘不能。

 いまだ追いかけてくる木の根を避け、とにかく走り回った。

「あなたには何の恨みもありませんが、死んでいただけますよね?」

「何の恨みもないのなら殺される理由がありません。仰っている意味が分からないため、断固として拒否いたします」

「では、わからせてあげましょう」

 セミルの腕が滑らかに動く。それに合わせて木の根がシュミルへと襲う。

 しなやかに伸びた根は四方八方から伸びる。

 空中から根が叩きつけられた地面を見れば、そこには小さなクレーターができる。体に当たれば体中の骨が粉々になってしまうだろう。

 さて、どうしようかとシュミルは考える。

 火だるまのムジナ。あの火を利用できれば勝機も見えるだろうか。

 否、それはない。

 この相手には勝てないだろうし、勝とうとしてはいけない。かといって負けて死ぬというエンドはごめんだ。せめて、出し抜かなければならない。

「私を出し抜こうなんて傲慢にもほどがありますよ~?」

「えぇ、そうでしょうね。けど、そう思っていなきゃやっていけませんので」

 答えながらシュミルは姿勢を低くする。

 横に薙ぎ払う根が頭上を通り過ぎ、跳躍。動き回る根から根へと飛び移り上を目指す。

「ほぉ」

 感心したような声を上げながらも、セミルは攻撃の手を緩めない。

「この包囲網から逃れようとお考えですか」

 腕の動きを変更。根はより早く、回転まで加えて複雑な動きをする。

 それでもシュミルは根から落ちないよう必死にしがみつき、尚も上を目指す。

 夜の帳はまだ広がっている。

 空間の闇を一点に凝縮すれば、この場から脱却することが出来る。

 だんだんと頂点が見えてきた。

 後2回。根を蹴って上がれば包囲網から抜け出せる。

 後1回。これを蹴れば、わずかなチャンスが巡ってくる・・・!

―その、はずだった。

「え・・・?」

 シュミルは確かに最後の根を蹴って上に行った。闇の帳が身近に感じられるほどまで上がり、包囲網からは抜けた。まさにその瞬間の、一瞬の出来事だった。

 その一瞬で、シュミルはあと一歩が届かなかったことを悟った。

「先輩、お見事です」

 はるか先から放たれた光の線がシュミルの胸元を貫いていた。

「最後の最後で、詰めが甘かったな」

 まどれむ意識の中、シュミルはそんな言葉を聞いた。




「さようならってな」

 指先から放った光は見事シュミルに命中した。おそらく、死んではいない。気を失っただろうが、致命傷は避けられた。

 狙いは完璧だったはずなのに。

「まだ抗ってやがる」

「え?」

「なんでもねぇよ」

 困惑するエルに舌打ちと共に返す。

「ねぇ、なんでシュミルを撃ったの?シュミルもムジナも、鳥を生き返らせるために必死になって」

「結果、俺たちは生き返った。・・・もう用済みだ」

「やっぱりあなたはトリアじゃない。本当のトリアならそんなこと言わないもん」

 それを聞き、薄く笑う。

「あぁ、そうだろうな」

 本当の俺なら後輩を殺そうとはしない。

 ルノもセミルもそうだ。正気であるのなら牙を剥くこともなかっただろう。

「魂が変質したんだ」

 細い光の糸で地面に括り付けられたディーテは言う。

「正確に封印を解かなければ、本能と理性がごちゃまぜになる。今のこいつらは、ただ自身に眠る破壊衝動に身を任せている」

「まだ理性が勝っているからその説明も正確じゃねぇけどな」

「ぐっ」

 言いながら光の糸をきつく締める。

 今すぐにでもディーテを殺したい。

本能はそう告げている。

 こいつを殺しても何もない。

 理性がそう抑止力をかける。

 俺にはそんなことよりもやりたいことがあった。

 エルとの再会もそうだが、やはり神になるということ。

 せっかくこの世に生き返ることが出来たんだ。次にいつ死ぬかもわかりはしない。やりたいことには正直になるべきだろう。

「奏太」

 名前を呼ばれた。この世界では一人しか呼ばない、呼ばれることもないはずの名前。

「俺はトリアだ。いい加減おぼえろよ」

「どっちもお主であることに変わりはないじゃろ。我の呼びやすいように呼ばせてもらう」

 ルノはそう言うと長い髪を翻してどこか遠い空を眺め始めた。

 俺たちの魂は封印されていた。

 それを解くとともにルノにかかっていた成長を止める呪いまで解けてしまったらしい。

 白髪ロングは変わらず、身長は150前後、端整な顔立ちに二本の小さな角。可愛らしさよりも美しさ、クールさが増した、ある意味で悪魔らしい悪魔へと変わっていた。

「すっかりロリっぽさがなくなって、お主は不満か?」

「人をロリコンみたくいうんじゃねぇよ」

「タイトルも変えるべきか?」

「唐突のメタやめろ。シリアスがまとめて吹っ飛ぶ」

「それはそれとして、じゃ」

 さらっと流された。

「お主はいつまでエルを抱いておるつもりじゃ?」

「俺の気が済むまでだ」

 エルの顔は赤くなるが、離れようとはしない。わずかに震えているのはまだ俺のことが不安なのだろう。それでも、可愛いやつだ。

「私の意志は?」

 おそるおそると言った感じでエルは上目遣いでこちらを見る。

「嫌か?」

「嫌、じゃないけど。なんか、不思議な感じ」

「だろうな」

 きっと、違和感を覚えているだろう。

 形はトリアなのに、中身はなんとなく違う。心境はとても複雑であることが予想できる。

「エル。そこをどけ。そして我に譲れ」

 なぜかご立腹のルノが、何かとんでもないことを言い始めた。

「ルノにこの場所はあげないよ」

「小娘が」

「お互いにね」

 ルノはエルを睨みつけ、エルは小さく舌を出してそっぽを向く。

「燃やすぞ」

「今ならもれなくトリアも燃えるよ」

「たわけ、我をなめるな」

「できるの?強がっているようにしか見えないけど」

「ふん。口だけは達者な小娘が」

 この二人、こんなに仲悪かったっけ。悪い方ではなかったと思うけど。

 あまり険悪な仲にはなってほしくないんだけどなぁ。俺も燃やされたくないし。

「ね、ねぇ!トリア」

「ん?なんだ?」

「今のトリアは、紛れもなく正真正銘純粋な天使族なんだよね?」

「まぁ、そうだな」

 純粋なのかは正直わからないけど。

「じゃあさ、私も、覚悟を決めたよ」

 唐突にエルは俺の首に手を回し、それは起こる。

「あ」

 ルノがやられた、という風に声を上げる。

「ん・・・ふぅ」

 口元に、舌に柔らかいものが触れる。お互いの息がかかるほどの至近距離。

「ん・・・んぅ・・・・・・・・ぷは」

 天使の口付け。

 天使族の愛する者同士が愛を誓う契り。

 お互いに真実の愛がなければ不幸が訪れ、真実の愛を誓った者には幸が訪れる。

 そう、何を隠そう。エルはそれを実行した。

「今までずっと、人間界に行ったときも、ずっとずっと我慢してた。もう、いいよね?」

 世の男どもよ。

 可愛い女の子が腕の中にいて、キスをして頬を赤く染める。さらには上目遣いで「もう、いいよね?」なんて言われたら抗うことができるか?拒むことが出来るか?

 答えはもちろんノーだ。

 たとえ魂の変質が起きていようとも、俺の中のエルに対する気持ちまでは変わらない。

「あぁ、当然だ」

 俺はそういい、今度はこちらかエルとの接吻を交わした。

 こうして俺は、本当の自分を思い出し、幸せな日常に―

「エェルゥ!ずるいぞ!」

―戻れるわけがなかった!

 怒りの炎を実際に起こし、ルノは叫んだ。

 感情的になって魔力を制御しきれていないのだろうが、怒りで獄炎があがるって危険すぎるだろ。

「とったもん勝ち」

 エルは小さく舌を出し、いたずらっぽく微笑む。

「おのれぇ!」

 なーんで火を点けるかな、この馬鹿姫は。

「とりあえず落ち着けよ、ルノ」

「落ち着いていられるか!」

「いいから落ち着け。んでもって自分の右手を見てみろよ」

 俺は自分の手を指し、そこを見るように促す。

 感情的になりすぎて話を聞いてくれていない可能性も危惧したが、杞憂だった。

 意外にもルノはちゃんと落ち着きを取り戻し、自身の右手を見て笑った。

 俺も改めてその力の強大さに驚く。

「一度死んでも尚、契約は残り続けるようじゃなぁ」

「みてぇだな」

 俺とルノの右手には、黒い紋章が刻まれていた。

 確か今から三ヶ月くらい前だったか。俺はルノと本当の契約を交わしていた。

 ルノは俺に三つだけ好きなことを叶えると言った。

 要求した一つ目の願いは、夏休みの課題を終わらせる。

 いま思えばものすごく勿体ないことに使ってしまった感も否めない。っていうかすごい勿体ない。なんならやり直したい。

 けどまぁ、過ぎたことを考えたってしょうがない。

 要求の二つ目は、体内に潜んでいたフィルの力を取り込むこと。

 これも、一度死んだことで無駄になった。どういうわけか、今はフィルの存在を感じない。当然あの力も発動しない。今となっては無駄となった要求。

 三つ目は未だ保留中。いざとなったら使おうと思う。

 そんな三つの願い事の対価として、ルノは『俺とずっと一緒にいること』を要求してきた。

 悪魔との契約でそれが持ち出されるということは、すなわち告白。婚儀の一種である。

 俺はその時、どうしても夏休みの宿題を終わらせたかったため、それを承諾。それからいろいろあったが、この契約は継続中。

 と、いうことは、である。

「私がトリアの最初にお嫁さんじゃなかったんだ・・・」

 そう言うことになる。

「ま。いいだろ。結果は変わんねぇし」

「勝った」

 ルノが口端を吊り上げて笑う。

「納得いかない」

 エルはキッとルノを睨む。

 両社の間で火花が散る。ルノに至っては本物を飛ばそうとする。やめろ。

「おやおや、修羅場ですか?」

 己が作り出した森の奥からセミルがいつも通り穏やかな笑みを浮かべてやってきた。

「エル、といいましたね?あなたはルノに何一つ勝ってはいないようですよ?なにせ、寝食を共にし、お風呂まで入っています。あ、お風呂は私も入りましたけどね」

「おいこら、何言ってんのお前」

 事実だけど。わざわざ火に油を注ぐような真似をしやがって。セミルに対して嫌がらせをした覚えもない。

「獲物を奪われました」

 あぁ、さっきのシュミルか。

「心せますぎだろ」

「んん?」

 おっと、つい本音がこぼれ出た。

「ずるい!」

 エルは叫び、俺の胸のあたりをぎゅっと掴む。

「今からお風呂行こ」

「馬鹿言うな」

 ぐいぐいと引っ張られるがエルの力で動くほど弱くない。

「言ったろ?俺にはやることがあるって。おい、ディーテ。俺が死んでから人間界ではどのくらい経ってる?」

 拘束から逃れれば死ぬ。それがわかっているディーテはこの修羅場を見せつけられ、それでも黙っていた。

「・・・4時間程度だ」

 ボソッと答えた。

 4時間、か。人間界ならかなり大きい。

 空間は結合され、こちらの住民の多くは人間界に溢れていることだろう。

 参加していたゲームもまだ行われているとすれば、犠牲者はかなりの数になる。

だからこそ、変え甲斐もある。

「セミル、ちょっといいか?」

「なんでしょう」

 セミルをこちらへ近寄るように呼び寄せ、これからに向けて耳打ちをする。

「そんなにうまくいきますかね」

「いかなかったら帰ってくればいい」

「じゃあそのついでに、腹いせに殺しますよ」

「そうはならないよ。断言する」

「では、そういうことで」

「おう、またな」

 俺たちは秘密のやり取りを行い、セミルは遥か彼方へ飛び立っていった。再会することは、もうない。

「どこに行ったの?」

「人間界」

 エルに応えると、一度抱擁を解く。エルは不満そうだったが、無視する。

 そしてディーテへと近寄り、視線を合わせるようにしゃがむ。

「エストのところまで案内してくれるか?もちろん、拒否権なんてないけどな」

 ディーテは視線を逸らし、小さく呻くだけだった。

「ねぇ、神になってどうするの?」

 不安そうな顔でエルは訊ねる。

 どうするのか?そんなもの、答えは一つ。

「世界を正すんだよ」




「その後、あたしはトリアをエストのところに連れて行った。それが、今から一週間前の話さ」

 広い空間にディーテの声だけが響いていた。

 感情を読み取ることのできるゾイルは、今の話が真実であることを認めた。心を読むことが出来るネアとメルスも同様、驚いて言葉を発することが出来なかった。

「じゃあ、このゲームを始めたのは、奏太であると?」

 全員が心に抱えた疑問を、孝光が代表して聞いた。

「いや、あいつはエストに要求と助言をしただけ。考え、唆したのはトリア、それを実行に移したのはエストさ」

「では、今の神はエストのままということですか?」

 ディーテの返答に、今度は絵美がすかさず噛みつく。

「このゲームが始まってすぐに神は変わっている。公にはされていないし、あえてそうしなかったんだろうね」

「じゃあ、今の神はカナなの?」

 できれば違って欲しい。そう懇願するように莉佐は確かめる。

 それに対してディーテは無情にも頷くだけだった。

「・・・お兄ちゃんが、このゲームを」

 私には、そう呟くことしかできなかった。

 世界を正す。そう言っておきながら新しいゲームの開始。

 なにがしたいんだろうというのが、率直な疑問だった。

「今、すべての仮想空間が崩れてきている。あんたらは強制的に連れ出し方から無事だけど、あんたらの相手は二人とも巻き込まれた。他も、どうなったかはわからない」

 仮想空間が崩れてきている。バトルフィールドの消失に、ゲームの強制中断。

 ソルやヘイブの話では、神がそれらを管理することが出来なくなった、と言っていた。だから、崩壊してしまった。

 崩壊させた張本人は神であり、私の兄なのだとしたら。

「・・・助けなきゃ」

「え」

 その場の全員が小さな呟きに気付いて一斉にこちらを見た。

 何もおかしなことを言ったつもりはない。唯一の家族を失いたくない。だから、助けて取り戻す。そう決めた。

「落ち着きなよ、おチビ」

 おチビとは私のことを指しているのか。カチンと来たが、そっと剣を握るだけにとどめておいた。

「まぁ、待ちな。あたしはすべてを話したわけじゃない。それに、聞きたいこともあるだろう?」

「ない」

 即答した。

「ディーテさんの真の目的を教えて欲しい」

 ここで口を開いたのは玄魔だった。そして、私に優しく笑いかける。

「優衣ちゃん。どんなゲームでも必要なのは情報収集だよ」

 視線を合わせ、宥めるような口調だった。そして、再度ディーテと向き合った。

「まだ、誰にも話していないんでしょ?あなたの目的。助けを求められた以上、僕らには聞く権利があるはずです」

 相手が神であるというのに全く物怖じせず、むしろ堂々と言い放つ。

「そうだね。あんたらには空間の結合で目指した最果てを教えることにしようか」

 私が神になるよりも前から、思っていたことがあるんだ。と前置きしてディーテは話し始める。




 3つの世界が存在する。

 アーウェルサ。暗黒世界。人間界。

 どうして世界はこの3つに分断されているのだろうか。

 人間にとっての死後の世界がアーウェルサ。人間の魂は暗黒世界を通ってアーウェルサを訪れ、転生の順番が来るまで働かされる。

 では、アーウェルサの住民が死ねばどうなるのか。

 人間でいうアーウェルサのように、死後の世界と言うものが存在するのかもしれない。

 それは、あくまでも仮説。アーウェルサの住民は死ねば魂が消失する。一般的にはそう考えられ、常識として定着している。

 アーウェルサの住民は人間が転生した果ての姿であり、同じ魂は二度転生することが出来ないから。というのが理由らしい。

 もちろん、確証はない。証明もされていない。結局のところただの仮説でしかない。

 だが、幼い私は思った。

 そんなの理不尽だ。

 人間は、記憶がないとはいえ何度も転生することが出来る。アーウェルサの住民に転生すればそこでおしまいだが、人間に転生すればこのループからは抜け出せない。

 こちら側は、一度死ねば次はない。

 明確に世界が分かれているからこそ、このような理不尽が起こっているのだと推察した。

 なら、一つになったらどうなるだろうか。

 お互いが自由に行き来出来るようになれば、アーウェルサという世界が人間にとっての死後の世界ではなくなる。死後の世界がなくなれば、人間の魂は一体どうなる?

 そんなものは過去にデータがあるわけじゃない。前空間の神である父にもわからなかった、完全なる未知の領域。

 未だ知らずと書いて未知。ならばいつ知ればいいのだろう。誰かが教えてくれるまで待つ?待っていられるかそんなもの。

 本当に知りたいことは自分で探すのだ。

 空間の神になるよりも前は、そのことばかり考えていた。

 どうすれば今まで互いに干渉することもなかった世界を一つにできるのか。

 空間を操る神でも世界そのものを動かせるような強大な力は持っていない。

 他の物を媒体とするか、協力者が必要だった。

 空間の神となった時、魂について深い見聞のある死神族に話を聞きに行った。なんと、世界を動かすという問題を解決できそうな、興味深いことを話してくれたのだ。

 転生する魂には生前よりも大きな魔力を蓄える、ということ。これが、カギになった。

 人間の魂はアーウェルサへ。アーウェルサの住民の魂は消滅。

 この決まりに則らない例外の魂がこの世の中には存在している。

 人間としての生。アーウェルサの住民としての生。その両方を経験し、なおも転生している魂。

 神にも匹敵する魔力を秘めた魂。それが全部で四つ。

 死神族の助けも借り、その四名を特定した。

 一人は、兵士の育成学校で教師をしていた。接触もしたが、人間としての転生を繰り返していたらしく、使い物にはならないと判断。それ以来、接触はしていない。

 残りの三人は、トリア・タジェルク。ルノ・ジェイン。セミル・フォーグルだった。

 とくにトリアの魂は死神族が舌を巻くほど上質だった。

 人間としての生はなく、アーウェルサのみで転生を繰り返した例外中の例外。強大すぎるともいえる力を宿した魂。

 次いで、ルノとセミル。この二人にもかつての神の魂が宿っていた。

 ルノに呪われた力が宿り、セミルが幼いながらも女王、神として君臨していた理由もそこにある。

 強大な魂が三つ。それを利用するためには、3人が集まる必要がある。

 トリアとセミルには面識があり、取り入れるのはたやすいこと。

 しかし、ルノだけは誰ともかかわりがなかった。

 強引に彼女を加入すべく、エストと相談。多くの奴らを巻き込んだ計画が始まった。

 その計画の最果てとして目指すもの。それは、拡大した一つの世界に平和をもたらすこと。

 三人の魂に宿った強大な魔力。これを利用し、空間を結合。元の生活に戻ってもらうために魂は体に縛り付けていた。ちゃんと、蘇生するために。

 世界は予定通り一つになった。

 あらかじめ仕込んでいたムジナとシュミルも予定通り彼らを連れてきた。

 結果、平和にはなっていない。蘇生も失敗して手が付けられない。

 わがままで始まった、世界規模の計画。自業自得、笑いたければ笑えばいい。殴りたきゃ殴ればいい。

 あたしは、己の幼稚な好奇心のままに世界を滅亡まで追い込んだ。

 元に戻そうにも、力が足りないんだ。

 だから、どうか。

 助けてくれ。




 ディーテは頭を下げた。

「さんざんあんたらに迷惑をかけたのは重々承知だ。これは永遠に許されない。あんたらだって許してはくれない。けど、他に頼る当てもないんだ」

 いつになく弱弱しい言葉の響き。

「ゲームが始まったのは一週間前。今の今まで何をしていた?」

 苛立たしげにネアは聞く。

 ネアからすれば守るべき存在を殺されたにもかかわらず、助けを求めてくるディーテにご立腹だった。

「トリアに魔力を奪われて動けなかったんだ。監視の目もあったし、ようやく逃げることができたのがついさっき」

 嘘をついている様子はない。

「なんにせよ、トリアは元に戻さなきゃいけない。生きているというのなら、なおさらね」

「じゃあ」

 バッとディーテは顔を上げた。

「けど、あんたには協力しない。あたしたちはあたしたちの手でトリアを連れ戻す。ゲームが中断されている今なら、出来るはずだ」

 ネアの言葉に、ディーテが驚いた様子はなかった。そうなることがわかっていたのだろう。

 いくらか弱っているとはいえ、計算高い女だ。

「人間界にはいくつもの空間が開いている。そこから行くといい」

「どこが近いのかは教えてくれないんだね」

「協力しないと言われた以上はね」

 ネアとディーテ。両社の間に火花が散る。それでも、二人の今の目的は合致している。

 協力はしない。お互いに別行動。初めから二人はそのつもりで話をしていた。

「・・・水を差すようで悪いけどよ」

 緊迫した空気の中で、ゾイルが口を挟む。

「お前ら、今から行けんのか?」

 ディーテはついさっきまでは閉じ込められていた。魔力反応もろくにない。

 そして、ネアの魔力切れもゾイルは危惧していた。

 仮想空間での戦闘は、実際に自分の体を使って行われている。魔力だって当然本物。ヘイブと戦った四人は一度死んだということになっている。

「まだ、大丈夫さ。トリアを助けることが出来る分はまだ残ってる」

「じゃあ、ここで消費していただきましょう」

 唐突に、この場にはいなかったはずの声が響く。

 ネアの体が、何かの力によって後方の壁まで飛ばされる。

 驚く一同。唖然とした表情で虚空をみつめるメルス。小さく舌打ちをするディーテ。

 ネアを吹き飛ばしたのは一本の太い茎だった。

 コンクリートの地面から生えた緑色の茎は左右にゆらゆらと揺れ、やがて先端が膨らみ始める。

「みんな!離れて!」

 これの正体を知るメルスは声を上げた。

「『ホウジュウカ』」

 声と重なるようにパンッ!と破裂音がした。

 膨らんだ先端がはじけ、中から小さな茶色のものがすごい速さで飛び出す。

 飛び出たのは、大量のとがった種子。

「きゃ!」

「く!」

 二人の反応が遅れた。

「玄魔君!莉佐さん!」

 遅れた二人にメルスは叫ぶ。だが、遅かった。

 二人は完全に反応が遅れ、体中に攻撃を受けた。種子は体の中に入り込み、急激な成長を遂げ、木になった。完全に、二人を巻き込んで。

「人が、木に・・・?」

 絵美がそう呟き、何かが落ちた音が二つ。

 ネアとメルス。二人の手からバングルが外れた。

「嘘・・・」

 壁に体の半分ほどをめり込ませたネアも信じがたい様子で呟いた。

 メルスもまた、動くことが出来ずただ叫ぶ。

「セミル!二人を戻しなさい!」

「無理!」

 明らかに場違いなほどに明るい声と共に、小さな妖精セミルはその姿を現した。

「二人は木の養分になったの。二人はもう、存在しませ~ん」

 言い終わるともに二本の木は砂のように散った。二人がいた場所にはもう、何も残っていない。

「なんで、こんなことを」

 怒りでメルスの体が震える。

「神からの指示。まさか、本当に言った通りになるなんてね。『あいつらは確実に動く。止めてくれ』ってさ。そこの我儘な神様を監視していたのも私。どうせ逃げるから追えってのも今の神からの指示。あの人、預言者なのかなぁ」

 何かが肌に突き刺さるような感覚。

 その場にいるだけで周囲にびりびりとプレッシャーを与えている。

「殺す必要はなかったよね?止めるだけならさ」

「勝手に死んだだけだよ」

 にっこりと笑ってセミルは言う。

 まるで殺すつもりはなかったと言うように。魔力を使ったら気づいていたら死んでいた。悪意を隠した明快な殺意。

「いや~、それにしてもさぁ・・・。なんで君は木にならないのかなぁ」

 さっきとは一転、低い声でセミルは言い、視線をずらす。

 その先には、セミルに背を向けたゾイルへと向けられていた。

 とっさに優衣をかばい、種子の弾丸をその身で受けた。他と違うのは、木にならなかったうえに、無傷であること。

「生物を木に変える。種子が体に入り込んでようやく根を張り、体のエネルギーを吸い取っていく。そして成長する。俺みたいに肌まで届いていないんじゃ意味がない」

 パラパラとゾイルの白衣の内側から種子が落ちる。

「なるほど、薄くも頑丈な膜を張って防いだというわけですか。驚きました」

「そうは見えねぇぞ」

 姿を現した時から変わらない表情。

 薄気味悪さを感じながらゾイルはそっと身を引く。

「おや?あなたは私を殺そうとは思わないのですか?」

「あぁ?変なことを聞く奴だな。殺されたいのか?死にたいのか?だったら勝手にくたばりやがれ」

 相手にせず、優衣を連れてゾイルはこの施設唯一の出入り口に向かって走り出す。

「そうやすやすと逃がすわけがゴフォ!」

 突然笑みが崩れ、セミルは口から血を吐いた。

「・・・?」

 当の本人は何が起こっているのかわかっていなかった。

「まさか、あなたが!」

 必死の形相でセミルはゾイルを見た。だが、ゾイルもわけがわからず首を傾げる。

「魂の変質。聞いているうちはよくわからなかったけど、見てわかったよ」

 セミルと視線を合わせるようにメルスが高度を上げた。

「そろそろ、いいんじゃないかな」

 そっと手を差し伸べる。

「私たちは充分生きた。この世界にこれ以上居続ける理由も、もうない」

「うるさい」

「大丈夫。戻ってきて」

 攻撃されることを恐れず。妹を優しく抱きしめる姉。

 見ている者たちは、メルスが殺されるかもしれない、とひやひやしていた。

 そんな心配を嘲るように、その時はやってこない。

「離れて」

「嫌だ」

「殺しちゃう」

「元からそのつもりだったでしょう?」

「お願いだから」

「もう離さないよ」

「やめて」

 威圧的で、圧倒的だった雰囲気はすっかり消え失せていた。

 これが、メルスの魔力か。

 ゾイルは一人感心する。

 気づけば、コンクリートに囲まれた無機質な空間は、色とりどりの花が咲き誇っていた。

 これの副産物が、セミルのみに効く毒薬。

 気化させた毒を吸い込ませた。そして、正気に戻そうとしている。


―アロマガーデン―


「うぅ」

 静かな空間に女の子のすすり泣く声が響く。

「お姉、ちゃん」

「うん。おかえり」

 もはや地面すれすれお高度まで降りた姉妹は強く抱擁を交わす。

「ごめん、なさい」

「ううん。先に行って待っててね。すぐ、行くから」

 その瞬間、ゾイルはメルスの意図を察知した。

 セミルはふわりとほほ笑んだかと思えば、淡い光となって消えた。

 誰もその場を動けなかった。言葉を発することすらできなかった。

 メルスは一人、宙に浮いて全員が見渡せる位置まで移動する。

「皆さん。今までありがとうございました。このような形でお別れになることを、お許しください」

 寿命のない妖精族に寿命が訪れようとしていた。

「ここから先、私は同行することが出来ません。絶対に、救ってあげてください。私たち姉妹にとって、とても大事な人なんです」

 セミル同様、体が光に包まれていく。

「最後に」と言ってメルスは優衣のところに降りてくる。

「ありがとね。妹と仲良くしてくれて。そして、奏太をよろしくね」

「メル―」

 優衣は必死で手を伸ばした。しかし、届かなかった。届く前に、光となってセミルは消えた。

「・・・あれ?」

 自分の目元を拭う。

 目から涙があふれて止まらない。

 二人がいなくなったから。兄を頼まれたから。わからない。わからないのに、悲しくなっていることはわかった。

「ネア、俺たちは少し行ってくるぞ」

 泣きじゃくる優衣を抱え、ゾイルは言った。

「どこに行くんだ?」

「こいつの兄貴を助けに行くんだよ。じゃあな」

 誰かからの返答も待たず、優衣とゾイルは施設を出て行った。

 残ったのは4名。随分と減ってしまった。

「団長!どうするんですか!」

 放心の状態のネアに絵美は呼びかける。

「あたしたちは、待機だ」

「それは善策だとは思えないけど?」

 孝光が反論する。

「今出て行った二人はもう向こうの世界に行っていることだろう。奏太を取り戻すためにね。それなら、僕たちも追うべきじゃないのかい?」

「いや、トリアのことはあの二人に任せることにする」

 ネアは己の傷を癒し、地面に立つ。体についた汚れを落とし、続ける。

「あの二人なら、トリアを確実に取り戻してくれる。取り戻した後に何がどうなるのか。それを考えてあたしたちは行動する」

 それを聞いたディーテは密かに驚いていた。

 自分が一切敵わなかったにもかかわらず、こちら側の勝利を見据えている。それだけ、今出て行ったコンビは強いということなのか。実に興味深い。

「気になるなら追いかけると良いよ」

「言われなくてもそうするつもりさ」

 今更邪魔もしないだろう、とネアは判断して促した。

 ディーテは一瞬でどこかに消え、入れ替わるように新たな神がやってくる。

 黒い髪に白い巫女服。少女のような見た目の天使族。

「皆様、ご無沙汰しています」

「やぁ、ナデシコ」

 片手を挙げて応じた。絵美と孝光は無言で会釈する。

「世界を閉ざす準備が整いました」

 開口一番、ナデシコは本題を切り出した。

「思いのほか早かったね」

「こちらの神々もこの状態を好ましく思っていないようですから」

 二人が織りなす会話に絵美と孝光はついていけてなかった。

 世界を閉ざす?人間界の神々?

 疑問がぐるぐると回り、それを払拭するようにナデシコは続ける。

「世界を正すのです。人間界は人間界として。アーウェルサはアーウェルサとして、本来あるべき形に戻します」

 結合した世界を分裂させる。それが、ナデシコの世界を正すという考え方。

 ディーテは結合して平和な世界にする。なんて言ってたが、そんなことは絶対にできないという判断なのだろう。

 人間界とアーウェルサは大気、時間の流れ、言語も違う。

 アーウェルサの技術をもってすれば、人間も住むことも可能だろうが、人間界の神々がそれを良しとしない。

 空間の結合だってディーテが企てて実行したが、認識としては全部アーウェルサ側が勝手にやったこと。

 これにより、人間界の神々は怒った。ブチギレた。

「こちらの世界に流れてきた住民たちを送り返し、アーウェルサは絶対不可侵の領域となります」

 その頃には、トリアも取り戻せているだろう、とナデシコは言い切った。

「あたしたちはそれを手伝う。ゲームには参加できないし、するつもりもない」

 それは当然の判断だった。

 莉佐は死に、玄魔とメルスももういない。優衣とゾイルは契約中だが、いつの間にかチームを脱退。

 どうして二人が先行したのかはわからないが、それは考えても仕方のないことだ。

 残った絵美も、一つ覚悟を決めた。

「『契約解除』」

 絵美と孝光。二人の手からバングルが落ちた。

「なんのつもりだい?」

 訳が分からないという風に孝光は真っ直ぐ瞳を見つめる。

「先輩、いや、ゲームマスター・・・?神・・・が、正常ではないのなら、このゲームに身を置いておくのは危険、という判断です」

 それから、とため息をついて続ける。

「神々と協力し、戦いに身を投じることになれば人間であるあなたには荷が重すぎるでしょう」

 道理は通る。けど、納得できなかった。

 元々、奏太を助けるという目的で呼ばれ、契約してゲームに参加していた。

 なのに、危険だから即バイバイとは。そんなのって、

「あんまりじゃないか」

「あなたは人間です。身を引いてください」

 感情を押し殺しているのか、単に何も思っていないのか、絵美は淡々と述べる。

「私は、希向一新隊第一武官、エミリー・ドガットルート。軍に身を置くものとして東孝光の身柄を保護します」

 もう何を言っても無駄。そう分かった途端、自然と体から力が抜けた。

「団長。私は部隊を仕切り、アーウェルサ側の人間を排除します」

「わかった。任せよう」

「ご武運を」

 絵美は孝光を連れて立ち去った。彼を安全な場所に移し、向こうに戻るつもりのようだ。

 空間が結合し、アーウェルサの住民が人間界にこれるのなら、その逆もある。

 どのくらいの人間が向こうにいるのかわからないが、それも含めてエミリーに任せることにする。

 地下施設には2名しか残っていなかった。ネアとナデシコのみ。

「では、わたくしたちも参りましょう」

「待った。少しだけ話をしよう」

 ナデシコは小首をかしげ、立ち去ろうとした動きを止める。

「神谷優衣は、何者なんだ?」

「何者?」

「あたしたちはみんな、ゾイルも含めて優衣に疑問を持っているんだよ」

 膨大な魔力を繊細に扱うことが出来る少女。それは、コントラクターだから。コントラクターだったから。

 そうやって、いつも誤魔化してきた。

 エミリーからの報告書にも目を通した。

 戦闘能力、特に魔力の値が人間の基準値を大幅に超えている。親の所在も不明。アーウェルサの技術をもってしても、優衣の両親は不明のまま。

「優衣が本当に人間なのか、君にはわかるだろう?」

「えぇ、わかります。彼女はれっきとした人間です」

 まるで前々から知っていたかのような口ぶりだった。

「ただし、ただの人間じゃありません」

 ナデシコが次に放った一言は、ネアに大きな衝撃を与えた。

「トリアの両親が人間として、人間界で産んだ人間の子ども。つまり、堀井奏太の実妹です」




「えええええええええ!」

 ネアとナデシコのやり取りを見ている者たちがいた。

 場所は神の宮殿。自分用に割り当てられた程よい一室。

「エル、煩いぞ」

「いや、驚かないわけ無いじゃん!え、ていうか何その冷静さ。もしかして、ルノは知ってたの?」

 暇だからとたまたま居合わせルノに聞いてみる。

「いや、初耳じゃ」

 初耳ならもっと驚いてよ。こんなスクープ。特ダネだよ。

「まぁ、ただの人間と呼ぶには違和感があったのでな。いくら元コントラクターだとして、それもムジナと契約していたからと言って、我らよりも魔力探知が早いのは不自然じゃろ」

 思い出されるのは学校祭の日のこと。

 学校から離れたトリアの家でスライムの出現を真っ先に察知したのは優衣だった。

 その時はまだ本調子じゃなかったトリアはまだしも、私とルノも気付いたのは一拍置いてからだ。

 それからも度々同じことがあったとルノは言う。

「一体なんの因果かのぉ。こりゃ両親を調べた方がいいのではないか?」

「どうだろうね。優衣の魂もトリアみたいに何回も転生を繰り返しているってことはなかな」

「さぁな、それこそ我らには知ることも出来んことじゃ」

「そうだよね」

 ただ、ディーテも気付いていないようだし決めつけるには早いか。

「そういえば、メルスの魂はどうなったんだろうね」

「また、別の誰かとして生まれ変わっとるかもな」

 今までそうだったからこれからもそうだろう、という推測。

「我のこの魂も変わらんのじゃろう。ただ、わからないのは奏太の魂じゃ」

 トリアがいれば否定してきそうだなぁ。

「あやつはディーテの話じゃと神の生まれ変わりではなかろう。今でこそ、神として君臨してはいるがな。いや、案外と気にすることでもなかも知れんな」

 話題を振っておいてまさかの思考放棄である。

「考えるだけ無駄じゃということじゃ。わかれ」

 気分を害したのか、人のベッドでルノはふて寝を始めた。

 それを気にも留めずに立ち上がり、部屋からそっと抜け出す。

 白い壁は夜の闇に染まり、電飾を灯していないため窓からの月明かりだけが廊下を照らしていた。

 窓の外には池がある。池の水は川が運び、その川を上った先に白い宮殿が存在する。

 神の島『エデン』の中心。高い位置にあるそこが、神の間。

 私とルノが使っている部屋はその離れにある。

 神の間には近づくなと言われたのは、人間界の時間で言えば一週間前のこと。

 こちらの世界の時間ならば、数年が経過しただろうか。

 それだけ二つの世界では時の流れ方が違う。

 概念の違う二つの世界。

 ディーテとエストはそんなの関係ないと言わんばかりに計画を実行した。

 そこに、時の神が介入していたという情報はない。時間の概念は最も重要と言っても過言ではないはずなのに。

 参加することも止めることもせず、いまだ在り続けるだけの存在。

 それが何を意味しているのか。頭の悪い私には理解できない。思いつきもしない何かがそこに隠れているのだろう。

 ただそれでも、私は彼の無事を祈る。

 宮殿に向かって手を合わせて目を閉じる。

 ねぇ、トリア。世界を正すって何だろうね。

私はね、トリアが神になってゲームを終わらせるんだと思ってた。

 違った。

 新しいゲームを始めたんだ。極力死人の出ない、平和なデスゲームを。

 ゲームをすることが、強者を求めるのが世界を正すってことなのかな。

 違うよね。間違ってるよね。

 だからさ、お願いトリア。自分を犠牲にしないで。

 そして、



―気づいて。

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