第3章~主従の記憶~
エンジェリング。城のある中心部から南東に位置するその図書館『ヴィブリス』は、アーウェルサでも一、二を争うほどの規模を誇る。
世界中から集められた書籍。その数は2億を優に超えるとも言われ、そこを訪れた者が実際に目にできるのはわずか700万冊。残りの大多数は、地下に保管されている。
敷地は、焼き煉瓦の壁と高い鉄柵に囲まれ、建物に向かって直線に道が伸びる。その両側には見た目を重視して手入れされた低木と花々。黄色い魔力灯がそれらを幻想的に照らす。
何も知らない人がこの場所を目にしたならば、間違いなくお金持ちの家であると勘違いするであろう。
そんな庭の先に堂々と佇む豪亭。否、ゴシック建築の建物こそが『ヴィブリス』という図書館なのである。
木製で板チョコレートのような扉がついた入り口。建物内部、中心には本の貸し借りを行うカウンター。それを囲むように椅子とテーブル。真上を見上げれば、幾重にも重なった各階層が見える。
1階はイスとテーブルを囲むように。2階からは吹き抜けを囲むようにしてびっしりと本の詰まった本棚が並んでいる。
飲食は禁止だが、1日中開いているため、何かあればすぐに調べ事が出来る。暇をつぶすことが出来る。便利な施設だった。
さて、そんな施設の一角に彼の隠れ家はあった。
図書館に入ってすぐ左折。角から3つ目の本棚。そこに収められた特定の本に決められた魔力を通すことで本棚は扉へと変わる。先に進むと石段があり、降りた先に隠れ家がある。
この島のことをよく知る私も、この仕掛けには気付かなかった。
「ねぇ、ムジナ。どうやってこんなところに隠れ家なんて作ったの?」
石段を登りながら隠れ家の主に尋ねる。
「ここを作ったのが今は亡き我輩の友人で、ありまして。何かあった時のために、無理を言って作ってもらったというわけだ、のです」
元執事らしいが敬語と言うものは苦手らしい。内心ではタメ口を使いたくて仕方ないと見た。
「やりにくかったらタメでいいよ?」
「しかし・・・」
「トリアなんて初対面でタメだったよ。敬語を使われたこともないし」
それを聞いたムジナは悩ましそうに唸っていたが、結局タメにすることを選んだ。
「それで?これから何を探す予定で?」
一方で、同僚にすら敬語を使う真の執事、シュミル。
「蘇生に関わる文献だな」
「この量から・・・?」
シュミルは呆気にとられた様子で口をポカンと開けた。
無理でしょ。
私も心の中でそんな感想を呟く。
2億ある本の中から、何冊あるのか、タイトルすらもわからないものを探せと。砂漠に落とした針を見つけるよりも難しい。
「検討はついているの?」
「地下迷宮であろうな」
私とシュミルの顔から血の気が引いた。
この図書館にある本の数。正確な値は4億3235万9071冊。
世間一般に2億を超えると伝えられていたが、それは一昔前の話。今では、語られていた倍以上の数があった。
そして、現在借りられている物も含め、一般に本棚に並んでいる数、700万2088冊。何らかの理由で保管されている数、4億2535万6983冊。
以上。職員調べ。
この保管されている膨大な量の中からムジナは探すというのだ。
700万から一つを探すだけでも絶望的なのに、4億から探すのは絶望に絶望を重ねた別の何かだ。
いくらトリアを取り戻すための情報収集だとしても、この壁はあまりにも高すぎて硬い。
絶対にトリアは助けたい。なんとしてでも。という、私の心にはひびが入っていた。かろうじて折れていなかったのは、折れると完全に彼を諦めるということになるから。
「ムジナ、それはいくらなんでも正気の沙汰とは思えません」
「わかっている。だがな、ここにはないのだ」
隠れ家の入り口からカウンターへと向かいながらムジナは言う。
「研究資料の多くは公にされ、コピーが大量に作られる。が、公になったものの個人所有は、コピーであっても禁止。その研究を行った者、及び一機関にしか認められない」
それは、この世界で共通のルール。手元にあればいつでも見ることが出来る。いつでも見ることが出来るということは、場合によっては簡単に悪用できる。
たかがそんなことで、と思うかもしれないが、研究ひとつで世界がひっくり返ることだってある。
「図書館という施設は、コピーを他に見せるための団体として所有しているが、貸し出しはしていない。場所によっては厳重に保管されている。ヴィブリスの場合は、地下迷宮・・・のさらに先。見つけられるのなら見つけて見よ、という方式をとっている」
得意げに話すムジナに対し、私達は黙るしかなかった。
地下迷宮にはいかなくてはならない。もっと言えば、その先に行く必要があるという。
ムジナは顔見知りだという職員に声をかけ、カウンター内にある地下迷宮への入り口を開けてもらう。
中心にあったただの壁にしか見えなかった物は、魔力が流れるとともに白い線が浮かび上がり、静かに動き出す。
その先にあるのが、地下迷宮。
「では、いくぞ」
「ん」
「御意」
ムジナを先頭に、戦地にでも行くかのように緊張した面持ちの私と、これからどうなるのか。不安を一切隠さずに滲みだしたシュミルがそれに続く。
扉の奥は、天使族でも眩しいと思うほどの光で満ちていた。
薄く目を閉じ、視界を十分に確保しきれないまま、ムジナについて歩き続け―
「きゃ!」
―足場が消えた。
階段を踏み外してしまったかのような感覚。それに続いてやってきたのは落下、ではなく浮遊感だった。
薄く閉じていた目を開く。
視界の隅にムジナとシュミルの姿を捉え、眼前に広がる景色を見て思わず息を飲む。
地上同様、びっしりと本の詰まった本棚が無数に広がり、浮いていた。
上を見ても下を見ても、左右どちらを見ても、本棚。ここが地下迷宮のようだ。
地上では置ききれずに保管されているすべての本。
この図書館には何度も来たことがある。トリアからここがどんな場所なのかも聞いていた。だけど、実際に来るのはこれが初めてだった。
危険だからと、トリアは説明だけして行かせてくれなかった。
確かにここは危険だろう。
今、私は翼もないのに浮いている。飛んでいるのとわけが違う。
水中にいるかのように体は重く、けれども閉塞感と不快感はない不思議な感覚。
迷宮と呼ばれるだけあって、本棚と本棚の間にできた道は複雑に入り組んでいる。
「ここに来るのも久しぶりだ。少し見ない間に随分と本が増えている」
「そうですね。この眩しさ。わたくしたちにはいい毒です」
光源がどこかにあるというわけじゃない。なのにこの場所は明るかった。本棚同士が重なり、多少なりとも影が出来ていいはずなのだが、何処にも闇はなかった。影が生まれていないのである。
光に弱い魔族。太陽に当たると燃えてしまう吸血鬼なんかにとっては居心地もよくないだろう。
心なしか顔色も悪く見える。
「ねぇ、ムジナ。この空間ってどういう仕組みなの?」
本棚や自分たちが浮いているのは、この空間がもたらしている魔力によるもの。この空間全域を見たわけじゃないが、4億冊以上の本を収納しているとすればかなりの広さ。下手すればエンジェリングの土地だけでは足りない。
「ここはアーウェルサのどこかにある別の空間。と、認識してくれ。ここを作ったのは先代の空間の神。ディーテの父君だ」
ディーテの父親『ミノ・パーゲート』は、空間の神としてあり続けただけではなく、3つの世界の均衡を保ち、空間圧縮の技術を伝えた偉大なる天使族。
今の空間の神とは大違いである。
「空間を操れるのは神とその直系だけ。この世界最大規模の図書館建設にも携わり、無重力空間を作り上げた」
無重力の空間を作り出す。言ってしまえば、宇宙と同等の物を作り出したと言ことにもなる。
それをずっと維持し続けているのにどれだけの魔力が必要になるのか、全くもって想像が出来ない。
やっぱり、神という存在は不可能を可能にしてしまうのだろう。
「あー、えっと、エル様。いくら神でも」
ムジナが何かを言いたそうにしていたが、私の耳には入らない。
「『インフィニティ』を使っているって」
「教えなくていいと思いますよ」
シュミルとムジナが穏やかに笑っている。・・・変なの。
神が不可能を可能にできるのなら、蘇生も出来そうなものだけど、エストは実行してくれない。これは、エストの計画の結果として起きているので、初めから期待もしていない。
でも、エストとトリアは幼馴染だったはず。仲が良かったと聞いている。
友情を捨ててまで、彼は空間の結合を果たしたかったのだろうか。
確かに?人間界は食べ物がおいしいし、いい人ばっかりだったし、やっぱり食べものがおいしい。
食べ物がおいしい、ここ重要。
「エル様。何やら幸せそうな妄想をしているところ悪いが」
「し、してないよ!?」
「少し移動する。しっかりついてきて欲しい」
それだけ言うと、ムジナは本棚と本棚の間にできた道を進み始める。
別に幸せな妄想なんて・・・。また優衣の料理を食べたいなぁって思ったくらいだし。
心の中でぶつぶつと文句を言いながら、その後に続いた。シュミルは私の後ろに続き、何かあっても背中を守ってくれている。
この空間での移動は、進みたいほうに重心を傾けるだけ。泳ぐように動く必要はなく、翼を生やすのもこの場所では危険。
ただ流れに身を任せるのが最善の選択。
それにしても、進んでも進んでも景色が変わらない。当然のことと言えば当然のことだが、何処を見渡しても本という今までにない感覚。
とっくに平衡感覚を失い、自分が今、上を向いているのか、それとも下を向いているのか。それすらもわかっていなかった。
少しだけ吐き気も催してきた。
「空間酔いですね」
こちらの顔を覗き込み、シュミルは言った。
「空間酔い?」
聞きなれない言葉だった。
「はい。今までいた空間とは別の空間に行くことで起きる現象です。この地下迷宮や暗黒世界。希少な例ですが、人間界に言った住民が同様の症状を経験したという報告もあります」
乗り物酔いの空間バージョンとでも思っておけばいいのだろうか。あまりにも規模が大きすぎるような気もする。
「この症状は気を紛らせておけば自然と治りますので、何かお話でもなされますか?」
「うん。そうしたい」
このまま黙って進み続け、吐き気に悩まされたくはない。かといって、ぱっと話題も思いつかない。
「何か聞きたいこと、ある?」
その問いに、シュミルはそうですねぇと考え込み、言った。
「先輩との思い出って、何かありますか?」
なるほど、トリアとの思い出、ね。
初めて会った日が正確にいつなのかは思い出せないが、物心がついた時には既に横にいた。
私を守る兵として。時には執事の代わりまでして。
そんな彼との思い出は、たくさんある。その中でも。
「昔は大嫌いだったんだ。けど、それが変わった時の話をしよっか」
そう言い、私は記憶の糸を手繰り寄せながら話始める。
その日は、私が生まれてから大人になる丁度半分の生誕祭の日だった。
他の島での様式はよくわかんないけど、エンジェリングでは代々王女と姫の誕生日は島を上げてお祝いする。
だから生誕祭なのだ。
本当なら王がいて、王も祝福されるべきなのだが、エンジェリングにはそもそも王がいない。
私の母が今の父と結婚したいがために一夫多妻制を認めたおかげだ。
他にも妻がいるという私の実の父は、王族としては認められなかったという。
だからと言ってどうというわけでもないが、その日の私は、今日ほど父がいればよかったのにと思ったことはなかった。
成人の二分の一を迎えた私は荒んでいたのだ。
「なんで挨拶しなくちゃいけないの?そんなことするより遊んでいたいんだけど」
目の前に掛けられたドレスを見て私は言い放った。
かつて、母も身に着けたというフリフリがついた純白のドレス。
「絶対に私に似合わない!」
髪と同じ色のドレスなんて目が痛いくてしょうがないじゃないか。
「んー、そうか?」
それを否定したのは、兵士の制服に身を包んだトリアだった。胸には兵士を束ねる長の証であるバッチが光っていた。
「きっと可愛いと思うぞ?」
何の気もなしに、本当にそう思っているのかも怪しい表情でトリアは言った。
元から彼のことが好きではなく、そのうえ荒んでいた私は言い返す。
「うっさい!ロリコン!」
「ロ、ロリッ!?」
トリアはそんな言葉を賭けられるとは思っていなかったのだろう。驚いている。どやぁぁ。
「エ、エル!誰からそんな言葉を教わったんだ?」
「お母様」
聞かれたことにはちゃんと答えます。どやぁぁ。
「あの王女・・・。自分の娘になんてことを教えてるんだよ。馬鹿か」
ここにお母様がいないのをいいことに零した彼の言葉は、もちろん私の耳にはっきりと届いていた。
「わたくしが、何ですって?」
タイミングよくお母様が部屋にやってきた。トリアざまぁ。
そんな私を余所に、トリアはお母様が来たことで急にかしこまる。
「いえ、なんでもないですよ」
「そう。ならいいのです」
おっと、誤魔化すつもりだな?
「ねーねー、お母様!トリアがお母様のことを馬鹿って言ってたよ!」
表では純真無垢な、裏では悪いスマイルを浮かべてそう言った。
途端にトリアの顔も青ざめ始める。
「エ、エル!」
「本当なのですか?」
お母様が浮かべた穏やかな笑み。友好的でないのは明らかで、トリアの顔は白くなる。トリアざまぁパート2。
「・・・弁解しても?」
「できるのなら」
隠し事はできないだろうと、トリアは必死で言い訳を始める。
「王女がエルにロリコンという言葉を教えたんでしょ?まだエルは幼いのだから、教えるべきことではないでしょう?」
お母様何も言わず、トリアは額に汗を浮かべた。
部屋は沈黙に包まれ、外からの雑音以外に物音はなかった。
「・・・おしまいですか?」
沈黙を破ったのはお母様だった。
「はい?」
「ハッ!」
聞き返したトリアは次の瞬間、部屋の壁に叩きつかれていた。
「いててて」
「あら、無傷ですか」
「まぁ、さすがに」
「壁」
「そっちかよ」
トリアは突っ込みながら立ち上がり、お母様は楽しそうに笑う。それにつられて私も笑った。
「エル、あなたは笑っている場合じゃありませんよ?」
母の微笑が私に向けられていた。
「そのドレスを着たくないと、駄々をこねたようですね?」
ドキィ!?
「島民に向けた挨拶もしたくないと」
ドキドキィ!?
私の表情から笑みはすっかり消え失せ、視線は母から天井へ。天井に向けた視線も定まることなく、トリアと目が合った。
トリアは私と目が合ったことに気付くと、口端を吊り上げてニヤリと笑った。
口にこそしていないが、ざまぁみろと思っているのがわかった。
あー!腹が立つ!本当なら暴言の一つでも吐きたいところだが、お母様がいるためぐっと我慢する。
「どうしてドレスを着たくないのですか?」
「・・・」
「どうして挨拶をしたくないのですか?」
「・・・」
私が何も答えずにいると、お母様は小さくため息をこぼす。
どうして着たくないのかと聞かれれば、自分には似合わないとわかっているから。
どうして挨拶をしたくないのかと聞かれれば、めんどうじゃん。わざわざ生まれた日に、お話しなくちゃいけない意味が分からない。
そんな理由じゃあ、お母様は納得してくれない。何も言っても黙殺されるのはわかっている。
「逆に、どうして私がドレスを着てみんなの前で話さなくちゃいけないの?」
「今日があなたの誕生日で、あなたがエンジェリングの姫だからです」
答えになっていない返答が来た。私が何を言っても無駄なのだ。
「わかりましたか?」
「全っ然わかんない!」
全力で否定し、私は走り出した。
お母様とトリアの間を通り過ぎ、開いていた扉から迷路のように入り組んだ廊下へ。
後ろから声が聞こえたような気がしたが、私の耳には届いていなかった。それに、止まるつもりもなかった。
しかし、衝動的に飛び出してしまったがために、行く当てはなかった。
城の敷地内にいれば確実に連れ戻される。兵士も多く巡回しているため、いくらこの城が広いといえども隠れ続けるのはさすがに無理がある。
とりあえず、誰にも見つかることなく城の外、庭に出た。
高い城壁の中までが城の敷地。ということは、城壁の外に出なければ安息は得られない。
どうにかして抜け出す必要がある。そのためには、城壁の上下にいる監視の目を抜けなくてはならない。
ぐぬぬ・・・。やっぱり外に出るのは難しいか。
このまま見つかって、着たくもないドレスに身を包み、話したくもないのに島民の前に出る。
そんなのイヤだ。絶対にしたくない。城から抜け出して、最低でも一日は捕まるわけにはいかないのだ。
何かないのか。ここから出る方法は・・・!?
「あ」
視界の遥か先。城の裏口であり、物資の搬入口にあたる場所。
そこでは、数名の兵士がせっせと木箱の荷物を馬車に積んでいた。
私はそこまで足音を忍んで近寄り、開いていた木箱の一つに身を潜めて蓋を閉じる。
幼い私の体はギリギリ木箱に収まり、じっとその時を待つ。
小さな話し声。近寄る二つの足音。
「そっち持ってくれ」「おうよ」
箱が持ち上げられたことによる浮遊感。私の頭をぶつけた音。
「ッ!?」
「ん?何かぶつかったか?」
「おいおい、気を付けてくれよ?」
「わかってるわかってる」
と言いながら、箱が上下に揺れる。
尻は宙に浮き、頭は蓋にぶつかる。
「ッ!?」
私は涙目になりながら声を押さえて思う。絶対にコイツわかってない、と。
帰ってきたら覚えてろよ!
心の中でそう叫ぶうちに、馬車は出発した。
騒がしい町の音が耳に突き刺さる。
荷物に紛れて脱出大作戦は無事に成功したようだが、私の心はスッキリしない。
どうして島の住民たちは、私なんかの誕生日に乗じて祭りを開くのか。その意味がわかっていなかった私は、外部との接触を断つかのように耳を塞ぎ、目を閉じる。
感じるものすべてが、煩わしかった。
それから数分後。大きな衝撃が私の身を襲った。
「ひぇ!」
次いで、馬車を引いていた者と思しき悲鳴。
木箱は大きく揺れ、遂に私は外へ投げ出された。
「あぁ!?なんだこのチビ」
地面に這いつくばる私の傍に一人の男が立った。
背が高く、私と同じ白髪。鋭い眼光で私を睨む男。頭には小さな角が生えている。
「・・・鬼?」
「おぉ、よくわかったな」
ギザギザの歯を見せて笑う男。その目に宿っていたのは、殺意。
なんだかよくわからないけど、やばい。
男の手には、血の滴る片刃の長剣。男の少し後方には、天使族の老人が、胸部から赤い血をどくどくと流して倒れていた。
「あなたが、やったの?」
立ち上がり、見上げ聞く。足はがくがくと震え、声に力も入らない。
すると、男は下卑た笑みを浮かべた。
「あぁ、そうだぜ?」
「なん、で?」
「天使族が大嫌いだからだよ」
神民と魔族は犬猿の仲。たまに仲がいい時もある。そうトリアは言っていたことを思い出す。
私はそれを信じていた。けど、現実はあまりにも非情だった。
この魔族は神民である天使族のことが嫌いだと言った。嫌いだから殺したのだと。
「さて、と。ついてきてもらうぞ。エル・ネミナス」
バレてる!?
「姫がこんなところで一人ってことは、何かあるもんだと思ったが。護衛がどこかに隠れているというわけでもなさそうだ」
普段はトリアが横にいるから油断していた。
今までも命を狙われるということはあった。その時にはいつもトリアが横にいてくれて、難を逃れていた。
今回は、それが望めない。
「お前を人質にして―」
どうにかしてここから逃げる方法。幼い私でも一瞬だけ隙を作ることが出来る方法。
「―天使族を皆殺しだ」
その時。私の目に木箱から溢れ出た白い花が目に入る。
足を大きく広げた男の股下を潜り抜け、私は地面に落ちていた小さな石と一輪の花を手にした。
「おい。おとなしく捕ま―」
花に向かって石を思いっきり叩きつける。
あたりに耳をつんざく甲高い音、視界を埋め尽くす閃光。
不意を衝かれた男は目を押さえてうずくまる。こうなるとわかっていた私は、あらかじめ目を閉じていたため、視界は充分に確保できていた。
耳に関しては塞ぎようがなかったため、ふらふらしているが、それでも一刻も早くこの場を離れようと、鬱蒼と生い茂る森へと駆けた。
あの白い花は、衝撃を与えることで視覚と聴覚の機能を一時的に奪うもの。ぶっちゃけ、とっても危険なものだ。
まともに喰らえばしばらくの間は動くことが出来ないはず。逃げるには絶好のタイミングだ。
・・・けど、何処まで?
ここが森の中であることはわかる。問題は、何処の森の中なのか。
男から逃げるために道を外れて完全に迷子。来た道を戻るという命知らずな行為は到底できない。
立ち止まって耳を澄ませる。確か、魔力を耳に集中させれば遠くの音も拾うことが出来たか。
神経が研ぎ澄まされ、街の騒がしい音が聞こえる。方向は、多分左の方。その音に混ざって背後からドタバタと足音。
もう追いついてきているのかと思ったが、二足歩行にしては足音がやけに多い。他に何かいるのだろうか。
その疑問に答えるように、それはゆっくりと現れた。
「黒い、狼・・・?」
自分の何倍もの大きさの黒い狼が全部3匹。私のことを囲んでいた。
「グルォ!」
「ひ!」
鳴き声に威圧され、私は立っていることが出来なくなる。
3匹はゆっくりと私を中心に円を描くように歩き、飛び掛かるタイミングを伺っている。そのことが、余計に私の恐怖心を掻き立てた。
「よくやった」
森の奥から現れる男。一匹の狼の頭を撫でて、輪の中に入る。
「人質にしようと思ったが、やっぱやめるわ」
「え・・・」
長い剣の先が私の首筋に向けられる。
「こんなとこなら、死んでも気付かれるのはだいぶ後になるだろうしな」
え。うそだ。いやだよ。そんなの。私にはまだやりたいことがたくさん残っている。死にたくないよ。
「何か遺言はあるか?どうせ誰にも伝わんねぇけどな」
男が剣を振り上げる。私の目からは涙があふれて視界が滲む。
本当に、もう終わりなの?こんな終わりは―
「嫌だ!」
―パキ
まるで木の枝が折れたかのような乾いた音が静かな森の中に響いた。
「な・・・な、なんだと?」
続いて驚いたような男の声。私と男の間に入り混んだ一人の男。
「うちの姫様を泣かせんじゃねぇよ」
「お前ェ!何をした!」
「うっさいうっさい。見た通りだ。お前の剣を俺が折った。ただそれだけだ。少し考えればわかんだろ」
自身の剣を中腹程から折られ、激怒する男。
「悪い。エル。遅くなった」
「遅い!遅いよ、トリア!」
こんな時くらい素直になれればいよかったのに、私にはそれが出来なかった。つい彼を責めるような口調になってしまった。
「謝ったろ」
「謝られたけど、許さない。私の護衛のくせに」
「こりゃ手厳しいな」
トリアは呆れたように笑みを浮かべ、私の体を左腕で抱えた。トリアの握る右手の剣は男へと向けられる。
いつも見ていたトリアの顔には、今日は見慣れないものが装備されていた。
左眼にかかる片眼鏡だ。
「ヘイブ・グラージュ。妖魔族鬼種。おぉ、やっぱり『サモシオン』の魔力を持ってたか、珍しい。戦闘能力は9700。ただもんじゃねぇな。工作員と言ったところか?」
すらすらと男の情報を口にするトリア。相手を解析する魔道具である片眼鏡のおかげである。
「チ!お前、何者だ?」
ヘイブはバツが悪そうにトリアに問う。
「あー・・・しがない兵士だよ」
そしてトリアもまた、バツが悪そうに答えるのだった。
「トリアは兵長で、聖魔大戦の生き残りだよ!」
「あ、おい」
足りない情報を相手に教えてあげる私ってば優しい。
「お前が、あのトリアか」
ヘイブの顔は驚愕の色に染まり、トリアは苦笑を浮かべる。
「ったく、余計なことを」
「お前に殺された兄貴の恨み。ここで晴らさせてもらうぞ!」
大声でそう言った男の体から闇が溢れる。
「行け!狼ども!」
三匹の狼が一斉にトリアへと跳びかかる。
「めんどくせぇ」
トリアがそう呟いたのと同時に三匹の狼は消滅した。トリアが剣を振って狼を切り裂いたのだと、抱えられていた私ですら気付けていなかった。
「なんか怒ってるよ?」
「知るかよ。戦争で兄が死んで復讐?だったら、俺はどれだけ殺せばいいんだろうな」
例の大戦で、トリア以外の神民兵は死んだ。同僚、先輩、友達もいたという。
「戦争は終わった。無意味な殺生なんて、俺はごめんだ」
「ふざけるな!」
金属と金属がぶつかり合う音と怒号が混ざる。トリアとヘイブの剣がぶつかり、距離が縮まる。
「兄貴が死んだのは、戦争だから仕方ないって言ってんのかよ!」
「あぁ、そうだ。そもそも戦争を始めたのはてめぇら魔族だろ自業自得としかいいようがない」
次々と迫りくる猛攻に、トリアは後ろに引きながら受け流す。
「黙れ!兄貴は行きたくもない戦争に駆り出されて死んでいるんだ」
「だから知るかって言ってんだよ。生きるか死ぬかはそいつの力。行きたくないのに行った?それが戦争だろ」
トリアはヘイブの剣を大きく弾き飛ばし、首筋へと切っ先を向けた。その目は、竦んでしまうほど冷たい目だった。
「何度も言う。戦争はもう終わった。俺が魔族を恨まず殺さないのも、悪いやつらばかりじゃないってことがわかっているからだ。お互いに犬猿の仲。これは事実。光と影は決して混ざらないからな。混ざらないなら、混ざらないままでもいい。けどな、だからこそ。無意味な争いを繰り返すわけにはいかないんだよ。わかったか」
トリアはゆっくりと剣をおろした。
ヘイブはしばらくの間何も言わず、じっとトリアの目を見つめ、視線を逸らした。
「・・・ねぇだろ」
呻くように重い声が響く。
「納得できるわけ、ねぇだろ!」
新たな剣を振るい、狼と蛇を召喚。怒りで我を忘れたヘイブは、トリアに切りかかろうと一歩踏み込んだ。
狼と蛇の数は先ほどよりも多く、おまけにヘイブの斬撃。トリアはそれを避け続けるが、私を抱えているハンデからか、次第に肉体へと傷が増えていく。
傷は増えるのに、反撃はしない。避けるので手一杯・・・?いや、違う。得体の知れない違和感が私の身を襲う。
「そろそろだな」
「え?」
トリアは、笑っていた。攻撃されているのに。立ち止まってヘイブに向かって笑いかけていた。
狼の爪が。蛇の牙が。ヘイブの刃がトリアへと迫り、危ない!と思った私は固く目を閉じた。
次に聞こえてきたのは、ヘイブのうめき声だった。
「う、がぁ!」
恐る恐る目を開けようとしたが、頭をしっかりと押さえられ、そちらを見ることが出来なかった。
「子供のお前には、ちょっと刺激が強すぎるからな」
トリアの後ろには、2人の男がいた。ともに天使族で、兵士の制服に身を包んでいる。
「隊長!無事でありますか!」
「おぉ、無事だ」
「隊長じゃなくて姫様のことです」
「おい、俺の心配もしろよ。もちろん無事だ。んじゃ、連れていけ」
「「了解」」
2人の兵士は視界から消え、多分ヘイブを連れて消えた。
「戦争のことをどうこう言うつもりもねぇが、殺しに対してはちゃんと法がある。民を一人殺した罪。ちゃんと償ってもらうからな、ヘイブ」
「トリア、知ってたの?」
「まぁな」
トリアは私を地面に降ろした。
「いつの世も、変わることはない。残念な世界だ」
「トリア・・・?」
「おっと、感傷に浸っている場合じゃなかったな」
満面の笑みを浮かべてトリアは私を見た。
しまった。私は一応脱走中の身。急いで逃げないと。
そう思いだし、駆けだそうとしたが、頭に手を置かれたことでそんな気持ちも急速にしぼんだ。
「本当に、無事でよかった」
その瞬間。張り詰めていた糸が切れた。
「ごめん、なさい」
私は泣きながらトリアに謝罪した。
もうダメだと思った。怖かった。とても心細くて、諦めていた。死ぬかと思った。
「私が、城を出たから」
「出て行かれるなんて思ってもいなかったしな。まさかこんな森の中にいるとは。森が光った時はもしやと思ったよ」
目くらましに使ったものが、偶然トリアの目にも入っていた。嫌な予感がしてきてみれば、当たったと。
もしも、あの時諦めて居たら。私は今頃・・・。
「運がよかったとしか言えねぇな」
「うぅ」
「ま、終わりよければだ。帰るぞ」
「え・・・」
それは、嫌だ。帰りたくはない。けど、逃げる元気ももうない。
「それとも、どうする?」
「どうするって?」
意味が分からず聞き返した。
「帰りたくないんだろ?」
ニヤリと笑ったのを見て、私はようやくその意図を理解した。
「抜け出したことを咎めるのは俺の役目じゃない。あくまでも俺は護衛兵だ。連れ戻せ、っていう命も出ているが・・・少しくらいならいいだろ」
「どこかに連れて行ってくれるの?」
「お前が望むならな。その代わり、ちゃんと王女には叱られろよ?」
怒られるのは嫌だが、好きなところに連れて行ってくれるというのなら、我慢する。
トリアは私の体がすっぽりと隠れるほどのローブをどこからか取り出し、私にかぶせた。
服が土で汚れていたのと、私を目立たないようにするもの。用意がいい。
「じゃ、行くか」
「うん!」
私は自らトリアの背に乗り、お祭り騒ぎとなっているエンジェリングを見て回った。
本来、私がスピーチをする時間になっても城に帰らず、これは過去にない異例の事態となった。
月が真上に来た頃、私とトリアは城に帰った。
私はお母様にこっぴどく叱られた後、無事でよかったと抱き着かれた。
一方でトリアは、私と行動していたということは明かさず、探すのに手間取ったとだけ伝えた。
私もそれに合わせ、何処をどう逃げたのか捏造して伝えたのだが。多分お母様には私たちが嘘を言っているとばれていた。
それでも何も言ってこなかったので、私達もそのまま嘘を貫き通した。
その日をきっかけに、私はトリアを信頼するようになり、ずっとそばにいた。
「だから、私は絶対に生き返らせるよ」
「えぇ、必ず」
私が最後まで話終わり、シュミルは穏やかな笑みを浮かべて言った。
「して、ご調子は?」
「だいぶいいね」
ずっと話していたおかげで気が紛れ、この空間には慣れてきた。相変わらず、自分がどっちを向いているのかはわからないままだけど。
話はそれなりに長く、結構な時間を移動しているはずなのだが、やはり景色は変わらない。
「ムジナー、まだかかる?」
「うむ。そうだな。これでも急いでいるが、なにゆえ、ここはひろいのでな」
「そっか」
ムジナの目指す目的地まではもうしばらくかかるらしい。
この迷宮で何を目印にしているのかはわからないが、それ以上にこの空間がわかっていない私は黙ってついて行く。
まだかかる、かぁ。
「ねぇ、シュミル」
「なんでしょうか」
「シュミルとルノの思い出って何かないの?」
その言葉にシュミルは意外そうに笑みを浮かべた。
「わたくしと、お嬢様の思い出ですか?」
「あれば聞かせて欲しいなって」
「かしこまりました」
と、直ぐに返事はあったが、なかなか話は始まらない。
「嫌ならいいよ?」
「あぁ、いえ。そうではなくて」
どうやら話しにくい別の理由があるようだった。
「そうですね。では、出会った頃の話をしましょうか。先輩にも伝えていない、お嬢様の秘密です」
これはほんの数百年前のこと。修行の一環としてエンジェリング王城に仕え、本来の主の下へ戻った直後のこと。
「我がルノじゃ。崇めよ」
どういうわけか白髪の幼女に踏まれていた。
悪魔族の住む島『デビルキイス』の中でも、五本の指に入る大貴族、ワーペル家。
そこのわんぱく娘。ワーペル・ルノ。真名、ルノ・ジェイン。
貴族と言うものは、初代の名を肩書にする。このワーペル家は8千年もの間変わっていない。
一方で、ワーペル家とも親交が深く、デビルキイス一とも言われているザビロ家は、アロガント・ザビロが神となり、アロガント家から分離して誕生した新米貴族。
さらに補足。デビルキイスはザビロ家、アロガント家、ワーペル家。この3つの貴族が行政を取り仕切っている。
そんな理由があり、各貴族の子供は幼いころから英才教育を受ける。
もちろんこのわんぱく娘も例外ではなく、しっかりした子がいるのだと思っていたのだが、この仕打ちである。
自分が天使族の城にいた間に産まれたという子。初対面ということで挨拶をしに行った。
簡単に自己紹介をし、膝をついて頭を下げた。
そして冒頭へ。
下げた頭をルノが踏んできたのである。
「・・・お嬢様。なんのつもりですか?」
力はあまりにも弱く、軽い。上げようとすれば簡単に上げることも出来た。けど、そうしなかったのは、こっちが従者で、相手がただの子供ではなかったから。
「お主が我の従者として見合っているのか確かめておる」
「はぁ・・・」
顔が見えないため、そんな表情をしているのかはこの声で判別するしかなかった。
嬉々として話していたので、サディスティックな笑みでも浮かべているだろう。
「お主、少しにおうな」
不意にそんなことを言い出した。
誰かに仕える身として、そんなことは絶対にないはずだ。
「光の匂いがする。お主、前はどこにいた?」
光の匂い・・・?あぁ、そういうことか。
「執事修行の一環として、エンジェリングに数百年ほど」
「何じゃと!?」
「痛っ!」
頭を踏んでいたその足で顔面を蹴られた。力のない幼女だと高を括っていたが、鼻頭に当たれば、痛いものは痛い。
どういうつもりだ、と顔をしかめながらルノの顔を見る。その顔は、憤怒で染まっていた。
「出ていけ」
冷たく言い放たれた。
「お主の顔などもう見たくない」
嫌われたようだ。
「二度と我の前に現れるな」
そう言われれば、従者である自分は従うしかない。
じんわりと痛む鼻頭を押さえながら、ルノの部屋を後にした。
ルノが神民を嫌っているのだと、後に同僚から聞いた。
二度と現れるな、というのも無理な話。ルノの父君・・・旦那様がいるところに自分はいるのだ。
一日に数回、嫌でも顔を合わせることとなるだろう。
仕事上しかたない話だが、肩身が狭い。
「シュミルには明日から、ルノの教育係兼お世話係になってもらう」
旦那様からそう告げられたのは、その日の晩だった。
「わたくしが、ですか?」
「あぁ、そうだ。ルノが嫌う神民について教えてあげるのだ。お前以外に適任はおるまい」
しわがれた声。威圧するような目を向けて旦那様はおっしゃった。
従者である自分はやはり逆らえない。
「承知いたしました。ご期待に副えるように善処いたします」
翌朝。
デビルキイスの朝は暗い。魔族は基本的に光に弱いため、魔族が主として住まう島周辺には光を遮る特殊な結界が張られている。
この広い家にも窓はある。だが、外にある魔力灯のぼんやりとした光が差し込むだけ。
赤いカーペットの敷かれた廊下を燭台片手に進む。
両方を囲む壁には等間隔に蝋燭が灯されているが、それだけでは先が見えにくいのである。
廊下の突き当りに頑丈そうな扉がある。
昨日も訪れたルノの部屋である。
軽い調子で2回、扉を叩く。しかし返事はない。
まだ眠っているのだろうと、来た道を引き返そうと扉に背を向ける。すると、ぎぃーっという音を耳にした。次いで。
「はいれ」
という声。
驚いて振り向いてみれば、閉じていた扉がわずかに開いていた。
戸惑いながら扉に手をかけ中へ。
刹那。体をかがめた。真上を何かが通過し、扉に刺さる。
刺さっていたのは木の矢だった。最近ではあまり見られなくなったが、殺傷能力はそれなりにある。
「む。外したか」
「矢が飛んでくれば避けるのは当然です」
とはいえ、完全に油断していた。明らかに殺意を込めて放たれたものだった。
「ふん。この程度の攻撃を避けてくれなくては、いろいろと困る」
「見定め、ですか?」
「昨日は実力を知ることが出来んかったからな」
ただ踏んだだけでは何も知ることはできないだろうと思ったが、口には出さず黙っておいた。
それにしても、昨日は「顔を見せるな」と言っておいた割にはこの対応。攻撃こそしてきたが、普通に会話には応じてくれている。
子供が考えていることはよくわからない。
「む?我のことを子供扱いしたな?」
大抵の悪魔族が心を読めるというのをすっかり失念していた。ルノは頬を膨らませてこちらを睨む。
「我はこんな見た目じゃが、440余りの時を生きておる。そんな我を子供扱いするなど言語道断。身の程をわきまえろ」
偉そうに腕を組み、挙句宙に浮いて見下しながらルノは言った。
「お言葉ですが、お嬢様。大人として認定されるのは500年は生きねばなりません。あと60年ほど足りていないようです」
「ふん。60年などあっと言う間じゃ。それに、四捨五入すれば500じゃろ」
正論に暴論で返された。
確かに60年なんてあっという間ではある。
だが、四捨五入とは読んで字のごとく、四以下を捨て、五以上を切り上げるもの。今のルノではどこを四捨五入しても500にはならない。
仮に450年以上生きていたとしても、50年という誤差は大きい。
大人に近いというだけで、明確な子供だ。
「大人扱いする方が難しいかと」
「う、うるさい!やっぱりお主のことは嫌いじゃ!」
顔を真っ赤にして叫び、ルノはそっぽを向いた。
「・・・本日の予定を確認してもよろしいでしょうか」
それを意に介さず、というか気にしないことを密かに決めて仕事に移る。
「勝ってにせぇ」
そうさせていただきますよ。
「この後、朝食を摂りまして、準備が出来次第、街に出ます」
「街?」
「はい。街に出向き、島民たちの生活、街の表から裏。その隅々に至るまで」
「やった!久しぶりの街じゃ!おっと、こうしちゃいられん。飯じゃー!」
こっちの話に聞く耳も持たず、扉をぶち破る勢いでルノは部屋から廊下へと飛び出して行った。
あれを大人扱いするにはまだまだ時間がかかりそうだ。
わんぱく娘は朝食を終え、長い白髪はツインテールに。服装はメイド服に眼鏡をかけるという出で立ちで、部屋の前で待機していたシュミルの前に現れた。
「あの、お嬢様。これから街に行くのですよ?」
「うむ。わかっておるぞ。いいじゃろ?この服」
確かに似合っていて可愛いけど。
「あなたは貴族のお嬢様。街に出るときはその身分を隠さなければなりません。その恰好では目立ってしまうかと」
貴族の娘というのはやはり希少価値が高く、悪目立ちすればどっかの悪人に目を付けられる。
「ふん。頭が弱いのぉ。逆じゃよ逆」
「逆?」
「目立ってはいけない貴族が目立つような恰好をするなんて普通は思わんじゃろ。それに、お主は執事服。メイドと執事が一緒に歩いていても不思議ではなかろう。ほれ、行くぞ。時間が惜しい」
言いたいことだけ言ってルノはシュミルの前を通り過ぎた。
「暴論です」
「細かいことは気にするな」
せめて気にしてくださいよ。
そう言っても無駄。そう判断し、ルノの後をついて行く。
玄関から広い庭へ。庭から高い鉄柵に囲まれた門を抜けて外へ。
相変わらず暗く、今日の空はほんのり赤みがかっている。
土の道の両脇には道しるべのように魔力灯が照らしている。
この道を道なりに進むと、街が見えてくる。
規模はエンジェリングに比べてやや小さいが、悪魔族が住む島だけで比べると最大の規模を誇る。
中央に城を構え、それを取り巻くように街が出来ていたエンジェリングとは対照的に、貴族の家が島の外縁に存在。そこから中心に向かって町が栄えている。
自然の光を浴びることがないため、青々しい植物はない。その代わり、この島の特有の植物は多くある。
衝撃を与えると爆発する。根が鋭くとがっているなど、危険なものばかりなのは目を瞑る。
「さて、何処に行きますか?」
「今回はルートの指定はないのか?」
ルノは歩きながら顔をこちらに向けた。
街の視察と言うものは街を隅々まで見る必要がある。
一つの街をいくつかのエリアに分け、数日懸けてじっくりと視察する方法が一般的。
今回の視察は今日一日限り。稀にある一日だけの視察でも、ルノが言った通りルートが指定されているのが普通だ。
もちろん、行くところも決まっているのだが、そこは最終的にたどり着ければいいとのこと。それまでは、ルノに自由にいさせて欲しいというのが旦那様からの依頼だった。
「お嬢様の思うがままに、時間が許す限り行動してください。ただし、最後には行くところがあるというのを―」
「シュミル!急ぐぞ!」
ついさっきまではほんの少し前にいたはずのルノは、気づけばここから遥か先を走っていた。
またしても話を聞かずに・・・。気持ちを抑えられなかったようだ。
ため息を一つこぼし、すぐに追いつく。
土の道は溶岩近くに生成される石を加工した赤っぽいものに変わり、煉瓦造りの建物が並んだ碁盤状の街。
他では見ない独創的で幻想的な場所だ。
大きくて広い道の内側には飲食店があり、客寄せの声。どこかで奏でられているであろう音楽。大変な賑わいで活気にあふれていた。
小さなルノが埋もれてしまうほどに住民たちの姿も多い。
逆に、それだけ賑わっているからこそ、ルノを気に留めるような住民もいなかった。
「シュミル、広場に向かうぞ」
今歩いている道の先。一番賑わっているところに行くようだ。
流れに身を任せ、ルノとはぐれないように近づいて歩いていると、周囲を建物で囲まれた広場が現れる。
中央には円形のステージがあり、演奏会や演劇が行われることもある。
今日も今日とてステージの周りには多くの住民が集まっている。
行われているのは。
「祭り、じゃな」
「そのようです」
身長的に、ルノにはステージ上が見えていないはずだが、この場の雰囲気で察したようだ。
およそ2mのシュミルでもステージの上はギリギリ見える程度。そのギリギリで見えたのは、二人の魔族の男が殴り合いをしている光景。それを、周囲の住民たちは楽しんでいる。
ボクシングやプロレスと言ったルールの決まった格闘技ではない。これは、祭りなのだ。
祭りは祭りでも、血祭。
戦うことを好む魔族ならではの野蛮な祭り。魔族が祭りと言えば大体このような喧嘩を指す。
『ダウン!』
広場のあらゆるところについたスピーカーから実況の声が聞こえ、場はさらに盛り上がる。
「むー、見えにくい」
やはり背の足りていないルノは、シュミルよりも頭一つ分高いところまで浮かび上がった。
「お嬢様。あまり特殊能力を使わない方がよろしいかと」
声を潜めて言った。
「大丈夫じゃよ。みなはステージに注目しておる。後ろは建物で見る者もおらん」
それでもリスクは避けるべきだ。
ルノの手を取って引き寄せ、左肩に座らせる形で抱きかかえる。
「これで高さは充分です。お嬢様の特殊能力はこの島ではお嬢様だけの物。使っていては変装の意味もなくなってしまいます」
「むー」
不満そうに口をとがらせていたが、それ以上の反論はなかった。
特殊能力。魔力無しに発現する力。
全員が持っているというわけではなく、シュミル自身は持っていない。
他種族からすれば、心を読む力は特殊能力に分類されるらしいのだが、これはほとんどの魔族が初めから持っている一つの器官だと思った方がいい。
それとは別に、ルノが持ち合わせている能力が『浮遊』。
翼をもたないものが宙に浮くには翼をどうにかして生やす必要がある。それもなしにこの少女は飛ぶ。
それはこの島に住む者たちにとっては周知の事実であった。
「シュミル。次に行くぞ。降ろせ」
「次はどちらに?」
降ろしながら聞く。
「肉屋じゃ」
言うなりルノは歩き出す。
肉屋と一言で言っても、この島の住民の好物は肉。行く先行く先に肉屋がある。
しかも、それぞれで専門が違い、羊、豚、馬、獅子と言った動物で細かく分類され、その細かく分類された中でも調理法によってさらに細かく分かれている。
焼くのか煮るのか。蒸すのか生なのか。肉によって合った調理法も違い、店も増えるというわけである。
ルノが向かったのは熊肉の専門店だった。
肉は固く、獣臭いと、あまり他の島では食べられないのだが、デビルキイスでは日常的に食べられる。
固い肉は食べ応えがあり、臭いのなら消せばいい。
熊肉のチャーシューを食べたルノは大変上機嫌な様子だった。
お腹が膨れて次に向かったのは質屋。
魔道具、ポーション、武器、防具を買い取り、再度使えそうであれば販売も行っている。
ここの店主は誠実そうな異型の悪魔族の青年。
自分たちと違って人型ではなく、下半身がタコ足のような触手になっている。
異型の悪魔族については他にも、仮面、花、山羊顔、液状等が存在している。
他の種族やただの物に見える、闇の魔力と意思を持った生物たち。悪魔族の中でもかなり少数の部類だ。
「いらっしゃ~い。大体なんでも買い取るよ~」
扉を開けると中央にカウンターがあり、中にこの店の店主が。取り囲むように商品が並んでいた。
店主は腕と触手をするすると動かしながら出迎えた。
優しそうな笑みを浮かべていたものの、すぐに一変して凍り付いた。
「っと、思ったけど。ただの客じゃないねぇ?ご貴族様がおらっちの店に何の用?」
どうやら『レーティング』、鑑定の魔力を持っているようだ。持っているから質屋を開いているのだろう。
「ただ買い物に来ただけじゃ」
「ついでにこれを売っていただけないかと」
ルノは言い、シュミルは懐から赤い魔鉱石を取り出した。
それを見た途端、店主の目の色が変わる。
「おほ~。さすが、いいものを持ってるねぇ」
シュルっと触手が伸び、魔鉱石を受け取る店主。
「なるほどぉ。これはこれは」
店主が鑑定をしている間に、誰かから売られた商品を見ていく。
魔力増強のアクセサリー、触れると痺れる毒。日の位置がわかる魔道具。最低値50銅貨。最高値30銀貨。
シュミルと同じように商品を見ていく中で、ルノは六芒星の魔法陣が刻まれたネックレスを手に取った。
「ねぇ、そこの執事君」
「何でしょうか」
「これ、本当に売ってもいいんすよね?」
「そのために持ってまいりましたから」
「後悔しないでよぉ?お代は50金貨。ルノ様が持っている物を差し引いて49金貨75銀貨でどう?」
売値50金貨・・・家が一軒買うことが出来る、かなりの額である。
「えぇ、構いませんよ」
ネックレスも元から買うつもりだったものだ。文句はない。
「毎度~!また来てくれよ~!」
ルノは早速手に入れたネックレスを首にかけ、お代を貰ったシュミルと共に店の外へ。
そこからしばらく歩き、2人は路地裏へと身を潜めた。
そこでルノは、せっかく購入したネックレスを地面に叩きつけ、足で踏んで壊した。
「シュミル、あやつ」
「えぇ、間違いなくクロです」
今回の視察での目的地。それが、この質屋だった。
本当ならもう少し遅くに行ってもよかったのだが、面倒ごとをさっさと済まして遊びたいというルノに、シュミルは従った。
あの質屋に訪れたのは、善良な住民からの複数に及ぶ通報だ。
『違法な取引が行われている』と。
大抵の質屋では、売値が金貨に変わってしまうほどの商品を売ることはできない。
中古品を買い取り、販売し、売れたその額がそのまま店の収入になるというのが質屋の仕組みだ。
置いてある商品を見ても、金貨を客に与えられるような店ではなかった。
もっと言えば、販売されている商品の中には非正規品もあった。
先ほどルノが購入して壊したネックレスもそうだ。
あれには所有者の知力を減少させる魔法陣が組まれていた。
毒を売るのにも許可証が必要で、店に掲示するという義務もある。それもなかった。
あとはこのことを旦那様に報告し、視察は完了となる。
「次はどうしましょうか」
「あの店主をぶっ飛ばしちゃダメか?」
驚いた。既に殺る気があったなんて。
「・・・ダメですよ。まだちゃんとした調べを入れてないので。でもまぁ、こっちの正体を知ったうえであの対応ですから。その度胸だけは認めましょう」
「我は一言も名乗っておらぬしな。他にも何かあるぞ?」
「それを調べるのはわたくしたちの役目じゃありませんよ」
「む、そうか」
残念そうに肩を落とすルノ。どれだけ戦いたかったのだろう。
「ん?何か落ちとるな」
つまらなさそうにしていたルノは、薄暗い路地の奥で光る何かを見つけた。
どうせちょっと光る石とか、大したものではないだろうと思ってそれを手にしたシュミルは驚きの声を上げた。
「これは・・・」
それは、白い立方体だった。表面はつるつるしていて、つぎはぎはない。軽く叩いてみると中が空洞であることがわかる。魔力が込められているのも探知した。
「なんでこれがこんなところに」
はっきりと申し上げると、シュミルがそれに見覚えがあった。
「どうしたんじゃ?と言うか何じゃそれ。我が先に見つけたんだから我にも見せろ」
「なりません。これはとても危険なものです。最悪、島がひとつなくなりますよ」
「これで、か?」
ルノは信じられないという風に笑う。
そりゃそうだ。ただの白い箱が危険だと、一目見ただけではわかるわけがない。けど、シュミルはこれが何かを知っている。
爆弾だ。エンジェリングにいたころ、これと全く同じものを見たことがあった。
機械族が作り出すもの。
嫌な記憶がよみがえる。数百年前、機械族がこれを使ってエンジェリングで大暴れしたのだ。
「シュミル、赤くなってきとるぞ」
「え?」
見れば、箱は赤く光って膨張。熱を持ち始めていた。
「お嬢様。目を閉じて耳を塞いでいてください」
迷っている暇はなかった。
右手で箱を持ち直し、空高く放り投げる。さらに、
「『ダークネス・ランス』」
闇で作った槍を舞い上がらせた箱に突く。
肉眼では見えないほど高く舞い上がった箱は、爆発と共に轟音をあたりに響かせた。
と、同時に。町の至るところから同様の爆発音。地面が大きく揺れた。
「く」
「おわっと」
バランスを崩して倒れそうになったルノを脇で抱え、近くの屋根の上へ飛び乗る。
あたりを見渡すと、あちこちで黒煙が立ち上り、住民たちが縦横無尽に駆けていた。
『おーっと!どういうことだぁ!?』
スピーカーから響く実況の声。
『爆発と共に現れた一人の女性が、二人の男を薙ぎ倒したぁ!』
嫌な予感がした。
「どうするんじゃ?」
「お嬢様の身の安全が先決です。一旦屋敷に」
「何を言っておる。広場へ向かえ。街を、救うぞ」
そう言ったルノの目に子供らしさはなかった。
確固たる意志。
「・・・わかりました。急ぎましょう」
主の命は絶対だ。ルノを背に乗せ、このまま屋根の上を駆けて一直線に広場を目指す。
そこには、
「う」
「なんてことを」
先ほどまでの活気はなく、閑散とし、血の生臭い特有の匂いが充満していた。
広場中心のステージの上には一人の女性―否、女型の機械族が一体いた。
ステージの周りで多くの住民たちが息絶えている。
「ソル・マスケアー。なんで奴がここに」
プラチナブロンドの髪を持った機械族は、光のない目で辺りをひっきりなしに見渡す。
「知り合いか?」
「エンジェリングで大犯罪をしでかした奴です。現在は拘置中のはず・・・。一体何が」
目が合った。
ソルが真っ直ぐ2人を見据えていた。
・・・狙われている?
瞬間。身の毛がよだつのを感じた。
「目標補足」
無機質に響く声。ソルの右手の形状が変化し、青白いレーザーが放たれる。
「マズイ」
咄嗟に左手へと魔力を流し縦に振る。その筋道に闇が残って具現化。身を守る盾へと変化し、それに当たったレーザーは方向を変える。
前方へとはじかれたレーザーは建物に着弾し、小爆発を起こす。
それに乗じ、シュミルはポケットから緑のカプセルを取り出して空に投げる。
空気の抵抗で殻が破けたカプセルは、緑色の狼煙を上げた。
主に軍人が使用する救難信号だ。ここに助けが必要な奴がいるというのを周囲に伝える。
あれを相手にルノを抱えるというハンデは大きすぎる。
なにせ、天使族の英雄でも苦戦を強いられた相手なのだから。
いつの間にか乾いていた唇を舐め、左手と両足に魔力を込める。
「解析。逃走率―98%。攻撃率―2%。逃走成功率―30%」
機械族の恐ろしさは瞬間解析。相手の呼吸、脈拍、魔力の流れ、各部位のわずかな動作を分析、次の行動確率を計算する。
一度見せた攻撃は当たることなく、一度見せた防御も次から意味がなくなる。
逃走成功率30%。これを下げるためにソルが何かしてくることは容易に想像できた。
「フィールドプログラム―起動」
瞬時に張られる広場を囲む結界。
「逃走成功率5%」
かなり下げられたものだ。逃れるには、やはりソルを壊すしかないだろう。
「なぁ、シュミルよ」
「何でしょうか」
ソルの一挙手一投足を見逃さぬよう、ルノには目もくれず応じる。
「一度見せた攻撃が当たらないというのなら、我の攻撃はどうじゃ?奴は我を知らんじゃろ」
そんな単純ならどれだけよかったか。
ソルは誕生してから推定1800年。この間に蓄えられたデータは計り知れない。
「それに、お嬢様では火力不足かと」
屋根から屋根へと移動しながら言う。
「試してみよう」
「あ」
ルノはシュミルの背から離れた。
「ちょ、お嬢様!?」
浮遊を使ったルノは堂々と真正面から突っ込む。あんなの、ソルからすれば絶好の的だ。
このままでは返り討ちにあっておしまい。そう思ったのだが、何やらソルの様子がおかしかった。
「種族―悪魔族。一致魔力データ―該当なし。ニュータイプの存在を確認。警戒態勢に入る」
この時、シュミルは知らなかった。ルノが秘めていた強大且つ凶悪な力を。
ソルは動かず腕の形状を変化させて守りを固める。
ルノは魔力を高めていく。
瞳と白い髪は赤く染まり、右手は炎に包まれていた。
「『インフェルノ』!」
背筋を冷たい汗が流れた。
周囲を照らし、ソルを飲み込まんばかりの獄炎。
「出力―解析不能。警戒レベル―10。―離脱」
そう呟いたかと思えば、ソルは天高く、島を覆う結界を破って消え去った。
「逃げられたのぉ」
髪と瞳が戻ったルノ。シュミルは何も言えなかった。
ソルが逃げたことで目標を失った獄炎は、街を包み込んで燃え盛っていた。
「何をちんたらしている?帰るぞ?」
何事もなかったかのように帰宅をせがむルノ。
もちろん、何事もなかったことにはできず、ルノは旦那様に叱られ、その身に呪いを受けた。
「お嬢様は悪魔族でありながら『ダークネス』の魔力をほとんど使えません。炎を操る『ブレイズ』の上位互換『インフェルノ』の魔力をその身に宿しているのです」
「それが強大すぎるから呪いをかけたの?」
「その通りです。あの時点で魔力は覚醒しておらず、体そのものの成長を押さえることで、覚醒を止めようとしていたのです」
脳裏に思い浮かぶロリッ子。あの子にそんな力があったなんて・・・。
「そういえば、話に出てきたタコ足は?」
「その一件で店が全焼。一応調べを入れて処理いたしました」
シュミルは笑顔で言うが、悪魔族の処理が何なのかは考えないようにした。
ソルのことは私も知っていた。幼いころの話なのでうろ覚えだが、天使族を殺しまくり、トリアがそれを止めたはず。
「現在、あの殺戮兵器がどこで何をしているのかは皆目見当がつきませんね。壊れていればいいのですが」
その後から目立った行動は報告されていないのだという。
エンジェリングとデビルキイスにいた理由は不明のまま。殺戮兵器としてだけ残り続けている。
まぁ、わからないことを考えていても仕方ない。
「ムジナもさ、執事だったんだよね?何かないの?」
ずっと聞いているだけだった先導者に話を振る。
「あるにはあるが、それはまた機会があればすることにしよう」
ムジナの先には1枚の薄い扉があった。
「到着だ」
空間に浮いた、ムジナの背丈ほどの扉。ムジナ曰く、この先が元の空間で、研究資料を保管している場所なのだという。
扉を開き、くぐる。
その先は思っていたよりも綺麗で片付けられていた。
カーペットの敷かれた床に足をつけると、ずっと浮いていた反動か、体が重くなったような気がした。
あの図書館と内装はほとんど変わらず、あのまま縮小したような印象を受ける。
中央に机があり、その周りに棚。違いは、階層がここしかなく、窓がついていることくらい。
「おぉ~いい眺め」
どこかはわからないがきれいな夜景だった。
街灯で照らされた道には、夜であるのにも関わらず色々な種族が歩いている。
黒髪と銀髪の一組のエルフ族の男女。赤い髪の少女。緑色の髪の妖精。妖魔族、獣人族、多分小獣族もいた。
アーウェルサでも有数の多種族共存島のようだ。
「ムジナ、ここは?」
「軍事島『ミリフェリア』と言うところだ。軍に関わるありとあらゆることを管理し、兵の育成もする。そして、アーウェルサで最も多くの秘密を抱えた島だ」
この島の名前に聞き覚えはあった。
エンジェリングからまともな手段で行こうとすれば5日はかかる辺境の地だ。
トリアも度々嫌疑を教えるために行っていたらしい。
「エンジェリングに送られてきた研究に関わるコピーの類はここに集められる。一応、エンジェリングの傘下に当たるらしいからな。この島の奴らでも容易に近づけず、他の出入り口も、あの迷宮の道を知っておく必要がある」
ムジナはそう言って棚を漁り始める。
この棚の中にはアーウェルサに関わる重要なものが詰まっているということか。
ネームプレートが張られ、年代、研究者ごとにわかられているのが人まで分かる棚。ムジナはそれを確認して棚を開ける。
「あった」
「え、早くない?」
「探すものは決まっていたからな」
得意げにムジナは言い、小さな机の上に資料を広げ、3人でそれを囲む。
ムジナが持っていたのは3枚の紙。びっしりと文字が詰まったそこに書かれていたのが、蘇生にまつわるもの。
成功例とその方法が記されている。
要約すると、次の通りだ。
・器と魂があればいい。
・魂は肉体と共に離れる。
・一部の死神族は魂を高値で取引してくれる。
・死ぬ直前に魂を離れさせない方法が存在する
・元の肉体の時間を戻せば魂も戻る。
「ねぇ、ムジナ。トリアの体に魂って」
「・・・わからん」
魂の有無は見ただけはわからない。
無いと仮定した場合、取りえる方法は2つ。死神族の下に行くか、時間を戻してやるか。
「どうしましょうか」
「現実的なのは死神族の下に行くことだが・・・」
バツが悪そうにムジナは天井を仰ぐ。
「伝手がない」
一部の死神族が高値で魂を取引してくれるらしいが、その一部がどこにいるのかわからない。
「とすると、時の神の下へ行くべきでしょうか」
「そっちの方が現実的じゃないし、今の状態ならあいつにも無理だ」
シュミルを否定したのはここにはいない女性の声だった。
声の主はかつかつと足音を立て、迷宮へと続く扉から姿を現した。
天使族の女性・・・なのだが、魔力は魔族の物だった。
「誰・・・?」
震える声でそう聞いた。
「姫さんとは久しぶり。シュミルとは初めまして。・・・そして、哀れだな。我が弟」
女性が真っ直ぐに見据える先にいるのは、ムジナ。
「まさぁ、姉御!?」
「やっと気づいたか。愚弟。我はフィル・ディザオス。トリアの中に身を潜め、奴が死に体を離れた。そのついでにこうして現れたまでよ」
ニヤリと口元を歪めて笑い、彼女、フィルは言った。
「が、我にも時間がない。手短に済ますぞ」
戸惑う3人に構わず、フィルは続ける。
「まず、トリアの体には魂が残っている。これは、ディーテによる一種の封印と見て間違いない」
体の中にいたというフィルだからこそわかる事実。
「その封印は、姫。貴様なら解ける」
・・・私?
「天使族である貴様なら、な。やって見せよ。愛する者のために」
トリアを生き返らせるためのキーマンはいつだって私だ。やるしかない。
わかった。そう答えようとして、フィルの体が半透明になっていることに気付いた。
「あぁ、案ずるな。我は元々、身体を持たぬ存在。残った魔力で作り出してこそ見たが、所詮は仮初の物。精神だけの存在である我はもうじき消える。これも寿命だ。逆らえん」
言い終わると同時に景色は切り替わり、フィルの姿はどこにもなかった。
「封印の解除は周囲に影響を与えることが多いのでな。放置島へと転送させてもらった。頼んだぞ。こやつらは、このまま死な・・・て・・・・・・・・らん」
それきり、声が聞こえることはなかった。
私とシュミルは唖然とし、ただ一人ムジナは、地面に魔法陣を描き始めた。
完成した魔法陣の上に3人の遺体を横たわらせた。
「姉御の言葉。無駄にはできん。さぁ、エル様」
やはりあれはムジナの実姉だったのだ。今にも消え入りそうな声で言ったムジナは魔法陣から離れる。
それに対して私は無言でうなずき返し、一度あたりを見た。
周囲を木に囲まれ、島の端を見ることはできない。近くに別の島も見当たらない。
封印が解けた余波でどうにかなる、ということはなさそうである。
「じゃあ、やるよ」
視線を3人の遺体へと向け、両手を魔法陣にかざす。体内で魔力の循環を調整し、紡ぐ。
「『魔に侵されし身。我が偉大なる光よ。彼の者たちを無垢なる拘束から解き放て』」
封印を解くということはパズルを解くようなもの。封印を賭けられる前の状態にピースを嵌め、無かったピース。即ち、封印によって嵌められた本来あるはずのないものをはじき出す。
カチカチとないはずのパズルを組み立てていく。
最後のピースがかみ合った時。辺りを白い光が包んだ。
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