第5章~時間は等しく流れゆく~

 俺は夢を見ていた。

 年は十歳ごろの俺とエストとメチが、本物の兵士に憧れておもちゃの剣を振っている光景を。大人になった俺が見ている。

 代々時の神は受け継がれ、そうなることを宿命づけられたメチも、両親に反対されて兵士になることが出来なかったエストも、そして俺も、目を輝かせて無我夢中にカン!カン!と剣をぶつけ合っていた。

 場所は小さいころによく遊んでいた何もない空き地だった。エンジェリング特有のレンガ造りの建築物に囲まれた空虚な空間。そこに子供たちの笑い声と不規則にプラスチック同士がぶつかる音が響いた。

 この時、俺とエストの戦績はほぼ互角。一番強かったのはメチだった。と、言うのも。メチは女の子だ。男である俺やエストとは互角に渡り合えるはずもなく。さらにメチが負けると泣き出してしまうため、手加減をすることにしていたのだった。

 だから、メチと本気でやっての戦績を見れば、一番強かったのは結局のところ俺かエストだっただろう。

 カコーン!と一際高くおもちゃの剣が飛び、子供たちから少し離れたところに立っていた俺の近くに落ちてきた。

「へへーん!私の勝ち!」

 メチが腕を組んで鼻を鳴らした。今じゃ見ることが出来ないメチのドヤ顔である。

「次は勝つからな!」

 どうやら剣を飛ばされたのは幼き日の俺らしい。辺りをきょろきょろと見渡し、自分の剣を拾いに走って、目が合った。

 幼き日の俺が純粋な目で大人になった俺を見ていた。まさか、見えているのだろうか。

「お兄さん、だれ?」

 見えているようだった。そして、困惑する。この夢は俺の記憶が見せているものじゃないのか。だとしたら、どうしてこんなイベントが発生してしまうのだろうか。

「もしかして、兵士さん?」

 夢とはたいてい意味なんてないが、今回の場合は違うと直感する。この夢の末に何が待っているのか、好奇心で知りたくなった俺は声を発さずに頷いて見せる。

 その瞬間。幼き日の俺の純粋な目に輝きが加わった。

「すっげー!メチ!エスト!本物の兵士だって!」

 幼き日の俺は声を上げ、その場にいた幼馴染二人が同じように目を輝かせて迫ってきた。

「本当に!?」

「位は!?」

「僕もなれるかな」

 三人の子供に詰め寄られ、思わず後ずさる。

 これが全然知らない子供だったらよかったのだ。しかし、ここにいるのは俺がよく知る奴らだった。とても不思議な感覚に陥る。

 この中で兵士になるのは実際には俺一人だけ。だが、ここは夢の中である。多少の嘘は許されるだろう、と無言でうなずく。

 思えば、ここが分岐点だった。

 子供たちの表情は一瞬にして輝きを失い、雲一つなかった青空も、気づけば不穏な暗雲が立ち込めていた。

 突然の展開に驚く俺に対し、夢はシナリオを進める。幼き日の俺の首が、跳んだ。幼馴染二人が手にするおもちゃだったはずの剣に切り裂かれて、跳んだ。

「お兄さんはうそつきだ」

「僕たちは兵士になることなんてできない」

「それを知りながらも」

「お兄さんはうそをついた」

 二人の子供は手にしていた剣で大人になった俺の心臓を貫く。

 そして俺は目を覚ます。

 そうだ、俺は夢を見ていた。

 ぼんやりとする頭を抑えながらゆっくりと起き上がり辺りを見渡す。

 十五畳の和室に布団が二つ。俺とルノにと、一つずつ与えられたその二つの布団のうち、一つは未使用のまま。結局いつものように一つの布団で眠り、今もルノは俺の腰のあたりで寝息を立てている。

 あの夢が伝えたかったのは、俺への悪意だったのだろうか。いや、違うな。俺があいつらに対して心の奥底で悩んでいたものを見せられたのだ。

 もしもあの時、『お前ら二人は兵士になることが出来ない』と伝えても結末は変わらないように思えるし、あれがルート変更だったとしてももう一度見たいとは到底思えなかった。

 あの二人が兵士になることが出来なかったのは仕方のないことだったのだ。それに、それでよかったとも思っている。だって、あの二人が俺と同じように兵士になったとしよう。そうすれば確実に聖魔大戦に駆り出されていただろう。結果論ではあるが、それを避けることが出来てよかった。

 メチは一人娘だったため、神になることが決まっていた。そして、今も時の神として存在している。

 エストは兵士になることを親から猛烈に反対され、教師を目指すことにした。・・・じゃあどうしてあいつは神になったんだ?

 よく考えてみると、いやよく考えなくとも、そのことについて触れたり、調べたりしたことはなかった。俺が秘書官に任命されたのが久しぶりの再会であり、神になった経緯については聞こうともしなかった。

 俺は兵士になってから秘書官になるまで、エストがどこで何をしていたのかを全く知らないのだと、今更になって気づいた。

 それがあの夢の真意、とはまた違う気もするが、他に思いつかないのでそういうことにしておく。

 思索がひと段落つき、ゲーム用の端末の電源をつける。関わりのある元コントラクターから、「ルノはどうなったのか?」という旨のメッセージがたくさん来ていた。これはもしかして、と思いスマホを見ても同じだった。

『ルノが見つかりました。ご協力ありがとうございました』と、ルノの幸せそうな寝顔の写真と共に一斉送信する。

 一応神楽にはつむぎと一緒に行動しているということも伝えておく。

 ふと目にすると、この時の時刻は午前六時だった。

 昨晩布団に入ったのが午後十一時前後。健康的な起床時間である。と、言ってもルノがまだ寝ている以上、ここから離れるわけにもいかない。そう決めたのだ。

 しかし、退屈である。そんな時間はなかったとはいえ、携帯ゲーム機の一つでも持ってくればよかった、なんて思ってしまう。

 どうやってこの退屈を凌ぐか考え頭を巡らせていると、薄暗い部屋に一筋の光が差し込んだ。

 襖が開けられたことにより差し込まれた光。よく目を凝らしてみると、ぼんやりと襖を開けたであろう人物の輪郭がぼんやりと見えた。それが誰なのかが分かった俺は手招きをしてその人物を呼ぶ。

「・・・おはよう。お兄ちゃん」

 俺とルノが今着ているものと同じ、枯草色の和服に身を包んだ優衣が、静かに襖を閉め、そう言って同じ布団に入り込む。

「おはよう。どうかしたのか?」

「・・・目が覚めたら、誰もいなくて。それで」

 言いながら布団の中に潜り込んでしまった。

 なんて愛おしい子だ。胸が締め付けられるような気がして、少しだけ痛む。

『優衣は愛情に飢えているから離れない方がいい』と、以前知り合いが言っていたことを今更になって思い出した。そもそも優衣は十歳の女の子だ。血が繋がった家族もおらず、唯一の家族が俺とルノ。心細い思いをしないはずがない。

 ずっとそばにいてやることが、俺には果たしてできるだろうか。

 ふとそんな疑問が頭を横切った。

 詰まるところ。俺もルノも人間ではない。それに、俺はこのゲームが終われば人間界を離れる気でいる。

 その時に優衣を連れて行く?俺がゲームに勝てば元コントラクターもアーウェルサに招待するとエストは言った。だが、今のエストがそれを実行に移すとは思えないのだ。なにせ、俺とエストはある意味で対立してしまっているのだから。

 いや、よく思い出してみろ。あの時あいつはゲームを始めた理由を聞かれて何と答えたのか。

『私はゲームで勝利した人間と戦いたい』

 そうだ。そう言っていた。

 もしもあいつの中で俺がゲームに勝つという未来を見据えていたとしよう。あいつは神でありながら、実際の戦闘能力は俺の方がはるかに高い。

 背中に妙な悪寒が突き刺さる。

 あれを聞いた時にはすでに、計画は始まっていた。なのに、そう言ったということは。あいつは、止めて欲しいのかもしれない。この、バカげた計画を。

 こんなものは全部推測でしかない。根拠もなく、自分に都合がいいように解釈をしているだけかもしれない。それでも、俺はあの幼馴染をこれ以上疑うことが出来なくなっていた。

 エストは昔から直接何かを言うことが苦手だった、裏を返せば、遠回しに物事を言うのが得意だった。そんなことを、俺が忘れていた。

 このことをネアには進言しない。俺の心の中にひっそりとしまっておくことにした。

「ん・・・んぅ」

 ルノがようやく目を覚まし、その声を聴いた優衣も布団から顔を出す。

「おはよう、ルノ」

 この時、時刻は午前七時だった。




 この建物を歩けばありとあらゆる日本文化に触れることが出来るとはよく言ったもので、実際にその通りだった。

 例えば、俺たちが寝ていた和室も布団の様式も、歴史の教科書で何度か目にしたことがあるようなものだった。

 襖で仕切られた部屋から一歩外に出てみると、そこは庭に面した縁側だった。大きな石と小さな石で構成された庭に水はない。確か、枯山水と言われる特徴的な庭だったような気がする。

 昨晩もここを通ったはずなのだが、疲れていたし照明も頼りない提灯だったので、庭の存在には気づかなかった。

 昨日は何とも思わなかったところが朝になってみれば美しく変化を遂げる。その様に俺は見惚れていた。

 ゆっくりと大きな庭を眺めながら、俺の足はとある場所に向かっていた。

 ナデシコにブリーフィングルームとして使ってくださいと言われた、囲炉裏のある部屋だ。

 長い廊下を進み、折り曲がった複雑な木製の道を迷うことなく進む。一歩踏み出すたびに木のきしむ音がして、床が抜けるんじゃないか。なんて心配も杞憂に終わり、たどり着いた小部屋には他の奴らが囲炉裏を囲んで座っていた。

「おはよう、奏太」

「おう、おはよう」

 まず俺に気付いたのは人間の姿をした妖精姉妹だった。なので、ここでは人間の名で呼ぶことにする。

 由樹から時計回りに由香、絵美、ゾイル、ネア、つむぎ、俺とルノ、優衣の順で、各辺に二人ずつ座る形をとっている。みんな俺らと同じように枯草色の和服だ。

「あれ?ナデシコは何処だ?」

 立派な家の主がどこにも見当たらない。

「空間の結合を止める。って言って人間界に降りてったよ」

 ネアがあくびをかみ殺しながら答えた。

「そうか。じゃあ、俺らはどうする?」

「まぁ、待て。トリア。先に腹ごしらえと行こうじゃないか。お腹、空いているだろ?」

 確かに減ってはいるけれど。

「先輩、腹が減っては何とやらですよ」

 確かに絵美の言う通りでも・・・お前、そのフレーズ気に入ってんだろ。

 まもなくして、天使族の美しいおば様方が運んできた朝食に舌鼓を打つこととなったのだが、これがまた美味であった。程よい塩加減の焼き魚に白米。豆腐とわかめの味噌汁。お漬物。塩分濃度が高いとか気にしちゃいけない。

 朝食を終えた時、時刻は午前八時三十分を回っていた。




「さて、今後の方針の話でもしようか」

 朝食を終え、ネアのその一言でこの場の全員―ただし半分眠っているルノを除く―の顔がきゅっと引き締まる。

「あたしたちがしなくちゃいけないことは空間の結合を止めることだ。あの研究所にあったものはつむぎの活躍で消すことが出来た。本当にありがとう」

 当のつむぎは顔を真っ赤にしてうつむいていた。褒められたことが恥ずかしかったのか、あの時のアレを思い出しているせいなのかは考えないようにした。

「他のところに関しては、ナデシコが動いてくれている。遊動園にあったものも処理してくれたらしいから、安心していいよ」

「あそこに作ったのは人が集まるからか?」

「確証はない。けど、そうだと思うよ。ナデシコから報告を受けた場所も人が集まるような場所ばっかりだったからね。狙いとしては大方トリアの予想通り。多くの人間を巻き込むためと考えるのが妥当だろうね」

 空間の結合が完了した時。各地に発生した暗黒世界の一部がアーウェルサに通じる門となるのだろう。その時に、人が多くいればいるほどいい。

「で、あたしらがすることは、今尚増え続けている不正移民者を処理することだ」

 要するに、任務を与えられていないアーウェルサの住民を処理するということか。けど、

「暗黒世界の一部はどうするんだ?」

「それは、あたしらがどうこうできるものじゃないから。ナデシコに任せる。運がいいのか、暗黒世界の一部は北海道でしか目撃されていないんだ。だから、ナデシコが仕事を終えるのも時間の問題だろう。あたしの最終的な目標は、人間界に異世界の痕跡を残さないこと」

「ゲームが起きている限り、それは不可能じゃないのか?」

 現在、ほとんどの人間は普通じゃない。左手に下僕の証が浮かび、自殺と寿命、病気以外で死ぬことが出来ない体になっている。異世界の影響をこれでもかというくらいに受けているのだ。それすらもなくすとなれば、

「コントラクターを消すしかなくなる。けど。それをするのは現実的に難しい」

「俺もそうだからな」

 左手のバングルを掲げてそう言った。

「それもあるけど」

 ここで困ったようにネアが言葉に詰まる。ただじっと由樹の方を見ていた。見られていることと、その真意に気付いた由樹は小さくため息をついて口を開いた。

「コントラクターは後に私たちにとって大きな助けとなる、そんな予兆を感じました」

「トリアは分かっていると思うけど、妖精族の予兆に外れはない。だから、あたしはそれに従う」

 予兆、か。後に聖魔大戦と呼ばれる大きな戦争が必ず起きると予見していた時と同じ。今のコントラクターは必ず俺たちのメリットとなる。想像はつかないが、手を出さない方が善策。

「具体的に、どう助けになるのかまでは分かりませんけど、彼女彼らが皆さんの敵になることは確実ないです。それだけは不思議と言い切れます。だから、コントラクターには安心して頼って大丈夫です」

 ふわりと微笑を浮かべた由樹の顔は、どこか覚悟を決めているように見えた。しかし、それに気づいた者は、恐らく俺以外にいなかったし、俺も気にしなかった。俺らは常に死と隣り合わせ。俺だって覚悟はしている。決まってはいないけど。

「コントラクターに手出しはしないとして。それでも人間界には多くのアーウェルサの住民が潜んでいる。それを、あたし、エミリー、ゾイル、メルスの四人で探し、処理する」

「え、俺もか?」

「え、私も?」

 ゾイルと由香が同時に言った。

「仲いいね、あんたら。当然でしょ?あんたらは良い戦力なんだから」

「俺は戦うとその周辺が薬品の湖に変わるぞ?」

「私が戦った跡もどんな場所だろうとお花畑に変わるよ?」

 なんだよお前ら。自分が強いことをアピールしたいのか?お、俺だって戦った跡には。

「そんなところで張り合ってどうするんじゃ」

 無駄なところで闘志を燃やすが、ルノの一言で消化される。だって、俺にも何かそういう強さをアピールできるようなものが欲しい。これはきっと男としての性だ。致し方ない。

 そんな静かなやり取りなど気にも留めずネアは話を続ける。

「君らの実力は分かっているつもりだよ。だからこそ、力を貸してほしい。君らは向こうでも名が知られているだろう?『薬の魔術師』に『自然の暗殺者』。君らがいるだけで戦闘そのものをしなくてもいいかもしれないんだ」

 ネアは懇願するように言うが、依然として二人は首を縦に振らない。

「・・・言っておくけど、ゾイル。ここで従わなかったらどうなるのか、わかるよね?」

「チッ」

 ここで従わなかったらどうなるのかわかっているのだろう。ゾイルは舌打ちし、静かに「わかったよ」とこぼした。

 あいつはここにいる限りネアの言いなりである。不憫だとは思うが同情はしない。当然の報いだ。

 ゾイルが従ったことに満足したネアは由香を見た。

「由樹が行かないのなら私も行かないよ。心細いだろうし」

「心細いのはメルス、君でしょ?」

「否定はしないよ」

 由香は苦笑を浮かべて言った。そう言えばこいつ、重度のシスコンだったなぁと思い出す。だから、

「お姉ちゃん、行ってきてください」

 由樹のその一言は、由香にとってはとても辛辣なものであった。表情が凍り付きわなわなと体を震わせていた。

「お姉ちゃんはそろそろ妹離れをした方がいいと思います」

 やめてやれよ、メルス。お前の姉ちゃんのライフはもうゼロだぜ?

 が、精神攻撃を受けたのを好機と見るや、ネアはこのタイミングでもう一度聞いた。

「メルス。一緒に来てくれるかい?」

 言葉を発さずに由香は静かに頷いた。

 これで解決したはずなのだが、部屋には珍妙な空気が流れた。

 ふと俺は優衣の方を見た。ロリコンでもシスコンでもないつもりでいる俺だが、もしも優衣から妹離れしろと言われたら耐えられるだろうか。

 優衣はこちらの視線に気づいたのか、純粋な眼差しをこちらに向ける。俺はそれ以上考えることをやめて現状の問題へと向き直る。

「なぁ、ネア」

「ダメだ」

 ネアを呼んだら断られた。

「・・・まだ何も言ってねぇだろ」

「どーせ、一緒に連れていけとかいうんだろ?」

 何も言い返すことが出来なかった。図星である。

「まったく、先輩はアホですか?」

「違うよ、奏太は馬鹿なんだよ」

「あぁ、なるほど」

 おいそこの妖精と雷鳥。こそこそ話していても丸聞こえだからな?あと、由香さん立ち直り早いっすね。

 俺だって馬鹿なことだとは思っている。俺の中にはフィルがいて、ルノとも離れる気がない。そんな状態で一緒に行けば危険。そんなことは分かっている。わかっていても、他人任せというのがどうにも気に食わない。

「他人、じゃないよ」

「へ?」

「トリア、あたしらは仲間だ。決して他人っていう括りじゃない。ここはあたしらを信用してゆっくりと休みなよ」

 ネアの声音はとてもやさしかった。いつもの師匠面ではあったけど、個人として、一人の弟子を心配してくれているのだと伝わった。・・・弟子じゃないけどな?

「わかった。お前らに任せた」

「うん。任された。どうやらこの辺には色々なものがあるらしいから、好きに見て回っていい。ナデシコからの伝言さ」

「そうか。それは楽しみだな」

 ここはナデシコと呼ばれる日本の神が住処としている場所。人間に踏み込むことはできず、限られた奴しか立ち入ることのできない聖域だ。だから、楽しみという言葉に嘘はなかった。少なからず高揚していたと思う。だが、ネアの次の一言で俺の心は少しだけ穴をあけられる。

「優衣とつむぎは、あたしらと一緒に行くよ」

 誰も声を発することはなかった。誰もが静かに次の言葉を待つ。

「ここは誰の目から見ても聖域。あたしらはともかく、人間に適した環境じゃない。体を壊すことになる。だから、いいね?なぁに、戦闘をさせるわけじゃないんだ。ただ家に帰すだけ。だから、そう怖い顔しないでよ、トリア」

 ネアがそうしたい理由もよくわかる。しかし、反論する余地もなかった。優衣とつむぎが自ら小さく頷いたからだ。本人たちの意思が明確に示されている以上、第三者の意見は不必要な要素となる。

「けど、優衣。お前ひとりで大丈夫か?」

「・・・大丈夫。私も、お兄ちゃん離れをするべきかもしれないから」

 由樹と由香の時とは違う。俺が突き放されたわけではなく、優衣自身は変わろうとしているのだ。それを見守るのが兄である役目だろう。だけど、少しだけ寂しくも思う。その感情を極力表に出さないようにして俺は言う。

「そうか。何か困ったことがあれば莉佐を頼れ。必ず助けになるだろうから。って、露骨に嫌そうな顔するなよ」

 二人は本当の兄妹のように笑い合い、穏やかな雰囲気のままブリーフィングは終わった。

 この時、時刻は午前十一時になるところだった。




「どうしたんだい、トリア。二人きりで話がしたいだなんて。愛の告白かい?」

「なわけねぇだろ。神の秘書官だったお前に聞きたいことがあるんだよ」

 ブリーフィングが終わり、各々が部屋に戻ろうとしていたなかでネアを呼び止めた。そして二人きりでもない。俺の膝の上ではルノが眠そうに囲炉裏の火を眺めている。

「ほんっと、呆れるくらい真面目だねぇ。それで、何が聞きたい?」

「エストが神になったきっかけだ。俺はあいつの幼馴染であるはずなのに、そのことを知らないんだよ」

「知ってどうするつもり?」

 ネアが品定めするような目で俺を睨む。

「どうもしない。不足していた知識を補いたいだけだ」

 俺の回答にネアは少しばかり困惑した様子を見せた。それも一瞬のことで、まぁいっか、と過去を思い出すように天井を仰いだ。

「そうだね。エストが神になったきっかけを簡潔に答えると・・・前の神を殺したんだよ」

「は?」

 全身から嫌な汗が湧いて出てきた。

「殺したって言っても、命を奪ったわけじゃないよ。社会的に追放したという方が正確かな」

 よかった、と胸を撫で下ろすも、意味はよくわかっていなかった。

「エストの前の神、つまり、あたしが秘書官として最後に仕えた神のことを、覚えているかい?」

「確か、巨獣族だったよな?」

「そう。ライオンのね」

 巨獣族。小さくともその背丈は30mを超え、アーウェルサで最も巨大な種族。そして、彼女彼らは皆、二足歩行をする獣である。

 獣人族という種族は体のどこかに人間の要素があったが、巨獣族は純粋な獣が進化し、独自の文明を持って形成された種族である。

 俺の脳裏には、前の神の容姿がはっきりと思い出されていた。たくましい肉体のところどころが金色の毛に覆われ、いかついライオンの頭部を持った雄。金獅子。

「あいつはね、誠実だったんだ。だから神に選ばれた。なのに、あいつは神になった途端、態度は一変した。巨獣族に都合がいいような世界に変えようとした」

 神になって化けの皮が剝がれるというのは、アーウェルサの長い歴史の中では、決して珍しいことじゃない。そいつらのほとんどは、とある勘違いをしているのである。

 神とは世界を統べる存在でありながら、世界を自由に操ることが出来るというわけじゃない。

 当然のことである。アーウェルサという世界は果てしなく広い。その広い世界に星の数ほど浮島があり、さらにその中で大勢の住民が生活している。それらすべてを操ることはどんなに頑張って無理なのである。

 世界は一歩の紐で繋がっているわけじゃない。複数の紐が複雑に絡み合いながら出来上がっているのが今の世界。

 そんな当然のことを、世界を我が物にしようとした過去の神達は分かっていなかった。

「あいつも同じ。獣人族に傾いた世界を作ろうとして、失敗を繰り返した。どんなに頑張っても成果なんて出なかった。それが嫌になったんだろうね。神という立場を使い、犯罪まがいの行為を繰り返した。」

「止めなかったのか?」

「わかっているとは思うが、本来秘書官は神に一番近いところで働けるというだけで、神と仲が良くなることは稀だ」

 確かに、俺が秘書官でありながら教官として子供たちに戦闘を教えることが出来ていたのも、俺とエストが幼馴染という不思議な縁で繋がっていたからだろう。

「あたしは、秘書官という職に就いていたけれど、そのすべてを黙って見過ごした。何も考えずに黙々と書類作業をこなした。そりゃ、罪悪感もあったさ。金獅子によって不幸の道を歩かされた住民たちもいたからね」

「そんな状況を破ったのが、エストか?」

 俺の推測論にネアは頷きで返す。

「トリアが抱いているもう一つの疑問。エストが神になる前、一体何をしていたのか。それを話そうか」

 俺が兵士になってから再会するまでの、俺の知らないエスト。教師を目指していたあいつが、俺の知らない間に何をしていたのか。その予想はネアの話から概ね予想が出来た。・・・軍人だ。

「エストは神になる前は、ただの憲兵だった」

 憲兵。日本の漫画でもたまに見るが、向こうの世界で言うところの警察である。だが、自分で推測していてもおかしいなと思ったが、エストは教師を目指していたはずだ。

「なんであいつは軍人に?」

 軍の管理下にある憲兵は一種の兵士だ。あいつは親に兵士になることを反対されて、反対を押し切れるほど気が強いわけでもなかった。

「あたしにも憲兵になった経緯までは分からないよ。知っているのか神になるまでの経過だけ。その辺は直接聞けばいいさ。幼馴染、何だろ?」

 ひ弱な笑みを浮かべた幼馴染の顔を思い浮かべる。この件がひと段落着けば一緒に酒を飲みながら語れる日が、来るだろうか。

「エストは、正義感が強かったと、あたしは思うよ」

 ネアはがしみじみと言った。

「次々と不正と悪事を暴き、金獅子に直接提示。世間に公表し一般住民を味方につけた。結果、今の地位にいる」

「なるほどな。・・・この際聞きたいんだけど、エストがディーテにそそのかされて動いているということはないか?」

 俺が人間として死に、エストと再会した時に覚えたあの違和感。

「『マインドコントロール』の可能性を考えているんだね?」

「あぁ、希望的観測にしかすぎねぇが。どうだ?」

 そうだねぇ、とネアは考え込む。

「魔力を使われると証拠が残りにくいうえ、可能性が限りなく広がってしまうからあまり考えないようにしていたんだ。だから、トリアの推論を否定することはできない」

「じゃあ!」

「否定できないというだけで、肯定もしないよ。可能性の一つとしては頭に入れておく」

 ネアはぴしゃりと言って立ち上がった。

「あたしらはそろそろ任務に就く。一応夜には帰ってくるつもりだけど、その間、君は考えるのをやめろ」

 俺から考えることを取り除いたら何も残らないのだけれど。

「ゆっくりと休めと言っているんだ。ルノも、この馬鹿が馬鹿をしないようにしてくれるかい?」

「当然じゃ」

 ルノは興味ないように答え、ネアはそれに満足したのか大きく頷いて部屋を出て行った

 この時、時刻は正午を回っていた。




 誰もが知っているように、日本には四季というものが存在し、自然は季節によって姿を変える。

 木であれば、春になればピンク色に染まり、夏は青々とした葉をつける。秋にはその色を赤や黄色に変え、冬になれば葉を落とす。

 これは種類によりけりで、すべての木がそうというわけではない。だが、日本人にとっては季節を最も連想しやすいものではあるはずだ。

 四季の影響を強く受け、俺にも四季のイメージがしやすいもの。なのだが・・・。

(何だよ。ここ)

 場所はナデシコの屋敷の外。

 空は青く澄み渡り、雲はない。豊かな草原に土の道が伸び、そこを私服に着替えた俺たちは歩いていた。

 しばらく進んで見えた景色を見てそう思ったのだ。

「何だよ。ここ」

 今度は口にしてはっきりと言った。

 日本人ならば誰もがそう思ってしまう光景のはずだ。由樹も目を丸くして驚き、唯一、人間界に慣れ親しんでいないルノだけが、興味深そうに眼前の景色を眺めていた。

 向かって右側には淡いピンク色の桜が咲き、向かって左側には色鮮やかな紅葉が風に揺られている。花見と紅葉狩りが同時にできる奇妙なものが自然に生成されていた。

「これが、聖域か」

 そう呟いて桜と紅葉で出来たトンネルをくぐる。両方に少しだけ手を触れてみるが、間違いない。本物だ。

 長いトンネルを抜けると、今度は瓦屋根で木造建築の建物が並ぶところにでた。江戸時代のような町並み。まるで映画村のようである。

 そして、またしても驚かされる。この町には活気があるのだ。町を歩く天使族の姿もある。ここは、天使族の住む町・・・?

 耳を澄ませば談笑の声が聞こえる。笑い声も聞こえる。それに混じって、また別の音が聞こえ、俺はその音を目指して歩き始めた。

 断続的に響く金属音。他のところでは感じることのできない異様な熱気が溢れているその建物の扉をゆっくりと開ける。

 薄暗い部屋の中で白いひげを生やした和装姿の老天使が汗を流し、赤く光る金属を打ち付けている。

 老天使はこちらの存在に気付き手を止めて顔を上げた。

「いらっしゃい。っと、見ない顔だな。新入りか?」

 鋭い眼光でしわがれた声。ただものではないような、凄みを感じた。

「新入りと言われれば、そうだな。しばらく、ナデシコのとこで世話になる」

「ナデシコ様が、か。して、儂の鍛冶場に何用で?」

「ちょっと覗きに来ただけだ。てか、ここで商売になるのか?」

 老天使は何がおかしかったのか豪快に笑った。

「がっはっは!面白いことを言う青年だ。さては、ナデシコ様からこの地域のことを聞かされていないな?」

 聞くも何も、昨晩から会っていない。色々なものがある、とネア伝えで聞いたが、こんな集落があるとは思いもしなかった。

「この集落はな、遥か昔。日本という人間界にある国に憧れた天使族が集って形成されてな。日本の神を傍に置き、日本のような生活を送ることを生きがいにしておる。儂は鍛冶に憧れ修行中。もちろん、商売なんてしていない。まぁ、趣味みたいなもんじゃ」

「なるほどな。じゃあ、あの壁にかかっている刀も、あんたが作ったのか?」

 部屋の壁に所狭しとかけられている刀を見て問う。

「そうだ。気に入ったものがあれば持って行ってもよいぞ?」

「お、マジか。それはありがたい」

 そう言って壁にかかった刀を見ていくが、見た目だけで違いがわかる俺ではなかった。

「青年、名は?」

 刀を見て回る俺に老天使は聞いてくる。

「トリア。アーク・トリアだ」

「アーク・トリア。・・・おぉ!聖魔大戦唯一の生き残りか!」

「まぁ、そうだな」

「よーし!これは腕が鳴るぞ!待っとれ!『アーク』の称号にふさわしい刀を作っちゃる!」

「いやいや、別に。いいよ」

 確かにそう言ったのだが、妙に張り切っている老天使の耳には入っていなかった。

「出来上がるまでに時間がかかるからまた後で来い!」

 とのことなので、俺たちは再度町に出る。

 建物内と違い、外はとても涼しかった。春のような暖かな日差し。気候としては過ごしやすい。

 どこか行きたいところはあるか?とルノと由樹の方を見るが、何かを遠慮しているのか何も答えてくれない。

 どうしようかな、とあたりを見渡す俺の耳に、

 ―カン、コン!

 どこからか木と木を打ち付けたような乾いた音がし、俺の足は自然とそちらに向かっていた。

 場所は何もない空き地。そこに二人の男の子と一人の女の子、いずれも天使族が木刀を持って遊んでいた。

 その光景が夢で見た幼き日の俺らと重なって見えた。

 男の子二人が木刀を打ち付け合い、それを眺めていた女の子がこちらに気付き、そーっと男の子から離れ小走りで近づいてきた。

「お兄ちゃん、だぁれ?」

 年齢は人間の優衣や由樹と変わらないように見える女の子。

「しばらくこの辺で世話になる。アーク・トリアだ」

 よろしくな。と続くはずだった言葉は女の子の声に遮られた。

「すっごーい!お兄ちゃん!トリアだって!トリアがいるよ!」

 女の子の呼ぶ声に剣を打ち付けていた二人の男子が目を輝かせてこちらを見た。

 どうやらこの三人は兄妹らしい。確かに顔つきがよく似ている。特に目元とか。そして、三人とも俺の活躍を知って兵士になりたいというのだ。いやー、照れるなぁ。

「ねぇトリア!俺としょーぶしようよ!」

「あ、ずるいぞ!」

「私もやる!」

「わかったわかった!一人ずつな!」

 三兄妹に笑って答え、木刀を一本借りる。

 子供用に作られたのだろう。とても軽くてしなやか。そのつもりはないが、魔力を通すこともできないだろう。

「奏太。あまりいじめちゃダメだぞ」

 ルノが俺から少し離れたところに立ち、いらん心配をしてくる。

「ったく。俺を何だと思ってんだよ」

「大人げない馬鹿」

「おいこら」

 やめてくれよ。強くてかっこいいイメージが台無しになる。

 ―貴様。我がいたからそんなイメージがついたんだろ。調子に、

 フィルの言葉を無視して一直線に離れて立つ男の子を見据える。彼が長男らしい。

「いつでもこい」

「おりゃあ!」

 勝負のルールはいたってシンプル。どちらかが先に相手の体に当てれば勝ち。つっても、俺が子供相手に負けるわけがない。

 一直線に突っ込み縦に振り下ろされた剣をバックステップで回避。次いで大きく隙だらけの連続攻撃を手にしていた木刀でいなし、バランスを崩した脇下にポンと当てる。

「俺の勝ち!」

 にししと笑って、今にも倒れそうな男の子を抱きかかえる。あまりにも一瞬の出来事に、長男は目を丸くし、すぐに、笑った。

「ちぇー。やっぱりトリアは強いなぁ」

 そう言った男の子をおろして俺は言う。

「迷いのないいい太刀筋だったぞ」

「本当?」

「あぁ、本当だ」

 嬉しそうに頬を赤く染めた男の子に変わり、次は次男坊と手合わせ。

 もちろん勝負は俺の勝ちではあるが、フットワークが軽くちょこまかと動かれ翻弄してきたのには驚かされた。

「そうだな、お前は瞬発力を鍛えた方がいいな」

「はい!」

 元気に返事した次男に変わり、最終戦。長女にして末っ子が立ちはだかる。

「行くよ!」

「おう。こい!」

 その瞬間、俺は剣を縦にして身構えた。次いで軽い衝撃を剣を通して受ける。

 俺と女のことの距離は十歩分ほどあった。しかし、俺は全く動かずに、女の子はたった二歩で詰めた。その勢いを利用したままの突撃。

 こんな子供もいるのかよ。

 俺は嬉しさと戸惑いが混ざった表情で女の子の方を見た。女の子の顔に、まだ疲れはない。

「まだまだ行くよ!」

 女の子は一旦俺から離れ、すぐさま地を蹴り向かってくる。太刀筋は長男のように迷いがなく、フットワークは次男のように軽い。

 英雄と謳われた俺が、小さい女の子に圧倒されていた。

 目に見えない速度での剣のぶつかり合い。俺は徐々に後ろに下がり、女の子は追い詰めるように前進してくる。

 始まったものは、必ず終わる。

 コン、と。木刀がどちらかの体に当たる音がした。

「ふぅ、さすがに少し危なかったな」

 勝ったのは俺である。

 ずっと追い詰めていたはずの女の子は、何が起きたのか理解できないという風にぽかんと口を開けていた。

「太刀筋も動きもよかった。そこは素直に誉めてやろう。けどな、お前、俺に勝てると思って油断したな?」

 今度はハッとした表情でうつむく女の子。

 図星ということだろう。この女の子は、俺が防戦一方になり、攻撃してこないとみると本当に一瞬だけ隙を見せた。戦いを本職としていた俺はそれを見逃さずに反撃した。

「どんな勝負だろうと、それが勝負である以上は絶対に油断するな。油断は負けへの近道だからな」

 そう。俺がそうであったように。

 相手が子供だと思って完全に油断していた。大人と子供と言う決定的な差もあり、絶対に勝つことが出来た勝負でもあったが、それすらも油断。ピンチに追い込まれるという結果になった。

 世の中、広いな。

 俺はくすりと笑って再度勝負を始めた男子二人を見た。

 さっき言われたことを意識しているのか、動きはとてもぎこちない。けど、最初はそれでいいのだ。そこから成長していく。特に子供は。

 この子たちは将来有望だ。今の世の中、本当の意味で兵士が必要になることはほとんどない。それでも、将来は安泰だな。なんて、思ったりする。

「ねぇ、トリア」

「ん?どうした?」

 男子二人の小競り合いを見ていると、女の子が何かに気付いたのか声をかけてきた。

「さっきまでいた子たち、いないよ?」

「え?」

 言われてさっきまでルノと由樹がいた場所を見る。いない。二人の姿が忽然と消えていた。

「あいつらどこに行った!?」

 ここは神の領域。聖域であるため、身の安全は絶対的に保障されている。だから、心配するようなことはない。ない、のだけれど、勝手にいなくなられるのは、何と言うか困る。

「じゃあな、お前ら。これからも精進しろよ!」

 女の子に木刀を返し、大声でそう言った俺は走りだす。

 この町は複雑に入り組んでこそいるが、決して広いわけではない。ほんの数分走り、茶屋の外にも設けられた椅子でみたらし団子を頬張るルノと、抹茶を飲む由樹を発見した。

「あ、かふぁた」

「こんにちは、お兄さん」

「お前らなぁ、勝手にどこかに行くなと」

「言われとらんぞ?」

 ルノが団子を飲み込んで遮ってくる。

 あぁ、そうだ。言っていない。だって、勝手にどこかに行くなんて思ってなかったし。

「ちょっと退屈だったから散歩することにしたんですよ」

「だからと言って何も言わずに」

「言ったぞ?」

「はぁ?」

 ルノが俺に話しかけてきたのは、余計な心配をしてきたのが最後で、その後は話しかけられていない。それとも、勝負に熱中しすぎて声が聞こえていなかったとでもいうのだろうか。

「心の中でな」

「ふざけんなよ」

 そんなの気づけるわけがないではないか。

「ちゃんと声に出して言えよ!」

 思わず大きな声が出てしまう。それを聞いてしまったのか、茶屋の扉が開き、中からおばちゃん天使が現れる。

「なんだい?見ない顔だねぇ。お嬢ちゃんたちの知り合いかい?」

「すみません。うちの子たちが。僕はアーク・トリアです。しばらくこの辺でお世話に」

「トリアって、あのトリアかい?」

「どのトリアかは知りませんが、多分そのトリアです」

 世の中に何人も同じ名が存在していないわけではないだろうが、名前の知られたトリアと言えば俺だろう。

「まさか生きているうちに英雄様に会えるなんてねぇ。ほら、お団子!もっと持ってお行き!」

 みたらし団子と、そのほかにゴマとあんこが乗った団子もいただき、俺はふとおばちゃんに尋ねる。

「この町で行っておくべきところってありますか?」

「やっぱり、温泉さね」

「温泉があるんですか?」

「そうそう。この道を真っ直ぐ進んで右折。そして、その通りの突き当りにあるのがそうさ。タオルも貸し出しているし、行ってみて損はないと思うよ?」

 なるほど。温泉か。久しく行っていないし、行ってみたいところでもあるが、問題はこの幼女二人である。

「私は別に構いませんよ?」

 由樹はそう言ったが、俺が心配しているこいつは。

「奏太、温泉って何じゃ?」

 そもそも温泉が何かを知らないようだった。

 ならば、言うまでもない。風呂嫌いのルノに温泉を説明すれば行きたがらないのは目に見えている。しかし、ここに着てそれはもったいないだろう。

「行けば気持ちよくなれるところだよ。疲れも吹っ飛ぶ」

「気持ちよくなれる・・・?は!さては、いかがわしい場所じゃな!?」

 ルノは何を想像したのか顔を赤く染めている。

「今のは俺の言い方が悪かった。けど、まぁ。行けば分かるよ」

 ルノの疑惑は晴れぬまま。おばちゃんに別れを告げて教えてもらった道順通り温泉に向かう。

 そこの主人と「見ない顔だね。新入りかい?」なんて、何度かこの町で繰り返したやり取りを経て、タオルを借りて更衣室へと進む。

 このあたりでルノはここがどういう場所なのかがわかり、逃げようとしたのだが、魔力を発動した由樹に取り押さえられた。

「セミル!離せ!我はいかんぞ!」

 植物の蔓で四肢を拘束されたルノが喚く。

「まったく、この姿の時は由樹と呼んでって言ったよね?それに、ここまで来たんだから入ろうよ」

「嫌じゃ!我は風呂が嫌いじゃ!」

 すると、由樹は良いことを聞いたとばかり笑みを浮かべ、動けないルノの背後へと回り込んだ。

「はーい。それじゃあ服を脱ぎましょうねぇ」

「や、やめろ!奏太がおるじゃろ!って、あぁ!」

 ルノの制止の声は一切聞かず、由樹は実に楽しそうにルノの裸体を隠していた布を剥いでいく。

 その姿を見ることはなく俺は一言。

「安心しろルノ。幼女で欲情を抱くことなんてねぇから」

「奏太の心配をしているんじゃない!うぅ、こんなことならネアに呪いを解いて貰うんじゃった」

 ルノがよくわからないことを呟いていたが、それを聞き流し服を脱いで腰にタオルを巻く。いつでも準備はオーケーである。

 由樹はその間にルノの長い髪をお団子上に結い、由樹自身も来ていた服を脱いで備え付けの籠に畳んで入れた。

「あれ?ルノさん。顔真っ赤だよ?まだ湯船に入ってもいないのにのぼせちゃったのかなぁー?」

「だ、誰のせいじゃと思っている。もういっそ殺しとくれ」

 ルノは既に泣きそうだった。

 それを見て、さすがの由樹も調子に乗りすぎたと思ったのか、ようやくルノを拘束していた植物を消した。

「背中流しますから機嫌を直してくださいよ。ほら、タオルもありますよ?」

「もう見られたんじゃから今更隠すも何もないじゃろ」

 安心しろ。俺はまだお前の裸体を目にしていないから。なんて、一人で考えているのを余所に、二人の会話は続く。

「セミ、由樹は隠さずとも恥ずかしくないのか?」

「長く生きているしね。それに、昔、トリ、お兄さんとも入ったことがありますからね。裸の付き合いというやつは経験済みだよ」

「何じゃと!?それは本当か、奏太」

 ルノが険しい目つきで俺を睨んだ。

「本当だよ。あの時も気持ちよかったなぁ」

 俺は隠す必要もない、と答える。

 妖精島に存在していた温泉は花の香りに包まれて実に極楽だったことを今でも覚えている。しかし、ルノはまた何かを勘違いした。

「気持ちいい、じゃと!?一体どんなことを」

「はいはーい、行きますよー」

 由樹は呆れながらもルノを連れて一枚扉の先にある浴場へと向かった。俺もその後に続く。

 そこにあったのは香りのいいヒノキ風呂一つに二十個の洗い場。客は俺たち以外にはおらず、貸きり状態である。

「じゃ、洗いますよー」

「や、優しく頼むぞ」

 洗いっこを始めた幼女二人を横目に、極力そちらを見ないようにして自分の体を洗い始める。

「ひゃ!お、おい。何処を触っておる」

「ルノさん敏感だねぇ」

 幼女二人で洗いっこが始まってしまった以上、ラノベの男女でお風呂に入るシーンお決まりである、体を洗ってもらうということはない。・・・別に期待していたわけでもないし、残念でもない。いや、本当に。

 俺は少しの虚しさを感じつつも、さっさと体を洗い広い湯船につかって目を閉じる。

 いい湯加減である。今までの疲労が吹き飛ぶようで、やはり温泉と言うものは素晴らしいな。

「ぎゃあ!目に泡が!」

「だから目を閉じてって言ったのに」

 静かな浴場に二人の楽し気な声だけが響く。

「よーし!次は我の番じゃな!」

「あの、お手柔らかにお願いしますね・・・?」

「任せろ!別に倍にして返そうだなんて思ってはおらん」

「いや、それ絶対にやるつもりでひょ!?ちょ!あの、や、やめ、やめて!」

「ほれほれ!どうじゃどうじゃ?」

「いひひ!本、当に、くすぐる、のは、なし、ですよ!」

「くすぐっているわけじゃないぞ?脇のあたりを重点的に洗っているだけじゃ」

「それをやめて、って、言って、るんです!」

 本当に楽しそうである。

 もしもここに可愛い女の子好きの莉佐がいれば大興奮だっただろう。あとは、女の子同士が仲良くしているのを見るのが好きなネアにとっても大歓喜だっただろう。

 もっとも、あの女性二人のうちどっちかがいた時点で、俺は温泉に入ることも出来ていなかっただろうけど。

「あ!」

 突然、由樹が声を上げ、それに反応して俺は目を開けた。

 ルノが由樹から逃げるように浴場を走っていた。

「おい、ルノ。走ったらあぶねえぞ!」

「ふん!いらん心配ッじゃ!?」

 温泉特有の滑る床と言うものをルノはまだ知らない。案の定足を滑らせたルノは、体を後ろに倒し、尻餅を・・・つくことはなかった。つく前に由樹が発動した魔力の花がルノを優しく受け止めた。

「ふぅ、危ないところじゃ、った!?」

 安心したのも束の間。ルノは湯船に放り込まれ、ザブーンと大きな音、水柱を高く上げて着水した。

「ゲホ!由樹!何をするんじゃ!」

「何って、逃げるのが悪いんだよ?」

 由樹はそう言いながら湯船に入り、ルノの手を握った。

「百数えるまで上がっちゃダメだからね?」

「うぅむ」

 ルノはしばらくの間むくれていたが、ちゃんと「いーち、にーい、さーん」と数え始め、由樹が安心したような表情でそれを見守る。

 微笑ましい光景である。実年齢はさておき、この二人は精神年齢が近いのかもしれない。気づけば仲が良くなっている。

 優衣にも、こんな風に仲のいい友達を作って欲しい。優衣から聞いたものがすべてではないと思うが、あいつの友達は、由樹しかいない。その由樹も、人間じゃない。

 その事実が、俺の胸を強く締め付けた。

 ふぅっと息を吐き湯船から上がる。

「お?奏太はもう出るのか?じゃあ、我も」

「ダメだよ?はい、七十から」

 ルノが上がろうとしたのを由樹が抑え、

「ま、ゆっくり入れよ」

 俺はそう言って浴場を後にする。

 ・・・少し、のぼせた。




 それからしばらくして。ルノと由樹も上がり温泉を後にした俺たちはとある場所へと向かう。

 熱気が溢れている建物。そこの扉を開けて体を滑り込ませる。

「おう、トリア。待っとったぞ」

 そう。鍛冶場である。

「待ってた、ってことはできたのか?」

 俺の質問に、いいやと首を振って答える老天使。

「後一歩。お前さんの魔力があれば完成する」

 そう言って老天使が俺に差し出したのは、刀身が真っ黒の刀。

 それを受け取り、何をすべきかを瞬時に理解し、静かに魔力を流し込む。すると、黒かった刀身にひびが入り、内側から強大な光が放たれる。

「おぉ。何と言う魔力!英雄と呼ばれるだけのことはある」

 俺は老天使の声も気にせず無心で魔力を流し続ける。

 魔力の流れやすさ。刀から感じる重み。神器級の武器。

 愛剣であるエクセリオンもまた神器級の大剣ではあったが、やや扱いにくいところがあった。しかし、この刀ならば戦闘スタイルを大幅に広げることが出来る。

 やがて、刀身の黒いひびは完全に消失し、光り輝く長い刀身が出現する。

「完成だ」

 老天使の声を聴き、俺は魔力を通すのをやめる。

「おう、ありがとな!」

 老天使と固い握手を交わし、柄だけになった刀を懐にしまった。

 俺が魔力を通せば老天使の作った質のいい刃が現れる。そして、魔力の通し方によって刃も形状を変える。この刀は、そういう武器だ。

 それから俺たちは、月明かりが照らす、来た時と同じ道を通ってナデシコの屋敷へと帰った。

 ナデシコの屋敷に着いた時。時刻は午後六時三十分だった。




 囲炉裏のある部屋で和食の夕食を終えたのが午後七時のこと。そして、事態が動いたのは、それからわずか二分後だった。




 夕食を終えた俺、ルノ、由樹は、俺とルノが寝室として借りている部屋で昼間貰った団子を食べていた。

 ルノと由樹が幸せそうな顔で団子を頬張る中、俺の顔は深刻そのものだった。

 コントラクターとして貰った端末に、最初からインストールされていたが、使えなかったアプリと言うものが存在する。それが、ニュースアプリ。

 それが使えるようになったのは学校祭があったその日以降なのだが、今まで使っていなかった。

 そして、今。暇つぶしのためにアプリを開き、俺は頭を抱えた。

 こちらの世界とあちらの世界。その両方から集めたニュースの中で一番上にあった見出し。


『エスト・テリッサ。空間の結合を計画中』


 内容としては、エストが空間の結合を計画していると世間に発表。それに賛成する者と反対する者の間で暴動が各地で発生。各島の軍が鎮圧に動いているが、被害は増えるばかり。

 あぁ、ついにこの時が来てしまった。

 神が狂った世界に平和はない。結合の首謀者が神でなければ、神自らが世界を正すことだ出来る。だが、今回の問題は、絶対にその解決方法はあり得ない。

「厄介なことになった」

「えぇ、本当に」

 独り言ともいえる呟きに返答したのは、ちょうど部屋に現れたナデシコだった。その顔はかなり憔悴しきっている。

 無理もない。彼女は神として、神が作り出していたものを消していたのだから。

「リーネちゃん、大丈夫?」

「し!セミル、その名は言っちゃダメ。けど、ありがとう。大丈夫です」

 ナデシコは由樹に優しく微笑み、今度は大きく息を吸い、俺の目を見て行った。

「トリア様。人間界へ来てください」




 時刻は少しだけ遡り。午後六時四十五分。札幌市内。

 すっかり日は落ち、人工的な光しかない札幌には太陽が昇っていた。どういうわけか熱帯のようなジャングルが生成され、ビルにはツタが巻かれていた。公園だった場所は、砂漠へと変わっていた。

 そこに、かつての札幌と呼ばれた都会の姿はどこにもない。

 こうさせたのは、三人の王。

 炎獣王。バル・ミック。

 妖精王。サディ・ドーラ。

 妖魔王。ロゼ・シャウ。

 各種族に複数いる王の中でも指折りの王がそこに存在し、札幌と言う町を変えた。

 それに立ち向かおうとしているのは、天使族と雷獣族の軍人二人。妖精族の殺し屋。魔神族の科学者。

「こいつは、厄介なことになったね」

 この参上をビルの上から眺めたネアは、目を細めてそう呟いた。

「呑気に呟いている場合ですか?」

 その様子に苛立ちを隠そうともしない第一武官、エミリー。

「まーまー、落ち着けたまえ。さすがにこれは予想外だったけど。だからこそ、落ち着いて現状を確認するんだよ」

 部下をなだめた団長は、目を細めて人口太陽を見る。

 本物の太陽と明るさはさほど変わらない。ただし、大きい。とても。

 それを作り出した奴が、太陽の前にいた。

 それは、人間の男の形をしていた。上半身が裸。それによって露わになるたくましく鍛え上げられた体。足腰も筋肉がついているのが確認できる。その服装は、褌一枚。それプラス、鷹を思わせる大きな燃え盛る翼。

 炎獣族炎鳥種バル・ミック。

 噂によれば不死であるとか、ないだとか。少々荷は重いだろうが、

「エミリー第一武官」

「はい」

「君は、バル・ミックを止めろ。手段は問わない」

「了解」

 二つ返事でエミリーは背中に雷を纏った翼を生やし、バルの下へと飛び立った。

 次にネアは、街中に生成されたジャングルを見る。

 本物のジャングルさながらの迫力だが、その植物自体は人間界にあるものでない。確実に、アーウェルサのもの。

 そのジャングルに複数ある木のうちの一本。その枝に寝そべる一つの影。

 バルに比べて華奢な体つき。中世的に整った顔。高校生くらいの見た目だが、その背には蝶のように美しい立派な羽が輝いている。

「なんで、サディがここに!?」

 妖精族の殺し屋。メルスが声を上げた。

 妖精族サディ・ドーラ。

 セミルが栄えさせた場所とはまた違う場所の妖精島の王。

「ネア!あれは私がやる!」

 あれの相手はゾイルにやらせようと思ったが、やけに気合が入っているメルスにそのまま頼むことにする。

「わかった。気を付けて」

「もちろん」

 そう言ってメルスは静かにその場から姿を消した。

 最後。ある意味で一番厄介な相手。ビルすらも砂に変えたやつがいるはずなのだが、一体どこに・・・?

 ふと、背後から殺気を感じる。それに勘づきネアとゾイルは身構える。

「すぐそばまで来てるぞ?」

「あぁ、ゾイル。あたしの合図で、跳べ」

 ゾイルが頷いたのを確認して精神を集中させる。他の場所から聞こえる僅かな戦闘音にも気を留めず、目の前の脅威だけに気を注ぐ。

「・・・今だ!」

 天使と魔神は同時に跳躍する。その刹那。ビルが音もたてず砂となって散った。

「なんだ、ばれてたの」

 落下中に耳元で聞こえる声。それからわずかに遅れて耳障りな金属音。敵の斬撃をゾイルが止めた音だ。

「妖魔族の王。無の帝王。ロゼ・シャウか」

「おー、大正解!すごいすごい。ま、だからと言ってどうってこともないんだけどねぇ」

 落下が終わり地面に着いたと同時に声の主は正面に現れる。

 見た目はごくごく普通の人間。ただし、全体的に薄く透け、足に至ってはほとんど原型がなく、靄のようになっている。

 さぁて、戦闘開始だ。




 午後六時四十五分。エミリーサイド。

 ネアからの命令を受け、作り出された太陽へと一直線に跳ぶ。

 精霊ゆえに明るいのはさほど気にならない。問題は、常時発せられている、熱。

 夜の闇を照らし、近づけば近づくほど肌をじりじりと焼き付ける。

 そんな私の前に、一人の男が立ちふさがる。

 身長は二メートルを超え、筋肉質な巨躯。恰好は褌一枚で、自分とは比べ物にはならないほど大きな燃え盛る翼が背から生えている。右手には背丈を超える大剣。年齢は若くも年老いても見え、赤いツンツン髪の男。

「おぉ?なんだ、小娘。ワシに何か用か?」

 特別驚いたそぶりも見せず、バルは言う。

「アーウェルサへお帰りください。・・・手荒な真似はしたくないので」

 そう言いながら魔力で長刃の剣を出現させる。一方で、それを聞いたバルは豪快に笑っていた。

「ガッハッハ!タダの小娘が王たるワシに命令か!これは、あいつ以来だ。・・・面白い!態度を力で示して見よ!」

 重そうな大剣の刃先が軽い動作で向けられる。

 交渉失敗。まぁ、端から成功するとも思っていなかったし、想像通りの展開でもある。

「さぁ!祭りを始めようか!」

 瞬間。バルの姿が空気に溶けるようにして消えた。それに驚く間もなくバルは目の前に現れ、その手にした巨大な剣を振り下ろす。反射的に手にしていた剣で衝撃をいなして懐に入り込む。魔力を込めた剣は、しかし空を切った。

 またしても、バルの姿は消えた。

「やるな!ワシの初撃をもろともしないとは!」

 声の聞こえどころは背後。既に攻撃態勢に入っているバル。振り返っても間に合わないと判断し、翼で高く飛び上がる。その真下を大剣が横に通過した。

「良いねぇ!いいぞぉ!盛り上がってまいりましたあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」

 少し離れたところに姿を現したバルはそう叫び、体が文字通り燃え上がった。

 それにともない、とんでもない熱風が襲う。

 この人、性格的にも、物理的にも、熱い!

「小娘ェ!ワシをもっと楽しませろよぉ!」

 勝手に熱くなって姿が消える。

 もう!さっきからどうしてその姿が消えるの!?魔力、とはまた違うような気がするし。

 ―キン!

 見えないところからの攻撃を、もはや感覚のみで受け流していく。が、当然それだけですべてを防ぎきることはできない。体には徐々に擦り傷が刻まれていく。

 目では追えない。こちらの攻撃が当たらない。溢れている魔力を感じることで、ギリギリ場所は探れる。ただし、相手の移動速度が速いために正確な位置までは分からない。

 防戦一方。

 刻まれる傷も擦り傷だけにはとどまらず、深くなり血も出てくる。

「『トルエノルツェン』」

 狙いを定めない、でたらめな雷の攻撃も当たるはずはなく。

「こっちだぁ!」

 背中に焼き付くような鋭い痛み。

 この時、幸いだったのは傷がそこまで深くはなかったということ。不幸だったのは、攻撃が幻翼の一枚を通過していたということ。

 片翼を失った鳥はバランスを崩し無様に落下する。

 いくら精霊だろうとも、はるか上空から地面に叩きつけられれば間違いなく死に至る。

 残った片翼を使い、スピードを殺そうと試みるが、うまくいかずに地面がすぐそばまで迫る。

 まだ、方法はある。

「『リフテット・リミッター』」

 体が白い光に包まれ体が雷を纏った中型の鳥へと変化する。これが、私の本来の姿。

 この姿に戻ることにより、まず態勢を整えることが出来る。次に、また人間の姿へと戻ることで、失われた幻翼は復活する。もちろん、魔力を使うことになるが、死ぬよりはましである。

「ほほう?しぶといではないか。けど、わざわざ人型に戻らなくても戦えるだろ?」

「何わかり切ったことを。あなただって同じでしょうに」

 バルは現在人型だが、本来の姿は私と同じ鳥。が、基本的に雷獣や炎獣、氷獣なんかは人型でいることの方が多い。何をするにしても人型の方が楽なのだ。

「アッハッハ!なかなか愉快な小娘だ!が、そろそろ終いにしよう」

 太陽が、動き出す。

 ゆっくりと、夜を浸食するように拡がっていく。

 肌にびりびりと感じる強大な魔力。これは、まずい。

「『ブレスティング』!」

 耳をつんざく巨大な爆発音とともに太陽が砕け、無数の炎の欠片が余すことなく全部、こちらに向かって飛んでくる。

 避けなければ死ぬし、よければ街に降り注ぐ。さらに、ジャングルに引火すればそうなるかなんて、一目瞭然。

「く、『ヴァンダー』!」

 雷を広範囲に展開した波状攻撃。それにより、相殺できる炎の欠片はほんのわずか。数が多すぎる。もう少し魔力を―。

「え?」

 音が、遅れてやってきた。

 胸のあたりに重くのしかかる重圧。肉が裂けた音が、直接鼓膜に響く。

「ガハッ!」

 見ると、腹部からバルの大剣が生えていた。

 この派手な攻撃は、陽動。それを理解し、こんな相手に敵うはずもなかったのだと、実感する。

「目の前の物事に気を取られれば他を見失う。もっとも、もう遅いがな」

 耳元で響く耳障りで豪快な笑い声。

 太陽の欠片は止まることなく、何者に邪魔されることもなく飛んでくる。直感する。・・・終わった。

 視界が、まばゆい閃光に包まれた。




 午後六時四十七分。メルスサイド。

 サディ・ドーラは、私たちがいた島の出身で、別の島で王になった妖精族。そして、殺し屋としての任務を受けた私が、唯一殺せなかったターゲット。

 あいつを殺すのに、いろいろと制限のある人間の姿では不充分。全力で挑む必要がある。

 気配と殺気を殺し、ジャングルの木々や蔓、ツタ。あるものすべてを影にして木の枝に寝そべっているサディの下へゆっくりと近づく。

 対象までの距離は五メートル。術をかけるのには充分有効な範囲である。

 しかし、こちらが魔力を発動するよりも早く、近くにあったツタが躍りかかってくる。

(な、気づかれて!?)

 不意打ちをかろうじてよけてサディを見るが、サディは依然として動かない。

「俺が作った森よ?俺が気づかないわけないっしょ」

 サディのその声に呼応するかのように周囲に植物すべてが襲い掛かってくる。

 それでも慌てることなく、体が小さいのをいいことに、身を翻して攻撃を避け、サディの前へと躍り出る。

「おーおーおー、誰かと思えば、俺を殺し損ねた出来そこじゃないの」

「あら、覚えられてたんだ。ほとんど姿は見せていなかったつもりだったけど」

「自分の身に危険が迫れば対策を練るために調べるってもんよ。で?何しに来たの?」

「もちろん、あの時のリベンジを果たすために」

「へー、やってみなよ」

 ようやく起き上がったサディは浮き上がり私と対峙する。手には弧を描いた双剣。昔と変わっていない。

「いつでもどーぞ?あ、俺はこの場から動かないよ。体格差のハンデくらいはくれてやる」

 ほう?舐められたものである。

「自分で言ったんだから、ちゃんと守ってよ?」

 私の身長は十五センチほど。一方でサディは一般的な人間の子供と変わらない。実にありがたいハンデである。

 お互いに保持する魔力は『ベネノプラント』。自由に毒を作り出し、それを植物を媒介として使用できる魔力。お互いにお互いを毒に侵すことも可能だが、簡単に解毒もできる。前回、私が負けたのはそこにある。

 だからと言って、全く毒が効かないというわけでもない。解毒までの時間がかかれば、その間は確かに毒が体を蝕む。

「『ナーシシス』」

 何もなかった中空にサディを囲むように白い花弁の花が咲き誇る。が、それはすぐに切り裂かれて消える。

「今のは、神経をマヒさせる花だったっけ?まったく、面白くない。その程度の魔力で俺に勝てるとでも?」

「ま、無理でしょ。そんなの、私が一番わかってる」

 言いながら、下唇を少しだけ噛む。思っていたよりもサディの反応が早い。一挙手一投足すべてを見逃さないと、サディの目が物語っていた。

 普段なら、木に入り込んでの移動および奇襲と、『ベノムプラント』で何とかなるが、今回は敵が作った森。入り込むことはできないし、魔力の効果も薄い。

「『ローズゾーン』」

 無数の毒針による攻撃。

「無駄」

 森そのものに阻まれサディには届かない。ならば、

「『クルビィ』『ネブラ』」

 サディをツタの檻へと閉じ込め、内部への毒霧。

「無駄」

 手にした双剣でいとも簡単に破られる。

「『ブランダー』」

 鋭い花弁がついた花いっぱいの波状攻撃。

「だーかーらー!無駄ァ!『ヴァルト・オブ・イーラ』!」

 森全体が動き出す。木々が、ツタが、地面さえもが、この森の侵入者である自分を排除しようと、まるで意思を持っているかのように暴れ狂う。

「クッ」

 数が多いっていうレベルじゃない。空間そのものが敵。咄嗟に魔力で剣を作り出してみたところで、捌け切れない。牙をむいた植物は、肉体を切り裂いていく。

「何の力も持たないただの妖精が、王たる俺に勝てるわけないっしょ。・・・身の程を知れ。雑魚が」

 約束通り。サディは一歩も動いていない。自分は動かずに、けれども自分を圧倒する。

 無理だ。勝てない。勝てる相手じゃない。逃げることも、この森は許さない。抵抗するのをやめて、ただじっと、その時を待つ。

「『テララ・オブ・マーテル』」

 森に響く優しい声。すると、どういうことだろう。森は動きを止め、不気味なくらいの静寂に包まれた。そのことに一番驚いていたのは、サディだった。

「は?俺の魔力を押さえるなんて、誰が」

 そんなの、一人しかいない。王の魔力すらも抑えることが出来る者なんて。

「私だー!」

 はるか上空から、小さな存在が体を大きく見せようと胸を張っている。

「な、お前は!」

「セミル!」

 愛しき我が妹。セミルが満面の笑みで・・・サディが、わずかにほほ笑んでいる?

 その瞬間、自分でもわけがわからないままに叫ぶ。

「セミル!来ちゃダメ!」

 私の声に、セミルはただ困惑した表情を浮かべていた。

 サディも『ベノムプラント』の魔力を使うことを、忘れていたわけじゃない。が、使ってくるとまでは思わなかった。

「あらぁ、メルス気づいちゃったのね。けど、これは戦いだからさぁ。手は打たせてもらったよ」

 メルスを視界にいれると沸き上がる闘争本能。自分が自分じゃなくなる感覚。感情と、身体の制御ができない。これは。

「じゃ、あとは二人で楽しみなよ。俺は、もう冷めたしさ」

 そう言って、自らが作り出した大きな扉をくぐって消えた。どうやらアーウェルサに帰ったようだ。

「お姉ちゃん。一体どういう」

「ごめん。セミル。無力なお姉ちゃんを、許して」

「え?」

 こんなことは、したくないのに、私の脳は体に一つの命令を出し続ける。「セミルを殺せ」と。

 原因は、サディの最後の抵抗。私の背中に気付かないように芽生えさせた、洗脳。

 私の体は毒に侵されていた。




 同刻。午後七時二分。

「『ストレイン』」

 無数の炎の欠片と少女との間に透明な壁が出現し、それに当たって火の欠片はまばゆい閃光を放って一つ残らず消滅した。

 何が起こったのを理解できたのは、それをやった本人のみ。驚いている二人の隙をつき、少女を救出して治療する。そして、言う。

「お前は何回死にかければ気が済むんだ?もっと自分の命を大事にしやがれ」

「本当、毎回いいタイミングで来ますよね、先輩は」

「ヒーローだからな」

 けけけと笑って絵美に言い、絵美は俺から離れて自力で空を飛ぶ。

 それを見ていた炎獣王は、目をぱちくりさせて驚いていた。

(炎獣王バル・ミックに、あの森を作ったのが妖精王サディ・ドーラ。ネアたちが戦っているのが、妖魔王ロゼ・シャウか)

 冷静に辺りを見渡し、現状を確認する。そして、改めて思う。とんでもないやつらが来てくれたものだ。

「その翼!輪!声音!姿形!・・・まさか!トリアか!?久しいな!」

 俺の本来に姿、すなわちアーク・トリアである姿を見てバルが近寄ってくる。そこには敵意も殺意もなく、ただ旧友に再会したことを嬉しく思っているようだった。

「久しぶり、バル。相変わらず暑苦しいな」

「え、先輩、知り合いですか?」

「まー、いろいろあってな」

 天使族の英雄と謳われ、秘書官となった末の知り合い。

「アッハッハ!やっぱりこっちの世界にいたのか!」

「バル、お前。何しにこっちに来たんだよ」

「エストが空間の結合を発表してなぁ。待ちきれなかった!」

 純粋な子供のように、太陽な笑顔を浮かべてバルは言う。

「早く人間界に来たかったがためにこっちの世界で大暴れとは。奏太、こやつ、バカではないか?」

 バルの心を読んだのであろうルノが背中からこそっと耳打ちしてくる。

「んぉ?トリア、なんだそいつは」

「何でもない。・・・とりあえず、お前の事情は分かったが、さっさと自分の島に帰れ」

「断る!」

 腕を組み、一切退こうとしないバルの様子に俺はため息をついた。

 熱しやすく冷えにくい。めんどくさい男と言うものはいつになっても変わらないものらしい。

「王たるお前ならわかんだろ。エストの計画が許されないことくらい」

「そうか?いい計画だと思うぞ?これを機にお互いの世界が知られれば、もっと祭りが増えるだろぉ!?」

 完全に私情だった。それでも、エストに賛同するという根本的な部分は変わらない。あまり、手荒なことはしたくなかったんだけどな。

「絵美」

「はい。なんです、か・・・?」

 絵美が俺の顔を見て怖気づいていた。俺の中で燃え盛る心の炎が表情にも出ていたようだ。

「退け」

「は、はい!」

 いつもとは違う雰囲気を纏った俺に、絵美は何も言わずに従った。

 それを確認し、新調した刀を構える。刀身の長さは、自分の背丈ほど。

「おー?おーおーおー?随分とやる気じゃないかぁ?」

「お前相手に気は抜けないからな」

 それを聞いたバルは豪快に笑って言った。

「よいぞよいぞ!ならば、再度祭りを始めるぞ!」

 言い終わったその瞬間。バルの魔力が急激に高まり、夜の闇に照らす太陽が出現する。

「あっつ!奏太、熱いぞ!」

「ちょっとは我慢しろ」

「離れてよいか?」

「守り切れる自信がないからダメだ。てか、ちゃんとつかまってろ。振り落とされるぞ?」

 今のルノの能力は浮遊能力のみ。戦う力もない。言ってしまえば、ただの足手まといではあるが、背中に乗せても大した重さでもないし、翼のおかげで攻撃から守ることもある程度は可能。

「おい奏太。奴の姿がないぞ?」

 見渡してもルノの言う通りバルの姿がない。

「あー、これか」

 そう言えばバルはこんな能力を持っていた。

 アーウェルサの住民でもごくまれにしかしか備わっていない特殊能力と言うものがある。基礎的な五感の強化だったり、触れたものを凍らせたり。魔力無しで発動できる力を、特殊能力と言う。

 バルは類まれなる特殊能力もち。バル自身が『陽炎』と呼ぶその能力は、空気に溶け込む。目に見えず、攻撃も受け付けない。ただし『陽炎』中は他の物を持つこともできないため、攻撃時には必ず姿を現す。

「そのタイミングさえわかっていれば対処も可能」

 刀を縦に構え、耳元で金属同士がぶつかる音がした。

「衰えてはいないみたいだな」

「お前もな」

「が、ワシには勝てんぞ?戦績はワシが八割の勝利を収めているのだからな」

「昔と同じだと思うよ。二割は俺が勝ってる。勝てない相手じゃない」

「それこそ思い上がりも良いところだ。過去のワシと同じだと思わんほうが身のためだ」

 そんなやり取りの間にも二本の剣は激しい音を立てて火花を散らす。

 バルの一撃は重く、そして熱を伴う。剣が打ち付けられるたびに熱風が起き、視界を遮る。

(はぇーとこあの太陽を処理したいところだが)

 あの太陽のせいでこちらの分は圧倒的に悪い。と、いうのも。あの本物にも似て異なる太陽があるだけで、継続的に体力が奪われるうえ、攻撃に使われることもある。さっき絵美を襲ったのもあの太陽からである。

 バルはそれをわかっている。俺が太陽を崩そうとしていることなど分かったうえで攻撃を続け、俺を太陽から遠ざけている。

 一方で俺も、バルの攻撃を防ぐことと、バルへの攻撃でそっちの方に実行を移すことができていない。

「奏太、どうする?」

 そんな俺の心を読んだのか、ルノがこそっと耳打ちをしてくる。

「方法がないわけじゃないけど、あいつには頼りたくない」

 攻撃を受け流しながら答える。

 俺の中にいるフィルの魔力を使えばなんとかなるだろう。けど、こいつには自分自身の力だけで勝ちたかった。

 感覚だけで突然現れる攻撃を捌くという時間が数分だけ続く。

「どうしたトリアァ!そんなもんかぁ!?」

「うっさい!ちょっと黙れ。今考えてる」

 相手は空気に溶け込み実体を持つのは一瞬。そこを衝いたとてたいしたダメージにはならない。相手は炎獣族だから炎を吸収する・・・吸収する?

 一つ、打開策を思いついた。

「『ブレイズダガー』」

 剣と剣がぶつかり、実体があるうちに炎でできた短刀を出来る限り打ち込む。無論、ダメージがはないし、バルもつまらなさそうに苦笑を浮かべていた。奴がこちらの意図に気付いていないと確信する。

 精霊に属する獣。雷獣や火獣は一つの獣と自由な人型。二種類の姿を持つ。獣の時は体がそれぞれの属性で成り立ち、人型になろうともその根本的な部分は変わらない。

 絵美を例に挙げると、彼女の本来の姿は雷を纏った鳥だ。人型になっても獣時の雷がどこかへ行ってしまうわけじゃない。人型そのものを雷が形成している。だから、絵美の体は触れると少しだけピリッとする。

 バルも同じだ。彼の本来の姿は炎を纏った鳥。人型を作っているのも炎で、その体は異常なまでに熱い。ついでに性格まで熱いのはきっと偶然だ。

 さて、そんな理由で俺が作った炎の短剣は炎の体を持つバルに吸収された。

 そう、吸収である。

 数多くのゲームでは、とある属性を持った敵にその属性の攻撃を加えると、吸収されて体力が回復されるという仕様が多々見られる。が、それはゲームだけの話でありこれは現実だ。

 ゲームの常識は、現実では通用しない。

 吸収されたものは自分の体の一部となるだけ。俺の作った短剣は吸収されながらも、今尚、バルの体の一部として、在り続けている。

 俺が消そうとしなければ消えない。それが、俺に与えられた能力の最大の強み。

 俺の思惑には気付かないバルは『陽炎』を使う。影から攻撃をしようとしているのだろうが、それももう無駄である。

「『インパクト』」

 右後方で小さな爆発音。

「そこか」

 その音を頼りに手にしていた刀を振るう。

「ぬん!」

 姿を現していたバルが大剣で俺の太刀を受け止める。

「『陽炎』破ったり。てな」

「なるほど。体に残る不快感の原因はこれか。内側に残した種を爆発させ、強制的に術を解いたか。アッハッハ!やっぱりトリアは楽しませてくれるなぁ!」

 バルから放たれる殺気にも似た熱気。感情が昂れば熱くなるのだから実にわかりやすい。

 バル自身が言った通り、吸収された短剣を爆発して姿を強制的に現わさせた。あと、五十回は同じ方法で防ぐことが出来るが、防がれるとわかっていて同じことをするバルではない。

 本番は、これからだ。




 ネアは周囲に現れた魔力の変化を感じ取り静かに動揺する。

 トリアの魔力がバルのもとに現れ、森の方にはセミルが。かと思えば、サディの魔力は消えた。

 そして、ネアとゾイル。妖魔王ロゼとの間に入り込むもう一つの魔力。

「ネア様。指示通りお連れしましたよ」

 魔力の主。ナデシコはこちらを一瞥することなくそう言った。

「誰?お前」

 ナデシコを見たロゼは興味なさげに問う。

「私の名前はナデシコ。初めまして。妖魔王ロゼ・シャウ様」

「ナデシコ。あぁ、日本の神様か」

 名前を反芻し、相手が神だとわかってもロゼの態度に変化はない。相手が神であることすら、ロゼにはどうでもいいことなのだろう。

「ナデシコ。君はトリアとセミルの身を守ってくれるかい?」

「はい。わかりました」

 ナデシコはそう言って姿を消した。

 空間の結合に関わる超重要人物を連れてくるようにナデシコに頼んだのは他でもなくあたしだ。

 かなりのリスクはあるが、アーウェルサの住民をこれ以上人間界で好き勝手させるわけにはいかないのだ。それには、こちらの戦力だけでは足りなかった。

 相手は三種族の王。その戦闘能力は計り知れない。

 もしもこの状況を知ったディーテが現れても、ナデシコがいれば対処はできる。だから、ナデシコには身を守れという指示を飛ばした。

 すべては、自分自身の意思決定による行動。

 なのに、なんだ?この胸に靄がかかったような、得体の知れない不安は。

「はぁーあ。なんだかやる気が削がれたなぁ」

 両手のかぎ爪をガチャガチャしながらロゼは言った。

「じゃあアーウェルサに帰ってくれないかな」

「えー?いやだよ。やる気はないんだけどさぁ、まだ目的は果たしていないんだよねぇ」

 声音は変わっていないが、ロゼの周囲を取り巻く空気の流れが変わった。

「ゾイル。来るぞ」

「おう。『サイクロピン』」

 ロゼが行動を起こすよりも先に、ゾイルの発動した魔力がロゼの体を包み込み、動きを止めた。

 それを確認し、その足元に光で魔法陣を描く。

「『ロスト・ルミエール』」

 まばゆい光が放たれ、その中から何事もなかったかのようにロゼが飛び出してきた。

「ちぇ、避けられたか」

「毒で動きを止めて消滅魔術。避けなきゃ死んでたよね。じゃ、次はこっちの番だね。『リヒットハンマー』」

 空気がロゼを囲むに流れ、それは巨大な戦鎚を形成しそこにあるものを潰そうと振るわれる。それをそれぞれ避けるが、戦鎚が当たったコンクリートの地面はただの砂へと変わった。

 ロゼが持つ魔力は『リヒット』。何もかもを失くしてしまう、形のない砂へと変える魔力。

 札幌の砂漠化はすべてその魔力で引き起こされた結果である。

「はぁ、避けないでよ」

「避けなきゃ死ぬでしょうが」

「おい、ネア。さっさとケリをつけんぞ」

 ネアは一旦深呼吸して落ち着く。言われなくてもそのつもりだ。ゆっくりと、魔力を込めた言葉を紡ぐ。

「『光あれば影在り。光なき者に是非は無し。影に光の導きを。光に影の先導を。暗き影に光の楔を』」

 詠唱が終わり、ロゼの四方から光の鎖が放たれその体に巻き付いた。

「く。こんなもので僕をどうにかできると。できると。・・・あれ?」

 拘束から逃れようと体を捩ったり、魔力を発動して鎖を無にしようとしたり、しかしそのすべては功を成さない。

 この光の鎖には魔族を弱体化する効果があるのだ。妖魔族は神民なのか魔族なのかがはっきりとしない。神民に属す奴もいれば、魔族に属す奴もいる。かなり特殊な種族なのである。

 魔族に属する方だったロゼはものの見事に弱体化されたというわけである。

「じゃあね。妖魔王」

「待て、僕が悪かった」

「そうかそうか」

 ネアは深く頷き、満面の笑みを浮かべて渾身の一撃を放つ。

「『ディスパッチ』」

 ネアの手から放たれた光線。ロゼは為す術もなくそれにあたり、夜の闇は明るく照らされる。

 後には、何も残っていなかった。

「ちっ、逃がした」

「あ?死んでねぇのか?」

 ネアの呟きにゾイルが反応する、確かにこれだけ見れば殺したとも思うだろう。だが、魔力を発動した者だからわかった。

「土壇場で、すべての魔力を使ってなかったことにしやがった」

「じゃ、逃げたのか?」

「そうだろうね。ま、とりあえずこっちは終わり。他のところに」

 ―ドン!

「何だ!?」

 はるか上空で大きな爆発音がした。反射的にそちらを見ると、人工太陽が分裂し破片が落下していた。その落下の先にいるのは、

「トリア!?」




 やばい!しくった!ミスった!失敗した!やらかした!

「か、奏太!落ちとる!落ちとるぞ!」

「騒ぐな馬鹿!下噛むぞ!」

 そう言いながら向かってくる炎との間に光の壁を出現させ、その間に態勢を整える。

 光の壁のおかげで第二波は防げた。

 俺が何をして、全身に一瞬にして傷を負い、挙句の果てに落下することになったのかと言えば、あれだけ警戒していた太陽を処理しきれなかったところにある。

 『陽炎』の無力化には成功した。ただ、それだけで勝てるほどバルは甘くない。

 過去の俺とバルの戦績差は圧倒的。王になるだけの実力も向こうにはある。

「ったく。殺すつもりでやらなきゃダメか」

「ん?殺すつもりがなかったのか?」

「まぁな」

 甘えた考えではあるが、なにせ相手は王なのである。王を殺せば、そいつが統治していたところの混乱は免れないだろうし、そこと仲が悪くなるのも外交面でよくない。

 今まで本気を出していなかったわけでもないが、手を抜いていたのもまた事実。瀕死まで追い詰めて自ら撤退させようと思っていた。

 俺は、その考えを捨てる。

 翼を羽ばたかせ、バルがいるはるか上空まで上昇し、右手には神器の槍、『漆熱トライデント』を、左手には刀身を短くした刀を握る。

「『漆熱トライデント フォルム:ソード』」

 槍は片刃の剣へと姿を変え、これで二刀流。

「『クリエイトウェポン タイプ:アタッカー』」

 加えて八本の片刃の剣を魔力で生成し、宙に浮かせる。これで、十刀流。

 俺が聖魔大戦後に編み出した、最も戦いやすく、最も魔力消費の大きい戦闘スタイル。これが、俺をマジにさせた証拠でもあった。

「トリアのそれと再び相まみえる日がこようとはな。ならば、こちらも本気を出そう」

 まだ本気じゃなかったのかよ。と言う俺を余所に、バルの大剣が中心から縦に二つに分かれ、それぞれが片刃の剣へと変化する。これで、バルも二刀流。機動力が増したと言ことになる。

 俺とバルの間の距離はおよそ十メートル。

 作り出した八本の剣すべてに充分な魔力が通っていることを確認し、一斉に放つ。

 八本のうち二本は翼。二本は足。残った四本が腕をめがけ風さえも切り裂いて踊りかかる。そのすべては軌道を予測させない不規則な動きで、バルの肉を切り裂いていく。

 無論。剣に意思はない。すべてが俺の意志で動く。剣一本一本に紐をつけ、マリオネットの如く操る。

 魔力を多く使い、集中力がなければ決して成功しない。高度なテクニックも求められる。

 バルが魔力で火炎弾を放つ。宙に浮く剣はひらりと回避し、なおもバルを襲う。それでも剣の包囲網から抜けようと高く飛ぶ。

 それをはじめから予測していた俺はバルの頭上から剣を叩きつけるように振る。

「やるなぁ!」

 攻撃は防がれ、楽しそうに言うバル。

「喋ってる余裕なんてあるのかよ」

「!?」

 バルの真下から迫る八本の刃。

 その時、バルの足元から何かが放たれる。赤黒い球体。それは、真下に向かうにつれて形を変え、一匹の龍となる。

「『アグニ』」

 二つの首を持った炎の龍は八本の飲み込んでしまった。

 さすが、と言うべきか。

「けど、甘い」

「ぬ?」

 八本の刃は内部から龍を切り刻み、何事もなかったかのようにバルへと進行方向を変えない。

 バルの両手は俺の攻撃によって塞がれ、さっきよりも強力な魔力を放たなくてはならないことくらいバルもわかっている。さて、どう出る?

 何が来てもいいように攻撃を加えながらいつでも退避はできるようにしておく。そこに突然現れたのは、熱風。

 今までとは比べ物にはならない熱を伴った風は、俺の体をバルから引きはがし、そこでようやく、バルが巨大な翼で風を起こしたのだと理解する。

 さて、こうなるとバルは簡単に避けることが出来てしまうわけである。

「ちぇ」

 翼を器用に動かして流された体を元に戻し、バルの姿を探す。

 斜め上前方。バルが二本の剣を前に突き出し、その剣同士の間には小さな火の球体が出来ていた。

「『ジャール』」

 その中から現れたのは、無数の燃え盛る鳥。烏くらいのサイズで鋭いくちばしをもった鳥が夜空を埋め尽くす。

「奏太」

 ルノが何かを察した。

「マジやばくね?」

「呑気に言ってる場合じゃねぇ!」

 八本の剣を手元に戻し、剣の数を増やす。八本を十六本に。十六本を三十二本に。手にした剣を合わせるとその数三十四本。これで、迎え撃とう。

「ほう」

 背中から何やら感嘆の声。

「こんなに大量の剣を同時に扱えるとは」

「初めての試みだよ」

 計十本が今までの限界。ここ最近の戦いでもっと多くの武器を同時に使うようなことはあったが、あれらのほとんどは何も考えずに動かせていた。しかし、今回は違う。三十四本全部に集中して動かさなくてはならない。

「多少の傷は我慢してくれよ?」

 ケケケと笑って深く集中する。ルノは呆れながらも背中にぎゅっとしがみつく。信頼されているのだ。じゃあ、成果を残さないとな。

 全ての剣に通る魔力は充分。

 たくさんの鳥が向かってくるのを、一匹一匹丁寧且つ素早く切り裂いていく。数の差は大きく、撃ち漏らした鳥も数匹いたが、手元に残した二本の剣で問題なく処理する。

 消費魔力の大きさから生じた頭痛に顔をしかめながらも、確実に相手の数を減らせて―

「あいつを直接やらなきゃダメか」

 ―いなかった。

 バルの手からは次々と鳥が生まれる。数は減るどころか増えていた。

 数の暴力か。戦い方としては間違っていないが、にしても珍しく引き気味だな。

「ルノ。突っ込むぞ」

「うむ。頑張れ」

 頑張れって、お前にまで攻撃が及ぶかもしれないのに。あぁくそ、お前だけは、絶対に守ってやるよ!

 剣を大量投入したため、残存魔力はわずか。が、ルノを守り、あいつを殺す程度には残っている。

「『二重結界』」

 ルノの体を薄い膜のようなものが覆う。よっぽどの攻撃じゃなければ壊れることのない防御障壁である。

 これにより大幅な魔力消費。残った魔力は、全部あいつにぶつける。

 空を蹴り、鳥たちの間を縫うようにして上空にいるバルの下へと突っ込む。

「『漆熱トライデント フォルム:ハチェット』」

 左手の神器を薙刀へと変え前に突き出して横に回す。これにより進行方向にいる鳥たちは問答無用で処理できる。横からの攻撃は、素直に受ける。傷はつくし、焼けるような痛みもあるが、傷はすぐに完治する。何匹かがルノをつついたようだが、その程度では結界も割れない。

 二人は実質無傷で鳥の群れを抜け、その勢いのまま右手の刀を伸ばして切りかかる。

「仕留める!」

「笑止!」

 お互いの二本の剣がぶつかり合い火花を散らす。・・・正確に言うのなら、こちらの一本の剣と、相手に二本の剣だ。

「なんだ、その刀は」

 バルが事の奇妙さに気付き声を上げる。

 俺が右手で持つ刀の特徴は、己自身で刀身を作り出す。長さや形も自由自在。その応用だ。一本の柄から二本の刀身が生える。結果、双剣を防ぐことが出来る。

「こんなことも出来るぜ?」

 刀は本来持つはずのない柔軟性を発揮する。二本の刀身が、バルの双剣にそれぞれ巻き付いた。

 バルが力任せに引っ張るが、離れることはない。

「『漆熱トライデント フォルム:ノーマル』」

 左手の薙刀が三又に分かれた本来の姿へと戻る。

「言ったろ?仕留める、ってさ」

「フッハッハ!楽しかったぞ、トリア。最高の祭りだった」

「そうか、ならよかったよ」

 俺はそう返しながら槍に魔力を込める。

「じゃあな。永遠に眠れ『ブリリアントレジスタント』」

 普段なら魔力を通すと黒く変色する槍も、この時ばかりは白く輝き、バルの胸を刺し貫く。

 勝利を確信しと共に俺は振り向く。旧き友の惨たらしい姿を目にしたくはなかったのだ。そんな俺の耳に、

「敵に背を向けるとは!落ちぶれたものよなぁ!」

 バルの声が響く。しかし、俺は最後の魔力を発動する。

「『クラッシュインパクト』」

 背後で耳をつんざく爆発音。バルの体に残されていた五十数本の炎の短剣が、まとめて大きな爆発を起こした。

 胸を刺し貫かれたことにより生命力が減少。おまけに魔力の大量放出も起きる。それがなければだめだったかもしれないが、いくら王でも、これは耐えられない。

 それに、バルの気配は完全に消えた。

「終わったか」

 ルノが安心したように囁いてくるが、俺は密かに焦り始める。

「・・・悪い、ルノ」

「ん?」

「落ちる」

 魔力を使い果たし翼を羽ばたかせることすらできなかった。それに、意識もだんだんと遠ざかっていくような。

「奏太!しっかりせぇ!」

 ルノが俺の服を掴み、落下速度を減らそうとするが、ひ弱なルノ一人でどうにかなるはずもなく。俺は一瞬の衝撃に備えて身を固くする。

(やばい。終わったな)

 ―貴様!どうしてそうなるまで!少しでも元気があれば我が代われたものを。こんな最後は認めんからな!

(ヨソウガイデシタ)

 俺は諦めて目を閉じる。俺が死んだらまずいようだが、他に生き残りがいればきっと大丈夫だ。

 地面まであと少し。走馬灯の一つも脳裏には浮かばない。

 まぁ、いいや。重力に身を委ね、体から力を抜いた。

 奇妙なことが起きていると気づいたのはそれからすぐのこと。

 落下の衝撃がいつまで経っても訪れない。むしろ、既に体は落下を終えているようだった。

「いい加減、無茶することを忘れたらどうです?もっと自分の命を大事にしてください」

 その声を聴き目を開ける。誰かの後頭部が見える。きれいな黒髪。そして、どうやら俺は柔らかな白い翼に包まれているようだった。

「ナデシコ、悪いな」

「いえ。ネア様からの頼みですから」

 そうこうしているうちにゆっくりと地面についた。

「立てるか?奏太」

「おう。何とかな」

 ルノの手を借りながらもゆっくりと地面に立ち、札幌の町を見渡す。

 それはそれはひどい有様だった。ビルらしきビルは見当たらず、地面のほとんどは砂。にもかかわらず一部では自然いっぱいのジャングルが不気味なほど静かに佇んでいる。

「ひでぇな。こりゃ」

「おーい!」

 ボソッと呟いた俺に駆け寄ってくる複数の影。

 ネアとゾイル。メルスとセミル。絵美とバルが笑顔で手を振ってやってきた。

 ・・・いや、ちょっと待て。おかしな奴が混ざってる。

「バル!てめぇ、生きてたのかよ!」

 先ほど確かに殺したはずの炎獣王が、俺の仲間たちと共に笑顔でやってくるとか。俺は一体どんな悪夢を見せられているんだ?

「どうした?トリア。死んだ奴と偶然再会した。みたいな顔をして」

「だからその通りだって。え?何?お前って死んでいなかったのか?」

 詰め寄る俺にバルが心底不思議そうな顔をこう言った。

「前に言わなかったか?ワシ、不死鳥だって」

 ・・・は?なんだよそれ。不死鳥?不死の鳥?死なない?

「聞いてねぇぇぇえ!」

「アッハッハ!そうだったか!すまんすまん!」

 叫ぶ俺に笑うバル。

「うるさいよ、君たち。あのさ、バル。君は向こうの世界に帰ってくれるかい?」

 子供の喧嘩をあやすようにネアがそう言った。

「元よりそのつもりだ。トリアには負けたからな」

 勝ったはずなのに釈然としねぇ。

 そんな俺にもう構うこともなく、バルは自分で門を開き「また祭りをしようぞ!」とアーウェルサへと帰って行った。

「にしても、お前ら無事だったか」

 そう言って集まった面々の顔を見る。

「ま、あたしらにかかれば大したことはなかったね。ゾイルもよく働いてくれた」

「フン」

 嬉々として語る中で、ゾイルは不機嫌そうにそっぽを向いた。きっと照れ隠しだろう。

「おい、トリア。お前何か勘違いを」

「お前らはどうだった?」

 ゾイルを無視して妖精姉妹の方を見る。が、メルスは言いにくいことでもあるのか口をもごもごさせるだけである。

「何かあったのか?」

「いや、えーっと、その、ね?」

 ね?と言われても。絶対に何かあったろ。

「セミル。説明を頼む」

「はい。お姉ちゃんが襲ってきたので、ぎゅっとしました」

 何それ。字面だけ見るととてもネアが喜びそうなんだけど。それはつまり、

「セミルを好きなメルスが手を出したってことでいいんだな?」

「ちっともよくない!何さ、手を出したって」

「え?それを言わせるのか?」

「い、言わなくていい!」

 メルスが顔を真っ赤にして叫ぶ。

「まぁ、お前らが無事ならなんだっていいさ。毒に侵されたメルスをセミルが助けたって話だろ?」

「え?何で知ってるの?」

「心を読んだ」

 なぜかメルスに頭を叩かれた。

「どうした?」

「ふん。知らない」

 さらにそっぽを向かれてしまった。本当に何だったのだろう。今度からは勝手に心を読むなと、そう言っているのだろうか。

 なんて、深く考えるのはやめて再度あたりを見渡す。

 うん。ひどい。

「さすがに、一件落着。とは言えないよな」

「早急に何とかしたいけど、さすがにねぇ」

 ネアがポリポリと頭を掻く。

 ネアにしてもここまでの被害は予想外だったのだろう。町を元に戻すんだったらゴーレムの力を借りるのが、いや、あまり思い出さないようにしよう。

 そうだ。メチがいる。時の神であるメチに頼めば町は元通りに戻るだろう。もっとも、頼めればの話だ。

 空間の結合。それが世間に知られたことにより、今回のように人間界を支配しようとしている住民が増えるかもしれない。

 今回は全員が無事だったが、次回がそうとも限らない。前回はうまくいったから次回もうまくいくなんて、現実は甘くない。

「もっともっと強く、じゃな」

 ルノが俺を見上げてそう言った。

「あぁ、誰かを失うのはもうごめんだからな」

 俺は天を仰いでそう言った。ついさっきまで人口の太陽が照らしていた札幌の夜空は、曇天に覆われていた。雨でも降るのかもしれない。

「さて、そろそろ帰ろうか。ナデシコ、頼む・・・!?」

 そう言っていたネアは何かを感じ取ったのか周囲をきょろきょろと見渡す。

 何かを感じ取ったのはネアだけじゃない。この場にいた全員が体に渦巻くような殺気を肌で感じた。

 ・・・奴が来る。

 誰もがそう直感した、その直後。

「え・・・?」

 困惑したセミルの声。その小さな声に反応して全員がセミルを見て、目を見開いた。

「セミル・・・?」

「お姉、ちゃん」

 セミルの胸が、小さな剣で背後から刺し貫かれていた。

「セミル!」

 目は虚ろ。傷から血が溢れ地面に染みを作る。どうみても瀕死状態の妹を助けようと姉が駆け寄る。しかし、その手は届かない。

「消え、た・・・?」

 ネアの呆然とした呟きに反応する者はいない。

 目の前で起きた現実に、頭がついていけていなかった。

 さっきまでいたはずのセミルが、何の前触れもなく姿を消した。まるで、空間そのものに飲み込まれるように。

「セミル!」

 メルスは力なく地面によろめき倒れて涙を流した。

「ディーテ。お前と言うやつは・・・!」

「呼んだかい?」

「は・・・?」

 突然、俺の目の前に満面の笑みを浮かべたディーテが現れた。それ自体に、問題はなかった。いつもなら、奇襲の如く魔力を放っていたことだろう。

「あ、ぐ」

「奏太!」

 痛みは、遅れてやってきた。数本の剣が、俺の上半身を貫いていた。剣が刺さり続けているため、コントラクターとしての異常的な治癒能力も働かない。

「どうだい?痛いだろう?」

「ディーテ!トリアから離れろ!ナデシコ、ゾイル、エミリー、やるよ!」

 ネアたちがそれぞれの武器を手にディーテのことを囲む。ダメだ。勝てる相手じゃない。傷のせいでそのことを言うことも出来なかった。

 そして、ディーテはこの状況でも態度は変わらない。満面の笑みを浮かべたまま、勝ち誇ったように言う。

「簡単に『マインドコントロール』にかかるような雑魚に興味はない。―伏せろ」

「な!?」

 ネアがディーテの言われた通りに地面に伏せた。いや、ネアだけじゃない。もう一人。

「この力は・・・」

 神であるナデシコも、地面に伏せていたのだった。

「あっはっは!言いざまだねぇ。本当に感謝しているよ。ネア、ナデシコ。あたしの計画を手伝ってくれてねぇ」

「いつの、まに」

 ネアは苦虫を嚙み潰したように顔を歪めてそう言った。

 あぁ、なるほどね。要するにこういうことだろう。

 ネアとナデシコはディーテの術に嵌っていた。ゆえに、リスクがるとわかっていても結合の重要人であるはずの俺たちを人間界に呼び寄せた。ディーテが、そう望んだから。

「お。さすがトリア。死にかけでも頭は回るようだね」

「う・・・る、せぇ」

 クッソ。血、出すぎだろ。意識も朦朧としてきやがった。何かしようにも、現存魔力は、ゼロ。

 ―ここまで、か。こんな終わりも、我は認めない。

 フィルすらも諦めるという事態。

 どうにかして切り抜ける方法は、

「トリア。ピンチになれば必ず助かるなんてフィクションだ。現実を見なよ。あぁ、その現実も。もう終わるけどね!」

 ギャハハと笑い、ディーテは青白く輝く剣を手にする。

「さぁ、トリア。さようなら」

 時間がゆっくりと流れるように剣が真っ直ぐに振りかざされる。

「させん!」

 刹那。時間の流れは元に戻る。

 俺の目に焼き付いたのは、苦痛に顔を歪めるルノの顔だった。

 左手からはバングルが外れ、右手の契約の印も消滅する。すなわち、俺の契約種であるワーペル・ルノの死亡を示していた。

「馬鹿、やろう」

 それを理解し、俺の目からは涙があふれて止まらなかった。怒りだって込み上げてきた。なのに、それを行動に移すには、あまりにも無力すぎた。

「あっはっは!自ら死を選ぶとは。随分と焼きが回ったねぇ!さぁ、今度こそ。トリア、フィル共々散れぇ!」

 真っ赤な血しぶき。周囲からの叫び声。そのすべてを遠く感じた俺が最後にはっきりと聞き取れたこと。

「あんたらの遺体は、暗黒界に安置しておいてやるよ」

 だった。

 ここで俺の意識は完全に深い闇へと落ち、飲み込まれた。


 この時の時刻は、日付が変わるころだったという。

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