第2章~預言者大和撫子~
妖精がいた。
お兄ちゃんから聞いた通り私みたいな子供で、けど、私とは違って蝶のような羽が生えている。
場所は、どこだろう。見覚えのない花が咲いていて、緑色の葉が生い茂っている森の中。空は青く澄み渡っていて、薄く島のようなものが見えるこの場所は一体。
ふと頭に思い浮かんだのは、アーウェルサ。けど、そんなはずはない。確かにアーウェルサは浮島がある異世界だと前に聞いている。ただ、人間がそこに行くには死ぬしかなくて、私は自殺以外では死ねない状況下にある。つまり、これは夢。
そうと分かった途端、心の中の熱が急激に収束した。
私は本物の妖精というものを見たことがない。だから、目の前にいる羽の生えた人間のような子供たちは、私の想像の中の妖精でしかない。この風景ですら、現実離れした、アーウェルサはこんなところなんだろうなと言う、私の妄想。
本物の妖精を見たことがない私には、本物の妖精を再現することはできない。アーウェルサに行ったことのない私には、アーウェルサの景色なんてわからない。なのに、目に映る妖精たちは笑顔で楽しそうにしている。
ふと、金髪の女の子が私を呼んでいることに気付いた。
女の子は森の奥へと姿を消して、私の体はそれに導かれるように自然と歩みを進めた。一歩ずつ、土の感触を確かめるかのようにゆっくりと、けれども力強く進み、遂に森の中へと足を踏み入れる。
その瞬間。風景が変わった。
森は森でもコンクリートの森だった。札幌とも違う、少し変わった近未来風なビル群。充分栄えているだろうに人っ子一人見当たらない。
女の子はしばらくの間、私を導くように進んでいたが、ビルとビルの間にできた狭い路地に入りその姿を消した。そして、優衣は目を覚ます。
見えるのは、うす暗い部屋の天井。起きたばっかりのせいか夢の内容はまだはっきりと覚えていた。けど、意味の分からない夢だった。きっと数分もすれば忘れるだろう。
ぼんやりとする頭を抑えながらゆっくりと起き上がると、額に違和感を覚えた。何かが張り付いているような、不快な違和感。
額に手を当てると、本当に何かが張ってあった。はがしてみてみると、それは冷却シートだった。
ぼんやりと手にしたそれを眺め、何があったのかを思い出した。
動物園に行って、楽しくて、体が熱くなって、気を失った。
そうだ、熱を出したんだ。と、いうことはお兄ちゃんに迷惑をかけてしまったかもしれない。早く謝りに行こうとベッドから降りてまたしても違和感。ここが自分の部屋ではなくお兄ちゃんの部屋だった。そして、お兄ちゃんのベッドで私は寝ていた。ここまでは特に不自然なことはない。問題は、お兄ちゃんもお姉ちゃんもこの部屋にないということ。
時間は午前6時。この時間なら普段あの2人は寝ている時間だ。何かあったのだろうか。ゲームが行われているこの状況ではそれも否定することが出来ない。
そう考えると、いてもたってもいられずリビングに続くドアを慌てて開けた。
―女がいた。
薄暗いリビングのソファで横になり、気持ちよさそうに寝息を立てている女。
ベージュ色の髪。確か少し前に学校であったことのある、お兄ちゃんに好意を寄せている女。
どうしてこの女がここにいるのかは一旦置いといて、2つの空き部屋―うち1つは私の部屋だ―を覗き、キッチン、トイレ、ふろ場に至るまで探したがあの2人の姿はどこにもなかった。
玄関には鍵が締まっていたけどベランダに続く窓の鍵はかかっていなかった。やっぱり、何かあってどこかに行っているとみるべきだ。
と、テーブルの上にゲーム用の端末が置いてあることに気付いた。
迷うことなくそれを手にして電源を付けた。マップを開いてみると、発信機のついたお兄ちゃんがせわしなくあちこちを行ったり来たりしているのがわかり、何かがあったと確信する。しかし、何があったかまではわからない。
そういえばこの端末って盗聴が出来たっけ。
前にお姉ちゃんから教えてもらった手順で端末を操作してスピーカーに耳を当てる。
聞こえるのは風の音、車が通る音、人が駆ける音。話し声はなく荒い呼吸だけが聞こえる。それ以外に手がかりになりそうな音はない。
諦めて端末をテーブルの上に戻したところで、目が合った。
「えっと、おはよう。ここは奏太君の家?」
とても不思議そうに聞いてくるが、不思議なのはこちらも同じだ。質問には頷きだけで返しておいた。
「うーん、どうして私はここにいるんだろう」
「・・・聞きたいのは私の方。昨日、何かあった?」
「あったにはあったんだけど、途中で寝ていたみたいで。奏太君はどこ?」
「・・・お兄ちゃんはいろいろなところに行ってる」
それを聞いたつむぎはうーんとうなりながら天井を仰いだ。
「背中に行ってからの記憶がないなぁ」とわけのわからない呟きを聞き流しテレビをつけた。
ちょうど北海道のニュースをやっていた。
『本日未明に起きた正体不明の揺れにより先日開園したばかりの遊動園に大きな被害をもたらしました。現場から中継です。現場の―』
スタジオで話すアナウンサーの映像から画面が切り替わり、昨日お昼ご飯を食べたあの道が映し出された。
昨日はきれいに舗装されていた煉瓦の道のところどころが剥げてひびまで入っている。街灯も倒れているし、まるで災害が起きた後かのような光景。
『正体不明の揺れ』とアナウンサーが言っていたということは地震と言うわけでもなさそうだ。他の場所に被害があった様子もないし、もしかしてこっちの世界のものじゃない何か別の力が働いたのだろうか。うん、きっとそうだ。
「えーっと、優衣ちゃん。つむぎはそろそろ帰るね」
「待って」
私にしては珍しく早く反応できた。つむぎは呆気にとられたようにその場に立ち尽くしている。
「・・・あの、その、つむお姉ちゃん。何か隠しているでしょ?何があったのか、教えて」
つむぎは表情を一切変えることなくソファに座りなおした。そして、口を開く。
語られたのは、お兄ちゃんと共にとある問題を解決しようと昨晩遅くに遊動園へと行ったこと。調査を終えて帰ろうとしたら『獣人族』という種族に襲われた、ということ。
「つむぎがここにいるってことは奏太君も無事ってことだと思うんだけど、ルノちゃんもここにいないよね?」
「・・・つむお姉ちゃんも、お姉ちゃんの居場所は分からないの?」
「うん。昨晩も一緒にいたわけじゃないからねぇ」
お兄ちゃんがお姉ちゃんを置いて出かけたということか。珍しいこともあるものだなと考え、これで完全に行き詰ったと気づく。
つむぎはいまいちこの状況を理解できていないようだし、お兄ちゃんが帰ってくるまで待つことにしよう。
「ねぇねぇ。そろそろ帰ってもいーい?」
子供のようにつむぎがそんなことを言ってくる。
「・・・ダメ。つむお姉ちゃんも気になるでしょ?何があったのか」
「確かに気になるんだけどさ。つむぎだって学校があるし、優衣ちゃんもあるでしょ?」
今日は月曜日。もちろん学校がある。けど、
「・・・大丈夫。今日休んでも由樹ちゃんが熱を出したって伝えてくれると思うから。それと、つむお姉ちゃんの学校は休んでも大丈夫なんでしょ?お兄ちゃんが言ってた」
「その通りだけどさ。奏太君は何を教えているんだか」
「・・・決定ね」
つむぎの呆れたような言葉を聞いて、笑顔でそう言った。
家に帰ると、優衣とつむぎが一言も話さずにテレビを見ていた。なんだろう、この雰囲気怖い。
あ、そうだ。
「優衣。体はもう大丈夫なのか?」
「・・・うん。大丈夫。それよりもお姉ちゃんは?」
お姉ちゃん?あぁ、ルノか。やっぱり気になったか。
「それが、わからないんだ。優衣も知らないとなると、もうお手上げだな」
言いながらソファに座る優衣とつむぎの間に身を沈めた。
あれから、つむぎをここに置いてから、今の今まで探し回っていたのだが結局見つからないまま日が昇ってしまった。一旦外での捜索をやめて、もしかしたら帰ってきているかも。優衣が知っているかもと思ったが、結局それも不発だった。
あくびをかみ殺しながらテーブルに置かれた端末をつける。
幸い北海道に向かってきているコントラクターはいないようだった。ルノが北海道から出るというのも考えにくいため、他のコントラクターに殺されて俺がコントラクターじゃなくなるということもなさそうだ。
だからと言って安心はできない。ルノがそうであるように契約種に発信機などついていない。こっちの世界の神ももちろん同じだ。時は一刻を争う事態だ。
端末を操作して今までかかわったことのある元コントラクターたちにこんな文章を送る。
『俺の契約種であるルノが行方不明になった。改めて説明する必要もないと思うが白髪ロングの幼女だ。見つけたら連絡をください』
タケさんと在学中に関わったことのあるやつらにも似たような文章を送り大きく息を吐いた。
「ねぇ奏太君。ごめんね」
いきなりつむぎに謝られた。
「ん?なんでお前が謝るんだ?」
「だって!ルノちゃんがいなくなったのって、つむぎが奏太君を呼び出してからでしょ?」
「まぁ、そうなるけど。一旦落ち着け」
「落ち着いてなんていられないよ。本当に、ごめんなさい」
頭を深く下げてつむぎは言う。目頭に涙が浮かんでいるように見えたのは気のせいだろうか。それにしても、滅多なことで感情を表に出さないつむぎがここまで感情的になるとは珍しい。
俺は、そんなつむぎに「気にしなくていい」とは言えなかった。
つむぎが俺を呼ばなかったらルノがいなくなることはなかっただろう。けど、それを責めることも俺にはできなかった。俺が行こうとしたとき、ルノは行く意思を見せていた。それを受け入れなかったのは他でもない俺だ。
起因がつむぎにあるにせよ、俺が悪くないとも言い切れない。
「奏太君。つむぎはもう行くよ。ルノちゃんを、必ず探し出すから」
そう言い残してつむぎは玄関から外へ出て行った。俺はその背中に何の言葉もかけてやることが出来なかった。かけるべき言葉がわからなかった。内心、無理だろうと、そう思っていた。
いやいや、こんなことを考えている場合じゃない。俺も行かなきゃ、と立ち上がろうとしたが、その前に膝の上に優衣が乗った。
「優衣?」
「・・・お兄ちゃんは、行っちゃダメ」
「いや、けどな」
「・・・ダメ」
優衣が俺の胸に顔を押し付ける。腕が首に回される。
「・・・行きたいなら。このままいって」
このまま。優衣を抱きかかえて立つことが、今の俺にできなかった。半分ほどまでは立てた。半分ほどまでしか立てなかった。完全に立ち上がる前に足がもつれてソファへと逆戻り。そうなってしまうほどに体が疲弊していた。
「・・・お兄ちゃん。体が冷たい。それに、心臓の動き方が死んでいるようにゆっくり」
死んでいたら心臓は動かないという突っ込みを入れられないほどに、自分がそうであることに気づけていないまでに心が憔悴していた。
「・・・お風呂、溜まっているから」
「ん、悪いな」
疲れ切った心と体ではまともな探索もできない。時は一刻を争うが、落ち着くことも大事だ。暖かい風呂に入ってこれからの方針でも考えるか。
「ふぅー」
体を先に洗ってから湯船につかり、そんな腑抜けた声が出た。
冷たい体にちょっと熱めの湯。思わず声が出てしまったが、それだけこの風呂と言うものは落ち着く。
入浴剤により白くなった湯に肩までつかりゆっくりと目を閉じる。
バラのような香りが鼻孔をくすぐり、まるでバラ園にいるかのような錯覚を覚える。ただし、俺はバラ園なんて言ったことがないため本当にバラ園がこんな匂いのする場所なのかはわからない。
ずっと目を閉じているとそのまま眠ってしまいそうだったので、直ぐに目を開けてゆっくりと肺のなかの空気を吐き出す。
さて、と。落ち着けるのも今のうちだ。ルノの行きそうな場所。いそうな場所をもう一度ピックアップしよう。
心当たりのある場所といえば、東にある山小屋。西の草原。テレビ塔に札幌駅。メルゴはタケさんから連絡が来るだろうから除外する。あとは、タケさんが作った地下施設、潮ノ宮学園に昨日言ったばかりの遊動園。他にも公園や買い物に行ったデパート等。そのすべては一応捜した。行き違いの可能性もあるが、あてが多すぎて行き違いになっていたとしてもどこでなったのかは検討もつかない。
お手上げだ。そもそもノーヒントで人探しするというのも厳しい話だ。こういう時は町の人に聞きこむのがセオリーだと思うが時間が時間なために目撃者はいないだろう。
もしもこちらの神とかディーテがすでに捕らえているのだとしても、殺されていない事の説明がつかない。俺をおびき出すためのえさに使おうとしているのだろうか。それはそれで意味が分からない。
ディーテは俺に直接手を下せるし、こっちの神は異世界民を殺したがるはず。何か俺に用事があるとも考えにくい。なにせ、こちらの神とは会ったことも―。
「あ」
思い出した。俺はこちらの世界の神とは1度だけ、そしてたった1人だけ会ったことがある。
秘書官になってからだから割と最近のことだ。しかも、日本を管理している神。名を、ナデシコ。
大和撫子という日本人女性の美称。か弱い見た目とは裏腹に清楚で力強い一面を持ち合わせた女性。ナデシコはそれを絵にかいたような、模範的な神だ。
彼女と出会ったのは日本の神に任命された日。150年前くらいだったか。
任命式という場で、白い巫女服に身を包み、長い黒髪がよく似合っていて美しいという印象を受けた。人間という種族、主に日本の文化と言うものに憧れていた、俺が一時だけ戦闘を教えた教え子。
そう、いま俺の目の前にあるような黒い髪で・・・?いや待て。なんで俺の前に黒い頭があるんだよ。
「おい優衣。いつの間に入った?」
「・・・ついさっき」
黒い頭はこちらを振り返ることなくいう。入られたことには全く気付かなかったが、どうして俺が優衣と一緒にふろに入るというおかしな状況が出来上がっているんだよ。万が一にでも莉佐に話せば羨ましいと言われ。ルノに話せばしばらく口をきいてくれなくなるだろう。そして、これを聞いた大半の奴は『ロリコン』と言ってくるのだろう。
「・・・考え事?」
「ちょっとな」
俺の考えていることを知ってか知らずか、頭を俺の胸板に預けて聞いてくる。
「・・・お風呂。気持ちいいね」
両手でお湯を救い上げながら優衣は言う。
「そうだな。・・・って、そうじゃなくてさ。なんでお前が俺と一緒にふろに入っているんだ?」
「・・・昨日入っていなかったから。嫌だった?」
返答に困る。
嫌といえば優衣を傷つけることになりそうだし、嫌じゃないと言えばロリコンコースまっしぐら。できることならその両方を避けて答えたかったが、疲れていてうまい事言葉がみつからない。
結局「気にしてない」と答え。「嫌じゃない」と答えているのと変わらないなと苦笑する。
兄弟がいたことがないのでわからないが、ただ妹と風呂に入っているだけで特に問題はない。多分。
「・・・どこを、探すの?」
少しだけこっちの顔を見てくる。
「あー、そうだな。心当たりのある場所は全部調べたけど、一応もう一巡する。あとは、ナデシコがこの辺にいるようならついでにそっちも探す」
「・・・ナデシコ?」
「日本の神の天使族だ。お前のような黒髪のな。そいつよりも先にルノを見つけなきゃ、いいことはなさそうだからな」
あのおとなしいやつがルノを殺すなんて考えたくもないが、あいつにも神としての立場がある。
「・・・ナデシコの居場所はわかるの?」
「いや。それがわかれば苦労はしねぇな。そもそも北海道にいるかもわかりはしない」
優衣はそれを聞きながら湯船から上がり体を洗い始める。もちろん、視界が肌色になったのは目を閉じてやり過ごした。
「神ってのは基本的には自分の魔力を隠しているから俺には探すことが出来ない。魔道具があれば別だがそれも今はない。ルノの魔力を探ろうにも下僕が同じような質の魔力を持っているせいでそれも無理」
シャワーが止まるのを待って続ける。
「さっきは、もう一巡するとは言ったが、多分それだと見つからない」
「・・・なんで?」
シャンプーをしている優衣が訊ねてくる。
「どの場所にもルノがいたような痕跡はなかったからな。心当たりのある場所には行ったから、次は心当たりのない場所にも行かなくちゃならない」
「・・・そんな場所、ある?」
優衣が聞きながらさっきと同じようにして湯船につかった。
「たくさんあるさ。心当たりのある場所っつーのはルノと一緒に行ったことのある場所なんだよ。つまり、心当たりのない場所、俺かルノしか知らない場所に行く」
ルノしか知らない場所なんて俺は知らないが、あいつが1人でどっかに行ったことがあるとすれば、莉佐の家くらいだろう。基本的に一緒にいるのだからほぼ間違いはない。
逆にルノが知らずに俺しか知らない場所はたくさんある。そのなかに、過去に行ったことのある場所でもしかしたらと言うところが一か所だけある。
「可能性が低かろうと、探しに行かないよりかは行った方がいいだろ?」
優衣からの返答はなかった。顔を覗き込んでみると、頬が紅潮しのぼせているようだった。
さっさと風呂から上がり部屋着に着替えさせて水分補給。ソファで横にさせ一息つこうとしたところでスマホがメッセージの着信を告げた。
メッセージの差出人の名は椿山神楽。俺が通っていた札幌潮ノ宮学園の生徒会長で俺の正体を知り退学処分にしたお嬢様。退学にされたことを恨んでいるわけではないが、少しばかり彼女のことが苦手だった。
そんな彼女からの連絡は『今すぐ潮ノ宮学園に来てちょうだい!!!!!』それだけ。『!』の数が多い以外に気になるようなところはなく、シンプルな文章の裏で何かを企んでいるのだろうと推測してみる。が、特に何を企んでいるのかは皆目見当もつかなかったので行ってみることにする。
「ちょっと出かけてくるけど、優衣はどうする?」
「・・・行く」
「だと思った。とりあえず病み上がりでまた風邪をひいても困るから髪を乾かしてこい」
現在時刻は午前9時。そういえば優衣って今日学校じゃん。と思ったのはなかったことにして。神楽って今の時間は授業中じゃね?という疑問は特に気にせず支度をし、5分後には出発した。
優衣がいるため走りはしなかった。というのは言い訳で、単純に走ると寒いし疲れてしまうため15分かけて学校に到着。
校門の前では神楽と、副会長でありながら椿山家の執事という菊空牙登が待っていた。
「奏太!遅いわよ!15分も待たせるなんていい度胸じゃない」
神楽が開口一番にそんなことを言ってくる。
「別に時間指定されていたわけでもないじゃないですか」
「まったく。何を言っているの?ちゃんとしたじゃないのよ」
・・・は?
「私が送ったメッセージは覚えているかしら?『今すぐ潮ノ宮学園に来てちょうだい!!!!!』この中にあった『!』の数は全部で5個。それは5分以内にということを表していたのよ」
「俺の案だ」
わかるかそんなもん!牙登も牙登でどや顔するな腹立たしい。
「時間を指定するならちゃんと時間を書いてださいよ。・・・それで?わざわざ俺を呼び出したのはどういった用件で?忙しいので手短にお願いしますね」
「わかっているわよ。話す前に1つだけ確認したいんだけどいいかしら?」
これを断ると話が進まなそうなので頷いておく。
「優衣、あなた今日学校は?」
神楽に睨まれて怯える優衣の手を優しく握り、俺が答える。
「緊急事態ってことにして休ませたんですよ。あまり怯えさせないでくださいよ」
「悪かったわね。目つきが鋭くて」
そんなことは誰も言っていない。
「本題に入るわ。あなたをここに呼んだのは他でもないわ。ルノと思わしき人物がこの学校に入ったという目撃情報があったのよ」
「誠でござるか?」
「誠よ。っていつの時代の人よ」
あまりの動揺に口調がおかしくなってしまった。
「よくもそんな情報が入りましたね」
「まぁ、ね?」
あ、これは何か隠してやがるな。よからぬことを企てているような顔だ。とりあえずそれはあとで確認するとして、
「ルノは今どこに?」
「それが、全校生徒が総出で探しているんだけど足取りひとつ掴めないのよね」
俺は今とんでもなく恐ろしいことを聞いた気がする。全校生徒総出だって?
「どんだけ会長権限を使うつもりですか」
「あなたのためよ」
なんか、申し訳ない。
「で、だ。奏太。ルノを探している中で俺たちはこの学校の七不思議と言うものを思い出した」
「七不思議?」
かなり話が飛躍しているような。
「あなたも在学中に聞いたことがあるでしょ?『開かずの扉』の噂」
それを聞いて思い出したのは去年の夏ごろ。住澤拓斗と共にその扉の所まで行き開かないことを確かめた時のこと。あれからすっかり忘れていたことだが。
「ちょっと気になって牙登と一緒に見に行ったのよ。そしたら」
「開いていた?」
「いや、閉まっていた」
なんだよ。話の流れ的には開かないはずの扉が開いていてそこにルノがいるかもしれないよねじゃあ行こう。っていう展開を期待しちまったじゃねぇか。
「閉まっていたなら別にいつも通りだろ。なんで話題に出したんだ?」
「奏太、落ち着け。お嬢様の話はまだ終わっていない」
「そうよ。あなたが話の腰を折ったのよ」
「う、すいません」
ぎゅっと手を握る優衣の力が強まる。何も言われはしなかったが落ち着けと言われているような気がして深呼吸。冷たい空気を胸いっぱいに吸い込んでゆっくりと吐き出す。
「続きをお願いします」
「もちろんよ。『開かずの扉』はいつものように閉じていたし開かなかったわ。けどね、そこには確かに誰かが入ったような痕跡があったのよ」
「痕跡?」
「えぇ。牙登、奏太に例のアレを見せてあげなさい」
牙登は懐からスマホを取り出し、1枚の写真を表示させた状態で俺に手渡した。
「これは、足跡?」
俺の呟きに神楽と牙登が黙って頷いた。
廊下で撮影されたものだ。『開かずの扉』へと続くあまり大きくもなく歩幅も小さな茶色い足跡。
「これの本物はまだ残っていますか?」
「残念だけどないわね。清掃員の方が掃除しているのを見て私たちも気づいたのよ。それで牙登に慌てて撮影させたってわけ」
それを聞いてもう一度写真を見る。その足跡は靴を履いてできるそれではなかった。足の形がくっきりと表れている。ということはこの足跡の主は靴を履いていなかったということになる。
家での様子を思い出す。ルノの靴はなくなっておらず、昨晩は靴下をはいていなかったはずだ。
ルノとみられる証言に足跡。ルノがここに来た可能性は限りなく高そうだ。あとはどういった経緯でここに来たのかがわかりさえすれば。
「清掃員って普段どこにいましたっけ?」
「あら、あなたもこの足跡の出所が気になるのね?中庭の方から続いていたらしいわよ」
さすがは優秀な生徒が集った学校のトップ。先にヒント回収をしてくれていた。
「ありがとうございました。助かりました」
「気にしなくていいわ。ほら、早くいきなさい?本当なら部外者の立ち入りは禁止しているのだけれど、今回は特別よ?」
在学中は散々振り回されていたが、こんなにも心強い存在だったと改めて思い知る。
「感謝します」
そう言って深々とお辞儀。
「いいのよ。あなたには助けてもらったし迷惑もかけていたでしょうからね。あと、敬語も、もういいわ。実際のところ、あなたの方が年上なんだから」
それを耳にしながら俺は校舎に向かって歩みを進める。
「敬語はやめませんよ。俺は人間ですので」
そう言い残し優衣と共に校舎へと入る。
久しぶりに入った学校は学校祭でもやっているのかと疑いたくなるほどにぎやかで騒がしかった。全校生徒がルノを探しているのだとこの身で感じる。
そんな喧騒を耳にしながら潮ノ宮学園のB棟―物理実験室や音楽室が並ぶ校舎―とD棟―購買や食堂があるところ―をつなぐ螺旋階段へと向かう。そこに『開かずの扉』はある。
地下に続く階段がある。ただの倉庫である。ハリボテだ等。様々な憶測が学校中を飛びかっているが、その扉はのぞき窓もなく中を知るものは誰もいない。また、扉の中を知ったものは誰かに話す前に不可解な死を遂げる。
なんて言っておけばホラーっぽい雰囲気をかもし出せるが、そんな事実はない。その扉は開かず、中を知る者はおろか開けたことがある者すらいない。これは本当。だから、今まで謎だったものを解明できるかもしれないと心を躍らせながら『開かずの扉』と対峙する。
最後に見た時と同じようにその扉はあった。ドアノブはあるが鍵穴はなく、押しても引いても、スライドしようとしてもびくともしない。内側からのみ開閉が出来るタイプの鍵がかかっているのだと思う。
「・・・開かないね」
「一応七不思議に数えられているからな。簡単にあいたらびっくりだ」
「・・・これからどうするの?」
「今ある情報だとルノがここに来た可能性が限りなく高い。だから、この扉の謎を明らかにする」
そう言い優衣を連れて螺旋階段を3階まで登りD棟の図書室へと向かう。
目的は図書室にある書物庫でこの学校の設計図を探すこと。扉の先に何があるのかを探ろうという算段だ。
幸い図書室にはたくさんの人がいたが、ほこりっぽい書物庫には誰もいなかったためゆっくりと探すことが出来た。だからと言って探すのがスムーズにいったのかと聞かれればそうではない。
開校から今までの書類が乱雑に置かれ整頓もされていないため作業は困難を極めた。
「・・・本当にこの中から探すの?」
「当然だ。お前は無理して手伝わなくてもいいぞ?」
「・・・いい。私もやる」
それから30分ほど、俺と優衣は黙々と紙の大海原を航海することとなったのだが資料は見つからず、探した量も半分に満たないという始末。
これは長期戦になりそうだと覚悟したのとほぼ同時、誰かが書物庫に入ってきた。
「にゃんだぁ?部外者がいるにゃあ?」
この声と独特な口調。
「ノノか。ちょっと手伝ってくれ」
「にゃ!?反応薄くにゃいか?もうちょっと」
「この学校の設計図だ。ついでに片付けな」
「人の話を聞け!にゃんで私がそんにゃことを」
ぶつぶつと文句を言いながらも紙の大海原へと航海を始めた生徒会書記である七宮ノノ。細身で三毛猫を思わせる髪色のショートヘアー。いつも猫耳フードのついたパーカーを身に着けている。
「かにゃ太がここにいるってことは、ルノに関するヒントかにゃにか見つかったのか?」
「ナ行」が無意識で「ニャ行」になるらしく俺の名前をちゃんと言えないのは今更突っ込むことでもないが、やはり気になる。
「大方そんなところだ」
それでもあえて突っ込まない。
「『開かずの扉』の先に行ったっぽいからその先を」
「あ、あった」
嘘だろ。
「はぇーな」
「前に言わにゃかったか?探し物は得意だって」
聞いてねぇよと思いながらノノから資料を受け取る。表紙には『道立札幌潮ノ宮学園設計図案』の文字。間違いない。
「ありがとな。助かった」
「おぉ!」
「なんだよ」
いきなり大声を出すな。優衣がおっかなびっくりしているだろ。
「かにゃ太が素直にお礼を述べるなんて」
「別に珍しくもないだろ」
そうだっけ?とにゃははと笑うノノ。
「つーかさ、探し物が得意ならルノを見つけるってことも」
「できていたら苦労はしていにゃいにゃ」
それもそうか、わかっていたことだ。ただでさえ目撃証言が少ないうえに第一候補が『開かずの扉』。それにだ、探す対象が生き物なのだから難易度と言うものが確実に高い。
「私もルノの足取りを探ってはいるけど、ルノは『開かずの扉』の先にいるのか?」
「今はその可能性が高そうってだけだ。はっきりとはしていない。けど、情報がそれしかないんだ。それに縋るしか他がない。の、ついでに謎の解明もしてやろうと思ってる」
「かにゃ太らしいにゃ」
「ん?どういう意味だ?」
「ただの独り言。気にするにゃ」
そういうのって気になってしょうがないんだけど。
「ほら、余計なことは考えずにさっさと行け。私は私の探し物があるから残るけどにゃ」
「おう、本当にありがとな。・・・優衣、行くぞ」
ずっと書類を片付けていた優衣を呼び、ノノから貰った資料を手に、いくらか気になる新聞記事も見つけたのでそれもこっそり拝借して書物庫から出た。
図書館へと戻った俺たちは同フロアにある椅子に座って設計図を調べた。
「えーっと、B棟とD棟をつなぐ螺旋階段だから、これか」
「・・・ドアのマーク。この先は、階段?」
「の、ようだな」
『開かずの扉』の先にあるのは地下へと続く階段だった。どっかの誰かの憶測が当たったというわけだが、問題は地下のどこに繋がっているかだ。それは、この設計図からすっぽり抜け落ちていた。
「困ったな」
運が悪いとは考えない。明らかに不自然なのだ。そのページだけがなくなっているなど。もう一度あの大海原には戻りたくはない。ノノに頼めばすぐ見つけてくれるかもしれないが、そこまで人に頼りっぱなしというのは個人的に好かない。さて、本当に困った。
「・・・お兄ちゃん。これ」
頭を悩ませていると優衣が一枚の紙を俺に渡した。受け取った紙を見て思わず動きを止めた。それを見計らったかのようなタイミング。
―バシン!
という大きな音。大きい音に反して小さな衝撃を受けた。
「奏太君。図書室ではお静かに」
「今うるさかったのはそう考えてもお前だったぞ、葵」
振り向くと、そこには紫髪でハリセンを持った女の子が仁王立ちしていた。
こいつも生徒会。俺と同じ学年の佐藤葵。なぜかいつもハリセンを持ち歩いている。さっきもそのハリセンでなぜか叩かれたようだ。本当になぜだ。
「で、何か用?」
「いえ、部外者を見つけたのでただ叩いただけです」
なんて迷惑な奴だ。おまけに静かにしろと言われてもな。
「では、頑張ってくださいね」
「え、本当に何もないのか?こういっちゃあ何だが、他の執行部は何かしら役に立ってくくれたんだが」
「役に立つって、人を道具みたいに。・・・というかそれが本当なら私が1番最初に奏太君の役に立ったはずですよ?」
1番最初に役に立った?
「だって、奏太君はルノちゃんが『開かずの扉』に行ったという目撃情報を受けて、こうして学校の構造を調べているのでしょう?」
あぁ、そういうことか。わかった。
「ルノを目撃して神楽に伝えたのがお前ってわけだな?」
「ご名答。さすがは成績優良者ですね」
「おちょくるな」
「否定しないんですね」
事実だからしょうがない。
「では、私も探しに」
「ちょっと待ってくれ」
どこかへ行こうとした葵を呼び止める。こいつが目撃者だというのなら、聞きたいことはたくさんある。
「ルノを見た時のことを事細かに話してくれないか?」
「これ以上私に役立てと言うんですね。いいですよ。別に隠すことでもないですし」
葵は俺の向かいに座って話始める。
「見たのは朝の3時ごろ、この学校の中庭です。そして、」
「おい待て。何事もなかったかのように進めようとするな。なんでお前が朝の3時に学校にいるんだよ」
「そりゃあ昨日は生徒会室に泊まっていましたから。ここはシャワー室もあるしで普通に住めます」
住めますじゃねぇよ。んでもって親指を立てるな。
「そんな泊まらなくちゃいけないほど仕事があるのか?行事が近いわけでもないだろ?」
「行事はないんですけど、ほら、生徒会も入れ替えの時期なんですよ。私の生徒会としての役職。覚えていますよね?」
葵の役職、確か次期会長候補。
「それって役職なのか?」
「今更何を言っているんですか?ちゃんとした役職ですよ。すべてに属して生徒会の全てを把握する重要な役職です。それで、次期会長のこの私が、過去の行事のデータ等をまとめていたんですよ。次のためにね」
「そいつはごくろうさん」
「いえいえ。・・・話を戻しますね。私は昨晩、この学校に泊まりました。そして、たまたま、ふと目を覚ましトイレに行こうと廊下に出たんです。すると、廊下に怪しい影がいて」
「影がいて?」
「生徒会室に戻りました」
「なんでだよ」
「だって怖かったんですもん」
それはなんとなくわかるけども!
ぎゅっと優衣に手を握られた。もうわかる。落ち着けってことだな。
葵だってまさかそれが重要なことになるなんて思っていなかったはずだ。責めることは出来ない。
「暗かったのでよく見えませんでしたけど、大きくなかったんです。それに、空中に浮いていたので、ルノちゃんに間違いないと思います」
「そうか。ありがとう。助かった」
「いえいえ。それでは私も行きますね。期待はしないで待っていてくださいね」
軽い足取りでどこかへ向かった葵の背中を苦笑して見送り、優衣から貰った紙に再度目を通す。
「・・・お兄ちゃんになら、読めるよね?」
「そうだな」
むしろこれが読めなくなっていたら俺は向こうに帰れない。
「アーウェルサの言語だな」
人間にとってはただの記号にしか見えないだろうが、元異世界民である俺には意味を持った文字だとわかる。
『魔晶石の発掘。この地域一帯の地下には大小さまざまな魔晶石が埋まっており、我々は人間のいる施設と採掘場を密かに連結させることに成功した。扉に見立てた魔―を解く―は―による―の土―力が必要不可欠である』
「・・・どういう意味?」
「後半がかすれていてわかんないけど、どうやらこの辺の地下には魔力を凝縮した石。魔晶石の鉱脈があるらしい。で、そこを採掘場にして出入口を色々なところにつけた。その中の1つがここってことだろうな」
これが書かれたのは17年前。それはこの紙きれの端にご丁寧に書いてある。17年前といえば、この学校が立て直された年と一致する。あとは、俺がこの世界に来た年とも。
とりあえず俺が来たってのは置いとくにしても、17年前、もしくはそれよりも前から異世界民はこちらの世界に来ていて、貴重な資源を回収していたということになる。それをこちらの世界が許したかは、謎。
「・・・開け方は?」
「多分、単純で簡単だ。行くぞ」
優衣を連れて再度『開かずの扉』へと向かう。
向かいながら考える。魔晶石のことだ。
魔晶石ってのは魔力が凝縮して結晶化したものだ。これを加工することによって武器や防具。魔道具を作ることが出来る。
魔力さえあればどこにでも生成されるのだが、浮島ばかりのアーウェルサでは貴重も貴重。さらにはとある事情で島そのものがなくなるなんてこともあったため採掘量は少なかった。
魔力濃度が高ければ生成されやすいという性質を持ち、そこから発展した島もある。また、科学者たちの手によって自ら作り出すことも出来ていた。それでも貴重なものは貴重。安価では手に入らない。
そんなものが人間界にたくさんあるのだという。確かに人間は使えこそしないが魔力を持つ。ならこっちの世界に魔力でできたものがあっても不思議じゃないか。
そう結論付けた時には『開かずの扉』の前に到着していた。
「・・・どうするの?」
不安そうな顔で優衣がこちらの顔を覗き込んでくる。
「さっき読んだ文章に『土』って単語があったんだ。多分、それが鍵だ」
首を傾げる優衣を背中に隠し、手元に土でできた球を出現させる。『クリエイトアース』という土の魔力。本来の俺の魔力ではない。ルノと契約して得た力でもない。内なる存在による魔力だ。
その土の球を静かに『開かずの扉』へと当てた。すると、土の球は音もなく扉へと吸い込まれ、かちゃりと音をたてた。
「よし、開いた。行くか」
驚き目を丸くしている優衣の手を取ってゆっくりとドアノブを回す。
遂に、『開かずの扉』は、開いた。
先は真っ暗な螺旋階段になっていて、微かに風を感じる。この先にルノがいるかもしれないと思うと、いてもたってもいられず扉をくぐって階段を下りる。三段目に足を踏み出したのと同時に背後で扉が閉まる音がした。ついで、かちゃりという音も。
ひとりでに閉まったか誰かが閉めたか。恐らくは前者。人間なら普段開いていない扉が開いていれば入りたがるだろうし、そもそも、人間にあの扉は動かせない。ドアノブに魔力を通して初めてあの扉は動くのだから。
階段は扉が閉まったことにより真っ暗になった。俺はある程度の暗視が出来るが優衣はそうもいかない。
あたふたしている優衣を抱きかかえゆっくりと下に向かう。
魔力を使えば明るくすることも出来る。けど、そうしない。俺には見えているのだから、魔力を無駄にしたくない。優衣には心の中で謝っておく。ごめん。
「・・・ねぇ。なんで開いたの?」
優衣が俺の首に腕を回して聞いてくる。
「簡単な話さ。お前が見つけた紙切れに『土―力』ってあったんだ。その間には2文字分くらいの隙間しかなかった。だから『土の魔力』だとうと推測しただけ。実際こうして開いたわけだし、普通の土に魔力を通しただけでも開いたんじゃねぇかな」
優衣はよくわからない。と呟き、落ちないようにしがみついてきた。
それからしばらく無言で階段降りると、開けたロッカールームのようなところに出た。が、ここはまだ学校のものだ。しばらく直線に進むと『開かずの扉』と同じものが現れ同じようにして開けた。すると、また階段が現れなおも下る。
かなりの深さだ。時間にして2,3分だろうか。階段が終ると今度は高さ5m、幅3mほどの通路が現れて先に進む。
魔力によって掘られたのだろうその通路はところどころが凸凹した岩に囲まれている。不自然に作られた自然な通路。地上からかなり深いところにいるはずなのに息苦しくならないのも、魔力により作られた空間であることを物語っている。
一本道をしばらく進んでいると、優衣が眠っていることに気付いた。いつの間に寝たのだろうか。真っ暗だから眠くなるのも無理はないと思うけど、何が起こるかわからないこの状況で寝られるとは。ほとんど寝ていないに等しい俺からするとかなり羨ましい。
―これも、貴様の特性だろ。
声がした。鼓膜ではなく直接脳内に響く、内なる存在の声。
(つむぎが寝ていた時にも言っていたけど、『安眠』を与える。だったか)
―なんだ、思い出していたか。
(それはいいんだけどさ。昔はちゃんと制御できていたのに今はできなくなっているんだ。その理由って、わかるか?)
―わからないのか?
心底驚いたように聞き返されたがわからないものはわからない。
―我があのスライムもどきと戦った後、エストと交わした会話を思い出してみろ。
気づいたら3日経過していたあの日のことか。うん、そうだ。エストから電話がかかってきてこの体について説明されたんだ。
すっかり忘れていたけど、単語を1つでも思い出せば後は早い。あの時に聞いたことを思い出した。
(俺の体は少しだけ若返っているんだったな)
魔力を使う時は特別気にならなかったけど、こんなところで、こんな形で現れたか。元から使うようなことはなかった能力だけど、自由に操れないというのはなんだかむず痒い。
―それにしても。人間界に魔晶石があるとはな。
(その様子だとお前も知らなかったのか)
―前に言ったであろう?我と貴様は一心同体。持つ考えこそ違えど持つ知識は同じだと。
(ダウトだ。お前は明らかに俺の知らない何かを知っているだろ。フィル・ディザオス。それがお前の本当の名前なんだろ?だったらどうして俺の名を名乗る?)
―我は貴様であり、貴様は我である。ただそれだけの話だ。
いやわけわかんねぇよ。
真っ暗な通路が開けたところに出て心の中での会話は一時中断される。
「・・・すげぇな」
思わす声が出てしまったが他に誰かがいるわけでもないので気にしない。と、いうか誰かがいてもこの光景を前には気にしてなんていられなかったと思う。
上も下も先が見えないほど高く深い円柱状の空間。落下防止のためにの柵で囲まれた通路が何層もあり、壁には大小さまざまな無数の穴が奥深くへと続いている。かなり大規模な採掘場だ。
見慣れないところに来るとテンションが上がるということは今までに何度かあった。それはいついかなる時でも変わらないようで、この状況だというのに俺はかなり高揚していた。
あたりを見渡しながら通路を見て回っていると壁にある横穴の1つが鉄のようなもので塞がれているのを見つけた。
とりあえず近づいてみる。もちろん充分警戒して。
これはたぶん、扉だ。魔力で直接干渉すれば開く。地上に会ったものと同じタイプの。ただこの扉に関していうのなら属性は必要ない。自分の魔力を流し込んで少しいじれば簡単に開くだろう。
優衣を落とさないように気を付けながら片手を穴を塞いでいるものにあてて魔力を流し込む。
―ゴゴゴゴと重たい音が鼓膜に響き、地面が崩落した。
突然のことに不意を衝かれた俺は崩落に巻き込まれて地下深くへと落下した。
土井タケルは薄暗い自室のソファで目を覚ました。
どこか遠く、地下深くで地盤の崩落でも起きたのだろうか。アースゴーレムである体がそんな大地の変化を感じ取る。
時間は、正午を過ぎていた。
「ふあぁ」
あくびと共に大きく伸びをて眠りかけの脳をたたき起こし現状を確認する。
昨日、エストから神の命を受けた。人間界にいるという妖精族の元・神、フロール・セミルを殺すこと。さすがに広い人間界を探し回るなんて無謀にもほどがある。そのため、一度アーウェルサに戻り直接話を聞いた後、魔力探知が出来るネックレス型の魔道具を購入して再度人間界に来た。
エストから直接聞いた話によると、フロール・セミルはとある重罪を犯し、人間界に逃げたのだという。
神だった存在が罪を犯したというのも疑問に残るが「何としてでも探し出してくれ。神の命だ」と言われては従うしかなく、とある重罪というのも聞きだすことが出来なかった。
で、人間界に戻ってきて魔道具を試した。自身を中心に半径5キロ、魔力量にして25以上の魔力を探知すると言うもの。この25という数字に人間は含まれずアーウェルサの住民が最低限持っている魔力の質を数値化したもの。
だから、魔道具は人間には反応せず探索も楽になると思っていた。
甘かった。
今の人間界にいる人間は普通じゃない。エストが始めたゲームにより一度死んだ人間たちは魔力が向上していた。加えて、地下には魔晶石が埋まっているようでそれにも魔道具が反応した。
極端に大きな魔力見つけたが、それは奏太だった。奏太には知られてはいけないという状況であいつには会えないので近づくのはやめた。
現状。この魔道具は奏太避けにしか機能していない。それはそれでいいと思うが、本来の目的を果たせそうにない。
「どうすっかな」
ソファに背中を預け、ネックレス型の魔道具を眺めて呟く。
期限が設けられているというわけじゃない。時間がたっぷりとあるというのも違う。先に奏太が見つければそれで終わり。
店を開いている場合じゃないよな。今日は臨時休業ということにしよう。
自室から階段を下りて休憩室へ。そこを抜けると誰もが知る喫茶店メルゴの店内。一応説明すると、1階が店で2階が住居というどこにでもある普通のつくりだ。
―目が合った。
外から店内を眺めている少女と。
どこの子だろう。見た目からして中学生か高校生。腰まで伸びる黒髪に端正な顔立ちで幼さを残しながらも美しい。
首にかけていた魔道具が反応する。いや、していた。それがあってここに来たのだが、まさかこの少女がそうなのだろうか。感じ取れる魔力も並のアーウェルサの住民をはるかに上回る。探し求めている妖精族だろうか。
平常心を保ちながら外に出て少女の姿を見る。
白い巫女服姿の少女。長い黒髪がよく似合い思わず見とれてしまった。
少女もまた俺を見ていた。不思議そうな顔で、何者かを確かめるようにじっと見つめられる。
そして、また目が合う。
黒色で吸い込まれそうな瞳。何から何までが美しい。
そう思ったのと同時に、この少女を昔見たことがあるような気がした。
150年前。アーウェルサでの話だ。1人の天使族が人間界の神となった。その任命式にエストとトリア。神の護衛をしていた俺もいた。
一度思い出せば後は止まらない。完全に、思い出した。与えられた巫女服に身を包み子供のように喜んでいた少女。名前は、
「ナデシコ・・・様?」
うっかり口に出してしまったその名に少女はびくりと肩を震わせ、そして、優しく微笑んだ。
「見えているだけではなくわたくしの名まで。やはり、アーウェルサの民。『ビルディング』と『クリエイトアース』の魔力を持ったゴーレム族アースゴーレム種、ですね?」
透き通る美声にちょこんと首を傾げる動作。見た目はとても可愛らしく美しいのに、その黒い目には薄っすらと殺意が宿っている。・・・なんでだ?
その疑問はただの気のせいだということにし、姿勢を正す。
「お察しの通り、私はアーウェルサの民。アースゴーレムのレイト・ヌミレオと申します。アーウェルサの神、エスト・テリッサの命により人間界に降り立ちました」
相手は神。失礼のないように言葉を選んでそう言うと、少女の黒い瞳から殺意が消えた。・・・ような気がした。
「エスト様の命でしたか。それならば今回は見逃しましょう」
見逃す?よくわからないが向こうに説明する気はないようで、
「改めまして、お初目にかかりますレイト・ヌミレオ様。わたくしは人間界の神、日本担当の天使族、名をナデシコと申します。以後、お見知り置きを」
そう言って両手を前に合わせて深々とお辞儀する。
一体何のためにこの世界に来たのか、それを聞こうと思ったが、神が相手ならば自由に口を利くことも出来ない。ナデシコの次の動作を黙って待つ。
顔を上げたナデシコは不思議そうにメルゴの外見を見ると俺の方に顔を向けた。
「ここはレイト様の家ですか?」
「はい。職場兼自宅となっております」
「カフェ・・・と言うものですね?失礼してもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
断れるはずもなく店内へと招き入れる。
店内へと足を踏み入れたナデシコは物珍しそうにあたりをきょろきょろと見まわし、やがてカウンター席のちょうど真ん中に座った。
俺はいつものようにカウンターに入り、いつもとは違う心境でナデシコの次の言動・行動を待つ。
神とは本来地上に降り立つようなことはない。浮島しかないアーウェルサは例外だが、人間界の神は人間界にいながらしていない。どこか空の上に、人間には見えない浮島があり、そこに普段は神としての責務を果たしているはずだ。そんな普段地上にいない神が地上にいるということは、何かしらの―
「目的がある。・・・そう、お思いですね?」
驚いてナデシコの方を見た。穏やかな笑みが浮かべられ楽しそうにこちらを見ている。心を読まれたのだと、すぐにわかった。
「わたくしは確かに目的をもって地上にいます。それを説明する前に、アーウェルサの民であるあなた様がエスト様にどのような命をお受けになったのか、それをお教えください」
こんな時こそ心を読めばいいのにと思ったが口には出さなかった。
「私は今よりも少し前、誤って人間界へと転生してしまったアーク・トリアの監視役としてこちらに・・・ナデシコ様?」
俯いて肩を震わせるナデシコ。話せと言ってきたくせに本当に聞いているのだろうか。
「あ!申し訳ありません!」
顔を上げてすぐさま姿勢を正していたが、何故だかその顔は少しだけ赤く染まっていた。
「えーっと、トリア様がこちらの世界にいらしているのですか?」
「人間として、ですけど」
「おかしいですね」
顔色が普通に戻り、真顔でつぶやいた。
「何がですか?」
「トリア様が人間に転生したという話です」
俺は首を傾げた。ちょっとドジを踏んで転生した笑い話だと―
「ドジを踏んだ?」
また心を読まれた。もうわかっているんだろうなと心の中で舌打ちし口で説明する。
「トリアは人間界に行けとの命を受け、くぐる門を間違え」
「やはりおかしいです」
一体この神は何を疑っているんだ。心がだんだんと落ち着きがなくなる。
「わかりませんか?」
どうして気付かないのか。そう言っているように黒い瞳で問われる。
「私にはおかしなところなど皆目見当もつきません。ご説明願います」
「承りました。まず、トリア様が天使族の英雄として謳われているのはご存知ですね?」
頷く。
「『聖魔大戦』において、天使族唯一の生き残り。王城での兵長経験、現在は神、エスト様に仕える秘書官でありながら、戦闘における指導者。わたくしも何度かトリア様に稽古をつけてもらいましたが、そんな経歴をもった彼が、くぐる門を間違えるという初歩的なミスを犯すと思いますか?」
首を横に振る。
今まであまり考えもしなかったが、言われてみると確かに不自然であるように思える。歯に何かが挟まっているかのような違和感。
「誰かが意図的にトリア様を人間界に送り込んだというのは考えられないでしょうか」
「それは、私にはわかりかねません。今更何を言おうと、アーク・トリアが堀井奏太として人間に転生したという事実は変わりません」
「それは違います!」
ナデシコは勢いよく立ち上がり指を俺の顔に突きつけるようにして言った。背景に『論破』の2文字が出てきたような、そんな錯覚を覚える。
俺が最近やったゲームを思い出しているのも構わず、ナデシコはいつの間に手にしたのか、辞書のように分厚い本を開いていた。
「この本には日本の人間すべての情報が載っています。お亡くなりになれば情報は消え、新たに生まれれば自動的に記されます。もちろん、この中にアーウェルサの民は記載されません」
まさかという思いが全身を駆け巡った。
「そのまさかです。堀井奏太という人間は」一拍おく「存在しません」
嘘だろと思うよりも前に、マジかよと衝撃を受けるよりも先に、不安に襲われた。
「・・・同性同名も、ですか?」
震える声でなんとか問う。
「はい。同性はいても同名は存在せず。同名はいても同性は存在せず。堀井奏太という名の人間はいません」
おいおいおいおい。ちょっと待てよ。それが本当の本当なら、あいつは端から人間族堀井奏太ではなく、天使族アーク・トリアだったってことか?わざわざ体を若返らせたうえで別の世界に送った。それをするなら、門を管理する神、時の神、空間の神。この3人の協力が必要不可欠となる。だとしたら、神3人が秘書官1人をアーウェルサから追放したということか?それとも、何らかの目的のためにトリアを利用している?
考えれば考えるほど疑問が溢れて止まらない。
「レイト様。落ち着いてください。ほら深呼吸してください。ひーひーふー」
ナデシコのしているそれはラマーズ法だったがそれにはあえて触れず普通に2,3度深呼吸した。
「申し訳ありません。取り乱しました」
「お気になさらないでください。今は先にトリア様を探しましょう。心当たりは?」
首を横に振った。学校をやめてニートへとジョブチェンジしたあいつの居場所を知る手立てなどどこにも―ナデシコが俺の首のあたりをじっと見つめ、俺の視線も自然と降りる。・・・あった。
自分の首にかかっている魔道具を使えば、奏太、いやトリアを探すのが比較的楽になる。
「こちらをどうぞ」
魔道具を外してナデシコへと差し出す。
「いりません。レイト様がお使いになってください。わたくしはこれでも神です。魔道具に頼らずとも探すことは可能でしょう。・・・それに、妖精族を探すには必要なものなのでしょう?」
「なっ⁉」
何でこいつが俺に与えられた任務を知っている?こいつの前では話していないし心に浮かべてもいないってのに。
背筋に、悪寒が走った。
「わたくしの目的をお話ししましょう」
さっきまでとは変わらないはずなのに、そこにいる存在は、見た目よりもはるかに大きく感じた。
「わたくしの目的は、人間界の神として、人間界にいるアーウェルサの民を排除するということ。レイト様が何を企んでいるのかは初めからお見通しです。なにせ、わたくしを見た時、妖精族じゃないかと疑っていたではありませんか」
言われてみると確かにその通りではあるのでけれど、驚いて言葉も出ない。
「今のところ、わたくしとレイト様の目的は一致しています。どうです?協力しませんか?」
「協力?」
「はい。トリア様に会うのは何かと不都合なのでしょう?」
それも、お見通しか。
「わたくしは今からトリア様を探します。その間に妖精族を見つけて始末してしまってください」
さすがは神様。簡単に言ってくれる。実際に簡単なら苦労もしていないってのに。
「1つ、助言を致しましょう。貴方の探し求める妖精族は北海道東部に位置する自然遺産。そこにいるでしょう。では、健闘を祈ります」
にこやかな笑顔でそう言ったナデシコは煙のようにこの場から姿を消した。
奏太、いやトリアを探しに行ったのだろう。・・・ちょっと待てよ?あいつはトリアを探してどうするつもりだ?殺すのか?だとしたらそれはそれでまずい。
あぁくそ。迷っている暇はねぇな。向かうは北海道東に位置する自然遺産。つまるところ、知床半島。
俺は手早く準備をするとメルゴを後にした。
目の前に天使族が現れた。
黒のロングヘアーで白い巫女服に身を包んだ小柄な女。外見年齢は中高生くらいの。最後に見た時から何も変わっていない容姿。
この場は光がなく真っ暗だというのに、この人物からは淡い光が放たれ神々しさがある。いや、それは当然のことか。正真正銘、神なのだから。
「お久しぶりです。アーク・トリア様」
女は、ナデシコは優しく微笑んでお辞儀する。
「どうかいたしましたか?怖い顔をしていらっしゃいますよ?」
「用件を言え」
質問には答えない。正直、関わりたくない。
「トリア様がこちらの世界にいると聞き参上したまでです」
「本当にそれだけか?」
真っ暗な採掘場の最下層。冗談めかして笑うナデシコに、俺は表情を一切変えることなく聞く。
こっちの世界に来たのは17年前。今更情報を得たから会いに来たというのは少々考えにくいことだ。
「さすがの洞察力。といったところでしょうか。わたくしの名はナデシコ。人間界の神としてアーウェルサの民であるあなたさまを―」
「1つ聞きたいことがある」
ナデシコはこちらの突然の申し出に一切驚かない。わかっていたのか。それとも・・・いや、今はいい。
ナデシコが何も言わないのを了承の返事だと解釈し聞く。
「ここは魔力によって作られた空間だ。今よりも少し前にな。それはつまり少し前から人間界には異世界民がいたということになる。だが、ここはしばらくの間使われた形跡がない。これほど大規模な採掘場、かなりの数がいたと考えられるが、それも、今はいない。お前が、殺ったのか?」
ナデシコの微笑みは崩れない。顔に張り付いているようで、気持ちが悪い。
「そうです。と言えばあなた様はどうしますか?」
「何もしないさ。それが神であるお前の役目だ。ただ、動くのが少しだけ遅かったんだろうなと、あきれる」
神なら、この世界に異世界から来訪があればわかるはず。なのに、この採掘場は大きく広がってしまっている。何もかもが、不自然。
ナデシコはふっと息を吐くように笑った。
「残念ですが、わたくしはアーウェルサの民に手を出したことはまだありません。日本の神としてはアーウェルサへと貴重な資源を提供していただけです。アーウェルサとのお互いの合意の上でこの施設が出来たのです。それも、ほんの数年前までの話ですけどね」
「何かあったのか?」
「話せば長くなります」
「じゃあいい」
そう言って高く伸びる空間を見上げる。天井は見えず、さっきまでいた場所も視認することはできないが、崩落している場所を登ればたどり着けるだろう。
俺はルノを探さなくちゃならない。長話をしているだけの時間はないのだ。
崩落によりできた傷はコントラクター特有の回復力と、自身の魔力で治した。優衣には傷一つ、ついていない。もちろん、そうなるように落下中に体をずらした。
「トリア様に事情があるのはよくわかりました」
視線をナデシコへと戻す。
「1つだけ、トリア様に確認したいことがあります」
「何だ?」
ナデシコが黒い瞳で俺を見据える。
「トリア様は人間ですか?天使族ですか?」
「人間だ」
即答した。即答したと同時に高く跳躍して近くの通路へと昇る。さらに通路を駆けてなおも上へ上へ。さっきまでいたところを目指す。
多分、俺が天使族と答えれば殺すつもりだったのだと思う。そんな、目をしていた。穏やかな、目を細めた笑みに宿った殺意を、俺は見逃さなかった。
俺としてもこれ以上時間を取られたくなかった。ナデシコは異世界民に対して絶対的な殺意を持っている。これは、ほぼ確定事項。だから、奴よりも先に探し出す必要がある。
ナデシコは追ってきていないだろうか。ちらと後ろを見る。・・・誰もいない。
―前だ。
頭に声が響き足を止める。
進行方向に不敵な笑みを浮かべたナデシコが立っていた。
「急いでいるようですが、何かありましたか?」
問いには答えずすぐさま進行方向を変えて駆け出す。それでも、ナデシコは俺の真正面へと現れる。
「まだ何か用か?」
「まだ何か用があるのにトリア様が突然駆けだしたのです」
否定はしない。肯定もせず次の行動を待つ。重心を後方に置いて何が起きても対処できるようにして。
「あなたの契約種様探しに、協力しましょう」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。耳を通して聞こえたその音の意味を理解したころには、怒りにも似た感情が沸きあがってきた。
願ってもいない願い。それでも、瞳に殺意を宿している以上そうやすやすと、はいお願いしますなんて言えない。
「何を企んでいる?」
「何も企んでいません」
嘘だ。そう直感する。
「ルノを見つけ、人間界の神として殺すつもりなんだろ?」
「立場上、致し方無いことです」
目から殺意が消え、悲しそうな表情で、認めた。
「そうか。だったらルノの居場所を教えろ。んでもって俺と共に行動しろ」
「承りました」
ん?なんだろう。たったそれだけの返事に何か違和感を覚えた。
「もしかして、ルノの居場所はもうわかっているのか?」
「えぇ、わかります」
さらっと言いのけた。
「どこだ?あいつはどこにいる?」
「落ち着いてください。ほら、深呼吸です。ひーひーふー」
それはラマーズ法だろとは言わず、内心イラつきながら大きく息を吸って吐く。タイミングを見計らってナデシコは言う。
「ここから少し上に、崩落した通路が見えますね?」
あぁ、見えるとも。俺がいた鉄の扉で封じられていたあそこだ。と、いうことは、
「あの先に、トリア様の契約種様は進んだようです」
やっぱりなと思うのと同時に何故?という疑問が浮かぶ。
「あの先に何かあるのか?」
「どうでしょう。何かあると言った報告は受けていませんが、何かあるのでしょうね」
わざわざ穴を塞いでいたのだからその可能性は充分考えられる。
通路を駆けのぼり崩れた足元に注意して開いた横穴へと足を踏み入れる。
ここに来た時と代り映えのしない岩石の道をナデシコと共に進み、やがて通路はその姿を変えた。ごつごつとした岩肌は平凡な金属でできたものに。
暗視が出来なければ真っ暗だったであろうこの通路は、生物を感知するセンサーでもあるのか、音もなく明るくなった。
あぁ、この感じ。懐かしいな。
脳裏に思い浮かぶのはアーウェルサの光景。数ある浮島の一つ。機械仕掛けの島『トリチェネムニーケ』。アーウェルサでも有数の多数の種族が住む栄えた島。
大きな建物と小さな建物が所狭しに並び、貧民層と富民層が明確に分かれ、国1つ分の規模を持つ。
軍事力では天使族の住む『エンジェリング』には劣るが、軍事力では勝る。
そんな島にあるあった建物の通路に、ここはよく似ている。
トリチェネムニーケは機械仕掛けの島という別称があり、アーウェルサで初めて機械族が誕生し、元は機械族しかいない島だった。つまり、機械族だけが栄えていた島だった。このタイプの通路は当時から使われている一般的な通路。
とまぁ、過去に俺が学習したことなのだが、それが事実ならこの通路を作ったのは機械族ということになる。
「ナデシコ、ここは知っていたか?」
「いえ、存じ上げません。報告も受けていないのでよく調べる必要がありますね」
「ルノがここを通ったのは間違いないんだな?」
「はい」
それだけわかれば充分。奥にどでかい魔力を感じるが、気にしない。気にしていたら前に進めやしない。
「んー、んん?」
腕に収まっていた優衣が小さく声を上げた。
明るくなったせいか、目を覚ましたようだ。
「・・・お兄ちゃん、どこ?逃げて!」
通路に反響する優衣の叫び声。ビクッと反応する小さな体。
「・・・あれ?」
明らかに困惑した声。
優衣は俺の首に回した手を離し通路に降りた。そして、俺の顔を見上げると不思議そうに首を傾けてこう言った。
「・・・何かあった?」
「そりゃこっちのセリフだ」
優衣と目線の高さが同じになるようにしゃがむ。
「何かあったか?」
「・・・夢を見たの」
夢?
「・・・子供の集団に襲われる夢」
「何だそりゃ」
んー、と優衣は考える。
「・・・わかんない。忘れちゃった」
言いながら俺の目をじっと見つめた。
「・・・どこにもいかないで?」
「んーっと、よくわかんないけど。お前を一人ぼっちにはさせないさ」
そう言って小さな体を抱きしめた。
本当はこの言葉の真意を探りたかったがそんなことはできなかった。・・・この場にいたはずの、もう一人の黒髪が姿を消していた。
「あいつ、何処に行きやがった」
抱擁を解いて、立ち上がりながらつぶやく。
「・・・あいつ?」
俺の手を取った優衣が見上げて訊ねてくる。
「ナデシコだ。お前が起きる前までここにいた」
言いながらハッとする。
「優衣が起きてから姿を消したってことは、優衣に会えない事情でもあった・・・?」
「・・・お兄ちゃん?」手に力がこめられる。
「いや、何でもない」
考えすぎか。あいつが姿を消したのは気になるが、とりあえず今はいい。
「急ぐぞ」
「ひゃ」
驚く声を無視して優衣を抱きかかえると、懐かしの通路を全力で駆け抜けた。
何度も左右に曲がり、ゆるい傾斜の坂を上下し、特別なことは何も起こらずまがい一本道はあっという間に終わりを迎えた。
入ってきたときにも見た鉄の扉。同じように魔力を流し込むと、ゴゴゴゴゴと重圧な音を響かせて中心から左右にゆっくりと開かれる。と同時に鼻を刺すような薬品の匂い。
「ここは?」
鼻を抑えながら開かれた空間へと足を踏み入れる。
またしても薄暗い空間。広くはない。が、狭いというわけでもなく、用途の分からない機械類や試験管にビーカーといった実験器具が乱雑に置かれている。まるでここで嵐でもあったのではないかと疑いたくなるほど荒れた、何かの研究室。
部屋を見渡すと入ってきた扉とは反対側に同じような扉があるのと、微かに光る大きな塊が目に入った。
「魔晶石、か」
優衣を抱きかかえたままそれに近づき呟く。
部屋の中央にそれは浮いていた。
魔晶石というのは魔力が結晶化したもの。見た目はありふれた宝石だが、色が常に変化する。青が赤に。赤が黄色に。目が回りそうなほど色を変え続ける宝石。
「『インパクトクラッシュ』」
魔晶石に片手をつきそれを粉々に粉砕する。そして、散らばった欠片の1つをポケットに突っ込み入ってきた方とは別の扉に向かう。
―カタッ、不意にそんな音を耳にした。
音の出所はギリギリ視界の隅に映っていた机。そこに、白く長い髪の何かがいた、ような。
まさかと思い目で追うと、その姿はなく、いつの間に現れたのか人間の子供がたくさんいた。
背丈も、年齢も、性別も異なる大勢の子供たちの顔は皆、怒り、憎しみ、憎悪の闇に染まっていた。
「・・・お兄ちゃん、囲まれてる」
耳元でそんな声がした。微かにだが優衣の体が震えている。
ぎゅっと安心させるように抱きしめ、足に魔力を込める。
あいつらは、敵だ。普通に考えるとこの場所に人間なんているはずがない。いるのは、人間によく似た別の何か。人間の形をした怪物。その証拠に、ビリビリとした殺意のこもった魔力を肌で感じる。
「そぉれ!」
掛け声と共に床を蹴る。囲まれていようと関係ない。重心を低くしドアに向かって体当たりする。
一般的な人間には目で追えない速度で。
一般的な建物には耐えることのできない衝撃で。
しかし、それは防がれた。
一般に含まれない怪物と建物に。
「グッ」
右肩に矢が刺さっていた。左腿が槍に貫かれていた。脇腹が切り裂かれていた。
攻撃を受けてもなお、俺の体の勢いは止まらず、そのまま扉に衝突した。
腕の中を見る。優衣にけがをしている様子はない。
とりあえず、受けた傷を全て治療しあたりを見渡す。それぞれが武器を手に焦点のあっていない目で俺を見ている。薄暗いのもあり、なんだかホラーゲームの世界に入ったかのような感じがする。
こいつらは何だと自分に問う。正確には、内なる存在に。
―魔性生物か改造を施された人間。
という回答がすぐに返ってきた。
魔性生物は魔力によって生み出された生物。人工的に作ることが可能。また、魔力濃度が高い場所なら自然に発生することもある。が、今回のケースでは違うだろうと判断する。ここは見たところ研究室。人間界産の魔晶石もあるため、人型の魔性生物を生み出していることも否定することはできないが、ここにいる奴らがもつ魔力は魔性生物が持つそれじゃない。
と、言うのも。魔性生物をつくりだす最低限の条件として混じりっ気のない純粋の魔力であることが求められる。
誰もが、人間でも持つ魔力と言うものは、あくまでもエネルギー。これに属性やら特別な性質を付け加えることにより『ブレイズ』や『インパクト』といった名前のある1つの魔力となる。
魔性生物を作るにはこの1つの魔力と言うものが必要。この1つの魔力は複合魔力でもない限りは純粋な魔力となる。
つまり何がいいたのかといえば、人間が元から持っている魔力に名前を持った一つの魔力が混在し、一つの純粋な魔力ではないということ。
結論。ここにいる子供たちは魔性生物ではなく、改造を施された元人間。
無性に腹が立ってきた。この子らは元々普通の人間だったはずだ。それなのに、魔力を扱えるように、武器を扱えるようにされた。この施設のせいで。
この子たち以外に誰かがいる様子はない。しばらく使われた形跡もない。なら、壊しても文句は言われない。
「『ブレイズ・オブ・エポレイ』」
片手を目の前にあった扉へとあて、部屋の中心ほどのところに巨大な火の玉を出現させた。
そして、俺は火の玉に背を向け、この部屋から出て扉を閉めた。
ガンガンと扉が叩かれる音を聞きながら、魔力を発動する。
「『インパクト』」
大地を揺るがす轟音。バランスを崩しそうになりながらも先に続いた通路を行く。
元人間を、俺は殺した。
コントラクターは、魔力が使えていても人間だと妥協して殺そうとはしなかった。
過去は過去。今は今。さっきの子供たちは、人間の形をした別の何かに変えられていた。罪悪感も後悔もなくていいはずだった。それなのに、今の俺の心を支配しているのは、悲しみと、怒り。
元人間に対する悲しみと、改造を施した者に対する怒り。いや違う。
人間であったものを殺してしまった自分への悲しみと怒り。
「俺は、どっちなんだよ」
悲壮にくれた声が通路に反響する。
生じたのは、迷い。
「・・・お兄ちゃん?」
「なぁ優衣。俺は人間として振る舞うべきか?それとも天使族として振る舞うべきか?」
返答は期待していなかったし、返答もなかった。ただぎゅっと、腕に力が籠められ、それが心の安らぎになった。
「本当に、何をしているんだろうな」
誰に向けたわけでもない。ただの独り言。
正直。人間であるかどうかも、もう、どうでもよかった。
俺は、自分自身が生まれ育った故郷に帰りたい。帰りたがっている。
16年―今月で17年―生きていた世界と、1300年と少しを生きてきた世界。実際、アーウェルサとこっちの世界では時間の流れ方は違うが、それでも長く生きていることに変わりはない。大事な世界がどっちなのかを問われれば、そんなもの一目―。
「お兄ちゃん!何か来る!」
優衣の叫びで思考を中断する。
「何かって」
何だ?と聞く前に、それを感じ取った。
背後から何か強大な魔力の塊が、ものすごい速さと凄まじい音を上げて近づいてくる。
後ろを振り返ると、さっき爆破した研究室からたくさんの子供が溢れ出てきていた。ただし、人間の姿はもうしていない。人間をベースにした、新たな魔性生物。ということにしておこう。
「優衣、目ぇ閉じてろ」
ゆっくりと、来た道を戻る。
目を閉じて、体内の隅々に至るまで魔力を循環させる。あの時のように。俺が、人間じゃなかった時のように。
目を、開ける。
醜い形をした人型の何かがすぐそこまで迫っていた。それでも慌てることなく呼吸を整え体内の魔力を高める。
背中から白い翼が生えた。頭上に光の輪が現れた。直接目にしたわけじゃない。自分の体のことはよくわかっている。
あぁ、そうだ。この感じだ。
なつかしさで胸がいっぱいになる。
「すぐ、楽にしてやるから」
皮膚は爛れ、人間であった頃の名残は二足歩行のみという、一言でいうなら気持ち悪いこの生物たち。顔はあるものないものがいるが、あるものの顔はみな、苦しそうに歪んでいる。手足は肥沃化し、体とのバランスが悪い。
「次に生まれた時は、楽しく平和に生きてくれ『ブリリアント・レイ』」
通路を埋め尽くさんばかりの白く輝く魔法陣が形成され、通路を光の線が包み込む。そして、光に包まれた怪物たちは姿を消した。
「ふぅ。なんとかッ!?」
安心したのも束の間。頭に激痛が走る。
『殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス殺ス』
なんだ、これ。
背中の翼と頭上の輪が消えた。それと同時に、俺の意識もまた、闇に落ちた。
バタっと小さな衝撃を受けてから優衣は目を開けた。
お兄ちゃんが仰向けに倒れていて私がその上に座っている。
体をゆすってみる。反応なし。顔をペタペタと触ってみる。これも反応はない。耳元で「朝だよ」とささやいてみる。やっぱり反応はない。いつもなら反応するのに。
さてさてどうしたものかどうしようか。お兄ちゃんは完全に疲れ切っている。このまま寝かせてあげた方がいい・・・のかな。お姉ちゃんも探さなくちゃいけないのに。
ずきりと頭が痛んだ。
お兄ちゃんに話した不思議な夢。お兄ちゃんが、妖精族の集団に襲われる夢。夢だというのに、なぜか印象深くて、忘れられなくて、またズキズキと頭が痛む。
―コツ、コツ、コツ。
足音がした。無音のこの通路で何度も反響しやけに大きく聞こえる。
通路の先の方。薄暗い中でよく目を凝らしたけど何も見えない。それでも、足音は確かに近づき、身を固くする。
―ポン
「きゃ!」
いきなり肩を優しくたたかれ思わず声が出てしまった。
「・・・誰?」
恐怖に心を支配されながらも、かすれた声でそれだけ絞り出す。
「驚かせてしまい、申し訳ありません」
背後から静かで優しい女の声がした。
「私の名はナデシコ。日本の神です」
ナデシコ。日本の神。お兄ちゃんが言っていた黒髪の神様。その姿を見ようと首を動かそうとしたが、動かなかった。えーっと、金縛り?にあったみたいに。
「素晴らしく的確な表現ですね。あなた様に姿を見られるのは少々都合が悪いのです」
何でだろう。まったく心当たりがないんだけど。
「お気になさらないでください。それよりも、あなた様がお座りになっているその男に伝言をお願いしたいのです。『あなたの探し人は因縁の夢の中にいます』と」
聞き終えたと同時に体が動くようになった。後ろを振り返ってみたが、そこには当然、誰もいなかった。
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