第1章~娯楽施設にようこそ~

 今から800年前のこと。

 異世界アーウェルサにて魔族と神民による戦争が行われた。

 後に聖魔大戦と呼ばれるこの大戦は魔族側の勝利に終わり戦場に駆り出された神民はただ1人を残して全滅。

 当時の神は妖精族の女王フロール・セミルと言った。

 そして、彼女こそが聖魔大戦を起こした張本人なのだが、そんな彼女も大戦終了後に姿を消した。

 それから800年。

 聖魔大戦唯一の生存者である俺のもとに今まで音信不通、生きているのかさえ怪しかった彼女の居場所が分かったとの連絡が来た。

 が、居場所が分かったという報告だけで肝心のどこにいるのかは教えられずに頭を悩ました。

 仮に居場所を教えられたとしてもそこは異世界だろうから今の俺には会いに行くことができない。

 だが、ここ最近は異世界民がこちらの世界に来るという事例が多発している。だから、もしかしたらというわずか希望もあった。

 連絡を受けてから1週間。

 異世界民だとごく一部にばれ、さらには危険視されてしまった俺は生徒会長の命により高校を退学処分となった。

 学生から無職へとジョブチェンジし、その1週間の間に現在進行形で行われている征服ゲーム、もとい殺し合いゲームを進めたというわけでもなく、わずかな希望に賭けて妖精族の女王を探し回ったわけでもない。

 この1週間を何もせずに過ごした。

 最低限の生きるための営みをしていたものの、ニート的自堕落生活を送っていた。

 さて、そんなこんなで9月最後の日曜日。季節は完全に秋へと移り変わり吹く風も冷たくなった。

 耳に心地よく響くジャズミュージックを聞きながらホットコーヒーをすする。

 コーヒー豆のいい香りと共に体の芯からじんわりと温まる。

 ここは喫茶店メルゴ。俺の行きつけの店。

 買い物に行く以外外に出ず1週間を過ごした。だが、忙しいことに慣れていた俺は暇を持て余し、退屈と言うものに飽きてしまった。

 だから今日はここのマスターに最近のこと、セミルについての報告をするついでに、同じく暇を持て余していたロリ悪魔ことルノと、血のつながらない妹、優衣を連れて暇つぶしに来ていた。

 ちなみに、ここのマスターである土井タケル・・・タケさんにはここに来た時に報告すべきことをすべて報告した。

 学校の話題には大変驚いた様子を見せたが、セミルの話題には「そうか、よかったな」と興味なさげに言った。まぁ、当然か。タケさんとセミルには一切の面識がないのだから。

「なぁタケさん」

「ん?なんだ?」

 いつもの定位置、カウンター席の1番端にはルノが座り、その横に座る俺は向かいに立って皿を拭くマスターに聞く。

「この店っていつ繁盛しているんだ?」

 ピタッと動きを止めるタケさん。

 今現在、客は俺、ルノ、優衣のたった3人。これはさして珍しいことでもなく。俺がここに来るときは大体そうだった。たとえ午前中であれ、お昼時であれ客がいないことが普通だ。

 ただ、飲食店においてそれは良いことではない。見たことはないが雑誌に取り上げられたこともあるらしく、知名度も決して低くはないはずだ。だからこそ昼食時のこの時間に俺ら以外の客がいないのが不思議でしょうがない。それに、この店にはバイトが1人いるはずなのにその姿もない。

「奏太、一応聞いてやるがこの店の開店時間、閉店時間。それと定休日を知ってるか?」

 質問に質問で返すのはマナー違反だと以前誰かが言っていた。そのことを口にしようと思ったが、タケさんが呆れたように見ていたのでやめた。

 真意のほどは分からないが答えてやろう。

「年中無休の24時間営業だろ?」

「ここはコンビニじゃねぇんだよ」

 すぐさま突っ込みが飛んでくる。

 冗談で言ったのだが、実際のところ答えられなかったから冗談を言った。

「ったく。いいか?ここは午前10時に開店し、1度14時に閉店する。その後1時間を休憩と準備に使い15時に再開店。19時半に閉店する。定休日は水曜日と日曜日だ」

 なるほど、よくわかった。

「今日は日曜だから定休日ってわけか」

「そう言うことだ。にしてもよく今まで知らずに来てたな」

「興味なかったからな」

「いや、そこは興味どうこうの前に知っとけよ。あ、そう言えば奏太。知ってるか?」

「知らない」

「そりゃ何も言ってねぇからな!で、お前は1回だけ定休日にしか来たことがないんだぜ?」

 知らなかった。というか、マジかよ。

「本当に1回だけか?」

「あぁ、1回だけだ」

 結構長いことこの店には来ているが営業日に1回しか来たことがなかったのか。そして、その唯一の1回をちゃんと覚えていた。

「俺が元コントラクターを集めてお前の正体を明かした時か」

 俺の呟きにタケさんは頷く。

 やっぱりそうか。でも、あの時も途中で臨時休業にしていたっけな。

「懐かしいのぉ」

 隣に座るルノが水に浮く氷をつまようじでつつきながら言った。

 あれから2か月が経とうとしているが、ゲームの進捗はどちらかと言えば順調だろう。

 こちらから仕掛けることこそないが、それでも順調にコントラクターを減らしている。この調子ならいろいろな奴との約束を果たすのも近いだろう。

「・・・ねぇお兄ちゃん」

「ん?どうした?」

 ルノと反対側の隣に座り、ルノと同じように水に浮く氷をつまようじでつつきながら話しかけてきた。・・・それは子供の流行なのだろうか。

「・・・妖精族について、知りたい」

 突拍子もな・・・くもないか。優衣はファンタジーなものが好きだったはずだ。

 だが、一言「知りたい」と言われても何を話せばいいのやら。難しい話は理解できないだろうし、けれども異世界に関わることとなるとその内容は自然と難しいものになってしまう。

 とりあえずセミルの話をして、足りないところを補足すればいいか。

「まず、背中には蝶のように美しい羽根を生やしている」

 その一言で優衣は目をキラキラさせる。

「いたずら好きで自由気まま」

 これはセミルが心を開いてからだが、よく剣を隠されていた。

 王女として、神として高貴に振る舞っていたその裏での無邪気な姿がセミルの本来の姿なのだという。

「・・・あとは?」

「そうだな、妖精族は大人になっても容姿はお前みたいな子供だ。背丈は小さくて15cm大きくても130cmくらいかな。それから、寿命がない」

「・・・不死身?」

「いいや、そうじゃない」

 俺の返答に優衣は首を傾げる。

「妖精族は病気にかかることはないがけがはする。単に歳をとって死ぬことはないんだ」

 さらに首を傾げる優衣にこの話はまだ難しかったかと苦笑しコーヒーをすする。

 異世界民について話すのはやはり難易度が高い。相手が小学生となるとさらにその難易度は跳ね上がる。

 夢を壊すようなことは言えないし、存在もしない夢のようなことを話すことも出来ない。

 ふと、視線を感じた。

 優衣が俺の顔を見上げている。難しくてもいいから話してくれ。そう言われているような気がした。

「仕方ないな」

 コーヒーで喉を潤し俺は話を始める。


 妖精族。

 その容姿は人間の子供。成体でも小さくて体長15cmから大きくても130cmほどとまちまちではあるが、彼女彼らは揃って蝶のように美しい羽根を背中に生やしている。

 植物に宿る精霊とされ、どのように誕生するのかは明らかになっていない。

 そして、寿命がない。正確にはそう言った概念がない。

 妖精族が死ぬにはけがをして体の機能を失うか、「生」と言うものに飽きるか。

 もう生きたくない。そう思ってから3日たたずに消滅するらしい。その消滅こそが妖精族の寿命とされている。

 けがの場合を除外すると、彼女彼らは最も早く、最も遅く寿命が訪れる種族と言える。

 生きる目的があろうとなかろうと、それを見つけて楽しむ種族ではあるので500年以内にけが以外で死んだという記録は俺が向こうにいたころにはない。

 生まれながらに持つ魔力。いわゆる種族の固有魔力は『ベジテーション』。植物を操ることのできる魔力だ。過去に何度か目にした『イヴィウィップ』。蔦の鞭もこの魔力があって初めて使うことができる。


 さて、妖精族の主な概要としてはこんなものだろう。他にも秘術だったり種族特有の特性だったりとあるが、一先ずここまでにしておこうと思う。

 案の定、優衣がキャパオーバーし目を回していたからだ。

 あたふたしている優衣の頭に手を置いて落ち着かせると、残っていたコーヒーを全て胃袋へと流し込んだ。

「そういえば奏太」

 空になったコーヒーカップを回収し、洗いながらタケさんは言う。

「遊園地と動物園の複合施設が最近できたのを知ってるか?」

「ん?あぁ、知ってるけど」

 なんでも北海道一の施設になるだかで完成前から話題となり、完成直後には来場者5千人越え。と、テレビの情報番組で見た。

「その施設がどうかしたか?」

「実はな」

 と言ってタケさんは休憩室へと消え、戻ってきたその手には5枚の紙切れが握られていた。

「あの施設の無料招待券なんだが、いらねぇか?」

「はぁ、なんでまたそんなものを?」

「そこのお偉いさんがここの常連でな」

 それでいただいたと言うのか。

 しかし5枚か。俺とルノと優衣で3枚。

「2枚いらないんだけど」

「俺は1枚もいらないからなんとか処理してくれ」

 なんて無茶なことを言う。

 どうしたものか。まず頭に浮かんだのは同じクラスだった双子の姉妹。あの2人ならきっと貰ってくれるだろう。

「・・・ねぇ、それ、友達を誘ってもいい?」

 優衣がチケットを手にそんなことを言ってきた。

「お、いいぞ。何人だ?」

「・・・1人」

 ・・・1人か。2人と言ってくれれば券の処理に困らないのだが、と考える俺はふと思った。優衣の交友関係についてあまり触れては来なかったが普段の話を聞く限りだと俺の知る人物かもしれない。

「その友達ってさ、天城由樹のこと?」

 その問いかけに優衣は黙って頷いた。

 その瞬間、5人目の券の貰い手も決定した。


 さて、例の施設に行くと言うのは次の週の日曜日。現地集合ということになった。

 たった1週間。7日の間で9月は終わり10月となった。それに伴って秋はさらに深まり、よりにもよって今日は昼から冷え込むと言う。

 風は冷たく吹くたびに身震いしてしまうほどだ。

 もう少し厚着すればよかったかなと思っていると、また冷たい風が吹いた。それから逃れようとする影が1つ、2つ、3つ・・・4つ。

 右へ動くと同じように影も右へ動く。

 左へ動くと同じように影も左へ動く。

 勢いよく振り返ると4つあった影のうち2つは楽しそうにニコニコと笑顔を浮かべ、1つは恥ずかしそうに薄ら笑いを浮かべていた。残る1つは背中にしがみついていた。

「お前ら、人の後ろで何をしてるんだよ」

「ちょっと奏太を風除けにしようかなぁと」

 俺と同い年の女の子、天城由香が気まずそうに目を逸らしながら言う。

 それをガン無視し、ニコニコしている女児2人へと目をやる。

「・・・かくれんぼ」

「です!」

「そ、そうか」

 目をキラキラさせて眩しい笑顔を向ける優衣と由樹に気圧され何もいえなくなる。

「やっぱり奏太ってロリコン」

 由香が何か言っていたが無視して背中にいるルノをチラッと見る。

「お前はいつから俺の背中に居たんだよ」

「ここに来た時からじゃ」

 ここにきてから既に10分以上経っているが全く気づかなかった。ルノもそれなりに厚着をしているのに軽すぎるんだよ、お前。

 まぁ、今はそんなことはどうでもいい。

 大きな門の中央にいる係員に無料券を渡し施設へと入場する。

 この施設の広さは東京ドームおよそ4個分。と言っても東京ドーム1個分の大きさをよく知らないため3個分と言われても5個分といわれても俺は納得してしまうだろう。とりあえず、広いということだけは伝わってほしい。

 入場すると横幅が10mほどで中央には屋台が並ぶレンガ造りのメインストリームが現れた。並んでいる屋台にはお土産や片手間に食べられるものが売られている。さらに、イスとテーブルも置かれていて食事もここでとれるようになっている。

 入って右手側にあるのが動物園。左手側に遊園地がある。

 施設の開園から2週間たった今でも客数は多く賑わいを見せている。久しぶりの人ごみに俺は目を回しそうだが。優衣も由樹も、由香までもが目をキラキラさせて辺りを見渡していた。

 その光景に俺とルノは顔を見合わせてくすりと笑う。

「ガキじゃな」

「あながち間違ってもないかもな」

 高校生が混ざっているけど。

 天城由香は優衣の同級生である由樹を妹に持ち、中学校の3年間、それから高校の1年と少しを同じクラスで過ごした。

 だからと言って特別なことは何もなく、仲がいいのかと聞かれれば人並み程度。話すことも滅多になく友達と言えば友達なのだろうが、ただ付き合いが長いだけの知り合いのようなものだ。

 と、こちらが一方的に思っているのであって由香が俺のことをどう思っているのかは知らない。知ることも今ならできるが知りたいとは思わなかった。興味がなく、由香が周囲から奇特な目で見られていても関係ないやと切り捨てられるほどの関係だ。

 だから、小学生2人と一緒にはしゃぎ周囲からの注目の的となっている彼女を彼女自身がそれに気づくまで放置しておくことも出来る。というか、そのさまをどこか影から見てみたいなと言う気もあった。

「Sか」

「そうだけど?」

 今更自分にサディスティックな一面があることを否定するつもりはない。

 だが、これから共に行動するのなら、俺は恥ずかしい子と一緒に歩くということになってしまう。それは正直に嫌だ。

 そっと気配を消し、はしゃぐ由香の背後へと周り、痛みをわずかに感じる程度に加減してポニーテールの生えた茶色い頭をはたいた。

「痛っ!何!?」

「何!?じゃねぇよ。はしゃぎすぎだ高校生」

 言われてやっと自分がどういう状況にいたのかを理解したようで、顔を赤く染めた。

「ご、ごめん。こういうところって初めてだからテンション上がっちゃって」

 本当に申し訳なさそうに委縮する由香。

「まだ入り口だぞ?騒ぐのはまだ早い。・・・まぁ、気持ちはわからなくもないけどな」

「え?」

「こういうところに来るのは記憶の中じゃこれが初めてだからな」

 記憶を失う前に行ったことがあるかもわからないが、多分初めてだと思う。

「さて、優衣、由樹。どっちから行こうか」

 はしゃぐ2人は揃って動物園の方を指差した。

「ん、了解。そんじゃ行こうか」

 迷子になってはいけないからと俺は優衣の、由香は由樹の手を取り動物園へと足を踏み入れた。ちなみに、ルノは歩く気が全くないようでずっと背中にしがみついている。

 動物園に入ってすぐに俺たちを出迎えたのはピンク色の体毛を持つフラミンゴの群れ。水鳥であるフラミンゴたちのためにやや大きめの湿地と陸地が用意され、逃げられないように緑色の網で囲まれていた。このなかに全部で50匹ほどが退屈そうに羽を休めていた。

 優衣、由香、由樹の3人は網のギリギリまでより、その姿を眺めていた。

 俺は動物園に来たことこそ初めてであったが、フラミンゴを見るのは初めてではないことを思い出した。

 獣人族。

 アーウェルサにいる1番人間に近い種族だ。人間と動物の力を併せ持ち人に限りなく近いものもいれば、人型ではなく4足歩行の者もいる。

 一応補足しておくと、アーウェルサにいる動物と言うものは人間界にいるものとは大して変わらない。種類的に言えば断然アーウェルサの方が多い。

 こちらの世界に犬がいる。その犬がアーウェルサでは突然変異で首が3つに増え、俗にいうケルベロスへと変化した。4本足のヤモリが8本足になる。カラスに第三の目が開眼する。エトセトラエトセトラ。数えたらきりがない。

 話を獣人族へと戻そう。

 彼女彼らはアーウェルサの送られた人間の魂はアーウェルサにいる動物の魂と同調して誕生した種族だ。

 動物の数が多種多様。故に獣人族の種類も多種多様。魚の特徴を持つ魚人族。人間の上半身に動物の下腹部を併せ持つ上人族。そして、鳥の特徴を持つ鳥人族。この3種が獣人族の多数を占める。他にも虫人族、爬人族など数は多くはないが確かに存在する。

 俺が昔見た鳥人族の中にフラミンゴをベースにしたやつがいた。

 知り合いと言うわけではなく、ただ遠巻きに見たことがある程度だがピンクの体毛に覆われ、腕に翼も手もあるという奇妙な容姿をしていたのを覚えている。

 だから、見たのは本物のフラミンゴでこそなかったが、あれがフラミンゴなのかと当時は納得していた。

 本物を見た感想としてはなんとなく予想通りとしか言いようがなく、特別珍しいという気もしなかった。

 ここで俺は動物園に来たことを後悔し始めていた。

 動物園には多くの動物がいる。当然だ。動物園なのだから。動物園に動物がいなかったらびっくりだ。

 俺は異世界民。獣人族のこともよく知っている。故に、動物をみているとその動物をベースにした獣人族の姿が思い浮かび、その時の情景が思い出される。

「・・・た」

 それはパトロールの時。馬ベースの獣人族の子供がチャンバラごっこをしていた。

「・・・なた」

 それは、紛争地帯を訪れた時。蜂ベースの獣人族が蜜を分け与えていた。

「奏太!」

 名前を呼ばれて我に返る。

「ん?なんだ由香か。どうかしたのか?」

「それはこっちのセリフ。急に考えこんじゃってたみたいだし」

 由香に言われて気付く。周りを見るとそこは最初に来たメインストリート。後ろを見ると動物園。

 いつの間にやら動物園を一周し戻ってきていたらしい。それに気づかないほど俺は考え込んでいたということか。

「あのさぁ、何を見たのか覚えてる?」

 少し不安そうにそう聞かれ、

「ライオン、トラ、チーター」

 と答えた。なんとなく、見たような気がする。

 由香には「メダルで変身しそうな組み合わせだけ覚えているんだね」と苦笑されたが、見たという事実はあるらしい。

 頭がいまだぼんやりとするなか設置されていた椅子へと腰掛ける。

 丸テーブルを囲むように置かれた椅子に時計回りで俺、ルノ、優衣、由樹、由香の順で座る。

 優衣と由樹はライオンが強そうだった。ペンギンが可愛かったと感想をのべ、由香は微笑ましいなぁという風に目を細くして見守る。

 ルノは退屈そうにあくびをかみ殺し、俺は長く細いため息をはいた。

「どうしたんじゃ?」

 目をこすりながらそう訊ねてくるルノに、

「ちょっと疲れただけだ」

 と笑って答える。

 2週間前。異世界民である俺はこっちの世界では人間でいることを決めた。

 人間でいるといっても持っているこの肉体も記憶の大半も天使族のものだ。

 だから時々思う。

 人間とは何なのかと。

 だが、その答えはどんなに考えても見つかりそうにない。

 人間は自らの意思で魔力をつかうことが出来ない。身体能力が高いというわけでもなく、目立った外見的特徴ももたない。

 天使族を含めた異世界民はすべてにおいてその逆だ。自分の意のままに魔力を操り、程度に差はあれど人間とは比べ物にならない高い身体能力を持つ。天使族には頭の上に輪、背中に羽。魔族には角と言う風に何らかの形で外見的特徴が現れる。

 俺は基本的には邪魔でしまっているが羽も輪もある。ルノには角がないが、これは体がまだ幼体なためだ。心身の成長と共に魔族の角も成長する。体の呪いが解ければルノの頭にも角が現れるはずだ。

 さて、人間族である堀井奏太と天使族であるアーク・トリアは同一人物だ。

 人間界にいる自分を堀井奏太とし、アーウェルサにいる自分をアーク・トリアとする。

 だから、人間界にいる俺は人間族だ。人を殺さない、人間性を持った人間。それで一区切りつけたのが2週間前。

 そのあいだ、ルノとタケさん以外の異世界民と関わることはなかった。

 だから油断していたのかもしれない。

 ただの動物を見て、アーク・トリアであった頃の記憶がよみがえる。予想も想像もしていなかった事態に疲れてしまった。

「ルノー。あの術をかけてくれないか?」

 あの術と言うのは、ルノが使うことのできる直前に考えていたことを忘れさせる術のことだ。

「はぁ、しょうがないのぉ」

 ルノはそう言って詠唱をはじめ魔力を紡ぐ。そして、黒い魔法陣が作られそこから放たれた黒い矢が俺の額に刺さり消滅した。

 すぅっと何を考えていたのかを忘れる。

 初めはこの感覚が大嫌いだった。でも最近はこの術をかけてもらい考えるということを強制的に終了させるようにしていた。じゃなきゃ、俺は潰れる。

 頭がスッキリし、誰かのお腹が鳴ったのを耳にした。

 遊園地に動物園。たくさんの人。決して静かではないこの環境下で小さなその音を耳にできたのは自分が人間じゃないからなんだろうなと苦笑する。

 実際、由香、由樹、優衣の3人は誰かのお腹が鳴ったことに気付いていない。

 気づいているのは異世界民である俺とルノだけだった。

「そろそろ良い時間だし、何か食うか?」

 お腹を鳴らした奴を放っておくのもかわいそうではあるのでそう提案する。

 スマホで時間を確認してもすでに1時を回っていたし、俺も少しだけお腹がすいていた。

「・・・そういえば、お腹すいた」

「そうだね。楽しすぎて気づかなかったけど」

 そう言ってお腹をさする小学生組。

「私、何か買ってこようか?」

「いや、俺が何か適当に買ってくるから妹たち見てな。ルノ、お前は一緒にこい」

「うむ」

 俺が立ち上がり、自然な流れでルノが背に乗ってくる。そのまま何か言いたそうにしていた由香を無視して雑踏へと足を踏み入れた。

「ありがとな」

 焼き鳥が売られている屋台に並んでいると、背中のルノがボソッと言った。

「何のことだ?」

 財布の中身を確認しながらとぼけて見せる。そういえばここに来る前タケさんから小遣いをもらったから金銭的余裕はまだあるな。

「奏太のそう言うところ、好きじゃ」

「そりゃありがとさん」

「なんじゃ、思ったよりも反応が薄いのぉ。がっかりじゃ」

 その言葉に反して残念がった様子はない。少しからかおうと思っただけなのだろうなと予想する。

「でも、ありがとな。奏太が何も言わなきゃ我は腹ペコで死んでいたかもしれん」

 大げさな物言いだ。確かにあの雰囲気の中で言い出すのにはそれなりの勇気がいるかもしれないが、

「俺もお腹がすいていたからな」

 あくまで自分のためにやったのだと主張する。

 焼き豚、焼き鳥を10本ずつ購入、ついでに焼きおにぎりも買い次の屋台へと向かう。

 びゅうっと風が吹き頬に当たる。

 天気予報通り冷え込んできたな。何か温まるようなものでも、と探していると恐らくこの季節限定であろうおでんの出店を見つけた。

 若干混んではいたが背に腹は代えられないというやつだ。寒さを我慢して並び、10分ほどして卵、こんにゃく、大根、巾着等を購入し由香たちのいる席へと戻った。

「おかえり~」

「ただいま。とりあえず焼き豚と焼き鳥、焼きおにぎり。あとはおでんを買ってきた」

「お、いいね。ちょうど冷え込んできたし」

 そう言いながら由香は俺から昼食を受け取りテーブルに並べ始めた。

 その間に俺とルノは元の席へと座る。

 そして、細く長いため息。

 ・・・疲れた。

 人が多い場所に来たのが久しぶりだからか。あとは寒いからか異常なまでに疲れている気がする。

「じゃあ食べようか」

 箸と皿が配られ、冷たいに風に吹かれながら昼食をとった。


 その後気温はどんどん下がり、遊園地はまたの機会にということにということになった。

 だからこのままお開きになると思ったのだが、由香が無料券をくれたタケさんにお礼を言いたいと聞かず、どうせ暇だからと俺もついて言った。

 今日は日曜日でメルゴの定休日であったがタケさんはそこにいてドアに鍵もかかっていなかった。まぁ、それが俺の中では普通なのだが。

「お、奏太いらっしゃい」

 普段俺が座っている定位置で新聞を広げていたタケさんは突然の来訪に驚く様子もなく顔を上げた。タケさんにとっても俺が定休日に来るのが普通なのだ。今更驚くはずもない。

「ホットコーヒー」

 いつものように注文しながら、今日は6人掛けのボックス席へと腰をかける。

「あいよ。お嬢ちゃん方は?」

 メニューを見ながら由香はカプチーノを、ロリっ子3人はホットココアを頼んだ。

「ちょっと待っててな」

 そう言いタケさんはカウンターに入り作業を始めた。

 由香がその姿を見つめているのが視界に入る。

 タケさんは外見ならイケメンの部類に入る。雑誌でもイケメンバリスタとして紹介されたらしく、見た目に騙される女性も少なくない。

 ただし中身は良いとは言えない。自分が女性からよく思われているのをいいことに何人もの女性と付き合ったことがあるとか。多分嘘だと思うけど。

 どちらにせよ由香には言えないなと思いながらゲーム用に貰った端末の電源をつけた。

 他のコントラクターの情報を得るためだ。

 日本にいるコントラクターの数は俺を入れて7人まで減っていた。確か前見た時よりは13人。半分ほど減った。

 思っていたよりもゲームの進行が速い。もしかしたら今年中。約3か月以内に日本の征服は終わるかもしれない。と、なると俺の身も安全な状況にあるわけでもない。いつだれが来てもいいように対策をしといた方がいいかもしれない。

 そう決めたのと注文した品が届いたのはほぼ同時だった。

 トレイに乗せて運んできた飲み物をテーブルに置き立ち去ろうとしたタケさんを、

「あの、マスター!」

 由香が呼び止めた。

「ん?どうした?」

 背を向けていたタケさんは営業スマイルを浮かべてゆっくりと振り返る。

 目を細めた穏やかな笑み。

 作り物とは思えないほど自然に張り付いた偽物の笑み。

 俺はそれが大嫌いだった。

 由香が「ありがとうございました。有意義な時間を過ごすことが出来ました」と礼を述べているのを見ずに、目を閉じてコーヒーの香りを楽しんでいるふりをした。

「で、奏太は?」

「へ?」

 突然タケさんに呼ばれ目を開ける。目の前に座る由香が頬を紅潮させているのはタケさんと話しているからだろうか。

「だから、デートは楽しかったかって聞いたんだよ」

 あぁ、なるほどデートね。・・・デート?

「あの、マスター!私と奏太は決してそう言う関係ではなくて」

 顔を真っ赤にしていた原因はこれかと納得した。

「正直、ほとんど覚えてない」

「緊張でか?」

「ちげぇよ」

 過去を思い出してしまうからとは口が裂けても言えない。

 異世界民あり危険視されたために学校を退学となった身ではあるが、俺の正体を知っているのは学校にいる中でもほんのひと握りほど。そのひと一握りの中に由香は含まれていない。一身上の都合で退学したということになっているはずだ。

 異世界民であることを意地でも隠したい俺が過去を思い出すからと言えば由香からの追及は免れない。

「優衣ちゃんはどうだった?」

 俺が何も言わずにコーヒーをすするのを見て何かを感じ取ったのかタケさんは優衣に話題を振った。

「何が1番印象に残ってる?」

 うーん、と少し考えた後にぽつりと言った。

「・・・妖精」

「妖精?」

「・・・うん。そう」

 優衣が力強く頷きタケさんは首を傾げる。

「あの動物園は異世界民も展示していたのか?」

 そんなわけないと思うが。

「由樹、何か知ってるか?」

 左な斜め前に座る由樹に尋ねてみる。

 由樹もうーん、と考えたあと思いついたようにニコっと笑顔を浮かべた。

「ほら、世界の昆虫が展示されていた場所があったじゃないですか」

 そんなところがあったのか。全く記憶にないが由香がうなずいているのであったということだろう。

「そこに蝶がたくさん飛んでいるところがあって、優衣ちゃんが釘付けになっていたのをお兄さんは覚えてないんですか?」

「あー、えっと。悪い」

 多分そのころはアリジゴクにはまった魚人族を助けた過去の出来事に思いふけっていた、と思う。

「とりあえず、その蝶が妖精みたいだった。という解釈でいいのか?」

 タケさんの確認に優衣は頷く。

「・・・多分、そうだと思、う」

 言い終わった直後。左肩に重みを感じた。

「優衣?どう―」

 最後まで言い終わる前に体が自然と動いていた。

 顔を赤く染め、呼吸も荒い。額に手を当ててみると熱かった。

「悪い、先に帰るわ。優衣が熱をだしたっぽい。ルノ、行くぞ」

 財布から1000円札を2枚だしてテーブルの上に置いた。そして、辛そうにしている優衣を背中に乗せ「お大事に」の声を受けながら帰路をたどった。




 ―カラン、コロンとドアについていた鐘があわただしくなり、2人の女の子を連れた男が店から飛び出して行った。

 テーブルに置かれた2枚の1000円札を眺めながら由香はため息をついた。その横で、妹である由樹もまた同じようにため息をついた。

「優衣ちゃん。大丈夫かな」

 心配そうな顔をしてホットココアを口にする妹。

「大丈夫だよ。奏太がいるもん」

「うん、そうだよね」

 妹は少しだけ表情を和らげてまたココアを口にした。

 同じように由香はカップチーノをすする。

 そのさまを俺は何も言うことなく眺め、今出て行った3人分のカップを手にしていたトレイへと乗せた。

「あの、マスター」

 カウンターに戻ろうとするとまた呼び止められた。

「ん?どうした?」

 いつもの営業スマイル。なぜか奏太に見せると気持ち悪いと言われる偽物の笑みを浮かべて応答する。

 由香はいつになく真剣な眼でこちらを見ていた。楽しい話題ではなさそうだ。

「マスターに聞きたいことがあります。とりあえず、座ってはどうですか?」

 言われるがままに先ほどまで奏太が座っていた席に腰掛ける。

 流れる静寂。

 お互いに言葉を発さず、普段流しているジャズミュージックもこの日に限ってはかけ忘れていた。

 由香はカップチーノで喉を潤し姿勢を正す。その横で、妹の由樹も何故か背筋を伸ばし姿勢を正した。

 そして由香は口を開く。

「マスター。奏太は人間じゃありませんね?」

 沈黙。

 おい奏太。ばれているぞ。と心の中で舌打ちする。

 奏太の正体。すなわち天使族であることを誰が知っているのかと言うのを先週奏太から教えてもらった。その中に由香の名前は含まれていなかった。

「確かに、あいつは人間じゃないかもな」

 コントラクターであるあいつは人間と呼ぶにはふさわしくない。多分、それを聞けば奏太は怒るだろうけど。

「とぼけないでください。私が言っているのは元々こちらの世界の生き物ではない、ということです」

 おぉ、見事なまでにばれているな。だが、奏太の正体を易々と教えるわけにもいかない。本人が嫌がる。

「えーと、どういうとだ?奏太はコントラクターでこそあれど人間の世に生まれて育った人間だぞ?それは長い付き合いであるお前はよく知っているだろ?」

「長い付き合いだからこそわかるんです。私と奏太は保育園の最年少児からの付き合いがあります。それはマスターもよくご存じのはずです」

 よく覚えている。

 人間界へと誤って転生してしまったあいつを親戚ということで送り迎えをしていたのは俺だ。由香のことも当時からよく知っている。

「それから小中高とずっと同じクラス。どんなふうに変化していったのかもよく知っています」

 10年以上も同じクラスだったというのは初耳だが、人間の世界では普通のことなのだろうか。いや今はそんなことどうでもいいんだけど。

「中1の夏ごろ。私と奏太がとある事件に巻き込まれたのは知っていますね?」

 あぁ、よく知っているとも。事件が起こった場所は俺が建てた山小屋だからな。

「私はよく覚えていませんが、あの時に私は胸を刺されていたという証言があります。ただ、搬送された病院についたときはそんな傷はありませんでした」

 それも以前奏太から聞いた話だ。

「その時現場に来てしまった同級生が言うに、奏太が私の胸を刺したように見えたと言います。しかし、殺人未遂として逮捕されたのは無職の男性。ではなぜ、奏太はあの場にいたのでしょう」

「その答えが、奏太が人間じゃないと考えれば辻褄が合うと?」

 パッとでた推測に由香は頷く。

「あの事件をきっかけに奏太は生まれてから事件までの記憶をほとんど失い入院。その事件の前からも奏太の様子は少しずつ変わっていました」

 奏太に変化が生じていたというのは薄々知ってはいたが、目撃者の記憶違いということもある。奏太は何らかの理由であの山小屋に行ったのだろうが、それが異世界民であることにつながるとも考えにくい。

「根拠とするには」

「まだあります」

 否定を遮って由香は続ける。

「先日の学校の戦闘。遠巻きにしか見れていませんでしたが明らかに人間離れした、戦闘と言うものに慣れているかのような、そんな動き方でした。」

 メルゴの出張営業はその前日だったため、奏太の戦闘を直接見たわけではないがその時に力をほぼ完全に取り戻したとこれも先週話していた。

「まだ、疑いますか?」

 勝ち誇ったような笑みを浮かべ、首を少しだけ右に傾ける由香。

 どうしたものか。由香の言っていることは確かに正しい。正しいからこそ認めることはできないのだ。

「それを聞くと人間じゃないように思えてしまうが。俺は人間だ。人間の親戚である奏太も当然人間だ。それでも疑うというのなら、奏太に直接聞いてみろ。・・・そしたらあいつはきっと悲しむぞ?コントラクターと言う普通の人とは異なる存在になっても人間でありたいとあいつは思っているんだからな」

 勝ち誇った笑みから一転。辛そうに顔をしかめる。

「・・・奏太を傷つけるのは本意ではありません」

 コーヒーカップへと視線を落としてそう言った。

 なんとか言いくるめることが出来たようだ。

「話は終わりだな?」

 トレイに乗ったカップを洗おうと席を立つ。しかし、

「ねぇ、マスターさん」

 またも呼び止められた。

 一言も言葉を発さず、ただ俺と由香の会話を黙って聞いていた由樹に。

「どうかしたかい?」

「うん。大したことじゃないんだけどね。左手にマークがないの、どうしてなのかなって」

 沈黙。

 どうやらこの姉妹は揃って洞察力と言うものがいいらしい。

 由樹の言うマークとはコントラクターに殺された人間に現れる印のことだろう。由樹にも由香にもその左手の甲には黒いフォークのような槍のマークがついている。それが、俺にはない。人間ではないから。

 少し前まではシールを貼っていたが、水を使うとすぐにはがれて鬱陶しい。だから、最近はなるべく左手の甲を見せないように立ち振る舞いばれることはなかった。いや、俺がそう思っているだけで実はばれているのかもしれない。それでも今まで指摘されたことはなかった。

「マスター、説明してくれますか?」

 由香が印のない左手に鋭い視線を向けながら言ってくる。

 ・・・今日ほど記憶を消し去る魔力があればいいと思ったことはないな。

 心の中でそう苦笑し、もしもこうなったときのためにあらかじめ考えておいた文章を口にする。

「俺はまだ誰にも殺されていないんだよ」

 きょとんと目を丸くする由香を気にせず続ける。

「元コントラクターになら数名会ったことがあるが、現役には奏太としか関わったことがない。そして、奏太は人殺しを好まない」

「だから殺されず印もないと?ですが、ルノちゃんなら」

「奏太が止めてるんだよ。生き返るとしても人が死ぬということを望まないんだ。あいつはさ」

 そう言って俺は笑った。

「納得できない。そんな顔をしているな」

「そりゃあ、マスターも人じゃないと考えると。もしそうなら奏太が人じゃなくても納得できてしまうんですよ」

 参ったな。ここまで人間であることを疑うとは。

「マスターに聞きます。あなたは人間ですか?」

「あぁ、この地球で生まれて育った紛れもなく純粋な人間だよ」

「そうですか」

「そうですかって・・・まぁいい。満足したか?」

「えぇ、まぁ。とりあえずは」

 由香の表情は曇っている。きっとこれからも人間じゃない部分を探すつもりなんだろうなと推測できる。

 話は終わった。カウンターへと向かいそこにあったスマホを見るとメールの着信を告げていた。奏太からだ。

 その内容を見てふっと息が漏れる。

『件名:なし 本文:優衣の容態は安定している。熱はあるがただの風邪だと思われる』

 そりゃよかった。お大事にと返信し、スマホにもう1通メールが来ていることに気が付いた。

 差出人の名はエスト・テリッサ。

 現在の神からのメール。嫌な予感しかしない。

 見たくはないのだが、俺はエストの部下のようなもの。上司からの連絡を無視するわけにもいかない。

 進まぬ指でスマホを操作し表示された文面を黙読する。

『件名:神の命 本文:妖精族フロール・セミルは人間界にいる。アーク・トリアよりも先に見つけ殺せ。尚、トリアにこのことを知られてはならない』

 これは一体どういうことだ?

 とりあえず奏太に。いや、ダメだ。奏太はトリアなのだ。伝えることが出来ない。

 妖精族の女王で神だった奴がこの世界にいる。そして、殺せ。エストは一体何を考えているというんだ?

 わからないが奏太より先に見つけて殺さなければ神の命に逆らうこととなり死ぬということは分かった。

 ・・・冗談じゃねぇぞ。こうなれば奏太に気付かれる前に探し、見つけ、殺すしかない。

 そう土井タケルは密かに決意した。




 スマホの小さな振動で堀井奏太は目を覚ました。

 ここは、あぁ、俺の部屋か。

 首を回してあたりを見るにベッドで眠る優衣の看病をしているうちに座ったまま眠りについてしまっていたようだ。

 何か夢を見た気がするのだが忘れてしまった。特に気にすることはない。寝て見る夢とは本来そういうものだ。

 大きく腕を真上に突き出し背筋を伸ばす。

 視界が徐々にクリアになってきたところでスマホを手にした。時間は日付が変わった直後。変な時間に起こされたものだと通知を確認する。

 こんな時間に電話がかかってきている。非常識も良いところではあるが、それがあまりに珍しい人物であったのでメッセージを送ってみた。

『なにかあったか?』というメッセージに対しすぐさま電話がかかってきた。

 音は最小にしているためそこまでうるさくないが、優衣が寝ているためリビングへと移動してから応答した。

「はい、もしもし?」

「もしもし?奏太君?」

「よぉ、つむぎ。2つの意味で珍しいな」

 う、ごめん。と小さく聞こえる。

「で、どうした?」

 電話の主、夢霧つむぎ。彼女は1つ上の先輩であるが俺は普通にためで話す。年齢なんて関係ない主義であり、実年齢は彼女より上なのだから問題はないし向こうからも特に何も言われない。あとは、俺の正体を知る数少ない人間だ。

「ちょーっといまから会えない?」

「うん。無理。お休み」

「ちょ、ちょっと待って!」

 即答し電話を切ろうとした俺の耳にそんな慌てた声が響く。

「いや、時間を考えてみろ。日付変わってるし」

「急用なの!潮ノ宮学園で待ってるから!」

「え?おい!もしもーし・・・切れてるよ」

 あぁくそ!行かなきゃいけないような状況を作りやがって。

 この時間に女子高生が外に出るなんて警察からの補導対象だ。それに今のご時世で危険がないとは言い切れない。理解の範疇を超えるようなことが起きても何もおかしくないのだ。

 一度部屋へ戻り上着を羽織るとリビングからベランダへと出ようとした。

「我に黙って外出する気か?」

 背後から声。

「悪い。起こしたか?」

 ソファの上で仁王立ちしているルノに言う。ソファに立つなといつも言っているだろうに。

「まぁそうじゃな。それで、何処へ行くんじゃ?」

「ちょっと学校までな」

「ほう、そうか。ちょっと待っておれ。上着を持ってくる」

「何を言ってんだ?」

 部屋へ向かおうとするルノにそう言った。

「お前には留守番をしていて欲しい。優衣は治っているわけじゃないし、何かあった時に誰もいないと困る。できれば傍にいてやって欲しい」

 ルノは納得できないと言った表情を浮かべただ黙って俺の目を見ていた。

 何か裏があるのではないか疑っているようだが、特に裏はない。事実でありそうして欲しかった。

「端末は置いていく。盗聴しても今回に限っては何も言わない」

「わかった。それで妥協しよう」

「物わかりがよくて助かるよ」

 ポケットに入れていた端末をルノに渡しベランダへと歩みを進める。

「いってらっしゃい」

 その言葉を聞いたのはいつぶりだろうか。くすりと笑い俺は小さく返す。

「いってきます」

 そして勢いよくベランダから飛び出した。

 静かな夜の街。

 白い息を吐きながら民家から民家へと飛び移り最近まで通っていた高校を目指す。

 あー、寒い!まったく、なんでたってこんな時間に呼び出すのか。とりあえずつむぎに会ったら真っ先にそれを問い質そう。そう決めたところで視界に学校が入った。

 校門の前につむぎはいた。コートをきて毛糸の帽子をかぶっている。

「お、やっと来たね。奏太君。久しぶり」

 俺の姿を確認したつむぎは小走りで近づいてくる。

「久しぶり。で、用件は?」

「助けてほしいんだよ」

 ・・・助ける?

「何かあったのか?」

「何もなかったらこんな時間に呼び出したりしないよ」

 それはごもっとも。

「じゃ、行こうか」

 つむぎはそう言ってすたすたと歩きだした。

「いや、待て待て。どこへ行く?」

 歩いて追いついてから聞く。

「奏太君はさ、遊動園って知ってるよね?」

 誘導円?

「数学の話か?」

「違う違う。遊園地の遊に動物園の動で遊動園。最近できた複合施設だよ」

 あぁ。半日くらい前に行ったあそこか。

「それがどうかしたのか?」

「ちょっと問題があってね」

「問題?」

「うん。遊園地の方にね」

「で?」

「解決しに行くんだよ」

 いやいや、どんな問題があるのかは知らされていないけど、とにかくめんどくさそうだ。もっといえばこんな時間。怪しさがむんむんだ。さらに、俺を呼び出したということは向こうの世界が関わっているから。そう考えてしまうのは考えすぎだろうか。

「首を突っ込んじゃいけないような気がするんだけど」

「まぁまぁ、人助けだと思って、ね?お願い」

 足を止め深々とお辞儀されてしまった。・・・断りにくい。

「どんな問題が起こったのか聞いてもいいか?内容次第で引き受けるか決めさせてくれ」

 ゆっくり顔をあげたその顔は困っていた。

「つむぎも知らないんだよね。パパ・・・お父さんがいけばわかるって」

「ちょい待ち。お前の父親何者だよ」

 少なくとも施設の関係者ではあるようだけど、

「遊動園の創業者だよ?」

 関係者どころの話ではなかった。

「待って」

「うん?待つよ?」

 そう言いつむぎは足を止める。いや、そうじゃなくて。

「お前、お金持ちだったりする?」

「うーん、神楽ちゃんほどじゃないけど、それなりには裕福なんじゃないかな」

「そ、そうか」

 新たな事実に頭がパンクしそうになるが深呼吸して落ち着かせる。

「よし、話を戻そう。どんな感じの問題なのか父親からは聞いてないのか?」

「近づいたら危ないってさ」

 そう言ってる口調に危機感がないんだけど。

「よし、帰ろう。子供が首を突っ込むようなことじゃねぇ」

「奏太君は大人でしょ?」

 その通りだけど、

「じゃあお前は帰れ。大人の俺が見てくるから」

「そう言って帰るつもりでしょ?」

 なぜばれたし。

「っていうかつむぎも行きたい」

 頬膨らませても危ないと言われているのだから近寄らぬが吉だろう。

「ほら、帰ろうぜ?」

「もう目的地に着いているのに帰れっていうの?それに、奏太君はつむぎがいなきゃ施設に入った瞬間に不法侵入罪が適用されちゃうよ?」

「じゃあ日を改めて昼間にだな」

「だーかーら。もう着いているのに?」

 つむぎに言われてやっと気づく。

 昨日立っていた場所と同じ場所に俺は立っている。

「ほら、見に行くだけ見に行こうよ」

「え?おい、ちょっと待てって」

 俺の制止を無視し職員用の入り口からつむぎは中に侵入してしまった。

「人の話を聞けよ!」

 そう言いながら俺も施設へと侵入した。

 そこは昼間と似てもつかぬほど雰囲気が豹変していた。

 単に人がいないだけなのかもしれないが、明かりはなく真っ暗。明かりは星明りと言う頼りないもの。動物園の方から時々鳴き声がする程度で他にある音と言えば俺とつむぎの足音くらい。

 一言でいうのなら不気味だった。

 何も動いていない遊園地の遊具を見ていると真新しいはずの遊具が寂れ廃墟に来ているかのような錯覚を覚えた。

「奏太君!こっち!」

 何のためらいもなくつむぎは遊園地の方へ足を踏み入れる。

 俺もその後に続き遊園地を進む。

 メリーゴーランド、コーヒーカップ、ブランコのように揺れる船の横を通り抜け開けた場所にそれはあった。

 それの前でつむぎは止めきょろきょろとあたりを見渡し、それを指差して言った。

「目的地とうちゃーく!」

 その声があまりにも場違いであったことはさておき、俺は少しだけ動揺していた。

「お化け屋敷?」

 一軒家よりかは一回り以上大きく、看板に血文字のような書体で『ゴーストハウス』とかかれている。

 その周りには立ち入り禁止と書かれた黄色のテープが張り巡らされていた。

「何か事件でもあったのか?このテープって警察が使うやつだろ?」

「うーん、そうっぽいね。さ、中に入ろうか」

「は?」

「当然でしょ?何しに来たと思ってるのさ」

 それは、えーっと、

「様子見?」

「そう!だから中を見ずしてどうするのさ!」

 道理は通るが。

「あ!もしかして奏太君。怖いの?」

「いや、そうじゃない。・・・嫌な感じがするんだよ」

 と言ったところでつむぎには俺の感じる嫌な感じと言うものはわかっていないだろう。なにせこの感じは魔力だ。人間のつむぎにそれを感じることはできない。

 しかし、当初の予想通り異世界が関わってくるとは。

「つむぎ、お前は行くのをやめろ。俺一人でいってくるから」

「それはダメだよ。何かあるならつむぎがそれを確認して報告しなくちゃならないから」

「・・・どんなに危険でもか?」

「もちろん。それが、つむぎに課せられたミッションなのです」

 誇らしげに言っているが誇れるようなことじゃない。だけど、強い意思と覚悟を持っているようだ。・・・覚悟?何のだ?

「奏太君?どうかした?」

「いや、なんでもない」

 何だったんだ?今のは。・・・まぁいいか。

「つむぎ、俺の手を握ってもう少し近づいてくれるか?」

「何?密着したいってことぉ?」

「そうだ」

 いたずらっぽい笑みを浮かべていたその顔をたった3文字で赤く染めあげる。

 密着したいというと変態に聞こえるが決して邪な考えはなく、ちゃんとした正当な理由がある。

「侵入するのに必要なことなんだよ。つか、今更恥ずかしがっているわけじゃないよな?今までさんざん密着する機会はあっただろ」

 学校に通っていた頃、お前に膝枕していたのは誰だと思っている。あれはしている側の方が恥ずかしいんだからな。

 それでもつむぎは動かない。何を渋るようなことがあるというのやら。思春期の人間というのはめんどくさいな。

「ほら術をかけるから俺の手を握ってもっと寄ってくれ。こんなことで時間を食いたくないんだよ」

 半ば強引につむぎの手を取り引き寄せた。

「あの、ちょっと」

「『ディアスラシィ』!・・・よし、あまり騒ぐなよ?」

「へ?」

「光を屈折させて身を隠す力を発動した。周囲から俺たちの姿は見えていないはずだ」

 つむぎは何か言いたそうにしていたが、それに気づかないふりをしてお化け屋敷へと足を忍ばせる。

 中は洋風の館のようで、入ってすぐに大広間。左右に階段、中央に先へ進む道が伸びている。とりあえず道なりに歩くか。

 外観とは想像もつかない内装に戸惑いながらも魔力の根源を目指して歩みを進める。

「ねぇ、奏太君」

 ひそひそと呼ばれた。

「見えているの?」

「何がだ?」

 声を抑えて答えたが静寂の中で自分たち声がよく響くことに気付く。これじゃあ姿を隠していても意味がない。

 自分の口に人差し指を立て喋らないように伝える。

 つむぎが聞きたかったのは証明も窓もない真の暗闇の中で視界を確保できているのかということなのだろう。たしかに真の暗闇の中で目が慣れるということはない。だから、つむぎにとっては何も見えないところを進んでいるのだ。

 ちなみに質問の答えはイエスだ。はっきりと昼間のようにとまではいかないが、進むのに支障がない程度には見えている。ちなみに、魔力の影響で互いの姿は視認できている。

 道なりに進み、血だらけの食堂を抜け、人体模型の置かれたベッドルームを通り過ぎ長い廊下を歩く。先に進むにつれて感じる魔力が大きくなっていく。

 ―まずいな。

 俺の中に潜む内なる存在が呟く。

(何がだ?)

 ―魔力の感じからこの先にあるのが何かは分かっているか?

(まぁ、なんとなくはな)

 ―ならここは一度退け。

(断る。様子だけ見ていこう)

 ―正気か?

(当然)

 そうこうしているうちにお化け屋敷の出口が見えてきた。ここまで道なりに来ていたが、ここから道を外れる。従業員用とみられる通路を何度も曲がりながら進む。

 この先に魔力の根源がある。

 扉を1枚開け、2枚開け、3枚開けるとそこは今まで見た光景とは違い鉄板で囲まれたような部屋だった。

 ・・・見つけた。

 自然に生まれた暗闇とは違う。人為的にそこに生み出された闇。黒い球体が部屋の中央にたたずんでいた。

 正体は確認できた。これがなんなのかは後で説明するとして撤退しよう。

 身振り手振りで帰ることをつむぎに伝え振り返る。そして俺は絶句する。

 なかったのだ。入ってきたときに使った扉が。初めからそんなものなかったかのようにただの壁に変わっていた。

 つまり、俺たちがいるというのがばれている。まぁ、そりゃそうか。姿を隠していようと扉がひとりでに開けば侵入者がいるくらい容易に察しが付く。

 どうするかな。壊すか。

「つむぎ、ちょっと目を閉じてろ。『イルミネーション』!」

 魔力を発動し部屋が明るくなる。

「うーん、まぶしい。で、これって?」

 部屋を明るくしてもなお残る暗闇につむぎは声を上げる。

「後で説明する」

 今はこの部屋の脱出が最優先事項だ。

 壁に近づき手のひらを当てる。そして魔力を集中させる。

「『インパクトブレイク』」

 ためられた魔力が発動し、壁に触れていたところを中心に蜘蛛の巣上のひびが入り、壁は崩壊した。

 『インパクト』の魔力は他の魔力と組み合わせずとも直接触れることで衝撃を与えることが出来る。結構便利な魔力だ。

 さて、脱出だ。そう思ったのだが、崩壊した壁は瞬きをする間に完全修復してしまった。

「ほう、何たる修復力」

「感心してる場合じゃなくない?」

「そうだな」

 どうすっかな。壊してダメなら正直打つ手もないのだが。仕方ない。できることならやりたくないのだがあいつの力を借りることにするか。

 くるっと球体の方へと向きなおり、

「『ブレイズショット』」

 右手から絶え間なく黒い球体へと炎を放射する。

 魔力の干渉により火の当たったところから黒い塊は形を変えていく。いっそ壊してしまおうとばかりに火力をぐんぐん上げる。

 しかし、

「こらぁ!何をしている!」

 不意に女の怒号が部屋中に響き渡り放っている火が何かに吸い込まれるように消えていった。

 ・・・その声を、待っていた。

 声の主は見えないが、どのあたりからこちらを監視しているのかは魔力をたどればわかる。右斜め上の後方だ。

「『ブレイズランス!』」

 無数の火の矢を出現させ右斜め上後方へと放つ。

 さっきと同じように何かに吸い込まれるようにして火の槍は消えていく。ここで勘違いしてはいけないのは、火の槍はこの場から消えたが、火の槍そのものは消えていないということ。

 火を通して中を覗き込むと部屋のようなところで1人の女が突然出現した火の槍に驚いていた。

 空間の神ミノ・ディーテ。その姿を見るのは実に数百年ぶりであったが何も変わっていない。紫色のウェーブのかかった長い髪。息を飲むような美貌。

「ッチ!トリアか!」

 槍を見てディーテは呟く。

「ちょっとここから出してくれよ」

「フン!いいだろう。今あんたに邪魔されるわけにはいかないからねぇ」

 次の瞬間。俺たちはお化け屋敷の外にいた。まさかあそこまであっさりと逃がしてくれるとは。・・・また何か企んでやがるな。

「ねぇ奏太君。結局のところ、あれは何だったの?」

「ん?あれか?あれは暗黒世界の一部だな」

「暗黒世界?」

「生と死の狭間の世界だ」

「え?放っておいて大丈夫なの?」

「まさか、大問題さ」

 あそこに別空間が現れているということはディーテの言う空間の結合とやらが始まってきているということか。だが、それには俺の力が必要だと言っていたような。それに、なんだってこんな人が大勢集まるようなところに?人が集まるからこそなのだろうか。だとすれば、空間の結合をして何を始めようというのだろうか。

「あの、奏太君。これからどうしたらいい?」

「しばらくは閉鎖して誰も近づけるな」

「うん。わかった」

 あの空間の歪はディーテにしかどうにかすることはできない。これからもたまに様子を見に来た方がいいな、と遊園地の出口へと向かっているときに異変は起きた。

 一瞬空気そのものが震動し傍にあった電柱が倒れ、地面に大きな亀裂が走り、動物園が動物たちの鳴き声であわただしくなる。

「な、何が起こったの?」

「ちゃんとつかまってろよ」

 驚くつむぎを抱きかかえその場で跳躍。近くにあったジェットコースターのレールへと飛び移る。

 何が起きた?大きな空気の振動。待て、どこかで聞いた話だ。あれは、そう、同級生にいる双子。その姉から聞いた話だ。ゲームが始まった瞬間に空気が大きく震動したとか。恐らく今回もそれ関連だ。

 どこからとなくよくわからない魔力の集団が増え近づいてきている。

 バサッと何かが頭上を何かが通過した。

 ドタバタと足元に何かが集合した。

 気づいた時には、囲まれていた。どこからか現れた獣人族の集団に。一瞬動物園の動物たちが変化したのかと思ったが、パンダベースの獣人族をみて考えを改める。ここの動物園にパンダはいない。つまり、ここにいる獣人族たちは向こうの世界から来たということになる。

 しかし、なんでこんなにもたくさん、俺を囲んでいるんだ?

 空を埋めつかさんばかりの鳥人種、蝙蝠ベースの獣人族、虫人種。足元には空を飛べない獣人族。

 たくましい人間の体と動物の体を併せ持った生物たち。ざっと数えて100ちょい。そのすべてが敵意を込めた目でこちらを見ている。

 さすがに1体ずつ相手にするわけにはいかない。静かに魔力を発動する。

「『ブレイズバーン』」

 空と地面のその両方に火の渦が出現し獣人族を飲み込んでいく。

「逃げるぞ」

 つむぎを抱きかかえたままレールの上を駆ける。

 あの火の海の中、獣人族は蝙蝠型の獣人族を除き、誰1人として動かなかった。

「『サウンドウェーブ』」

 辺りにきりきりとした嫌な音が響く。

 その影響か、音の波に揺らされ俺が出した火は消された。

 飲み込まれていた獣人族たちの体には火傷一つ見受けられない。毛皮が焦げている様子もない。・・・なんでだ?火に耐性を持っているというのか?

「奏太君!前」

 名を呼ばれ思考を中断。先を見据えて足を止める。

 少し先に馬の下半身。人間の上半身を持つ獣人族がいた。馬人種か。

 4本の細い脚で器用に立つそいつは腰に差した刀を抜き鋭い眼光を向けてきた。

「お命頂戴」

 言い終わるや否や獣人族は俺に向かって駆ける。

 そんな俺はその場にしゃがみレールに手を付け魔力を張る。

「『四方結界』」

 立方体の光の壁が俺を中心に展開され障壁となる。馬人種のそいつは勢いを止められぬまま壁に激突。

「今のうちに移動してくれるか?」

 それを気にも留めずつむぎを背中へと移動させる。

 この結界術は長くは持たない。事実、さっきの衝撃で少しだけひびが入っている。が、つむぎを移動させる時間さえあれば十分だった。

「『クリエイトウェポン タイプ:アタッカー』」

 青白い片刃の長剣を手にしたその直後張っていた結界が割られ、馬人種はチャンスとばかりに真正面から突っ込み刀を振りかざす。

 その太刀を手にした剣で受け止める。辺りに耳を刺すような金属音が響き渡る。

 片手で受け止めたその太刀は獣人族の腕力により徐々に押されていく。弾き返そうと思ったが力では勝てない。そう判断し勢いをそのまま受け流し体を捻る。それにより生まれた推進力を利用しバランスの崩した相手へ足払いをお見舞いする。

 見事に足を払われた獣人族はレールから落下しそうになるが刀を手放し空いた両手でレールの両端を掴んだ。しかし、俺はそれを見逃してやるほど甘くはない。相手の顔の前に片手を突き出し、

「『フラッシュ』」

 強烈な目を当てた。

 目つぶしを喰らう形になりじたばたもがきながらあまり低くない地面へと落下していった。

 よし。急ごう。

 こんなことをしている間に他の獣人族も追いついてきていた。

 背後を一切振り返らずに出口を目指す。

 くそ。今のご時世で異世界民がこちらの世界に来るのは珍しくないがこの量はいくらなんでも異常だ。それに、俺が敵意を向けらえている意味が分からない。

 なんて考えていると遊園地の出口が視界に入った。

 レールから降りところどころが崩れ、ひび割れたレンガの道に足を取られないように素早く走り抜け遊園地エリアを脱出。そのままの勢いでメインストリートを移動し門をくぐる。脱出できた。そのはずだった。

「・・・あれ?」

 目に入ったのはメインストリート。後ろにくぐったはずの門。おかしい。俺は今確かにここをくぐったはずだ。もう一度試してみるが結果は同じ。

「ディーテェェェエ!」

 空間の神の名を呼ぶ。

 こんなことが出来るのはどの世界にもあいつしかいない。

「なんだい?何かあったのかい?例えば、ここから出られないとかねぇ?」

 ケラケラと笑い声がどこからとなく響く。

「これは一体何の真似だ?」

「そうだねぇ。目的の下準備とでも言っておこうかねぇ」

「目的ってのは空間の結合だな?そんなことをして一体全体どうするんだよ」

「忘れたのかい?あたしは人間と言う種族が好きなんだよ」

 実験対象としてだろ。

「空間を一つにすれば人間は自由にアーウェルサに来られる。だから全世界の神であるエストは何も言わない」

 幼馴染であるあいつの顔が思い浮かぶ。・・・すっかり変わっちまったようだな。あいつも。俺も。

「だが、そんなのこちら側の神が黙っていないだろ」

「そりゃそうだろうねぇ。このゲームだってこちらの世界の神は許していない。空間の結合も向こうは知らない。もしばれたらその時はその時さ」

 こいつは止めた方がいい。神の秘書官として。放っておいてはいけない。

「そういえばトリア。知っているかい?」

「あ?何がだ?」

「人間界にコントラクターと言う存在が日本にしかいないという話さ」

 またもケラケラと笑って言った。

 ・・・世界にコントラクターがいない?

「日本にいる誰かがやったのか?」

「違う違う。それぞれ契約種が殺されちまったんだよ。人間界の神達によってねぇ」

 なんとなくそんな気はしていた。

 これにより世界の人間が誰の下僕でもないという状態になった。そして、日本にしかコントラクターがいないということは神達が日本の契約種たちを殺しに来るのも時間の問題ということ。

「大丈夫なのかねぇ。お宅の契約種ちゃんは。あの子には実質戦う力はない。神相手になんて為す術もなくやられちまうんだろうねぇ」

 キャハハと笑うディーテは目の前空中にその姿を現した。

「・・・あれ?」

 何が起こったのかわからず首を振るディーテ。

「トリア、あたしに一体何を」

「さっさと開放してもらおうか」

 最後まで言わせることなく首を掴み地面へ叩きつける。さらにその首筋に手にしていた剣を突きつける。

(こいつ、一体いつの間に!?)

 心の声を無視しもう一度言う。

「開放しろ」

 その様子に何がおかしかったのかディーテは笑いだす。

「何がおかしい?」

「あははは!これを見て笑わずにはいられないよ。・・・その赤い眼。やっぱり生きてたか」

 こいつはいきなり何を言い出すんだ?

「久しぶり。フィル・ディザオス」

「・・・そんな名前の奴は知らない」

 言いながらひどく動揺していることに気付いた。

 その時に生まれた一瞬の隙を衝かれ俺は後方に弾き飛ばされた。つむぎに衝撃を与えないように静かに着地しディーテへと向き直る。

 しかし、そこにさっきまでいたはずの空間の神の姿はなかった。

「いやー、驚いた。あんたの生存に免じて今日のところは帰してやろう。・・・ただし、最後まで生き残れたらね。・・・行きな!あたしのかわいい駒たち!」

 どこからか聞こえたディーテの声を合図にさっき俺を追いかけてきていた獣人族が武器を掲げて声を上げた。

 なるほど、よくわからんが殺さなきゃ出られないようだ。俺としては無駄な殺生は避けたいところだが。致し方ない。

 確かつむぎは血が苦手だったよな。

「少しだけ目を」

「クー」

 閉じていろよと続くはずだった俺の言葉はその寝息によって妨げられた。

 よくもまぁこんな状況で寝られるものだと逆に感心しそうになる。が、この状況は好都合だ。起こさないようにだけ気を付けるか。

 ―その必要も考えなくていい。

(は?どういうことだ?)

 ―貴様の特性だ。

 俺の特性?ルノは心を読むのが特性だったよな。そういえば、俺の特性ってなんだったっけ。

 ―ほら、来るぞ。

 自分の特性について考え始める俺に内側が促す。

 ―考えるのは後だ。

(わかったよ)

 誰のせいで考え込まされたと思ってるんだか。・・・俺か。

 周りの獣人族がじりじりと俺を囲む輪を狭めてくる。100対1とか多勢に無勢すぎるだろ。

 一つため息をつき、

「『神器スリット・ウィップ』」

 自由に長さを変えられる鞭を左手に出現させ魔力を流し込む。

 淡く輝きだしたのを確認し鞭を持つ手を前に突き出す。そして、その場で1回転した。

 遠心力により鞭は長く伸び、地面にいた獣人族の全てを音もなく真っ二つに切り裂いた。その獣人族たちの亡骸は空気に溶け込むようにして消失した。

 おおかたディーテが回収したか。本物の獣人族ではなかったか。何はともあれこれで半分処理した。

 人気のなくなった地面から目を離し空にいる50もの軍勢へと目をやる。

 奴らは揃いも揃って目を丸くし仲間を殺された怒りか、それとも恐怖かで体を震わせていた。

 びゅうと冷たい風が吹いた。

 ・・・寒いから震えてるわけじゃないよな。

 なんてどうでもいいことを考えながら奴らに向かって言う。

「死にてぇ奴は前に出な」

 剣と鞭という異様な組み合わせを前に、前に出るものはいない。

 空にいる誰もが赤く染まった奏太の赤い眼を見て恐怖を感じていた。

(あれを前に勝てるわけがない)

 一同がそう考えている。

 誰も動かないのなら自らが動けばいい。空にいるものはみんな大きな翼をもっている。それを狙い、

「『イビィウィップ』」

 地面からツタの鞭が生え生きた蛇のように軽々と空にいる奴らの下へと上昇し翼をもいでいく。

「ギャー!」

 鳥の悲鳴を耳にしながら翼をなくし落下してきたその頭を一点の狂いもなく火の槍で貫く。

 そして、終わった。

 100体もの軍勢との戦いはものの5分程度で決着がついた。

「さぁディーテ。いるんだろ?約束通り帰してもらおうか」

 言いながら魔力が昂るのを感じる。鏡がないため分からないが、目が赤く染まっているのだろうと理解した。

(・・・表に出てくるんじゃねぇよ)

 ―貴様が感情的になるからだ。

 そう言われ深呼吸して落ち着き、魔力の昂ぶりを抑える。

 感情的になり我を失えば内なる存在が現れる。そうならないために常に冷静でいなければならない。

 興奮すれば簡単に飲み込まれる。中にいるこいつが俺の体を乗っ取るだろう。

 ―ほら、奴を探せ。

(言われずともそのつもりだ)

 集中し魔力を探知する。

 不気味なほどの静寂の中、つむぎの寝息だけが唯一俺に安らぎを与えてくれていた。

 こんな時でも自身の特性について考えてしまうが、今はどうでもいいと思考の隅へと追いやって目を閉じる。

 風の吹く音。動物の鳴き声。つむぎの寝息。何かが1点から1点を移動する音が聞こえる。人間には聞き取ることのできないほど微弱な音。ディーテが空間と空間を繋げ移動している音。

 俺を翻弄するかのように周囲を動きまわり止まらない。

 ゆっくりと目を開けた。

 星明りと言う自然の照明のみの暗闇の中。その姿をはっきりととらえることが出来た。

 右手に持つ剣に魔力を纏わせディーテに向かって振りかざす。

 纏った魔力は斬撃となり剣から離れ、地面を切り裂きながら直前上に進む。しかしその斬撃は見えない何かにはじかれそっくりそのまま跳ね返ってきた。

「ッチ、結界術か」

 サイドステップで回避しディーテの姿を目で追う。

「天使族たるあたしが結界術を使えないはずがないだろう?」

 天使族なのに結界術を習得していない未熟者の大人がつい最近こちらの世界にはいたがな。

「というか、あんた、見えているのかい?」

「びっくりするくらいはっきりとな」

「身体能力を強化したのか。じゃあこんな茶番も終わりだねぇ」

 茶番・・・?

「それってどういう」

 最後まで言う前にディーテの魔力が膨れ上がり発動された。

 巨大な。俺の背丈を軽々と超える大剣が何もない空間から振り下ろされた。

 左手の鞭の装備を解除しあわてて右手の剣を両手で構え受け止めた。

 持たなかった。

 ガラスが割れるような音と共に手にしていた剣が折られ、振りかざされた大剣は勢いを止めることなく俺の体を切り裂いた。

「グッ・・・」

 胸のあたりから腹部にかけて走る猛烈な痛みと熱。しかし、刃が通り過ぎた時点でコントラクターとしての治癒能力が働き傷はすぐにふさがった。

 ・・・ルノに助けられたな。

 体力の消費かフラフラになりながらも2本の足でしっかりと立ち上がり目を丸くする。

 無数の槍が俺を囲んでいる。隙間なく。見渡す限りの槍。うっすらと、ディーテが笑っている。そんな気がした。

 そして次の瞬間。すべての槍が矛を向けた。

 どこにも逃げられない。神の魔力を前にして防御障壁の術も意味を為すことなく崩壊するだろう。

 せめてつむぎだけでも助けたいが、そのせめてもの願いすら叶えられることはできない。

 絶望。

 その2文字が頭に浮かび奴は姿を現す。

 時間がスローモーションに流れ槍が体に当たるその前に背中から生えた何かがつむぎも一緒に俺の体を包み込んだ。

 時間の流れが元通りになる。何かが当たる衝撃はあるがダメージはない。

 背中から生えたものが羽であることに気付くのに1秒を要し、何が起こったのか悟るのにさらに2秒を要した。

 内なる存在が堀井奏太の体を乗っ取り表へと出てきた。堀井奏太そのものが内なる存在へと変わった。

 自由に体を動かすことが出来す、あたりを見渡すことも出来ない。こうなると当然、口から言葉を発することもできやしない。

「おやぁ?その禍々しくておどろおどろしい漆黒の翼。やっぱりフィルじゃないか」

「ふん。そんなの奴は知らねぇ。我はアーク・トリア。全生物に滅びを与える者」

「あはは、変わんないねぇ。その傲慢な態度」

「放っておけ。何はともあれディーテ、貴様を殺す」

 ・・・こいつらは一体何の話をしているんだ?フィル・ディザオス。そこかで聞いた名ではあるが。

 ―後で説明する。だから、少しの間静かにしていてくれ。

 俺の背中から生えた魔族と思しき翼を広げ、戦闘態勢に入る。のかと思ったら違った。俺の体はディーテへと背を向け門へと向かった。

「『ディメンションブレイク』」

 一瞬の出来事だった。

 両手を前に突き出し発動した魔力により空間に、正門を塞いでいた結界にひびが入って割れた。

 ―後は任せた。

(はぁ!?)

 言うなり体の主導権が戻った。背中に生えた漆黒の翼はそのままだ。

 ―早くしろ! 

 急かされて悩むのも後回しにし慣れない翼で夜空へと羽ばたいた。

 寒い。

 秋の空高くは空気が冷え、風が強く、すぐに風邪を引いてしまいそうだ。つむぎの体調を考え出来る限りの最大速度でひとまず自分の家に向かった。つむぎの家は知らない。

 ベランダへと降り立つと背中の翼は自然と消滅した。

 リビングへ入りつむぎをソファに寝かせる。さらに、安心したのも束の間、自分の部屋を覗く。

 優衣が気持ちよさそうに眠っているのが見えるが、探し求めているルノの姿がない。

 おかしいなと思いながら2つの空き部屋。トイレ、浴場。キッチンに至るまで探し回る。だが、その姿はどこにもなかった。

 玄関は施錠されたまま。渡した端末はリビングのテーブルに置かれたまま。知り合いが作った上着もハンガーにかかったまま。

 ひと月ほど前のことが思い出される。

 一晩の間にルノはその姿を消し俺は夜通し探し回った。あの時は意外と近い場所にいたのだがとにかく不安でしょうがなかった。

 今も契約の証であるバングルがついたままということは死んではいない。それに、ルノと個人的にした悪魔との契約の印も右手に残ったままだ。

 俺はもう一度夜の街へと飛び出した。ルノを探しに思い当たる場所を手当たり次第に。

 『実質戦う手段がない』ディーテのその言葉が脳裏によぎる。その通りだ、何かに巻き込まれた時あいつは・・・。

 くそ。あの時ディーテはルノの身にな何かが起きたのを知っていたんじゃないか?それで足止めをしていた。

「ちきしょおぉ!」

 夜の街に奏太の虚しい叫び声が響く。




 ―結局この日。俺はルノを見つけることが出来なかった。

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