第5章~天使族にさようなら~

「フハハハハハ!よくぞここまで来たな!冒険者よ!」

「まったく、ここまで来るのには苦労したよ。宿代がなくて野宿とかな!けど、そんな生活ももう終わりだ!お前を倒し、姫は返してもらう。そんでもって、俺は豊かな生活を送るんだ!」

 情けないことを口にしながら冒険者は手にしていた剣を魔女へと向けた。

「私を殺す?お前はそう言ったのか?やれるもんならやってみろぉ!」

 魔女は腕を大きく回し、それに合わせて小さな火の玉が出現した。

 これに、ステージを見ていた観客は大きな歓声を上げた。

「ほらほら!避けられるものなら避けてみなぁ!」

 と、魔女はあたかも自分が動かしているかのように言い、火の玉は冒険者へと躍りかかる。

「何のこれしき!」

 冒険者は、見るからに段ボールでできた剣で火の玉を切り裂いた。

「なかなかやるね!」

「うるせぇ!生活がかかっているからな!」

 冒険者は剣を構えなおし魔女へ向かって走る。

 新たに出現した火の玉をもろともせず冒険者は魔女を切り倒し、姫の開放に成功したのだった。

 その後冒険者には多額の報酬が支払われ、自堕落な生活を送っただとか、ないとか。


 最後のナレーションが入り、俺たちのクラス2年A組の劇は幕を閉じた。

 盛り上がる会場をそっと抜け出した俺は、やることはやったという風にこそっと舞台袖から抜け出し、その足で生徒会室へと向かった。

 生徒会の役員どもは各自仕事のためこの部屋にはいなかった。いるのは、ふかふかのベッドで気持ちよさそうに眠っているルノだけ。

 昨日、ルノと話している最中に俺は気を失った。そして、気づいた時にはすでに夜で、ルノはその姿を消していた。

 当然すぐに探し回った。

 俺はこの時かなり焦っていた。以前にも同じことがあったからだ。地下施設で中島と戦った時のこと。

 あの時も不意に意識が途切れその時近くにいたやつがいなくなっていた。しかし、死んではいなかったし、今回もバングルがついたままなので、ただ本当にいなくなってしまった。

 夜明けを迎えるまで俺は札幌市内のありとあらゆる場所を探し回った。だが、一切の手がかりをつかむことが出来なかった。

 日付の変わった今日はクラスでの劇がある。俺はその演出担当。休めばクラスに迷惑をかけることになるため、夜明けには探索を中断。少し眠ったのちに劇を行った。

 その最中のことだ。ルノが生徒会室にいると神楽から連絡を受けたのは。

 無事でよかった。特に変わったことも・・・いや、塞がってはいるが何かに切られたような傷跡が残っている。

 大きな切り傷に加え、骨折。見た目は治っているように見えるが、完治はしていない。

 それに、眠っているのではない。意識を失っている。

「『ブリリアント・キュアー』」

 俺の発動した魔力により傷を完全に癒すことに成功した。

 そしてハタと思う。

 ・・・魔力が完全に元に戻っている?

 無意識で使っていたが、詠唱無く完全治癒の魔力を発動するには当時の魔力、天使族の魔力が必要不可欠だ。

 当時のように光を扱える。輪を作ることも、結界を張ることも可能。

 嬉しさ半分、戸惑い半分。元の自分に戻れたことはこの上なく嬉しい。嬉しいのだが、気がかりなこともある。どうしていきなり魔力が戻った、開花したのか。

 意識を失ったことに何か関係があるのだろうか。

「奏太?」

 目を覚ましたルノに呼ばれ考えるのを一時中断する。

「よぉ、目が覚めた、か?・・・どうして離れるんだ?」

 俺が話しかけるとルノはベッドから飛び起き、俺と距離をとった。

 どこかおびえた様子。一体何を怖がっている?どうしてそんなに悲しそうな顔をしている?

 そう俺が聞く前にルノは言った。

「お主は誰じゃ?」

 と。

「何を言っているんだ?さっき確かに俺の名を呼んだだろ?奏太だ、堀井奏太。お前と契約した」

 元天使族の人間。

 そう最後まで言うことなく、ルノは突進に近い勢いで抱き着いてきた。

「よかった。我の知る奏太じゃ」

 そう言って涙を流すルノの背中に腕を回し優しく抱きしめた。

 何を不安がっていたのか。それは結局のところわからないが、こうして抱き着いてきたということはそれもなくなったのだろう。

「落ち着いたか?」

「うむ、すまんかった」

「謝れるようなことをした覚えはない」

 それどころか、俺が謝らなくちゃいけないことがあったような、ないような。なんだか曖昧ではあるけれど、恐らくその答えをルノは知っている。

「俺が気を失っている間に何があったか。話せるか?」

 俺の問いかけにルノは頷く。

「ディーテが何かしらの術をお主にかけた」

 なんという衝撃的なカミングアウト。

 というかまたかよ。いい加減しつこいし、それなのにエストが動いている様子はない。こちらの神もまた同じか。

「その後、エルが加勢し何とか追い返すことはできたが、力を使い果たし我もエルも気を失ったんじゃ」

「そして、倒れていた2人をこの私が生徒会室まで連れて行ったのよ」

 ルノの言葉を神楽が引き継いだ。

「先輩、いつからそこに?」

「あなたたちが抱き着いていたあたりからよ」

 ほとんど最初からか。

「いたなら声をかけてくださいよ」

「そんな雰囲気じゃなかったのよ。それに、気づかない方も気づかない方よ」

 すいませんでした。

「なにはともあれありがとうございました」

「気にしなくていいわ。本当は一刻も早く。見つけた時に連絡したかったのだけど、何分忙しくてね」

 神楽がチラッと一瞥したそこには書類が山盛りに積まれていた。

「おかげでここに一泊することにもなったのよね。この学校にシャワー室があってよかったわ」

 大きく伸びをする神楽を見て、一応生徒会執行部の俺も手伝った方がいいなと思う。一応、執行部なのだ。暇なときにでも手伝うことにしよう。

「さて、私はそろそろ行くわ。見回りもしなくちゃならないからね」

「お疲れ様です」

 疲れを見せることのないその姿に俺は深々とお辞儀して見送った。

「なぁ、奏太。我は何か重要なことを忘れているような気がしてならないのじゃが」

 神楽が出ていき静まり返った生徒会室でルノはそんなことを言い出した。

「エルなら紗奈として劇に出ていたぞ?」

「いいや、エルのことじゃないんじゃ」

 一緒にいたはずのエルがこの場にいないことを疑問なのかと思ったが違った。

「忘れるくらいなんだからそこまで重要なことでもないんじゃないか?」

 なんて、俺が言えた義理ではないけれど。実際、重要なことを俺は忘れていたわけだが、正直あれは例外だ。強制的に忘れさせられていたのだから。

 だから、ルノの気にしていることはそうでもない限りは重要なことでもないはずだ。それでも、気になってしょうがないらしい。

「心がもやもやする。俺への恐怖、ね」

「な!我の心を勝手に覗くでない!」

「お前が言うか」

 勝手に心を読むことに関しては常習犯だろうが。

「あ、そうだルノ。報告することがある」

 それは、俺の魔力についてなのだが、

「よかったのぉ。開花して」

 言う前に心を読まれてしまった。

「まったく、せっかく驚かそうと思ったのに」

「フン、仕返しじゃ」

 そう言ってルノは小さく舌を出して笑った。

 どうやら俺に対する恐怖心は和らいでいるようだった。

 どうして俺に恐怖心を抱いていたのか気になるところではあるが、それよりも俺はルノに言いたいことがあった。

「なぁルノ」

「何じゃ?」

「俺は今、最強かもしれない」

 は?こいつ何言ってんだ?みたいな顔をするな。

「だってさ、元の魔力にお前の魔力。他のコントラクター、契約種よりも確実に勝っていると思うんだ」

 俺の説明にルノは苦虫を嚙み潰したような顔をした。

「やはり、コントラクターを殺すのか?」

「まさか。あれは俺の言葉じゃない。ディーテの術によるせいだ」

 多分。何しろ、あの言葉は俺の意思に関係なく発せられたのだ。ディーテがかけたのが『マインドコントロール』なら辻褄はあってしまう。

「そうか、ならいいんじゃ」

 この時、ルノから俺への恐怖心は完全に消えた。

 つまり、俺が人間性を失うことをルノは恐れていた。ということだろう。

 そういえば、このルノから恐怖心が消えたとわかったのは、他でもなくルノと契約したことによって得た力だ。なら、ゲームが終わればどうなるのだろうか。きっとルノとの契約は切れ、力を失う。それだけは・・・ん?俺は今何を考えていたんだっけ?

 何を考えていたのか急にわからなくなる。これは以前にやられた。

「ルノ。その術をかけるのはやめてくれ」

「難しいことを考えるのがいけないんじゃ。奏太は考えすぎると周りが見えなくなるからな」

 確かにその通りで会って全くもって否定はできない。考えすぎて死にかけるなんてよくあった。

「それにしても他に方法が」

 俺がそう言っていると、きゅるるとルノのお腹が可愛く鳴った。

「奏太!お腹すいた」

 こっちは真面目な話をしていたというのに。まぁいいか。

「もう昼だもんな。何か食いに行くか」

 俺が立ち上がると、ルノは当然のように俺の背中に乗った。

「自分で歩けよ」

「嫌じゃ」

 即答するな。

 相変わらず軽いから別に構わないが、これは将来ニート説が有力だな。

 なんて考えながらも生徒会室を出た足で同階にある3年生の教室へと向かう。

 ざっと見た感じ、A組は和食。B組は洋食。C組が中華。

 よくもまぁこんなにきれいに分かれたものだなと感心し、手始めにA組へと入った。

 和食をテーマにしたこのクラスで売っているのはそば、うどん、天ぷら。

 麺をそばかうどんのどちらかから選べ、売っている種類は変わらない。

 かけ、ざる、とろろに月見を加え、野菜や海鮮類の天ぷらをトッピングすることが出来る。

 麺は手打ち。出汁も一からとっているらしい。

 やけに本格的だな、若干引いていると、このクラスには家業がそば・うどん屋という生徒がいるとの情報をたまたま俺の後ろに並んでいた男女から入手した。

 とりあえず、俺はざるそばと野菜のかき揚げ。ルノはとろろうどんと海老、かしわ天を注文した。

 2人合わせて600円ほど。

 決して量が少ないわけではない。むしろ多いくらいなのにこの安さ。学校祭は意外と経済的に優しかったりする。

 商品を受け取り、A組横の教室に設けられたイートインスペースで座り食べ始める。

 味は普通に店で食べるものとは大差なく、とても美味だった。天ぷらはさくさくで、野菜の甘味とそばつゆの最高に相性がいい。一緒に食べることによりおいしさが倍増する。

 ルノは、とろろという得体の知れないものに戸惑いながらも、うどんとの相性の良さに頬がほころんでいた。

「うむ。うまかった。今まで知らんかったのがもったいないくらいじゃ」

「あれ?うどんって食ったことなかったっけ?」

「そうじゃな。初めて食べた。麺と言えばラーメンと素麺しか知らんかったからな」

 そういえば、うちで麺類はあまり出したことがない。パスタもそうだ。

「今度、いろんなものを食わせてやるよ」

 と、約束し俺らはC組へと向かった。

 この日、3年B組は劇を行ったため店を開くのは明日になっている。

 B組の前を通り、中国をモチーフにした装飾が施された教室で売られていたのは、中華まん、シュウマイ、小籠包など、片手間に食べられるようなものばかりだった。

 このクラスには、中国からの留学生がいるらしく、本場の味が食べられると評判で混んでいた。

 10分ほど並び、2人そろって中華まんを購入した。お値段は2人で150円という破格の安さ。

 もちもちの外生地にジューシーな具材。

 これが本場の味、なのだろうか。本場の味とやらを知らない俺にわかったのは、おいしいということだけだった。

「奏太」

「ん?どうした?」

 お互いに中華まんを完食し3階へと進む。

「学校祭は良いな!我の知らない食いもんがたくさんある!・・・じゅるり」

「腹が減ったのは分かったからそのよだれをしまえ」

 だが、本当にルノにとっては珍しいものばかりなのだろう。

 ・・・もっといろいろなものを食べさせてあげたい。

 気付けばそう思っていた。これからもルノとは過ごすだろう、チャンスはいくらでもある。

 そっとこれからの思いをしまい2年生の並ぶ教室廊下を進む。

 今日は2年A組とC組は劇。よって、店をやっているのはB組、それと、一般人の出張営業が行われているとのこと。

 そして俺は、唯一開いている2年生の教室を見て驚愕する。

「やけにファ〇マそっくりだな」

 コンビニは禁止だったはずだが、よくよく店を見てみるとそっくりなのは外見だけで中身はただの駄菓子屋だった。見た目詐欺にまんまと引っかかってしまった。

 ルノに好きなお菓子を選ばせ購入。小さな袋がいっぱいになっていたがそれでもお値段は100円と少し。

 俺も昔食べたことがあるのだろう。どことなく懐かしく感じる。

 麩菓子や口に入れるとしゅわしゅわする飴、スティック型のゼリーなど。中でもルノは笛の吹けるラムネが気に入ったようだった。

 そんななか、少し休憩しようと廊下を歩いていると、

「今日の出張営業メルゴらしいよ!」

「え、うそ!行かなきゃ!」

 という会話を耳にし、3階にある空き教室へと向かった。

 校舎の一番端にある空き教室。その扉を開けて俺は絶句した。

「いらっしゃい!って、奏太にルノちゃんか。ゆっくりしてけよ」

 俺に気づいたカフェのマスターことタケさんが声をかけてきたが耳に入らない。

 そのくらいこの教室には衝撃を受けた。

 俺のよく知るメルゴがこの教室にできていた。

 たくさんの生徒がいるためいつもの定位置に座ることはできず、隅のテーブル席に腰掛ける。

 置いてあるメニューも、その内容もよく知るものだ。

 儲かるからって力入れすぎだろ。

 今までこんなに人がいるメルゴは見たことがない。それだけがただ一つ俺の知らないメルゴの姿だった。

「あ、カナにルノちゃん。やっぱり来たんだ」

 そう笑って言う私服にエプロン姿の莉佐。

「こんな日まで、というか出張営業なのにも関わらずバイトか。大変だな」

「そうなんだよ。今までこんなにお客さんがいることもなかったし、マスターもあんなんだからもう大忙しだよ」

 莉佐が見た方には現役女子高生に囲まれて、一応仕事をしながらも楽しそうに談笑しているタケさんが。

 仕事がメインであるはずなのに、どうしても仕事がおまけに見えてしまうから不思議だ。

「あの人の目的は女の子と楽しく話すことだったのか」

「多分そうだと思うよ」

 莉佐は俺の呟きに低く冷たく言った。

 莉佐が低く冷たくいう時は、本気で怒っている時。それを知っているせいなのか、俺には莉佐が黒いオーラを纏っているように見えた。

 タケさんはこの学校祭という場を商売繁盛と女子と戯れる絶好の機会としてここにいる。だがしかし、バイトの莉佐にはタケさんの仕事がちっともはかどっていないせいでその分の労働量が増えてしまっている。

 これには俺も同情した。

 これが終わったらタケさんは莉佐に怒られるんだろうなぁ。どんなふうに怒られるのかなぁ。なんて気になってしまう。

 これを莉佐が聞いたら俺にも怒りそうだ。タケさんにはきっとSと言われる。

 いくら行く末が気になるからと言って混みに混んでいるこの場にとどまり続けることもできない。

「一杯だけ飲んだら俺らは行くよ。あ、アイスコーヒーね」

「我はクリームソーダ」

「はーい了解。すぐに持ってくるね」

 そう言って莉佐はつかれたような顔をしながら、本当にすぐ注文した品を持ってきた。


「ふー、人込みから抜け出した解放感。たまらぬ」

 莉佐とタケさんに一時の別れを告げ、メルゴから出て中庭でのルノの第一声がそれだった。まぁ、わからなくもないけど。

「そういえば。お前ってアイス食えたんだな」

「どういうことじゃ?」

 俺の何気ない疑問にルノは頭の上にクエスチョンマークを浮かべた。

「だってさ、初めてアイスを見た時は汚物扱いしてたし、トラウマで食えてなかっただろ?」

 なのに、さっきはごく普通にアイスクリームの乗ったメロンソーダ、クリームソーダを注文し、まるでいつも食べているかのように食べていた。

 当然、うちでルノがアイスを食べている姿を見たことはなかった。

「別にアイスが溶けるだけであって我の体が溶けるわけではないからな。実は莉佐の家で何度か食べさせてもらっていたんじゃよ」

「そ、そうか」

 ・・・一体こいつはいつの間に莉佐の家に行っているのだというのだ。俺が起きている時は常に一緒にいるし、寝ている時だろうか。

 まぁ他人のプライベートはいい。気にはなるが気にしてもしょうがない。

 そう考えながら行き先もなく歩いていると、ポケットに入れていたゲームが始まる以前から持っていたスマホ振動した。

「もしもし?」

「もしもし?奏太君?」

 電話の主はつむぎだった。

「そうだけど、どうした?珍しいな」

「ちょーっと屋上に来てくれる?ルノちゃんがいると尚いいんだけど」

「わかった。すぐ向かう」

 電話を切り、俺は跳躍で、ルノは浮遊で屋上に向かった。

 俺の体は魔力も戻り体も向こうの物らしいから羽でも生えるかと思っていたが、それだけは何度やっても無理だった。不思議だ。これも、本調子ではないという奴だろう。きっとすぐに良くなる。

 さて、屋上に着いて目に入ったのは勢ぞろいした生徒会執行部だった。

 何かを囲むように立っているのだが、その何かがちょうど影になっていて見えなかった。

「あら奏太。意外と早かったわね」

 と、俺の存在にいち早く気づいた神楽が俺を生徒会の輪へと招き入れる。

「これを見て欲しいのよ」

 そう言われ生徒会執行部が囲んでいたもの俺は確認する。そして、フリーズする。

「なんで、こんなところに血文字が?」

「え、これって文字にゃのか?」

 ノノが俺の言ったことに驚いていたが、無理もない。

 ここにいるメンバーのうちこれを文字だと認識できるのは俺とルノしかいないのだから。つまり、書かれていた血文字はアーウェルサで使われている言語だったのだ。純粋な人間が見ればアーウェルサの文字はただの記号にしか見えない。

「で、これは何と書いてあるんだ?」

 牙登の質問には答えずに俺はこの血文字を黙読する。

「おい奏太。聞いているのか?」

「聞いてるよ。だが、牙登。お前さ本当に知りたいか?」

 俺は声を低く、そして冷たく言った。莉佐のように怒っているわけではない。ただ、こいつらにここに書かれていることに対してどのくらいの覚悟があるのかを知りたかった。

「ここに書いてあることは俺にはわかる。それと同時に、ここに書かれていることはお前らに関係ないということもな。そして、」

「そしてこれは、奏太に向けたメッセージじゃろうしな」

 ・・・そうだったのか。

 俺の言葉を遮って言ったことに密かに動揺するなかルノは構わず続けた。

「奏太に向けられているからこそ、人間であるお主らに話すことはできん。わざわざアーウェルサの言語で書かれているのにもそう言った意味合いがあるはずじゃ」

 俺の言いたかったことを全て言われたが、とりあえず人外である俺とルノの説明に退いてくれる。そう思っていた。

 神楽は胸に手を当てて1歩前進し俺に近づいた。

「奏太。あなたは生徒会執行部の掟があるのを知っているかしら?」

 黙って首を横に振る。そんなのがあるなんて今初めて聞いた。

「じゃあ、今覚えて頂戴」

 神楽がそう言うと、他の執行部は横1列に並んで俺と向き合った。

「一つ!お互いを信用し信頼する」

 と牙登が。

「ひとーつ!努力のために努力する」

「一つ!どんにゃ時でも力を合わせる」

「一つ!気持ちをみんなで分割する」

 つむぎ、ノノ、葵と続き、最後は神楽が、

「一つ!仲間の問題は全員で解決!」

 ビシッと指先を伸ばし堂々と言い放った。

 けれども、俺の心は揺るがない。それは、神楽も気づいていた。

「あなたも生徒会執行部である以上はこの掟には従ってもらうわ」

「だからさ、奏太君。つむぎたちを信用して、信頼して、奏太君に抱えている問題を話してよ」

「まだ私たちに言うことを渋るというなら、このハリセンで背中を押しますから」

「俺らに何か心配があるというのならそれも聞く。だから、決して1人で勝手に行動するのだけはやめてくれ」

 強引に生徒会執行部に入れられ、こいつらの身を案じているというのに人の気も知らずに話せとはな。

 虫唾が走る。

 だが、ここで引いてくれるような人たちでもない。それは重々承知している。

「ルノ、いいか?」

「勝手にするがよい。我は奏太の決めた道についていくだけじゃ」

 それはそれで困るが、とりあえずルノ自身このことを話してもいいと判断したようだ。

 改めて屋上に書かれた血文字に目を通す。

「『暗き心が明き心に勝る時。闇が体を蝕み光を失う。慈愛の神民から破滅の魔族へと姿を変えすべてを破壊する。その時そなたは大事なものを得、大事なものを失う』」

 ただ文章を読み上げただけなのに、どうしてか胸がチクリと痛んだ。

「奏太君?どうしました?顔色がよくないみたいですけど、叩きましょうか?ハリセンで」

「・・・なんでハリセンだよ。他に何かなかったのかよ」

「ハリセンでたたいた時の音が好きなんですよねぇ」

 と葵は聞いてもいないことを恍惚とした表情で言った。

 ・・・こいつドSだな。

「それで、結局どういう意味なんです?」

「さっきその子が『奏太に向けたメッセージ』って言っていたじゃない?それがヒントになるんじゃないかしら」

 そうだ。神楽が言っているように、ルノが俺へのメッセージと言ったんだ。俺にはいまいち理解できていないが、このロリ悪魔は既にこの文章の意味をちゃんと理解しているということか。無駄にハイスペックな奴め。

「ルノ」

「断る」

「まだ何も言ってないんだけど」

「どうせこの文章の意味を教えろというんじゃろ?」

 図星であるため何も言い返すことが出来ない。

「お主が大好きな考えるという行為を今ここで役立てるんじゃな」

 別に考えることが好きと言うわけではないし、無駄に時間をかけたくないのだが。「奏太自身が考えることじゃ」と言い、それっきり何も言わなくなった。

 仕方ない。頭をフル回転させるとするか。

「なぁ奏太。お前さっき『ここに書いてあることは俺にはわかる』って言っていたよな?」

「言ったな。けどな牙登。意味が分かるとまでは言ってないぞ?」

 だからこうして悩んでいるのだ。

「まず、『暗き心が明き心に勝る時』だな」

 当然比喩表現だとは思うが、『暗き』が闇だとすれば『明き』は光。

「あぁ、そうか」

「わかった」

「「『善』と『悪』だ」」

 俺と牙登は口をそろえて言った。

「牙登、よくわかったな」

「謎解きは得意だからな」

 じゃあ牙登にすべて任そうかなとか思ったが、ルノに黙殺された。

 やっぱり俺が考えるべきことなのか。

「これを言い換えると、『悪い心が善の心に勝る時』?ねーねー奏太君。つむぎ分かったかもしれない。わかっちゃったかもしれない。天才かもしれないよ」

 いくらなんでも自分を美化しすぎだしここまでくると俺にもわかったが、

「言ってみろ」

 と続きを催促する。

「つまりね。奏太君の心から善がなくなっちゃって悪に染まった時ってことじゃないかな」

 あれ、俺の考えていたこととちょっと違う。

「つむぎ、次の文のことを考えてくれ。『闇が体を蝕み光を失う』だ。この闇と光も善悪を表していたら意味が重複するだろ?」

 しかしつむぎは理解できないという風に首を傾ける。

「だからな夢霧。『暗き心が明き心に勝る時』というのはまだ心の傾きを現しているんだよ。イメージとしては天秤に善と悪が釣り合わずに常に揺れている状態だ」

「で、『闇が体を蝕み光を失う』という次の文で天秤が完全に悪に傾くってわけだ」

 俺と牙登の説明につむぎは「賢いねぇ」と言って拍手する。

 なにはともあれ2つ解けた。あとは、

「『慈愛の神民から破滅の魔族へ』とはどう意味にゃんだ?」

「それはそのままの意味だな。堕天するって言ったらわかるか?」

「神話に登場するルシファーのような感じかしら?」

「そう言うことです。それに続く『すべてを破壊する』というのは魔族の気性の荒さを示しているんだと思います」

 そして、1番最後の文。『その時そなたは大事なものを得、大事なものを失う』という文章も捻りなくそのまま捉えると。

『心の中の天秤が悪に傾いた時。善は悪に飲み込まれ、神民から魔族へと堕天する。魔族となりすべてを破壊したとき、大事なものを得ると同時に失うことになる』

 ・・・どこかで聞いたことがある。

 それが、謎解きが済んでから第1に持った感想だった。

「要するに、心を強く持てということじゃな」

 ルノが雑にまとめる。まぁ、意味としてはそうなんだろうけど、そんなに簡単にまとめられると若干の苦労が無駄になった気がしてならない。

 だが、これが俺に対してのメッセージ?心を強く持てという誰からかもわからない、しかも血で書かれたメッセージ。

 ここで俺は気づいてしまった。

 昨日俺が気を失ったのはちょうど血文字のある当たり。

 もし、もしもだ。俺が意識を失ったことと何か関係があるのなら。

 俺が意識を失う直前に考えていたこと。それを思い出した時、すべてのパズルのピースがかちゃりと噛み合った。

 それによって導き出された答え。俺は、

「人間性を失う直前に決まって気を失った。死にたくないという思いから、コントラクター、人間に対して殺意が芽生えた」

「奏太?」

 神楽が俺の名を呼んだが反応できなかった。

「あぁ。そうか、そうだったのか」

 そして俺は何故気を失ったのか。気を失った時に何をしていたのか。完全に思い出した。

 そうだ、ルノがディーテと戦ったということには違和感があった。仮にエルがいたとしても、奇跡が起きない限りは無事ですまない。運がよくて生。最悪、死。その2択。

 俺は絶望感に打ちひしがれながらも、真実を明らかにしなければならないという衝動に突き動かされた。

「あの、奏太?」

「悪い。少し離れていてくれ、ださい」

 言いながら相手が神楽であることに気付き中途半端に敬語になったが気にしていられない。

「『神器・漆熱トライデント フォルム:ナイフ』」

 短刀に変化させた神器を手にし、おもむろに自分の右手を切りつけた。

 痛みがあるがそんなことはどうだっていい。必要なのは、血だ。

「奏太!?何をしているのよ!」

「うへぇ。つむぎ血は苦手なんだよ」

「じゃあ少しの間、目を逸らしてろ」

 溢れ出た血液を使い、乾く前に素早く魔法陣を屋上に描いていく。

「魔法陣を使うような術?奏太め、一体何をするつもりじゃ?」

 今はルノの呟きを拾ってやるほどの余裕もない。ここまで切羽詰まるのは久しぶりかもしれない。

 出来上がった直径5mほどの大きな円形魔法陣をみて俺は会心の出来に頷く。

「ルノ、協力してくれ。中央に立つだけでいい」

「え、嫌じゃよ」

 術を掛けられるとわかっていて露骨に嫌がるのもわかるが、

「今ここではっきりと明言する。ルノ、お前はディーテと戦ってはいない」

「はぁ?何を言っているんじゃ?我は確かにディーテと」

「その記憶は作られた。書き換えられた偽物の記憶だ。そんな事実は存在しない」

 未だに信じられないのか、落ち着きがなくなり動揺した様子を隠し切れないルノ。

「大丈夫、悪いようにはしない。本当は何があったのか、知りたいだろ?」

 しかしルノは動かない。

 はぁ、この手だけは使いたくなかったんだけど。

「・・・今晩はハンバーグだ」

「その約束忘れるなよ」

 今までに見たことがないほどの超スピードでルノは魔法陣の中央に立った。

 ちょろい。そしてお肉の持つ魔力って本当に恐ろしい。

 だが、作戦は成功。術を発動する。

「『メモリーズビジョン』」

 魔法陣が赤く輝きだしルノの体から中空にスクリーンが投影された。

 そこに映し出されていたのは、俺がついさっき思い出したこと。少し違うのは、視点がこの記憶の持ち主であるルノであること。

 俺が持つはずのない死神族と、武器を作り出す魔力をつかってルノに襲い掛かっている。

 俺が双剣を手にし、その数秒後映像は終わった。

 その終了間際。別の人物がフレームインし、何か言ったのを俺は聞き逃さなかった。

 エルだ。白いツインテールの。そのエルが、

『ルノにトリアのこの姿はまだ早い』

 それだけ言っていた。

 ルノの記憶を書き換えたのはエル。書き換えられたルノはこの映像を見て愕然としていた。

「そうじゃ。だから我は目を覚ました時、無意識に奏太を怖いと思ってしまったんじゃ」

 確かに、あれを見て恐怖を抱くのも無理はないと思う。

「・・・奏太、少しいいかしら」

 神楽に呼ばれてゆっくりと振り返る。

 執行部は皆、表情が凍ってしまったかのように固まっていた。

「はぁ、本当はこんなことをしたくはなかったのだけれど。・・・堀井奏太。あなたを生徒会長、椿山神楽の命により退学処分とするわ。理由は」

 聞かなくてもわかる。

 危険のある生徒をこの学校に置いとくわけにはいかないのだろう。生徒たちの身の安全も考えて。

「当然あなたに感謝することはたくさんあるわ。だから、明日までここにいることは許すわ。けど、ごめんなさい。生徒会長として、こうするしかないの」

「謝らないでください。心遣い。感謝します」

 俺はそう言い、気まずそうに屋上から離れていく執行部を見送った。

「はぁ、やっぱりこうなったか」

 なんとなく予感はしていた。だって俺は人間じゃないんだから。なんて考えているとまた黒い方が出てきてしまいそうだ。

「・・・ルノ、帰るぞ」

 屋上から飛び出し真っすぐ帰宅。

 そしてその日はそのまま眠りについた。




 俺はどうして夏休みが明けてから学校に行くことを選んだのか。

 迎えた翌日。せっかく1日だけ学校に行ける猶予が与えられているのにも関わらず家からでずそんなことを考えていた。

 夏休み終了時点で俺が異世界民であることはわかっていた。けれども、『人間性』というものを失わないために俺は学校に行った。

 力さえ、能力さえ使わなければ人間として過ごせる。そう思っていた。だが間違いだった。間違いだったというよりかは、想定しえない事態が起こってしまった。

 俺の知らない俺が存在しているなんて、よっぽど中二病をこじらせていない限り考えもしない。

 以前、中島が撤退していたのも、もう一人の俺によるものなのだろう。

 あの姿を知っているのはルノ、生徒会執行部、多分中島、あと、口ぶりからエルも知っている。

 もう学校に行くことはできない。生徒会長直々に退学処分を受けたのだ。どうしようもない。

 一体今まで何のために学校に行っていたんだろう。その答えはどこにもない。

「奏太、飯できたぞ?」

「あぁ、うん」

「・・・お兄ちゃん、大丈夫?」

 布団から出ずにあいまいに答える俺に優衣が顔を覗き込んできた。だが、それを直視することが、俺にはできなかった。

「正直、大丈夫じゃないかも」

 優衣には今朝、俺の知らない俺については話した。

 だが、優衣も実際に被害を受けたルノですらも俺に対する接し方は変わらない。

「お前らは、俺が怖くないのか?」

 なんて聞いてみるが、一番俺を恐れているのは俺自身だ。

 聖なる種族、神民にとって魔族に堕ちるということは、その周囲にいたものを傷つけ、死ぬことよりも避けたい事態だ。むしろ、魔族に堕ちるのだったらと、自ら死を選ぶ者は少なくない。

 魔族に堕ちて変わることで1番大きいのはやはり魔力。

 光を操ることはできなくなり、闇を操れるようになる。そして、性格も・・・、

 ふっと、何を考えていたのかわからなくなる。何が起こったのか理解するのに時間は要さなかった。

「ルノ、その術をかけるのはやめてくれ」

 今はとにかく考えていたかった。考えることで、気を紛らせたかった。

「我らが答えを言う前に考え込むからじゃ。せめて話を聞いてからにせんか」

「う、悪い」

「・・・私は、怖くないよ?お兄ちゃんは、お兄ちゃんだもん。私のお兄ちゃんであることには、変わりない」

 そう言って優衣は起き上がった俺の足に乗った。

「そうか。ルノは?」

「我は、正直に言うと怖かった」

 やっぱり。生徒会室でルノが起きた時の怯えっぷりは尋常ではなかった。

 少しばかり心が痛む。

「なぁ、ル」

「じゃがな。今は怖くない。いつ暴走するかもわからないという恐ろしさこそあるが、こういう時こそなぜ暴走したのか、それを考えるべきでないのか?さっきから奏太は後悔ばっかりしておる。そんなんじゃ、ちっとも前に進むことはできんぞ?」

 後悔するな。前に進むために考えろ。つまりはそう言うことだろう。

「暴走するタイミングさえわかれば十分に対処はできるじゃろうしな」

「そうだな」

 どうやら俺はすっかり冷静さを欠いていたらしい。

 原因さえわかれば。俺の知らない俺が何者なのかさえわかってしまえば、問題は解決する。

 俺は自分自身に詠唱術をかけ内側の存在を探ろうとした。だが、何も結果は出なかった。

 なにか、正体を掴めるような方法はないかと考えていると、静かな我が家にガチャという玄関のドアが開けられる音が響いた。

 ・・・鍵閉めてなかったっけ。

「・・・見てくる?」

「いや、俺が行く」

 多分、害はないと思うが、一応右手に神器である槍を手にしリビングと玄関をつなぐドアの横で息をひそめる。

 ゆっくりと足音が近づき、それに伴って感じる魔力が大きくなり、俺は矛を収めた。そして、勢いよくドアを開けた。

「あ!トリア!」

 そこにいたのは、エルだった。

「あ!じゃねぇよ。お前、学校は?」

「トリアが行かないのなら私が行く理由もないからさ」

「あっそ。まぁいいや。お前にも聞きたいことがあるからな」

「聞きたいこと?別にいいけど、あれは良いの?」

 エルの指差した方にいたのは俺の部屋のドアからこそっとこちらを見守る2つの影。

「大丈夫だろ」

 なんで出てこないのかは分からないが、話が気になれば聞きにくるだろう。

「で、俺が聞きたいのは」

「トリアに潜むもう1つの存在、だよね」

 エルは静かに言った。わかっているのなら話は早い。

「お前は、何を知っている?」

「えーと、私も詳しくはわからないんだけど、私がトリアの記憶を封印したあの日、どうやって襲い掛かってきた魔族を殺したのか覚えてる?」

「いや、覚えてないな。気づいたら戦いが終わっていて」

 言いながら気づいた。

「まさか、あの時もそうだったのか?」

 小さく頷いてエルは言った。

「あれが私の中で初めて見たトリアのもう一つの姿。けど、あれが初めてじゃないはずだよ?」

 初めてじゃない?

 つまりあれ以前にも同じことがあったということ。そんなの、聖魔大戦しかない。

 当時の悪魔王、ザビロと戦った時だ。

 戦ったということは確かに覚えてはいるけれど、どういう風に戦って、どんなことがあってというのは覚えていなかった。あの時も気づいたら戦いは終わっていた。

 昨日見たあの姿は魔族というよりかは魔族そのものだった。だが、その後は神民として過ごしている。

 このことから導き出されたのは、魔族の力を持った神民。決して堕ちたわけではない、神民の体に宿っていた、そう考えるのが妥当だろう。

 その姿をザビロが見たのなら、類稀な俺に何かを感じ、わざわざ生かしたのかもしれない。まぁ、今となっては確かめるすべはないため、ただの推測でしかないけれど。

「ルノ、ちょっときて」

「何じゃ?」

 元異世界民である2人に聞くことがあった。

「俺のあの姿、どこかで見覚えがあったりしないか?」

「心当たり無し」

「我もじゃ」

「だよな」

 元々期待していたわけではない。結局のところ何者なのかという答えを得るために聞いただけだ。

「何か正体が掴めるようなことでも・・・って、優衣?どうかしたか?」

 考える俺の袖をどこか緊張した様子の優衣に引っ張られた。

「・・・何か、来るよ」

「え?」

 優衣が言い終わると同時に今まで感じたことのないほど強力な魔力を直接肌で感じ取った。

 それはルノとエルも同じだったようで、とある1点を見つめていた。

「何?この魔力」

「学校の方角じゃな」

「チッ!話は後だ。向かうぞ。優衣は留守番しててくれ」

「・・・わかった」

 優衣の返事を待ち、俺、ルノ、エルは窓から飛び出した。

 エルは背中から白くて大きな翼を生やし、ルノも持ち前の浮遊能力で空から目的地へと向かう。ただ一人、俺だけが全速力で屋根の上を駆け抜ける。

「ねぇトリア。優衣はどうして」

「俺らより早く存在に気付いたのか、だろ?あいつはコントラクターの時から魔力を感じ取ることが出来ていた。恐らくその名残だろうな」

 ただの人間が魔力を感じることはできないが、元コントラクターというだけで妙な説得力がある。

「奏太!もう着くぞ!」

「わかってる」

 もう視界に学校は入っている。

 近づけば近づくほど感じる魔力も大きくなる。だが、目的地についても、

「何も、いなくない?」

「これは一体どういうことじゃ?」

 学校近くにある民家の上から眼前に広がる潮ノ宮学園は平和そのものだった。普通に学校祭が行われてにぎわっている。

 けれども魔力は確かにある。まるで、学校を包み込んでいるかのような・・・。

「エル、ルノ。わかったぞ」

 俺は冷や汗を浮かべて言った。

「何じゃと?」

「本当に?」

 こんな場面で嘘はつかない。

「これ、罠だ」

 たったそれだけの一言で顔が青ざめる天使と悪魔。こうしてみると文脈的に面白いなんて今はどうでもいい。

「あまり取り乱すなよ?集中しろ」

「よくもまぁそんなに冷静でいられるのぉ」

「それがトリアだからね」

「誉め言葉として受け取っておくよ」

 俺は苦笑して冷静に現状の確認を開始する。

 魔力の感じからして、これを発している正体は水獣族。端末で確認するに中島が札幌にいることは確かだ。あの人も仕事があるだろうに、忙しい人だ。

 中島の契約種、水獣族のスライムがどこにいるのかわからないが、学校を魔力で包み込んでいるのはわかる。

 じゃあ魔力で何をしているのか。それを確かめるのはいたって簡単。真上に火の玉を放つ。

 ルノとエルが不思議そうに眺める中、放たれた火の玉は何もない空中で何かに当たったかのように消えた。俺が能力を解かない限りは消えないあの火がだ。

「何が起こったんじゃ?」

「見ていた通り、強制的に消されたんだよ」

 俺の説明に目をぱちくりさせるルノに対し、エルは気づいたようだ。

「もしかして、結界術?いや、まさか」

 自分で否定しようとするエル。

「そのまさかだよ。前に教えただろ?」

 そうだっけ?と首を傾げるエルにあきれながらも、ルノにも理解してもらうために説明する。

「結界を張ることが出来るのは、天使族・神獣族といった神民だけじゃない。妖精・火獣・水獣・雷獣・氷獣・風民と言った、精霊に分類される種族にも使うことが出来る」

 後は一部の魔族、エルフも使うことが出来るがこいつらは例外だ。神民と精霊は多少の練習は必要だが初めから使うことが出来る。しかし、例外な奴らは元からそのような能力は持たない。本当に必要とされたものだけが、神民もしくは精霊から伝授してもらうことが出来る。

「まぁ、そんなわけだから。ルノ、迂闊に触るなよ?」

「なぜ我?」

 お前が1番好奇心で近づきそうだから、と言えば怒られそうなので、話をそらすように結界術の説明をする。

「種族によって張り方やその結界の特徴も変化するんだ。今回は水獣族、スライム種だから奴の体質上、触れると溶けるかもしれないな」

「じゃが、ここに来るときすでに張られていたのなら、我らが溶けていても」

「それは侵入したら出られなくなるタイプなんだろ」

「じゃあじゃあ、これに触れたら人間たちはどうなるんだろうね」

 エルよ。無邪気に笑いながら聞くのはやめて欲しい。シャレにならないくらい恐ろしいから。

「苦しみ続けるだろうな。死ねずに。出ることもできず」

 体を溶かされて。

 と続けるのはルノにとって酷なような気がした。何せ、ルノは自身の体を溶かされたことがトラウマになっているのだから。

 さっき自分で溶けると言った時にも顔が青ざめていた。

「トリア!何とかしなきゃ!」

「そうは言ってもだな。結界は視認できないし、範囲を探ろうとむやみに動くのも危ない」

「じゃあ放っておくの?」

「そうは言ってない。学校への出入りが出来ないようにすればいい」

 結界は少なくとも学校の敷地には入り込んでいない。だから、校門を塞げば人間は苦しまずに済むだろう。

「エル、結界張ってくれ」

 俺の知っているエルは回復術すら使えていなかったが、あれから何百年とたっている。さすがにできないということは、

「・・・ごめん。無理」

「はぁ?無理って?」

「ちょっと、私には難しいかなと」

「できないならできないと」

「できません!」

「威張るなよ」

 こいつは今まで何をしてきたんだよ。天使族なら500年生きれば確実に習得しているべきものなのに。

「だってさー、戦いに身を投じるだなんて今まで思ってもいなかったわけでー、一応最低限の回復術は使えるようになったしさー、『マインドコントロール』の扱いなら王城1位だからさ」

 なんとも狭い範囲での1位だな、おい。王城にいる『マインドコントロール』使いなんて精々4、5人だろ。

「仕方ない。あまり顔も見られたくないし、ここから張るか」

「よ!さすがトリア!」

「向こうに戻ったら習得してもらうからな?」

「う・・・はい」

 民家の上から校門までの距離は200mと少し。しっかりと見定めて透明な壁を出現させる。

 結界が張られる直前に校外へと向かって行った人は見えない壁に頭をぶつけうずくまってしまった。

 その人には悪いが結界を張れたという確認が出来た。

「さて、と。どうしようか」

「「はぁ?」」

 ハモるほど驚くことか?

「いや、俺らはここから出ることはできないだろ?魔力でスライムを探したいところではあるけれど、こうも充満されているとまともに探すことも出来ねぇ。あと、退学となるのは学校祭後ではあるけれど、俺はあの場に入りにくい」

 現在俺の目に映っているのは、俺が作った我がクラスの模擬店。

 長蛇の列を成し、火を通して中を見ても繁盛しているのがよくわかる。

「エルは行ってきてもいいんだぞ?」

「いいや。トリアと一緒にいる」

 そういうエルの横顔は少し儚げだった。やっぱり行きたいのだろうな、と俺は思う。

「ルノー」

「なんじゃー?」

「ちょっとエルと学校祭回ってろ」

「「え?」」

「ちょっと人に会ってくるから」

 返事を待たずして俺は学校の敷地へと足を踏み入れた。

 あいつには、あいつらには学校祭を楽しんでほしかった。ただそれだけ。そして、スライムとの戦闘前に会っておくべき人物を俺は探す。

 一応、帽子に黒縁メガネというあまり変装になっていない変装もして。

 校内をくまなく歩きまわり、時々クラスメイトや生徒会執行部とすれ違ったものの一切気づかれることはなく、エルとルノにさえ気づかれなかったことに若干ショックを受け、購買で休憩している時、探し人は見つかった。

 図書室へと続く階段をのぼるその人物を追いかけ声をかける。

「おい、絵美。ちょっといいか?」

 声に反応し、振り返った金髪の後輩は明らかに困惑していた。

「すみません。どちら様ですか?」

 は?本当に気づいていないのか、それともふざけているのか?

「俺だよ俺。わざとなら怒るぞ?」

「なんだか電話越しでする詐欺みたいですね。ほら、職員室に向かいますよ」

 え、うそ。マジで気づかれてないの?この帽子とメガネが恐ろしいよ。

 腕を掴まれそうになったのを回避し変装を解く。

「なんだ、退学処分を会長直々に受けた先輩じゃないですか。意外と気づかないものですね」

 痛いところを、というか情報伝達早すぎるだろ。

「それでは」

「いや、ちょっと待てって。お前に用事があってきたんだよ」

「何ですか?あ、やっぱりデートしたいとかそんなお願いですか?しょうがないですね、こんな美少女が一人で歩いていたら声をかけたくもなりますよね。わかります」

「何がわかりますだ。勝手に納得すんな。そして自惚れんな。っていうか、私とデートしたがる男子なんていっぱいいる、だなんて言っていた割にボッチじゃないか」

「私の真似はやめてください、気持ち悪い。たしかにいっぱいいましたよ?私にデートを求める人たちは。いたけど、断ったんです。どうでもいいオスなんかと一緒に歩きたくないですし」

 ほんとかなぁ。むきになるとこがまた怪しい。

「疑っていますね?」

「まぁな」

 階段の性質上、後輩に挑戦的に見下ろされているが、逸らすことなく見上げる。

 俺がいぜんそらそうとせず、絵美がプイっと顔を逸らした。

「疑いたいなら好きなだけ疑ってればいいですよ。それで?学校1の美女に何の用ですか?調べることがあるのでさっさと済ましてください」

 調べごとのためにこんな日でも図書室に向かっていたのか。勉強熱心で感心、している場合ではない。

「恩返しをしてほしいんだよ」

「変わった頼み方をしますね。いいですよ」

「やけにあっさりと了承してくれたことに一切の疑問を持つことなく、昨日退学処分を受けた屋上へと連れ出す。

「そういえばさ、お前ってなんか雰囲気変わったよな」

「貶しているんですか?」

「そうじゃねぇよ」

 こういうやり取りもであった頃にはありえなかっただろう。なぜだか嫌われているような節もあったし。

「いきなりなんですか?気持ち悪いですよ」

「本っ当に容赦ないな」

「はぁ、そんなことを言うためだけに私は連れてこられたんですか?せっかく人もいないし告白かもと期待したのに」

「・・・一応聞くが、もしも俺が告白していたら」

「1秒もかけずにお断りしますよ」

「だよな。って、そんな話をしに来たんじゃなくて」

「先輩からし始めたんでしょ」

 という呟きは聞かなかったことにしてようやく本題に入る。

「お前に聞きたいこととやってほしいことがあるんだ」

 俺はおふざけモードから真面目モードに切り替えて行ったのだが、絵美の態度は変わらない。

「いいですよ。ただし、私が聞かれたことを答えることにより恩返しは遂行され、何かするというのは別料金ですよ」

 と、悪徳業者のようなことを言い出した。なんだよ別料金って。

「今までに助けた分の恩返しが1つだけっていうのは釣り合いが取れないだろ」

「そもそも先輩は気にしなくていいと言ったのですから、私が恩を返す必要もないと言えばないんです」

 俺はどうして余計なことを言ってしまったんだ。

「わかったよ。とりあえずこちらの質問には答えてもらうからな」

「構いませんよ」

 ようやく話が進む。そう思ったのだが、そいつはこちらの都合などお構いなしに姿を現した。

「はぁ、タイミングというものがあるだろ」

 近づく2つの大きな魔力。

「先輩、あれは?」

「悪い、絵美。話はあとだ。先にあれを止めなきゃまずい」

 校門からこちらへと近づいてくる巨大なスライム。

 2つの魔力を1つの体から感じるということはつまり、2人が1人になっているということだ。前回が人間をベースにしていたのなら今回はその逆。スライムをベースにしている。

「加勢しましょうか?」

「ただの人間が何を言ってるんだよ。恩返しの内容を変更する。一般人を校内に避難させてくれ」

「わかりまっキャ!」

 驚く絵美を無視しお姫様抱っこをして地上まで降りる。

 絵美に避難を任せ俺はスライムへと駆ける。

 まだ奴らは敷地内には侵入していない。俺の張った結界がうまいことストッパーになってくれているようだ。だが、それがいつまで持つかもわからない。

 とりあえず結界を維持しつつ避難が終わるのを待つ。

「先輩!終わりました!」

 玄関のあたりにいる絵美から報告を受け校舎を囲むように新たな結界を張った。

 それが終わると同時に、侵入を防いでいた校門前の結界が破られた。

 これが便利な結界術の欠点。2枚以上張ると耐久力が著しく低下する。

 避難中に割られなかっただけ良しとしよう。それに、戦うなら広いに越したことはないのだから。

 スライムはその巨体に似合わぬほどの速さで、グラウンドの中央にいる俺のもとへとやってくる。近づけば近づくほどその大きさがよくわかる。

「学校よりもでかいな。どれだけその体に魔力を溜め込んでいるんだか」

 スライムの体の大きさは保持している魔力量に比例する。つまり、量が多ければ多いほど大きくなるし、逆に魔力が減れば減るほど体は小さくなる。

 核を壊すのが無理だと判断した時は魔力切れを狙うことも考えたが、

「さすがにこの巨体は無理そうかな」

 スライムは俺と50mほど離れたところで止まった。

「見ツケましたヨ。堀井奏太」

「そいつは、ごくろうさん」

 中島と、少しだけ聞いたことのあるスライムの声が混ざったような聞いていると具合が悪くなる声。

「アナたを殺シ!北海ドウを、わたくしの物にスる!」

「わかった、わかった。やれるもんならやってみな」

 右手に神器・漆熱トライデントを手にし槍の状態で構える。

 一瞬の膠着状態の後、先に動いたのはスライム。

 体をもぞもぞさせ、自身の体を細い鞭のように変化さえる。その数、10、20、30以上!?

 こりゃ全部捌くには骨が折れるな。

「『漆熱トライデント フォルム:ソード』」

 槍を長剣へと形状変化。左手に俺の持つもう一つの神器である鞭を手に。さらに、

「『ブレイズダガー』」

 火でできた短剣を空中に5本ほど出現させる。この計8本の武器を巧みに操り向かってきた攻撃に対処する。

 だが、相手は液体。水に包丁を当てても意味を為さないように、この相手にも俺の抵抗は通用しなかった。

「ムダムダムダムダー!」

 とどこか異能力系のアニメで見たことのあるようなセリフを吐きながら攻撃は増してくる。

 反撃の手段は、

「『ブリリアント・ショット』!」

 光の玉をスライムに打ち込む。

 しかし、これもまた穴が開く程度でダメージにはならない。魔族になら破滅的な効果を成す俺の魔力も精霊が相手だとあまり効果もないようだ。

「ホらほラ!そんなものデスかぁ?素直ニ殺されナサいよ」

「黙ってろ」

 攻撃を右へ、左へ避けながらもはるか上空にひっそりと出現させた火を通して光の魔法陣を形成していく。

「『すべての粒子を光へと変え、その身を朽ち果たせ』」

 スライム全体を囲む魔法陣が発動し白い光があたりを包み込む。

「滅べ」

 この術を魔族以外に使ったことはないが、多分人間に害はないはずだ。スライムだけを殺すことが出来るだろう。

 光の中でスライムの体がどんどん分解され光の粒子へと変わっていく。

 これで終わってくれればよかったと。この時俺はどれだけ強く思ったことだろう。こんな簡単には終わってくれなかった。

「ムダだー!」

 一際大きな声と共に、大きな爆発音がした。さらに、あたりを光ではなく土煙が包み込む。

 くそが!校庭ごと魔法陣を壊しやがった。魔法陣が壊されれば術の発動も止まる。

 こんなときに愛剣であるエクセリオンがあれば。なんてないことを嘆いても仕方ない。態勢を立て直そうとバックステップを踏む。

 ふにゅと、明らかに地面とは違う感触。

「グッ」

 右足に何かが刺さり激痛が走る。

 足元に視線を動かすと土の混ざったスライムが刺さっていた。地中からの攻撃か。油断した。

 何とか動かそうとするがまるで接着剤で固められたかのようにピクリともしなかった。

 焦りが募って考えもまとまらない。

 相手の触手の数はこの間にも増えている。右足が動かないこのままで迎え撃つか?いいやそれは得策とも言えない。防ぎきるのも不可能だろう。その先に未来はない。

「ふぅ、さすがにまずいかも」

 一呼吸おいて落ち着く。落ち着いて対処しなければ、確実に死ねる。

 無数の触手が俺めがけて振りかざされる。

 最初の3本は体を捻って回避。次の1本を縦に真っ二つにして無効化。さらに続く攻撃を『ブレイズウォール』で塞ぎ、そこまでだった。

 まず右足がスライムの体質のせいで溶け始めていた。それに伴う激痛に耐えられず俺はバランスを崩してたおれた。

「こコまでのようデすネぇ」

 次いで両肩に激痛が走る。右足は開放され傷が治っていくが、肩に刺さった触手により宙吊りにされる。

「英雄ト呼ばれたものが、実ニあっケないデすねェ」

「何でお前がそのことを知っているんだか」

 ピンチであることは、目前に死が迫っているというのは誰の目から見ても明らかだったと思う。だが、俺には笑っていられる余裕があった。

 先のとがった触手が俺の心臓に近づく。なのに、さっきまであった焦りはない。恐怖もない。だって、助けが来たんだから。

「ム?」

 スライムは自分の身に何があったのか理解できていないようだった。

 俺に迫っていた触手、俺を拘束していた触手が切断されたのだ。

 拘束の解かれた俺は重力に従い、地面に落下する前に傷を完治。無傷で地面に着地した。

「恩は返しましたよ、先輩」

 俺の横で偉そうに言う後輩。

「別に頼んでないけどな」

「まったく、私が助けていなかったらあなたは死んでいたんですよ?それとも、私の正体を掴むためにわざと?」

「さぁ、どうだろうな」

 確証はなかったが、万が一助けが来なくても自身に魔力をつかえばいくらでも、なんとでもなっていた。

「それにしても、というかやっぱりお前が雷獣族だったか。驚いたよ、絵美」

「全然そんな風には見えませんけど?」

 と頬を膨らませる金髪の後輩。

「お前、その姿だとどのくらい戦える?」

「本来通りとはいきませんけどある程度なら。・・・って私にも戦わせる気ですか?」

「元よりそのつもりだ」

「うわー、嵌められた」

「まぁ、そう言うなよ。お前の力が必要だ」

 新たな攻撃を避け絵美を説得する。

「あー、もう!わかりましたよ!ただし、先輩のためではありません。私自身のためですからね!」

「この際誰のためだっていいさ。行くぞ!」

 絵美が背中に雷を纏った翼を生やし空中へ跳び、右腕に雷を纏い剣へと形を変え、次々と触手を切り裂いていく。

 スライム、というか水獣族全般が苦手としている雷。そもそも雷獣族は水獣族の天敵ともいえる存在であり、相手は動揺をあらわにしていた。

「まったく、もう少し心を強く持てよ。体が安定していないぜ?」

「黙レ!」

 スライムの内側から無数の斬撃が飛んでくる。なんどもお世話になった妖刀の斬撃だ。いや、妖刀はこの間折ったはず。直したのか?いや、いまはいい。これをたどれば中島のもとにたどり着けるかもしれない。

 斬撃を避け、火で作った槍をスライムに突き刺した。しかし当たったところから蒸発し、心なしか体が大きくなった気がする。

「先輩!水獣に炎系魔力は無意味ですよ!」

「わかってる!お前は触手を捌くのに集中してろ!」

「それが人に物を頼む態度ですか?」

「お前は人じゃないだろ!どちらにせよやらなきゃやられるぞ!」

 なんて、くだらない言い争いをしていると、箱のように自身の体を展開させたスライムに囲まれてしまった。

 上を見ても横を見てもスライムの壁。

「なんか水族館みたいだな」

「なに呑気なことを言っているんですか。どうするつもりですか?」

「どうするもこうするもない。ここから脱出して中にいる人間を外に出してスライムを殺すだけだ」

「今は脱出方法を聞いたんですけど、本気ですか?中の人間ごと殺した方が楽なのに」

「俺はいつだって本気さ」

 たまにさぼることもあるけど、基本的にいつだって本気だ。

「『ブレイズ・オブ・エポレイ』!」

 俺は大きな火の玉を出現させる。

「先輩、さっきも言いましたけど水獣に炎系魔力は」

「まぁ。見てろって」

 俺の真正面にある壁に向かって火の玉を放ち、詠唱する。

「『火球よ、すべてを燃やす獄炎となれ』」

 すると、放った火の玉に勢いと火力が追加される。

 火球が水の壁に衝突し、徐々にだが蒸発しながら進んでいく。

「ちょっと目と耳を塞いでろよ。『エクスペクト』!」

 大轟音と共に火球は爆発した。

「うわぁ、相性をもろともせずに大穴開けちゃったよ、この人」

「細かいことは気にすんな」

「全然細かくないですよ!」

「ほら、塞がる前に脱出だ」

 開いた大穴が修復されてきだんだん狭まっていた。

「あー、納得いかない!」

 絵美はそう言って光の速さで脱出した。

 俺らの脱出を許したスライムはまたも姿を変え、攻撃を開始した。

 まったく、きりがない。早いとこ核を見つけるか、中島を外へ出すか。いっそ魔力切れを待つか。

「先輩!」

 考える俺の頭上から声がする。

「私は別に人間を救おうだなんて考えていません。こいつを、中にいる人間ごと殺しても文句言わないでくださいね!」

 絵美は自身の体に魔力を纏いスライムに突っ込んでいく。

 そう言うことはちゃんと勝ちが確定した時に言って欲しいものだが、相性的にあいつは負けるだなんて思っていないだろうし、俺も早いとこ何とかしないと。

 中島がいるであろうスライムの体内に入って連れ出すか?いいや、ダメだ。溶けて死ぬ。

 じゃあ先に核を壊すか?いやいや、何を言っているんだ。核なんてまだ見つかっていないし、こんな巨体の中から形も大きさもわからないものを探すのは現実的じゃない。

 今は攻撃を避け続けているが、それもいつまで持つか・・・。よし、決めた。自分でできないことは他人に任せよう。

 逃げたのではない。効率を重視した結果だ。

「絵美!援護するからスライムだけを殺してくれ!」

「はぁ?誰が援護なんて」

「『汝に輝きを。力を持って滅せよ』」

 絵美を無視して俺は身体能力を向上させる術をかける。

「・・・これは、光の魔力?先輩、あなたは」

「余所見すんな、来るぞ!」

 絵美が戸惑い反応が送れた。触手が衝突する直前に抱きかかえて回避した。

「く、離してください。今のは、私一人で何とかなりました」

「はいはい、強がるなよ」

「別に強がってなんかないです。あなたは一体何者」

「貸1な」

 言っていることを遮り俺は絵美を離した。

「今は目の前の敵に集中しろ」

「はいはい、わかりましたよ」

 後ではっきりさせてもらいますから。絵美はそう言って変わらず一直線に突っ込み触手を切り裂いていく。

 いや、違うこともある。動きがさっきよりも機敏になっている。

 ただでさえ目で追うのは大変だったのに、今はただの光の線だ。ここにいると思った時には既に別の場所。

 やはり精霊と光の魔力は相性がいい。

 さて、見ているだけじゃあだめだよな。俺も何かしないと。

 いくら絵美が強化されているからと言ってやがては力尽きる。

「『我に眠りし真なる力よ。今、この封印を解き我の前に君臨せよ』」

 この詠唱により、一時的にではあるが自身の身体能力・魔力が飛躍的に向上する。

「『パーティクル・リザルション』」

 俺の体が小さな球に包まれ、迫ってくる触手が触れると、触れてきた触手が光の粒となり空気中に溶けていく。

 さっき魔法陣で発動した術を自身の体に纏っている。当然これにも限りがあるし、消費する魔力量も大きい。持って1分。

 そのたった1分の間にスライムの体に侵入。最低でも中島の居場所の確認。あわよくば救出までしたい。

 そう決め、1歩踏み出して俺はため息をついた。

 ・・・あいつ、もうつかまってるよ。

 絵美が空中で多数の触手に拘束され動けずにいた。

「離れろ!」

 全身に雷を纏って拘束を解こうとしているが、なにせ相手も手数が多い多い。一瞬拘束が解けたところですぐに掴まれる。

 あんなんじゃすぐに魔力切れを起こすだろうな。

「まったく、世話が焼ける」

 もう1度『パーティクル・リザルション』を使うことも出来なくはない。ただ、その後が持たなくなる。

 だから1分の間に済ましたかったんだが、計画がすべてぱぁだ。

 まぁ、だからと言って放っておくほど冷たい心を持っているわけでもない。

 俺は触手を一切気にすることなく最短距離で救出に向かった。絵美を取り巻く触手を振り払い拘束から解放。それと同時に纏っていた光が消えたが、再度拘束される直前に絵美を連れて地面に着地した。

「まったく、貸2だ」

「大丈夫か?とかは言えないんですか?」

「こっちはやりたいことが出来なくてご立腹なんだよ」

「じゃあ放っておけばよかったじゃないですか」

「それも困るからな」

 服がところどころ破れているが、目立った外傷はない。

「ちょっと、じろじろ見ないでくださいよ。変態」

「誰が変態だ。命の恩人に向かって」

「別に頼んでません」

 出たよ、このツンデレめ。

「俺が助けなきゃ死んでいたと思うが?」

「戦闘で命を落とすのなら本望ですよ」

「強い覚悟をお持ちのようで」

「当然です」

 話終わると同時に俺らは別々の方向に跳躍した。

 すると、地面から触手が生えてきた。

「地面からの攻撃はさっき見た。同じ手が通用すると思うなよ」

「先輩、同じじゃないですよ。後ろから来ています」

「お前も上から来てるぞ」

 それぞれが声を掛け合いながら攻撃を避け続ける。なかなか反撃のチャンスは来ない。これじゃあ今までと何も変わらない。

 時間が経つにつれて触手が増える。戦いが長引くほどこちらは不利になる。

「先輩!どうするんですか?もう魔力が切れますよ!」

「そうならないように耐えろ!」

 魔力がなくなればゲームオーバーだ。

 これはちょっと、いや、かなりまずい。

「仕方ない。チャンスは自分で切り開かなきゃな」

「先輩?何で中二病に目覚めてるんですか」

「目覚めてねぇよ!」

 まったく、こちらは命を懸けようとしているのに。

 全魔力をつかって、あいつを吹き飛ばす。

 失敗すれば死ぬかもしれないけれど、この状況を打破するにはこれしかない。

 右手に体中の魔力を集める。まだ、魔力を向上させる術効果は残っていた。これは、いける。

 集中力を極限まで高め攻撃を避けながらも魔力を右手に練っていく。そして完成したのが、赤色に輝く光の玉。

 計算・・・なんて特にしていないけど、これをスライムが喰らって中にいる中島が生き残るか死ぬかは五分五分くらいだろう。多分。

「絵美!ちょっと離れろ!」

「了解です!ってええ!?なんですかその馬鹿みたいに大きい魔力の塊」

「ただの魔力だよ」

 絵美が十分に離れたのを確認し、凝縮された魔力の塊をスライムに放った。

 瞬間、魔力の玉は消えたかと思えばすでにスライムに着弾。さらに内部に入り込みそれでも明るく輝いていた。

 位置はスライムの中心。ここだ。

「『インパクト・ブレイク』!」

 魔力の玉は内部で膨張し、それに伴って輝きも増す。そして、

 ―ぱーん!

 という、花火が開いた時のような音と共にスライムは消し飛び辺りは水蒸気が舞い上がり、中島が元スライムのいたところに倒れていた。

「先輩!」

「おう、どうだった?」

「どうだった?って、何をどうしたらグラウンドに大穴が開くんですか!」

「3つの魔力を混ぜて放っただけだぜ?」

 俺のその言葉に絵美は呆れたという風に表情を変えた。

「はぁ、3つもですか。そりゃ、そうなり・・・ん?3つ?」

「そう3つ。ルノから貰った『ブレイズ』と『インパクト』。それから、俺の本来の魔力である『ホーリーブライト』の3つだ」

 俺はこの3つを混ぜて、光の速さで移動する火の玉を放ち、それを内部で爆破しただけなのだが、使用魔力が大きいとその分威力が高くなるということをすっかり忘れてしまっていた。

 グラウンドには大穴が開いてしまったが、外にある出店は、ちょうど穴の開いたところを囲むように建てられているので目立った被害はない。

「あの、先輩」

「ん?どうした?」

「俺の本来の魔力が『ホーリーブライト』だと。そう言いましたね?」

 それを聞いて絵美が何を言わんとしているのか分かった。

「俺が異世界民何じゃないかって疑ってるんだろ」

「はい」

 正直でよろしい。もう隠すようなことでもないか。

「お察しの通り、俺は天使族だ。向こうでの名は」

 アーク・トリア。と最後まで言うことはできなかった。

 ゴゴゴと地面が揺れ、そして割れた。俺のちょうど真下が。

 ・・・嘘だろおい。

 浮遊能力を持たない俺は重力に従って落下していく。さらに落下先に見えたのは、

 ・・・スライムのとげ!?ここまで来て死、なんてオチは勘弁だ。

 何とか生き残ろうと咄嗟に神器の槍を手にし、壁に刺そうとした。しかし、

「だめだ。その壁もスライムだよ」

 という声に阻まれた。

 え?と思う間に俺の体上昇していた。そして、次に気付いた時には地面に倒れていた。

 ・・・何が起こったんだ?

 その答えを探そうと辺りを見渡す。すると、

「孝光さん。何で助けたんですか?」

 と絵美が誰かにつかみかかっていた。

「なんとなくだよ」

 俺に背を向け、気怠げに答える男。俺に話しかけてきた奴と同じ声。左手にコントラクターであることを示すバングル。

「ここで戦力を減らしては勝てるものも勝てなくなるでしょう?そのくらいちゃんと考えなさい?エミリー」

 今度は女の声。

 絵美の横に飛んでいる全身が雷で覆われた鳥。こいつも雷獣族。ということはこの男が、

「福島県のコントラクター、東孝光さ。よろしく、北海道のコントラクターさん」

「孝光の契約種アルガイル・ドガットルートと申します。アルとお呼びください。貴方のことは妹のエミリーから聞いています。何でも、人間じゃないんだとか」

 それはどう考えても今聞いたんだろ。

「まったく、お前さんはスパイだったってわけか」

「はぁ。もう隠す必要もないですね。そうですよ。私は密かに先輩の後を追い続けお姉ちゃんに逐一報告していたんです。来るべき戦いに備えるために。まぁ、今回のスライムに関しては、敵であるあなたが死ねばスライムに対しての勝率が下がるということで仕方なく戦ってあげていました」

 うん。なるほど。

 じゃあ俺が何かしなくてもこいつがスライムと戦うのは必然であったということだったのか。

 ところで絵美はスパイ活動をするにあたり、俺と距離を取った方がいいと思っていたが、親しくしていた方が情報を得やすいのではないかという考えに陥った。その結果、クラスの連中を煽りわざと俺にけがを治してもらいながら親しくなるという方法をとったと言う。

「まったく、頭の悪い方法だな」

「これでも精一杯考えた結果です」

 もっと他にいい方法がなかったのかよと、過去にスパイ活動の経験がある俺は思ってしまう。

「スパイ向いてないんじゃないか?」

「いいんですよ!お姉ちゃんの役に立てればそれで!」

 俺と絵美の言い争いを聞いていた東はため息をついて言った。

「仲良きことは良いことだけどさ」

「「別に仲良くない!」」

「わかったから、おしゃべりはここまで。くるよ」

 そう言う東の視線の先にはスライムが形を戻し襲い掛かろうとしていた。

 ここに来た頃より小さくなってはいるが脅威であることに変わりはない。

「東、お前の能力は?」

「初対面の大人に対してお前呼びね。肝が据わっているな」

 実年齢は確実に俺の方が上だからな。

「で?能力は?」

「『雷化』文字通り自分の体を雷に変化させることが出来る」

 そう言い終えるころには東の体は光の線に変わりスライムの前に移動していた。

 今までの誰よりも早い!?なんてベタな突っ込みはしない。なにせ、雷だ、自然現象なのだ。速くないわけがない。

 さーてと。俺はどうしようかな。スライムの相手は東と雷獣姉妹に任せればいいとして、すでに魔力を使い果たした俺にできることと言えば・・・応援?いやいや、それはない。

「おや、行かないのですか?」

「えーと、アルだったか。行きたいのはやまやまなんだが、魔力がもうなくてな」

 そう言うとアルの目つきが変わった。

「今なら簡単に殺せる、というわけですね?」

「まさか。魔力無しでも俺は十分強いぜ?」

「試してみますか?」

「いいぜ、かかってきな」

 スライムとお仲間が戦っている横で俺とアルは互いに距離を取り様子を伺う。

 緊迫する必要もないのに緊迫した状況の中、ファーストアタックを成功させたのは、

「お主ら何しとるんじゃ!」

 と、何やら激怒中のルノから俺への重たい一撃だった。

「いってぇな。何しやがる」

「魔力が無きゃ負けるのは奏太に決まっとるじゃろ」

 いや、別に決まってはいないだろ。正直勝てるとは思わないけど、少しでも可能性があれば賭けて見たくなるあれだよ。

「ねぇ、トリア。とりあえず落ち着こうよ。ぷぷ」

 エル、俺がお前のことをちゃんと思い出す前にも思ったが、そのダジャレは何も面白くないからな?自分で言って自分でツボにはまるな。

「ほらトリア、右手を出して」

 言われるがままに右手を差し出すと、エルはその手を両手で包み込んだ。すると、徐々に力が、魔力がみなぎってきた。

「サンキュー、エル」

「気にしないで。でも、トリアから感謝されるとうれしいからもっと感謝して」

 気にするなと言ったり、感謝しろと言ったりどっちだよ。

 魔力が回復したことによりできることが増えたが、最初にすべきは、

「アルよ。まだ俺と戦いたいと思うか?」

「いいえ、やめておきましょう。今は共通の敵をどうにかしましょう」

「だな」

 共通の敵、すなわちスライムの討伐。

 この雷鳥を殺すのは別に後でも構わない。裏を返せば今でもいいが、それだとスライムに対する勝率が下がる。

 俺が向こうに帰るには必ず戦うことにはなる。それが少し後になるだけだ。問題はない。

 アルはさっさと飛び去り東達に加勢しに行った。

 残された俺。

「なぁルノ」

「何じゃ?」

「1つだけ聞きたいんだけどいいか?」

「なんじゃ?」

 それは、この戦闘をするにあたって重要なこと。

「俺が俺じゃなくなったら嫌いになるか?」

 ルノは突然のことに首を傾げながらも言った。

「何があろうと奏太は奏太じゃ。嫌いにはならん」

「エルは?」

「ルノと同じだよ」

 よかった。その言葉が聞けただけでも大きな救いだ。

「ルノ。悪魔の契約の2つ目。ここで使わせてもらう」

「ほう?このタイミングでか?」

 むしろこのタイミングだからこそだ。

「俺を、あの姿にしてくれ」

 ルノを傷つけたもう1人の俺。あの姿にならなくともスライムを殺すことはできる。ただし、そのためにはとある条件があった。それは、東と雷獣姉妹がスライムを殺すまで生き残れればということ。

 現状を見る限り、数があるのにもかかわらず押されているのはこっち。

 絵美は瀕死。東は身体中に無数の傷を負い、ついさっき戦場に飛び出したばかりのアルも翼を損傷し飛べなくなっている。・・・アル弱いなぁ。と不覚ながら思ってしまった。

 一方でスライムも小さくなってきてはいるが、まだまだ元気が有り余っているようだ。なぜか喋らなくなってしまったがそれは戦闘に影響しない。

「迷っている暇はないんだ」

「・・・承知した」

 ルノは何事か呟くと、俺の意識が深い闇へと落ちそうになった。

 飲まれるな。

 ―ほう?我に対抗するか?

 俺であって俺じゃない声。

(当然だ。協力しろ)

 ―我は闇。貴様は光。光と闇が同時に表に現れることはない。あきらめろ。

(随分と頭の悪いことを言うじゃねぇか。光があるから闇はある。光に照らされると影である闇が出来る。ほら、同時に現れるだろ)

 ―ほざけ。我と貴様が一緒になるとは、何者になるつもりだ?

(何者だっていいさ。俺が俺であることに変わりはないんだから)

 ―後悔するなよ。

 世界一瞬だけ暗転し、目の前に元の景色が広がっていく。

「奏太?」

 ルノが心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

「・・・クックック。この体、確かに頂いた」

「ルノ!離れて!」

「なんてな。なんともないよ」

 何度かアニメとかマンガでみて1度やってみたかったんだよ。こういうこと。

 だから、2人揃って無言で腹パンしてくるのはやめてくれないかな。悪いのはどう考えても俺ではあるけどさ。

「はぁ、特に変わったことはなさそうじゃな」

「外見はね。でもルノ、トリアの中身が全然違うよ」

「エルの言う通りだ。今の俺は闇の魔力も使えるし、身体能力もかなり上がっていると思う。じゃ、行ってくる」

 そう言って俺は地面を強く蹴って空中へと飛び上がった。たったひと蹴りだったはずなのに学校の屋上が見えた。

 やっぱり今までとは体の動きが全然違う。この後の行動も、考えるより先に動いていた。

「『クリエイトウェポン・タイプ:アタッカー フュージョン:サンダー』」

 雷を纏った双剣を両手に構え、スライムめがけて急降下する。

 はたから見ると落雷にでも見えているだろう。息をする間もないほどの速さで落下しスライムに切りかかった。

 それだけでは終わらない。

「『ブースト』」

 自身のスピードをさらに上げどんどんスライムを切り裂く。

(・・・これが、もう1人の俺の力か)

 体が動いて止まらない。とうとうスライムは駒切状態で地面に散らばった。

「『イビィウィップ』」

 出現させたツタの鞭がスライムの体を余すことなく繋ぎ、

「『エナジードレイン』」

 ツタを通して魔力を吸収。スライムは、消滅した。

 残ったのは青く輝いた宝石のようなもの、と依然倒れている中島。

 ―その青いのが核だ。壊すなら壊せ。

「はいはい」

 俺は右足を上げ、手のひらサイズ核を思いっきり踏みつぶした。

「よし、これで終わりか」

 ―まだであろう。戦場もきれいに直すのだ。

 それも俺の役目かよ。

 建築の魔力『ビルディング』を発動しグラウンドを元あった状態に戻した。

(まったく。お前はいくつ魔力を持っているんだ?)

 それに対する、もう1人の俺からの返答はなかった。

「まったく、僕らの苦労は何だったのかと思うくらいの無双っぷりだったね」

「いや、お前らがある程度消耗させてくれたからこその結果だよ」

 俺は全身に傷を負っている東に向かって言った。

「ならせめて、最後だけは貰っていく。『サンダーショット』」

 東の指先から雷が放たれ、ただの人間へと戻った中島に当たるかと思われた。しかし、こちらの方が一手速い。

 ルノが、雷が放たれるよりも前に中島の下へ移動し、放たれたころにはもう終わっていた。中島はバッティを背中に刺され、ルノに殺された。

 しかし、事態はこれだけでは終わらない。

 中島へと放たれたように見えた東の攻撃は、軌道をルノへと変えた。元々狙いはルノだったのかもしれない。それでも決して俺は慌てることなく冷静に対処する。

「え?」

 素っ頓狂な東の声。雷が消えたのだ。左腕に持った剣をたったひと振りしただけで。

「ルノ、こいつも殺せ」

 未だに困惑する東を右手でつかみルノの方へ投げた。東のその手にコントラクターであることを示すバングルはついていない。

「お姉・・・ちゃん?お姉ちゃん!?嘘だ!お姉ちゃん!」

 鼓膜に絵美の悲しみに暮れた叫びが響く。

 不思議とそれを心地よく感じながら、叫び声をあげた主へと視線を向ける。

 目に映ったのは首を完全に切断されて血に体をうずめている雷鳥と、その体を抱きしめて泣きじゃくる妹。

「先輩、あなたは絶対に、許さない」

 嗚咽しながらも殺気の込めた目で俺のことを見上げる絵美。

「・・・ゲームの部外者が何を言っている?今のこの世界はただの戦場だということを忘れるな。敵が目の前にいるのに油断する方が悪い」

 そう、俺はただ単に自分の征服を進めただけ。本当のゲームや、アニメ。マンガのように敵同士が共通の敵を倒すために協力し、和解するなんてことは、俺の巻き込まれたゲームではありえない。必ず、殺さなくてはならないから。それが、このゲームのシステムでありルールだから。

 1日でかなり征服が進められた。アーウェルサへと近づいたな、とほっと息をつく。

 殺したのは人間じゃないから、嫌悪感も罪悪感も生まれない。ゲームが俺をこんな風にしてしまったのか。それとも、元々こういう性格だったのか。

「・・・本当、つまらないクソゲーだ」

 意味もなく空を見あげ、そう口にした。

 晴れ渡る青空。しかし、俺の心はそれに分厚い雲がかかってしまったかのようにどんよりとしている。

 俺は知っている。大切な人が、

「ぶっ殺す!」

 俺の思考はその金切り声により中断される。

 慌てて視線を下へと戻す。

 絵美が自身の変身を解き、血に伏して倒れている雷鳥とよく似た姿へと変わった。

 魔力が感情任せにあふれ出し、体の周囲に小さな雷がパチッ、パチッと発生しては消える。

「はぁぁぁあ!」

 絵美の魔力がさらに強大なものへと変わっていく。

 こいつの相手はしていられないんだが。だからと言って何も抵抗しないわけにもいかずとりあえず両手の剣を×の字にして目の前に掲げガードの態勢をとる。

 絵美の体が消え、光の線へと変わった。そのタイミングを見逃さず足に力を入れる。このまま迎え撃つつもりだった。なのに、東が俺と絵美の間に割り込んできた。

「「え?」」

 お互いに素っ頓狂な声を出す。

 俺に関していえば特別動いていないから気にすることでもないが、絵美は違う。止まれない速さ、いや、止まっても結局は衝突する速さであったため、絵美は慌てる。

「孝光さん!どけろ!」

 慌てたところで速さは変わらず、絵美は衝突直前に方向を変えて止まった。

「エミリー、やめるんだ」

「黙ってろヒキニート!」

 優しく声をかける東に絵美が矛先を俺から変えた。

 東はため息を1つついて言った。

「今は外に出ているからただのニートさ」

 突っ込むとこそこじゃないだろ。

 なんて俺の心の中の突っ込みも知らず、絵美は言う。

「孝光さんは、悔しくないんですか!せっかくあんなに頑張ったのに」

「うん。不思議なんだけどね。油断したのはこっちだし、奏太の言っていたことは正しい」

 なんて物わかりのいい大人なんだ。これでニートという職業がなければあこがれの対象になっていたかもしれない。

「うるさい!この裏切り者が!私がこの男を殺して」

「どうするんだい?」

 東の質問の意図が掴めないのか絵美はぴたりと動きを止めた。

「奏太が、家族がいる前でその人の家族を殺したことを何とも思っていないと思う?君には理解しにくいかもしれないけど、奏太は16歳の少年。僕からしたらまだまだ小童ていどのね」

 俺からしたらお前の方が小童なのだが、東の指摘は意外と的を射ていた。

 俺は知っている。大切な人が、家族が殺されてどれだけ悲しくなって、どのくらい怒りの感情が沸き起きるのか。


 はるか昔、今から800年前のことだ。

 異世界アーウェルサでのちに『聖魔大戦』と呼ばれる魔族と神民による戦争が起こった。

 戦地は妖精の住む島、フェアリーアイランド。その近くにある。浮遊島。魔族と神民はお互いが総力を尽くし数年にわたって戦い続けた。

 そんななか、フェアリーアイランドを一足先に訪れていた天使族の青年がいた。彼は、島の守護のため、戦争にその身を捧げることはできなかった。結界の張られた比較的平和な場所で、戦いが終わるのを待っていた。神民が勝つと信じて祈っていた。

 しかし、戦いに駆り出されていた神民は全滅するに至った。天使族の青年は結界の中でその様子をただ黙ってみていた。

 家族のように育った先輩、後輩。そして、同僚たちが見るも無残に殺されていた。青年は怒りと悲しみに暮れた。


 この話の天使族の青年というのがいわゆる俺。

 本当の家族ではないにしろ、それと同じように育った仲間たちに死をただ黙って見送った。だから、東の指摘は的を射ているし、絵美がどんな気持ちで俺に向かってきたのかもよくわかる。

「もしも死んだ奴が生き返るのなら、俺は何があってもあいつらを殺していただろうな」

 え?という驚いたような反応を無視して続ける。

「だけど、死んだ奴が生き返るなんてありえない。ましてや、殺した奴を殺せば生き返るなんて虫がいいにもほどがある」

 何をいいたいんだ、こいつ。みたいな目で見られていたが気にしない。

「俺は、必要な時でこそ簡単に命を奪うことはできる。例えばそれは戦争だったり、このゲームだったりな。だが、そのほかのことでは決して殺生は厭わない。なんでかわかるか?」

 絵美も、東も、ルノも、エルも。ここにいる全員が俺に注目し、首を横に振った。

「殺していいことなんて、何一つないんだよ。気持ちは暗くなるし、スカッとするわけでもない。怒りをぶつけられるなんてのも1つの理由だ。そしてそのどれもが、決していいものじゃない」

「だから、私には先輩を殺すなと。遠回しに命乞いをしているわけですか?それこそ虫がいいにも」

「お前の姉は、・・・家族が手を血に染めて喜ぶような奴なのか?」

 絵美は何か心当たりがあったのか、ハッと体を震わせ、人間へと戻った。

「・・・私の姉は、お姉ちゃんは、とても頭がよかった。けど、そのせいで、雷獣族を守る兵にされてしまった。本当は、戦いなんて好きじゃなかったのに。他の種族を殺すことを望まなかったのに。けど、兵な以上は手を血に染めてしまった。いい気のする者じゃなかったって言っていた。私には、殺しをするなって言っていた」

 絵美はその場にうずくまって嗚咽する。

 俺はそれを見て、心の中でつぶやいた。

(死んだ者は2度と帰らない。たとえどんなに死者のことを思っていても、気持ちだけで魂をつなぎとめることはできない。死者は生来ている者の幸せを願う)

 それは、天使族に伝わる聖書の一節。俺はあの時、そのことをすっかり忘れていた。

 聖魔大戦の時も、エルの時も。

 大切な奴が死んだ。だから殺した。息を吹き返すことはなかった。

 実際、エルは生きていたがあの時は死んだと思って魔族と戦った。多分、殺した。

 ・・・1つ謎が解けた。

 俺の中に潜む、もう一つの存在。それは、絶望によって魔族へ身を堕とした俺自身の心だったのでないか。

 心というものは人格に現れやすい。特に相反したものなら尚だ。それを向こうの世界では『ドッペルペジルニケート』、2つの人格を持つ者と呼ばれている。

 今まで死にかけたり、絶望した時に俺のもう一つの心が、内に潜むものが表に出てきたのだろう。

 ―単純に、体が天使族により近づいてきているというのもあるがな。

 そうもう1人は言った。

(心当たり、原因はわかるか?)

 ―残念だが、我は貴様と一心同体。持つ考えこそ違うものの得ている知識に変わりはない。

(そっか)

 まだまだ俺の体には謎が多い。自分の体なのに自分が理解できていない。いくら魔族に堕ちたとしてもあれだけの魔力をつかうことが出来たのか。前例がないためにわからない。

「さて、そろそろ撤収しようか」

 東が声を上げた。

 その前にすることがある。まずは倒れている中島を担ぎ、次に学校に張った結界を解いた。そして、絵美へと声をかける。

「別れの挨拶をするなら早くしてくれ。このまま死体を置いておくわけにはいかないからな」

「こんな時でも先輩はつめた」

「安らかに、向こうの世界に送ってやりたいからさ」

 何かを言いかけた絵美は押し黙り、目を閉じて合掌した。

 今、絵美が何を思っているのか。それを知るのは野暮だろう。終わるのを待ち、俺は魔力をつかった。

 光に包まれるアルガイル・ドガットルートの亡骸。それは、光の粒子となり空気中に溶けて消えた。

 絵美の目元もまた、光っていた。




「うぅ、ここは?」

「お、目が覚めたな。ここは俺の家だ。狭いところだが許してくれよ?総理大臣さんよ」

 読んでいた特に興味がないがタケさんに押し付けられたファッション雑誌をテーブルに置き、ソファで眠っていた総理にそう言って笑った。

 総理は起き上がり、周囲、それから自分の体を確認して呟いた。

「バングルが、ない。そうか、私は負けてしまったんですね」

「ん?覚えてないのか?」

「えぇ、ポニス・・・契約種のスライムと一緒になってからの記憶が、あぁ、断片的になら覚えていますよ。あなたが私たちの作った大穴に落ちていくところとか」

 そう楽し気に中島は笑っているが、俺は思わず顔をしかめた。そこは個人的に1番忘れたい場面だ。

 だって情けなすぎるだろ。空を飛ぶことが出来ず、言われるまで壁までもがスライムであることにも気づけず、挙句の果てには敵に助けてもらうなんて。

「まぁいいや」

「何がです?」

「こっちの話だ。で、少しばかり聞きたいことがある」

「良いですよ。私はあなたの下僕になったようですし」

 その考えは気に入らないが無視して続ける。

「どこで妖刀なんか手に入れた?」

 最初に聞いた時は契約種が優秀と言っていた。しかし、今考えてみると、スライムに鍛冶能力なんてない。

「ディーテ・・・でもないよな」

 頭に浮かんだ空間の神のイメージ慌てて払拭する。あいつは鍛冶ではなくポーションを作りや、魔術に関したことにたけている。

 いや、魔術を使って妖刀を再生させた?多分、それは違う。中島はディーテと接触する前から妖刀を使っていた。

 考えれば考えるほどにわからない。

「あのぉ、答えを求めるような目で見られているところ大変申し上げにくいのですが、私にもよくわからないんです。あの妖刀に関しては特に」

 困り顔で起き上がり、座りなおして中島は続ける。

「私、最初はコントラクターじゃなかったんですよ」

「え?」

 つまりそれは、

「元々のコントラクターを殺して、私が契約を引き継ぎました」

 選ばれたものではなく、後天的になったコントラクターだったということか。

「そこからの記憶があいまいです。どうしてあんな昔の刀を持っていたのやら。すみません、お力になれず」

「ん?いや、気にすんな」

 だが、中島が知らないとなると、あのスライムから話を聞いておくべきだったかもしれないなと後悔する。

「で、妖刀は今どこに?」

「私は知りませんよ?気絶していましたし」

 それもそうなのだが、あの場に妖刀は落ちていなかった。あれば当然回収していたし、ならどこに?

 うーん、と考え込む俺に中島が笑って言った。

「あまり悩むことでもないのかもしれませんよ?あの場になかったのならないでいいでしょう。今はまだ困っているようなことはありません。対策を練るのもいいですが、その時の流れに身を任せて見えるものもあるはずですから」

 お気楽な意見ではあるが、総理という肩書のせいか妙な説得力がある。これが、総理大臣というものが持つ力なのだろう。国民からの支持率が高いのもうなずける。温厚で、他人から嫌われるようなタイプでもない。

「では、私はそろそろ失礼します」

 立ち上がって窓辺へと近づく総理。

「・・・玄関はこっちだぞ?」

 足を止め、しまったもう人間だった。と頭をかいて苦笑した。

 大丈夫かなこの総理。というか、どうやって東京まで帰るのだろう。そう聞いてみたら、政府専用機がありますので、そう言い残して俺を散々苦しめた日本の総理は帰って行った。

 ・・・さて、もう1人もさっさと帰ってもらわないと。

 ドアが閉じられた俺の部屋。その中から実に楽し気な声が聞こえてくる。

「むぅー、もう一回じゃ!」

「フハハハハハ!1日中ゲームをしている大人に勝てるものか!」

 こんな大人にはなりたくないなぁ。そういえば俺って大人だったなぁと自嘲気味に笑い勢いよくドアを開けた。

「おや奏太じゃないか。一緒にやるかい?それともご飯の時間かい?」

「どっちでもないし、さっさと帰れよ」

 テレビ画面から目を離さずに言う東に腹を立てながらもつい画面に目がいってしまう。

 ルノが東と共にやっているのは、任〇堂のキャラクターたちが勢ぞろいした格闘ゲーム。

 ルノが下手というのもあるかもしれないが、東は容赦なくコンボを組み確実にルノの操作するキャラクターを画面外に吹き飛ばしていく。

 タイムアップになると、結果が表示される。勝者はわざわざ言うまでもなく東だ。

「どうだ?僕のプレイスキル」

 あやうく、すごくうまい!と褒め称えるところだった、危ない。

「はいはい、すごいすごい、帰れ」

「はぁ、冷たいなぁ」

「先輩はこんな大人になりたくないってことですよ」

 俺のベッドに座っていた絵美が言った。すまんが絵美よ、俺はもう大人である。

「絵美の背中にでも乗ってさっさと帰ってくれないかなぁ」

「えー、乗せたくないんですけど」

「そろそろ傷つきそうなんだけど」

 凹む東に絵美の横に座っていた優衣が近づいた。

 何をするのかと見守っていると、

「・・・タバコ臭いから、帰って」

「かわいい顔して突き放さないで欲しいなぁ。上目遣いでもダメだよ?というかそろそろ立ち直れないかも。ワーペル様からも何か言ってよ」

 俺はこの時初めてルノのことをワーペル様と呼ぶ奴を見たよ。また、『ワーペル様』と呼べっていうような自己紹介をしたんだろうな。

「うーん。我もそろそろ飽きてきたし帰ってくれてもよいぞ?」

 ワーペル様の悪気のない一言が東へと突き刺さる。

「はぁ、味方がいないって辛いなぁ。あ、そうだ、いいことを思いついた。ねぇ奏太」

「断る」

「まだ何も言っていないだろ?」

 嫌な予感がすれば聞く前に断るのが鉄則である。

「このゲームって君のだろ?だから勝負しようよ」

「断る」

 このくそニートゲーマーと勝負とか勝てる要素が何一つない。

「もし君が勝てば僕はエミリーと共に帰る。で、僕が勝てばここを家にする」

「ふざけるな」

 これ以上この家に人はいらない。よりにもよってくそヒキニートゲーマーとか。需要がないだろ。

「勝負は1度きり。引き受けないなら僕の不戦勝」

 これにより俺が引き受けないという選択肢が消え去った。こんな大人が存在していいのだろうかとさえ思えてくる。

「はぁ、わかったよ。引き受けた」

 説得を諦めルノからコントローラーを受け取った。


 結果から言おう。俺の圧勝であった。

「嘘。僕が、負けた?ただの高校生に・・・?世界ランク52位の僕が?」

 なんだよその微妙の反応しにくい順位は。

「なぁ、何かインチキしたのか?そうだよな?じゃなきゃ僕に勝てるわけがないもんな?そうだ、そうに決まっている。もう1回やろう。今のはまぐれに決まっている」

 この大人しつけぇ。

「お断りだ。勝負は1度きりだってお前が言ったんだろ。インチキもしていないし運も実力のうちだ」

「認めない!お願いだ!もう1回だけでいいんだ!」

 うわぁ、

「滑稽ですね」

 絵美、それは言っちゃあかんやつや。

「先輩もう1回だけ相手してやってくださいよ。じゃなきゃ黙りそうにないので」

 絵美の東を見る目が完全にゴミくずを見る目に変わっていた。

「・・・もう1回だけだ」

「よっし!やるぞ!」

 俺はもう一度コントローラーを手にした。


 ・・・5分後。


「それでは先輩。お邪魔しました!」

「おう、気をつけて帰れよ」

 絵美は雷鳥へと姿をかえ、東を乗せるのではなく、鷲掴みにして闇夜へと消えた。

「嘘だぁぁぁ!」

 静かな夜に情けない大人の叫び声が響いた。

 なにはともあれこの部屋は静かになった。

「なぁ奏太よ。一体どんなインチキをして奴に勝ったんじゃ?」

 お前までインチキとかいうなよ。

「あいつが使うキャラを変えなかったから相手にとって相性の悪いキャラを選んだだけだ」

 いわゆる後出しじゃんけんである。相手に合わせて有利にしただけ。やったのはそれだけだ。

「あとはアイテム運だったり動き方のパターンを覚えたりだな」

「ふーん」

 ルノはこのゲームのランキングを見ながら返事をしていた。

「この52位のAZUと言うのが東か。そうだ、ルノちょっと1位の方が見たい」

 俺の要望にルノが画面を動かす。

「なぁ、奏太」

「ん?」

「このHOLLYって」

「俺のゲーム名だが?」

「1位なのじゃが!?」

「実はこっそりやってたりして」

 俺は笑って言った。

 ちなみに、このHOLLYというゲーム名は、自分の苗字であるホリイがホーリーに似ているなという考えで付けた。

 ランキングの変動がないのに満足し、テレビとゲームの電源を消しリビングへと移動する。

 もう夕食時だ。この夕食の当番は、

「トリア!晩御飯の到着だよ!」

 リビングの扉を騒がしく開けてエルが入ってきた。

 どういうわけか、今日は私が準備するから待っててと言い出し、待っていたのだが。エルは何も手にしていなかった。

「どこに飯があるんだ?」

「じゃーん!ここだよ!」

 エルが影になり見えていなかったが、玄関とリビングをつなぐ僅かな廊下に食べ物が乗せられた台車が見えた。

 なんだ、そう言うことか。

「これを作ったのはお前じゃなくて、爺やと愉快なシェフたちだな?」

「はぁ、何ですぐにばれるかな」

「だってお前ろくに料理できないだろ」

「うぐ、少しはできるようになったし」

 口をとがらせて反論するエルを適当になだめる。

「そうかそうか、で?爺やたちはどこに?」

「今は私の家」

「じゃあちょっとあいさつしに行ってくるよ」

「え、じゃあ私も行く」

 何が何だかよく理解できていないルノと優衣に食事を並べるように頼みお隣へと向かう。

 この家に来るのももう何度目かわからないけれど、これで最後なのだろう。

「ただいま」

「お邪魔しまーす」

 リビングへ入った俺たちを出迎えたのは揃って目を丸くした天使族のシェフ3名執事1名。

「よう爺や。久しぶり」

「これはこれはトリア様。お変わらぬ様子で」

 人のよさそうな白髪、白髭、細い目の初老の男。

「もう夕食はお済みに?」

「まさか、先に挨拶でもしようと思ってな」

「さようですか。この度は姫様の保護をしてくださり誠にありがとうございました。あの夕食はささやかなお礼です。向こうに戻ればまたご用意させていただきますがね」

「気にしなくていいのに。俺は一緒にいてやることしかできなかったんだからさ」

 本来なら向こうに連れて帰るべきことだったが、俺にそれはできなかった。

「姫様にはそれだけで十分ですよ」

 冗談めかして言う爺やの言葉にエルは顔を真っ赤に染めていた。

 これ以上話したいことを切り出せなければ言えなくなるかもしれないな。

「お前ら、エルを迎えに来たんだよな?」

 そうじゃなきゃ、爺やが動くはずもない。

 長い沈黙の後、爺やは答えた。

「おっしゃる通りにございます。ですので、この最後の晩餐をお楽しみください」

 何か見えない力が働き、俺とエルは家から追い出された。お互いに顔を見合わせて苦笑、そして家に帰った。

「ルノー、並べ終わったか?」

「うむ!おいしいぞ!」

 おいこら、おいしいぞじゃねぇよ。誰が食えと言った。

 急いでリビングへ向かうと実にきれいに料理と食器が配置されていた。減っているものは何もなかった。

「なんちゃって」

 ルノが舌を出して笑う。

「お前が俺をだます時が来るとはな」

「我だって成長する!」

 たぶん悪い意味でだと思う。

 それはそれとして、

「優衣は何してんの?」

 たくさんの料理があるにもかかわらずエプロンを身に着けお湯を沸かしていた。

「・・・内緒」

 そう笑ってはぐらかされたが、冷蔵庫から出された食材を見て何を作ろうとしているのか容易に想像できたが、もしかして。

「知ってんのか?」

 ルノの耳元でそう囁くと、小さな頷きが返ってきた。

「急に隣が魔力であふれれば気にもなるじゃろ」

 次は呆れたように。

 確かにその気持ちはわかるけど、

「お前に盗聴できるような能力ってあったか?壁は音を通すほど薄くはないし、窓にもカーテンが閉まっていたから、あいつらをみて考えを読むことも出来ない」

 困惑する俺はルノにここに置いていったコントラクターようの端末を差し出されてさらに困惑した。これにも盗聴機能はないはずだ。

「鍵はもう1つあるんじゃ。そしてそれは既にお主が持っている」

 俺が持っている?持ち物で1番可能性の高いものと言えば。

「これか?」

 左腕を上げて答える。

 そう、自分の意思で外すことのできないバングルだ。

 ルノは俺の答えに頷き言った。

「そのバングルとこの端末によってお主らの話が聞けた。まぁ、見つけたのは偶然なんじゃが」

 この時ばかりは偶然というものを恨んだ。偶然がなければ盗聴機能になんて気づかなかったのだろう。ところが、気づいたことにより、端末を常に持ち歩かなければプライベートが除かれるということだ。これから用心しよう。

「笑えない機能だ」

「なになに?何の話?」

「機械族の文明がすごいって話」

 遅れてリビングにやってきたエルを適当に流し、料理の並ぶ席へと座らせた。

 優衣の作っていたものも完成し、ふたがかぶされた状態でエルの前に置かれた。

 ここにいる全員がテーブルに着いたのを確認し、俺は声を上げた。

「いただきます!」






 デルキイス。ディーテの隠れ家。

「シュミル!よくも余計な真似をしてくれたねぇ!」

 奏太たちが最後の晩餐を開いている同時刻。ここでは、この家の主の怒号が響いていた。

 ディーテの視線の先には縄で縛りつけられた執事の姿があった。

 執事服のところどころは裂け、そこから覗いていたくましい肉体にも裂傷が走り血が溢れている。立派だった2本の角も完全に折れている。

「・・・わたくしは、あなたの駒ではない!」

 ボロボロになりながらも声を荒げる。そうすると首に巻かれた縄が少しだけきつくなった。

「グッ」

「ったく、ちゃんと術をかけておくべきだったよ。あんたがあの人間の術を解かなければトリアも、あの姫も、人間に化けた雷獣族だって殺せていたというのに!」

 やはりばれていた。いや、ばれないはずはない。

 お嬢様を連れ先輩と話した後、ディーテに術をかけられた玄魔という人間を助け、元いた場所へと帰した。

 やったことは小さいが、彼女からすれば駒が1つ減る大きな痛手となる。

「しかも、あの人間に『マインドコントロール』の耐性までつけるとは、なかなかやるじゃないか」

「わたくしが1番に望むのは、先輩がこちらへ来ることだ!そのためなら、己の心臓の1つや2つなんてこともッ!」

 最後まで言うことなく縄がきつくなり、首が締まる。

 まずい、息が・・・!

「本当、賢いだけで使い勝手の悪い駒だ。契約はもう終わり」

 右手の悪魔の印が消えた。

 これにより、ディーテと真っ向勝負ができるようになった。ただし、この縄さえなければ。

 仮に解かれても今は勝てない。この縄は神民製。魔族の力を封じる作用を持っている。よもや、このわたくしが神民によって殺される日が来るとは。

「ばーか、あんたは殺さないさ」

 驚いてディーテの表情を見ると、何かを企んでいるような目でこちらを見ていた。

「い・・・にを・・・・・り・・・・だ」

「一体何をするつもりなのかって?そんなの死ぬよりもつらいことさ」

 死ぬよりもつらいこと。それが何を意味するのかシュミルには、

「理解できない。そんな顔をしているねぇ。しょうがない、あたしは優しいから教えてやろう。死ぬことはないが生きた心地もしない。何も刺激がなく。感じられるものも何もない。今、あんたを終わりなき闇の世界。アーウェルサと人間界の狭間にある世界。暗黒世界へと誘わん」

 ディーテが言い終わった直後、空気が、いた空間が大きく振動し目の前に果てしない闇の空間が広がる穴が出現した。

 この先が、暗黒世界。初めて見るその姿に思わず息を飲む。

「じゃあね!シュミル!精々楽しみなよ!」

 甲高い笑い声を最後に、シュミルは拘束されたまま暗黒世界へと吸い込まれていった。

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