第3章~校則取り締まり委員会~

 俺がつらい過去を思い出した同日午後。

 教室で劇の演出のために役者と打ち合わせをしていた俺のもとに1人の男がやってきた。

 黒い執事服、白い手袋というどことなく見覚えのある服装に身を包んだ、銀髪で黒ぶち眼鏡をかけた学生。胸に青色のバッチがついていることから一つ上の3年生であることがわかる。

「堀井奏太はいるか!」

 見た目からは想像できないほどの大声でその男は俺の名を呼んだ。

 クラスの視線が俺に集まると、男はそれを確認しずかずかと教室へ入ってくる。

 はぁ、また面倒ごとか。

 俺はそう推測し、ため息をついて目の前まで来ていた男に話しかける。

「何の用だ?副会長」

「生徒会室まで同行願おう」

 やっぱり。

「お断りだ」

 いつか会長が頼んできたときと同じように断った。

 潮ノ宮学園生徒会副会長、菊空牙登。

 学生ながらも生徒会長、椿山神楽に仕える執事であり、学生からの信頼も厚い。その一方で、お嬢様のことになると周りが見えなくなるほどの神楽好きでもある。

 そんな牙登は俺の先輩に対する失礼極まりない態度をみて奥歯を噛み締めていた。

「昨日も断ったが、どうせ同じ用件だろ?」

「そうだ。力を貸せ」

「それが人にものを頼む態度かよ」

「だから俺は嫌だと言ったのに」

 と牙登は悪態をつきながらも姿勢を正し頭を下げた。

「我々生徒会に力をお貸しください。・・・これでいいか?」

「最後のはいらなかったがな」

 まぁ、あの会長よりかは話が出来るだろう。

「今、お嬢様のことを頭が固いとか思わなかったか?」

 何たる洞察力。

「全然思ってない」

 似たようなことは考えていたためにどうしても返答が胡散臭くなってしまう。

 現に、牙登は鋭い視線を俺に向けていた。

「それで?あのお嬢様から聞いてないか?俺は力を貸すつもりはないって」

「聞いてないな。むしろやる気満々だと報告を受けている」

 あの会長、適当なことを報告しやがって。

「ねぇねぇ奏太、何の話?」

「ん?あぁ、由香か。別にたいしたことじゃない。力を貸せと言われたから断っているだけだ」

 そう言うと、途端に由香の顔が真っ青になった。

「奏太、ちょっとこっちに来て。すいません副会長さん。少しの間待っていてください」

 俺の腕をつかみ教室の隅にしゃがまされ、由香も身を小さくした。

「奏太、従った方がいいよ」

 声も小さくし由香は言った。

「ここの会長さん。神楽先輩はいいとこのお嬢様じゃない?」

「あぁ、そうだな」

「このままだと奏太、退学だよ?」

「・・・は?」

 退学?こいつは今退学と言ったのか?会長の頼みを断っただけで?そんな馬鹿な話があるわけ、

「夏休み前に隣のクラスの子が退学になったのを覚えてる?」

「あったな、そんなこと」

 関わったことがないのでどんな奴だったのか思い出すことはできないが、成績優秀で真面目なやつだったらしい。

「その子ね、会長さんが追い出したんだって」

「噂とかじゃなくて?」

「うん。紛れもない事実。退学させられた子が私の友達でね、会長さんと口喧嘩をしちゃったらしいの。それで、別れ際に、あなたは退学よ!って言われたんだって」

「そんなの、保護者が黙っていないだろ」

「黙らせたんだよ。お金と権力で」

 背筋がぞわっとした。

「会長の気に障った生徒は退学させられる。だから、奏太がここで断れば」

「めでたく退学ってか?冗談じゃねぇ。ここほど自由な学校なんて他にはないだろうに」

 こうなればもう仕方ない。

 俺は再び副会長と対峙した。

「力を貸す気になったか?」

「仕方なくな」

「感謝する」

 牙登は深々とお辞儀し、

「行くぞ。ついてこい」

 と、そそくさと教室から出て言ってしまった。

 もう行くのかよ。

 ルノも連れて行こうと思ったが、紅とじゃれているため話しかけにくい。

「由香、ちょっと行ってくるからルノのこと頼む。何かあれば連絡してくれ」

「わかった。まったく、過保護なんだから」

「うるせぇよ」

 俺は顔が熱くなるのを感じながら教室から出た。

「何だ、待っていてくれたのか」

 教室から出てすぐの壁に腕を組んで寄りかかっていた牙登は顔を上げて言った。

「逃げられては困るからな」

「別に逃げたりしねぇよ。生徒会室はC棟の4階だったな?」

 C棟とは各部活の部室が並んでいる、正方形であるこの建物の右側の辺である。

「よく覚えてたな」

「学校の構造を忘れるほど物覚えは悪くねぇよ」

 俺たちは螺旋階段を上り生徒会室へと歩みを進める。

 長い廊下のちょうど中心あたりに生徒会室はある。

「ただいま」

「お邪魔しまーす」

 生徒会室に入り俺を出迎えたのは、机に乗った小さな招き猫。

「にゃはは。よく来たにゃあ、堀井かにゃ太」

 招き猫が話し出す。

「人の名前を噛むなよ」

「まぁ、それはしょうがにゃい」

「なぁ、会長はどこにいるんだ?猫女」

 俺は招き猫の置かれた机を覗き込んで聞いた。

「にゃ!?どうしてうちがここにいるとわかったにゃ!?」

 そう言いながら机から出てきたのは猫耳パーカーを来た女子にしてはまずまずな身長の女の子。胸についたバッチは青だ。

「お前って本当に馬鹿だよな」

「にゃ、にゃにおう!?うちは先輩だぞ。かにゃ太は先輩であるうちをうにゃみゃうぎみゅがある!」

「そのわざとらしい噛み方はやめろ。『敬う義務』って言いたいんだろ?・・・それで?会長は?」

「さぁにゃ、うちは知らにゃい。うちが来た時にはいにゃかったにゃ」

 そう言って近くにあった椅子へ腰を下ろす猫女。

 この猫女こと七宮ノノは、生徒会書記を務める3年生。

 本人曰く、無意識のうちに『にゃ行』が出るように教育されたらしいが、それは真っ赤な嘘であり、本人のキャラ作りのためにそうしている可能性が高い。

 しかし、『な行』が苦手なのは本当のようで、『な、に、ぬ、ね、の』が『にゃ、に、にゅ、ね、にょ』になってしまうらしい。

 そのため、自分の名前が嫌い。自己紹介をすると『にゃにゃみやにょにょ』になってしまうから。

「七宮がここに来たのはいつだ?」

 ソファに腰掛けて牙登は聞いた。

「ついさっきだにゃ」

「そうか。その時にはもう夢霧はいたか?」

 その言葉にノノは頷く。

 牙登の座るソファとは別のソファで眠っているパジャマ姿の女の子。

 夢霧つむぎ。生徒会会計をつとめる3年生。お金に関わる重要な役職なのにもかかわらず、基本的には寝て過ごしている。

 しかし、学校祭という最もお金が動くこの時期に寝ているとは。

 寝顔が幸せそうなので俺からは何も言えない。

 ところが牙登はお構いなしにつむぎを起こした。

「おい、夢霧。お嬢様がどこにいるか知っているか?」

「うーん・・・?牙登君かー」

 つむぎは眠そうに起き上がった。

「神楽ちゃんなら後輩ちゃんと一緒にどこかへ行っちゃったよ?」

 実にのんびりとした、何処か浮ついたような口調。寝起きだからではない。元からこんな感じだ。

「そうか、ありがとう」

 牙登はそう呟くと生徒会室を飛び出した。

「おい、ちょっと待て。入れ違いになったら」

「・・・もういないにゃ」

 神楽のことになると周りが見えなくなる。待っていればここに必ずここで会えただろうに。入れ違いになることをまるで考えられていない。

「おやぁ?そこにいるのは奏太君じゃないか。久しぶり。ちょっと隣に来てくれる?」

 のんびりとしたつむぎに促され、俺はソファに座った。その俺の太ももにつむぎが頭をのせる。

「うーん。いい高さ」

「おい、降りろ・・・って、もう寝てるし」

 どうしようと思いノノの方を見るが、黙って首を横に振られた。

 気持ちよさそうに寝息を立て、起こすのもなんだかかわいそうなのでとりあえず今は放置しておく。

「それにしても、ほんとうに家みたいなところだな」

 あたりを見渡して目に入るのは壁に大きなホワイトボード。それから仕事用と思われる人数分の机、いすとノートパソコン。ここまではまだいい。

 このほかに、今俺が座っている大きめなソファが2つ。水道とガスも通っている。さらにテレビや電子レンジ、冷蔵庫。極めつけは大きなベッド。

 もしもここがゾンビに襲われたとしても生活ができるほどの生活環境が整っている。

「にゃんにゃらここに住むか?」

「それはいいや。ちゃんと家があるし。あの大きなベッドってつむぎのために神楽が買ったんだっけか」

「うん。お気に召さにゃかったみたいだけどにゃ」

「ふーん」

 実際にあのベッドを使ったことがないためわからないが、低反発でふかふかしすぎて寝づらい、とつむぎが言っていた記憶がある。

「ところでかにゃ太」

「何?」

「にゃん度も言うけれど、うちは先輩だぞ?」

「そうだな。何回も聞いた」

「それにゃにょににゃぜ敬語を使わにゃい?」

「今更そんなことか。神楽のように権力を持ったような人ならまだしも、年齢が違うだけなら別に必要ないと思ってな」

 俺のあまりにも偏りを持った意見にノノは苦笑しながら言った。

「初めてここに来た時もお前はそうだったにゃ」

 はじめてここ、生徒会室へ来た時。それは、俺が入学してすぐのことだった。

 潮ノ宮学園の生徒会執行部は学年問わずやりたい人がやりたいようにやっているらしい。

 俺が入学した当初から会長、副会長、書記、会計は変わっていない。

 そこに現在は次期生徒会長候補である2年生が1人加わっている。

 さて、俺が初めてここに来たのは校内放送により呼び出されたことによる。

 何だろうと不思議に思いながら奏太少年は生徒会室の扉を開けた。

 目に飛び込んできたのは、ロリータ服を着た、いかにも私お嬢様ですけど?みたいな雰囲気を出した人。執事服を着た人。猫耳パーカーを来た人。ソファで眠るパジャマ姿の先輩の姿だった。

 これを見て驚かずにはいられなかった。学校行事の企画、運営をこんな珍妙な集団が取り仕切っているなど誰にも予想はできまい。

「あんたが堀井かにゃ太だにゃ?」

 驚いて固まる俺に声をかけたのは猫耳パーカーの先輩。

「いや、堀井奏太だけど。あんたが椿山神楽?」

 名前の訂正をし、お嬢様風な先輩へと話しかけた。

 真っ先に反応したのは執事風な先輩。

「お前、お嬢様を呼び捨てにするなど」

 と、なぜか怒り始めた執事をお嬢様が止めた。

「いいわ、牙登。矛を鎮めなさい。そして、堀井奏太?」

「は、はい」

 名前を呼ばれただけなのに冷や汗が止まらなかった。

 神楽はそんな様を楽しむかのように話しだした。

「先輩に敬語を使えとは言わないわ。けれど、あなたと私には、そうね、貴族と平民くらいの差があることを理解しなさい」

 たったそれだけ。なのに背筋が凍りつくような感覚。

「はい、すいませんでした」

 気づけば謝罪の言葉を口にしていた。

「わかればいいわ。さて、あなたをここに呼んだのは生意気な後輩がいるという噂を聞きつけたからというわけではないわ」

 そんな噂、初耳である。

「あなた、この生徒会に」

「お断りします」

「ちょっと。まだ全部言ってないわよ」

 全部聞かずともわかる。

「執行部になれというんでしょ?」

「さすが、入学試験を1位で通り抜けた秀才は頭の回転が速いわね」

 別にそれほどでもないが、褒められたからと言ってやるほど俺も単純ではない。

「失礼します」

「待ちなさい。まだ話は」

 最後まで聞くことなく生徒会室から退出した。

 その後も勧誘のために俺は生徒会室へと呼び出され、暇を持て余していた俺はそれに応じた。

 行くたびに高いお菓子やお茶が用意されており、それを食べる代わりに・・・なんて性格の悪いことも神楽は言わなかった。

 結局のところ、1年の半分以上は生徒会室に行っていたと思う。それでも執行部にならなかったのは俺のプライドと言うものが許さなかったのだろう。

 当然それだけ長い時を生徒会室で過ごせば必然的に先輩とも親しくなった。

 しかし、2年になってからは呼ばれることもなくなり、昨日ひさしぶりに神楽とコンタクトを取ったのだった。

「ほんとにゃま意気だったにゃ。今もかわらにゃいけど」

「まぁな」

「そこはどや顔するところじゃにゃいからにゃ!?・・・いい加減後輩ににゃめられるにょもいやにゃんだけど」

「だったら神楽のように権力でも手に入れ」

「先輩をつけなさい!」

 勢いよくドアが開け放たれ、若干切れ気味の神楽がと生徒会室へ入ってくる。

「げ」

「げ、じゃないわよ。まったく、覚悟はできているのかしら?」

 あ、これはまずい。なんとなくだけどそんな予感がする。本能が逃げろって言ってる。

 だが、逃げようにもつむぎが眠っているため動くことが出来ない・・・って、

「おい、つむぎ。起きているなら避けろ」

 なんと目を覚ましていた。

「んー?なんか面白そうだしこのままでいいやー」

「よくない。ちっともよくないから!」

 そんなことをしている間にも神楽はゆっくりと、獲物を追い詰めるトラのように近づいてくる。

「ふっふっふ。逃がさないわよ?」

 逃げようにも逃げられないこの状況。諦めるのもひとつの手ではあるが、いつの間にか握られていたあの鞭でしばかれるのは避けられなくなる。

 となると話題を振り意識をそらすしかない。

 何か話すようなことはあっただろうか。

「そうだ。神楽先輩はどうして俺に付きまとうんです?」

 今まで聞こうと思って今まで聞きそびれていたことだ。これなら乗ってくれるだろう。

「あら、言ってなかったかしら?」

「聞いてないです」

「あなたの入学試験の順位がトップだったからよ。文句ある?」

「文句しかないです。いい迷惑だ」

 会話終了。

 まずいです。

「つむぎ、まじで避けて」

「あー、いい枕だ」

 だめだ、聞いちゃいない。

 少しだけ能力を使えば。そう思い始めた時、

「会長!ストーップ!」

 バシン!と言う大きな音と共に紫色ショートヘアーの女の子の声が生徒会室に響いた。

 女の子の手には大きなハリセンが握られていた。

 そして神楽は頭を押さえてうずくまっている。

 まさか、あれで神楽たたいたというのか?

 何はともあれ助かった。

「まったく、痛いわよ?葵」

「こうでもしなきゃ会長は止まらないでしょ?ここで奏太君に逃げられては元も子もないでしょうに。落ち着いてください?」

 あの神楽が何も言い返せずに黙っている。

 会長に対して物怖じげなくズバズバと言う子の女の子。さすが次期会長。

 佐藤葵。俺と同じ2年生で生徒会に入ったのは今年から。次期会長、あくまでも候補だが仕事を覚えるために全役職の仕事を覚えているらしい。

「そういえば、牙登はどこ?」

 ようやく落ち着きを取り戻した神楽は生徒会室を見渡して言った。

「神楽を探しに行ったにゃ」

「あのバカ。まぁいいわ。つむぎ!」

「はいはーい」

 名前を呼ばれたつむぎは俺から避けると、机のあったパソコンのうち1つを起動した。

 その間にノノと葵がカーテンを閉め電気を消した。

「何を始めるんです?」

 思わず目の前に立つ神楽に問う。

「あなたに見てもらいたいものがあるのよ」

 含み笑いでそう言い、後は何を聞いても答えてはくれなかった。

 暗くなった生徒会室で唯一光っているのはパソコンの画面だけ。

 ここのカーテンは遮光性が高い気がする。

「まずはこちらをご覧くださーい!」

 つむぎの一言共にホワイトボードにパソコンの画面が映し出された。

 中心には『前夜祭・百鬼夜行計画』と書かれている。

「これは、簡単に言うと前夜祭に仮装パレードをしよーぜっ!ていうような内容だよ」

 仮装パレード?それ以上の説明を求め続きを待つ。

 キーボードをたたき切り替わった画面には1枚の写真が映し出された。

「これは去年の前夜祭の写真でーす」

 葵を除く執行部4人と、その後ろで生徒たちが校庭でバーベキューをしている。

「これって確か多くの生徒から苦情が来たのじゃなかったか?参加費が高いとか、翌日動けなくなったとか」

「そうなんだよぉ。動けなくなるのは自業自得だとしても、使った食材が高級すぎて参加費1万円超えはさすがにやりすぎだからね」

 そのせいで俺は去年前夜祭には参加しなかった。去年も1人暮らしで経済的余裕はなかった。

「そこで、今年は方向性を変えることにしましたー」

 画面がきりかわりまた新しい写真が映し出された。

「2年前を参考にして、仮装パレードを復活させることにしたよ」

 アニメのキャラクターや妖怪を模したコスチュームに身を包んだ生徒たちの写真

「それが無難だとは思うが、何で去年はバーベキューなんかやったんだ?」

 参加費が高くなり参加できない生徒が出ることは容易に察しがついたはずだ。それなのになぜ?

「それはねぇ、神楽ちゃんが友達とバーベキューをしてみたいって聞かなかったからだよ」

「・・・そんなの個人で勝手にやってくださいよ」

 俺の哀れみにも似た視線を向けられ神楽は珍しく恥ずかしそうにしていた。

「べ、別にいいでしょ!やりたかったんだもん!だからそんな蔑んだような目で見ないで!っていうかつむぎ、そのことは口にしないって約束したじゃない!」

 1年前の黒歴史を暴露した張本人は「そうだっけー?」とどこ吹く風である。

「会長!落ち着いてください。話が進みません」

 ちっとも話が進まないのを見て葵が先を促した。

 いい働きをする。

「今年の仮装パレードに出てくれる人はもう決まってるんだー。衣装の作成は被服部と一般の方に手伝ってもらってまーす。そして、次」

 また画面が切り替わり、『演出について』と書かれていた。

「・・・また演出係か」

「おや?奏太君の役割もうわかっちゃった?話が進めやすくて助かるよ」

 何やらつむぎが俺のことを称賛しているが、むしろこれを見て気づかないわけがない。

「かにゃ太が火を操るというのは調べがついてるにゃ」

「引き受けてくれるわよね?これは去年の汚名返上の機会でもあるの」

 汚名を受けたのは完全に自業自得だと思う。それと、

「俺は執行部じゃないんだけど?」

 わざわざ個人の汚名返上のためにいいように使われるのは良い気はしない。しかし、神楽は俺の言い分を否定した。

「あなたはもう執行部のメンバーよ?去年からね」

「・・・は?いや、初耳なんですけども」

 おいおい、嘘やろ?

 あまりの衝撃に中途半端に関西弁が出てきてしまったが、それくらい動揺していた。

「あなたも我が椿山執行部の一員なんだから、当然協力してくれるわよねぇ?」

 俺が生徒会執行部だと?

「待て待て、一旦落ち着こう」

「慌ててるのはかにゃ太だけにゃ」

 今は冷静な突っ込みにすら反応できない。

 俺が仮に生徒会執行部なのだとしたら。どの段階で入れられ、何の役職に就いたというのだろうか。

 そのことを聞いてみると、生徒会室は静かでパソコンが起動している音だけが響いた。

 え、なにこの雰囲気。

 一同が困ったような表情を浮かべている。

「俺、何かおかしなこと言った?」

「言いましたね」

「言ったにゃ」

「言っちゃったねぇ」

 えぇ・・・。

「あなた、執行部についてちゃんと把握しているの?」

 している、つもりではあったがどうやら俺の知らないことがあるようだった。

 今現在わかっている役職と言えば、

「会長、副会長、書記、会計の4役でしょ?」

 それがどの学校にも存在する生徒会執行部の役職だろう。

 俺の返答に鼻で笑った神楽は説明を開始する。

「そうね。普通の学校ならそれで満点よ。けれど、あなたもわかっているでしょうけど、ここは普通科であっても普通の学校ではないわ。一般的な学校にあってこっちにないものもあればその逆もある。つまり、一般的な高校には存在しない役職もこの学校には存在するのよ」

 つまり、特殊な役職があるということで俺はその役職に知らずのうちに就いていたということか。

 ここまでは分かった。問題は何の役職でどんな仕事をするのかということだ。

 今までそんなことを一切気にせずに過ごしてきているのだから重要な役職でもないのだろう。

 だからこそ、考えても答えは見つからない。

「そろそろ教えてあげましょうかね」

 見兼ねたどこか諦めたように答えの発表を宣言した。

「あなたに与えられた役職。それは・・・」

「それは・・・?」

「『校則取り締まり委員会』だよ」

 変な間の後、つむぎが無邪気にそう言うのだった。

「ちょっとつむぎ。私のセリフを取らないでよ」

「だって、こんなことに時間かける必要なんてないでしょ?」

 正論だ。正論ゆえに神楽は何も言い返せない。

「奏太君は、まだ『校則取り締まり委員会』について理解できてないみたいだね」

「説明してくれるか?」

「奏太、敬語」

「今つむぎと話していますので」

「ちょっと!?」

 きちんと敬語を使って神楽を黙らせ、改めてつむぎに俺の名前の長い役職の説明を求める。

「校則取り締まり委員会、通称『校員』はね、その名の通り校則を破る生徒を取り締まる重要ではあるけどほとんど仕事のない役割なのです」

 どや顔で説明したつむぎに感謝し改めて自分の役割について認識した。多分一般的な高校の風紀委員の下位互換。

 俺は知らぬ間に執行部、校員と言う役職を与えられてはいたが仕事がなく教えられていなかったということだろうか。

「今まで言っていなかった神楽ちゃんも悪いけど、何より役職があっても仕事がないんじゃ気づかなかったのも無理ないよね」

「校則って上靴とバッチしかないものね」

 やっぱりこの学校は自由すぎると思う。よく学校として成り立っているものだ。

「いままで黙っていて悪かったわね。けど、これであなたも生徒会執行部の一員であるということがわかったわね?」

 いや、全然わからん。

「役職を説明されただけですよ?Q.E.Dにはまだ早いです。明確な証拠が」

「まだ協力することを拒むというの?私が任命したからにはもう逃げられないわよ?」

 そう言って神楽は悪い笑みを浮かべ鞭を手にした。

「・・・ちなみに、逆らうとどうなるんです?」

「退学処分よ」

 そ、即答。

「権力の乱用だ!」

「まぁまぁ、逆らわにゃきゃ悪いこともないにゃ。従っていればいいにゃ」

 大きく伸びをしてノノは言った。

 しかし、ここで逆らって待っているのは退学。それだけは本当に困る。

 1300年生きようとも俺の人間としての知識はまだまだ浅い。学ぶべきこともたくさんある。

 俺は大きく肩を落として言った。

「生徒会の一員として、百鬼夜行計画に協力します。ただし、学校祭が終われば生徒会をやめるのでそうかそのつもりで」

「それはあなたの頑張り次第ね」

 どうしよう。ものすごく逃げ出してしまいたい。

 そんな俺のブルーな気分も知らずに、

「今日はパーティーね!葵!」

 と明るく宣言し、葵は準備のためか生徒会室から出て言った。

 それにしても、どうしてこんなタイミングでパーティー?

 まさか、と思い神楽に聞いた。

「生徒会に新たな役員が増えたからよ」

 と、カーテンを開けながら呆気からんと答えるのだった。

 はぁ、もうあきれて言葉も出ない。

「あら、やっと気づいたわね?ようこそ、新生徒会執行部の堀井奏太君」

 ・・・だまされた、ってことか。

「まぁまぁ、そんな絶望に満ちたような顔しないで?これからもつむぎに膝枕してね?」

 そう頼んでくる会計つむぎ。

「にゃま意気な後輩だけど、これからもよろしくにゃ。かにゃ太」

 名前をちゃんと言えない書記ノノ。

「逆らったら退学だからね?」

 権力を乱用する会長神楽。

 それと、会長に対しても堂々と物を言う、常に手にはハリセンを持つ次期会長(候補)の葵。

 まともな奴がいねぇ。ギリギリ葵が常識人だろうか。俺もしっかりしないと、そう密かに決意した時だった。

 バン!と勢いよくドアが開き、

「お嬢様はいるか!」

 と、大きな声を出し肩を上下させ呼吸を乱している牙登の姿が。

 俺がここにきて1時間は経っているが、ずっと探していたのか。というか、存在をすっかり忘れていた。

 お嬢様こと神楽大好き執事、副会長牙登。こいつもまともじゃないな。

「牙登。どこに行ってたのよ。奏太をここに連れてきたらそのまま待機していなさいと伝えたでしょう?」

「し、しかし、お嬢様が心配で」

「相変わらず過保護ね。大丈夫よ。頼りになる次期会長もいたもの」

 神楽は若干呆れ気味にそう言った。

『トリアは過保護だなぁ。大丈夫だよ!』

 いつかエルから言われた言葉が頭に響く。

 ・・・あいつは死んだんだ。忘れろ。

 そう自分に言い聞かせる。

「かにゃ太?どうしたにゃ?ぼーっとして」

「いや、なんでもないですよ」

 ついあの時のことを思い出し敬語になってしまった。

「にゃ!?かにゃ太が敬語を使った!?何にゃ?ついに先輩へ敬意を表す気ににゃったか?」

「ちげぇよ。調子に乗んな」

 すぐにいつもの調子に戻りノノを黙らせると、ふてくされるようにソファにその身を沈めた。

 それを待っていたかのように自然な流れでつぐみが俺の足を枕にする。

「降りろ。結構はずかし」

「おやすみー」

「聞けよ。・・・ほんと寝つき良いな」

「それだけその足がいいってことじゃにゃいのか?」

「複雑だ」

 褒められているのか貶されているのかよくわからない。

「まぁまぁ、今度うちにも試させて欲しいにゃ」

 そんなのお断りである。

「この枕はつむぎのだからダメだよぉ?」

 な、起きていたのか?いや、寝てる。寝言?そんなバカな。さては、まだ起きてやがるな。いや、そもそもつむぎのものでもない。

 なんて、寝ているのかよくわからないが幸せそうな顔をしているつむぎに言うことはできなかった。

「おい、奏太」

「何だ?」

 ずかずかと歩み寄ってくる牙登。気づけば神楽もこの場からいなくなっていた。

「お前、やっと生徒会執行部に入ったんだってな」

「お前んとこのお嬢様に嵌められてな」

「そうだろ?お嬢様は頭が切れるからな」

 そうだろ?じゃない。いい迷惑だ。

「くれぐれも迷惑するなよ?」

 迷惑されてるのはこっちだ。

 俺はさらにふてくされ、背中を背もたれに預けた。

「そういえば牙登」

「何だ?お嬢様の幼少期について気になるのか?」

「ちげぇよ。何でそうなる。全くもって興味ない。俺が知りたいのは前夜祭で俺はどう演出するのかだよ」

 牙登は神楽さえいなければとても優秀でまともな部類だ。

「悪いが、俺は知らんぞ。企画の立案者は夢霧だからな」

 現在俺の膝を枕にしている企画の立案者を見る。

 基本的に寝てはいるがこれでも仕事のできる重要な人材だと前に神楽から聞いた。

 さっき見せられたプレゼンテーションもつむぎが作ったのだろう。

 口で説明すればいいものをわざわざ手間暇かけるあたりに、前夜祭に対してどれくらい本気なのかが伝わった。

 やはり去年のことを気にしているのだろうか。どう考えてもあれは神楽が悪いと思うんだけど。

「なぁ奏太。今お嬢様のことを悪者のように思ってなかったか?」

 何でわかるかなぁ。いくらなんでも鋭すぎやしませんかね。

「別にそんなことはない」

「そうか、ならいい」

 なんとか誤魔化せたようだ。

「で、そのお嬢様はどこに行った?」

「ん?あぁ、佐藤を手伝いに行ったよ」

「ふーん。いいのか?執事がお嬢様の傍を離れて」

 軽い冗談のつもりで言ったのだが、牙登は心底嫌そうな顔をした。

「確かにお前が言うように執事たるものお嬢様から離れない方がいいのかもしれない。だがな、俺もお嬢様も学生なんだ。アニメや漫画のように常に一緒にいては悪影響を及ぼす場合もある。心配ではあるが、お嬢様のプライベートまで侵害したくはない」

 いつになく真剣な面持ちでそう言うのだった。

「意外と、ちゃんと考えていたんだな」

「俺が望むのはお嬢様の幸せだからな」

 俺は直感する。こいつは将来大物になる。

 今こいつはどんな気持ちでこのことを話したのだろうか。気になったが、このことばかりは部外者である俺が知ってはいけないような気がした。

「にゃあ牙登」

 黙ってしまった牙登にもう我慢できないといった様子でノノが口を開いた。

「なんだ、七宮。いたのか」

「ずっといたにゃ!で、牙登は神楽のことをどう思っているにゃ?」

 うわ、直球だな。けど、

「それは俺も気になってた。どうなんだ?一人の女の子として」

 俺とノノからの質問に困惑しながらも牙登は答えた。

「ど、どうって聞かれてもな。お嬢様は多少強引な時もあるが愛らしくて美しいと俺は思ってる」

 ふむふむ。

「「それで?」」

「それで、とは?」

「そうだにゃあ、好きかどうかってことにゃ」

 やっぱり直球ストレートにノノは聞いた。そのことに関して俺は何も言わずに牙登の言葉を待つ。

「そりゃ、好きではあるが。・・・おい、お前ら。何をにやにやしている?」

 これを聞いてにやにやしないわけがない。あれ?でも、

「お前って神楽のこと名前で呼ばないよな」

「それは、ただの従者に過ぎない俺がお嬢様を名前で呼べるわけないだろ」

 そう言うものなのだろうか。と疑問符を浮かべたところでノノがこそっと教えてくれた。

「牙登ってこう見えておんにゃにょ子苦手なんだにゃ。うちらは大丈夫らしいにゃんだけど知らない子とは顔を合わせるのすら難しいらしいにゃ」

 このクール執事にそんな裏があったのか。

「純情なんだな」

「何のことだ?」

「別に。なんでもないさ」

 と牙登を誤魔化したその時、

 バン!と勢いよくドアが開けられ神楽が入ってきた。

 牙登もそうだったがこの2人は静かにドアを開けられないのだろうかと訝しげに神楽を見ていると、後ろに3人の人影があるのに気付いた。

 1人は葵。あとの2人は、

「零と蓮?お前ら何してんだ?」

 俺の問いかけに神楽が答える。

「あら?奏太の知り合いだったのね。この2人には歓迎会の準備を手伝ってもらっただけよ。料理部らしいからね」

 料理部と聞いて牙登とノノがほっとしたように見えたのは気のせいだろうか。

「さぁ!料理を運んじゃって!」

 神楽の指示で次々と長机に料理が並べられていく。

 和食、洋食、中華にイタリアン。絶対にこの人数では食べきれないであろう量だ。

「ねぇ奏太。お届け物」

 ゆっくりと俺に近づいてきたのは零。

 お届け物?と首を傾げる俺に零は背中を向けルノが眠っているのを見せた。

「なんでルノがここに?」

 しかし零は何も言わない。

 代わりに蓮が答えてくれた。

「この子も手伝ってくれたんすけど、どうやら疲れて寝ちゃったみたいなんすよ」

「そうか、ありがとな」

 眠るルノをベッドへ移すようにノノへ頼む。

 俺の膝にはつむぎがいるため動くことが出来ないのだ。

「それにしても、まるでハーレムじゃないっすか。約1名男が混ざってますけど」

「にゃはは、あいつは気にしなくていいにゃ。会長しか頭にないからにゃ」

 ルノを移動させ終わったノノがここぞとばかりに会話へ混ざってくる。

 蓮はおかしな口調と恰好の先輩に戸惑いながらもすぐに落ち着きを取り戻した。

「それならもうハーレムの完成っすね。女の子を膝枕なんかしちゃって」

 これは、

「不可抗力だ」

「何をどうしたら膝枕と言う状況が出来上がるんすかねぇ」

 あきれたように言うが、これは本当に不可抗力だ。どうしようもなくて仕方のないことなのだ。

「蓮、無駄口叩いてないで手伝って」

「了解っす」

 と零に蓮は呼ばれ、

「七宮、ちょっとそっち持ってくれ」

 と牙登に頼まれたノノも離れていった。

 俺は膝で眠る人がいるため動けずに準備されていく光景を黙って見守る。

「むふふ。ハーレムだってさ奏太君」

「なんだつむぎ。起きてたのか」

 目を開けてはいるものの起き上がろうとはしない。

「起きてるなら避けてくれないか?」

「んー?起きているときには枕を使っちゃいけないの?それだと枕を使って眠ることが出来なくなるってことだよねぇ?」

 そうなんだけど、そうじゃない。

「布でできた枕なら別に構わないけど、膝枕は」

「それで?奏太君はこのハーレム的状況をどう思っているわけ?」

 ・・・この人はちゃんと人の話を聞くことを覚えた方がいい。

「なぁ、つむぎ。人の話をだな」

「ねーねー、どうなの?」

 聞けよ!

 マイペースにもほどがある。とはいっても今に始まったことでもないし、もはや気にしたら負けのような気もしてきた。

「それでー?ねぇねぇ、聞いてる?奏太君の好きな子ってだぁれ?」

 そろそろ絡みがうざいなぁとか思ってきたが口にはしない。

「聞いてるよ。ってか、話題変わってない?」

「んー?気のせいだよぉ」

 ハーレムについてどう思っているのか聞かれていたはずなのに、好きな子を暴露しろだと?話が繋がっているような気もするが何か根本的に違う。

 それでも俺は質問に答える。つむぎが避けてくれなければ俺はつむぎと話すことしかできない。

「今はいない」

「今は?昔は?」

 しまった。墓穴を掘った。

「誰々?この学校にいる人?」

 鼻息荒く問いただしてくる。やはり女の子は恋愛話が好きなようだ。

「生憎、この学校にもこの世界にもいない」

「そっかー。なんかごめんね?奏太君の気持ちも知らずに勝手にはしゃいじゃって」

「いや、気にすんな」

 好きな子と聞いて真っ先に思い浮かんだのはエルの顔。けれども、あいつはどこの世界にももういない。もし、生きていても「この世界にはいない」という表現はあながち間違っていない。

 そんなしょうもないことを考えていると、不意に膝が軽くなった。

「ふー、よく寝た」

 そう言ってつむぎは自分の胸に俺を抱き寄せた。

 ・・・はぁ?ちょ、息しにくい!なんか柔らかくていい匂いがする。ってそうじゃなくて!

 意図が読めずにただただ混乱する。しかし、体温が上昇しているということだけは分かった。

「なんか辛そうな顔してたからさ。こうすると人の心は落ち着くってママ、お母さんが言ってたんだ。つむぎだって奏太君よりも1つお姉さんだからね。相談ならいつでもウェルカムだよぉ」

 つむぎはそう言うと、俺を離しふらふらとした足取りで料理の並ぶ机へと歩いて行った。ほんのり頬を赤く染めて。

 ・・・悪いな、つむぎ。俺、お前よりも1300歳くらい年上なんだわ。

 年上ではあるが、やはり女の考えることはよくわからない。

「奏太!始めるわよ!いつまでボーっとしてるのよ」

「はいはい、今行きますよ」

 神楽に呼ばれ、考えることをやめた俺は机へと向かった。

「お、うまそう」

「そりゃそうよ。なにせ、毎年全国大会に行くレベルを持った料理部が作ったんだからね!さて、執行部が1人増えたことに、乾杯!」

「「「「乾杯!」」」」

 嵌められたことを今は気にしない。為すべきことを成そう。文句を言うのはその後にする。そう密かに決めた。


「はぁ、疲れた」

 家に帰った俺は玄関からリビングへと続くドアを開ける。

「・・・お帰り、お兄ちゃん」

「おう、ただいま」

 風呂上りなのだろう、タオルを首に巻いたパジャマ姿の優衣がリビングで宿題をしていた。

「これ、お土産な」

 手に持っていた歓迎会のお土産をテーブルに置いた。

「・・・この匂い、ナポリタン?」

「あぁ、お前、好きだったろ?」

 いつだったか夕食にナポリタンを作った時、頬を緩めて喜んでいたのがとても印象的で覚えていた。

「・・・ありがとう」

「気にすんな。ちょっとルノを降ろしてくるから温めて食べな」

 そう言って自室へ行く。

 背中に乗っているルノをベッドに降ろそうとするが、首に巻き付いた腕が離れない。それどころか徐々にきつくなっていく。

「ルノ、起きてるなら離れてくれ」

「嫌じゃ」

 即答である。

「また、我から離れるんじゃろ?」

 首に巻き付いた腕がさらに締まる。

 息が、しにくい。

「我は悪魔との契約の時に求めたじゃろ?ずっと一緒にいろとな。それに対して、離れないと言ってくれたじゃろ?」

 なるほど。ルノが何に怒っているのかをやっと理解した。

「さみし、かったんだな?」

 息苦しくも、何とか声を発する。

 すると、一瞬だけ腕の力が緩んだ。この隙に俺はルノを体から離させベッドに寝かせた。

 顔を隠しているようだったが、泣いているのがわかる。

 学校に行き始めてからルノがだんだん幼く、人間らしくなってきている気がする。

 ちょっと前まではこれがいいのか悪いのかわからなかったが今ならわかる。これは、悪魔としてはよくない傾向だ。

 これ以上学校には行かせない方がいいかもしれない。けれども、留守番してもらうとそれもまた怒り始めそうだ。

 連れていくことになるだろうし、この人間らしさをどうにかした方がいい。

「・・・悪魔のお嬢様が簡単に涙を流すな。悪魔族にとっての涙の意味。忘れたわけじゃないよな?」

 ルノは指先で涙を拭いポカンとこちらを見た。まるで、何を言い出すんだと言わんばかりに。

「悪魔族に涙は不要だ。いつだって冷酷でいなければならない。そこに悲しみなんて感情は邪魔になる。悪魔族の涙、すなわち堕落象徴だということを忘れたとは言わせない」

 俺は言いたいことを言いルノの目を見た。すでに涙は止まり、強い覚悟を決めたかのような強い意思がこもっているようだった。

「ふん。この我に向かってお説教とはいい度胸じゃな」

 ルノは浮き上がり視線を俺と同じにしてそう言った。いつもの、出会った頃のルノだ。

「危ない危ない。危うく人間になるところじゃった」

「人間になることは出来ないぞ?」

「ただの比喩表現じゃよ」

 とりあえず、悪魔族本来の状態に戻ったようだ。

「なぁ奏太」

「ん?」

「我は明日も学校へ行く。が、しかし奏太とは離れん。よいな?」

「お前がそれでいいならいいさ。俺は生徒会室にも行かなくちゃなんねぇがな」

 そう言った途端ルノの顔が歪んだ。

「あの珍妙な集団か」

「そうだ。お前はぐっすりだったけど、歓迎会は疲れるほど楽しかったよ」

 神楽と牙登が大食い対決を始め、ノノがわんこそば式に次々と俺の皿に料理を盛り付け、甘酒を飲んで酔っ払ってしまったつむぎが葵に絡み、その葵が大きなハリセンでつむぎを叩くという大変カオスな状況ではあったが、それもまた楽しかった。

 それにしても、

「よくあんな大騒ぎのなか起きなかったな」

 廊下に声が響くほど騒がしかったらしいのに。

「これのせいじゃ」

「これは?」

 ルノから受け取ったのは耳栓、だろうか。

「誰かが我の耳に入れたようじゃ」

 なるほど、

「ノノだな」

 騒がしくなるのを見越して気持ちよさそうに眠っていたルノの耳に栓をした。こういう時に限って妙に気がきく。まぁ、本人は怒っていらっしゃるけど。

「余計なことをしおって。これがなければ、今頃我のお腹は膨れていただろうに」

 そうあった瞬間、ルノのお腹が小さくなった。

「ちゃんとお前の分も持って帰ってきてるよ。ローストビーフと松坂牛のステーキ」

「な!?」

 どっちも神楽の家の料理人が作ったらしい。

「温めて食べな」

 そう言い終わる前に、正確には「な!?」と言った時からルノは部屋から飛び出していた。

 やはり悪魔、肉には勝てなかったようだ。


「こんなに美味しいものは初めて食べた」

「そりゃ何よりだ」

 俺はルノが晩御飯を食べ終わるのを待った後、紗奈の元にお土産である高級寿司を持って行った。

 当然、神楽の家の料理人が作ったものだ。

 マグロ、サーモン、大トロ、イクラにウニなど、今日仕入れた新鮮な魚介で作られたものらしい。

 あっという間に胃袋に寿司を詰めた紗奈は熱いお茶を啜った。その横で同じようにルノもお茶を啜る。

 なんだかんだ懐いてるよなぁ。と思っていると、一息ついた紗奈が真剣な表情をした。

「そういえば奏太、体はもう大丈夫なのか?」

「ん?あぁ、今朝のことか。特に問題はない」

 おれが天使族の頃、エルと過ごした頃の記憶。ずっと思い出したかったはずなのに、いざ思い出してみると辛くなる。

 俺にとって絶対に忘れることのできない大事な出来事であったはずなのにどうして忘れていたのかは今でも疑問に残る。

「また悲しそうな顔をしているよ?」

 どうもあの時のことを考えると心が弱くなるのをひしひしと感じた。

「君のそんな顔を見るのはボクも辛い。だから、何があったのか話してはくれないか?」

 突然そんなことを言い始める紗奈。

 思い出したくないと話したくないはイコールでは繋がらない。そう、別に話してもいいのだが、話すようなことでもない。

「奏太、1人で抱え込まないで」

『トリア、抱え込んじゃダメ。辛いだけだから』

 紗奈の言ったことにエルに言われた言葉が重なった。

 そして、気づけば俺は話していた。

 エルと他愛もないことを話していたこと。とある約束をしたこと。魔族に襲われエルは命を落としたこと。

 その全てを長い時間をかけて話した。

 当時の行動を後悔し、懺悔した。エルを守りたかった。できることならもう1度だけ会って話をしたい。お前を守れなくて、約束を果たせなくてごめん、と。

 目から涙が溢れ、きっとひどい顔になっていた。けれども、紗奈は俺を優しく抱きしめた。

「ありがとう、奏太。話してくれて。・・・全く羨ましいな、エルと言うやつは。死して尚、想い人の心に残り続けているんだもの」

 俺の意識は紗奈のその言葉を最後に深い闇へと落ちて言った。


「さて、ちょっと話でもしようか」

 奏太をソファへと寝かせた紗奈はそう言った。

「我と話じゃと?」

「他に誰がいるのさ」

 と肩をすくめて言われた。

 あたりを見渡すまでもなく他に誰もいない。

 じゃが、紗奈と話すようなことなんてあっただろうか。

 紗奈と目が合い慌ててそらした。対象をずっといていると心は意識することなく読むことができ、目を合わせるとより深い感情まで知ってしまう。それだと奏太との約束を破ることになる。

 じゃからと言って相手の考えがわからない以上に恐ろしいことはない。

 少しだけと思い紗奈に視線を戻すのと、紗奈が口を開くのはほぼ同時だった。

「ルノはさ、その見た目でも一応人間でいうところの成人を迎えているんだよね?」

「ほう、我の外見に何か言いたいことがあるのなら聞こうではないか」

 これでも気にしているのだ。500年経っても幼少期からほとんど変わらないこの体を。

「いいや、言いたいことなんてないさ。ただ確認したかっただけ。かわいらしい見た目じゃないか」

 バカにしよって。何とか怒りを封じ込め我は言った。

「ちゃんと酒も飲めるし結婚だってできる。幼いのはあくまでも見た目、この体だけじゃ。中身は立派な大人じゃ」

「まぁまぁそう怒んないでよ。さっきも言ったけどさ、ちょっと確認したかっただけだから」

 紗奈の意図が全くもってわからなかった。

「一体何のための確認じゃ?」

 遠回しに聞くなんて器用なことは出来ないので思っている疑問をストレートにぶつける。

「何のためかって聞かれると正直答えにくいかな。いうならば、ボクのとある目的のため、とでも言っておこうかな」

 目的。紗奈の目的など1つしか無かろうに。

「まだ奏太のことを諦めていないんじゃな?」

 いや、昨日振られたばかりで諦めるのも人間には無理な話か。

 しかし、紗奈は黙って首を横に振った。

「ボクはもう振られたんだ。まぁ、好きではあるしそばにいたいとは思うけど、恋人関係になりたいとは思っていない。今まで通りお隣さんとして関わっていければそれでいいさ」

 そう言った紗奈の顔はいつもの無表情ではなくどこか物寂しげだった。

 けど、そうなると。

「目的とは何じゃ?」

「それはまだ言えないよ。ルノがボクの目的を知るには、ボクからの質問に答える必要がある」

 そんなまどろっこしいことをしなくとも考えを呼んでしまえば早いのだが、やはり奏太との約束を破りたくないという心が勝った。

「質問とは何じゃ?するならさっさとせぇ」

「いいだろう。君はこの男のことを正直にどう思っているんだ?」

 この男、すなわち奏太を指示して紗奈は問いかけてきた。

 どう思っているか・・・。

「お主はどうなんじゃ?」

 質問に質問で返すのはなんだか逃げるようで嫌じゃったが、それでも先に聞いておきたかった。

「そうだな。顔は普通だ。けど、頭がよくて冷静沈着で、優しい。おまけに料理もうまいよね」

 ふむ、同感だ。しかし、それを口にだせば劣ったように思われてしまうだろう。そう思った我は口を開く。

「奏太はやるときはやる男じゃ。人間を殺すことは出来なくとも他種族を殺すことに躊躇うことはないほどの冷酷さもある。その辺がカッコいいと、魔族に似たようなものがあると我は思っている」

 その言葉に紗奈は少し悩むような素振りをみせ、また質問してきた。

「君は、恋をしているか?」

「それは、」

 返答に詰まった。

 確かに奏太のことは好きだ。学校で多くの人間と関わっている時も奏太が頭から離れることはなかった。

 しかし、それが恋なのかと聞かれれば、よくわからなかった。

 我が考え込むのを見て紗奈は笑った。

「何がおかしいんじゃ?」

「別に。けど、今の様子でわかったよ。ルノ、君は奏太に恋をしているようだ」

 言っている意味が分からない。我が恋をしている?

「君は奏太が好きなんだろ?欲しいと思う時はないか?傍にいて欲しいと思う時はないか?」

 心当たりがあった。ありまくりだった。第1、悪魔の契約をしたときに我が奏太に要求したのは「傍にいること」だ。

 それに気づくと、一気に体温が上昇するのを感じた。

「図星のようだね」

 まさか、人間の娘に思い知らされることになるとは。

「さて、ボクからの質問は終わり。ほら、ルノもボクに聞きたいことがあるんだろう?」

 紗奈に聞きたいこと、そうだ。

「結局、お主の目的は何じゃ?」

 それを聞いた紗奈の口元が歪んだ。

「君と奏太を離れさせることさ」

 は?

 思考が一瞬止まり、すぐに活動を開始した。

「やっぱりまだ」

 奏太のことを思っている。そう言おうとしたのを遮って紗奈は言う。

「ルノ、これは君のためなんだ」

 なおさら意味が分からない。

 我のためとは一体どういうことじゃ。

「君はさ、さっきの奏太の話を聞いてどう思った?」

 エルと、トリアであった頃の奏太の話。

「今でも奏太の心にはエルがいるのじゃろうと思った」

 けれども、話の中でエルは死んでいると、

「そこだよ」

 顔に指をさして言われた。

「エルと言う子が死んだのは何でだった?」

 話を思い出す限りだと、魔族の放った矢が不幸にも当たってしまったからじゃったはずじゃ。

「君はさっき言ったよね。奏太は「他種族を殺すのに躊躇うことはないほど冷酷」だって」

 確かに言った。

「奏太、いやトリアは天使族だ。天使族の姫、しかも想い人が魔族に殺された」

 紗奈の言いたいことがよく分かった。けれども、認めたくない。

 これ以上は聞かまいと耳を塞ぐが、無情にも紗奈の声は鼓膜を震わせた。

「天使族の彼が、魔族を恨んでいないと思う?」




 紗奈にエルとの出来事を話した5日後。

 あれ以来ルノの様子がおかしい。

 どうおかしいのかといえば、『奏太』と呼んでいたのに『お主』と名前で呼んでくれなくなったのだ。

 一緒にいろと言ったのはルノなのだ。確かに一緒にはいるものの心の距離はどこか離れたような気がする。

 逆に紗奈とは仲が深まったように見えた。

 授業中は俺の膝の上ではなく紗奈の膝の上。歩くのがしんどい時も、おんぶをせがまれるのは紗奈だった。

 俺が寝ている間に何かあったのか。いや、あったに違いはないのだろうが俺はどうしてあの時、あのタイミングで眠ってしまったのだろうか。

 紗奈の温もりとたわわな果実が顔に当たっていたからというわけではないだろう。・・・多分。

 そんなことを考え俺は大きくあくびをした。

「おやぁ?奏太君も眠いの?つむぎと一緒に寝る?」

 もはや定位置と化したソファに座る俺を枕にしたつむぎがあくびをしたのを見て言った。

「いや、遠慮しとく」

 俺は内心ドキッとした。実は考えすぎて3日ほどまともに寝れていなかった。

「ふむふむ。奏太君は何か悩みを抱えていると見た。ほらほら、お姉さんに話してごらん?」

 勘が鋭いのかただ単純に顔に出ていたのかはわからないがつむぎは何かを悟ったような顔をした。

「いや、特に悩みなんてないよ。大丈夫」

「奏太君。嘘つきは泥棒の始まりだよ。大丈夫ほど信用のない言葉はないよ。いろんな人がそうだったからね」

 大丈夫と言っている人ほど心に闇を抱えている人が多いというが、確かに俺もそんな奴らはごまんと見てきた。

「話したくないならつむぎだって無理には聞かないよ」

 そう言ってつむぎはふてくされたように眠ってしまった。

 こうなると俺は動けなくなる。

 ここから少し離れたところではノノがルノにお菓子を渡し餌付けしていた。

 しかし、ルノの顔はどことなく寂しそうに見える。心ここにあらずと言った感じた。

 今の俺になら心を読むこともできる。しかし、誰しも知られたくないことがあるから心を読むなと伝えたのは紛れもなく俺だ。ルノが自分から話してくれるまで待つことにしよう。

 特にすることもなくボケーとしていると、バン!と生徒会室のドアが開けられ神楽が入ってきた。それを見て俺は思わずため息をついてしまう。

 毎度大きな音が出るほどの勢いでドアを開けるので、もっと静かに開けてくれと頼んだものの、私に命令するなと言わんばかりに無視された。

 牙登は1度言っただけで改善されたというのに。

「奏太!今、私をみてため息をついたわね?」

「いえ、ちょっと大きく息を吐きだしただけです」

「あらそう。まぁいいわ」

 やけに聞き分けがいい。こういう時は何か問題を抱えている場合が多い。

「何かあったんですか?」

「仮装パレードに出る予定だった子が1人けがしちゃったのよ。よりにもよって足をね」

 うーん。絵美の時もそうだったが下僕となった人間は死ぬことはなくとも治癒能力は高くないようだ。

 だが、どの程度のけがなのかは知らないが俺にかかれば治療できるということも神楽には話している。なのに、神楽の顔はどこか浮かない。他に深刻な問題があるとでもいうのだろうか。

 そんな俺の心情を悟ったのか、神楽は言った。

「足りないのよ」

 足りない?

「確か出演希望者は100人近くいませんでしたっけ?」

「足りないのは出演者じゃなくて衣装の方よ」

 あぁ、そっちか。

「先輩が買えばいいじゃないですか」

「それが出来ればこんなに悩んでないわよ」

 おっしゃる通りで。

「私がたった1日のために大金を払うと、今月のお小遣いがなくなってしまうのよね」

 小遣い制とは庶民的なところもあるんだなと納得し、聞き捨てならないところを聞き捨ててしまうところだった。

「たった1日のために汗水たらして衣装を作ってくれてる人に謝ってくださいよ」

 俺の指摘に、悪いという自覚はあったのかしょぼんとする神楽。

 いつも堂々としている態度からは想像もつかないほどの憔悴っぷりだ。一言でいえば、らしくない。

「衣装はいくつ足りないんですか?」

「正確には分からないわ。ただ、最低でも10は足りないわね」

 10か。それを確認した俺はおもむろに能力を発動した。

 何もない空間に10体の火でできたマネキンを出現させる。

 ちなみに、学校に行く前に自身に火が延焼しないようにする詠唱術をかけているので、生徒会室が焦げるなんてこともない。

「こんなことまでできるのね。けど、ちょっと不気味だわ」

 と、神楽がいうので、10体のうち1体を神楽にもして形を変えた。

「おぉー、そっくりだにゃ」

 いつの間にか近づいていたノノがそう言った。

「これは使えるわね。けど、出演者は皆自分の意思で出たいと言っているのよ。その意思を無視することもできないわ」

 なるほど、俺が出られない分の出演者を補えばと思ったが、結局のところ衣装がなければ根本的な問題は解決しないようだ。

 俺は、そうかとだけ呟き能力を消した。

 どうしたものかと静寂に包まれた生徒会室に小さなノックが2回響いたのはそれからすぐのことだった。

「開いているわよ」

 神楽が返答すると扉があき2つの段ボールが生徒会室に入ってきた。

 段ボールを運んでいたのは葵と、

「頼まれていたものの納品に来ました!」

 と、笑顔で言う鈴野莉佐だった。

 鈴野莉佐は大学2年生の元コントラクター。俺が1番最初に戦った人物だ。可愛いものが好きでルノと優衣を溺愛するものの優衣には嫌われてしまっている。そして、服を作るのが得意で家にあるルノと優衣の服のほとんどは莉佐が作ったものだ。

「やっほー、カナにルノちゃん久しぶり」

「おひさ」

「久しぶりじゃのう」

 俺とルノはそれぞれ返答した。

「ルノちゃん、ちょっと元気ない?」

 たったこれだけでルノに何かあったのか気づいたようだ。

「それは後で聞くとして、神楽ちゃん頼まれたものを持ってきましたよ」

「意外と早かったわね。ありがとう」

 莉佐から段ボールを受け取った神楽は中身を確認した。

  チラッと見えた段ボールの中には色とりどりの衣装が入っていた。

「いえいえ、莉佐も楽しかったですし。あ、葵ちゃんだっけ?運ぶの手伝ってくれてありがとね!」

「お気になさらず!」

 笑顔でそう言う葵が持つ段ボールの中にも衣装が入っているのが見えた。

「これ、全部あなたが作ったの?」

「はい、ちょっと作りすぎちゃった気もするんですけど、足りますか?」

 困り顔でいう莉佐は神楽から尊敬の眼差しを向けられていた。

「これなら足りないと思っていた分にも間に合いそうよ!よくやってくれたわ!あなたには特別手当を与えなきゃね!」

 問題が解決し調子が戻った神楽。

「とんでもないです。自分の趣味をやっていただけですから」

 と、困惑すると莉佐。

「まったく謙虚ね。ほら、なんでもいいから1つだけ好きなことを言いなさい?この私が望みを叶えてあげるわ」

 なんでも、と言う単語に莉佐が反応した。

「本当に何でもいいんですか?」

「えぇ、なんでもよ」

 さすがはお金持ち。いうことが違う。

 何でもいいと聞き莉佐は目を輝かせて神楽に行った。

「ここにある衣装を着てくれませんか?」

 と、莉佐は葵のもう段ボールを見せて言った。

「えっと、それは出演者用じゃないの?」

「それは莉佐が持っていた段ボールに入っています」

「わざわざ段ボールを分けたのはそう言うことだったのね」

 神楽はあきれ気味に言った。

 そしてこの時に俺は思った。見た目だけなら可愛らしい神楽に衣装を着てもらうのが莉佐にとってのメインイベントだったのか、と。


 セーラー服、ゴスロリ、巫女服、挙句の果てには着ぐるみを着させられた神楽はへとへとになって床に座り込んでいた。

 一方で莉佐は「永久保存」といいながら神楽の姿を写真に収め、幸福で満たされた表情をして神楽にお礼を言って帰って行った。

 この場に牙登がいればどうなっていたのだろうか。喜ぶのかそれとも怒るのか。どっちか片方のような気もするし、両方同時にするという器用なことをし始めるかもしれない。・・・そういえば、今日はまだ牙登の姿をみていない。

「なぁ、牙登って」

 どこ行ったんだ?という俺の問いかけは最後まで言い切ることが出来ずに勢いよく開けられたドアの音に遮られた。

「牙登もう少し」

「お嬢様はいるかー!」

 今度は怒号にも似た牙登の叫び声が俺の言葉をかき消した。

「ここにいるわよ。牙登、もう少し静かにドアを開けなさい?」

 お前が言うか。という突っ込みは何とか抑えて先行きを見守る。

「あと、大声を出さないで。頭が痛いわ」

「申し訳ありません。ですが、お嬢様が着せ替え人形にされているとの情報を得てここに来たのですが」

「それは事実よ。あなたがいなくてよかったわ。きっと発狂していたでしょうから」

 マジか。俺の予想は完全に外れた。

「あぁそうだ。私を着せ替え人形にしていたのか誰なのか調べるのは絶対にダメよ」

「承知しました」

 そう言って牙登はずかずかと俺も歩み寄りこそっと耳打ちする。

「お嬢様の写真があれば欲しいのだが、ないだろうか」

 やはりお嬢様ラブ。いなかったけれどもその姿を拝みたいようだ。

 俺はこっそり撮った写真があることは伏せておくことにし、

「悪い、俺は持ってない」

 と答えた。

 神楽は莉佐のカメラばかりを気にし、周りは目に入っていないようだったので、いつか使えるだろうと横から撮影していた。

 もしもあの場に牙登がいたのならば、神楽は発狂すると言っていたが莉佐に並んで写真を撮っていたんじゃないかと思う。そう考えると無性におかしくなり笑ってしまった。

「何かあったか?」

「なにもない。・・・そうだ、お前どこに行ってたんだ?」

「仕事だ仕事。生徒会の仕事は3日後の前夜祭だけじゃない。1日目の企画は各部活動に任せてはいるが、スケジュールを組むのは俺たちなんだ。打ち合わせもしなくちゃいけない」

 さっきまでどこかの部活と打ち合わせをしていたのかぐったりしている。

「そりゃお疲れさん」

「もうちょっとお前が早く来ていれば負担も減るんだがな」

 睨みつけながら言っても俺に仕事が回ってくるわけではない。

「俺の見た感じだと働いているのってお前と葵くらいじゃない?」

「そんなわけないだろ。お嬢様はもちろんのこと、夢霧も七宮もちゃんと仕事をこなしている」

 俺は耳を疑った。いつ来てもつむぎもノノものんびりとくつろいでいる姿しか目にしていない。

「七宮の仕事は当日だが、夢霧に関しては与えられた仕事を全て終わらせているはずだ」

「分担すりゃいいのに」

「その結果がこれだ。つむぎに与えた仕事は通常なら3日はかかるだろうな。それをたった3時間で終わらせている」

 3日かかる仕事をたった3時間?

「なぁ、つむぎの仕事って?」

「役職から考えてみろ」

 どうやら牙登は教えてくれないようでパソコンに向かって作業している神楽のもとへ行ってしまった。

 つむぎの役職は会計。お金に関わる仕事だったはずだが詳しくは知らない。

「気になるー?」

「あぁ、そうだな・・・っていつから起きてた?」

「んー?神楽ちゃんが戻ってきた辺りからかなぁ」

 それはつまり、

「お前、寝てなかったな?」

 そう聞いたものの当の本人は俺を無視して前にプレゼンを行った時に使ったパソコンを俺に渡した。

 画面に表示されているのは、会計簿?だろうか。

 各クラス、部活、PTAの予算、現在までに使った金額がズラッと並んでいる。

 数字が多すぎて目が回りそうになる。

「これ全部お前ひとりで?」

「そのとおり。準備が始める前に予算を割り当てて、それからは毎日打ち込んでるんだぁ」

 つむぎの言うように日付ごとに使った金額、何に使ったのか、残金が記されていた。

 しかし、何故メモ帳なのだろうか。表計算ソフトだってこのパソコンにはインストールされているのに。

「お恥ずかしい話、使い方がよくわからないんだよねぇ」

 だからこそのメモ帳だったのか。

「なぇ奏太君」

「どうした?」

「つむぎ、すごい?」

 どこか寂し気に俺を見下ろすつむぎ。

「あぁ、そうだな」

 俺は極力つむぎを見ないようにして言った。

 恐らく、つむぎは深刻なことを考えている。俺がつむぎを見ていると、その深刻なことの内容を知ってしまう可能性が大いにある。

『トリアは頭が固いよ』

 昔エルに言われた言葉が頭で反響する。

 ・・・今も昔も変わってねぇな。

 そう自嘲気味に笑いつむぎの目を見た。

 さっきのように悲しそうにはしていなかった。むしろ、いきなりみられて困惑しているようだった。

 そんなつむぎの心を感じる。

(褒められたい。褒めてほしい。けど、どうしたら)

 なんだ、そんなことか。

 そんなことと言えば怒られてしまうかもしれないが、俺にしてみれば褒めるなんて造作もない。

「よく頑張ったな」

 と、頭を撫でながら褒めてやった。

 すると、つむぎの目に涙が浮かんだ。

 え、俺は何か間違えただろうか。

 うろたえる俺に向かってつむぎはニッコリ笑って言った。

「ありがとう、奏太君。つむぎ、もっと頑張れるよ!」

 つむぎは1度撫でさせるのをやめさせパソコンをデスクに戻し、定位置である膝の上に戻ってきた。

「ねぇ、もっと撫でて?」

 そうパジャマ姿の先輩はせがんできた。

 本当にこの人は先輩か!?というか、何か心に抱えてるんだよなぁ。なんて、複雑なことを考えるのは後回しにし、ベージュ色でふわふわの髪の毛を、再度つむぎが眠るまで撫で続けた。




 その日の帰り道。

 ルノは紗奈の背中に、その紗奈は俺の手を握り家路を歩む。

 もはやいつものこと過ぎて何も言わないが、それに順応してしまった俺が怖い。

 単純に長く行き過ぎたせいで何も思わなくなっただけかもしれないが、人間として16年、あと数ヶ月で17年になるが、そのくらい人間として過ごせばこの光景があまりよくないということは十分に理解している。

 俺はどうにかして離れてもらえないかと考え、今までダメであったことを思い出してため息をついた。

「どうした、奏太。幸せが逃げるぞ?」

 呑気にそう言う紗奈。原因はお前にあるんだが。

「離れろ」

 無駄だと思いつつも口にする。

「嫌なら離れればいいだろう?」

「それが出来たらもうやってるし苦労もしてない」

 コントラクターとなった今、全盛期の力には遠く及ばないものの普通の人間以上の身体能力なのは明らかだ。

 力づくで紗奈を離そうとすれば、力の加減によってはけがをさせてしまうかもしれない。

 下僕は他人の手によって死ぬことはないが、そもそも人間を傷つけるのは本望ではない。

 いっそ振ったのが原因で紗奈が俺のことを嫌ってくれればよかったのだが、いまだに好意を見せつけられている始末だ。

 俺としてもお隣さんで、飯を作るのは俺なのだから気まずくなるのだけは避けたかったがここまで変わらないとは思いもしなかった。

 それに、ルノが懐いているのに俺と紗奈が不仲になれば、本当にルノは俺から離れて行ってしまうかもしれない。

 俺にとってルノは、大事な相棒で、可愛い妹だ。

 人間での幼少期から親はほとんどいなかった。

 そのせいか、俺はちゃんとした家族が欲しかった。ルノも、優衣も立派な俺の家族なのだ。

 よく考えると向こうでも同じだったかもしれない。

 ならばこちらの生活は向こうよりも充実していると言える。

 ここでハタと気づいた。

 ・・・人間での幼少期?

 俺の記憶は中1、4年前の夏以前をなくしている。

 思い出したのか、それとも感覚として記憶になくとも覚えていたのか。

 恐らく後者だ。他の過去のことは思い出そうとすれば頭が締め付けられるように痛くなる。

「奏太、また難しいことを考えているね」

「そのようじゃ。過去の記憶に振り回されているようじゃのぉ」

 紗奈とルノの言葉が耳に入る。

 心を読めるルノはまだしも、紗奈にばれるくらいなのだから、また顔に出てしまったんだろう。

「難しいことを考えると精神が弱るぞ?『マインドコントロール』と言う魔力はそういう時にかかりやすくなるんじゃろ?」

 それもそうなのだが、

「これは俺の生まれ持った性格のせいだから仕方ない。1度気になると解明されるまで気になってしょうがないんだよ」

 向こうにいるときもそうだった。1度気になると昼夜問わず考え込むこともあった。人間になってもその性格は受け継がれていたようだ。ほんと、昔から変わんねぇな。

「世の中はっきりしない事ばかりじゃぞ?魔力に関しても解明しようとして正体がつかめるものじゃないしのぉ」

「そうだな」

 魔力に関してはいろいろな研究結果が発表されてきているが、これと言ってはっきりとした正体を明かしたものはいない。

「もし奏太が考え込むというのなら、我にだって考えがある」

 そう言ってルノは紗奈の背中から浮遊し俺の前に移動した。

「何をする気だ?」

 しかしルノは問いかけを無視し詠唱を始めた。

「『体内に渦巻き、身体を蝕みし者よ。闇を持って振り払え』」

 まさか詠唱術!?

 ルノの突き出した両手に黒い魔法陣が出現した。

 俺は急いで長ったらしいカウンターの詠唱を始めるが、それが終わる前にルノの魔法陣から黒い矢が発射、俺の額に刺さった。

 詠唱を中断し額に触れる。

 確かに刺さったような感覚はあった。けれどもそこに矢はなく、血も出ていない。

「どうじゃ?スッキリしたか?」

 ルノは笑ってそう言う。

 確かにさっきまで何か考えていたような気がするのだが、そんなことは初めからなかったかのようにスッキリしている。

「今はお前が何の詠唱術をしたのか気になってしょうがないんだけど」

 ルノが詠唱術を使うようになるとは思いもしなかった。

「あのゴーレムが足手まといにならないように覚えた方がいいと言ったのでな。悪魔族のみが使え、かつ役に立ちそうなものをピックアップして暗記したんじゃ」

「その中の1つが黒い矢ってわけだな」

 うむ、とルノは頷く。

 悪魔族のみが使えるということはあまりいい効果は期待できない。記憶、思考、精神に関わるものが多かったはずだ。

「奏太、また喰らわすぞ?」

「勘弁してくれ。あまりいい気分はしない」

 考えていたことを忘れてしまうのだ。解明できるものは解明したい俺には苦行だ。

「ふむ、ならばやめておこう」

 ルノは笑って言うがすぐにしゅんとしてしまった。

「何かあったか?」

 そう声をかけるものの、何も言わずに俯いてしまった。

 俺を避けていたことと何か関係があるのかもしれない。

「何かあるなら言ってくれ。直接お前の口から聞きたいんだ」

 心を読むのは知りたくないことまで知ってしまうので直接話してもらうのが一番いい。

「・・・るんじゃ?」

「え?」

 ボソッと言われたがために聞き取ることが出来なかった。

「奏太は我のことをどう思っているのか聞いたんじゃ」

 上げられたその顔には涙が浮かんでいた。

「ルノ、まさか聞く気なのかい?」

 若干焦りの色を見せた紗奈がルノに言った。

 この様子だと紗奈はもう何か知っているようだ。

「うむ。我ははっきりさせたいのじゃ。・・・奏太。質問を変える。我ら悪魔族を含め魔族のことをどう思っておる?」

 なるほど、質問の意図が分かった。

 エルを、大切な奴を魔族に殺された。

 俺は元天使族で神民。魔族にとって天敵となる存在だ。

「そうだな、魔族は憎かった」

 静かに俺は言った。

 それをばっちり聞いていたルノは、

「やっぱり」

 と呟いて背を向けた。とても小さくてどこかへ飛んで行ってしまうのではないかと思えるほど哀愁感が漂っている。

「過去形だ」

 今度ははっきりと口にする。

「確かに昔は憎かったよ。けどな、シュミルやお前のようにいい魔族がいることも知っている。魔族は脳筋で戦闘狂ばっかのどうしようもない連中で、誠実な奴が多い。それが俺の魔族に対して持っている想いだ。お前の最初の質問に答えるのならグフッ」

 腹が、熱い・・・?

 慌てて自分の腹部に目をやるとバッティが刺さりそこから血が滲み出ていた。

 刺さったままだと治癒能力は働かないので慌てて引っこ抜く。

 一瞬だけすごい勢いで血が噴き出したが傷はすぐにふさがった。

「これ以上はやめてくれ、奏太」

 いつもと変わらない抑揚のない口調。けれどもその目には光がなかった。

「どういうつもりだ?紗奈。下僕のお前がどうして俺を攻撃できる?」

 しばらくの沈黙の後、紗奈は答えた。

「・・・わからないかい?そうだねぇ、あたしは優しいから教えてやろう」

「いや、十分だ」

 この口調、独特な言い回し。声は紗奈だが中身は、

「ディーテか」

「ご名答」

 完全に声が変わる。

「せっかくその悪魔っ子をこちら側へ引き込めそうだったのに。余計なマネをしてくれたねぇ」

 紗奈もといディーテがゆっくりと右手を上げる。

「危ない!」

 あわてた俺はルノを抱きしめ近くの民家の塀に飛んだ。

 つい先ほどまでルノがいた場所にはどこからか無数の槍が出現していた。

 避けなければ串刺しになっていたことだろう。

「すまん」

「気にすんな。お前が無事ならそれでいい」

 ルノを抱きしめまた跳躍した。

 今度は、俺たちが元いた場所に巨大な剣が振り下ろされ塀がきれいに真っ二つに切れていた。

「おい、どういうつもりだ?」

「あんたの始末とでも言っておこうかねぇ」

 次々と現れる見えないところからの物騒な攻撃を避け続ける。

 ・・・くそ、中身はディーテだが体は。能力が使えねぇ。

 紗奈が人間じゃなかったら多少の無茶は許され、『ブレイズチェイン』で動きを止めることも可能であったことだろう。

 はやく何とかしないと紗奈の体にも負担が大きいだろう。人間が魔力を使うとなればなおさらだ。

 どうする、どうすればこの状況を打破できる?

 と、不意に頭に何かが刺さって消えた。

「少しは落ち着け」

 またあの矢を撃たれたようだ。

 こういう時には特に不快も生まれない。

「悪い」

 だが落ち着くことは出来た。

 そのおかげで1個策が思い浮かんだ。

「『聖なる光に祝福を。心を浸食せし魔に滅びあれ』」

 紗奈の足元に光り輝く魔法陣が出現し、間髪入れずに発動した。

 目を開けていられないほどの光量だ。

 本来ならここまで光ることはない。それと術者である俺にはわかっていた。・・・暴走していると。

 まだあいつの影響が残っていたということか。

「奏太、これは?」

「簡単に言うと正気に戻す術だ」

 魔力をかき消す効果があるだとかないだとか。だから、暴走したとしても問題はないはずだ。多分。

 光はやがて小さくなり辺りは元の明るさに戻った。

「ったく、追い出されちまったか」

 ディーテの声だけが聞こえる。

「まぁいい。あんたには近く災いが訪れる。楽しみに」

 ここで声が途切れてしまった。

 消えたのか?そう思ったのも束の間ディーテが驚いたように声を上げた。

「なんであんたが生きている!?」

 俺に向けられた言葉ではないことは理解した。となると紗奈か。そう思いその姿に目をやる。

 その瞬間。俺は言葉を失った。

 そこに倒れていたのは青髪でスタイルの良い女の子ではなかった。

 白髪のツインテール。胸も大きくないし、背丈も小さい。そしてなによりも、その顔は俺がよく知るものだった。

「生きて、いたのか」

 俺は涙を流してその体に駆け寄った。

「エル!目を覚ませ!」

 しかし、目が開かない。

「大丈夫じゃ。呼吸も脈もある」

 ルノの言葉で落ち着きを取り戻す。

 よかった、生きていたのか。確実に、あの時死んだと思っていた。

「どうしてあんたが生きているんだよ!」

 ディーテの怒号があたりに響く。

「あの時に確かに始末したはずなのに」

 ・・・始末、だと?

「おい、ディーテ。詳しく聞かせてもらおうか?」

 低く、けれどもはっきりとそう口にした。

「あんたを殺すための準備段階でその娘を殺したんだよ」

 こいつが、あの時の元凶か。

 あの魔族たちをそそのかしたのか、『マインドコントロール』をかけるかしてエルを。

 こいつだけは、絶対に許さない。

「厄介なことになる前に息の根を止めておこうか」

 まずい。

「ルノ逃げるぞ」

 俺はエルの体を抱きかかえ一目散に駆け出した。

「どこへ向かうんじゃ?」

 ルノも浮遊してついてくる。

 こういう場合家は危険だろう。場所も知られている。

 そもそも空間を操るあいつを敵に回して安全な場所などない。

 もし襲われても戦いやすい場所。どこかなかっただろうか。

 記憶をたどり1つの場所へ行きついた。

 あそこにしよう。ここから少しだけ距離があるものの身体能力が上がっている今ならすぐだろう。

 札幌テレビ塔から北にあるタケさんが自身の魔力で作ったという地下施設。

 夏休み中にバングルの発信機への障害のために利用したのだが、それより以前からあった謎の施設。

 広く戦いやすい上に電波はないものの電気と水道は通っている。さらに食料庫まで完備してあり俺が定期的に保存しに行っているため困ることもないだろう。

 地下へと続くドアを開け薄暗い階段を駆け下りる。

 さらに重たいドアを開き通路を進むとまた大きなドアが現れ、なんのためらいもなく押して開ける。

 そこには高さ100mほどのドーム状に開けた空間がある。地下のせいか地上と比べて肌寒い。

 それはルノも同じだったようで無言で背中に乗ってきた。

 久しぶりのルノの温もりを感じながら部屋を進む。

 ここにくる途中に攻撃は止んでいた。

 諦めたのか、それとも狙いをつけて俺を殺すつもりなのかわからない。

 ひとまず落ち着こうと、壁にある複数のドアのうちの1つを開ける。あまり広くはない空間にテレビとベッドが置いてあるこの部屋は、何かあった時用にタケさんに頼み込んでわざわざ作ってもらった。

 そのベッドにエルを寝かせる。

 脈拍は安定し、呼吸もはっきりしている。特に怪我をしている様子もない。

 眠っているのは精神的な疲労によるものだろう。

 エルの顔を見ているとまた涙が出てきた。

 あの時のエルは、誰がどう見ても絶命していた。けれども、エルは今、確かにここにいる。

 ここで俺はエルに、いや紗奈に言ったことを思い出し体が熱くなった。

 俺は紗奈がエルではないと思い、ごく普通に告白をしてしまっていた。

「恥ずかしくて死にそう。そんな顔をしておるな」

「うるせぇ。顔を見たんじゃなくて心を読んだんだろ?」

「ばれたか」

 ルノはそう言って笑った後俺の耳元で小さく言った。

「すまんかった」

「気にするな。ディーテが悪い」

「じゃが、我が奴の言葉を鵜呑みにしなければ」

「そんなの結果論だろ。あいつは『マインドコントロール』を使うことができる。それと同時に言葉を操るのがうまい」

 心当たりがあるのかルノは頷く。

「言葉を巧みに扱い精神を弱らせてから術をかける。これも1つの戦い方だ。それに、あいつは特殊だ。心を読んだ上で言葉を選ぶ。騙されるのも仕方のないことだ」

「うぅむ。奏太が言うならそうなんじゃろうが」

 まだルノのは納得できていないようだ。

「エルの生存が確認できて俺は満足だよ。結果論ではあるけどな」

 そう言って笑った。

 ルノの表情は雲が晴れたようにスッキリしていた。

「なぁ奏太、この娘が」

「あぁ、天使族の姫。エル・ネミナスだ」

 どうして一国の姫がここにいるのかはわからないが無事で本当に良かった。

「本当の本当に姫なんじゃな?」

「お?疑うのか?俺があいつを見間違えるわけないだろ。昔とほとんど変わってねぇ。ちなみに、魔力はどんな感じだ?」

 1番の証拠になるそいつが持っている魔力の質。しかし、人間の俺がそれを知るのにはルノから聞くしかない。

「光の魔力。しかもとても神聖なものじゃ。少し気持ち悪くなるのぉ」

 気持ち悪くなるのは魔族ゆえに致しかたないことだろう。

 それと、神聖な光の魔力。間違いないだろう。

「ん、奏太?」

「よぉ、目が覚めたか。エル」

 そう言うと、エルは両目を見開き勢いよく起き上がった。

「エ、エル?ボクにはなんのことだが」

 しかし、自分の体、主に胸のあたりを見て絶望に近い表情を浮かべた。

「う、うそ。魔力切れで変身できない」

 そう言って布団にくるまってしまった。

「おい、エル?」

 呼びかけたが反応がない。

「正体がばれたか。まずい。そう思ってるようじゃな」

「あぁ!もう!この外道!悪魔!勝手に考えてることを読まないでよ!」

 あ、出てきた。

「ルノ、人の考えを読むなとあれほど」

「人じゃないじゃろ」

 コ、コイツ。間違ってはないけども!

「はぁ、もう隠せないか」

 と、諦めたようにエルは横になった。

「本当はもう少しだけ人間でいようと思ったのになぁ」

 残念そうに言わずともまた変身すればいいのに。あぁ、魔力ないのか。

 そしてそのままの姿勢で、

「久しぶり!トリア!」

 かつて見た曇りのない笑顔でそう言った。




 場所は変わり、東京都。とある路地裏。

「なるほどねぇ。これが新たな力ですか」

 日本の総理大臣、中島透が自らの能力を使い1人の女を拘束していた。

「ッチ。これでもまだ自制を保てるのかい。嬉しい誤算だよ」

「少し黙ってくれませんか?ディーテとやら」

「人間風情が空間の神であるあたしに命令するんじゃないよ」

 ディーテは魔力を使い拘束を抜け出した。

 強化されて暴走のポーションを投与してから3日。

 中島は完全に自分のものとし力を操れるようになっていた。

 ・・・問題はこの男がどれだけ持ってくれるか。

 簡単に終わってしまってはつまらない。むしろ、トリアを殺すまで終わっては困る。

「目的、わかっているんだろうねぇ」

「当然です。私は堀井奏太を殺し征服を進める」

「わかっているならいい。それじゃああたしは行く。うまくやれよ」

 魔力を発動し、空間と空間の狭間、暗黒世界とは別の空間にある寝床へと戻った。

 ここからはすべての空間を見ることができ、音を聞くことも届けることも可能。

 さて、あの男の経過を見守ることにして、次の一手を打っておかなきゃねぇ。

 次の目標は、あいつだ。

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