第2章~過去の記憶を今ここに~

 俺は学校を休めと言われたのを完全に忘れ詠唱術を暗記した翌日には普通に登校した。

 学校に被害が出るだとか、ゲームに専念しろとも言われたが、危険にビビっていては戦闘なんてできはしない。それに、使えるだけの詠唱術を取得し誰にも負ける気はしない。当然、総理にだって。

 午前中は普通に授業を受けて迎えた学校祭準備の時間。

 校庭に俺を含め数名の生徒が待機していた。

 火を扱うため外で行うことにはしたが、建物については何も考えていなかったようで俺が急遽作ることになった。

 タケさんのように建物を作る魔力はないが、自分の持つ能力だけでも十分に対応できる。

 いつかの戦闘で使ったものを応用すればいい。

 半径10mほどの火のドームを作り、詠唱術で熱、延焼を防ぐ。これで見た目は火だが熱くはない建物が完成する。

「拓斗、これでいいか?」

 隣に立つ企画のリーダーに尋ねる。

「奏太、広さは十分だと思う。けど、入り口がない」

 すぐに目の前の火の壁に人が並んで2人は入れるほどの出入り口を作り出した。

「うん、ばっちり。あとは、あそこに簡単な調理場と椅子、テーブルも欲しい。通気性の確保もよろしく」

「あいよ」

 言われた通りに調理場、というかカウンターを作り、椅子とテーブルを配置。そのすべてに建物と同じ詠唱術をかけ、壁に穴をあけて通気性の確保、最後には建物ごと『インフィニティ』で消えることがないようにする。

 それでもかなりの魔力を消費することになった。

 どうせ回復するだろうしいっそのこと使い切ってしまおうか。

 小さな火の玉をたくさん出現させ詠唱する。

 すると、出現した火の玉は青や緑に色を変えて花火のように散っていく。本物の花火と違い火は消えることなく再度1つの玉となりまた散っていく。これをずっと繰り返している。

「きれい」

 同級生の黒髪の女の子はそう声を漏らし、隣に立つ茶髪の女な子も同意するかのようにうなずいた。

 黒髪の女の子が室木蓮、茶髪の女の子が黛零。どちらも料理部であり、レシピが決まり暇だからと俺と拓斗についてきた。

 そんな2人に俺は決定したというメニューを聞いた。

「チャーハン、ギョーザ、フランクフルト、サンドイッチ」

 静かに零が言った。さらに蓮が付け足す。

「メニュー名の前には激辛がつくっス。なんなら後で試食でもしてみるっスか?」

「いや、遠慮しておくよ」

 苦笑して俺は答えた。

 チャーハンはなんとなくわかる。ギョーザも見たことがある気がする。フランクフルトに関しては祭りの屋台でデスソース味が売られていることを知っている。けど、激辛サンドイッチはちょっと想像しにくかった。興味は沸く。けれども食欲は?と聞かれると、うーんとなってしまう。

「拓斗、本当にうまくいくと思うか?」

「当然だよ」

 やけに自信たっぷりだ。

「好奇心の強いここの生徒なら興味本位で絶対食べにくる。それにこれだけ目立っていればね」

 確かに火でできた建物など他にはなく生徒からの注目度も高い。だからきっと拓斗の頭には失敗の二文字はないのであろう。

「どうかした?」

 黙ったまま動かない俺に不思議そうな顔をする拓斗。

「いいや、何でもないさ。そろそろ戻ろうぜ」

 そう言って歩き出し、教室へと歩みを進める。

 すると、何処からか俺に向けられた視線を感じた。

 校庭は教室のグランドに面しているため、見られていても不思議ではないため、気にすることでもないとは思うが。

 気のせいか、とあたりを見渡した時だった。校舎の東側の曲がり角に一瞬だけ人影が見えた。

「悪い、やり残したことがあるから先に戻ってて。すぐ行く」

 そう言って俺は人影の見えたところへと向かう。

 恐らくもういないのだろうし、無関係の可能性もある。けれども、なんとなく嫌な予感がした。

 校舎の東側には体育館がある。本校舎と体育館は2階の渡り廊下でつながれており、1階は壁のない廊下となっている。

 もしもあれが敵、いや、そうじゃなくても逃走するのは容易である。・・・はずだった。

「おい、大丈夫か?」

 手が付けられずに伸び放題の雑草の中に1人の金髪女子がうつぶせに倒れていた。

 そいつは俺がよく知る後輩だった。

「絵美、何をしてるんだ?」

 名前を呼ばれビクッとする金髪娘。

「ほら、立てるか?」

「手を貸していただけると助かりマス」

 若干カタコトになりながらも俺の手を取り立ち上がる。しかし、足に力が入らないのかふらついている。顔色もよくない。

「なぁ、何でこんなところで寝てたんだ?」

「別に寝てませんけど」

 苦笑して否定したものの、絵美はそれ以上話そうとしない。

 それを見た俺はため息をついて言った。

「言いたくないならいい。俺は無理に聞こうとは思わない」

 心を読むことも考えたが、あまり深刻ならば関わらないのも一つの手だ。現に、話したがらないというのは内容がそれだけ重たいということだろう。

 そもそも「むやみに人の心を読むな」とルノに言っておいて俺がその約束を破るのは違う気がする。

 とりあえずケガの手当だけでもしようと詠唱を始めた俺は、お腹に衝撃を受けるのを感じた。

「痛いな。なんのつもりだ?」

「名前」

「え?」

 声が小さすぎて聞き取れなかった。

「名前忘れてくださいって言ったじゃないですか!」

 今度は大声でそう言うと俺はお腹にいくつもの衝撃を受けた。

「ちょ、痛い、痛いって」

 絶え間なく拳を打ち付けられそれなりのダメージとなった。

 咄嗟に俺は絵美の左手を掴み甲を確認した。

 落雷のマーク。俺の下僕は黒いフォークの模様が手に現れるため、絵美がこっちの人間ではなかったことを示す。

 だから、俺にはダメージが入る。それにしても、一般人の攻撃であばら骨が数本やられるとはな。コントラクター特有の回復力ですぐに治るから別に構わないが。

「はぁ、お前って確か転校生だったか。どこから?」

 いくらか落ち着いた様子の絵美はボソッと言った。

「・・・福島県です」

 福島県は確か雷獣のいる地域だったか。だから模様が落雷。辻褄が合う。

「俺を殺しに来たわけじゃないよな?」

「なんてことを言い出すんですか。ただの転勤ですよ」

 どうやら勘ぐりすぎてしまったようだ。そのことを謝罪し先ほどしていた詠唱を再度始めた。

「あれ、痛くない。何をしたんですか?」

「ただの回復術だよ。知っているとは思うが俺はコントラクターなんでな。普通の人間にはできないことが出来る」

「えっと、ありがとうございます」

「きにすんな」

 頭を下げる絵美に俺は少しだけ目を背けて言った。こうも正直に感謝されると少しだけ気恥ずかしい。

 それにしても、少しだけ気になる。回復術はその性質上どんな傷を負っているのかを知ることが出来るのだが、絵美の足、特に脛が骨折していた。どうして立っていられたのかが不思議である。

 どうにか事情を知りたいという気持ちが強くなる。うまく誘導して聞き出すことはできないだろうか。

 そんな思いが通じたのか、絵美は一言こう言った。

「先輩は気になさらないでください」

 曇りのない笑顔でそう言う彼女には逆らうことはできず、教室に戻っていく絵美を俺は沈鬱な気持ちで見ていた。

 それから数日間。俺は毎日絵美を治療した。


 とある日の午後。

 1人の生徒の呼びかけにより我らが2年A組は体育館に集められた。

 それぞれの手には今朝配られたクラスで行う劇の台本が握られている。

「皆様!お集まりいただきありがとうございます!」

 ステージに立ち声を張り上げた1人の男子生徒。

 マイクなしでも広い体育館全体に声が響くのはさすが演劇部。俺は心の中で称賛した。

 今回の劇のキーマン。脚本づくりを頼んだ演劇部である蟹江広夢。その実、誰もが認めるゲーマーだ。

 台本に書かれた劇の題名は『ファイナルクエスト』。ゲーマーという肩書がなければスルーするところではあるが、どうしても某RPGの題名を組み合わせたようにしか思えなかった。

「ひろ!わざわざ集まった理由はなんだ?配役の発表なら教室でもできるだろ」

「すぐ練習にはいれるようにだよ。ねぇ、たく?これから発表って時に茶々を入れないでくれる?」

「わ、悪い」

 鋭く睨まれ拓斗は身を縮めた。

「さて、この台本には目を通してくれたかな?」

 広夢の問いかけに大半の生徒がうなずいた。

 『ファイナルクエスト』の概要はこうだ。

 ―冒険家ギルドはモンスターの討伐や素材の採取、ダンジョンの調査などの依頼、いわゆるクエストというものを受けられる施設だった。しかし、悪の魔法使いが一国の姫を攫い、モンスターはその数を減らす。素材の採取は困難かつ数がなく冒険家ギルドで受けられる依頼は激減した。そんななか、ひとりの新米冒険者がお金稼ぎのためにギルドを訪れる。だが、残っているクエストは攫われた姫の救出依頼のみ。冒険者は新米には荷が重いと感じつつも、自らの生活のためにクエストを受注した。

 というファンタジー感溢れるコメディー作品らしい。

 作品自体に気になることはないが、配役が決まっていない中で俺の名前がすでに書かれているのには疑問が残る。

「広夢。俺の演出担当はもう確定か?」

「そうしてくれるとありがたいね。奏太には火を操るという特殊能力がある。それを使えばより一層劇のクオリティが上がると思うんだ」

 魔力切れだけが恐ろしいが、

「やれるだけやるよ」

「助かるよ」

 その後、広夢の口から配役が発表された。

 主人公である冒険者が拓斗。姫役が紗奈。魔法使いに蓮。メインの3役には以上の3名が抜擢され、残りの人はモブや道具つくり等の裏方に回された。

「じゃあ割り当てられた時間になるまで各自作業!」

 この言葉で各自が仕事を始めた。

 背景に使う絵は美術部を中心に構図を考え、役者はもちろん照明等の劇の進行に直接かかわる人たちは台本をみて確認作業を進める。

 俺は台本に何をどうすればいいのか書かれていたので特にすることがなく2階のギャラリーからその光景を眺めていた。

「ふわぁ」

 不意に背中から声がした。

「起きたか」

「ん、おはよ」

 俺の背中で気づけば眠っていたルノは、俺と同じように作業が行われているのを見て言った。

「こういう光景は、なにか不思議な感じがするのぉ」

 少しだけ羨ましそうな顔をしている。

「みなと協力し、1つの物を作り上げる。我の中には存在すらしていなかった世界じゃな」

「魔族は特殊だからな」

 神民には学校祭というものは存在しないが、一族が1つになって事あるたびに祭典を開いていた。

 一方で魔族は祭りという概念はなく、祭りといえば大抵は格闘大会のことを指し、祭りは祭りでも血祭りというイメージが強く持たれている。

「そういえばルノ」

「なんじゃ?」

「学校は楽しいか?」

「うん!」

 ルノは笑顔でそう言った。

 俺の知らぬ間に女子のほとんど仲良くなり、口調も時々ではあるが若くなる。これがいいのか悪いのかはわからないが、本人が楽しそうなので問題ないだろう。

「ルノちゃーん!」

「今行くぞ!」

 クラスの女子に呼ばれたルノは俺の背中から飛び上がり声のした方へ飛んで行ってしまった。・・・別に寂しくなんて思っていない。断じてだ。

 俺は無性に喉が渇き飲み物を買いに行こうと2階の渡り廊下から体育館を出た。

「あ・・・」

 その小さな五十音の一文字目が聞こえたのは体育館を出てすぐだった。

 片腕を押さえ壁によりかかるようにして立つ絵美。

 押さえられた左腕が関節とは逆の方に曲がっていた。

 またか。

「おい、大丈夫・・・ではないな」

 顔も青白い。骨折をしている。

「せん・・・ぱい」

「待ってろ。すぐに治すから」

 俺はいつもの如く詠唱しけがを治す。

「よし、大丈夫か?」

「はい、ありがとうございました」

 そう言って立ち去ろうとする絵美。

「ちょっと待て」

「なんですか?」

「そろそろ何があったのか教えてはくれないか?ここ最近ずっとこんな調子だろ」

 しかし、いつも一点して絵美のいうことは変わらない。

「先輩には関係ないので」

「これだけ治療しておいて関係ない、か」

「だって、別に頼んでいません」

 それはそうなのだが。

「関わっちまったんだ。教えてくれても」

「関係ないので。それ以上しつこく聞くようなら先輩でも殺しますよ?」

 背筋がぞわっとした。目に殺意がこもっている。

「わかった。いずれお前の口から直接聞かせてもら」

「あれ?堀井先輩?」

 話を遮るように後ろから声をかけられ、俺はゆっくりと振り向いた。

 ダークエルフほどではないにしろの褐色肌で女子にしては高身長。それでも俺よりは低い。

「うちらの教室に何か用事でもあるんすか?」

 褐色肌の女の子はクラスの入り口に掲示されているプレートを指して聞いてきた。ここは、1年C組の教室の前だったようだ。

「いや、特に用事はないよ」

「ふーん。って、あ」

 品定めするように俺を見、絵美の姿を視認したとたん目つきが変わった。

「あんた、うちの主様の後ろで何してるわけ?」

 さっきまでの口調とは変わりどすの効いた低い声。絵美は目を合わせようとしない。

「お前、こいつと同じクラス?なら、ちょっと聞きたいことが」

 あるんだけど。そう言い終わる前に絵美に向かって殴りかかってきた。

「ちょ、ちょっと待て」

 あわてて手のひらで拳を受け止める。俺の下僕のせいか痛みはない。

「先輩、どうして庇うんすか。敵っすよ?」

 女の子が放ったその言葉で俺は今までに起こった出来事を解決に導いた。

 それと同時に怒りが込み上げてきた。

「お前か?ここ最近、絵美がケガを負っている原因は」

「うちだけじゃないっす。主様を守るためにみんなで」

「ふざけんな!」

 俺が大声をだし、女の子がたじろぐ。

「俺を守るためだぁ?誰がそんなことを頼んだ?俺はそんな命令を下した覚えはないぞ?どうして絵美を敵だと決めつける?」

 俺の問いかけに震えながらも答える。

「も、模様が」

「たったそれだけのことでお前は絵美のことを敵だと決めつけたのか。警戒するのは良いことだ。けどな、絵美がお前らに何かしたのか?」

「い、いや何も」

「そうか、じゃあお前ら下僕にとっては害悪となることはないだろ。にもかかわらずお前、いや、お前らは絵美をケガさせた。ただ転校してきたってだけで。何も知ろうともしないで暴力行為に及んだ。そんなの、ただの愚か者がすることだ」

 女の子は涙をこらえながらもその場に座り込んでいた。それを見た俺は、自身の下僕に初めての命令を下すことにした。

「今後一切絵美には手を出すな。さっきも言ったが主が違うからと言ってお前らに害はない。ただの人間だ。同じ人間同士、仲良くしてやってくれ」

 実際、言葉だけの命令には絶対的な強制力はない。けれど、今の女の子には十分効果的だったようで、俺が言ったことをクラスのみんなに伝えていた。

 と、背中で絵美が震えていることに気付いた。少々俺も熱くなりすぎた。

「悪い。余計なことをしたか?」

「ほんと、重度のお節介焼きですね」

「褒めてんのか?」

「ええ。とっても。感謝しています」

 少しだけ絵美の目に涙が溜まっていた。

「気にするな。俺がしたくてやったことだ。・・・また何かあれば言ってくれ。金以外のことなら相談に乗るから」

「はい、このご恩は必ず返します」

 そう言って絵美は教室に戻った。多分、もう大丈夫だろう。絵美はけがをしないし、俺のもとへも来ない。そんな予感がした。

 ・・・さて、飲み物でも買いに行くとするか。




「奏太、何処に言っていたんじゃ?劇の練習、準備の時間はもう終わったぞ?」

 体育館の入り口で退屈そうにあくびをしたルノは俺の姿を確認するなり言った。

「飲み物を買おうと思って自販機に向かったけど財布がないことに気が付き、ふてくされて中庭で寝てた」

「えー」

 ルノがあきれたような顔をする。

「で、劇の練習が終わったのにも関わらずお前は何をしているんだ?」

「奏太のことじゃから時間も確認せずに戻ってくるのではないかと思ってな」

 ぐ、見透かされている。だが、時計を持っていなかったことまでは気づかれていないか・・・?

「今度からはちゃんとスマホでも持っていけ」

 見透かされた。

「はいはい。そんじゃもど」

「見つけましたわよ!」

 なんか俺は話しているのを遮られることが多いなぁ。

 耳を刺すような大音量の美声。

 振り向いて声の主を確認してため息をついた。

 黒髪ロングヘアーのツインテールがくるくる巻かさっている。身長は160cm前半。きれいで若干幼さの残る整った顔立ち。ここの生徒会長。

「椿山神楽」

「先輩をつけなさい?」

「・・・先輩」

「よろしい」

 と、満足げに言った。

 確かいいとこのお嬢様であり、関わると何かしたのトラブルに巻き込まれることで有名な会長。

 よし、逃げよう。あの目は何かを企んでいる目だ。

「失礼します」

「待ちなさいよ。用事があるからわざわざ来てあげたのよ?」

 頭を下げて立ち去ろうとする俺の腕を神楽がつかんだ。

 意外と力が強いことに驚きはしたが、それでも逃げようと腕を振り払おうとする。しかし、握る力が強くなっていくのがわかる。

 神楽も俺の下僕のせいなのか痛みはない。

 けれども神楽の手は離れない。

「・・・離してくれませんかね?」

「じゃあ話を聞きなさい?」

「それはお断りします」

 面倒ごとはもう勘弁してほしい。けれどもお嬢様を力ずくで振り払うわけにもいかず、遂には根負けし話を聞くことにした。

 そう伝えると神楽は手を離した。

 これは、逃げるチャンス。

「ここで逃げたらタダじゃすまないわよ?」

 ハイ。

 俺は引け目を感じながら問いかける。

「何の用事ですか?できるだけ手短にお願いします」

「わかったわ。コントラクターであるあなたに用事があるのは他でもないわ。火を操るという能力をぜひとも生徒会に貸してほしいのよ」

 だと思ったよ。

「お断りします」

「なんでよ」

 引き下がろうとしない神楽に諭すように話す。

「俺の能力は俺だけのものであり、自分の使いたいときに使いたいように使いたいのです。それに、本来この力は生き物を殺すために与えられたものであり危険なものなのです。ですので、お断りさせていただきます」

「そう、なら仕方ないわね」

 どうやら納得して、

「力づくで連れて行くまでよ!」

 くれなかった。

「ルノ、逃げるぞ」

 これ以上話しても無駄だ。

 背中にルノを乗せると俺は近くの窓を開け、勢いよく飛び出した。

 ここは2階。大した衝撃を受けることなく伸び放題の雑草が生えた地面へ静かに着地した。

 荷物は教室。靴も履き替えなければならない。かと言ってのままのこのこと玄関に向かうわけにもいかない。

 ここで待機しているのも危険。

 俺は初期動作無しに壁を走り自分のクラスに帰還した。

「奏太、おかえり」

 クラス中の視線が集まる中、拓斗がかばんを俺に手渡す。

「急いでるんでしょ?」

「助かる、俺はこのまま早退だ。じゃあな」

 それだけ言うと、窓から直接地面まで降り神楽の姿がないのを確認。靴を履き替えた俺は全速力で学校の敷地から抜け出した。

 危なかった。敵はゲーム参加者だけではないと思い知らされた。

「奏太、もう帰るのか?」

 俺の背中であくびをかみ殺してルノが耳元で言った。

「いや、そろそろ食糧も生活必需品も減ってきているから買い物して帰るよ」

 近くのスーパーに立ち寄り1ヶ月分の食料にトイレットペーパー、洗剤等を買い家に帰った。

 今日の食事当番は俺であるため、買ったものを片付けた後すぐに夕食の準備に入る。

 その間にルノは風呂に入る。が、それも一瞬のことで10分足らずで上り俺の部屋に行った。

 どうもルノは風呂につかるのが好きではないようで、5分湯につかればたちまちのぼせて顔を真っ赤にしてしまう。いずれ温泉にでも連れて行こうと、とある元コントラクターと話していたが、断念した。

 さて、献立はどうしようか。特に何も考えずに米だけは炊いてしまった。

 肉料理にすると紗奈のためにもう一品増やすことになり面倒くさい。できることなら一品で済ませたい。と、思ったところで片付け忘れたのか台所に転がるジャガイモが目に入った。

 ・・・肉じゃがでいいか。肉も入っているが野菜の方が圧倒的に多いし大丈夫だろう。

 冷蔵庫から食材を出し下準備を始めていると玄関に繋がるリビングのドアがゆっくりと開き、ひょこっと小さな体が姿を現した。

「・・・あ、お帰り。お兄ちゃん」

「おう、お帰り優衣。・・・なんでバッティを持っているんだ?」

 優衣の右手に握られている物騒なものを見て言った。

「・・・鍵、開いていたから。泥棒でもいるんじゃないかって」

 現在は4時を回ったところ。この時間に俺がいることはほとんどないため不安になったらしい。

 だからと言って刃物を手にするのはどうかと思うが。

「・・・お兄ちゃん。今日の晩御飯は?」

「肉じゃがだけど」

「・・・手伝う」

 そう言って背負っていたランドセルを床に降ろし、エプロンを身に着けて手を洗い出す。

 食事を当番制にしているおかげなのか、優衣の料理スキルは高い。元々のスキルが高かったのかもしれないが、何を作っても失敗することはなく、1度だけ肉嫌いの紗奈に肉料理をおいしいと言わせたこともあるほどだ。

 ちなみにだが、ルノは卵割りを2回に1回程度の割合で失敗する。

「じゃあジャガイモの皮をむいてくれ」

「・・・わかった」

 バッティを使い黙々と皮を器用にむいていく。ただ、黙ってしまっては面白いこともないので何か話題を探す。そして、考えた末、

「優衣、学校は楽しいか?」

 ルノにした質問と同じ質問をした。

 小さく頷いた優衣は言った。

「・・・みんな私に貢いでくれるの」

 とんでもないことを言い出し、危うく手にしていた包丁を落とすところだった。

「・・・勘違いしないで?私がコントラクターだったって知る子たちがお菓子とかくれるの。決して私から頼んだわけじゃないよ?」

「そ、そうか」

 けれど、楽しいの理由がそれということはつまりそう言うことではないのだろうか。楽しそうにジャガイモの皮をむく優衣に聞くことはできなかった。

 その後は黙々と作業を進め、俺は優衣に材料の準備を丸投げし、味噌汁を作り始める。

「・・・お兄ちゃん。終わったよ」

「おう、ありがとな」

 味噌汁を混ぜる手を止め下処理の済まされた野菜を確認する。

 同じ種類の野菜はすべて一口サイズに切られ、しかも均等である。これなら煮込むのもある程度楽になる。

 俺がこれをやっていたならば、大きさは揃わずに食べにくく、火の通り方にも差が生じてしまい悪い出来になっていたことだろう。

 完璧。優衣にはそう評価せざるを得ない。俺もこれを見習った方がいいのだろうか。

『トリアには適当なくらいが合っているんだよ』

 また見知らぬ女の子の声が頭に響いた。けれど、やはりどんな子だったのかは思い出すことができなかった。けれど懐かしさを感じる。あの子は・・・?

「・・・お兄ちゃん?大丈夫?顔色、よくないよ?」

「ん、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてただけ。あとは俺がやるから優衣はルノとゲームでもしててくれ。そろそろ部屋で暴れだすころだと思うからさ」

「・・・うん、わかった」

 優衣は素直に引き下がった。

 元々の食事当番は俺であるためこれ以上手伝わすのにも引け目を感じた。というのは俺が自分自身に言い聞かせた言い訳だ。本音は1人になりたかった。

 切られた食材を鍋に入れ軽く炒め、その後調味料と共に煮込んでいく。

 その間に俺は声だけ聞こえた女の子について思い出そうとする。

 心当たりがまったくないわけではない。

 聖魔大戦から100年ほどたった頃だっただろうか。

 アーウェルサには神とは別に各種族に長となる者が存在する。

 天使族の場合は王女が多分今も健在している。そして俺は当時、王女が住む城で護衛兵をしていた。ならば、助言をしているのがその王女なのかと問われればそれは違う。大人びた女王の声音よりも幼い声が俺の頭に響いていたからだ。

 今の神、エストが神になった300年前まで俺は護衛兵だった。その後は知っての通り秘書官として仕事をしている。

 当然、長い時間を過ごせば子供とかかわることもある。そのなかの誰かが言ったのを思い出しただけに過ぎないのだろうが、どうしても何かが引っかかる。とても重大で、大切な何かを忘れてしまっているかのような。

 よく思い出せ。俺が城にいたのは500年ほどだ。アーウェルサの民が成人迎えられるほどの時間。その間に何か変わったことはなかっただろうか。かかわっていた奴ら、同僚、その子供との間に何かなかっただろうか。

 しかし思い出すのはただただ職務を全うする自分の姿のみ。たまに学校によばれ講師として詠唱術や戦闘訓練等も行ってはいたが、個人的に話すほど親しい女の子はいなかった。

 同僚にも女の子はいない。城にいた女と言えば女王とその淑女だけだ。

 じゃあ、頭に聞こえるあの声の主は一体だれなんだ。

 ここで1つ考え付いたのが『マインドコントロール』という魔力。これは精神を操るだけではなく、幻聴、幻覚を見せることも可能だったはずだ。

 今は、そう考えるのが妥当だろう。

「奏太!」

 不意に名前を呼ばれ顔を上げた。

「なんだ、ルノか。どうした?」

「もう飯か?」

 時計を見ると時間は7時を回ろうとしていた。

 やばい。鍋の火を止めなければ、と思ったがちゃんと消えている。鍋のふたを開けると程よく煮詰められた肉じゃがが完成していた。

 自分の思っていた以上に考え事をし、無意識のうちに火を止めていたのか。大事に至らなくてよかった。

「そうだな。俺は紗奈のところに持っていくから、お前ら2人で先に食べててくれ」

 大皿に1人前よりかは少し多めの肉じゃが、茶碗に大盛りのごはん、お椀に少なめの味噌汁を盛りつけお盆に乗せた俺は、お隣さんに向かった。

 ドアを開けると部屋着の紗奈が待っていましたと言わんばかりに俺の腕を引いてドア、それから鍵を閉めた。

「帰っていいか?」

「だめ。少しだけ話したいことがある」

 その眼はいつになく真剣であり、俺は空腹の腹をさすりながら自分の家と広さの変わらないリビングに向かった。

 同じマンションであるため間取りは同じ。置いてある家具すらも酷似しており、向きが180度違うだけの自分の家のようだ。

「なぁ、かふぁた」

「食いながらしゃべるなよ」

 俺と向かい合わせに座る紗奈は口にしていたジャガイモを飲み込んでから言った。

「キミはどうして執拗に自分の正体を隠そうとするんだ?」

 なんて突拍子もないことを言い出すのだろう。

「どうして、って聞かれてもな」

「別に正体を隠さなければボクに食事を作る必要も、いいように使われることもなくなるだろ?」

 いいように使っているという自覚はあったのかよ。

 俺がどうこたえようか悩んでいると紗奈が何かを思いついたのか手をたたいた。

「そうか、わかったぞ」

 そういうと、さらに頷き始め確証を得た。みたいな顔をする。

「キミ、ボクのことが好きなんだろ。まったく、ボクは何度もキミが好きだと伝えたであろう?だがキミは自ら好きと言うのが恥ずかしい、もしくは抵抗があり伝えられずにいる。しかし、離れたくないためにあえて正体を隠している。どうだ?違うか?」

「うん。全然違う。自惚れんな」

 一瞬で紗奈のどや顔を崩し俺は1つ問いかけた。

「俺が人間じゃないと知った時、お前はどう思った?」

 この時ばかりは心を読むことにした。この問いかけに対する返答に嘘は無用。

「特に何も思っていない。強いて言うなら羨ましかった」

(難しいことを聞くな。何かあるのかな)

 嘘は言っていないようだった。

 予想外の返答に困惑する中、夕食を全て腹に収めて紗奈は言った。

「もしもキミが天使族ではなく凶悪な悪魔だったとしても、ボクは羨ましがるだろうね」

「恐ろしく思ったり、蔑んだりはしないのか?」

「ボクに関してそれはない。何しろ、ボクは人間だからね」

「人間だからこそ、人間じゃない他の世界の生物に畏怖するものじゃないのか?」

「キミがどういうイメージを持っているのかは知らないが、ボクにとってはあこがれの対象でしかない。他の人たちがどう思うかは知らないよ。これはボクの個人的な意見だから」

 本来ならここではっきり拒絶されるものだと思っていた。

 もしも俺がただの人間で、人間だと思っていた奴が人間じゃなかったら俺は、どう思っていただろうか。

 紗奈のように憧れるのか、それとも俺が言ったように恐怖するのか。

 コントラクターになった人間はみな異世界や異能力に憧れるものばかり。当然他にもそういった人間はいることだろう。

 しかしその逆に自身の理解の範疇を超え、恐怖するものもいると思う。

 そして俺は他の人間、特に同級生から怖がられたくない、距離を置かれたくない。そう思ってごく少数にしか正体を明かしていない。

「なんか色々スッキリしたよ。ありがとな」

「ボクは何もしていないさ。けど、うん。なんだか前よりもいい顔になったと思う」

 そう言う紗奈の顔がほんのりと赤く染まっていた。

 今更恥ずかしがっているのだろうか。

「ねぇ奏太。君に話したいことがあるんだ」

「なんだ?急に改まって」

 俺は紗奈の顔を見て冗談が通じる様子ではないことを悟った。

 それと同時に、この時は心を読むということもしないことにした。

 これから紗奈のいうことは直接聞かなければならないような重要なこと。ただなんとなくそんな気がした。

「堀井奏太君」

「はい」

 名前を呼ばれ反射的に返事をする。

「もう何度目かは分からないが、ボクがこれを言うのはもう最後だと思ってくれ。ボクは君のことが好きだ。最初はただの一目惚れではあったが、今はそうじゃない。料理が得意あること。人を引っ張っていく力があること。優しいところ。君の全てが好きだ。だから、ボクと恋人として付き合ってください」

 いつもの抑揚のない口調ではない。俺を見るその目でこの告白がいかに本気であるのかがよく伝わった。

 正直ここまで褒められた覚えのない俺にとっては背中から羽が生えるほどに嬉しかった。

「・・・悪い。俺は誰かと付き合う気はない」

 この返答が正しかったのかは俺には全く分からないが、この言葉しか浮かんでこなかった。

「別に誰か好きな奴がいるわけじゃない。・・・俺はこのゲームを勝ち抜くつもりだ。もしそうなれば俺はアーウェルサに帰り、正真正銘、天使族へと戻してもらう。人間であるお前と天使族である俺の寿命は違う。だから、お前の気持ちにこたえることが出来ない」

 紗奈はうつむいたまま何も言わない。

「気持ちにこたえられないと言っただけで、お前のことは決して嫌いじゃない。あまり考えたくもない話だが、もしも俺とルノの契約が切れれば俺は向こうへ行く手段がなくなり人間として生きていくことになる」

「じゃあボクはそうなるまで待つよ。けど、奏太が向こうに行くというのをボクは決して邪魔しない。むしろ応援しているよ」

 そう言いながら笑う紗奈の顔が、記憶の中にかすかに残る別の誰かと重なった。

 ・・・あれは、誰だったっけ。

「奏太?どうして泣いているんだ?泣きたいのは正式な告白を正式に断られたボクの方だぞ?なのに、どうして君が泣くんだ?」

 誰だったかは分からない。どんなに思い出そうとしても形になることなく泡のように消えていく。けれども、何故だか無性に涙があふれて止まらなかった。

「悪い、邪魔したな」

 お盆を手にそれだけ言うと俺は隣の自宅の玄関をくぐった。

「奏太。遅かったのぉ。もう全部」

 リビングへと足を踏み入れる俺を見てルノが目を見開いて驚いていた。

「・・・何かあったの?」

「ううん。大丈夫」

 妹たちを心配にさせて申し訳ないが、食器を洗うように言い、俺の部屋には入らないように伝えて横になり目を閉じた。

 眠るわけではない。少し考えるだけだ。

 思い出すべきところは今から700年前のこと。ここに真相があるに違いないと何度も城であったことを思い出そうとする。

 しかし、脳裏に浮かぶのは女王と、後輩である執事のみ。

 思い出そうとしても何も思い浮かばない箇所も多々あったが、それは単純に長い年月が過ぎた影響だろう。それでも、頭をフル回転させ思い出そうと試みた。

 しかし、何度やっても結果は同じ。あの少女の記憶は何一つ思い出すことが出来なかった。

「はぁ」

 と、何度目かわからないため息をついたところでスマホが振動した。

 正直応答する気にはなれなかったが、電話の着信と共にメッセージアプリの通知も多く、これはただ事ではないと判断する。

「もしもし?」

「もしもし、奏太君!?私です!桃です!」

 明らかに焦ったような声。やはりただ事ではない。

「どうした?とりあえず落ち着け」

 スピーカーから深呼吸する音が聞こえ、再び桃の声が流れる。

「あのね、奏太君。お姉ちゃんが」

 また紅が?

「暴走していなくなっちゃった」




 桃からの連絡を受けた俺はルノを連れて近所の公園へと向かった。

 この公園が鬼月家から一番近い公園であり人もほとんど来ないので話をするためにここへ来いと言われた。

「それにしても、遅くないか?」

 桃との電話が終わって早30分。家が近所ならばこんなに時間はかからないはずだが、まさか桃にも何かあったのだろうか。

 特に遊具もなく、点灯と消灯をせわしなく繰り返している街頭があるだけの小さな公園。

 そのベンチに腰掛け待ち人を待つことさらに10分。

 これは何かあったと思い探しに行こうと腰を浮かせた時だった。

 公園の入り口から走ってやってくるピンクの髪の女の子。間違いなく桃である。

「ごめん奏太君。遅くなって」

「まぁ、別にいいさ。お前に何かあったんじゃないかってひやひやしてた」

「警察がなかなか動いてくれそうになくて」

 捜索届を警察に要望したがなかなか取り合ってもらえずに遅くなった、とのことらしい。

 事件性がなきゃ警察は動かないとは聞くが、関わるべき案件ではないと判断されたということだろうか。

 とりあえず、そのことは置いておいてだ、桃に一番気になっていることを聞く。

「紅が暴走したってのはどういうことなんだ?」

「この間と同じ。急に左目が青くなったの。そのあと、我をなくしたかのように家を飛び出ちゃった」

 そんな馬鹿な。紅の魔力は桃が吸い取ったはずだ。

「お前は何ともないのか?」

「うん、私は平気だよ」

 一体全体これはどういうことだ?

「ルノ、何かわかるか?」

 前に魔力を吸い取った時どんな状態だったのか俺は知らない。

「あの時魔力が吸収されたのは確かじゃ。これは我の想像でしかないが、紅は桃よりも魔力容量が小さいのかもしれん。というか、奏太こそ何か知っているのではないか?我よりも生きとるんじゃから」

 そこを衝かれるのは痛いな。

「生憎、人間には興味なかったからなぁ。魔力容量、視野には入れておくか」

 魔力容量と言うのは各生物が体に蓄えることのできる魔力の量のことだ。

 アーウェルサにいる奴でも自身の魔力容量を超えた魔力を取り込むと暴走してしまう。最悪死に至るケースもある。

 とするならば、紅は魔力を取り込みすぎて暴走したと考えるのが普通だろう。

「ルノ、紅の魔力を探ってくれ」

「了解じゃ」

 浮遊してルノは魔力を探し始める。

「桃、お前はもう帰れ。紅は俺が何とかするから」

「でも、」

 やはり姉妹だからか桃は引き下がろうとしない。が、姉妹だから、特に双子だからこそ桃を紅に近づけるわけには行かない。

「お前も暴走する可能性があるんだ」

「私はお姉ちゃんよりも容量があるんじゃ」

「俺が考えるにその可能性はないと思う。双子は魔力容量に大差がないはずなんだ。んで、紅が暴走したのは、させられている。俺はそう考えている。普通、人間であれアーウェルサの住民であれ自分自身の容量を超えて魔力を取り込むことはできないんだ」

「つまり、第三者が?」

「多分な」

 多分と言ったが、今回は、というか今回もディーテが関与しているようにしか思えなかった。

「奏太!大きな魔力が2つ!近づいてきとるぞ!」

「オーケー、迎え撃とう」

 ルノには桃の護衛をしてもらい、俺は神器である槍を向かってきているという方向に構えた。

 道のない薄暗い林から徐々に2つの陰が近づいてくるのが確認できた。

 ひとつは紅の物、もうひとつは、2本の角が生えた2mを超える巨体。間違いない、魔族だ。

 街灯に照らされたその顔は魔族には珍しい好青年という印象を受けた。

 よく見ると服は執事服で、両手には白手袋をはめていた。

 執事服の男は俺、の後ろにいるルノに目をむけ、ルノは気まずそうに目を泳がせていた。

 まさか、また知り合いだろうか。

 気にはなったが、敵か味方の判断はつかず距離を詰めるように歩みを進めた。俺と男の距離が10mほどになったところでお互いは止まった。

「堀井奏太さんですね?」

 男は爽やかな笑みを浮かべて言った。

「わたくし、ワーペル家の執事を務めております、シュミル・フィンクスと申します」

 やはり執事だったか。というかワーペル家?それに、シュミル・フィンクス・・・。ものすごく聞き覚えが、

「あー!思い出したぞ。お前『冷血のシュミル』だろ」

 俺に二つ名を呼ばれた執事は面食らったような顔をしたが、すぐに落ち着いて様子で言った。

「懐かしい呼び名です。そう呼ぶのはわたくしの記憶でもたった1人だけ。まさか本当に人間になっているとはね。驚きましたよ、アーク・トリア先輩」

 言葉とは裏腹に全く慌てた様子のない俺の後輩。

「お前がワーペル家の執事か。そういえばワーペル家って悪魔の中でも1、2を争うような大貴族だったな。すっかり忘れてた。で、お前はお嬢であるルノを連れ戻しに来たのか」

「えぇ、そのとおりです。さぁお嬢様、帰りますよ?」

「ちょ、ちょっと待つんじゃ」

 どうやら自分の家の執事が現れたことに加え、俺が知り合いであったことに混乱してしまったようだ。

 気持ちを落ち着かせるために深呼吸をしたルノは口を開いた。

「シュミル!奏太とはどういう関係なんじゃ?」

「先輩と後輩です」

 うん。間違っていないが、そんな簡単な説明で納得するルノではない。俺がシュミルの説明を補足することになった。

「聖魔大戦から100年後。俺は天使族の女王の城で護衛兵をしていた。さらに200年経った頃かな、シュミルが執事として就任したんだ。他の天使族からの風当たりは強かったけどな」

「あの頃は大変でしたね。靴を履けば爆発し、廊下を歩けば爆発し、与えられたベッドで横になっては爆発でしたからね」

 今でこそ笑って話してはいるが、あの頃は本当にひどかった。

 聖魔大戦後ということでちょうど天使族が少ない時期でもあり、魔族に対する考えかたも偏っていた。シュミルは辞職も考えていた。

 それを引き留めたのは他でもない俺だった。何しろ、執事としての能力は当時の天使族執事よりも高かったのだ。

 そうじゃなければ女王のもとに仕えることなんてできやしない。

「さて、お嬢様。わたくしと先輩の関係は分かりましたね?ほら帰りますよ?」

「あー、シュミル。そのことなんだけど、少し待ってくれねぇか?そっちにも何かしらの事情があるんだろうが、こっちにも絶対に譲れない理由があるからな」

 今、この状況でルノに帰られては契約が切られることは免れないだろう。

「まぁ、先輩の頼みならしょうがないですね。それで?先輩、まだ聞きたいことがあるんでしょ?」

 こいつ、わかってて聞いてやがるな。

「この人間のこと、とかね」

「わかっているなら説明してもらおうか。何でお前が紅を連れているんだ?」

「たまたま魔力が暴走している珍しい人間を見つけましてね。わたくしは『エナジードレイン』を使うことが出来ますゆえ、治療した人間とお嬢様を交換しようと思ったのです」

 やはり取引が上手な悪魔族なのであった。

「悪いな、その人間は俺の友達なんだ。ルノを渡すことはできないが、人間は開放してくれないか?」

 なんとも厚かましい願いだとわかってはいるが、どっちも渡すことはできない。

 シュミルはふぅっと息を吐くとあきらめたように言った。

「仕方ありません。先輩の頼みですからね。そのかわり、また今度飲みに行きましょう。先輩のおごりでね」

 シュミルはそう言って『エナジードレイン』で紅の魔力を吸い取った。

 ちなみにだが、『エナジードレイン』を使うのにも魔力を消費する。使った魔力分を吸収した分で回復するため、元々あった魔力量よりも増えることがなければ減ることもない。

 魔力をすべて失った紅は前に倒れそうになり俺が体を受け止めて背中に乗せた。

「さてシュミルよ。いまさら我を連れ戻した理由は何じゃ?言っておくが我は何を言われてもあの家には戻らんぞ?」

 家に何かあった以外には考えられないのだが、ルノの意思は固いようだった。何を言われても戻らないというのがいかにその意思が強いのかを物語っている。

「お嬢様、心して聞いてください。ワーペル家は・・・潰されました。ザビロ家の手によって」

「え」

 ルノはその場にうずくまった。帰らないと言ってはいたが心配なのだろう。

 しかし、これはかなり重要な問題ではないのだろうか。

「シュミル、詳しく教えてくれ」

「あぁ、先輩が思っているほど深刻ではありませんよ?」

 途端にはてなマークが浮かんだ。ちょっと何言っているのか理解できない。

「貴族が貧窮になったとか、なり下がったとかではなくですね、言葉通り、物理的につぶされたんです」

「いや、深刻な問題だろ」

 魔族の潰すイコール殺すだと思っているのはきっと俺だけではないはずだ。

「すみません。言葉が足りなくて。潰されたのは屋敷、建物がぐしゃっと潰れてしまったんですよ。その時に誰もいなかったのが不幸中の幸いでした。死傷者はゼロです。ご安心ください」

 なんだよ、驚かせやがって・・・なんて納得できない。

 言ってしまえば家が壊れたということだ。家を壊されるようなことをしたということではないのか?

 そうシュミルに聞くと笑われてしまった。

「ワーペル家とザビロ家の仲はとても良好ですよ。お互いの屋敷に魔力を放つなど日常茶飯事です。建物が壊れてもすぐに直せますしね。まぁ、今回は度が過ぎたということでこちら側がとても怒ってはいますがすぐに関係は元通りになるでしょうね」

 ・・・俺の心配を返せ!

「さて、わたくしはもう帰ることにしますよ。本来の目的はお嬢様に今回の出来事を報告しに来ただけで、連れ戻すのもついでみたいなものです。それに、先輩なら安心して任せられます。くれぐれも、危険な目だけにはあわせないでくださいね?」

「お、おう。まかせとけ」

 危険にさらした覚えがないわけでもないので少しだけ戸惑ってしまった。

 それでも、俺はできる限りのとびきりの笑顔で返答したのだった。

「そうだシュミル」

 詠唱をし、アーウェルサに通じる門をくぐろうとするその背中に向かって声をかける。

「まだ何か?」

 体を90度回転させてシュミルは応じた。

「情報通のお前に聞きたいことがあるんだが」

「情報通だなんてとんでもない。知る範囲のことならお答えはしますよ」

 きらきらと輝く門のせいでどんな顔をしているのかはうかがい知れないが、もう何を聞かれるのかわかっているかのようだった。

「お前が連れてきた人間について、何か知っていることはないか?」

「なんともアバウトな質問ですね。わたくしが知ることと言えば、その人間は本来持つはずのない魔力が取り込まれている。ということくらいでしょうか」

 俺もそのくらいの察しはついていたが、シュミルもこれ以上は知らないのか。

「なんというか、感じは魔族がよく持つ魔力に似ている感じがしますね」

「魔族?」

「ええ、感じませんか?この何とも言えない禍々しさを」

 残念ながら今の俺には魔力を感じることが出来ないが、それが紅を暴走させている引き金になっているということは確かになった。

 と、ここでとある違和感に気付いた。

「お前、こいつの魔力をまた感じ取っているのか?」

 魔力を吸い取ったのはついさっきだというのに。

「どうも魔力の回復速度が異常なようですね。この調子だとあと2、3分ほどでまた暴走するでしょうね」

 危うく背中に背負った紅を落としそうになったが、そんなことが出来るはずもなく、対策を必死に考える。

「困っている先輩にこれを差し上げます」

 シュミルから受け取ったのは鮮やかな赤色の液体が入った瓶。これは、ポーション?しかし見覚えがない。

「これは何のポーションなんだ?」

「最近開発された新薬です。心配には及びません。人体に害はなく、先輩の助けになることは保証しますよ。さて、これで本当に失礼します。・・・約束、忘れないでくださいね?」

 門をくぐって向こうへと戻ったシュミル。

 渡すものだけ渡し、言いたいことだけ言っていなくなりやがって。

「ルノ、どう思・・・そろそろ立てよ」

 未だにうずくまっているルノに手を貸して立たせてやる。

 何かルノにも事情があるのだろうが、それ一旦置いておいてだ。シュミルの言っていた暴走までのタイムリミットが後1分ほどしかない。

「シュミルは嘘をつかん男じゃ。信用しても問題ないと思うぞ?」

 俺も長年の関係で信用はできるのだが、ポーションの効果を知らされずに使用するとなると不安も大きい。

「奏太君。お姉ちゃんを」

「わかってる」

 俺でさえ焦っているのだ。妹の桃が焦らないはずがない。

 魔力を吸い取ってもダメ。強制的に抑え込んでも無意味。残されているのは効果が不明の真っ赤なポーションのみ。

「奏太、迷っている暇はないようじゃぞ?」

「もうタイムリミットかよ」

 何とか平静さを保ちながら紅をベンチに寝かせた。

『トリア!迷うくらいならとりあえず動きなよ!ふふ、トリアだけにとりあえずだって』

 脳内に響く自分のダジャレで笑う女の子の声も今はどうでもいい。そんなダジャレ全く面白くないしな。

 瓶のふたを開け、赤色の液体を紅の体にかけた。

 桃が目を丸くしているが、別に気が狂ったわけではない。ポーションの摂取方法には様々な方法があり、口などから直接体内に取り込む方法と、体にかけることによって吸収する方法だ。

 眠っている体に液体を飲ませるのは明らかに危険だと判断し今回は後者を選んだ。

 紅の体にかけられた液体は服を透過してまるでスポンジのように吸収されていく。

「ルノ、どうだ?」

 本来なら聞く必要もないのにと歯がゆく思いながらもこの中で唯一、魔力を感じ取ることのできる相棒に問う。

「魔力の増幅が止まったぞ」

 つまり、あのポーションは魔力の状態を止めることが出来るものだったということだろうか。

 危険性もありそうだし特に有効な活用方法も思いつかない奇特なポーションと言えるだろう。

 何はともあれ、これで一件落着。そう思った時だった。

「うがぁぁぁぁぁぁぁあ!」

 紅が両の目を見開き苦しむようにもがきだしたのだ。その目は俺が最初に見た時と同じ、青く染まっていた。

「お姉ちゃん!しっかりして!」

 桃が叫ぶが意味を為さない。

 舌打ちをして魔力の暴走を鎮める詠唱を始める。

「待つんじゃ」

 しかし、それをルノが止めた。

「桃も少し離れるんじゃ」

 眼前に映る苦しみもがく少女。やはり、放っておいてはまずい。

 再度詠唱をしようとする。

「待てと言っているじゃろ」

「何で止める?」

 今は一刻を争う事態だと理解できていないのだろうか。

「我とてそんなに愚かではない。ポーションの効果がまだ発動しきっていないんじゃよ」

 それじゃあ、今はまだ安心ということなのか?

 シュミルは『人体に影響はない』と言っていたし、あいつに限って嘘はつかない。

 そしてとうとう、紅は落ち着いた。

 見開かれた両目から青白い光が抜け、紅の目は元の色に戻った。

 さらに口から黒い靄、ルノ曰く魔力が体から抜け青い目を持つ異形な怪物へと姿を変えた。

 桃は紅を抱きかかえ、ちゃんと息があるのを確認し安心しているようだった。

 当然、俺とルノは全く安心できる状況ではなかった。

「お主か?我輩を人間の体から離したのは」

 苛立ちをあらわにした口調でその怪物は言った。

「魔性生物か。言語を話すほどの知能を持つとは珍しいな」

 魔性生物とは魔力から誕生した生き物だ。分類的には妖魔族として扱われる。

 大抵は知能が低く言葉を理解することもできないのだが、魔力が強ければ強いほど知能も高くなり話すことが出来るようになるという。

「質問に答えろ!天使族!」

 知能の高い魔性生物が共通して持つ特徴としてはアーウェルサでの一般常識が身についているということだ。だが、

「どうしてお前が俺の正体を知ってるんだよ」

 ない鼻で笑って怪物は答えた。

「人間に宿っていた時の記憶を持っているからなぁ。・・・って、質問に質問で返すな!」

 どうやら知能は高いが賢くはないようだ。

「まぁまぁ、一応俺がお前を誕生させたんだしさ。折角話せるんだから少しだけ話をしようぜ?」

 向こうにいたころでも魔性生物とかかわったことはほとんどなかったため、初めておもちゃをもらった子供のように興奮していた。

「しょうがない、少しだけだぞ?」

 表情は分からないが迷惑がってはいないようだった。

「まず、お前は何の魔力を持っているんだ?」

「『バイオレント』生き物や他の魔力を暴走させる魔力だ」

 こちらの質問に戸惑う様子なく答える『暴走』の怪物。

「んじゃ次。お前は元々誰が扱う魔力だったんだ?」

 この質問に怪物は少しだけ目を引いたが、すぐに答えた。

「・・・最初はとあるエルフ族の美少女だった」

「だった?」

 美少女という言葉には目もくれず先を促す。

「主はとある吸血鬼に殺され、我輩は吸収された」

 こいつのいう吸血鬼は俺の知る奴なんだろうなぁ。

「新たな主は多くの魔力を吸収していた。それで、主がポーションによって暴走させられた時に体を追い出されそこの人間に宿った」

 そして、人間が魔力を扱えないのをいいことに度々暴走を起こしていたらしい。

「ムジナだとか、俺の本名、ディーテのことはどこで知った?」

「はぁ?何を言っているんだ?と言うか、ディーテ様は空間の神だからわかるが、他のことはその人間が元から知識として持っていたぞ?」

「いや、そんなはずないだろ」

「嘘が言っているように見えるか?」

「うん、とっても」

 むしろ出会って数分の奴の言葉を鵜呑みにすることはできない。

「我輩は本当に知らないが、その体に宿っている間は実に楽しかったなぁ」

「ほお。詳しく聞こうか」

「今まで暴走させられる相手もその方法も決まっていたのにもかかわらず、人間は実にひ弱で少し刺激しただけで簡単に暴そ・・・ってぇ!」

 本当に楽しそうに悪事をばらしていくのでつい手が出てしまった。

「何をする!」

「うるせぇ!こちとらいい迷惑だよ」

「そっちの事情なんて知るか!我輩だって何度も暴走を何度も止められれば鬱憤を晴らしたくなる!お主にも当然腹を立てている。この際だ、殺してやる!」

 そう言いながら怪物は姿を変え、俺と瓜二つになった。ただし目は青い。

「お主も暴走しろ!」

 怪物は右手から黒い球を放った。

 しかし、俺の魔力を跳ね返す詠唱術が発動しそっくりそのまま怪物に当たった。

「奏太、今のは何の術じゃ?」

「魔力を跳ね返す『セイクリッド・リフレクター』の下位互換の詠唱術だ。詠唱が長いにもかかわらず発動時間が極端に短い。さらに魔力の扱い方が特殊で使いにくい」

「マイナス点しかないのぉ」

「その分強力ってことだよ」

 詠唱は子供のころに暗記させられ、天使族の固有魔力である『ホーリーブライト』があれば詠唱なんて必要ないことに絶望したが、こんな形で役に立つなんて当時は考えもしなかっただろう。

 さて、自らの魔力に当たった暴走の怪物は静かに暴走をしていた。

 姿の変化を繰り返して止まらない。さらにその周囲には魔力が雪のようにふわふわと浮いていた。

「あれどうしようか」

「どうしようも何も放っておいてよいものでもないじゃろ」

「いや、そうなんだけどさ。魔性生物って命を絶たれたら爆発するんじゃなかったかなぁと思ってさ。一気に魔力が放出されるだかなんだかで」

 昔、魔性生物を研究していたところが、魔性生物の絶命によって研究所ごと吹き飛んだというのを何度も耳にした。

「そんな特徴も持っているじゃろうが、今のお主にそんなこと関係ないじゃろ。奴のような存在は生き物と雖も所詮は魔力の塊じゃぞ?」

「それもそうか」

 ならばいつもように鎮めてしまおう。

 近づかなければ詠唱術も意味がないので、多少の危険を覚悟し術の効くぎりぎりまで怪物に近づいて詠唱をした。

「お前の主の仇は取った。だから、これ以上誰かに、特に俺に迷惑をかける前に消えてくれ」

 俺は手を怪物にかざし、術を発動させた。

 怪物を白い光が包み込み徐々に小さくなっていく。

 やっと終わったと油断した時だった。空中に浮いていた黒い魔力が俺の手に触れてしまった。

 まずい、そう思った時にはすでに遅し。

 怪物を包んでいた光が、目を開けていられなくなるほどまで明るく輝いた。

 反射的に目を閉じ、次に開けた時には光も怪物も消滅していた。

 『バイオレント』。実に恐ろしい魔力である。まさか、自分の術が制御できなくなるなんてな。

 まぁ、それがあいつの寿命をさらに縮めたわけであるのだが。

 とりあえずシュミルとの約束は無しにしてもらおう。

 シュミルは俺に渡したポーションが魔性生物を生み出すことを分かっていたうえで、その説明は一切しなかったのだ。なにしろ、ポーションを渡した奴が効果を知らないなんてことはないだろう。と言う勝手な考えではあるがそんな気がしてならなかった。

 『冷血のシュミル』。彼がそう呼ばれていたのは俺からだけらしいが、そう呼ぶのにも理由があった。

 彼は職務中に私情を一切はさむことなく働いていた。

 時間をきっちりと守り、毎日決まった時間に寝食をし、決められた時間内で職務を全うする。そんな男だ。

 さらに作業の効率を考えスケジュールの変更をし、元々動く予定だった時間よりも早く終わることもあった。これに関して俺も女王も高く評価していた。

 が、それに対して不満を持つ者も当然いた。

 時間の使い方は確かにうまい、効率もいい。けれども、時間を気に過ぎるばかりで、実際に動く者のことをしっかりと考えられていなかったのだ。

 無理をさせ、自分の立てたスケジュールよりも効率の悪い意見は決して取り入れることもなく、特に女王の娘なんかは不満を漏らしていた。

『あいつに心はないのか?機械族なんじゃないのか?』

 そんなことまで言われるくらいに、心が冷めている。

 けれどもシュミルは何を言われようとも自分の仕事スタイルを崩すことはなかったのである。

 心を持たず、他人を無理させてまで与えられた仕事を効率的にこなす。だから俺はそんな彼を『冷血』と呼んだ。

 そんなシュミルにも生き物なのだから当然、心を持っている。

 仕事がオフの時には強くもないのに朝まで酒を飲み、普段は決して出すことのない心情を語った。

「わたくしの仕事の仕方は間違っているのでしょうか」

 俺はそれを聞くと決まってこう返す。

「間違っちゃいねぇさ。お前の仕事の方法に不満を持つ方が少数だ。もっと自信持てよ」

 と。

 あとは、悪魔族の性なのか『ド』がつくほどのSだ。

 今回の件も、あえてポーションの効果を教えずに困っている俺の様をどこかの陰から楽しんで見ているのではないかと思った。

「ねぇ奏太君」

 桃の呼ぶ声に、俺の意識は遠い昔の思い出から現実へと引き戻された。

「どうかしたか?」

「あ、うん。私じゃなくてお姉ちゃんなんだけど」

「紅が?」

 その言葉にうなずく桃の後ろには、ベンチで仰向けになり黒い目でこちらを睨み付ける紅の姿があった。

 俺は何で睨みつけられているんだ?そんな疑問があったが、とりあえず無事でよかった。

「よう、目が覚めたか。気分はどうだ?」

「体が重くて、気怠い。けど、なんかスッキリした」

「そうか、それは何よりだ」

「本当にありがとうな!」

「気にすんな」

 面と向かって感謝を伝えられるようなことはしていない。紅にバイオレントの魔性生物が宿った元凶は他でもない俺なのだから。後始末をしただけに過ぎない。

 そんなことはつゆ知らず紅は続けて言った。

「なぁ、下僕。頼みがある。聞いてくれるか?」

「下僕扱いをやめてくれたら考えてやる」

 正直、俺が下僕扱いされることに疑問はあったし、いい気もしない。ならば今はやめさせるチャンスだろう。

「じゃあなんて呼べばいい?」

「桃みたいに名前で呼んでくれていい」

 たったそれだけのことなのに紅は実に言いにくそうにしていた。

 特別難しいことでもないだろうに。

「か、かか、か、かか、か」

 まるで壊れたロボットのように『か』だけを連呼している。

「か、か、かたな!」

「かなただ!わざとか?」

「ち、違うし!」

 どうもわざとらしい間違いだと思ったのだが、素で俺の名前を日本古来の武器と同じようによんだようだ。

「で?頼みってのは何だ?言ってみろ」

「実は、大変言いにくいことなんだが」

 さっきのように明らかに言いにくいというわけではなく、言っていいものなのか迷っているようだった。

「言いにくいなら無理して言わなくてもいいんだぞ?」

 そもそも名前を呼んだら頼みを聞くとは言ったが、やるとは言っていない。もっと言えば紅は俺のことを名前で呼んですらいない。

「実は、体が全く動かない」

 そうかそうか、って、

「そう言うことはもっと早くに言えよ」

 何だ?魔力が暴走したのが原因か?いや、他に考えられることもない。

「どこか痛むところは?」

「特にない」

 ならケガを負っているわけではないようだ。

「単純に身体の限界が来ただけじゃろ」

「それもそうか。じゃあ一晩寝れば大丈夫だな」

「え、そんなもので大丈夫なの?」

「筋肉痛みたいなものだからな。もし明日も動けないようだったら連絡してくれ」

「う、うん。わかった」

 桃は動けない紅の代わりに戸惑いながらも頷いた。

「よし、そろそろ帰るか。時間も時間だ」

 いくら自由な校風と雖も所詮は高校生。警察に見つかるようなことがあればたちまち補導されてしまう。

「おい、下僕」

「奏太だ」

「私をおんぶしてくれ」

「元よりそのつもりだ。腕は動くな?」

「なんとか」

 偉そうな物言いに腹は立ったが、帰るためには俺が運ばなくてはならないので我慢する。

 ルノと桃に手伝ってもらい、紅を背中に乗せる。

「お、重くはないか?」

「全然余裕だ」

 コントラクターとして身体能力が上がっているおかげか、それとも紅の体重が軽いのかはわからないが、特にふらつくようなこともない。

「かたな」

「奏太だ・・・わざとだろ?」

「お前の名前って呼びにくいな」

「初めて言われたよ」

 特に噛むようなところも間違えるようなところもないはずだ。

「本当にありがとな」

「・・・別に。気にするなって」

 俺はほんのりと体温が上昇するのを感じながら、夜風の涼しい住宅街を急いだ。




 アーウェルサ。悪魔族の住まう島『デルキイス』の一角にある小さな小屋。

「シュミル!あたしの可愛い人形は一体どうなった?」

「『分裂のポーション』により魔性生物へと姿を変えた『バイオレント』の魔力は、元天使族アーク・トリアとの戦闘ののち、消滅させられました」

 シュミルは鍋に向かって何やら作業をしている、天使族の女に報告した。

「そうかい」

 天使族の女はそれだけ言うと、シュミルの方を見向きもせずにネズミの死体を鍋に入れた。

 その瞬間、あたりは鼻が曲がるような異臭に包まれ、シュミルは顔をしかめ、一刻も早くここから立ち去りたかった。しかし、それは叶わない。

「ディーテ様。いいんですか?こんなところに来てしまって」

 相手は自分より身分も力も格上な『空間の神』。

 名前を呼ばれたディーテは鍋を木材でできたへらを使ってかき混ぜながら言った。

「特に問題はないさ。ばれたら神の称号を剥奪されるだろうが、そのためのあんただろう?」

 シュミルは下唇を噛んでうつむいた。

 今は白い手袋をしているため見えないが、右手の甲には悪魔の契約の証である印が押されている。

 悪魔の契約なのだから当然ディーテの右手にも印が押されているが、こちらも黒いゴム手袋のようなものをはめているため確認することはできない。

 この契約はシュミルが望んで行ったわけではない。

 ディーテの持つ魔力は、空間を操る魔力『ディメンション』と、精神と体を操る魔力『マインドコントロール』の2つ。

 マインドコントロールによってシュミルはディーテの盾となることを誓わされ、ディーテはシュミルに駒となるように契約させたらしい。

 らしいというのは、契約時の記憶を消されたがために、後からディーテから聞いたことだった。

「完成だ!」

 そう声を上げるディーテの手には緑色のポーションが握られていた。

「今度は何のポーションですか?」

「知りたいかい?そうだろうねぇ。しょうがない。あたしは優しいから教えてやろう」

 別に知りたいわけではないがこうしないと機嫌を悪くし、死に近い状態にされる。

「これはね、『暴走のポーション』の強化改良版さ。このあいだの吸血鬼に撃ちこんなものよりもさらに強力なね。これを人間に打ち込んだらどうなるのか。考えただけでもゾクゾクする」

 ディーテは恍惚とした表情でポーションを見つめていた。

 以前、ムジナに打ち込んだものは吸収した魔力が勝手に発動し、自我までも破壊した。

 それよりも強力なものを、脆弱な人間に打ち込む。どうなるかは容易に想像できた。

「そうなると、またエスト様が動きませんか?」

「大丈夫さ。前回はゲームの脱落者を勝手に回収し暴れさせたがためにあいつは動いた。だが今回は違う。ちゃんとコントラクターと呼ばれる人間を使う。下準備も済んでいる。吸血鬼に打ち込んだポーションをもう打ち込んであるのさ」

 ならばもう暴走を開始しているのではないだろうか。

「心配には及ばない。あたしも驚いているんだが、あの人間は完全にポーションを体に馴染ませたんだよ。自我を保ったままでね」

 これには驚いた。本当にそんな人間がいるのだろうか。本当にその人間は人間なのだろうか。先輩のように元々こっちの住民だった可能性もある。

「なんだい、あたしを疑っているのかい?まぁ、無理もないねぇ。『暴走のポーション』の別名は『破壊のポーション』だ。自我を破壊するためだけに作ったポーションなのにねぇ」

 だからこそムジナは暴走したのだ。やはり人間ではない説が有効だ。

「それじゃあ、あたしはそろそろ行くことにするよ。あんたもばれる前に帰りなよ。いいね?」

 ディーテはシュミルがうなずくのを確認し、瞬く間に消え去った。

 本気でディーテは先輩を殺すつもりなのだろう。

 ムジナを暴走させたとき、機嫌のよかったディーテにこう聞いた。「あなたの目的は何ですか?」と。

 それに対してこのような返答が来た。

「あんたが先輩として慕っているアーク・トリアを殺すことさ。最近姿を見かけないと思ったら人間界にいるようでね。戻ってくる前に片付けてしまいたいんだよ」

 しかし、それが建前であることも気づいていた。もっととんでもないことを始めようとしているのではないか。

「本当に賢いやつは嫌いだよ。そうさ、トリアの始末は単なる通過点でしかない。あたしの本来の目的・・・それを言うのには時期尚早だ。そのよく切れる頭で考えるといいさ」

 そう言ってあの時も瞬く間に消え去ってしまった。

 ディーテの本来の目的が何かなど、考える必要は全くなかった。

 程度に差はあれど、悪魔族は皆、相手の考えを知ることが出来る。

 そのおかげで真の目的をシュミルは知った。

 空間の結合。

 アーウェルサと人間界。その2つの世界の狭間にあるという暗黒世界。これらを一つにするために先輩の死が必須なのだという。

 決して交わることない世界が1つになればどうなるのか。それだけは分からなく、知ることもできなかった。




 旧友であり後輩であるシュミルと再会したその日。

 すっかり夜も更け日付も変わろうとしていたが、天使族であった頃の記憶を思い出し、忘れてしまう前にルノへ話しておこうと思ったのだ。

 それは空間の神、ミノ・ディーテのこと。

「えーと、聖魔大戦が800年前で、今の神が神になったのが・・・」

「300年前だ。それと同時に俺は秘書官になった。メチも俺らと年齢は変わらないからそのころだな。で、ディーテが空間の神になったのが今から400年前。神職を務めて1番長いな」

「うぅ、頭がこんがらがってきおった」

「何だ、歴史は苦手か?お嬢様よ」

「お嬢様と呼ぶのはやめろ!」

「しっ!優衣が起きる」

 騒ぐルノを落ち着かせて、話を再開する。

「俺はディーテが空間の神になったとき、天使族の城に仕える兵、正確には兵長だった」

 そう言うと、ルノは飲んでいたお茶を盛大に噴き出した。

「何してんだよ」

 テーブルを拭き、新たなお茶をコップにつぐ。

 そんなにおかしなことを言った覚えはない。

「・・・奏太が兵長をやっていたのか?」

「だからそうだって言っただろ?」

 それでもルノは納得しない。

「兵長は魔力の質が高く、戦闘力も桁外れで、頭のきれる優秀な者しかなれんじゃろ?」

 なんだ、そんなことか。

「聖魔大戦について話した時に言ったろ?俺は当時、他の同僚よりも群を抜いていたって。なんだ、信じてなかったのか?」

「うむ」

 即答するなよ。

「第1、俺が秘書官をやっていた事実があるのだから疑いようがないだろ」

「神と幼馴染と言っておったし」

「実力だ!エストが神になると聞いて立候補し、ちゃんと試験にも合格している!」

 俺にしては珍しく声を荒げてしまったが、さすがにルノもわかってくれただろう。

「奏太」

「何?」

「大声を出すと優衣が起きるぞ?」

 こ、こいつ・・・。一体誰のせいだと。

「奏太が優秀なのは分かった。ほら、話を戻せ」

 脱線させたのはお前だろ。

 思うところもあるが、ここで何か言えば話がちっとも進まなくなるので、俺はまた話始める。

「俺は兵長だった。そのおかげで、ディーテと会うことも度々あった。第一印象は最悪だったよ。神のような威厳はなくてすぐに自分と比べて卑下する。あいつの俺を見ての第1声は『聖魔大戦唯一の生き残りだというからどんなやつなのかと思えば何の特徴もないただの天使族じゃないか』そう言ったんだ」

 この時はさすがにカチンと来た。

 見た目こそ人間の20歳くらいだけれども、実際に生きている年齢はディーテよりも長い。

「成り上がりの神が調子に乗らないでください。先代をもう少し見習ったらどうです?」

「ほう。見かけによらず言うじゃないか。あたしのこの服装を見て何も思わない男も珍しい。あんた、あたしと一緒に来なよ」

 精一杯の侮辱のつもりだったのにもかかわらず、なぜか俺の評価が上がった。

 何?ディーテの外見が気になるって?

 そうだな、ディーテを一言で表すなら美人だ。スタイルがよくて胸と尻がでかい。ウェーブのかかった紫色のロングヘアー、挑戦的なつり目をしている。

 服装はギリギリ大事なところが隠れる程度で肌色が多めになるような服を好んで着ていた。

 常に男からの視線を集めていて本人はそれを楽しんでいたよ。

 さて、話を戻すぞ。

 当然ディーテの誘いを俺は断った。

 城にいるのは楽しかったし、次を任せられるような若い兵もその当時はいなかったからね。

 けれどもディーテは毎日のように城にいる俺を訪ねてきた。

「なぁ、いい加減その格好をやめてくれねぇか?」

「なんでだい?やっぱりあんたには刺激が強かったかい?」

「そうじゃねぇよ。まだ幼い姫に悪影響が出ても困るからだ」

 そう言ってもディーテは「あたしには関係ない」と聞く耳を持たず服装が変わることもなかったため、きてもらう時間を姫が寝た後と指定した。

 この頼みにディーテは意外ながらも律儀に守っていた。

 それから数年後。その間にもディーテとは会っていたが、その日は初めて酒を飲み交わした日だった。

「なぁ、いい加減あたしの所に来なよ」

「行かねぇよ」

 もはや挨拶のように定着したやりとりを交わし、飲み始める。

 俺は酒には強かったが、ディーテはすぐに酔いつぶれ、俺を誘い続ける理由を聞いてもいないのに話しはじめた。

「トリア、この世界にはたくさんの空間があることを知っているね?アーウェルサ、人間界、その狭間の暗黒世界。あとは、空間の神であるあたしでさえ干渉することのできない『パラレルワールド』と呼ばれる平行世界。この世界にはここにいるあたしたちと同じように、あたしたちが生きているらしいが、決して交わることはない。けれどね、あたしは気づいてしまった。あたしたちが生きている世界だけなら全部つながっている。繋がってはいるが人間たちは自分らの意思でこちらに来ることはできない。だからあたしは決めた。神の力で3つの世界を統合してしまえばいいのだとね」

 ばかばかしい。

 それが聞き終えた俺の率直な感想だった。

 俺は別に人間が嫌いと言うわけではなかったけれど、魔力を自由に操れないと言う点で完全に興味をなくしていた。だから、別にそうする必要もないとも思った。

 エストもそうであったが、俺にはどうして人間と言う生き物を好きになれるのか理解できなかった。

「トリア、あたしの目的のために力を貸してくれよ」

「断る」

 もう何度目かもわからないこのやり取り。

「そう言うと思ったよ」

 ディーテは含み笑いでそう言うと魔力を俺に向かって発動した。

 ところが、

「おや?酔っぱらっているせいかちゃんとリンクできていない気がするぞ?」

 それは失敗に終わる。

「当然だろ。お前が使った『マインドコントロール』は問答無用に生物を操ることのできる便利なものでもねぇよ。対象が自分よりも魔力が強い、もしくは精神が安定している奴ほどかかりにくいことを忘れたのか?」

 とは言ったものの、俺も自身に精神を安定させる術をかけなければ危なかった。

「ったく。俺の力が世界の結合にどう役に立つのかは知らんが、俺は協力しないしお前がそんなことを始めたら殺してでも止めるからな」

 そう言って俺はディーテと別れた。

 それ以来、ディーテは俺の前に姿を現すことはなかった。

 秘書官になった時に数々の噂を耳にしたものの、それもこれもいい噂ではなかった。

 魔族に堕ちただの、眷属を増やしているだの、そう言った類だ。


「ふむ、相当変わった奴じゃな」

「やっぱりそう思うか?」

 ルノはお茶を口にして頷いた。

「なぁ、奏太。この際に聞いておきたいことがあるんじゃが、よいか?」

「よいぞ」

「真似するでない。我が聞きたいのは神の仕事についてじゃ」

 神の仕事、いわゆる神職と呼ばれる仕事についてか。

「全世界の神、つまりエストの主な仕事はアーウェルサで起こった事の後処理が基本だな。あとは、死んだ人間が働く労働島の管理。時間の神であるメチは、時空の管理。ごく稀にだけど時空を曲げる魔道具を作る奴がいるらしいんだ。そいつの取り締まりをしていたはずだ」

「ふむ、して空間の神は?」

「あいつの仕事も他とは大して変わらない。空間を管理して、捻じ曲げるような奴がいれば取り締まる」

 まぁ、ディーテが働いていた姿なんて見たことないんだけど。

「奏太は?」

「え、俺?」

「そうじゃ。神の秘書なんだから神職じゃろ?」

 ルノの言う通りだ。

「俺の仕事はエストの仕事を手伝ったり、スケジュール管理をしたりだな。あとは、各種族の王とか長に会うこともあったからその会場設営も任されていたよ」

「大変じゃのぉ」

「まぁな。けど、退屈はしなかった」

 毎日が仕事で大変だったが、職場は常に明るくいきたくないと思うこともなかった。できることならあの頃に戻りたい。

「この社畜め」

「お前のようなニートよりはましだ」

「な!?この我がニートじゃと?」

「だって、500年以上生きているのにもかかわらず職に就いたことないだろ」

「グ、なぜそれを」

 知っているのか。理由は単純明白。

「ワーペル家はそう言う方針だろ」

 家が大きいのならば俺の耳にも情報として入ってくる。とはいっても、シュミルが現れるまでワーペル家が大きな家だと気づけなかった。

「そうだ、この際に俺も聞きたいことがある。いいか?」

「・・・よくない」

「そうか。・・・何でお前、家でなんかしてこのゲームに参加したんだ?」

 俺はルノが拒否したのも構わずに質問した。

 なにしろ、このゲームに勝った時、契約種が得られるのは『生活の安定』。

 ところが、ルノの家は元から安定していたはずである。生活が安定している者が安定を得るために命を懸ける。どう考えても釣り合わない。だから、どうしても気になってしまったのだ。

「よくないと言ったじゃろ」

 あきれたようにそう言い、部屋へ行こうとするその背中に向かって俺は言った。

「まぁ、気にするな。で、質問に答えてくれないか?俺にはお前が必要なんだ」

 ルノは顔を赤くしながらも小さく頷いた。

「奏太は我の家、ワーペル家についてどのくらい知っとる?」

「そうだな、悪魔族の中でも大きな貴族で、生まれた子は親の見つけた見合い相手と結婚することを義務付けられる。それくらいだ」

 悪魔について調べたことはないが、このくらいはアーウェルサの一般常識でありみんな知っている。

「あってはいるが、最も重要なことが欠落しておる。ワーペル家の子は英才教育を受けさせられ、家の敷地から出ることを許されないのじゃ」

 ふむ、英才教育?出ることを許されない?

「我が英才教育を受けたことを疑っとるな?」

「そりゃ歴史がダメそうだったからな」

「歴史は苦手なだけじゃ。他は大体できる。あと、ムジナが我を連れ出すこともあったから家の決まりはそこまで厳しいものでもなかった」

 家の決まりとしてそれでよかったのだろうか。もうちょっと厳しくしなければルノに何か危険が迫ることもあっただろうに。

「しかし、17年前にムジナは我のもとへ来ることが出来なくなった」

 俺が人間界に来る原因を作ったあの事件のことか。さすがにワーペル家の方も対応をしたのか。

「それで退屈になってこっちに来たのか?」

「いいや、違う」

 全てを分かったような気がしてどや顔で言ったがために否定されるとものすごく恥ずかしい。

「退屈じゃったのは確かじゃが、そこまで外へ出たかったわけでもない。人間界に行けるとの情報を得て飛び出しただけじゃ」

「まさかお前も人間が好きとか言い始めるのか?」

 エストやディーテのように、こいつもなのか?

「まぁ、食用として好きじゃった」

 ・・・その言葉だけはルノの口から聞きたくなかった。

「人間の肉は高級品で、とても美味じゃったからな」

 そういえば向こうでの人間の認識と言えば食糧もしくは労働力程度にしか見られていない。

 あの神達のように憧れる奴の方が少ないのが現状だ。

「人間界に行けば自分の好物を食べられると思ったんじゃが、まさか契約した人間と好みが一緒になるとは思いもしなかった」

「俺は今、初めてお前のことを恐ろしいと思ったよ。え、何?お前は人を食べるためにこっちに来たんだな?」

 最終確認をしたがルノは何も言わない。嘘なら嘘で笑いあえる。

「・・・何か言えよ」

「だって事実じゃし」

 うつむくルノに対して俺はため息をついて言った。

「今はどうなんだ?」

「え?」

「今は?と聞いたんだ。好みが俺と一緒になっている今でも人間を食べたいと思っているのか?」

「今は、正直よくわからないんじゃ。契約中の好みは一緒じゃ。けれども、1度契約が切れた時には食べたいと思わなかったし。うむ、今も食べたいとは思っておらん」

「なら安心だな」

 ゲームが終わるまでルノと契約を切る予定もない。

 と、ルノが大きくあくびをした。

 時間を見ると日付はとっくに変わって2時を過ぎたところ。

 明日、いや今日も普通に学校がある。ルノはもう寝た方がいいだろう。

「・・・奏太は?」

「ちょっと散歩してくる。なんか、眠くなくてさ」

「気を付けての」

「おう。お休み」

 俺はそう言うと窓から飛び出した。

 別に疲れていないわけではない。なのに眠くはない。

 特に行き先を決めていたわけではないが、俺は札幌の西側にある山小屋へと向かった。

 とある戦闘で1度壊れてしまったが修復された山小屋。

 人は誰もいなく静かだ。

 半袖短パンで出てきたため少し肌寒いが、空気が澄んでいてとても落ち着いた。

 山小屋の屋根に座り2,3度深呼吸をして満点の星空を見上げた。

 ・・・ディーテやシュミルの登場で天使族であった頃のことを多く思い出した。別に今まで忘れていたわけではない。ただぼんやりと頭の中に存在していた。それがはっきりしただけだ。

 ただ、1つだけ霧が晴れずにいるところがある。

 俺が兵長から秘書官へとなった経緯だ。

 ルノには実力でなったと言ったが、それは真実ではない。

 実際はエスト、神の命で秘書官になった。

 それは幼馴染だったからなのか、何か事情があったからなのかがわからない。それに、兵長をどのようにしてやめたのかもわからない。

 どうにか記憶を呼び覚まそうとしたその時。

 黄色の魔法陣が俺を囲んだ。

「しまった」

 なんとか脱出しようと体を動かす前に魔法陣が発動し俺の体を光が包み込んだ。




 目を開けるとそこは夜の山小屋ではなく、青々とした草原が広がっていた。

 遠くにはうっすらとだが島が浮いているのが見える。

「ここは、アーウェルサ?」

 地球にあんな自然物は存在しない。

 俺はあたりを見渡した。

「ん?あれは?」

 小高い丘の上に1人の人影が見えた。

 背中から大きくて立派な白い翼が生え、頭上には光の輪が浮かんでいる。

 そして何よりも、その顔には見覚えがあった。

「・・・過去の、俺」

 と、なるとここは俺の記憶の中?

『トリア!早くこっちへおいでよ!』

 突然女の子の声が過去の俺を呼んだ。

 今いるところから声の主は見えないため、丘の反対側にいるようだ。それにしても聞き覚えがある声だ。

『エル!そんなに走ると転ぶぞ!』

 そう言って過去の俺が丘の反対側へと消えた。

 ・・・エル?

 俺はその存在を確認しようと丘の反対側へと移動した。

「あいつは、・・・『エル・ネミナス』」

 その名を呟いた瞬間。俺はすべてを思い出した。

 度々きこえてきたあの声もエルのものだ。

 俺よりも頭2つほど小さな身長に白髪ツインテールの女の子。

 それが天使族女王の娘であり、天使族の姫、エル・ネミナス。

 俺はこの後どうなるのか知っている。けれど、目の前の2人は事の結末を知らず、実に楽しそうに談笑している。

 トリアはあぐらし、エルはその上に座る。

『ねぇ、トリア。あの島って』

 そう言ってエルが指差しているのはビル群の並ぶ1つの島。

『商業島コメレスだな。それがどうかしたか?』

『1度でいいから行ってみたいなって思ったりした』

 そう無邪気に言ってエルは笑う。

 一方でトリアは困ったような顔をしてから、

『お前が大人になったら、連れて行ってやるよ』

『本当!?待ってて!すぐ大人になるから!』

『すぐにはなれなぇよ』

 と、トリアは苦笑し、エルは楽しそうに笑い立ち上がった。

 そして、島の端の方まで駆けていく。

『ほら、走ると危ないぞ!』

『大丈夫だよ!何かあってもトリアが直してくれるでッたい』

 案の定エルは転び、トリアが駆け寄る。

『だから言っただろ。じっとしてろよ、『ミニキュアー』ほら、治った』

『ありがとう!』

『いい加減、自分で治療できるようになれよ。お前も天使族なんだし、俺だっていつでもいるわけじゃないからな』

『トリア、いなくなるの?』

『立場上、いずれはな』

 そう言ってトリアは少しだけ寂しそうに遠くを眺めた。

『じゃあ、トリアがいるまで甘えさせてもらおっと』

 エルはトリアの後ろから抱き着いた。

『俺がいなくなるまでに覚えてくれないといなくなりにくいな』

『じゃあ、覚えない!』

『いや、天使族としてちゃんと覚えてくれ』

 2人は楽しそうに、幸せそうな顔をしていた。

 けれども、そんな幸せな日常は5分も経たずに崩壊した。

 トリアはとある気配に気づき空を見上げた。

 視線の先にあるのは3つの影。

『あいつら魔族か?天使族の領域にシュミル以外の魔族が来るなんて珍しいな。・・・おい!お前ら何の用だ?』

 しかし返事はなく、代わりに火の矢が1本飛んできた。

 地面に刺さった火の矢はあっという間に草原を燃やしつくし、あたりは火の海に包まれた。

『エル、お前はちょっと下がってろ』

 トリアは腰に下げた愛剣、エクセリオンを引き抜き、魔力を流し込んだ。

 今思えば、この選択がまちがいだった。戦わずにエルを連れて逃げていれば・・・そんなことを考えたところで過去は変わらない。

 トリアは翼を使って飛び上がると、魔族と戦闘を開始した。

 エクセリオンによって切られた魔族は浄化され、当時兵長だったトリアにはなんて事のない相手、のはずだった。

 トリアを狙った矢が1本、地面にいたエルに当たり爆発を起こした。

 ここで場面は切り替わる。

 トリアは体中から血を流し息もしていないエルの体を抱きかかえた。

 すでにあたりの火は消え、焦げ臭いにおいがあたりに立ち込めていた。

 こんな記憶、思い出したくなかった。

 トリアは自分の持てる魔力を使いエルの傷を治した。

 しかし、

『傷は治せても、一度失った命を吹き返すことなんて俺にはできない』

 トリアは泣いた。

『聖魔大戦の時もそうだ。大きなものを守ったところで、小さいものを守れないのなら意味がない』

 俺も泣いた。戦うことを選んだことを後悔して泣いた。

 そして、

「『うおぉぉぉぉぉぉお!』」

 2人の俺が雄たけびをあげ、現実世界へと戻された。




 目を開けると2人の妹と紗奈が心配そうに顔を覗き込んでいた。

「奏太!大丈夫か!?」

 一応体に異常はないようだ。

「とりあえず大丈夫かな」

 精神には相当なダメージが入ったがそれ以外は特に問題ない。

 時間を確認しようと体を起こすと、紗奈に抱き着かれた。

「ばか、ボクを心配させるな」

「悪かったよ。・・・って、何でお前がここにいるんだ?」

 紗奈を俺の体から離し、そんな疑問が浮かんだのだった。

 昨日振ったばかりだというのに。それだけ想ってくれているのか。心が強いのか。精神が弱っているだけに涙が出そうになる。

「何でって、ボクが道端に倒れていた君をここまで運んできたんだ。君はボクにもっと感謝するべきだよ」

 偉そうな態度は一旦置いておくとして、俺が道端に倒れていた?

「俺は山小屋にいたはずなんだが」

 そう言うと紗奈は首を傾げた。

「うーん。確かに山小屋へと続く道の途中に倒れてはいたけど。寝ぼけてたんじゃないか?」

 そうなのだろうか。確かにさっきまで見ていたものはまるで夢のようだった。けれどもあれは俺が実際に経験したことだ。

「まったく。我と一緒に寝ていればよかったものを」

 返す言葉もない。あのタイミングで俺も寝ていれば、いや、それだと俺は過去を思い出すこともなかっただろう。

 結果として、心をえぐられることにはなったが、気になっていたもやもやが晴れたので、よかったと言えるだろう。

「そうだ。時間は?」

 時計を探す俺に優衣が目覚まし時計を見せる。

「・・・まだ7時前」

「そうか、ありがと」

 優衣は横に首を振った。

 気にしなくていい、ということだろう。

「なぁ、奏太」

「何?」

「何があったんじゃ?」

「・・・ちょっとな」

「そのちょっとを聞いとるんじゃが」

 さすがに引いてはくれないか、

 俺はため息をついてから言った。

「詳しくは言えないが、誰かが俺に魔力を使った」

「何の魔力じゃ?」

「『マインドコントロール』だろうな。過去の記憶を見せられるのは俺の知る中では他に『メニキュレイトタイム』だけだし。後者はメチにしか使うことできないからな」

「過去を見せられたじゃと?」

「あぁ、詳しくはまた今度な。さっさと朝食を済まして学校に行く準備をしなきゃなんねぇからな」

 ベッドから体を降ろしリビングへと向かう。

 卵とハムを焼き、トマトとレタスを盛りつけ昨日のあまりの味噌汁を温めるだけの簡単な朝食。

 それを作る間は考え事をするのに向いている。

 俺に魔力を使ったのは誰なのか。特定することは難しい。

 今の人間界には魔力を使える奴が多すぎる。

 コントラクターとその契約種。ディーテのように向こうからこちらにいている奴も少なからずいる。

 やはり、ディーテなのだろうか。空間を操る魔力を使えば俺に近づくことはできる。『マインドコントロール』も使える。

 けれども、今回に限っては違う気がする。

 俺がつらい過去を思い出したところで奴には何の得があるというのだろう。むしろ、思い出させることによって精神を弱らせるというのなら方法は他にもいくらでもある。

 他の誰か、俺が過去を思い出すことによって得をするような奴。

「まさか・・・エル?」

 いや、あいつは死んだんだ。ありえない。

 だめだ。どんなに考えても答えが出ない。

『答えがあると思うからいけないんだよ。たとえ違ってもいいから出てきた答えを1つの答えとして確立させちゃえばいい』

 昔エルから言われた言葉が頭を横切る。けど、それじゃあダメなんだよ。じゃなきゃ、俺はまた誰も守れない。

「奏太!卵が焦げる!」

「え、あ!やっべ!」

 危ない、紗奈に声をかけられなければ考えすぎて卵を真っ黒にするところだった。

「ボクがいなきゃ危なかったね」

「・・・お前のすぐ偉そうにする性格はどうにかならないのかなぁ。決して本人には言えないけど」

「ねぇ、奏太。わざとだよね。ばっちりボクの鼓膜に響いているんだけど。もうちょっと感謝してくれてもいいじゃないか」

 ほら、また偉そうにする。

 ・・・まぁ、今回は感謝してもいいか。家に運んだのはこいつらしい・・・し?

「なぁ、本当にお前が俺のことを運んだんだよな?」

 そう聞くと、紗奈は不思議そうに首を傾けた。

「さっきからそう言っているだろう?腕っぷしには自信があるんだ。何なら腕相撲でもしてみるかい?」

「いや、しないけど。どうせ俺が勝つだろうし。・・・ってそうじゃなく、朝早くから外を出歩いていたのか?」

 俺がどのタイミングで家に運ばれたのかは知らないが、体温が正常に近いことから遅くはないのだろう。

「ボクだって朝に散歩することくらいある。むしろ、昨日振られた女の子が何ともないわけないだろ?」

 これには納得しかねない。

 見た目は凄く普通。心を読む気にはなれない。

「まぁ、悪かった。そして、ありがとう」

「お礼を言われるのも、悪くないね」

 ボソッと紗奈が言うのを俺は聞きとることが出来なかった。

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