第1章~詠唱術をマスターせよ~

「いいか?勝手なことをするな。むやみに心を読むな。わかったか?」

 俺、堀井奏太は目の前に座る悪魔、ルノに向かって言った。

「別に構わんが、心を読むなというのは無理な話じゃな。我が意識しなくてもその能力は発動してしまう」

「じゃあ、もし人が考えていることを知ってしまったらそれはなかったことにしろよ?人は誰しも知られたくないことはあるからな」

「了解じゃ」

 いつになく素直なその態度に俺は首を傾げた。

 ・・・まぁ、素直なのはいいことだろう。

 今日から新学期。

 本当はルノには留守番をしてもらおうと思ったのだが、行くと聞かないので連れていくことにした。

 俺の通う『札幌潮ノ宮学園』は生徒の自由を尊重し校則がないに等しい。そのくせ、学力は全国でもトップクラスという異様な学校だ。

 そこの生徒の中には自分のペットを連れてきたリ、ゲーム機を持ち込んだりする生徒もいるため、俺がルノを連れて行っても問題はない、はずだ。

「・・・お兄ちゃん。そろそろ」

「そうだな、行くか」

 俺は妹、といっても血は繋がっていないため義妹と言った方がいいのかもしれないが、家族であることには変わりない神谷優衣に手を引かれ玄関に向かった。

 北海道は今、平和であるものの、他の地域では殺し合いゲームが行われている。

 俺もと優衣もその身をゲームに投じ、なんやかんやで優衣は俺の妹になった。

 本来ならゲームに専念した方がよいのだろうが、俺は人間であり学生だ。

 楽しい学校生活が始まるのだ。ゲームなんかしている場合ではない。

 俺はルノとカバンを背負い、優衣の手を取って学校へと向かった。

 札幌潮ノ宮学園は家から徒歩10分ほどのところにあり、優衣の通う小学校はその通り道にある。

 さらに、小学校から高校へ向かう道すがらに中学校もあるため、通学路はいつも人でいっぱいになる。

 例のゲームのおかげで顔写真が公開され有名人となった俺は特に何事もなく優衣を小学校まで送り高校に着いた。

 俺の予想だともっと指を差されたり囲まれたりといったことが起きると思っていたが、何も起こらなかった。

 俺は自分の思っているよりも有名人ではないのか。

 そんなどうでもいいことで俺は心をへこませ、自分のクラスである2年A組のドアの前に立っていた。

 なぜか変に緊張している。そんな必要は全くないのに。通学路でそのことは証明されているのにもかかわらず、俺は囲まれるんじゃないかと不安と期待を半分ずつ織り交ぜた複雑な心境だった。

「なんじゃ?入らんのか?」

 背中のルノに促された俺は、

「入るよ」

 とだけ言い、俺は決める必要のない覚悟を決め教室のドアを開けた。

「奏太、おはよ」

 入り口に一番近いところの席である女子が俺に気付き挨拶をしてきた。

 天城由香だ。夏休みの時に少しだけコンタクトをとった茶髪ポニーテールの女の子。

「おはよ」

 俺は挨拶を返しその前を通り過ぎようとする。

「あ、その子がルノちゃん?」

 俺の背中が影となり姿を隠していたルノの姿を見て由香は声を上げた。

「ワーペル・ルノじゃ。ふむ、お主が例の・・・」

 ルノは由香を一瞥しぶつぶつと何かつぶやいている。

 由香は4年前に不可解な事件に巻き込まれその相談をルノにしていた。どうやら俺も関わっているらしいのだが、記憶がないため何とも言えない。

「小さくてかわいいね。撫でてもいい?」

 そう言って由香はルノを撫でようと手を差し出すが、それを拒んだルノは持ち前の浮遊能力でよけた。

 が、それがいけなかった。

「あ、飛んだ」

 その由香の一言でクラス中の視線が俺に、というかルノに集まった。

「奏太だ」

「あの子可愛い」

「ロリコーン!」

「主様ー!」

 などなど、口々に笑いながら言われる。一つだけ訂正させるなら俺はロリコンではない。断じてだ。それに、ルノの見た目は幼稚園児に近いものの実際は500年以上生きている。

 異世界、アーウェルサでの500年は人間で言うと成人を迎える年だ。

 まぁ、それだけ生きていて見た目はロリッ子なのだから、好きになった瞬間にロリコン扱いされるのは不可避だろうが、今のところそうなる予定はない。

 そんなことを考え、同級生からの質問を適当に返して俺はようやく自分の席である窓側一番後ろの席に着いた。

「お疲れだな。奏太」

 隣に座る男がにやにやしながら言ってきた。

「はぁ、拓斗か。お前が俺のことをロリコン扱いしてきたことを俺は忘れてないからな?」

「なんだばれてたか」

 そう言って笑う黒髪の男。

 住澤拓斗。中学2年3年、高校でも2年連続同じクラスになった俺の数少ない友達である。

 事あるごとに俺をロリコン扱いし、ゲームが始まってすぐにも俺をロリコン扱いし襲ってきた。一応クラスのムードメーカー的存在である。

「それにしても。大変だったなぁ?」

 左手にある黒い模様を見せながら拓斗は言った。

 夏休みが始まってすぐにゲームが始まり、俺はルノと契約し人ならざる力を得た。

 それは俺だけではなく優衣もそうだ。

 アーウェルサの住民と契約した人間は『コントラクター』と呼ばれ、アーウェルサに行くために人を殺して地球を征服する。

 コントラクターによって殺された人間は死なずに下僕となる。しかしコントラクターがコントラクターを殺しても下僕とならず死ぬらしい。

 らしいというのは、俺は人間を殺すのに抵抗を持ち契約種を殺している。そして、人間に戻ったコントラクターをルノが殺すという方法で征服を進めているため実際に見たわけではない。

「で?あれがお前のペアか?」

 どうやら拓斗は俺を殺そうとしていたことを忘れているらしい。

「そうだよ」

 俺はクラスの女子に囲まれているルノを見て言った。

「やっぱりロリコ」

「それ以上言うとその整った顔の原型がなくなるまで殴るぞ?言っとくけど俺があいつを選んだんじゃなくてあいつが俺を選んだんだ。勘違いするな」

「はいはい、分かったよ」

 拓斗はそう言うと、別の男子に呼ばれ席を立った。

 そのタイミングを待っていたのか、今度は2人の女子が近づいてきた。

「おはよう!下僕よ!」

 下僕はお前だ。という突っ込みをおさえて応じる。

「おはよう。紅、桃」

 鬼月紅と鬼月桃は双子。

 姉の紅は赤髪で妹の桃はピンクの髪。

 髪色がカラフルなのは染めたわけではなく生まれながらの物。最近では別に珍しいことでもないし、むしろそのおかげで一卵性の双子の見分けがつきやすくて助かる。

 この双子に限って言えば性格が全然違うから髪色が同じでも区別はつくだろうが。

 姉の紅は、赤髪ショートヘアー。左目を前髪で隠し、活発だが中二病を患っている。

 妹の桃は、ピンクのロングヘア―。前髪はぱっつんで、おとなしい常識人。全く真逆である。

「なぁ、紅」

「なんだ?」

「中二病を患ったお前が悪魔であるルノに興味を示さないなんて意外だな。俺に何か用か?」

「私はお前が持っているという特殊能力というものに興味があるのだ。ぜひ私に見せてくれよ」

 興奮して前かがみになる紅に気おされ俺は仰け反った。

「お姉ちゃん、ダメだよ?奏太君困ってるよ?」

 桃が止めに入り紅は姿勢を正した。

「機会があれば見せることにするよ。今はさ、普通の人間として扱ってくれないか?」

 俺も姿勢を戻して言った。

「しかたないな。絶対に見せてもらうからな!」

 そう言って紅は自分の席に戻った。

「ごめんね、奏太君」

 桃は申し訳なさそうに言い、俺の右斜め前、つまりは拓斗の席の前に座った。ちなみに、紅の席は桃の前だ。

 1クラス30人。座る場所は自由だ。これもまた、生徒の自由を尊重するという校風の表れだった。

 制服もあるが大半の生徒は私服。唯一、学年ごとに色の違うバッチをつけることと、指定の上靴の着用だけが校則として定められている。

「奏太ー!」

 やっとゆっくりできると思った俺のもとにルノが泣きながら突進してきた。

 重たくない衝撃を脇腹に受けルノに問う。

「どうした?お前が泣くなんて珍しいな」

 よっぽど嫌なことあったのだろう。ルノは泣きじゃくる。

 またクラスの視線が集まっていた。

「ほら、話せ。言わなきゃわかんないから」

 出来るだけ優しく言うように心がけもう一度ルノに問う。

「ひっぐ。みんなが、我を。うぅ。幼女扱いするんじゃ!」

 そう言ってさらに泣きじゃくるルノ。

「・・・」

 さすがの俺も黙るほかなかった。

「奏太からもなんとか言ってくれ!」

「・・・今に始まったことじゃないだろ」

 その言葉にルノはさらに泣いてしまった。

「あーもう、そんなことで泣くな。今晩は奮発するから」

「・・・本当か?」

「あぁ、本当だ」

「・・・わかった」

 泣き止んだ。なんてちょろい。

 とりあえず、後でルノを泣かした奴をしばこう。

 ルノを膝に乗せ密かに決意していた時だった。

 黒板の前にある教壇に1人の女性が立った。

 担任の五十嵐美花だ。

 年齢は20歳と言っていたが、普段の言動から25歳くらいだろうと俺は見ている。

 美花は大きく息を吸い込み静かになった教室に向かって言った。

「みなさん!おはようございます!」

 そのタイミングでチャイムが鳴り、朝のホームルームが開始となる。

「長いようであっという間だった夏休みも終わり。充実していましたか?中には大変なことに巻き込まれた子もいるようですが」

 これ見よがしに左手の甲を見せて俺を見ながら言わないで欲しい。

「何はともあれ、新学期をクラス全員で迎えることが出来て先生は嬉しいです。さて、そんなクラスに今日は転校生が来ていまーす!」

 転校生という言葉にクラスはオリンピックが決まったかのように大騒ぎになる。

 そんな中俺は、こんな時期に転校生?と思ったが、そういえば優衣もそうであったことを思い出し一人苦笑していた。

「それじゃあ、入っておいで!」

 美花の言葉と同時に教室ドアが開き、長身青髪ショートヘアーの女の子が静かに入ってきた。見た目は凄くボーイッシュだ。

「おい奏太!美女だ!胸も大きいぞ!」

 確かにスタイルがいいし胸もある。美人ではあるが、

「なんか、苦手かも」

「そりゃ、奏太がロリコンだから」

「とりあえず黙ってろ」

 拓斗を黙らせ、俺は転校生をじっと観察した。

 何が苦手と感じるのか、それは分からなかった。

「それじゃあ、自己紹介してくれる?」

「はい」

 美花の言葉に小さく答えると、黒板に名前を書き始めた。

「柊紗奈です。親の転勤でニセコから来ました。よろしくお願いします」

 と、ペコリとお辞儀する。

 隣含め多くの男子がその姿に見惚れていた。

「それじゃあ好きな席に座ってね」

 と、担任が促す。

 30人クラスに空席は10席。ただし欠席はなし。

 俺がルノを連れてきたように、いつだれが来てもいいように空席が用意されている。

 転校生は迷うことなく俺の前に席に座った。

 他に開いている場所といえば一番前の列しかないわけだが、俺が観察していることがばれたか?

 転校生もこちらを見ていたような気がするのは自意識過剰すぎるか。

 俺の前に座る転校生からは果物のようなフルーティーな香りがした。


「付き合ってくれませんか?」

 自由な校風と雖もテストは存在する。

 新学期初日の今日の午前中はすべてテストに費やし迎えた昼休み。前に座る転校生が振り向き際にそう言ったのだった。

「・・・なんで俺?他にも女子がいるだろ?」

 というのは建前で、できるだけ目立ちたくなかった。

 現に、転校生というだけでもクラスの注目を浴びているのだ。

「お願い」

 断っても無駄。俺はそう判断し付き合うことにした。

「わかったよ」

 そう言うと、紗奈は教室から出て言った。

 どこへ行くつもりだろう。

「ルノ、お前は弁当を食べて待ってろ。桃、ルノのこと頼む」

「了解じゃ」

「うん、わかった」

 俺は教室を出た。紗奈は教室をでてすぐの角で待っていた。

「で、なんで俺なんだ?」

「あなたが使いやすそうだったから」

 失礼な奴だな。

「私は柊紗奈」

「うん。さっき聞いた」

「あなたは?」

「俺?俺は堀井」

「奏太。知ってる」

 じゃあなんで聞いたんだよ。

「それで?何に付き合えばいいんだ?」

「学校のこと。まだよくわからないから」

「はぁ、わかったよ」

 そう言うと同時に首筋に冷たいものを感じた。

「・・・何の真似だ?」

「さぁ、なんでしょう」

 紗奈の手に握られていたのはバッティと呼ばれるアーウェルサの万能包丁だった。

「お前、何者だ?」

「ボクが何者かなんて今はどうでもいい」

 ボ、ボク?

「さぁ、早く学校を案内してよ」

 教室からは一転。雰囲気が変わった。

 ニセコ町、確かスキーで有名な町。そこからの転勤ならば俺の下僕であることは間違いないだろう。

「なんでお前は俺を攻撃できる?下僕は主に攻撃できないはずだろ?」

「へー、そうなんだ。まだ攻撃はしていないよ。けど、ちょっと試したくなった」

 そう言って紗奈はバッティを構えなおし俺の腕を切り裂く・・・ことはなかった。刃が刺さることなく止まっている。

「へー、本当だ。さて、お腹もすいたし早く案内してほしいな」

 そう言ってバッティをポケットしまう。

 何者かについては後で端末を使って調べるとして、危険がないこともわかったので学校を案内することにした。

「まず、お前はどこに行きたいんだ?」

「食堂ってある?」

「1階にあるな」

「じゃあ向かおうか」

 紗奈は歩き出すが、

「お前、場所分かんのか?」

「いいや知らないよ?そのための君だろう?」

 つくづく偉そうなやつだ。

 札幌潮ノ宮学園は真上から見ると正方形になっている。中心には噴水のある中庭が作られている。

 玄関があるのは下の辺の中心あたりにあり、その上の階に各教室が並んでいる。

 2階に1年、3階に2年、4階に3年生の教室がある。

 左の辺には部室、右の辺には科学室や美術室といった特殊教室。上の辺には購買や食堂、3,4階に図書室が作られている。

 補足すると、階段は各角にらせん階段が作られている。体育館は校舎の右側の辺と渡り廊下でつながっている。

「ふむ、説明感謝する」

「おう、じゃあ俺はこれで」

 そう言いって案内という名の説明を終えた俺は教室に戻ろうとする。

「待て待て。どこへ行く気だい?ボクと一緒に昼食を食べるまでが君のミッションだろう?忘れたのか」

「そんな約束した覚えはないな。・・・お前、何か企んでないか?」

「そんなわけないだろ。ほら、もう食堂に着くぞ?ここまで来て帰るのか?」

「わかったよ。行けばいいんだろ行けば!」

「騒ぐな」

 誰のせいだと思ってるんだよ。そんなことを言ってもこいつにはうまくかわされる気がするが。

「なぁ奏太」

「なんだ?」

「おすすめは?」

「そうだな。あまりここには来ないけど。豚の」

「醤油ラーメン2つ」

 聞けよ。って、

「お前2つも食べる気か?」

「まさか。奏太も食べるだろう?」

「まぁ、そうだな」

「じゃあ奏太700円」

 当然のように2つ分の代金を要求する紗奈。

「・・・お前お金ないのか?」

「忘れた」

 何しに来たんだよ。いや、おごらせるのが目的か。

「転入祝いってことで今回はおごってやる」

「悪いね」

 絶対思ってないな。そう考えながらお金を払う。それと引き換えに番号のついたカードを渡される。テーブルにも同じように数字が書かれ、カードと同じところに座るという仕組みで、作られたものが運ばれてくる。

 学生でごった返す食堂で空席がない理由はここにある。

 指定された席に紗奈と向かい合って座る。

「なぁ紗奈。さっきのバッティさ、何処で手に入れたんだ?」

「わからない。気づいたら持ってたよ。どうやら、君のようなコントラクター?を殺すものらしいな」

「ふーん。それ、俺にくれないか?もう必要ないだろ?」

「お断りだ。切れ味のいい包丁を簡単に手放してなるものか」

「あっそ。じゃあいいや」

 今度隙を見て盗むことにしよう。

「あ、そうだ」

「まだ何かあるのか?奏太は質問が多いな」

「転校生が質問攻めにあうのはよくあることだろ。お前さ、何で口調を変えたんだ?」

「ん?あぁ、そんなことか」

 そんなことって。

「本来ならお嬢さまキャラでいたいのだが、ずっとそれだと疲れてしまうからな。今の口調の時が本当のボクさ。クラスでは口調を変える。驚かせてすまない」

「いや、別にいいけど。けど、何のために?」

「キャラ作りというやつさ。君が気にするようなことでもない」

 十分気にはなるが、ラーメンが運ばれて来たことにより会話は中断される。

「ふむ、うまいな。うちのシェフのメニューに入れてもらうのもいいかもしれない」

「何か言ったか?」

「いや、何も。おいしいなって」

 そう言ってラーメンをすする紗奈。シェフって聞こえたのは気のせいだろうか。もしかしてお嬢様だったりするのだろうか。それも含めて後で調べておこう。

「なぁ紗奈」

「なんだい?ラーメンを食べるのに忙しいんだけど」

「とりあえず聞け。なんで俺にはキャラを崩したんだ?」

「君は約束を破ることのできない男だ。キャラのことを黙っていろと頼めば黙っていてくれそうだ。人を見る目は自信があるんだ」

 人じゃないんだけどな。

 ・・・なんか前にも似たやり取りをした気がする。けれど昔すぎて覚えていなかった。

「どうした奏太?おいしくなかったか?」

「いや、何でもないよ。それにおいしい」

 覚えていたからどうというわけでもないし今まで忘れていたくらいだから重大なことでもないのだろう。

 そう解釈し俺はラーメンをすする。その時だった。

「おばちゃん!お願いします!」

 大きな女の子の声が食堂に響いた。見ると、食堂のおばちゃんに向かって頭を下げている女子生徒の姿が。

「あれはよくあることなのか?」

 紗奈が興味津々に聞いてくるが、

「そんなわけないだろ。ちょっと行ってくる」

「なんだ?トイレか?」

「この話の流れでどうしてそうなるんだよ。困っている奴は放っておけないんでな」

「お人好し」

「好きに言ってろ」

 そういって俺は席を立ち、いまだに喚いている金髪の女の子のもとへ近寄る。

「何か困っているのか?」

 驚いた顔で振り返る女の子。胸のバッチは赤色、1年か。

 女の子もまた俺の胸に着いた黄色のバッチを見て口を開いた。

「先輩?えっと別に困ってはいないです。むしろナンパされて困ってます」

 ナ、ナンパ?俺はそういう扱いになるのか。と、女の子のお腹がなった。

(はぁ、ナンパされた挙句お腹が鳴ったのも聞かれちゃった。財布も忘れてきたし転校初日からついてないなぁ)

 この子も転校生か。

「何が食いたい?言え」

「え、でも」

「良いから。俺の気が変わる前に早く決めてくれ」

 女の子は戸惑った様子で注文した。

「えっと、豚の生姜焼き定食で」

「はいおばちゃん500円。ここの生姜焼きはうまいぞ」

「あ、そうなんですか?えーと、ありがとうございました!私は黒谷絵美と言います!ってなんだか見覚えのあるような。って、ああ!」

 俺の正体に気付いたらしい絵美が声を上げた。忙しいやつだな。

「本当にありがとうございました!このご恩は忘れません!けど私のことはどうか忘れてください!それでは!」

 そう言って立ち去る絵美。

 名前まで聞いといて忘れろというのは無理な話だ。そう思いながら紗奈のいる席へと戻る。

「・・・お前、俺のラーメン食ったな?」

「ごちそうさまでした」

 俺のどんぶりにはつゆすら残っていなかった。

「伸びそうだったから。さて、お腹も膨れたことだしそろそろ戻ろうか」

「もう勝手にしろ」

 俺は半ばやけになりながら教室に向かって歩き出した。

 教室へ戻った紗奈は案の定クラスの女子に囲まれ質問攻めを受けていた。その姿はさっきまでの無表情ではなく、感情がしっかりと表に出ていた。

「で、お前は何をしているんだ?紅」

「フ、悪魔の力を私に取り込んでいるのさ」

「それでルノに抱き着いているのか」

 ドヤ顔でルノを抱きしめる紅。ルノも別にまんざらでもなさそうだし放っておいても良いか。

 俺は自分の机で突っ伏す。

 柊紗奈。今までかかわったことのないような新しい人種で正直困惑している。

 人間にしては何か異様な気がしてならない。

 コントラクター、ではないだろう。すぐに俺を殺さない理由もないし、何よりバッティの刃が通らなかった。

 ゲームが始まった時にもらったスマホによく似た端末を取り出す。

 その中の『サーチ』機能。人間界とアーウェルサで集められた情報が集められ、個人情報まで調べることのできる便利ではあるが犯罪臭がプンプンする検索ツールだ。

 柊紗奈と入力し結果を確認する。

『柊紗奈。高校2年生。女。幼少期から何事もなく平穏に過ごす。元の主は高島玄魔。現在の主は堀井奏太』

 うーん。やっぱり普通の人間か。俺が疑いすぎたようだ。

 それにしてもこの住所はもしかして。

「奏太!」

 いきなり頭に小さな衝撃を受けた。

「なんだ、ルノか」

「なんだとはなんじゃ」

 そう言ってルノは俺の頭をポカポカと叩くが全く痛くない。

「昼休みが終わったのか」

 全員が自分の席に着き周囲の人と話している。

 ルノもここが定位置と言わんばかりに俺の膝の上に乗る。正直、邪魔。テストにも集中できなかったが連れてきたのは俺なので我慢することにする。

 騒がしい教室に担任が入ってきた。

「よーし。ホームルーム始めるぞ!今回の議題は3週間後に控えている学校祭についてだ」

 学校祭。そういえばそんな時期だったか。

「なぁ、奏太。がっこーさいとは何じゃ?」

 ルノが振り向きながら聞いてくる。

「一言でいえば祭りだな」

「何!?祭り!?祭りをするのか!?」

 祭りに反応して興奮してしまった。

 そう言えばこの間祭りに行ってその味を嚙み締めたんだった。

「とりあえずいったん落ち着け。目立ってるから」

 クラスの全員がこちらを見てにやにやしていた。

「あーもう!さっさと進めて!」

「はいはい。それじゃあ、クラスで何をしたいのか話し合って。あとは奏太に任せる!」

 はぁ?

「なんで俺?」

「目立ってるから!」

 いつになく雑な担任は笑顔でそう即答した。


 潮ノ宮学園の学校祭は3日間。それに前夜祭が加わる。

 前夜祭については生徒会が企画するものなのでクラスで決めることはない。

 1日目も、個人でバンドを披露したり、生徒会の企画を行ったりするためこれもまたクラスで決めるようなことはない。

 2日目にうちのクラスは劇。3日目に模擬店を行う。

 つまり、決めるのはこの2点だ。

 まずは劇についてだが、

「演劇部っていたよな?」

 教壇に立つ俺はそう言ってクラスを見渡す。

 すると、1人の茶髪男子の手が挙がった。

「よし、それじゃあ劇はお前に任せる」

「え」

「それじゃあ、次は模擬店だが・・・ん?どうかしたのか?」

 演劇部の男子が何か言いたそうにこちらを見ていた。

「いや、任されるのは別に構わないんだけどさ、僕は何をすればいいの?」

「脚本作ってくれ。今まである作品はダメらしいからな。なんなら、配役も決めてくれて構わないぞ。演劇部のいうことならみんなも文句はないだろ」

 それに肯定するように多くの生徒がうなずいた。

「わかったよ」

 これで問題は1つ解決した。

「それじゃあ模擬店の話しな。何かやりたいものあるやついるか?」

「お化け屋敷」

「コーヒーカップ」

「ファ〇マ」

「観覧車」

「カフェ」

 とりあえず聞こえたものをすべて黒板に書きだした。

「一人ずつ言えよ。あと、ファ〇マはダメだ」

「え、じゃあセ〇ン」

「そう言うことじゃねえよ。コンビニから離れろ。ほら、他にないか?」

 元からある店をパクるのは禁止されている。お化け屋敷やカフェのようにざっくばらんとしているならまだしも、コンビニ名を出されては行うことはできない。

「奏太!」

「どうした?ルノ」

 満面の笑みでルノが手を挙げていた。

「出店じゃ!出店をするんじゃ!」

「はい他」

「無視するんじゃない!」

「意見は生徒からのみ受け付けまーす。はい、次」

 意外なことに紗奈が手を挙げていた。

「はい紗奈」

「出店」

 クラス中でどよめきが起こった。

「よく言った!」

 とルノは喜んでいるが、

「後ろの悪魔に言わされてたりしないか?」

「大丈夫。ちゃんと私の意思だから。たまたま被っただけ」

 それを聞いて俺は黒板に出店という文字を書いた。

「今出ているのがお化け屋敷、コーヒーカップにどうやってやるのかは知らないが観覧車。それと、カフェに出店だな」

 定番なラインナップである。

「他に何かあるか?なければこの中から決めるぞ?」

 が、それから数分経っても意見が出ることはなかった。

「よし、特に意見もないようだしこの中から決めるぞ?その前に、これだけは絶対嫌だというものがあったら言ってくれ」

 しかし、誰も何も言わない。

「じゃあ多数決を」

「ちょっと待って」

 進行を妨げたのは拓斗だった。

「せっかく奏太がいるんだからさ、何か特別なことをしたくない?」

 それはつまり、

「俺の力を使いたいってことか?」

「そうそう」

 拓斗がそう言ったのをきっかけにクラスはどんどん騒がしくなっていく。

「いや、俺の力なんて大したことないぞ?戦闘以外じゃ料理くらいにしか使うことが出来ない」

「え、奏太の能力って?」

 こいつは知らずに力を使いたいなんて言ったのか。

「俺の能力は火を操ることが出来る。基本的には俺が消そうとしない限りは消えない。動かすことも形を変えることも可能だ」

「ふーん。ちょっと見せてよ」

 はぁ?ここで力を使う?いや、紅の目が輝きすぎて怖いのだが。

 まさか見せる機会がこんなにすぐやってくるなんてな。

「よく見てろよ」

 俺は右の手のひらを天井に向けて能力を発動した。

「うぉ!」

 クラスの全員が手の上に出現した火を見て驚いた。

「自分に意のままに大きさを変えられる。大きくもなるし小さくもなる」

 俺の言葉と共に手の平にある火も大きさを変える。

「四角、三角、球体。こんな風に形を変えることも意のままだ」

 次々と形の変わる火を見てクラスは興奮状態だ。そこで火を消した。

「で、拓斗。何か閃いたか?」

 この話の首謀者である拓斗に問いかける。

「うん。その前に確認。美花ちゃん」

「先生と呼べ」

 担任の言葉を無視して拓斗は話を進める。

「クラスの出し物って外でも大丈夫だったよね?」

「うん問題ないな」

 おいおい、まさかだろ。

「外でやるつもりか?」

「まあね。外で俺たちは飲食店をしよう。奏太の能力である火を装飾に使ってね」

 言っている意味が分からないし、想像もつかなかった。

 しかし、そんな俺とは裏腹に、

「いいね!」

「おもしろそう」

「やろうぜ!」

 得体の知れない模擬店を行うことに前向きだった。

 このタイミングでチャイムがホームルーム終了の合図をし、担任がまとめた。

「奏太。おつかれさん!A組は激熱レストランで行きます。それじゃあ解散!」

 そんな雑な担任の言葉と共に新学期初日は終わりを迎えた。

 ・・・面倒なことになった。




「ってことがあったんだよ」

 今日の出来事を話し終え、コーヒーをすする。その横でルノも同じようにオレンジジュースをストローで吸った

「大変だったなぁ」

 と、カウンターに立つマスターはしみじみと言った。

 ここは喫茶店メルゴ。俺はこの店の常連であり、ここのマスターである土井タケルは元アーウェルサの住民、ゴーレム族である。

「ゲームが終わったと思ったらこれだよ」

「いや、終わってはいないだろ」

 すかさずタケさんからの突っ込みが入るが。

「俺の中ではもう終わってるんだよ」

 と返した。

「まだ全国各地にコントラクターは残っているんだろう?」

 確かにそうなのだが。

「俺の中では北海道を自分の物にした時点で一度エンディングを迎えているんだよ。あ、そういえば」

 俺は今日あった出来事で転校生の存在を話していなかった。

「俺のクラスに変わった転校生が来たんだよ」

 転校生という言葉にタケさんの眉がピクリと動いた。

「何か知ってんのか?」

「柊紗奈だろ?あいつの親が同業者で親しくさせてもらってるんだ。その一人娘がこっちに来て家を探してたんでな。少し手伝った」

 タケさんの様子に嘘を言っているようには聞こえなかった。

「しかし奏太、変わってるとはどういうことだ?そんな風には見えなかったが」

「だいぶ変わってたよ。いきなり人を見下すわ、バッティを向けるしでな」

 タケさんは目を見開いて驚いていた。そういえばキャラ作りをしているって言ってたな。

「初対面なんだよな?」

「そうだな。見たことない」

 中1夏以前なら話は別だが、俺の残っている記憶には一切存在していない。

「コントラクターだったりしてな」

 笑いながらタケさんは言った。冗談だということは分かっているが、こうも挑戦的に言われると、どうしても反論したくなってしまう。

「それはないだろうな。あいつの持つバッティは俺の皮膚には通らなかった。っていうか、俺はもう戦闘なんて勘弁だからな?」

「向こうでは日常茶飯事だったろ」

 そうでもなかったと思うが。

「しばらくは平和であると願うよ。学校祭を壊されるのだけは避けたいからな」

「結構やる気じゃないか」

 出入り口のドアが開くとともに声がした。

「久しぶり、奏太」

「何が久しぶりだ。ついさっき会ったばっかりだろ、紗奈」

 ちょうど話題に上がっていた少し変わった転校生の紗奈。

「そう言えばそうだったね。マスター、サンドイッチ」

「あいよ!」

 紗奈は注文をしながら俺の隣に座った。

「お前、金は?」

 紗奈の服装は学校にいるときと変わっていない。荷物もだ。それに、あの時見た住所から察すると、

「ないよ。奏太、よろしく」

 さも当然のようにお金をせがむ紗奈。

「・・・これで最後だ」

 そう言って俺は財布から代金を手渡す。

 その手を引っ張られた。

 俺はそれに反応することが出来ずに倒れ、紗奈のたわわに育ったふくらみに顔が当たってしまった。

「きゃー、変態」

「おいこら、棒読みで言うなよ。どう考えても今のはお前が悪い。不可抗力だ」

 慌てて顔を離し弁解を試みる。

「スケベ」

「タケさん!」

 楽しそうに笑ってタケさんは言った。ルノに関しては目を合わせようとしてくれない。

「ったく、何のつもりだ?」

「君が好きだ」

「は?」

 突然の告白に俺の思考はフリーズした。

 ムードもへったくれもない。

 というか、昨日はルノと、とある同級生に似たような意味合いのことを言われている。モテ期の到来だろうか。

 ルノもタケさんも動かずに俺らの次の行動を待っていた。

「いや、えっと」

 しかし、俺はしどろもどろになってしまい、うまく言葉が出てこない。

 どうこたえるのが正解なのだろうか。そう考えていると、ルノが声を上げた。

「だ、ダメじゃ!奏太は我のものじゃ」

「一目惚れだった」

「聞け!奏太は我と契約してるんじゃ。この手がその証じゃ!」

 話を聞かない紗奈にルノは自分の左手を出し、俺の右手を掴んで見せつけた。同じ模様の悪魔の印。

「おい、奏太!」

 それを目にしたタケさんが血相を変えて叫んだ

「どうして天使族のお前が悪魔と契約なんてしてるんだよ」

 俺は静かに答えた。

「・・・宿題がおわらなくて」

「そんなしょうもない理由で契約したってのか?お前には天使族としての誇りはないのか?」

 タケさんは怒っている。俺が天使族なのにもかかわらず、天敵である魔族と契約したことに。

「今の俺は人間だからな。元天使族だ。天使族じゃなければ別に契約しても問題はないはずだ」

 天使族ならば確かにそれは問題になる。けれども、俺は一人間としてゲームに参加し、改めて自分の契約種と契約したにすぎないのだ。

「反論があるなら聞くけど?」

 しかしタケさんは何も言わなかった。いや、言えなかった。タケさん自身もこちらにいる以上は人間であり、ゴーレムではないのだ。状況は違えど状態としては同じだ。

「キミは、人間じゃなかったのか」

 静かになった店内に紗奈の声が響いた。

 それを聞いた俺はしまったと、思った。

 俺が元天使族であるということは黙っておくつもりだった。他の人に知られたくなかった。

 けれども俺は紗奈の前で自分は元天使族だと言ってしまった。

「他の奴には黙っておいてくれ」

「マスター、アップルパイとコーヒー」

 このタイミングで追加注文?タケさんは少し戸惑ったようだったがすぐに作業を始めた。

「その分を俺が払えばいいのか?」

 その程度なら特に問題はない。

「これはボクの晩御飯なんだ」

「うん、それで?」

 いきなり何を言い出すのだろうか。

「お昼もキミが払った」

「そうだな」

 ここで俺は紗奈が何を言いたいのか分かった。

「俺に食費を払えというんだな?」

 紗奈はこくりとうなずいた。

 今は俺とルノと優衣の3人暮らしだが、つい最近まではもう1人同居していた。なので食費が1人分増えたところで特に問題はない。

「わかった。その条件を飲もう」

 熱心にサンドイッチを頬張る紗奈に向かって俺はそう言った。・・・ちゃんと聞いているのだろうか。

 そう思ってしまうくらい食べることに夢中になっていた。

「奏太、よいのか?」

 心配そうにルノが聞いてくる。

「多分大丈夫だと思う」

 特に根拠はない。勘に近い。

「何かあったら俺に言ってくれ」

 と、いかにも頼れる大人風にタケさんは言うが、最初に俺のことを天使族と言ったのだからそのくらい当然のことだ。

「とりあえず月の小遣いを増やてくれ」

 両親がアーウェルサにいる今、俺の小遣いは生活費含めすべてタケさんから振り込まれている。

「わかったよ」

 とタケさんの了承を得たところで、

「ごちそうさまでした」

 紗奈が夕食を完食した。

「じゃあ奏太、帰ろうか」

 そそくさと帰り支度をし俺の腕をとる紗奈。

「ちょっと待て」

 俺は代金をカウンターに置いた。

「で、お前の家はどこだ?」

 しかし紗奈は何も言わない。

 端末である程度の場所、というか住んでいる場所は分かっているのだが、それを信じたくはなかった。調べたデータが間違っているというのもあるかもしれないのだから。

「奏太の家の隣だ」

 なぜか言おうとしない紗奈の代わりに、見かねたタケさんがそう言うのであった。

 それを聞いて俺は深いため息をついた。

 端末に記されていた住所は俺の家と同じマンションを示していたのだ。何かの間違いであって欲しいと思ったが、残念ながら現実のようだった。

「奏太、どうしてそんなに嫌そうな顔をする?ボクだって傷つくのだが」

「いや、悪い」

 どうやら顔に出てしまっていたようだ。

 正直な話、俺は紗奈を見た瞬間からどうも苦手意識があった。特に何が、というわけでもない。第一印象が悪いわけでもない。ただ、本能的にそう感じた。生理的嫌悪というやつなのだろうか。

「不快にさせたなら謝るよ。ごめん」

「いや、気にしなくていい。ボクも気にしないから」

 そう言って紗奈は店から出ていく。

「じゃあなタケさん」

「おう、紗奈ちゃんのこと、あまり嫌わないでくれ」

 出ていく俺にタケさんは少し寂しそうにそう言った。

 俺はその言葉を受け、何も言わずに店から出た。

 背中にはルノが乗っている。

「奏太は我のじゃ」

 耳元でささやくルノ。

 それを聞いて俺は少しだけ微笑んで言った。

「お前のではないけれど、俺はずっとお前のそばにいるよ。それがお前との契約だからな」

 紗奈を嫌うな。それは好きになれということではない。苦手意識をなくしてしまえばいい。が、何が苦手なのかわからないのでは打つ手はない。

 俺はルノの顔を見た。

「何じゃ?我の顔をじろじろ見よって」

「別に、何でもない」

 ルノと紗奈はまったくもって別のタイプだ。同じ接し方ではきっといけないのだろう。

 さて、どうしたものか。

 そんなことを考え、俺は家路をたどった。


 その晩。

 ルノも優衣も部屋で寝ている。

 しかし、俺は一人リビングで電気もつけずに右手でスマホを持ちソファに座っていた。

 時間はもう少しで午前1時。つまり日付はもう変わっている。こんな遅い時間に電話の約束を入れるとはな。少々恨めしい。だってすごく眠い。

 時計の長針が12を指したその瞬間、俺が持っていたスマホが電話の着信を告げ振動した。

「もしもし?」

「もしもし?桃です」

 知ってる。

「えーと、寝てた?」

 俺が何も言わないのを不審に思ったのか、電話の主である鬼月桃は恐る恐るといった感じで聞いてきた。

「いや、起きてた。むしろ電話が来るのを待ってたよ」

「そっか、よかった」

 と、安心した声。

 こちらはちっともよくない。貴重な睡眠時間が削られているのだ。電話なんてべつにいつでもできると思ったのは口に出さず、話題を振った。

「それで?何かあったのか?昨日は『付き合って』と言われて電話が切られたのだが」

 付き合うの意味はたくさんある。恋愛沙汰か、それとも何かを手伝うのか。昨日はそのどちらなのかもわからず、今日は学校でまた電話するとだけ言われていた。

「えーと、まじめに聞いてほしいんだけどね?」

 俺が普段まじめじゃないみたいないい方はやめてほしい。しかし俺はそれを言わずに次の言葉を待った。

「私と付き合ってください」

 これは、来たか。完全にこれはリア充への予感がする。

 まぁ、まて。ここで取り乱すのは幼稚だ。一応、念のために確認する必要がある。

「告白って意味でとらえて大丈夫か?」

「ううん?違うよ?」

 さらりと否定する桃。

 うん。そうだよね。人生そんなにうまくいかないよな。

「あ、ごめん。私に付き合ってだった」

『と』か『に』。言葉の一文字の重みがよくわかったよ。

 俺は内心がっかりし、少しだけホッとして桃に聞いた。

「何に付き合えばいいんだ?」

「その前に1つだけ確認したいことがあるんだけど、いいかな?」

「答えられる範囲なら別にいいぞ」

 答えられないようなことを聞かれるとは全く思っていないが万が一というのがある。

「奏太君って、あの、紗奈ちゃんと付き合っているの?」

 俺は思わずむせかえってしまった。

 2、3度深呼吸して落ち着きを取り戻す。

「付き合ってないよ」

 告白されたことは別に言わなくても良いだろう。ちゃんと断って・・・なくね?そういえば、俺が何か言いだす前にルノが声を上げて、元天使であることがばれて、断る機会を完全に失っていた。

「奏太君?大丈夫?」

 黙ってしまった俺に心配そうな声が聞こえた。

「あ、うん。大丈夫だ」

 明日、紗奈とはちゃんと話さないといけない。と、ひそかに決めた。

 今はとりあえず目の前のことに集中するとしよう。

「お姉ちゃんのことを相談したいんだけどいいかな?」

「紅に何かあったのか?」

 中二病を患った桃の双子の姉である紅は、俺のことを何故だか下僕扱いし、左目は長い前髪で隠し、右目には緑色のカラーコンタクトを入れている。

 赤色の髪は生まれつきらしいが、それに関して最近では珍しくないので特に触れない。だが、それのおかげで中二病というものに目覚めたと前に聞いた。

「実は、夏休みが始まってすぐのことなんだけどね」

 桃が話始め、俺はドキッとした。

 夏休みが始まってすぐということはゲームが始まってすぐとも解釈できる。

「それで?」

 俺は先を促す。

「お姉ちゃんの左目がね、青く染まったの。元々はちゃんと黒かったんだよ。お医者さんも異常はないって」

「うん、そうか。おやすみ」

 そう言って俺は電話を切った。

 しかし、すぐに桃からかけなおされた。

 俺は電話に応答する。スピーカーから桃の驚いたような声が聞こえた。

「ちょっと、何で切ったの?」

「いや、医者が問題ないって言ったなら間違いないだろ。少し気になるところはあるけれど、俺がどうにかししなくちゃいけない事でもない」

 それだけ言うと俺はまた電話を切ろうとする。

「まだあるの」

 耳からスピーカーを離したがぎりぎり聞こえた。

「イラタゴ・ムジナ」

 桃の口から放たれたその言葉で俺はスマホを落としそうになった。

 イラタゴ・ムジナ。桃は確かにそう言った。

「何でお前がその名前を知っている?」

 イラタゴ・ムジナは北海道最恐最悪の吸血鬼で、優衣の元契約種でもある。

 俺はつい先日そいつと死闘を繰り広げたばかりだ。

「わ、私は何も知らない」

 俺の明らかにイラついた態度に恐れをなした、のかは知らないが少しだけおびえたように桃は言った。

「お姉ちゃんが寝言でよくそう言うの」

 奴がらみの問題か。放っておくことはできない。

 そうなると、紅の体に何が起こったのかをより詳しく知る必要がある。

「他に変わったことはないか?」

 情報がとにかくたくさん欲しかった。

「うーん、特にこれと言ってはないかな」

「そ、そうか。ありがとう。俺は少し調べることにする。何か変わったことがあったら連絡してくれ」

「うん。ありがとう。おやすみ」

 電話が切れた。

 俺はしばらくの間動くことが出来なかった。

 ムジナがいなくなってもまだあいつにお節介になるとはな。しぶといというか、しつこいというか、面倒くさいやつだ。

 調べる。そう桃には言ったが情報が少なすぎる。

 青く染まった眼。ムジナという名。夏休み。

 人間は魔力に干渉しすぎると身体に異常を起こすというのを、何かの文献で読んだ記憶がある。

 あくまで読んだだけなので真偽のほどは分からないが、ムジナの魔力が強大であったことを考えると、ありえない話ではないだろう。

 だがムジナが夏休み、つまりゲームが始まった頃に札幌及びその付近にいたかと問われれば疑問が残る。

 情報を得るには紅に直接話を聞くしかなさそうだ。

 新学期早々、厄介のことに巻き込まれたものだ。

 俺は深々とため息をつき、そのままソファに体を沈め眠りについた。

 

 それから数日。

 紗奈の告白はいったん保留ということにした。嫌いというわけではないがお隣さんと気まずくなるのは嫌だったし、1日3食作って持っていくということになったので尚のことだ。

 紅からはまだ話を聞けずにいた。

 聞こうとはしているのだが、そもそも紅と話さなかったり、話したとしても俺は話を聞く側に自然と回ってしまったりと、タイミングが合わない。

 さらに、学校祭の準備が始まったのも聞けずにいた1つの原因だろう。

 その日俺はルノと数人の同級生と共に、校庭で装飾づくりの練習をし、紅などの暇な奴は料理部を中心に「熱いと言えば辛いものだよね」と、メニューを教室で考えている。

 劇についても脚本は仕上げ段階にかかり、役者の選定に入っているらしい。

 学校祭準備は順調に進み、紅にも変わった様子はない。と、油断していた。

「うがぁぁぁあ!」

 獣のような雄たけびにも似た叫び声が、校庭にいる俺の鼓膜を震わせた。

「ルノ、行くぞ!」

 俺は人間であるために、壁のぼりをしないようにしていたが、クラスから悲鳴も聞こえ緊急事態と判断し、3階の窓から直接教室に入った。

「何があった?」

 教室に戻った俺は近くにいた拓斗に話を聞く。

「あ、奏太。紅が」

 やはり紅か。

 教室の中心に紅が立ち、すぐ近くに桃が座り込んでいた。

 紅の雰囲気が違う。

 纏っている空気はなによりのこと、髪が、まるで下から風が吹いているかのように舞い上がり、隠れていた左眼が姿を現していた。そしてその眼は、青く燃えているように輝いていた。

「奏太君!お姉ちゃんが!」

 泣き出してしまいそうな顔の桃。

 それを全く意に介さず何事か呟く紅。

 俺は桃を紅から離れさせ、紅に近寄った。

「魔力が暴走しているようじゃな」

 同じく紅に近寄ったルノが言った。

「なるほどな」

 それを聞き、手を紅にかざして目を閉じた。

「『光、我が意に応じ、その身を鎮めよ』」

 そう呟き、魔力を発動させる。

 すると、紅の体は光に包まれ目の輝きが失われていった。そのまま、力を失い倒れる紅を抱きかかた。

 何とかうまくいったか。

「奏太、何をしたんじゃ?今のは我が与えた魔力ではないじゃろ」

「詠唱術ってやつだな。魔力の扱い、詠唱さえ覚えていれば誰でも使える。といっても、誰でも使えるのは初級・中級・上級のうち初級までだけどな。中級・上級の詠唱術にはそれぞれ決まった魔力が必要になるから。さて、また暴走される前に移動するか」

 紅を背負い、俺は窓に向かって歩みを進める。

「あの、奏太君?」

「今日はもう早退だ」

 何か言いたげな桃に向かってそう言った。

 この学校は生徒の自由を以下略なので早退するのも自由である。

「うん、わかった」

 桃は俺の提案を了承し、かばんを手に教室から出た。

「はい、奏太。かばん忘れてるよ」

「おう、ありがとう拓斗。申し訳ないんだけど、床を拭いといてもらってもいいか?」

 外靴に土がついていたため、教室の床が汚れてしまっていた。

「いいよ。そのかわり、紅のこと助けてやってくれ」

「おう、当然だ」

 そう言って、ルノ共に外へ飛び出し玄関で桃と合流した後、喫茶店『メルゴ』に向かった。




「いらっしゃ、ん?なんだ奏太か。学校はもう終わったのか?」

 入り口のドアを開けると、皿を拭いていたタケさんが目を丸くして驚いていた。

 客は誰もいない。いつ繁盛しているんだか。なんて今はどうでもいい。

「ちょっと緊急事態でな。ちょいと休憩室を借りるぞ」

 関係者以外立ち入り禁止と書かれたドアを開け、テレビとソファ、小さなテーブルの置かれた休憩室に足を踏み入れた。

「奏太君、いいの?」

「気にすることはない。俺の家みたいなものだから」

「おいこら、俺の店だろうが。まぁいい、嬢ちゃんも訳ありなんだろ?入りな」

 タケさんに丁寧にお礼をいい桃も入ってくる。

 俺は紅をソファに寝かせる。

「なぁ、奏太。この子は何だ?」

「魔力に干渉しすぎた人間、かな」

 そう言って、紅の前髪をかきあげ未だ半信半疑のタケさんを前に俺は閉じていた左眼を開けた。

「これは、カラコンか?」

「俺はお前のそう言うところが嫌いだ」

「冗談だって。にしてもきれいな青だな。まるでサファイヤのようだ」

 俺は紅の目を閉ざし、状況を整理することにする。

「ルノ、魔力は?」

「普通の人間よりも濃いな。質が魔族よりなのは」

「俺の下僕だからだろ。俺だってお前と契約して魔族に近い。その下僕は主に似るんだろ?」

「そうじゃったな」

 魔力が濃い。それが何を表しているのかはまだわからない。

「とりあえず、この魔力をどうにかしなきゃまた暴走するだろうな」

「またってことは暴走したのか?人間が?」

 一人状況の理解が追い付いていないタケさんに先ほどの出来事を説明した。

「なるほど。んで、お前は魔力の暴走を抑えてはいるが、次またいつ暴走するかは分からないんだな?」

「そういうことだ。取り除くのが一番手っ取り早いが、『エナジードレイン』を持っている奴はここにいないし、後は口づけしか方法がないな」

「口づッ!?」

 黙って聞いているだけだった桃が声を上げ、顔を赤くした。

「お前、やるか?」

 桃は一瞬悩んだ末、小さく首を縦に振った。その顔は赤いままである。

「じゃあ、任せた」

 桃は俺と入れ替わるように紅の横に跪いた。

「よいのか?」

 心配そうにルノが囁く。

「大丈夫だろ。双子だし。何かあっても俺がいるしな」

「なら、信じるぞ?」

「おう。さて、俺らはここから退室した方がよさそうだ」

 何か言いたそうに桃がこちらを見、口づけをしようとしなかった。

 俺らはホールへ移動し、タケさんにコーヒーを頼んだ。

「それにしても、本当に人間は魔力に弱いみたいだな」

 お湯を沸かしながらタケさんは言った。

「そうだな。他にもいるのかな、そう言う人間は」

「さぁな。いても不思議ではないと思うが、まだどうしてああなったのかわからないんだろ?」

「そうなんだよなぁ」

 分からないことが多すぎる。紅が目を覚ましたら話を聞こう。

 ・・・本当にめんど

「ッ!?」

 背筋に悪寒が走った。

「どうしたんじゃ?」

 本能が告げている。逃げろと。

「奏太?いったいどうし」

 ガチャ。

 ルノの声を遮りドアが開けられ、俺はそれに反応してゆっくりと振り向いた。

「お初にお目にかかります。堀井奏太どの」

 そう言ってお辞儀する初老の男。

 その場にいた誰もが息を飲んだ。

 どうしてこんな奴がここにいるんだよ。いや、目的は一つしかないか。殺意のこもった目を見ればわかる。

「丁寧にどうも、中島透総理」

 ゲーム開始10分で関東地方の全ての人間を殺し、征服した日本トップクラスのコントラクター。

「日本の総理が一庶民の俺にわざわざ何の用だ?」

 さっきの悪寒はこいつが原因だろう。

「視察、とでも言っておきましょうか」

「視察、ねぇ。北海道は良いところだろ?」

「えぇ、そうですね。襲われることがない」

「そうか、平和でいいだろ」

「つまらない」

 静かに、けれどもその言葉はっきりと聞こえた。

「くだらない。折角人ならざる力を手に入れたのです。使わなくてどうするのです?」

 まさか、こいつ。

「人を殺すことに何もためらいがないのか?」

「何を躊躇する必要があるのですか?異世界に行けるのであればいくらでもこの手を黒く染めますよ。チャンスなんてそう何度も訪れるものでもないでしょう?」

「なるほど、異世界への想いがお強いようで」

「もちろんです。人間という生き物には飽き飽きしていたところでしたのでね」

 普通に話してはいるが、先ほどから殺気を隠しきれていない。

「あなたの契約種を俺に差し出せば異世界に行ける。と言ったらどうする?」

「お断りします。自分の力で行くことに意義があるのですから」

 中島の意思は固いようだ。

 そうなると俺は契約種を探して殺さなければならない。

 俺は視線を中島から外し、契約種を探す。

「奏太、あぶねぇ!『グランドガード』」

 俺と中島の間に土の壁が床からせり出し、何かを防いだ。その防いだところに穴が開き、反対側にいた中島の姿が確認できた。

「余所見するな。あいつはお前を殺す気満々だぞ?」

「悪い、助かった。あいつの契約種を探してるんだけどさ」

「置いてきました」

 あっけらかんと中島は言った。

「あなたは人間を殺せないのでしょう?噂ではありましたが、少しでもリスクがあるのに連れてくるわけないじゃないですか。貴方は私を殺せない。だから、素直に殺されてください」

 ぞっとするような笑みを浮かべた中島の背中から8本の触手が生え、そのすべてが鋭くとがっていた。

「死になさい!」

 掛け声と共にすべての触手が俺に向かって伸びる。串刺しだけは勘弁だ。だが、室内では思うように能力を使うことは出来ない。

「当店はお騒ぎ禁止だ!『ミンダーアース』!」

 タケさんの魔力により床が動き出し中島を外へ追いやった。

「ありがとう。外に出せば後は任せろ。ルノは危ないから待ってろよ。ちゃんと帰らせる」

 そう言って店から飛び出した。

 中島は店から少し離れたところにいた。見えてしまえばこっちのもんだ。

「『ブレイズランス』」

 無数の火の槍が中島を囲った。

「ふむ、槍ですか。まぁ、無駄なんですけどね」

 中島の能力は斬撃・打撃の無効化。そのため、槍の攻撃はきかないと思ったのか槍を無視してこちらへ一直線に突っ込んでくる。

「ばーか。その選択は間違いだ。『インパクトコンボ』!」

 火の槍が次々と爆発した。

 爆発での衝撃はダメージがあるというのはすでに知っている。

 もうもうと立ち込める煙の中から水色の何かが飛んできた。しかもたくさん。

 が、避けられない速度じゃない。中には俺のもとにたどり着く前に地面へ落下している物もある。

 そして、落下した物体は地面のコンクリートを溶かし、蒸発したかのように消えた。

 触れちゃいけないのか。

「『ブレイズトルネード』!」

 道幅いっぱいの火の竜巻が出現し物体を魔巻き上げて防いだ。

 しかし、安全も束の間、縦真っ二つに分かれ竜巻は消えた。

 真っ二つにしたのであろう中島の手にはどことなく見覚えのあるような刀が握られていた。

「これが何か気になりますか?ただの妖刀ですよ。かつては徳川家に祟っていたなんて噂もありましたかねぇ」

 村正という奴だろうか。たしか、人を切るための刀と聞いたが、なぜ現代にこんなものが。

「優秀な契約種のおかげで手に入れたんですよ!」

 また縦に斬撃が飛んできた。横に飛び回避したが、地面はきれいに真っ二つだ。

 どうにか撤退してもらう方法はないだろうか。

 さっきの爆発の攻撃も効いている様子はない。

 いっそのこと非情になってしまえばいいのだろうか。人間を殺したくないという考えを捨てるか?いや、それだと俺から人間らしさというものが失われてしまう。

 そうだ。詠唱術がある。魔力を抑える詠唱術を使えば。

「戦闘中に考え事ですか?」

「グッ」

 目前まで中島が迫っていた。刀を持つ右腕が振り上げられると同時に、俺の右腕が宙を舞った。

「うがぁぁぁあ!」

 痛い、熱い、力が入らない。

 俺はうつぶせに倒れた。

 まずい。傷が塞がらない?腕がつながってなきゃダメなのか?

「考え事なんて無駄ですよ。貴方はもう死ぬんです」

 そう言うわけにはいかない。

「『汝に溢れし力よ、光り輝く糧となれ』」

 早口で詠唱を始めた。

 せめて、魔力がすべてなくなる前にすべきことがある。

「『矛を鎮め、我が身を守る盾となれ』」

 詠唱が終わると同時に俺の意識は闇に消えた。

 しかし、それも長くは続かなかった。

「・・・た。奏太!」

 声に反応し俺は目を開けた。

「ルノ?」

 心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。

「よかった。心配したんじゃぞ」

「悪い」

 ルノに謝り、体を起こす。

 ここはメルゴの休憩室か。俺はどうやら紅を寝かせていたソファで眠らされていたようだ。

 右腕も元に戻っている。

 窓に目をやるとすでに太陽は沈んでいた。思っていたよりも長い時間寝ていたようだ。

「そうだ!あいつは?」

 総理の姿がどこにもない。いや、いても困るけど。

 とりあえず、俺が生きているということは結界を張る詠唱術が間に合ったということか。

「奴は、消えた」

「消えた?」

 死んだ、ではなく消えた。何があったのだろうか。

「奏太の断末魔が聞こえ、我とゴーレムは外へ飛び出した。外へ出て我らが目にしたのは倒れている奏太と、空間の狭間に飲み込めれていくプルプルおじさんじゃった」

 空間の狭間?

「死んでいるというわけではないんだな?」

「そうじゃ。端末で確認しても生きていることは確かじゃった。けれども、居場所がわからなかった」

「発信機があるのに?」

 コントラクターはみな共通して左腕にバングルをつけさせられる。これは、自分か契約種が死なない限りは絶対に外れることはなく、自身の身体情報が確認できる。さらに、発信機となっており、それは貰った端末で確認できる。

 一応、電波が届かなければ発信機も使えなくはなる。

 それに、空間の狭間。

「発信機が反応しなくてもしょうがないか」

「誰がやったのかわからなければ我らも狙われることになるぞ?」

「どうだろうな。中島は死んでいないんだろ?じゃあ大丈夫だろ」

 というか、コントラクターが襲われ死んでいないのだからこれをやったのはゲームに参加していない奴だろう。

 その存在には気づいていたが、正体は全くの不明だった。

 優衣の元契約種であるイラタゴ・ムジナは1度俺の手によって葬られた。にもかかわらず俺の前に再度立ちはだかった。

 さらに、ポーションによって暴走させられている。

 このことから、ゲームの裏に誰かが潜んでいるということは明らかになった。

 そして今回の件。俺には心当たりがあった。

「なぁ、下僕」

「誰が下僕だ。・・・お前らまだいたのか」

 鬼月姉妹が俺から少し離れたところにいた。

 そのうちの紅が俺に話しかけてきた。

 髪はぼさぼさで、かろうじて見える左目から青味は消えていた。

「え、と。ありがとう」

「俺は何もしてねぇよ。礼ならお前のよくできた妹に言ってくれ」

 桃は少し恥ずかしそうにうつむいていた。

「なぁ、下僕」

 面倒だからもう突っ込まない。

「私にできることって何かないか?何でもする。最後に助けてくれたのは桃なのだろうが、私が暴走したのを止めてくれたんだろ?」

 何でもする、か。ちょうどいい機会だ。聞くべきことを聞いてしまおう。

「情報をくれ。お前の体に異常が起きてから変わったことを話してくれればいい」

 紅は一瞬だけ戸惑ったような顔をしていたが、すぐに真顔になり話始めた。

「あれは、夏休みが始まって2日目のことだ」

 ・・・ゲームの開始日と一致する。

「その日のちょうど正午のことだ。地球全体が揺れたのを覚えているか?」

「・・・寝てたから知らない」

「いや、夏休みはじまってからだらけるの早すぎだろ」

 別にそう言うわけではないがそう言うことにしておこう。

「とりあえずあったんだ。地震と違って空気まで揺れてたな」

 こちらに異世界からの住民が来た影響なのだろうか。

「そのとき私は学校で部活をしていたのだが、その地震的なものが起こった直後、左目に激痛が走ったんだ。このときはまだ目の色に異変はなかった。最初は力が目覚める予兆かと思ったがどうやら違ったらしい。家でテレビをつけると」

 例の騒動が起こっていた。

「それから2日後のことだ。私の目が青く染まったのは」 

「突然か?」

「突然と言えば突然だな。痛みもなく気づいたら青くなっていた。1つ思い当たることとすれば、褐色肌でとんがり耳の女に胸を刺され気絶したことぐらいしか思いつかない」

 まだムジナとの関連性は見えないが、魔力に干渉したことはこれで間違いなくなった。

「それで?」

「一応医者のもとにも言ったが、診断上は何も問題なかった。けど、あったんだ。異常」

「え?」

 桃が素っ頓狂な声を発した。

 おそらく知らされていなかったのだろう。

「ごめんな、桃。黙っていて。私の左目には人の心が見えていたんだ。だから、下僕が元天使族ということも知っている」

「まじかよ」

 また口止め料を、

「まぁ、何やら事情があるようだし黙っていることにする。当然、誰にもこのことは話していないぞ?」

「助かる」

「さて、話を戻そう。夏休みも終わりに差し掛かった頃だ。私の前に一人に男が現れた」

「どんな男だ?」

 これは重要そうだ。

「身長は2m弱。一人称が『我輩』で自分のことを吸血鬼と言っていた」

 間違いなくムジナだ。

「そこからの記憶はない」

「そうか」

 それは操られていたからだろう。

 結局新たにわかったのは、ゲーム開始時に何かが起こったことくらいか。

「あ!」

 紅が声を上げた。

「まだあるぞ」

「聞かせてくれ」

 思わず身を乗り出す。

「これは目が青くなってすぐのことなんだが、『アーク・トリア』と『ミノ・ディーテ』という言葉が何度も頭に浮かんだんだ」

 俺はドキッとさせられた。

 『アーク・トリア』は俺のアーウェルサでの名である。

 当然、夏休みの時に紅とは会ってもいないし話してもいないため俺がトリアであったというのは知らないはずだ。

 そして、『ミノ・ディーテ』。こいつは、全世界の神『エスト・テリッサ』、時の神『メチ・エクルディ』に並ぶ空間の神だ。

 俺に心当たりがあったのもこいつだ。

 繋がった。

「ムジナを暴走させ、総理を消した。そして、紅を何らかの目的で利用しているということか」

「だーいせーいかい!」

 部屋中に女の声が響いた。

「盗み聞きとは悪趣味だぞ?ディーテ」

「そんなの今に始まったことでもないだろう?久しぶりだねぇ、トリア」

「わざわざ何の用だ?というか姿を現せよ」

「嫌だよ。そんなことよりもだ。弱くなったものだねぇ。人間界に馴染んじまったせいか?かつての絶対無二の戦闘力はどこへ置いてきたんだい?教えなよ、あたしが拾ってきたやるからさぁ」

 そう言って高い声で大笑いする。

 絶対無二の戦闘力ねぇ。

「あいにく、俺は人間なんでな」

「まったく、がっかりだよ。あたしが強化したムジナを倒せたのはエストのおかげ。あんたが転生しなければ余裕だっただろうにねぇ?そもそも、あんたが転生なんてしなければこんな面白みのないゲームが始まることもなかったってのに」

「どういうことだ?」

 聞き捨てならない。

「説明してもらおうか」

「なんだ、知らないのかい?そりゃそうか。しょうがない、あたしは優しいから教えてやろう。まず、第1にエストはどうしてこんなゲームを始めたんだと思う?」

「人間が好きだからじゃなかったか?」

 俺はゲームが始まった理由としてルノからそう聞いているし、本人からも聞いている。

「そんなの建前さ」

 本来の目的は違うということか。

「あんたの始末。それがエストの目的さ」

 俺はそれを聞き、雷に打たれたかのような衝撃を受けた。

「確かにエストは人間が好きさ。けどね。このゲームに関していえば他の人間なんてどうでもいいのさ。ありえないとは思うが、あんたがこのゲームで死ねばそれでいいし、もし勝ち上がったとしても自分で殺すつもりなんだろうね」

 そういえば俺が一度死にアーウェルサへ行ったときにエストは言っていた。『最後には私と戦ってもらう』と。

 あれは、俺がゲームに勝ちあがれば殺す。そう言う意味にも捉えられる。

 だが、俺はその後にちゃんと生き返っている。1度俺が死んだ時点で目的は達成しているはずだ。

「人間が好きだからこそ、滅ぼされるわけにはいかなかったのさ」

 そのために俺を利用したのか。

「なぜだ」

 俺はあいつが恨みを買うようなことなどしていないはずだ。

「さぁ、あたしは知らないよ。あたしは神の命に従っているだけだからね」

 違和感を感じた。

「エストの指示でお前はムジナを暴走させたのか?」

 返答はない。

 ムジナが人類を滅ぼすほどの力があることを知ったうえで暴走させた?

 おかしい。エストとメチはムジナを捉えるために戦っている。辻褄が合わない。

「何か言ったらどうだ」

「・・・これだから賢いやつは嫌いだよ。そうさ、今のは全て嘘さ。あたしがあんたを殺すために独断で動いている」

 俺を殺す?

「さっき捕まえたおっさんはもうそちら側に返している。どうしてあたしが人間を捕まえたのか。賢いあんたにはいう必要はないね?それじゃあね、トリア。せいぜい生き延びてみなよ」

「おい!ちょっと待て!」

 声がそれ以降聞こえることはなかった。

 俺の始末。中島の捕獲。また強化させたというのだろうか。今回に関しては相手が人間なうえ手が出しにくい。ちゃんと考えているということか。気が滅入る。

「か、奏太君?」

「ほんと、面倒くさい」

 俺はソファに寝そべった。

「おい、下僕」

「なんだよ」

「しばらく学校を休んだらどうだ?」

 紅が真剣な面持ちで言った。

 ゲームに専念しろということか。

「別に構わないが、学校祭の準備で困ることはないか?」

 クラスの出し物、激熱レストランは俺が火で装飾した店を作る手はずになっている。

「細かいことは随時連絡する。桃が」

「え、私?まぁ、別にいいけど」

 俺の仕事は魔力を操るだけなので学校に行く必要もないと言えばない。

「ルノもそれでいいか?」

「我は奏太がいれば別にどうでもいい」

 話もまとまり、休憩室からホールに出ると同時に、出入り口のドアが開いた。

「すみません。今は準備中で」

 食器の整理をしていたタケさんが慌てて言った。それなら鍵をしておけよ。

 しかし、客人はそれを無視し俺のもとへ駆け寄ってきた。

「奏太君!帰ろ!」

 特徴的な青い髪をもった巨乳っ子、紗奈だ。

 俺は双子に挨拶する間もなく紗奈に引っ張られ店を出た。

 これで俺と紗奈が付き合っていると誤解されたのは言うまでもない。


 帰路についている途中。ルノは食事当番だからと先に帰ってしまった。

 一緒にいろとの約束はどこへやらだ。

「なぁ、紗奈」

「何?」

 抑揚が感じられない返答。この態度の変化にここ数日で慣れてしまっていた。だが、

「近い!」

「気にしないで」

 腕に押し付けられている柔らかな感触にはいまだ慣れずにいた。

 手をつなぐならまだしも腕を組むとなると、歩きにくいったらありゃしない。

 これならいっそふった方がましだったかもしれない。何度「離れろ」と言っても聞く耳を持ってくれない。

 強引に引き抜こうものなら、そうはさせまいと力を込められる。

 それを毎下校時繰り返している。

 もういいや。放っておこう。天使族であった頃の期間を含めると俺はかなりのご長寿だ。気にはなるが害はない。強いて言うなら変な噂をたてられる方が迷惑ではある。

「そう言えば、何で俺があそこにいるってわかった?」

 沈黙が気まずく、思っていた疑問を口にした。

「女の勘さ。よく当たるんだ」

「ふーん」

 決して納得したわけではない。

 あのとき、紗奈は俺が出てくるとほぼ同時に店に入り、迷うことなく駆け寄ってきた。そして、俺がその姿を認識する前にあいつは俺の姿を確認していたということになる。

 ほんと、不思議な人間だ。今までに出会ったことのないタイプで少しだけ戸惑ってしまう。

 そんな俺の考えを知ってか知らずか、

「奏太、今日の晩御飯は何だい?」

 と、お腹を鳴らして言う。

「今日はルノが夕食の当番だから肉だな」

 そう言うと、露骨に嫌そうな顔をする紗奈。

 どうやら紗奈は肉が苦手らしい。

 肉はいらないから野菜をくれ。メインのおかずが肉だと毎度そう喚くので、献立が肉料理の時、つまりルノが食事当番の日には俺が別の物を作るようにしている。

「お前は野菜炒めな」

「ありがとう!」

 ちゃんと抑揚のある返答に戸惑いを覚えつつ2人の妹が待つ家へ急ぐ。




 翌日。

 紗奈に休むというと、私もと言いかねないので、あえて遅刻すると伝えて弁当を渡し、優衣が学校に行くのを見送り、しばらくしてから俺は自分の住むマンションの屋上へと向かった。暇つぶしに魔力を操る練習でもと思ったのだ。

 ここなら人は来ないし、燃えるものもない。魔力を操るにはもってこいだ。

 ルノから与えられた魔力『ブレイズ』は火を自由自在に操ることが出来る能力で、自分のイメージしたとおりに火の扱いが可能だ。燃料が魔力であるため水をかけられても消えることはない。その代わりに、大きさと形を変えることが出来なくなる。

 それともう1つ。『インパクト』の魔力は、あらかじめ発動した魔力に対し爆発作用を与える能力を持つ。これに関しては学校祭で使う予定はないだろうと苦笑し少し離れたところに火を出現させた。

 見える範囲ならどこにでも出現させられるので、攻撃にも使いやすい。

 出現した1つの火を2つに分け、1つは小さく、もう1つは大きく変化させる。

 少し前でこそ苦労したものの、今では造作もない。

 さて、桃からの指示は、『まだ店のイメージが決まっていないので、それっぽいものをお願いします』だった。

 最初にこの文言を見た時はあきれてやる気も起きなかった。

 外に出れば何か思いつくと思ったのだが、特に何かが思いつくわけでもなく火で人形劇を始めてしまうほど退屈していた。

 ううむ。この時間はもったいない。他にしなければいけないことはあっただろうか。

 そうだ、日本の今の現状を把握しきれていない。

 8月も終わりに近づき、涼しくなってきているのでこのまま端末で他のコントラクターではなく、その契約種を調べることにする。

 端末のコントラクターと書かれたアプリを開き、契約種を見ていく。

 まず、北海道。ここには魔族である悪魔族との表記。間違いなくルノのことだ。

 次に東北地方。各県に1人ずつコントラクターがいたようだったが、今は3人になっていた。

 いなくなった契約種の情報は見れないようだ。

 青森県にエルフ族。岩手県にドラゴン族。福島県には雷獣族との表記。

 森を守護する無族のエルフ族。戦闘能力が高くエルフと同じの無族であるドラゴン族。雷獣族は雷に宿る種族で分類としては精霊。いずれも戦闘能力が高い種族ではあるが、ドラゴンが優勢だろうか。ドラゴンの種別にもよるため一概には言えないが。

 次に関東地方。東京に5人。他の各県に1人ずつの11人いたのだが、残っているのは水獣族。つまり、中島の契約種であるスライムのことを指す。

 水獣族は水に宿る種族で分類は精霊。水というよりかは液体に関する魔力を扱う。スライムに斬撃・打撃が効かない理由もそこにある。

 そういえば、中島はディーテの手によってまた強化されていることだろう。1度負けているのにもかかわらず強化してくるあたりにあいつの本気が伝わる。

 少しばかり戦闘力を上げなければ次は瞬殺だろう。明日から戦闘能力あげる特訓でもしよう。

 次いで中部地方。各県に一人ずつというのはもうお決まりのようだ。

 残っているのは、長野県に神民である天使族。静岡県に魔族である死神族と、相反する種族が残っていた。

 天使族に関してはもう説明はいらないだろう。俺の元同族ということになる。せめて知らない奴だったらいいのだが。まぁ、天使族は数が多いため杞憂に過ぎればそれでいい。

 問題は死神族だ。ありとあらゆる生き物の死を司る種族であり、不死者であろうとその身は破滅する。

 関西地方。京都府に妖精族。大阪府にゴーレム族。

 植物に宿る精霊である妖精族と、無族でありタケさんの本当の種族であるゴーレム族。ゴーレムにはいろいろな種類がいるうえ皆ガードが堅い。戦うならば相当な高火力が必要となる。

 中国・四国地方は広島県に機械族。鳥取県に獣人族。高知県に妖魔族。

 機械族と獣人族は無族。妖魔族は特殊で神民にも魔族にも分けられる。

 残りは、福岡県に悪魔族。沖縄県に水獣族か。

 日本に残っているのが述べ14種類。

 名前のない種族もまだあるが、海外にいるのか、死んだのか、そもそもゲームに参加していないのか。今は分からない。

 国外に関しては、日本の征服がまだ終わっていないため調べる必要もないだろう。

 さて、残っている種族で厄介なのは妖魔族と獣人族だろう。

 幸いどちらも北海道から離れたところにいるのでしばらくは安全か。

 妖魔族と獣人族が厄介なる理由。

 それは、たがいに共通して『マインドコントロール』という魔力を必ず使うことが出来ることにある。

 何が恐ろしいかというと、生物の精神、記憶、心を操ることができる。当然対処法もあるが。一度術にかかってしまうと自ら解くのは不可能とさえ言われている。

 また、妖魔族に分類されるものの多くは妖怪と呼ばれた者たちだ。それゆえに、神民と魔族に分けられる。例えば、日本の妖怪だと座敷わらしが神民に属し、鬼は魔族に分類される。

 強大な力を持った者が多いがこちらは仮に戦闘したとしても何のためらいもなしに殺すことができるだろう。

 だが、獣人族は違う。

 獣人族は、その名にもあるように元人間だ。

 人間の魂は死後にアーウェルサへ送られ強制労働をさせられる。そこから逃げ出し、野生動物と同調、繁殖し数を増やしていったのが獣人族だ。

 当然普通の人間ではない。動物の力を宿した元人間であるたため、アーウェルサでは人間扱いされることはない。ないのだが、元人間というワードが頭に引っかかる。

 人殺しはしたくない。獣人族が人かどうかの判断は各自がするものであり、明確にアーウェルサでそう定められたものではない。 

 俺は、どっちだろう。

 俺は元天使族である人間。この理論だと獣人族は元人間である異世界の住民。

 ならば、迷う必要はないか。

 昔、言われたことがある。

『アーウェルサに人間はいない。もしも獣人族がトリアに牙をむいても容赦はいらないからね!』

 と。

 ・・・これを言っていたのは誰だったっけ。

 数百年前、女の子が俺に向かって言っていたことだ。だが、名前も容姿さえも思い出すことができなかった。

 まぁいいか。俺はさっきから振動していたスマホを手に取った。

「もしもし?」

「おう、俺だ」

「・・・詐欺なら切るぞ?」

「悪かった。タケルだ」

 知ってる。

「それで?何の用だ?」

「見せたいものがある」

 それだけ言うと電話は切れた。

 詳しいことは教えてくれないのか。

 ひとまず部屋に戻った俺は11時を過ぎているのにもかかわらず全く起きる気配のないニー・・・ルノを起こし、それから30分後に家を出た。

 メルゴの入り口には臨時休業という看板が立っていたが、それを除けて中に入る。

「おう、いらっしゃい」

 いつものように食器を整理していたタケさんは俺の姿を確認すると動きを止めて口元を緩ませた。

「いつもに増して気持ち悪い」

「失礼だな!」

 俺はいつものカウンター席に腰を掛ける。

 その間にタケさんはにやにやしながらコーヒーを作る。

 何か良いことがあったというのがひしひしと伝わる。

「見せたいものってなんだ?」

 恐らくこのにやにやに関係しているのだと思うが、それ以上のことはわからなかった。

「よくぞ聞いてくれた。知りたいか?知りたいよな?」

「うざい。帰ってもいいか?」

「まぁ、そう言うなって。きっと、いや絶対にお前が欲しがるものだ」

 そういってカウンターに表紙が緑色の分厚い本を置いた。

 俺はあまり本を読まないし特に欲しいと思った事はないが、この本は確かに興味を惹かれた。

 白色の魔方陣が描かれている以外には文字すらも書かれていない表紙。

 手に取りペラペラとページをめくる。

 漫画でもなく小説でもない。辞書といったほうがしっくりくる。なにより、書かれた言語は地球にある文字ではなかった。アーウェルサの言語。

「詠唱術書か」

 一種の魔導書であり、魔力の扱い方、詠唱文、それによっておこる現象が書かれていた。

 魔力を出したいところに集め、イメージする。そして、

「『流るる力を具現化せよ』」

 と詠唱する。

 何もない空間に水の球が出現した。火を出した時と同じように自分の思い通りに動かすことができた。

 水を操る魔力があればこんなことをしなくてもいいのだが、それを持たない俺がたったこれだけで習得することができた。

「どこでこれを?」

 人間界では絶対に入手することはできないはずだ。

「昨日少しだけあっちに行った」

「はぁ?アーウェルサに行っただと?」

「そうだ。よく考えると俺って人間と契約しているわけでもなく正式にこちらに来ているからな。いつでもゲートを開けられるんだわ」

「まじかよ。それなら今度から向こうのものが欲しくなったらお前に」

「無理だ」

 頼む前に断られてしまった。

 ポーションや魔導書は向こうでしか入手することができない。それがあるだけで戦闘を有利に進めることが可能となる。そう思ったのだが、断れるとは思いもしなかった。

「俺があちらの物をこちらにいる人間に渡すことは禁止されている。破れば渡した奴はもちろんのこと、受け取ったやつも始末される。だから俺はお前に『見せたいものがある』と言ったんだ」

 なるほど。俺がこれを持ち帰ることができないということは

「全部覚えろと?」

「別にそうは言ってない。覚える覚えないはお前の自由だ。俺はきっと役に立つだろうと思って高い金を払って買ってきただけだ」

「ありがとう。正直に助かった」

 1000を超える詠唱術から使えそうなものを選ぶとしよう。

 何があれば便利だろうか。『ブレイズ』の魔力があるのだから、これに関してはすべて覚えたほうがいいだろう。問題はほかに何があるかだ。

 ページをめくる手がとある文字を見付け止まった。

 まずは自分の好きな魔力を発動する。

 次に詠唱を唱える。それだけ。

 ただし詠唱は長い。これは1字1句間違えてはいけない。嚙んではいけない。

 文言通り小さな火を出現させた。そして、詠唱。

「『神々に与えられし我が力よ。さらなる力を解放せよ。闇に闇を、光に光あれ。我が望みは無限なり。終わることなき永遠なり。踊り、回り、渦巻け。我が意に背きその力を具現化せよ』」

 終わると同時に出していた火がひときわ大きく輝いた。成功の証である。

 術がかかった火は移動も大きさ、形を変えることもできた。しかし、消すことだけできない。

「奏太、何をしたんじゃ?」

 ルノが鼻息荒く興味津々といった様子で聞いてくる。タケさんに関しては何も言わずにじっと見ているが、俺が何をしたのか理解したわけではないようだ。

「『インフィニティ』さ」

 火の形を変えて遊びながら言った。

「発動した魔力を自分の意志関係なく残すことができる。・・・何百年も前に封印された禁忌だよ」

 ルノもタケさんも何も言わない。店内はお湯をわっかす音だけが響く。

 この際に話すことにしよう。

 俺は少しだけ心を沈めながらも話し始めた。

「お前らの正確な年齢は知らないから何とも言えないが、きっと生まれていなかったと思う。800年前のことだ。『聖魔大戦』。名前だけは聞いたことがあるだろ?」

 それは、アーウェルサの住民なら知らないものがいないほど大きな戦争。

 当時を生きていたものは自分の子に話し語り継がれていく。

 また、学校でも教わることなので名前だけなら必ず耳にすることだ。

「待て奏太。確かに我は当時生まれていなかった。だから詳しいことは知らぬ。じゃが、何やら詳しいことを知っているようじゃが、いったい何年生きておるんじゃ?」

「1300年。俺は聖魔大戦唯一の天使族の生き残りさ」




 800年前。

 ちょうど俺が人間でいう成人、つまり500年を過ぎたころだ。

 当時の神は妖精族。名前をフロール・セミルと言った。

 アーウェルサにある浮島の一つにたくさんの木々が生い茂る島があった。『フェアリーアイランド』。その名の通り妖精たちが住む島だ。

 中心には島全体を支える巨大樹がたたずみ、そこの根元が妖精の女王の根城であり、セミルは神と女王。その両方の称号を持っていたため、今のように神の間にはいかずフェアリーアイランドに残っていた。

 セミルの体長はわずか15cmほど。戦闘力もほとんどない彼女は神民から3名の兵士を指名し、護衛兵として派遣させた。

 その当時俺は若い兵の中でも群を抜いており、当然その3名のうちの1名に選ばれた。これが、俺の初任務となる。

 他の2名に関しては今となっては覚えていない。確か、真面目そうな奴と、適当な奴だったと思う。いずれも戦闘能力は高かった。

 セミルが神になって間もないころは、次の神の座を手に入れようとする輩もいたが、特に問題なく対処し、平和な日が続いた。

 俺らが来て間もないころは心を閉ざしていたセミルも、年数が経つに連れ親しく話すようになった。

 やがてセミルは護衛である俺らに島の秘密を話した。

「この島には古より伝わる秘術が存在します。その名は『インフィニティ』。これは1度発動した魔力を永遠に継続させる力を持ちます」

「どうして今それを?」

 真面目な方の護衛兵が聞いた。

「予兆を感じました」

 妖精族には特殊な力があり、未来を感じ取ることができると俺が聞いたのもちょうどこの頃だった。その能力について疑ってはいなかったが、セミルから聞かされた予兆には耳を疑った。

「数年後、神民と魔族が戦争を起こします。ここも巻き込まれることになると思います。その拍子にこの島の秘術が外に漏れるという可能性があります。『インフィニティ』が悪用されれば世界はゆっくりと破滅への道を歩むことになるでしょう。その前に、あなた方には知ってほしかったのです。今聞いたことは決して口外してはなりませんよ?神の命です」

 ありえない。それが話を聞き終わった俺の正直な感想だった。

 神民は魔族の天敵だ。その2種族が戦争を起こすとはにわかに信じがたいことだ。そして、俺の聡明な頭脳は1つの結論を導いた。

 そのことに気づいていたというセミルは後日、再度俺を呼んだ。

「どういうおつもりですか?」

「護衛兵を選んだのが私だというのは知っていますね?」

「ええ。神の命により俺らはここに召集されました」

 そう言うと、セミルは悲しそうに目を伏せて言った。

「あなた以外の2名は、魔族です」

 思考が止まりかけたが、すぐに頭を巡らせた。

 あいつらが魔族?持っている魔力は確実に天使族の物だというのに。

「正確には、堕天します」

「それをわかっていながらここに召集したんですか?なぜですか?」

「もうわかっているのでしょう?」

 お見通しというわけか。

「戦争を起こす原因を作ってもらう。そうですね?」

 俺の問いかけにセミルは小さくうなずいた。

「戦争は必ず起こります。私が何もしなくても。これは運命なんです。戦争をするなら早めに始め、終わらせた方がいいに決まっています」

 それは、そうなのだろうが。

「あの2名は私の命を無視し魔族へ秘術について話すでしょう。そうなれば魔族はこの島に攻め込んできます。魔族が攻め込んでくれば神民が動きます」

「神民が必ず勝つという保証はどこにもありません!万が一にでも神民が負ければどうするおつもりですか?」

「どうもしません。世界の平和を私は望みます。平和に犠牲はつきものです」

「戦争を起こさないようにするのが神であるあなたの役目でしょう?」

「先ほども言った通り、戦争は必ず起きるのです。それを止めることは誰にもできません。むろん、私にもです」

 納得がいかない。

「トリア。言いたいことは痛いほどによくわかります。ですが、これは生きているものが必ず通らなければならない道であり、宿命です。どうか現実から目を背けずに向き合ってはくれませんか?」

 そういうセミルの目には涙がたまり、けれども決意を秘めているようだった。

 俺は何も言うことができずにその場を後にした。

 それから数年後。

 武装した魔族がフェアリーアイランドへの侵攻を始めた。神民は防衛任務と称し、魔族と真っ向から衝突した。

 聖魔対戦の始まりである。

 戦地はフェアリーアイランドからほど近い無人島。もとは木々が生い茂っていたその島は、魔族の猛攻により焦土と化していた。

 俺は自分の持ち場、つまり神のそばから離れることができないため、戦地に赴いたのは大戦後のことだった。

 『口外してはならない』という神の命に逆らった2名の元神民は、魔族に堕ち秘術について話した。神の命に逆らったために大戦がはじまる前に死んでいる。

 俺の任務は神の護衛。それと巨大樹とその周辺にある妖精族の住まう里に結界を張ること。

 その結界をセミルが『インフィニティ』を使い持続させる。

 あとは、たまに島に上陸してくる魔族の討伐。

 時折入ってくる情報では、やはり神民に戦況が傾いているようだった。魔族は神民には勝てない。戦争もすぐに終わる。

 しかし、何年たっても戦争は終わらなかった。それどころか、魔族に堕ちていく神民が後を絶たなくなった。こうなってしまえば戦況は魔族に傾いた。

 セミルが映し出したスクリーンをたまたま見る機会があった。そこには多くの仲間たちが息絶えている様子が映し出されていた。

 訓練をともに乗り越えた者。寄宿舎で同室だった者。ともに酒を飲み交わした者たち。

 俺は歯痒い思いでスクリーンを眺めていた。

 さらに数年後。

 戦場に駆り出されていた神民は全滅した。

「セミル様。ここが攻め込まれるのも、もう時間の問題です。俺が奴らをくい止めている間に逃げる準備を」

「だめですトリア。私は神であり、妖精族の女王です。逃げることなんてできません」

「そうですか。じゃあ俺はあいつらを1匹残らず殲滅します」

「無理です」

 おい。そこは気持ちよく送り出してくれよ。

「あなたはなぜ、多くの神民が魔族に堕ちたのかわかりますか?」

 そんなことを聞かれても、改めて考えたことはなかった。

「悪魔の王、ザビロがいます」

 その名は聞いたことがある。確かに、しがない護衛兵である俺には殺すことは不可能だろう。

「それじゃあ、いってきます」

 俺の意志は変わらない。俺には俺の果たすべきことがある。

「待ちなさい!あなたが行くことを止めはしません。しかし、あなたには今ここでやらなければならないことがあります。・・・最後の神の命です」

 俺はセミルに向き直った。

 小さいはずの体が今は大きく見えた。

「何なりとお申し付けください」

 神の命には逆らうことはできない。片膝をつき耳を傾ける。

「難しいことではありません」

 そういってセミルが出現させたのは小さな巻物。

「これには『インフィニティ』の詠唱文が記されています。これを、あなたの魔力で封印をお願いします」

「よいのですか?俺が封印すればもう解かれることはなくなってしまいますよ?」

 封印を解けるのは封印を施した者か、どこかに伝わるという魔力効果を打ち消す秘術のみ。

 俺はもうこの戦いで死ぬつもりだ。多くの仲間が死んでいるのに、俺だけが生きて帰るわけにはいかない。

「大丈夫です。解く気もありませんから」

「けれど、今までの効力が消えたりは」

「心配には及びません。一度発動すれば消えないのが『インフィニティ』ですから」

 と、俺の手を取り詠唱を始めたセミル。

「これで1度だけあなたは永遠に消えることのない魔力を発動することができます」

 今の詠唱は『インフィニティ』だったということか。

 ならこれを使って魔族を、

「トリアの魔力じゃ足りないでしょうね」

 さすがの俺も凹んだ。まとめて魔族を封印することができれば戦争は終わるというのに。力不足か。

「さぁ、早く。敵はすぐそばまで来ています」

 強大な魔力が近づいてきているのを感じる。

「『万里の力に安らぎを与えよ。眠れ。汝に目覚めが来んことを』」

 素早く俺は詠唱し、妖精族に伝わる秘術は永遠に封印された。

 しかし、魔族は侵攻をやめなかった。

 ザビロを筆頭に森を燃やしていく。

 悪魔の王には俺の張った結界など簡単に破られることだろう。できることならそうなる前にケリをつけたい。

「いってきます」

 セミルに背を向け俺は駆けだした。

「あなたに祝福を」

 セミルはそれだけ言うと里へ向かっていった。

 里を抜け、木々の間を縫うように走り抜ける。焦げ臭いにおいが鼻をさす。敵の位置は近い。

「見つけた」

 50体ほどの悪魔の軍勢。その先頭には明らかに強そうな奴がいる。

 悪魔王ザビロ。2本の角と大きな漆黒の羽を持ち身長は3mほど。片手には自身の身長を超える大剣が握られていた。

 勝とうとしてはだめだ。撤退させることを考えろ。

 まずは敵の軍勢の後ろに回りこみ奇襲する。あとは勢いに任せよう。そう思い移動していた時だった。火の玉が目の前に出現したかと思えば、爆発した。

 結界を張るのが遅れていれば死んでいたであろう。いくら死ぬつもりだとしても、何の成果も残せずには死にたくない。

 攻撃が来たということはいることがばれている。奇襲は通じない。

 走る方向を変え、俺は堂々と敵の軍勢の真正面に立った。

「天使族。まだ生き残りがいたか。おとなしく死んでもらおうか」

 相手を圧倒するような声。けれど、ここで引くわけにはいかない。

「俺は天使族、アーク・トリア。ここで退いてもらおうか」

 持っていた長刃の剣に魔力を流し込む。これで切れ味が格段に上がったはずだ。

 妖精族からもらった剣。どれくらい持ってくれるかな。

 そんなことを思いつつ敵の軍勢に突っ込んでいった。

「すまねぇな」

 かつての同胞たちを切り殺し、魔族をたった一人で圧倒していく。

 俺の記憶があるのはここまで。目が覚めると天使族の住む島『エンジェリング』にある自室だった。




 話し終えた俺はぬるくなったコーヒーを流し込んだ。

「数々の文献にある、悪魔王の取り巻きを全滅させ、その悪魔王の角1本、翼1枚を折った最後の天使族というのがお前なんだな?」

 タケさんの言葉にうなずく。

 聖魔対戦は結局魔族側の勝利で終わった。

 妖精たちは住処を変え、悪魔王ザビロが次の神となった。

 セミルの消息も不明。俺が殺されなかった疑問も残っているが、俺が天使族の生きる英雄として謳われるのはまた別のお話である。

「無限を持って無限を制したはずだったが、今ここに現存しているっていうことはあの戦争は無駄だったんだな」

「そうとも言えんぞ?」

 俺の呟きにルノが反応した。

「悪魔が聖魔大戦について学ぶときはこう習う。『天使族の若い兵と悪魔の王は互角に戦った末、互いの力を認め合い戦争を終わらせた。妖精族であった神はその戦闘から次の神を悪魔の王に任命した。その後、天使族の傷を治療した妖精族は姿を消した。』とな」

「そっか・・・」

 たくさんの神民、特に同族が命を落とした。けれども、セミルは生きていた。当時死ぬ予定だった俺も生きている。

 俺と悪魔王の間にあった出来事は何一つ覚えていないが、神が次の神に悪魔王を任命したのだから特に悪いことはなかったのだろう。

 神が次の神を任命するのは普通のことであり、任命された方もその資格がなければ神になることはできない。

 もう少しだけ早くこのことを知りたかった。

 俺が天使族として生きていた時にこのことを知っていれば、俺はきっとザビロを探し出し、当時の思い出を語り、酒を飲み交わしていただろう。それだけが心の残りだった。

 俺は残っていたコーヒーを全て飲み干して詠唱を始めた。

「『すべての物に有限を。限界を超えし力よ、その身を鎮めよ』」

『インフィニティ』を消し去る唯一の詠唱術『リストリクション』。これもまた、妖精族の秘術だった。

 出していた火が見る見るうちに小さくなっていき消えた。

 秘術と言われていたのはもう昔のこと。大戦後に世界が平和になったことはもちろん知っている。

 争いがなくなった世界で詠唱術は解禁された。こんな本があっても不思議ではない。俺の聡明な頭脳がそう告げていた。

「ルノ、帰るぞ」

 俺は席を立ち出入り口に向かった。

「タケさん。また明日来る」

 本来なら早いうちに詠唱術を覚えた方がよいのだろうが、昔を思い出し、そんな気分ではなくなった。

 その日は早めに床につき、その翌日。

 俺は朝からメルゴに向かい一日かけて使えそうな詠唱術を全て暗記した。

 そんな俺に1つ目標が出来た。

 アーウェルサに戻ること。

 俺には向こうでの記憶も少しだけあやふやになってきている。思い出したい。

 だが、その前に問題は山積みである。

 ゲームを終わらせることはもちろんのこと、学校祭を成功させなければならない。

 人間としての生活を楽しみ、かつゲームを終わらせる。

 今ならなんだってできる。そんな気がしてならなかった。

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