第12話 アラン
「マリア!アカデミーからの招待状だ!!」アランがある日突然大声を上げた。
「ほんと?」
マリアがアランのコンピューターのスクリーンを覗き込んだ。
間違いなくアランが送った論文の発表会への招待状であった。発表順は18番目だった。
「何が審査員の目を引いたんだろう。」アランは興奮して手が震えていた。
「判らないわあなたの論文読んで無いし。」
「ちゃんと読んでおいてくれよ君のフォルダにダウンロードしておいたんだぜ。」
「ごめん、後で読んどく。」
そう言いながら二人は抱きあって喜んだ。シンシアがそんな二人の様子を不思議そうな顔をして見ていた。
「アカデミーまでの航空券は登録済みだそうだ。」
アランはそう言って言いよどむ。
「ごめん僕一人分なんだ。」
「いいわよ別になんかの表彰と言うわけでもなし、第一トリポールは空港手続きが厳しいそうだし。」
トリポールは3基のコロニーが共通の重心を回転するコロニー郡で木星の衛星軌道上にある。
このコロニー群には木星連邦政府の首都コロニーがあり、同時に第一期木星移民の中でコロニー公社を創設し絶大な富と権力を持ったバラライト一族とその周辺の取り巻きが居住している。
バラライト系列の大企業の本社は全てこのコロニーに存在し、トリポールは莫大な税収を得ていた。
此処には政治経済の中心となるアステカ。兵器や工業製品の製造を主に受け持つマヤ、食糧生産を大きな産業とするインカの3基から構成されていた。
おのおののコロニーには強力な武装を持ち避難用のシェルターを装備しいる。この3基のコロニーは強力な要塞コロニーだと言われているが実際の装備は極秘とされ演習でも使用された事は無い。
ただ時折コロニーに搭載されている強力なレーザー砲の発射訓練は行われており現存する如何なる戦艦より遠方からの攻撃が可能とされているそうだ。
このコロニーは普通のコロニーの10分の1の人口で各部門のエリートだけが居住できた。
無論バラライトの末裔程度のマリアでは入る事も出来ない。まさしく木星におけるバラライト家の権力の象徴的なコロニーなのだ。
アランが今回の論文の発表は工業コロニーであるマヤにあるマヤアカデミー大講堂で行われるそうだ。
今回のテーマは人工頭脳だそうで自立思考コンピューターの研究に関する論文を集めた発表会らしい。アランの論文がその発表会に選ばれたのだ。
これは名誉な事だけではなく研究者として名前を売り出すチャンスであり多くの研究者が論文を送っている。
「あなたの論文が選ばれる事になるとは思わなかったわ。」
この発表会はバラライト家主催の発表会でありこの発表会に出るだけで相当な名誉とされているのだ。
「無機頭脳は意外とマイナーな研究者たちには人気が有るらしくてね。」アランはそう言って笑った。
無機頭脳はその研究当初から極秘とされ殆ど情報を出さなかった。その上あの事故のせいでますます情報を隠蔽を強められてしまった。
その為多くの研究者が情報を求めていたようであり、その辺も論文が採用された原因かも知れない。
「多分無機頭脳を再度研究したい勢力があるんだろう。」そうマクマホンが言っていたのを思い出す。
「今日は早番なので出かけてきます。朝食はテーブルの上に用意してあります。アランのお見送りができませんが宜しくお願いします。」
そう言ってシンシアはその日は朝早く出かけて行った。
今日はアランが学会の発表に出かける日である。ある意味ではアランの晴れ舞台では有るが世間では無機頭脳のことなどすでに忘れ去られようとしているかのように感じられる。
早めの朝食を済ますとアランはバッグを持って出かけた。トリポールは比較的近い位置にある。それでもシャトルで3時間はかかるのだ。
「それじゃあ行ってくるよ。」
「がんばってね、いい研究仲間が見つかるといいわね。」
「精一杯頑張ってみるさ。」
アランを送り出すとマリアは無機頭脳研究所に出かけた。
研究所に着き無機頭脳の設置してある部屋に入るとシンシアが挨拶をしてきた。
「おはようございますマリア。」
今朝早く出かけたシンシアもここでマリアを迎えるシンシアも同一の知性体である。
同じ意識の存在が同時に2か所に存在するという妙なロジックにもすっかり慣れてしまった。
マリアの意識の中ではロボットのシンシアと無機頭脳のシンシアは別個の存在でありながら情報は共有されているといういささか意味不明の状況である。
マリアにして見れば人の姿を持ち、人のようにしゃべるロボットの方がなじみやすくキャラクターと感じることができる。
しかし無機頭脳としてのシンシアにはキャラクターを想起するにはいささか抵抗のある姿をしている。何しろただの箱状の物体なのだ。どうしても機械的なイメージしか感じられないのは致仕方のないのないところではなかろうか。
「マリア、今日はあなたの機嫌が良いように見受けられます。」
シンシアにしてみれば精一杯の愛想なのかもしれない。しかしロボットの口から発せられるのと違い人間的な感覚は非常に低い。
「そお?どうしてそう思うの?」
「顔面の筋肉の緩みと普段とは誤差のある動きです。通常よりややアドレナリンの分泌が多いような動きです。」
どうしてもこのような計測的な話へと繋がってしまう。
「へえ~っ。あなたにそんなことが分かるとは思わなかったわ。」
「はい、グロリアの持つ感情推測プログラムを参考にしました。」
やっぱりそんなところだろう。無機頭脳と言えども人の感情を推測することを自ら学ぶ事は難しいのであろう。
結局グロリアのまねをしているだけなのらしい。自立思考をする上で人間は経験則で自己を形成していく。無機頭脳は手っ取り早くコンピューターの真似をする訳だ。
やはりどこか倒錯した部分に思い至るのは仕方のないところである。
「あなたまたコロニー管理コンピューターにアクセスしたの?」
「はい。」
「干渉しちゃだめよ。」
「いいえ、質問するだけでいつでもデーターをもらえますから。」
「まあいいわ。ばれないようにして頂戴ね。」
マリアは仕方ないなと思った。コロニーのホストコンピューターから知識を入手した方が人々の接触から知識を吸収するより何倍も効率が良いことは判っているからだ。
「今日はアランがいないからモニターしてくれる人がいないわ。後で私が自分で全部見なくちゃならないわね。」
「アランはいまシャトルに搭乗する所です。」
「シンシア、またコンピューターにアクセスしているの?」
どうやらこの子はいつも私たちのことを追いかけているようだ。
「いけないのでしょうか?」
「そうじゃなくてあなたに一日中私たちの行動を追いかけられていたらプライバシーが無いでしょう。」
「私たちは家でも研究所でも一緒に過ごしていますが。」
どういうわけかロボットのシンシアよりも本体の方が雄弁だ。
「それ以上一緒にいる必要は無いと思うけど?」
「あなた方二人は私にとってもっとも身近な人間だと言えます。それ故私が人間の中で生きていくためにはあなた方がどのような思考による行動とるのかということを調べるのは非常に有効なことと考えているからです。」
ほおっ。とマリアは思った。
シンシアは自らが人間と同化したいと考えているのだ。今までマリアですらその可能性は否定的であったのだが、実はシンシアは自分自身でそのような考えに至っていることを初めて知って驚かされた。
考えて見れば赤ん坊はいつも母親を求めて後をつける。シンシアは固定式頭脳であるから自ら動くことは出来ない。
しかし管理コンピューターにアクセスして私達の映像に常にアクセスしていたいのかもしれない。
そう考えるとまさにシンシアは大きな赤ん坊といったところかもしれない。
「まあいいわ。それじゃあ始めましょう。」
「はい。お願いいたします。」
「今日は聴覚分野の動作特性を調べてみるわ。」
「はい。先日の視覚分野での調整の結果処理速度が20パーセント上昇しています。」
現在は状況を見ながら感覚系や処理系の動作確認を行っている。
マリアはもっと思考の中心部にあるパーソナリティや感情分野への探査に入りたかった。
しかし人間の心同様に無機頭脳の脳の中も一つの宇宙に匹敵するほどの広さがある事も事実であった。まさに今マリアがやっていることは無機頭脳のデバックに過ぎずそれがどのような効果を生むかすら不明である。
それでもこの作業を行えるのはマリアしかいないという事実にある意味気が遠くなるような思いが有った。
マリアはダイレクト通信機に座るとシンシアの脳の検索を始めたそれでもかなり長い間シンシアの脳の中を見続けてきていると大雑把な地図が描けてきている。
アランがそれをかなりまとめてくれており今では大体どこがどのような働きをするのかはわかってきている。
もっとデーターを積み重ねれば心の存在する場所を特定できるかも知れない。その心の存在する場所に人間と共存させる為の安全装置を設定する方法が見つかるかもしれない。
淡すぎる期待とも言える。仮に心の有る場所を特定できたとしても人間に対する安全装置など存在しえないことはマリアにも判っていた。
その時マリアは異常な波動を感じた。
脳の中心部から大きく跳ね上がるような信号がマリアに向かって進んでくる。マリアが今までに感じたことのない異常な信号である。
いや、一度この信号に似たものを感じている。試験コロニーの中でシンシアに繋がった時の感覚に近い。
波動はゆがみとなってマリアの感覚を翻弄する。脳は通信は時として感情の動揺をも伝える。
マリアは驚き、恐怖、悲しみ、動揺。そう言った感情がないまぜになったような感覚に翻弄された。
「シンシア、一体どうしたの?何が有ったの?」声にならない声でマリアは叫んだ。
「マリア、マリア。」シンシアの声が聞こえた。
いきなりダイレクト通信から切り離されシンシアがマリアに呼びかけてきた。
「何?シンシア一体どうしたの?」
現実の異世界に引き戻されたマリアは混乱した感覚でシンシアに尋ねた。
「アランの乗ったシャトルの消息が途絶えました。」
「なんですって?」
マリアはあわててテレビを付けた。
「まだ通信社に発表はされていないかもしれません。」
「いつ消息を絶ったの?」
「7分前です。その後検索できる限りのチャンネルを使ってアクセスを試みました。しかし消息を絶つ直前の通信波に雑音が混じっており当該空域に発光が確認されています。」
「どうしてそれを?」言おうとしてマリアは口ごもった。
シンシアはコロニー内のあらゆるコンピューターにアクセスしているに違いない。言うまでもなくこれが無機頭脳の能力なのだ。
マリアは恐る恐るシンシアに尋ねた。
「あなたは通信途絶の原因を何だと考えているの?」
「情報が少なく確定的なことは判りません。」
「あなたの推測は?」
「シャトルに対するデブリの衝突です。」マリアの不安はますます激しくなった。
「そんな馬鹿なことはないわ。デブリはすべて管理されているはずよ。」
「木星の軌道上のデブリであればそうですが、系外軌道のデブリは軌道が不確定なため軌道観測は難しくなっています。」
「まさか、そんな……。」
テレビにテロップが流れた。「トリポール行き432便が消息を絶つ。」
「アランが………ああっアランが……。」
マリアは頭からスーッ血の気が引いて行くのを感じその場に崩れるようにへたり込んだ。
「マリア、具合が悪いのでしょうか?宜しければセキュリティに連絡を取りますが。」
マリアはシンシアの言葉も耳に届かなかった。
アランの身に起きたと思われる重大な事態に対して心が受け付けるのを拒否しているのだ。これは何かの間違いだ。
いや悪い夢を見ているのかもしれない。
「マリア、セキュリティに連絡を取ります。宜しいですか?マリア。」シンシアが更に大きな声でマリアを呼んだ。
マリアははっと我に返った。
「シンシア!」
「はい何でしょう。」
「アランは間違いなくあの便に乗っていたの?乗客名簿は調べられる?シンシア。」
マリアはこの情報が何かも間違いであり、直ぐにでもアランが戻って来ることを願っていた。
「乗客名簿は確認してあります。アランがあのシャトルに乗り込んだところも私は見ています。あの便にアランが乗っていた事に疑いの余地はありません。」
「シンシア……。」
マリアの儚い希望をシンシアは断固としてはねつけた。シンシアがそういうのであればそれは間違いのない事だろう。
「はい、マリア。」
「お願い叔父様を呼んで。」
これ以上立っているのも辛い。マリアはよろよろと椅子の方へ歩いて行った。
「判りました。」
すぐにマクマホンが駆け付けてきた。
「マリア!シンシアから連絡があった。いやあ、驚いたよ。アランが事故にあったというのは本当かい?」
「航空会社にはまだ連絡は取れていないわ。でもシンシアが……。」
「シンシアが状況を調べているんだね。」マリアは力なくうなずいた。
シンシアの能力に関してはマリアから聞いて大体の所は判っているマクマホンであった。
それ故に人間に比べて驚くほどの速さで情報を検索できる能力がある事は理解していた。
マクマホンはマリアを椅子に寝かせると航空会社に連絡を取った。
確認して連絡をくれるということだったのでマリアの電話番号を言って連絡を待つことにした。
程なく航空会社から連絡が入りアランが乗客名簿に載っていることが確認された。
現在宙域保安庁と警察の救援機が現場に駆け付けているらしい。軍も病院艦を派遣するとの連絡が入ってきた。
「大丈夫だよ座席には緊急時の生命維持装置が組み込まれているんだ。うまく作動すれば助かっているかもしれないからね。」
しかしみんなが知っている事ではある。こう言った事故において生存者の可能性は驚くほど低い。真空の宇宙に放り出された時点で人は死ぬのである。
特に突発的爆発事故では座席に備え付けられたライフセイブ機構が作動したとしても助かる事はまずないというのが定説である。
じりじりとするような時間が経っていくが一向に事態は進行しない。
爆発などによって機体や遺体が飛散していれば捜索に時間がかかるのは当然だし真空中に放り出された人間は死んでおり捜索は後回しにされる。
「マリア。」
その時シンシアのロボットが研究所に到着した。
「シンシア。どうして?」
「はい、仕事場に断ってこちらに戻ってきました。」
シンシアは仕事を中断してマリアの元へやってきたのだ。なぜ命令もしないのにシンシアがそのような判断をしたのかその時はマリアには判らなかった。
「おお、シンシア丁度良いマリアを家まで連れて帰ってはくれないか?」
「はい。判りました。」
「マリア、ここにいても仕方がない。アランの捜索には時間がかかるだろう。一度家に帰って待っていた方が良いだろう。」
マクマホンに促されてマリアは家に帰る事にした。
「マリア、私がいつも状況を検索しています。」シンシアがマリアの手を取る。
「判ったわシンシアお願いね。」
シンシアに付き添われてマリアは家に着くとソファーに横になった。
いてもたってもいられない心境だが何もできなかった。シンシアは黙ってマリアの横に座りマリアの様子を見ていた。
シンシアは私の事を心配しているのだろうか?それとも単にグロリアの真似をして付き添い時のプログラムを実行しているだけなのだろうか?
どちらにせよアランがいなくなったらこの娘を一体誰が守ってやれるのだろう?私一人ではとても出来そうもない。
無論叔父さんは力を貸してくれるだろう。だがこの娘の心に接続できるのは自分だけだ。アランというパートナーがいなければ私にはこの子を育てる自信なんて無いのに。
いやそれ以上に私は一体どういう風にこの子を育てればいいのだろう。
もう方向を示してくれたアランはいないのかもしれない。ああっ神様アランをなんとかして助けてください。マリアは途方に暮れた様に祈り続けていた。
マリアはテレビを付けっ放しにしてずっとニュースを見ていたがやがて疲れてウトウトしてしまった。
「マリア、起きて下さい。」その声にマリアははっと目を覚ました。
マリアの目の前でシンシアが椅子に腰をかけてじっとマリアを見つめていた。
「シンシア……。」
シンシアが何故マリアを起こしたのか?マリアは突然気がついた。アランが見つかったからだ。
「アランが見つかりました。」
「どこ?どこで見つかったの?生きているの?」
最後の希望にすがろうとマリアはシンシアに聞く。もしかしたら生きているアランを発見できたのかと?
「現在宙域保安庁の巡視艇がアランに近づいています。ヘッドカメラの映像がコントロールルームに送られて来ています。」
「アランは……?」マリアは震えていた。
「損傷はあまり有りません。椅子に座ったまま、まるで寝ているようです。」
マリアの目から涙がほとばしり出た。アランはもう戻ってはこないのだ。その事を改めて知らされたのだ。
「うああああ~~~っ。」
マリアは泣いた。シンシアにすがりついて大声を出して泣いた。自分にとってアランがこんなに大事な人間だったと今初めて気がついたのだ。
「見せて、お願いアランを見せて。」
マリアはシンシアに嘆願した。シンシアであればその位の事は造作も無いはずであった。
しかしシンシアは首を横に振った。
「お勧めできません。」
「そんな事言わないで。お願いシンシア、命令よ。」マリアは泣きながらシンシアに言った。
しかしシンシアは再び頭を振った。
「お勧め出来ません。」
その時初めてシンシアがマリアの命令を拒否したのだった。
真空の宇宙に浮かんでいる死体をその配偶者に見せる事が好まししくない事であるは言うまでもなかった。
シンシアには既にその様な人間的判断力ができていたのだった。
「ああ~っ、ああああ~~~っ。」
マリアは激しい嗚咽と共にシンシアに抱きついた。何でも良かった何かにすがりつきたい一心からだった。シンシアはそんなマリアを受け止めるとやさしくマリアを抱きしめた。
「大丈夫です。あなたには私がいます。あなたは私が守ります。私は死にませんから。」
シンシアの胸で泣きじゃくるマリアにシンシアはそっと呟いた。
アクセスいただいてありがとうございます。
アランの死によりシンシアを育てる重要なパートナーを失ったマリアです。
シンシアの暴走はコロニーの破壊すら起こしかねない危険をはらみつつ…以下次号
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