第13話 新しい生命

 アランは棺に納められ帰らぬ人となった。


 マリアはしばらく放心していたようであったがやがて徐々に元気を取り戻してきた。

 どのような心の傷も忘却という心を守るシステムが作動し再び生きてゆく生命力を取り戻すのである。


 シンシアはその間中マリアに付き添っていた。

 何をするでもなく何を語りかけるでもなくマリアの近くに存在していただけで有った。

 そしてマリアが仕事に復帰するとシンシアもまた仕事に出始めた。


「マリアよく戻って来られました。私はとても嬉しく思っています。」

 シンシアの本体は他人行儀にマリアに話しかける。まるで毎日シンシアの体と共にマリアに付き添っていたことを知らないが如き発言である。

「ありがとうアランはもう私達を助けてはくれないけれど私も精一杯頑張ってみるわ。」

「私も協力いたします。」

 マリアが研究所に来るとシンシアの本体はそう言ってマリアを迎えた。


 家に居るシンシアもここに居るシンシアも同一人物あるいは同一の心でできている.

 そのことは頭では理解していても現実として心が受け入れることは難しい。

 どうしても家にいるシンシアとここに居る無機頭脳は別の人格のような錯覚をしてしまう事がしばしば有る。


「シンシアも今日から仕事に行ったわ。もうだいぶ慣れたのかしら。」

「はい、仕事場の人たちは心配して声をかけてくれましす。院長さんはわざわざ仕事場に来てくれました。」

「それは良かったわね。」

 言っている側から直ぐこれだ。この様な存在の2重性を無理なく受け入れるようになるのはどの位の時間が必要なのだろうか?マリアは心の中で苦笑した。


「シンシア思ったより元気で安心したわ。大変だったでしょう。叔母さんは元気になられた?」

 仕事場のスーがそうシンシアに声をかけて来る。


「ご心配をおかけしました。」シンシアは型通りの挨拶をする。

「復帰早々で申し訳ないんだけど前々から今度の出産にあなたを立ち会わせるように院長から言われていたの。」

「出産?人工子宮の定期出産にですか?」

「そうよあなたにも赤ん坊が生まれる所を見せる予定になっていたのよ。あんな事件があって伸び伸びになってたけど、あなた赤ん坊の出産を見たことは無いでしょう。」


「赤ん坊が生まれる?」シンシアは遠い世界の事のように呟いた。


「そうよ今日は水曜日だから出産日でしょう」

 シンシアは赤ん坊が工場の様な所で生産されていることは知っていた。

 しかしどうも人口子宮の中に浮いている赤ん坊と今シンシアが扱っている赤ん坊との間には大きな認識のずれがあった。その2つは連続すること無く別個のものであるという認識を捨てる去る事がなかなかできなかったのだ。


 スーは少しためらう様にシンシアに言った。

「実はね、院長がさっき私に聞いてきたのよ。復帰明けだから今回は見送りにするかどうか相談を受けたの。あたしは大丈夫だって言ったんだけど、やっぱりあんたの意見を聞いてからでないとね。大丈夫?やれそう?」

「問題は有りません。しかし赤ん坊の出産は医師の管轄と聞いていますが?」

 この時までシンシアは保育士が出産に立ち会うと言う事を知らなかった。


「赤ん坊を取り上げるのは医師と看護師の仕事だけど生まれた赤ん坊の面倒を見るのは私たちの仕事なのよ。」

「私は何をすれば良いのでしょう」

「赤ん坊を洗ったらオシメを付けて保育器に入れて一週間観察するの。観察は看護師の仕事だけれどそれ以外の哺乳や着替えは全て私たちの仕事よ。」

「わかりました。」

「あなたは保育器の子供を扱った事はまだ無かったわよね。」

「はい、私の担当していた子供たちは3ヶ月児以降の赤ん坊ばかりでしたから。」

「赤ん坊が一度に100人位まとめて生まれるんだからまさに戦場の様になるわ。大丈夫あなたなら出来るから。」


 ふたりは人工子宮室にいくとまだ誰も来ていなかった。

 厳重なセキュリティを通過し準備室に入る。既に道具は昨日のうちに準備されていた。

「この次からは私達が準備から始めるのよ。」

 シンシアは黙って頷く。


 スーはシンシアを促して隣の部屋に入った。

 そこには壁一杯に透明な球体が埋め込まれていた。球体はひとつづつがユニットになっておりそれぞれにいくつかのランプと大きくナンバーが付けられている。

 ガラスの内側は何かの付着物で曇っており中は良く見えない。シンシアは赤外線視覚を用いて中を見ると小さな人間が中でうずくまっていた。

 まだ生まれる前の子供のようである。へそにはへその緒で機械と繋がっており赤ん坊は活発に動いていた。


「これが人工子宮室よ。貴方が面倒を見ている子供達はみんなここで生まれたのよ。」

「たくさんの子供達がここにはいます。みな正常のように見えます。」

「そうよ厳重な管理の下で育てられているからね。みんな健康で生まれてくるわ。」

「子供はみんなここで作られるのでしょうか?」

「ああ……もちろん委託を受けた人だけね。まだ自然出産を望む人も多いから。」

 壁に今日の出産予定の人工子宮のナンバーが表示されていた。


 二人は手術着を着込むと良く手を洗った。

「隣の部屋で医師が赤ん坊を取り上げたら看護師が登録をして足にバンドを付けるから、それが終わったら私達が産湯を使ってオシメを付けるの。」

「わかりました。」

「今日は102人ねがんばりましょう。」

「はい。」

「それじゃあ保育器のチェックからはじめるわよ。ガーゼ、タオル、産着の数もね。」


 二人がチェックを始めると看護師や保育士も集まって来た。

 やがて手術着を着た医師が現れ準備の状況の報告を受けると全員を集め手順の確認を行い出産が始まった。

 壁に垂直に設置されている人工子宮には既にタグがテープで張り付けられていた。


 シンシアはおかしなことに気がついた。

 壁に取り付けられた子宮には二種類の色があり片方はナンバーだけが振ってあるのに対しもう一つの方にはたくさんの書き込みがなされているのだ。

「スーさん。」シンシアはスーに聞いてみた。

「何故人工子宮には二種類の色が付いて居るのですか?」

「ああ、その事ね黄色は一般の子供。青は代理出産の子供よ。」

 スーは手を止めること無く答える。


「一般?代理出産?どういう意味でしょうか?」

「今は忙しいから後で教えてあげるわ。」

「判りました。」

 その話はそこで終わった。直ぐに出産が始まったからだ。


 看護師がボードに表示されたナンバーを読み上げると子宮は下に降りてくる。

 医師は子宮のふたを開けると赤ん坊を取り出しへその緒を切る。看護師がすぐにタグを足に巻く。その間医師は赤ん坊の状態を見ている。

 それが終わると保育士は産湯を使い赤ん坊を洗う。体を拭くと看護師はセンサーを赤ん坊に取り付け保育機に寝かせる。

 保育士はおむつを付け保育器を元の場所に戻す。保育器はコンピューター管理なされているから異常があれば警報を鳴らす。


 最初に渡された赤ん坊を見てシンシアは不思議な感情を覚えた。

 普段世話をしている子供達がどこから来たのかと言うことを考えたことがなかったからだ。

 赤ん坊はそこにいて他人の助けを必要としている。赤ん坊の世話をする事を命じられたので赤ん坊の世話をした。

 赤ん坊はその世話が気に入れば笑い、気に入らなければ泣いた。赤ん坊はシンプルに反応した。したがってシンシアはそれ以上は考えなかった。


 シンシアは今初めて赤ん坊は生まてくると言う事の認識が発生し胎児と赤ん坊の認識が繋がった。

 無論知識としては知っていたのだが人の誕生、そして人の始まりを見たことはシンシアにとって新しい概念の始まりであった。

 人もまた機械によって作られているのだ。

 しかし以前調べた資料によれば子供は母体より分離されて来ると有った筈だ。人間は親から分離して出来上がる場合と工場で作られる2通りの種類が有る事も知識としては知っていた。

 だがこの二種類の人間はどうやって区別を付けるのだろう。外見的には全く同じに見えるのだ。


 濡れた体で激しく泣く赤ん坊はあまりにも小さく弱々しい。シンシア達はガーゼを使って赤ん坊をぬるま湯で洗う。

 シンシアは子供を潰さないように細心の注意を払った。

 こんなに小さくても生きている人間であり、何年かの後には大きく育って大人になるのだ。

 赤ん坊を洗い終わりタオルで体を拭く頃には赤ん坊はおとなしくなっている。

 どうやら人間とは生まれたばかりの時は泣くものらしい。この世に生まれたことを回りに知らせるためだろうか?


 自分が生まれたときは泣いたのだろうか?ふとシンシアは考えてしまった。


 その頃シンシアとダイレクト通信で繋がっていたマリアに妙な波動を感じた。

 先日アランの事故が有った時の波動はひどく不快な感じであったが今回の波動はそれとは違う。

 発生している場所は特定できないがおおむねのエリアは判る。かなり広範囲の場所から発生している感じを受けた。


「シンシア。」

 マリアがダイレクト通信を通じてシンシアに尋ねた。

「はい。マリア。」

 シンシアにとってマリアとの通信は仕事の障害には全くならない。

 シンシアの能力のキャパシティははるかに高く、たとえあと10台のロボットをコントロールしていてもまだマリアとの通話を続けられるだろう。


「いまあなたのロボットは病院で何をやっているの?」

「子供の出産に立ち会っています。」

 心なしかシンシアの声が楽しそうに聞こえる。

「出産?保育士のあなたが?」

「はい。人工子宮から新しい赤ん坊が次々と生まれてきています。私はその子供たちを洗って保育器に入れている所です。」

 そうか赤ん坊を取り上げているんだ。どうりでシンシアが発する波動は暖かな感じがする。


「あなたはその赤ん坊を見てどう感じているの?」

「小さいです。」

「他には?」

「皺だらけです。」

「そうじゃなくてあなたはどう感じているの?」

 人間がこの世に初めて生まれてくる瞬間をシンシアはどう感じているのだろうか?マリアはその事に非常に興味を惹かれた。


 しばらく沈黙が有った。


「不思議です。私が生まれたばかりの子供を見るのは初めてです。日頃見ている赤ん坊に比べてひどく異質で頼りが有りません。」

 シンシアは生まれたての赤ん坊を見て少し戸惑っているようだ。

「あなたはその赤ん坊をどうしたいの?」

 シンシアに対しやや曖昧な質問をしてみた。

 こう聞くことによりシンシアがその赤ん坊の何に最も興味を惹かれているか判るだろう。


「ミルクをやり、おしめを替えます。」

 やはり仕事の方に興味が行っている。まあ当然だろうが。

「泣いたら?」

「無く原因を調べその原因を取り除きます。」

「あなたを求めてきたら?」

「私は食べ物ではありませんから与えられません。」

「そうじゃなくて抱っこしてもらいたがったら?」

「まだそのレベルの大きさでは有りません。私が抱き上げるのは危険です。」

 シンシアらしい回答だとマリアは思った。しかしマリアが思っていたよりずっとシンシアは人間的になって来ている。


 マリアは先日アランを亡くした。しかし今日はシンシアが新しい命の面倒を見ているのだ。

 くよくよしても仕方がない。シンシアは順調に育っているし人としての常識的な行動をとれるようになってきている。

 アランが研究していた無機頭脳による無機頭脳の安全装置の研究は私一人ではできないだろう。

 いずれアランの論文を読んだ研究者が協力を申し込んでくれるかも知れない。そんな淡い期待をマリアは持っていた。


「マリア。」突然シンシアの方から声をかけてきた。

「どうしたの?シンシア。」

「先ほどのマリアの質問をずっと考えていました。」

「赤ん坊のこと?」

「はい。なぜ人間は赤ん坊の形で生まれるのでしょうか?確かに大人の大きさでは人の体の中には入りきれません。それにしても脆弱すぎます。一人では生きていくどころか目を離していれば死んでしまう危険がある程に脆弱です。」


 マリアはシンシアの言葉に興味を持った。そうこれは子供を育てるうえで必ず感じる疑問なのだ。


「それで?」マリアは用心深く聞いた。

 マリアがシンシアに聞きたかった答えが聞かれるかも知れないのだ。

「しかしその事は現実の問題ですから変えようがありませんが、多くの同僚たちはその事を楽しんでいるようにすら感じます。これは私にとって大いなる疑問です。」

 マリアはほっとした。シンシアはマリアの杞憂とは真逆の質問をしてきたのだ。


「あなたは今の仕事は嫌いなの?」

「いいえ、子供が危険に至らず順調に成長させる事が私に与えられた仕事です。」

「それだけ?」

「私たちは先日アランを亡くしました。それでも新しい命は生まれてきます。生きている者は生きる事が与えられた使命ではないでしょうか?そんな風に感じます。ですから私はそれを手助けをするのが仕事だと認識しています。」


 いいわ。シンシア良くそこに気がついたわ。


 シンシアは命の尊厳に関して学んだようだ。またシンシアの人間に対する安全装置がひとつ増えた事になる。

 シンシアが人を大切に思う心が生まれればシンシアが人の中で暮らせるようになるかも知れない。

 少なくとも人間が仕事を邪魔する只の物体と考える事がなくなれば目的のために簡単に人間を排除しようとは考えなくなるだろう。


 マリアは再びシンシアの脳内情報に神経を集中した。先ほどの波動はきっと感情の萌芽に違いない。

 そのあたりを詳しく調べればあるいはシンシアに感情をもたらせるかもしれない。

 そうなればきっとシンシアに新たな可能性が開ける。マリアはそう考えていた。


 シンシアはおかしな事に気が付いた。

 赤ん坊がセンサーを付けられている間別の看護師が何かの機械を赤ん坊の足に当てているのだ。

「スーさん。あれは何をしているのでしょうか?」

「ああ、あれは赤ん坊の足の裏にコードナンバーを印刷しているのよ。」

「印刷?人間の体にですか?」

「特別な機械以外では読みとれないし見ることもできないわ。万一タグがはずれても識別が付くようによ。」

「赤ん坊には全員行うのですか?」

「まさか移民の子だけよ一般の人の出産の場合は足の指紋と顔面認識だけね。」


 たしかに産湯を使った後で看護ロボットがじっと赤ん坊の顔を見ている赤ん坊の顔を認識しているのだろう

「ロボットの目は定量化して人の顔を覚えるからあまり間違うことはないんだけれどね。」

 その時初めてシンシアは人工子宮の色の違いについて理解した。

「スーさんそれでは人工子宮の色の違いはこのコロニーに親を持つ子供とそうでない子供の違いでは無いのですか?」

 その言葉を聞いてスーは大きくため息を付いた。


「あなたの考えた通りよ、黄色い子宮の子は地球から送られてきた卵子移民から生まれた子供が入っているの。」

「それでは青い色の子宮には両親がいて出産の代理を行わせる為に此処で育ててもらっているのですね。」

「そのほうが楽で安全だと考える人達も大勢居るのよ。」

「それでは私が育てている子供たちは移民の子供なのでしょうか?」

「その通りよ。親の居る子供は保育器から出たら親に引き取られるの。親のいない子供達だけが私達の所に来るの。」

 スーの言い方にはどことなくトゲが有った。スー自身今のシステムに対する不満が有るのだろう。


「ではなぜこの子達だけ印刷を?」

「法律なのよ。」

「どのような法律でしょうか?」

「移民法にあるのよ。移民の子供を管理するための法律ね。」

「しかしこの子達は卵の段階の移民ですが。」

「それがねえ卵子移民の差別につながっているんだがねえ政府はあえて現地住民と移民を差別しているみたいな所があるのよ。」

 シンシアにはスーの言っていることが理解出来なかった。人はその出生によって差別をされるのが社会習慣のようである。

 シンシアは院長がシンシアがロボットのボデイの内蔵通信機を使わないように言った時の言葉を思い出した。


(外から来た人間の中にはロボットにひどい態度を取る人もいるんですよ。)


「何のために差別を?」

「あなたはまだ若いからこういう話は分からないでしょうね」

 スーはそれ以上は話さなかった。



 この後シンシアがこの世界の根深い対立について意外なほどに早く知らされることになるのだ。





アクセスいただいてありがとうございます。

絶望の中、シンシアの新たな成長を喜ぶマリア…次号はサイドストーリーです。

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