第10話 人と生きる

「やあ、おかえり。どうだった?」


 アランは片付けを終わったのか諦めたのかわからないが居間のソファーに寝転がっていた。


「片付けは終わったの?」マリアが突っ込む。

「一応荷物は見えなくなったよ。」


 この辺が本音だろう。


「お腹すいたよ。」アランがお腹をさする。

「シャワーが先よ。」

「いいとも。ゆっくり入っておいでよ。それでシンシアはどんな所で働くんだい?」

「はい、中央綜合病院の育児センターです。」

「へえ、子供の面倒をみるんだ。頑張ってくれよ。」

「はい。」

 アランはさして興味が無いのかそれ以上は聞かなかった。


「シンシアの部屋は片付いたみたいだけどまだベッドが無いな。飯を食ったら買いに行こうか?」

「私は眠る必要が有りません。椅子が一脚あればそれで結構です。」

「居間のソファーを一脚あげましょう。

「そうかそれじゃこれを持って行くといい。」

アランは部屋の隅に置いてあった一脚を指さす。


「よろしいのですか?」

「いいとも。君の部屋に持っていけばいい。」

「ありがとうございます。」

「それじゃあしばらくゆっくりするか。再びアランはソファーに寝転がった。」

 シンシアは部屋にソファーを運ぶとリビングに戻った。

 アランはソファーに横になってもういびきをかいていた。


 シンシアはしばらくアランを見ていたがふと思い立って食品庫の方へ歩いていった。


 食品庫には少なからず食品がストックされていた。マリアは自分で料理をしていたようだ。

 シンシアは部屋からフリルの付いたエプロンを取り出して着こむ。

 いくつかの食材を取りあげとキッチンの方へ向かい料理を作り始めた。


 マリアがシャワーを浴びて出てくるとすっかり夕食の用意が出来ていた。

 料理の匂いがアランの鼻腔をくすぐるとアランも目を覚ます。


「シンシア、これはあなたが作ったの?」

 テーブルの上に並べられた料理を見てマリアは目を丸くした。

「へえ~っこりゃすごいや。シンシアは料理まで出来るんだ。」

 アランもやってきてよだれをたらしてた。


「はい、料理を作るのは初めてなのでレシピ通り作りました。しかしレシピには『ひとつかみ』とか『少し柔らかくなったら』など定量化の難しい表現が多く、またこのボディには味覚センサーが有りませんので味を確かめる事が出来ませんでした。」


アランとマリアは顔を見合わせる。


「砂糖と塩の区別はついた?」

「はい、それはスペクトルが違うので区別がつきます。」

「大丈夫かな?」

 マリアは慎重に食べ物を口へ運ぶ。しかしレシピ通りというだけ有って普通に食べられる物になっていた。

「いかがでしょうか。」

 いつもの通り全く感情を表すこと無くシンシアは聞く。これで不味かったら目も当てられない。


「ん、これは結構いける。」

「だいじょうぶよ、おいしく出来ているわ。」

 マリアもシンシアの料理の腕に驚いた

「うん、マリアの食事よりおいしいよ。」


 マリアはテーブルの下で思いっきりアランの脛を蹴った。


「それは幸いでした。」

「なぜあなたは夕食を作ろうと思ったの?」

 マリアは夕食を続けながら聞いた。


「やることが有りませんでしたから。」

「そうじゃなくてなぜ料理なのかと思ったのよ。たとえば私が外に食べに行ったり給食を頼むとかは考えなかったの。」

「ご迷惑だったでしょうか?」

「こんなメイドさんならいつでも大歓迎さ。」屈託なくアランは言う。


 まあこの男のいい所は何も考えないところなのかもしれないな。そうマリアは思った。


「いいえ、とてもうれしかったわ。」

「キッチンを見たときその使用頻度が高い事がわかりました、食品庫には必要上十分な食料ストックが有りました。それによってマリアは自分で料理を作っていることが推測されました。アランは空腹を訴えており私はすることが有りませんでした。だから私が料理を作るのが合理的であると判断致しました。」

「ありがとうシンシア私の事を気遣ってくれたんだ。」

「面白い考え方だね。合理的なようなそうでないような。」


 マリアの感じ方は情操的であろう。一方シンシアの主張も合理的とは言いがたい。

 何かシンシアにはマリア達の為になりたいとする欲求が生まれたのかもしれない。それはシンシアがより人間的な物の考え方に近づいていることを示している。

 それでもこの家でのシンシアの役割が決まったようなものであった。その後シンシアはこの家の家事一切を引き受けることに成る。


 元々アランは全くの役立立たずだから丁度良いとも言えた。何しろアランの作る食事を食べたく無いのでマリアは自分で作っているのだ。

 食事が済むと二人で片づけを行ったシンシアは想像以上にてきぱきと家事をこなした。これなら仕事場でもうまくやれるかもしれないとマリアは思った。

 片づけが終わるとシンシアはエネルギーの補給を行った。


 マリアが培養タンクに入るよう言うと着替えをすると言って部屋にはいると素っ裸になって出てきのを見てアランがソファーから転がり落ちる。

 あわててマリアが止めるとシンシアは不思議そうに言った。

「培養タンクに入る前にシャワーを浴びる必要が有ります。シャワーを浴びないと培養液が汚れます。」


「レディは家の中を裸で歩かない物なの。」

 そういってシンシアにマリアのバスローブを渡した。

「私達は先に寝るから後は好きにして頂戴、でもこの家から出てはだめよ。」

「わかりました。」そう言ってシンシアは浴室に入って行った。


 シンシアが培養タンクから出てきたのは夜中を過ぎていた。

 既にマリア達は眠っていた、シンシアは着替えをすますと長い間ふたりの眠る部屋の前で立ち尽くしていた。

 やがて向きを変えると部屋に行き椅子に座りスリープモードに入った。

 ロボットがスリープモードに入ってもシンシア本体が眠る訳ではないシンシアは今日の事について考えていた。


 シンシアがロボットをコントロールするのは初めてでは無い。実験コロニーやそれ以前の訓練機関も作業ロボットをコントロールしている。

 しかしいずれの場合も作業目的は明確であった。目的のない行動はあり得なかった。目的が達成されればロボットはハンガーで活動を休止する。

 しかしこのボディで活動を開始してからはは目的が不明確な作動時間が多く、しかも行動に規制がかかりすぎる。これではまるで人間ではないか。

 マリアは私に人間のまねをさせたいのだろうか?それはどんな意味が有るのだろう。

 シンシアには思考する以外する事が無いのだ。自分は生まれた理由を失ってしまった。

 新たな存在理由をこのボディを使って見つけなくてはならないらしい。しかしそれは誰がどうやって決めるのだろう。


 シンシアの思考は止まらなかった。


 次の日シンシアは指定された時間に病院に行くと、昨日会ったスーと言う女性が待っていた。


「それじゃあ早速始めましょうか。」

 スーは大きな体一杯に存在感をみなぎらせて言った。面倒見の良い親分肌の人らしい。

「はい、宜しくお願いします。」素直にシンシアは答える

「さあ、それじゃまずは食事からね。」


「シンシア、お仕事は始めた?」

 研究所でマリアがシンシアの頭脳に聞く。

「子供達に食事をさせ始めました。」

「そお、がんばってね。」

「食べてもすぐ吐き出します。」

 マリアは苦笑した。シンシアが子供相手に悪戦苦闘している姿が想像出来たからだ。

「それじゃあ今日のテストを始めるわよ。」

「わかりました。」


 いつもの様にシンシアはダイレクト通信でマリアと繋がった。


「無理強いしちゃだめよ赤ちゃんにあわせるのよ。」

 シンシアの手つきを見てスーは言った。

「はい。」

 シンシアにとっては何もかもが初めての経験だった。

 こんな小さな口に物を詰め込めと言われたのだ。それも少しづつ入れるのだ。

 何と人間とは反応が一定しないのだろう。そうシンシアは思った。

 

「まだこの子達は離乳食の時期だから。あまりうまく食べられないのよ。」

「ぎゃああ~っ」

 いきなりシンシアが食事を与えていた赤ん坊が泣き始めた。

「どうしたの?」

「すみません、驚かせました。何故かこの子の手を握ったらいきなり泣き始めました。」


 スーはシンシアと赤ん坊を交互に見ていたが。

「あなた、もしかして義体なの?」

 スーはそう気がついて聞いた。しまった経歴をよく読んでおくべきだった。忙しさに紛れて読んでいなかったのだ。

「はい、そうです。」

「気を付けて頂戴、あなたまだ力のコントロールが出来てないのね。赤ん坊はとても柔らかくて壊れやすい生き物だから。」

 スーは泣いている赤ん坊をあやしながら注意する。


「はい、気を付けます。」

 あやされて機嫌の直った赤ん坊に再び食事を与えようとするがそっぽを向かれる。

「あ~あ、嫌われちゃったみたいね。」

 スーも完全義体の新人が来るとは思わなかった。これは少し苦労することになるかも知れないとスーは考えた。


「残念です。」言葉には全く感情が現れてはいなかった。

「大丈夫よすぐ忘れるから。」スーはニコッと笑って慰める。

 シンシアは赤ん坊をあやそうと余分な圧力を与えないようにセンサーに注意しながら抱き上げる。

 抱き上げると赤ん坊はシンシアをじっと見つめる。そっと抱き揺すってみる。

「そうそう、そっと優しく揺すってあげるのよ。」

 あやされた赤ん坊がご機嫌になって笑う。


「この子は笑っています。」シンシアは何故赤ん坊が笑うのか判らなかった。

「いいでしょう赤ん坊の笑い顔は屈託がなくて。」

 スーはシンシアの疑問には気が付かず答える。

「この子達の両親はいつ迎えに来るのですか?」

 赤ん坊がいれば親がいる。親はどこにいるのだろう。そんな疑問がシンシアに湧いてきた。


「あなた聞いて無かったの?」

 スーはシンシアの質問に微妙な感覚を漂わせて聞いた。

「何をでしょう?」

「この子達は地球からの卵子移民よ。」

「卵子移民?」

 シンシアに取っては初めて聞く言葉である。検索をかけ始めたが途中でやめる。スーが話を続けているからだ。


 シンシアは検索して調べる前にスーの話を聞くのが正しい行動だと判断した。

「そうよ、木星コロニー群の人口政策と地球との条約なのよ。」

「人の卵を移住させるのですか?」

「生きている人間を木星に届けるのはものすごくお金がかかるのよ。1年以上人間を生きたまま届けなくてはならないからね。」

「人工冬眠では?」

「それでも人間を生かしておくのは大変なの。その点卵だけならコストはほとんどかからないの。」

「では子供はどうやって生まれるのですか?」


「人工子宮よ。」

「私は人間の子供は母体から生まれて来ると思っていました。」

 シンシアに対する教育の中では余り人間生活の事は重視されなかった。考えてみればコロニー管理は人間社会の管理である。

 コロニー管理実験の失敗は人間を知らなさすぎた事も原因のひとつであったのかも知れなかった。

「技術が確立されてからは自然出産はだいぶ減ってしまったわ経済的余裕のある人は人工出産を選ぶ人が増えてしまったからね。」

「スーさんも人工出産が良いのですか?」

 何故こんな事を聞いたのか判らなかった。しかしその何ヶ月も経った後にその理由を理解することになる。


「あたし?あたしはいやよ自分が生むから自分の子供だという実感が有るんじゃない。」

「そうですね。」曖昧な感じでシンシアは答えた。

「あ、ごめんなさい。そう言う意味じゃないから。」

 スーは完全義体の人間にはタブーの領域に入ってしまったことに気が付き直ぐに訂正した。

「なにがでしょう?」シンシアはスーの言っている意味が判らずに聞き返す。

「ま、いいわ。ただねえ人工出産の増加と共に育児放棄が増えているの。自分が生んでいないから自分の子供だという実感が無いみたい。」


 スーは食事をさせている赤ん坊をいとおしげに眺めた。


「それでもそう言う子供達はまだ良い。少なくとも血のつながっている親がはっきりしている。だから帰ろうと思えば帰る場所は有るたとえ邪魔にされてもそこは自分の家族の家だから。」

 スーは食べ終えた赤ん坊を抱き上げると背中を擦った。


「でもこの子達は生まれた時から天涯孤独なのよ。自分が拠るべき場所を持たない。つまり帰る場所が無いのよ。」

「それはそんなに大事な物なのですか?」


 シンシアにとってこの様な話は実に興味深いものだった。今まで人の生活や成り立ちに関して全く情報が不足していたと感じた。

「大事だと思うわ。人には根っ子となる物が必要なの。結婚して家族を持てばそれが根っ子になる。それまでは親がその根っ子なのよ。」

「では親を持たないこの子達は。」

 シンシアは子供を抱き上げると力を入れ過ぎないよう気をつけて抱いてみた。

「最近では卵子移民達が集まってホームという組織を作って家族の肩代わりを行おうという人たちも出来てきているみたいね。」


「この子達はこんなにも暖かくて柔らかいのに愛してくれる人を持てないのですね。」

 シンシアは赤ん坊をそっと抱きしめた。赤ん坊は屈託なくシンシアの顔を触っていた。


「マリア今日の勤務が終了いたしました。」

 仕事をしていたマリアの横でシンシアの本体が報告する。

「そう、シンシアどうだった?この仕事は続けられそう?」

 どうもあまりにも人間的な聞き方だなどとマリアは思ってしまった。


「はい今日一日で多くの知識を得ました。データーや知識の検索では得られない事が数多くあります。」

「よかったわねシンシア。」

「これから家に帰る所です。今日は何の料理にしましょうか?」

 おかしなものである。勤め先にシンシアがおり、此処にもまた同じシンシアが存在して今話をしている。


「そうね、中華がいいかしら。」

「いや、チキンがいい。」

 コンソールの向こうでアランが叫ぶ。どうやら聞こえていたらしい。いやしい奴め。

「分かりました。」

 チキンはたしか有ったはずだなと思った。

 今度シンシアをスーパーに連れて行かなければ。そうマリアは考えていた。


 アパートに帰ると家の中がすっかりきれいになっていた、シンシアの仕業らしい。台所でシンシアが料理を作っていた。

「悪いわねシンシア。」

 マリアは料理をしているシンシア見て言った。

「いえ、家事はとても楽しい作業です。」


 シンシアはそう言って振り返ったがその顔はまだ微笑んではいなかった。まだそこまでは出来ないのだろう。




アクセスいただいてありがとうございます。

登場人物

エムリア・スー          シンシアの務める病院の先輩

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