3-20 授業

「じゃあ早速、授業を始めます!」と言って、クララ先生は眼鏡をかけた。

 俺は気持ちを引き締め、背筋を伸ばした。

「偉大な黒魔導士メイジになってもらうために、あなたには二つの課題を与えます」

「はい」

「その一! 〝走り込み〟!」

「……?」

「今日はタワーの周り三十周! 毎日一周ずつ増やすからね! さぁいってらっしゃい!」

「ちょ、あの、先生」

「なぁに?」

「これ、黒魔導士メイジの修行ですよね?」

「そうよ!」

「なぜ走り込みを……」

 先生は「いいから走れ!」と、さわやかに言い切ってから、「……と言いたいところだけど、教えてあげるわ! 意味がわからないままやってても効果的じゃないものね!」と言った。

 それから先生は、黒板に○を四つ、ひし形状に並べて書いた。

「これはなんだと思う?」

菱形陣ローンバスですか?」

「そう!」

 前衛一枚陣形ワントップフォーメーションは、前列一人・中列二人・後列一人の菱形陣ローンバスと、前列一人・後列三人の三角陣トライシフトに分けられる。 

「この中で黒魔導士メイジのポジションはどこ?」

「中列か後列です」

「そうね! 編成にもよるけど、黒魔導士メイジが前列に来るってことはまずないわよね!」と言って、先生はそれぞれの○に「ふぁいたー」(戦士)・「あーちゃー」(狩人)・「さもなー」(召喚士)・「めいじ」(黒魔導士)と書き込んだ。

 そして、「それじゃあダメなのよ!」と言い、図全体に大きく×をした。

「……」

「そもそも前衛ブロッカー目的はなに?」

「……後衛シューターを守るため」

「それじゃあダメなのよ!」と言って、先生はさっき描いた×の上に、もう一度力強く×を描いた。

前衛ブロッカーってものを置くのは、魔法の詠唱の間、無防備になるからよね! 無防備にならないなら、前衛ブロッカーはブロックなんかしないで最初から攻撃に参加できるし、後衛シューター前衛ブロッカーの状況と関係なく魔法が使えるわ」

「でも、無防備にならないっていうのは……」

「走りゃあいいのさ!」と言って、先生は「めいじ」の○から矢印を出して「はしれ!」と書いた。

「突っ立ったままの詠唱は卒業なさい! 走り回りながら詠唱できるようになれば、守ってもらう必要なんかなくなるわ!」

 ……なるほど。

「その昔、他の誰でもない、私がエバンス君たちに陣形戦を教えたんだけど、もうあれは古いの! ごめんね!」

「いえ、そんな、謝っていただくことじゃないですけど……」

 前衛レオン後衛俺たちを守らない戦い方は、ある意味正しかったことになるのか――いや、あれは成り行きでそうなっていただけだ。作戦とは言えない。

「さぁ、これで意味はわかったわね! 元気にいってらっしゃい!」

「あの、すいませんもう一つ」

「なぁに?」

「そういう目的なら、ただ走るんじゃなくて、詠唱しながら走ったほうがいいんじゃないですか?」

「うん! ゆくゆくはそうしたほうがいいと思うけど、最初は走るだけでいっぱいいっぱいなんじゃないかしらね!」

「え?」

「行けばわかるわ!」


 塔を降りて即、理解した。

「槍術教えます! 今なら入会金無料!」

加護プロテクション覚えへん? カッチカチやぞ!」

「野球やろうぜ!」

 そうか……

 この人混みの中を「走る」のか……

 けど、このぐらいできなきゃ、魔物の攻撃をかわしながら魔法の詠唱なんてできるわけがない。

 よし、行こう!

 と、走り出した瞬間、トーストをくわえた女の子と激突した。

 幸か不幸か、パンツは見えなかった。


 当たり前だけれど、人混みの中を走るのは難しい。森の中で樹をよけて走るのとは全然違う。周囲の動きを予測して、その都度コースを修正しなきゃならない。

 難しい上に、疲れる。ジグザグになるから距離が伸びるし、足運びもせわしない。

 そして、心の損耗も激しい。迷惑そうな――当然だ――視線が突き刺さる。いつ文句を言われてもおかしくない。穏便にこの訓練を続けるには、一日でも早く透明化トランスペアを覚えるべきだろう。


 どうにか三十周走り終えて、へろへろになりながら教室に戻ると、そこは花園だった。

「ええっ、お砂糖ってこんなに入れるんですか?」

「そうよ! だから太るの! こんな風にね!」

「やだぁ先生!」

「あんた痩せすぎよ! ちょっとは太りなさい!」

 華やかな笑い声。色とりどりのエプロン姿。〝ステラおばさんのクッキー教室〟が開講されていた。

 クララ先生、もといステラおばさんは俺に気づくと、「あ、みんな! オーブンさんが帰ってきたわ!」と言った。

 オーブンさんって誰だ。

 生徒たちは声を揃えて、「おかえりなさい、オーブンさん!」と言った。

 だから、オーブンさんって誰だ。

「さぁオーブンさん、お入りください!」と、ステラおばさんは大きな窯を示し、それから小声で「放射型ブラストは使えるわよね!」と言った。

「え、放射型ブラスト?」

「課題その二! 火球パイロ放射型ブラストでクッキーを上手に焼きなさい!」

「……なんで放射型ブラストを?」拡散型ショットの下位互換。状況を選ぶし、威力も低い。獄炎犬ヘルハウンド戦での失態が思い出される。

「説明してあげたいとこだけど、今は授業中だから!」

 俺も授業中なんですけど。

「あとで説明するから、入って入って!」と、俺は窯に中に押し込められ、生徒たちから「お願いしまーす!」と、クッキー生地が乗った耐熱皿を次々と渡された。

 窯の中には耐熱皿を置く用の棚があった。

「……」

 受け取ってしまった生地は、焼くしかない。俺は火球パイロの印を結び、放射型ブラストを撃った。

 炎のドームはすぐに窯の壁まで達し、消えた。

 生地を確認すると……焼けていない。弱すぎたか?

「どうしたオーブンさん! オーブンなんだから十分以上は焼かないと!」

「な……!」じゅっぷん?

「それも、コゲたり場所によってムラが出たりしないようにね! さぁ、もう一度!」

「……」

 さっきより強めに、火球パイロ放射型ブラスト

 壁際で、〝止まれ〟……いや、〝止まる〟……よし、止まった!

「お、うまいじゃん! 昔は制御コントロール苦手だったのに上達したわね!」

 そういうこと言って大丈夫ですか先生。追われる身でしょう。

 ……と、人の心配をしている場合じゃない。魔法をのがこんなに大変だとは知らなかった。まるで指一本で逆立ちをしている――そんなことできないけど――みたいだ。

「くそっ……!」

 三十秒と持たなかった。しかも、消え際に出力パワーが出すぎたようで、生地はみんな黒コゲになってしまった。

「あー……」と、生徒たちの残念そうな声。

 俺はたくさんの女性を傷つけるクソ野郎になってしまった。穴があったら入りたい。あ、穴には入っている。

「元気出して、オーブンさん!」と、ステラおばさんが言った。

 すると、生徒たちも努めて明るく「元気出して、オーブンさん!」と声を揃えた。

「さぁみんな、もう一度生地からやり直しよ!」

「はーい!」

 そして、キャッキャウフフの生地づくりが始まった。

 え、ウソだろ。もう一回やんの? まだ全然コツがわからない。

 先生、なにかアドバイスを……と思ったけれど、ステラおばさんは生徒たちとの談笑で忙しい。

 これは、やばい。早くコツをつかまないと、尽きる――魔力より先に精神力が。

 空の窯の中で練習をしていると、「オーブンさん、なにしてんの?」と、一人の生徒から声をかけられた。

「……あ」

 それは、さっきぶつかったトーストの女の子だった。

 回収しなくていいフラグが回収された。尚、発展することはない。

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