後編『恐怖』 ~人に悪意を持つ何か、の話~

第6話 赤幣

「俺にとっては、決定的に人生狂わされた絶対忘れられない出来事です」


 田端くんが、そう前置きして教えてくれた話。


 いやな話、後味の悪い話が嫌いな方は、ここから先は読まない方がいい。



 今から四年前、高校三年のある日。彼は、通学路の河原の近くで財布を拾った。


 使い込んだ感じの、黒い革製のものだった。


 誰も見ていないのを確認すると、バッグに突っ込んで近所の公衆トイレに直行した。


 大の方に入って、中身を確認してみた。


「うっお!」


 まず、10000円札が姿を現した。すげぇ、と学生時代の彼は思った。


 でも、何だかその紙幣に違和感がある。


 何だろう、と首を捻りながら、更に探ってみる。


「ええっ!何だこりゃ?!」


 次には、新渡戸稲造にとべいなぞうが顔を出した。旧5000円紙幣だ。


 だが、彼はその眼鏡をかけた偉人の顔に見覚えがない。田端くんが10歳前後の頃に引退した比較的高額な紙幣であるから、ムリも無い話である。


 更に続いて2000円札が入っていたことから、彼も「この中のお金は昔使われていた古いものなのかも知れないなぁ。10000円札も何だか今と違うようだったしなぁ」と気づき始める。

 よく見れば、けっこう使用感もある。しかしこの財布、何故こんなに古いお金ばかりがたくさん入っているのだろう?


 1000円札もあった。夏目漱石だった。これは現物を見た覚えがあったので、「間違いないな」と確信した。


 もう一枚、入っているようだ。田端くんは、何だかそわそわしだしていた。自分の知らない珍しい紙幣を見れるのではないかと、妙にテンションが上がってきたのだという。


 取り出した。

 ベトベトの真っ赤な液体が付着した長方形の紙だった。


「げっっ?!」


 心臓が止まるほど驚いた瞬間、財布も赤い紙も、くみ取り式の便器の中に落としてしまった。


「あーっ。あ、あ・・・」


 取り乱してみたが、あとの祭りである。


 顔を思い切りしかめる。真っ赤なベトベトがくっついた右手の人差し指と親指。


 おそるおそる、臭いを嗅いでみる。


 意外なことに、何の臭気もなかったという。


  ※   ※   ※   ※


「それがねぇ、松岡さん。取れなくなったんですよ」

「取れない?その、赤い色が?」

「そう。洗っても、擦っても。二本の指の腹が、ずっと、赤いまんま」

「そりゃまた、どういう――」

「・・・いろいろ、聞かれましたけどね。『その指どうしたの?』『何かのファッションのつもり?』――最初は何これと理由をつけて弁解してましたけど、だんだん面倒くさくなって『ペンキ塗り立てに触っちゃった』オンリーで通すようになりました。年がら年中、ペンキ塗り立てに触ってるバカ(笑)ありえないですよね」


 それ以外、何の不都合もなかったのでそのままにしておいた。


  ※   ※   ※   ※


 高校を卒業して、直ぐに田端くんは工場に勤めることになった。


 『新幹線に使われる部品の、そのまた部品』を製造する町工場だった、と彼は言う。


 親のコネで就職したような職場だったが、ある日、自分の年齢の二倍ほども歳の離れた先輩から


「俺らがこの部品を造らなくちゃ、新幹線も動かねぇんだぞ。俺らは、日本中の人間の足を造ってるようなモンなんだ」


 ――とドヤ顔で説明され、何故だかその言葉にひどく感銘を受けて、ひたすら仕事に打ち込むようになった。


 今までの人生で一番何かに夢中な時期だった、と彼は言う。


「もともと、手先は器用な方だったんで。めきめき上達、と言えば生意気な言い方ですが、半年も経つと先輩達からも『あいつ、やるなぁ』と言われるようになりましたよ」


 人手不足という如何ともしがたい理由も手伝って、危険な機械も、異例なほどの早さで任せて貰えるようになった。


 みんなからも可愛がられ、順風満帆な充実した毎日だった。


 そんなある日、


(・・・・・・おや?!)


 いつもの時間に起床して歯磨きをしていた彼は、思いがけないことに気づいて思わず歯ブラシを落としそうになった。


 二年ほども消えなかった二本の指の赤い染みが、綺麗さっぱり、なくなっている。


(へぇー!消えるんだ、アレ)


 人生、上がり調子だからかなぁと勝手な憶測で満足し、何かに解放されたかのような気分になった田端くんは、そのまま出勤し、いつもの仕事に入った。


 そして、ちょっとしたミスから指を二本、切断した。


 昨日まで真っ赤に染まっていた、親指と人差し指を。


  ※   ※   ※   ※


「こういうのは、病院に行けばくっつくもんだって。先輩が、ぶっ飛んだ指を拾って一緒に救急車に乗ってくれたんですけどね」

「・・・・・・」

「ダメでしたね。あまり千切れて時間も経っていない筈なのに、手術中に壊死して落ちたって」

「利き腕の、大事な指を二本も・・・かい」

「義指、作っては貰ったんですけど。細かい作業が出来ないから――やめちゃった。工場」


  ※   ※   ※   ※


 それから、田端くんは荒れた。


 傍から見ていて痛々しいほど、無理矢理にとにかく、ダメなことを一通りやったという。思い込んだら一途な性格である半面、心が折れた時の転落も早かったのだ。


『まだ若いんだし!!クヨクヨしないで、新しい仕事をはじめてみなよ!』


 それが、田端くんを一番キレさせる言葉だったという。


 そんな中、ここではちょっと言えない場所に入り浸っていた時、一人の男と田端くんは出会う。


 名前は三谷。自称・実践的オカルトマニアの、げっそり痩せたギョロ目の青年。


 三谷は、田端くんを一目見るなり、「あ、君、呪われたね」と甲高い声を張り上げた。


 ギョッとした田端くんだったが、「呪い。あれは呪いだったのか?」と思うところあり、学生時代に奇妙な財布を拾ったことから工場をやめて自堕落な生活を続けていることまでを、すっかり三谷に話してしまったという。


「ああ、それは赤幣せきへいだ!」


 とても嬉しそうに三谷は言った。


 何でも、そういう古い貨幣を使った呪いが、台湾にあるという。


「その財布を仕込んだ人物が、どういう経緯で赤幣を試みたかは知らんけどね。古い紙幣の中に仕込まれた呪いの元、その赤い紙に触れてしまうと、その触れた箇所が絶対に欠落してしまうんだよ。いつそうなるかはわからないけど、将来、必ず、切断したり腐り落ちたり、いろんな最後でなくなってしまう。それが赤幣呪」


 三谷の得意げな笑顔を眺めながら、一連の説明を聞いた田端くんはボロボロ涙を流していたという。


 誰かのせいで、俺はこうなってしまった。


 誰かのせいで。誰か、知りもせぬ赤の他人の悪意のせいで。


 誰かの。誰かの。誰かの。


  ※   ※   ※   ※


「三谷ですねぇ、やつ、赤幣のやり方、知ってました」

「――そうなの?怖い人だね」

「だから俺、習って作りました。赤幣の財布」

「は?!!」

「そんで、俺があの財布拾った河原んトコに、同じように落としときました」


 どうしてそんなことを?私は思わず、語気を強くして尋ねた。


 もしそれを誰かが拾って、呪いにかかって酷い目にあっても、悪い言い方だが彼の失った指がまた生えてくるわけではなかろうに。


「仕方ないじゃないですか」

「仕方ないって・・・」



「そうでもしないと、俺、かわいそすぎるじゃないですか」



 真っ直ぐな目で田端くんにそう訴えられ、私は何も言い返せなかった。



 ――先だっての大雨災害で流されていない限り。北九州F県某所の河原に、彼の呪いがこもる赤い紙の入った財布は、未だ存在している筈である。

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