約束の、青いピカピカ ~秋立2.9冊目~ シリーズ初見でも大丈夫! 中間選考突破謝恩作♪

如月 仁成

スカビオサのせい


~ 八月二十六日(土) 33℃ ~


  スカビオサの花言葉 朝の花嫁



 好きなのか嫌いなのか。

 いつからだろう、俺は考えることをやめた。



 小学生のころ、友達に言われて気が付いた。

 穂咲は可愛い女子だということに。

 そして同じ日に、違う友達に言われて気が付いた。

 穂咲は変な女だということに。



 今とは違う関係性への変化を求めてしまう自分は確かにいる。

 でも、俺達の距離が崩れるような真似はしたくないわけで。

 こいつを家族のように感じている。

 でも、家族じゃないなんてことは重々承知なわけで。


 ずっと一緒で、でも、ずっとこのまま一緒ではいられない。

 お隣に住む幼馴染、その子の名前は藍川あいかわ穂咲ほさき


 揺れる思いはタンポポの綿毛。

 右へ左へふらふらしているうち、気付けばどこかへ浮かんで消える。


 考えたって、いつも答えは出ないんだ。



 だから、いつからだろう。

 好きなのか嫌いなのか。

 俺は考えることをやめたのだ。



 🌷 ~ 🌷 ~ 🌷



 視線を遮る二つの岩場に挟まれてできたプライベートビーチ。

 小さく積まれた入道雲が遥かに遠く、マシュマロのように指でつまめそう。


 空の青さを邪魔するものは何もない。

 どこまでもどこまでも広がる空を、真っ白な太陽が独り占め。


 キラキラ輝く星の欠片でできた砂浜を渡る、ビーチサンダルの跡。

 それが波打ち際の少し前、ちいさな裸足の形へ姿を変えて、海に消える。

 

 夏の終わり。

 白い波頭が真白な足を優しく包み込むと、潮風が彼女の長い髪をなびかせた。



 そう、今日は夏の終わり。

 今まさに、夏の終わり。


 何度でも言おう。



 夏、終われ。



 ――八月二十六日、午前九時四十五分。

 今まさにこの瞬間、夏が終わって秋になればいいのに。


「地球にお願いがあります。今すぐ夏を閉店してください。暑くて倒れそう」

「がんばんな! 男手、あんた一人なんだし! あはははは!」


 ぴっちぴちになったLサイズのアロハシャツが、バカでかい笑い声で破けそう。

 母ちゃん、俺の耳が可愛そうだからボリュームダウンな。

 あと、服が可愛そうだからボリュームダウン。

 なにをとは言わん。武士の情けだ。



 穂咲のおばさんの運転で、海辺の別荘へ一泊旅行に来た藍川家と秋山家。

 でも、このメンバーだと力仕事が出来るの、俺一人なのです。


 海辺名物、べたつく熱風。

 潮の香りと灼熱成分が大気のほとんどを満たしているせいで、どれだけぜーはー呼吸をしてもまるきり酸素が入って来ない。


 駐車場から浜辺まで、ぼろい板張りのリアカーに荷物を積んで、既に三往復半。

 しかもその間に、まずは巨大なパラソルを三本立てて。

 次にビーチベッドを三つ組み立てて。

 そこに寝ころぶ大人にビールを配って。

 一泊分にしてはやたらと重い荷物を宿まで運んで。

 一泊分なのにケースで持ってきやがったビールを宿の冷蔵庫に入れて。

 その冷蔵庫からお代わりのビールを運んで。


 そして最後に、調理台とバーベキュー台とテーブルを組んで海辺のリゾート完成なのです。


 思えばこの夏は、さんざん炎天下へ放り出されたな。

 ハンバーガー屋でのアルバイトがその最たる例。

 俺は一体、呼び込みの為に何回外に出されたのやら。

 食べ物屋ゆえのひんやりとした店内と猛烈な暑さの店外を行ったり来たり。

 刀なら業物、カツオならみごとなタタキが完成だ。


「いつも言っているだろう。人の筋力には特性がある。一気に重い物を運ぶ方がいい者と、何度にも分けて運ぶ方が良い者とがいるのだ。お前は俺の血を引いてるんだから、細かく持って何往復もしたほうがいい」

「そんな御託を言う父ちゃんの荷物、ビール三缶って何の真似だ」

「システムエンジニアを舐めるな! これですら重いわ!」


 Sサイズでも緩いアロハシャツが、メガネを揺らして高笑い。

 エンジニアって、重たい物持たなくていいための免罪符じゃないからね?

 そもそもパソコンくらい持ち上げることあるでしょうに。


「それよりもね、俺が腹を立てているのはなぜかと言うと……」

「立ててたのか。相変わらず分かり難いなお前は」

「そのビールは、俺が車から宿の冷蔵庫まで運んだものなのです」

「そうだな、遠かった」

「そんなハイペースで飲むなら、はなからこっちに持ってこい!」


 ああもう、暑さと疲労とツッコミでふらふらだ。

 このメンバーだと、ツッコミまで俺一人がこなさねばならんのです。


 ようやく最後となった大荷物、運動会の放送席テント的な物。

 これを二張り、リアカーから引きずり降ろして組み立てる。


 すぼまってるのを引っ張るだけで簡単便利にはい出来上がりと袋に書いてあるとは言え、説明書に書いてある棒人間、四人じゃん。

 一人で立てるの辛いよ。


 アルミの支柱は熱くて持ってられないし。

 風があるからやたらと煽られるし。


 見渡す限りの青空が地上に降りて来たよう。

 そんな爽やかさで波立つブルーの屋根が、どうしようもなく憎らしい。


 俺がテントの下にテーブルをよっこらせと移動させると、ビール二本で既に千鳥足というおばさまコンビがふらふら寄ってきてどかりと腰かけた。


「こっちの方がおしゃべりもしやすいし、おつまみも並べられるし! 極楽!」

「ちょっとおばさん。じゃあ何のためにベッド作らせたのさ」


 俺が穂咲のおばさんに口を尖らせると、横からぴちぴちなアロハシャツがでかい笑い声と共に割り込んできた。


「あはははは! そりゃあんた、海に来といてあれやんないでどーすんのさ!」

「海に来といて海に入らない方がどーすんのさ。水着はどうした?」


 いやいや、しょぼーんとしながら下っ腹見つめないでよ母ちゃん。

 俺が悪かったよ。

 ごめんて。


 そんな母ちゃんにビールを渡しながら、おばさんがサングラスから上目遣いに俺を見る。

 なにさ、その悪ガキみたいなにやけ顔。


「こんだけ赤潮出てたら、海になんか入りたくないでしょうよ」

「赤潮? ああ、それで海が黒っぽいのか」

「だから道久君も、ほっちゃんの水着姿はあきらめなさい」

「ほっ!? ずぎすがっ!? ばばば、バカ言ってんじゃないですよ誰がそんな!」


 なに言い出したよこの人は!

 これだから大人って。

 勘弁して欲しいのです。


 母ちゃんも一瞬で復活して、おばさん二人で折り畳みのテーブルをぺんぺん叩きながら大笑い。


 うざあ。


「いいわよ隠さなくても。でも残念だったわね、そのために海まで来たのにね」

「違いますから」

「あはははは! そりゃ残念だったわ! あきらめな、道久!」

「うるさい」

「父さんとしてもこれだけクラゲが出てる海に入る許可は出せん。だから諦めるんだ、道久」

「いい加減にしろ」

「母さんたちの水着をな!」

「そっちかーい」


 酔っ払いトリオ、お腹を抱えて大爆笑。

 ああもう、ヒエラルキーって単語がこの世から無くなればいいのに。


 そして、そんな階級制度の枠の外にぼけーっと存在する穂咲が、ビーチサンダルを片手にペタペタと海から上がって来た。


 真っ白な浜の砂が絡みつく肌はそれに負けじと輝きを放ち。

 少し大人っぽいセレクトの白いワンピースが風に流される。


 耳に挿した一輪のスカビオサ。

 それがストレートに下ろした黒髪の波に浮かんで、薄紫の花弁を揺らしている。



 あれこれ注文をつけて済まない。

 もうちょっとの間だけ、店じまいは待ってくれ、夏。



 ……今日は、元スタイリストであるおばさんが気合いをいれた。

 穂咲の軽い色の髪をわざわざ黒く染め直して。

 いつもゆるふわの髪をストレートにして。


 コンセプトは、輝く太陽の下にたたずむ夏のお嬢さんだそうだ。


 でも、そんな夏のお嬢さん。

 暑いのは大の苦手なはずです。

 きっとこの、騒がしいテントの下に入ってくることだろう。


 そう思って眺めていたら、途中で方向転換。

 リアカーに興味を示していじり始めた。


 そんな君を見て和む俺。

 見た目は別人なのに、中身はいつもと変わりゃしない。

 変な子。


「……暑くないのか?」

「暑いの。でもこれに興味津々なの」


 錆びの浮いた持ち手をまたいで内側に入ると、よいしょと持ち上げて空のリアカーを動かそうとする。

 でも、砂浜だからね。

 君の非力では無理よ?


「ほら、遊んでないで宿題やったら? 最後に残した理科の自由研究」

「うーん…………。それじゃ、これの研究するの」


 諦めて持ち手を放して、今度は荷台の側へ。

 リアカーの研究?

 まあ、テーマとしたらそれっぽいけど。


 それにしても、こいつの宿題に付き合わされて夏休みの後半がまるで潰れたな。

 俺が残した最後の宿題、読書感想文を邪魔されたあの日から。

 毎日毎日。

 でもしょうがない。最後まで面倒見よう。


「物理も理科なわけだし、まあいいか。何を調べる?」

「これ、物理なの? なんで?」


 なんでと来ましたかね。

 じゃあ君は、そのリアカーを化学にでもする気なの?

 それとも地学?


「夏のお嬢さんが、何をどうしたいのかがまずわかりません」

「えっと、この荷台に優雅に座りたいの」


 なに学なんでしょう、それ。


 レースのハンカチをポケットから取り出した穂咲が荷台に上品に敷く。

 で、ニコニコ顔で腰かけたら車輪を支点にドスンと傾いて尻餅だ。

 当たり前だろ。何やってんのさ。


「…………いたいの。これ、なに?」

「おめでとう。それが物理学だ」


 しょうがない。

 半べそ顔になった綺麗な夏のお嬢さんの元へ足を進めると、サンダルの隙間から転がり込んでくる熱い砂がやきもちを焼く。


 でもね君たち。

 そうそういいもんでもないよ?


 ほらご覧、始まったよ。

 俺が手を差し出して立ち上がらせようとするのを、こいつはふるふると首を振って拒むのです。


「あのね、ここにちょこんって座りたいの」

「ちゃんと座ってるように見えます。ちょこんじゃなくて、ドスンだけど」

「昔見たアニメにね、こうやって花嫁さんが座っててね? 緑の丘を越えるの」

「花嫁さん? リアカーに? なにそれ面白い。で、どうなるの?」

「覚えてないの」

「エサに食いついた魚は責任もって引き上げて! すげえ気になる!」


 そんなおあずけある!?

 ほんとに何から何まで覚えてないんだね、君は。


「だから、あたしもやってみたいの」

「勘弁してくださいよ夏のお嬢さん。もうそれ引っ張って歩くのやだよ」


 あのね、穂咲。

 俺を見上げたまんま、なんで? って顔してるけどさ。

 俺こそ聞きたいよ。なんで君は片っ端から変な事思い付くのさ。


「ん? おい道久。食べ物はどうした」


 頭を抱える俺に、背後からかけられるこれまた厄介な声。

 ……って、どうした父ちゃん。

 暑さでやられたの?


「今、父ちゃんが持ってるサラミは食べ物じゃないのか?」

「昼食と夕食の食材の話だ。道久が車に入れたんだろう」


 ガリガリのアロハシャツがサラミを振ってこっちを見てるけど。

 俺はいつからアイドルになったのさ。

 光らせてから振ってね、サイリウムは。

 ……サラミウムは。


「穂咲んちの玄関先にあった段ボールなら全部入れたと思うけど」

「あら。あたしは冷蔵庫から出して段ボールに入れておいたわよ?」

「俺と母さんは藍川さんのお宅に伺ってないぞ?」

「ちゃんと、痛みそうなものは冷蔵庫に入れておいたの」

「お父さんのアリバイだって完璧よ? あはははは! さあ、犯人は誰だ!」


 こら母ちゃん。推理ドラマ好きだからって遊ぶんじゃねえよ。

 でも簡単すぎだからね?


「四番目に、悪気無さそうに自白してたよ、夏の真犯人さんが」


 やれやれ、きょとんと俺を見上げなさんな。


「あはははは! じゃあスーパーまで行きますかね! 車出してよ」

「いいわよ~」

「よくねえ!!! 右手に缶ビールもったまんま何言ってるのさ!」


 ああもう、どう考えても俺が行くことになりそうだ。

 スーパーって、来がけに見たあれのことだろ?

 一本道だから迷わないとは思うけど、歩いて三十分くらいかかるんじゃないの?


 呆然と空を見上げる俺に降り注ぐセミ時雨。

 俺、夏の海に何しに来てるのさ。


「あはははは! お昼はバーベキュー。夜は焼きそばだかんね!」

「手がもげるわ」

「ああ、それとビールも買ってこい」

「腕が伸びるわ」

「大丈夫よ。それで行けばいいじゃない」


 おばさんが指差す先に転がっている物。それは物理学。

 天下の往来を? これひいて?

 スーパーの駐車場に止まってたらシュールだよね。


 でも、腕が痛いよりましかな。


「という訳だ、夏の花嫁さん。邪魔です。どきなさい」

「これ、夢だったの」

「お前を乗せてスーパーまで引っ張れと!? さすがにふざけんなです。宿題してなさいよ」


 そんな俺の言葉にも、意固地なこいつは首をふるふる。

 やれやれ、どう説得したものか。


 しかし冗談のつもりで口にしたけど、花嫁さんか。


 風に揺れる黒髪ストレート。

 見慣れないから、ちょっとドキドキする。

 真っ白なワンピースも清楚で、ほんとに花嫁さんみたい。


 さて、この花嫁さんをどうやってどかしたものか。

 俺はベンチに指示を仰ぐべく困り顔をおばさんに向けて、そして気が付いた。


 そっちは敵チームのベンチだったのね。


「ほっちゃん! そこは……」


 監督から、へんな動きのブロックサインが送られる。

 色仕掛けですか? こいつには向いてないですよ?


 サインに頷いた穂咲は両手を自分の胸元に置くと、ぱーっと笑顔を浮かべて俺に突き出した。

 ボディーランゲージ?


 あたしは?


 あなたを?


 ……カニ?


「監督、選手がルールをわかってません。……いやいや。あちゃあ、ではなく」


 攻撃失敗を悟った穂咲がしょんぼりしながら腰を上げる。

 そうそう。荷物と手間を増やさないでください。

 それに君は、宿題どうにかしなさいよ。


 俺はちょっと後ろ髪を引かれながらも、お金を受け取るためにテントまで走る。

 すると、お札を二枚手渡しながら、母ちゃんが少し寂しそうな声音で呟いた。


「二人して行ってきな。……なんか、思い出すかもしれないから」

「なに言ってるの?」

「そうね。……昔、二人でそのリアカーに並んで座ったの、覚えてない?」


 え?

 俺が?

 穂咲と?


「覚えてるか?」

「ううん? 覚えてないの」


 潮騒がセミの声に紛れて耳に届く。

 誰も口を開こうとしない。


 優しい瞳が向けられる。

 いや、俺たちの記憶に向けられている。



 ………………あれ? 確か……。



 淡い夏の思い出に、微かに映える青い輝き。

 揺れる景色が後ろに流れて。

 隣には、水着にパーカーを羽織った穂咲が……。


「あ。花火なの」

「…………ん? ああ! 買ったな!」


 あれ、スーパーへ買い出しに行った思い出だったのか。

 確か線香花火ばっかり沢山買って、そのあと……。


 ん? その後は?


「あたし、それしか思い出せないの。でも、同じことすれば思い出せるの」

「ああ、そうだな。…………って、俺は荷台に乗れないよ!?」

「任せておくの。ちゃんと思い出すの」

「うわあ。不安しか」


 きっとなーんも思い出さないんだろうな、こいつ。

 俺は頭を抱えながら、午前中一杯お世話になりそうな相棒のさび付いた持ち手を握り締めた。



 🌷 ~ 🌷 ~ 🌷



「ほっちゃんたち、何か思い出すかしら?」

「なにしろ四才のころの話しだからねー。どうだろね?」

「まったく、パパったらあたし達の事ほったらかしてあの子たち連れまわして!」

「あはははは! 買い出しに行った後は海。それから虫取りに行って。へとへとになって戻ってきて、浴衣に着替えたからもう動かないって言ってたら穂咲ちゃんに焼きそばかけられて!」

「そうそう! それでむりやり着替えさせられて、夜も引っ張りまわされて。……その間、あたし達はビール飲んでただけ」

「……やれやれ。あの子ら、どこでどんな冒険してきたのやら」

「思い出すといいけどね。あの子たちの冒険と、パパとの思い出を」


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