万灯祭

虚空蔵菩薩来

第1話

灰色の雲に覆われた星一つ見えない空を眺めながら、祈るように彼女からの返事を智史は待っている。待っている間、いろいろとよけいなことを考えた。陽子に送ったLINEのメッセージには「日曜日に月見の里の万灯祭に行きませんか?」という文言を紛れ込ませていた。はっきりと誘わず、暈し気味に誘ったのはよくなかった。陽子にしてみれば、LINEで、しかもはっきりとしない誘いが如何にも消極的に映ったのかもしれない。くよくよして、そのようなことを智史は考えていた。

その日は、とうとう返信がこなかった。胸に蟠りを抱えたまま、夜は更けていく。

明くる日。七月十五日の朝早く、智史は愛犬を連れて外に出た。田畑に囲まれた農道を真っ直ぐに歩いていくと「青空保育園」という名称の保育園の狭いグランドに出る。そこでいつものようにリードを外してやり、犬を野っ原に放してやる。

空には雲ひとつなく、蒼穹のライトブルーに交じって半円の薄い有明の月が西の方角にぽつんと浮かんでいる。その透き通った月をみながら、智史はまた陽子のことを考えて、スマホの画面に目を落とす。するとLINEに二件のメッセージが入っていることがわかった。一件は陽子からだった。もう一件は、同僚の須藤から。智史は、すぐに陽子からのメッセージを開かずに、須藤からきたものを開いた。

須藤からのメッセージには「万灯祭の話、陽子さんから聞いた?」と一言記してあるだけだった。智史は、何のことだがわからずに混乱したが、恐らく陽子のメッセージを見ればわかるだろうと直感が働いて、陽子からのLINEを開くと案の定「万灯祭、みんなで行きましょう」というメッセージだった。

万灯祭とは、地元の夏の慰霊祭であり、七月の月初の金土日に月見の里の多善寺において四千六百基もの献灯された灯篭が境内に立ち並ぶ。日が暮れると、この灯篭が幻想的な雰囲気を醸し出す。小さい頃から智史は、この月見の里の万灯祭に時々両親と一緒に足を運んだ。この風景を陽子に見せてやりたい。地元の人間でない陽子にこの灯篭を見せたらさぞ喜ぶだろうと智史は想像した。


陽子がこの袋井市に赴任してきたのは、ちょうど三ヶ月前の四月のことだった。まだ今日のように夜の空気は湿気を含んでいない暖かくなり始めた季節のこと。その頃に、陽子はこの静岡の遠州地方に来た。我が日用品メーカーの総合職である陽子と地元の工場勤めである智史が顔を合わせたのは、この会社の中部地区の拠点である袋井工場の事務所内でのことだった。

「この辺の人ってどういうところで遊んでいるんですか?」

工場の伝票を毎回事務所に置きにいっていた智史に陽子は唐突にこのような質問を投げかけたことがあった。この日用品メーカーの本社採用である陽子は生まれも育ちも東京であり、この地域に転勤してきてからというもの休みの日は暇を持て余しているということを智史に話したのは梅雨に入った六月の終わり頃のことであった。

「この辺は何もないでしょ? 人と人との繋がりがないと不便なところですよ」

「地元が東京だから、この地方の人のこと全然知らないんですよ」


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万灯祭 虚空蔵菩薩来 @birushma

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