1-3 学園屈指の優等生、リーゼの一面

 あの日から毎日、放課後のゼミ室で補講を受けていた。

 教授はちょくちょく顔を出すだけで、相変わらず真面目なのか不真面目なのか分からない。

「分からないんですか?」

「むむむ……」

 これを解いて、と指定された問題は、一年生の頃に習った内容だ。科目は魔法基礎Ⅱ。魔力から何かを作り出す、生成魔法の基本を受け持つ。

 この学園では比較的専門性が低く、まだ簡単な科目なのだが。俺は今、一年生が解くような問題を前に、頭を抱えていた。我ながら情けない。

「ダメだ。全く覚えてない」

 ちらりと顔を上げると、リーゼが蔑んだ目をしていた。そして大きなため息をつく。

「はあ……。こんな簡単な問題が解けない二年生、カルトさん以外にいませんよ」

「ていうか、何で一年でやった内容なんだよ? 次の試験範囲を勉強した方がいいんじゃないか?」

「こんな問題も即答できない地力では、以降もずっと付け焼き刃です。これからの科目は、物量に任せた記憶戦術は通用しません。ですから、基礎を固めた方がむしろ早いんですよ。急がば回れ、です」

 確かに一年生の内容が全く分からないのは、リーゼの言うように、とにかく間近の試験だけ乗り切る勉強をしていたからなのだろう。

「……となると、一年間は無駄な努力してたってことなのかなあ」

 途端に時間の重みが俺を襲ってくる。ああ、なんて勿体ない。

 リーゼは、首を振る。

「いいえ。無駄ではありませんよ。一度覚えたことで、次は二回目になるますから。今回の復習で、記憶よりも一段上――知識になるでしょう」

「なるほど……俺はこれまで知識を蓄えず、記憶ばかりを外面に塗っていたんだな。これまでは知識を積み重ねるための準備だったんだ」

 リーゼの考え方を理解できたのか、満足そうに頷いた。

「そういうことです。試験が終わってからも意味が残るのは、知識ですからね。さて、休憩はおしまいにして、続きを進めましょう! その問題は――――」


 

 二時間後。ごくわずかな休憩を挟んだだけで、ずーっとリーゼの前でペンを握り、本を熟読した。少しでも気が抜けると、すぐに注意が飛んでくるので、気を休める暇がなかった。

 頭が限界に達するまでリーゼのスパルタ教育は続いて――

「うわあああ! もう無理! 限界、許してください!」

 俺はペンを転がしてノートに突っ伏し、叫ぶ。

「私が悪いことしてるみたいじゃないですか!」

「いやこれキツすぎるって……ハンターしてるより疲れるよ。今日で三日目か、それでも全然慣れないな」

 目を閉じていると、じわりと疲労を感じた。そのまま、全身がバキバキになっている不快な感覚が駆け巡る。

 リーゼが息をつく。

「まあ、今日は及第点まで進めたと思いますし、これで終わりにしましょうか」

「えっ、本当か!? やったーー!」

「まだ元気がありそうですね?」

 顔を上げて歓喜した俺に、リーゼが寒気のする微笑を向けた。

 俺は口を引きつらせ、びたりと動きを止める。

 そんな俺を見て、リーゼがくすりと笑う。

「冗談ですよ。お疲れさまでした」

 ついに終了。俺はぐにゃりと脱力して、背もたれに身体を預ける。

「ビビらせるなよ……」

 あまりのだるさに、家路を歩くなんて考えたくもない。しばらく休むことを心の中で決定する。

「なあ、ところで、いつになったら試験範囲の内容に入るんだ?」

 ずっと黙っているのもよくないか、と話題を投げかけると、リーゼは自分の勉強を始めていることに気付いた。

 ――なんて奴だ。まだ勉強するのか。

「自惚れないでください。カルトさんは二年生として必要最低限の基礎がなっていませんので、まずそこからです。なのでそれが終わってからですね」

 リーゼに戦慄していたので、あまり話の内容が入ってこなかった。

「次の試験に間に合うのか?」

「間に合わせます」

 下を向いたまま、瞭然に言った。

「俺も頑張るよ……。あ、悪いな、今日も放課後をかなり潰しちゃって」

 リーゼは顔を上げる。

「潰す? いいえ、そんなことはありません。カルトさんを助けるのはゼミのためでもありますし、何より、私にとっても基礎を復習する良い機会ですから」

 ああ、やっぱりこいつはリーゼだ。俺に対しては妙に当たりがきついときもあるが、評判通りの人当たりの良さというか、お人よしというか――

「ああでも、私に悪いと思うのでしたら、もっと日々の学業を頑張ってくださいね」

「……はい」

 これ以上は不味い、と思って口を閉ざす。リーゼの勉強を邪魔しちゃ悪いからな、うん。

 少しだけぐうたらした後、俺は立ち上がった。

「じゃあ、そろそろ帰るよ。明日もよろしくな」

「はい、お疲れさまでした」

 鞄を手に取り、扉に手をかける。すると、絞り出したような声が背中から聞こえる。

「――あ、あのっ。ちょっとお願いしたいことがあるんですけど」

「お願い? 何だ?」

 俺は振り返った。リーゼは視線を逸らし、言う。

「ところで……あの件、誰にも言ってませんよね?」

 低い声。俺は何のことだと考えて、すぐに答えに行きついた。

「ああ、はいはい。アレね。そりゃあ言ってないけど」

 アレ。俺はゼミ手伝いを始めて二度目の訪問で起きた出来事が頭をよぎった。


 ――すぐに復習に取り掛かれない不安の中、第三校舎にやってきた。

「教授のやつ、俺のことをこき使うつもりじゃないだろうな……」

 ぶつぶつと愚痴りながら、ゼミ室までの廊下を歩く。

 何となくだが、出来るだけ音がしないように歩いてみた。ハンターという仕事のおかげで、気配を消す技術には長けている。古いせいで想定外の音が出やすい木の床だが、ほとんど無音でゼミ室前までやって来た。

 そういえば、ゼミには誰が居るのだろうか、ふと思った。教授は今年度からの新設だ、と言っていたので、二年生からゼミに入っている真面目な同級生しかありえない。

 とりあえず、挨拶くらいはしておいたほうがいいかな。

 俺は作業を始める前に一声かけようと、ゼミ室の引き戸に手をかけ、ガラガラと開けた――――

「んん~~~~~~!!!」

 ぽかん、とした。

 俺の知っている、優等生で隙のない佇まいのリーゼ・エルフォルトとは別人だろうか? 

 本を手に、目を閉じて恍惚に悶えているだらしない表情でも分かる綺麗な顔立ち。見た目は間違いなく合っているが……。

 よく見ると、読んでいる本は少女漫画だ。つまりこいつは、少女漫画を人目を気にしなくて良い環境で堪能していたのか。

 ――え? つまり、そういうこと?

 俺の脳内で思考が飛び交う。リーゼに憧れていたことも相まって、混乱気味になっていた。

 リーゼは俺に気付いて、飛び跳ねた。

「っ! きゃああ!! い、いつからそこに!?」

「いや、何も! 何も見てないから!!」

 あまりの反応に面食らって、俺も挙動不審になってしまった。

 これはヤバい。とりあえず学園から離れよう。作業は中止、今すぐ帰宅だ。

 すぐに決心を固め、踵を返す。

「じゃあ、俺、隣の部屋で作業してるから! それじゃ……」

「ちょっと待ってください!」

 焦る声。ばん、と肩を勢いよく叩かれた。

 背中に風を感じたぞ……もしかしてこいつ、白兵魔術を使って一瞬で距離を詰めてきたのか!?

「お話、しましょう?」

 振り返って顔を見れば、逃がすまいと殺意を笑顔の皮で隠していた。

 逆らったら殺されるかもしれない、と事の重大さに気付いた俺は、こくこくと頷く。

「わ、分かった。分かったから。とりあえず落ち着け」

 俺はリーゼをなだめつつ、着席を促す。

 向かい合って座ったところで、沈黙が場を支配する。

 ――リーゼが少女漫画読んでるところを見ちゃったから、こうなってるんだよな?

 ひとまず、探りを入れようと口を開きかけた瞬間、

「さっきのことは、他言無用でお願いしますね? もし広めたりすれば……」

「あ、ああ! もちろん! 絶対に誰にも言わない」

 被るくらいに即答した。リーゼは満足げに矛を収める。

「良い判断です」

 どうして少女漫画を読んでることがバレたくらいで、そこまで口封じするんだ?

 気にはなったが、こちらからこの話題を振ったらどうなるか分からない、と当時の俺は口を閉ざすしかなかった――――


 事件を振り返ると、またあの疑問がわいてきた。今なら聞ける。

 ちゃんと秘密を守っていることに安堵しているリーゼに、俺は尋ねる。

「ところで、気になってたことがあるんだが、リーゼはどうしてそこまで少女漫画が好きなことを隠したがるんだ?」

「っ! そ、それは……」

 リーゼは視線を逸らし、恐る恐る、言う。

「……私がこんな本を読んでいるなんて、おかしいでしょう」

 俺はこれまで抱いていたリーゼのイメージに、少女漫画を読ませてみる。

 ――似合わないな。でも、おかしいなんてことはないと思うけど。

「おかしくないよ。意外だな、とは思うけど」

 思ったことをそのまま口に出した。

「――――えっ? 本当、ですか?」

 目を丸くするリーゼに、俺は頷く。

「本当だよ。むしろ、男なのに少女漫画読むことがある俺の方がおかしいかもな」

 冗談混じりにそう言って、笑った。

「カルトさんも読んでるんですか?」

「ああ、たまにだけどな。小さい頃、地元に来ていた行商人がよく持ってきてさ。売ってくれる本が、趣味なのか少女漫画ばっかりで、渋々買ってるうちに、さ。」

 なぜか同じ作家の少女漫画ばかりを売りつけてくる迷惑な行商人だった。少年向けの本を読みたいと何ど頼んでも、そいつは無視し続けた。

 ハンエルクで初めて本屋という店に入ってみると、その本が置いてあることに驚いたものだ。続きが気になり、持っていなかった巻を全て購入している。

「カルトさんが少女漫画を……。それは確かに、おかしいですね、ふふっ」

 リーゼはクスクスと笑う。

 ――やべ、あまり言いふらしたいことでもないのに言ってしまった。

 顔が熱くなり、俺は立ち上がる。

「じゃあ、俺はもう帰るぞ?」

「あ、ちょっと待って!」

「何だよ? まだ何かあるのか?」

 リーゼはこれまで見たことのない、キラキラとした表情で、言う。

「むしろ本題です。カルトさん、頼みたいことがあるのですが」

「頼み?」

「はい! 先日発売された少女漫画、『白馬の王子様』と『鍛冶屋の女主人』の新刊を買ってきて欲しいんです!」

「どっちも王子様モノ――って、パシリかよ!」

 俺が思わずツッコミを入れると、リーゼは悔しそうに歯噛みする。

「最近はカルトさんの勉強を見なければいけなくなって、本屋に行きたくても寮の門限までに間に合わないのです……」

「今から出れば間に合うだろ?」

「私は自分の勉強がありますから」

 例え大好きな少女漫画が出ようとも、魔法の勉強を優先するらしい。

 リーゼは右手の拳を握り、叫ぶ。

「休日まで待とうと押し殺して来ましたが、もう我慢の限界です! お金は渡します、明日! お昼休みまでに持ってきてください!」

 なんて剣幕だ、早く読みたいという欲求が爆発している!

 俺は避けられないと諦め、お金を受け取った。

「はいはい、分かったよ。迷惑かけてるのは事実だしな。それにしても、『鍛冶師の女主人』か。俺も読んだことあるよ。面白いよな、あれ」

 城下町で、一人で小さな鍛冶屋を切り盛りしていた若い女主人公が、ひょんなことから国の王子と知り合いになり、それから色んな事件に巻き込まれ、仲良くなっていく――という物語だ。

 少女漫画らしい恋愛描写はもちろんあるが、男でも楽しめるストーリーだと思う。熱いシーンも多い。

「分かりますか、カルトさん!?」

 リーゼが興奮気味に詰めてきて、怒涛の勢いで語りだす。

 早口でろくに聞き取れず、俺は圧倒された。なんとか止めようと、大声を出す。

「ストップ、ストーーップ!!」

「そこで王子の、”お前の作った剣だ、誰にも負けるわけないだろ?”っていうのがもう!――――――はっ!」

 リーゼは我に返り、顔を真っ赤にして俺から距離を取る。

「ご、ごめんなさい! 私、趣味を話せる人がほとんどいなくて……」

「ははは……。やっぱりおかしいわ、お前の趣味。絶対に他人に漏らさないほうがいいな」

「そんな、話が違うじゃないですかーーー!!」

 リーゼの声は校舎の外まで届いただろう。

 まさか、リーゼに頭ピンク色な一面があったとは……。

 迂闊だった。今度からこいつの前で、少女漫画の話をするのは止そう。俺は堅く決心したのだった。

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