1-2 副学園長の宣告

 トーマスゼミの真の目的を聞いて、呆然とした。

 時空旅行。それは遥か昔から夢見られてきたことだ。事実、それを研究した内容の魔法書も最近読んでいる。

 これまでに何人もの優秀な魔道士が人生全てを懸けて研究を行ってきた。そして、辿り着く答えは皆が揃っていた。

「……無理だ、出来るわけがないだろ」

 俺は呟く。これは、その研究者たちの代弁でもあった。

 別に魔道士だからその答えに辿り着いたわけでもない。時空旅行、現在以外の時間に干渉するなんてことは不可能――そんなことは常識だ。

「ま、そうだね」

 俺は軽く受け流す教授に対して、焦りのような、よく分からない気分で、言う。

「じゃあ、なんでそんな研究をするんだよ?」

「出来るわけがない、という考えには賛同するけど、不可能だとは思ってないよ」

 教授の発言の意味が分からず、首を傾げる。

 教授は続ける。

「時空旅行が不可能な理由を、この世の誰が、論理的に説明できる? まだ認知されていない方法がないと断言は誰にもできない。そうなれば、可能性が本当にゼロであるなんて証明は、それこそ不可能でしょ」

 子供のわがままみたいだ、という感想を抱く。教授の言っていることは屁理屈にしか聞こえない。

 それに、魔道士らしくない研究だ。魔道士の研究というのは、とにかく成果が問われる。なんというか、小刻みに進もうとする傾向が強うように感じるのだ。

 目指す地点はあまり遠くないように――未踏破領域へ一、二歩だけ踏み込むだけに留められるように設定することが大半だ。

 ハンエルク魔法学園の教授ともあろう者が、そのセオリーから大きく外れている。確かに、こんな研究内容を学園に伝えれば、他の教授たちは呆気にとられるだろう。

 ……だからこそ、だろうか。トーマス教授の人生は、明るく照っているように見えた。まるで――――

 俺は笑顔で、言う。

「分かった。教えてくれてありがとう。ところでこの話、隠した方がいいか?」

「ま、一応は。別にバレてもいいけど、バレないほうが都合がいい」

「時空旅行を目指すのは分かったけど、何で俺をそこまで買ってくれるんだ?

リーゼみたいな優秀な学生を既に確保してるじゃないか」

 リーゼはぴくりと眉を上げる。

 教授は窓から外を眺めて、言う。 

「氷っていうのは、時間を止めるという能力を秘めているのではないか――よく知られている推論さ。僕はそこから切り込んでみようと思ってるんだよ。そこで、僕よりも氷魔法の技術が高いカルト君は必須な人材なんだ」

 ああ、そんな話もあったな。最近読んだ魔法書に、そんなことが書いてあった気がする。

 教授は振り返り、言う。

「ところでカルト君、正式にゼミに入ってくれる気にはなった?」

 今となっては、その誘いは実に魅力的だ。

 この学園では、ゼミへの所属権利が二年生から得られ、三年生になると義務になる。二年生の間から、学生目線で言えば入りたいゼミを、教授目線から言えばぜひ配下に加えたい優秀な学生を、それぞれ確保するために早めに行動を起こしている。まだ中等部の生徒たちに声をかける教授もいるらしい。

 どこどこのゼミに所属していた、というのは立派なステータスらしく、それだけで進路にかなり影響が出るという噂がある。そういう現状だから、人気なゼミにはこぞって学生が集まる。

 そんな背景もあって、二年生になるとすぐに以前から狙っていたゼミへアプローチをかけるのが学園の常識だった。

 俺にそんな余裕は無いし、そもそも魔法の研究なんてあまり乗り気になれなかった。ゼミについて考えるのは、三年生へと進級できてからにしようと思っていた。

 右手で顎に触れ、考え込む。教授やリーゼのような人たちと活動できることは願ってもないことだった。しかし、どうしても、学業への不安が拭いきれない。

 ――所属すると縛られる。ならこれまで通りの関係なら……。

 そうか。俺は名案を思い付く。早速、口を開く。

「正式に所属するのは、まだ待ってほしい。現状、進級できるか分からないくらい、割とピンチなんだ。でも、活動の手伝いはさせて欲しい。できるだけ毎日来る――これでどうだ?」

 これなら問題はない。もしピンチになったら、やばいからしばらく来れない、と言うことができるからな。いや、既にピンチではあるけど。

 教授は頷いた。

「構わないよ。じゃあ、そういうことで、明日からもお手伝いよろしく」

「……ゼミの手伝いがあるからと、普段の学習の手を抜かないでくださいよ」

 これから、俺の日常に変化が起きることを確信する。思わず、笑みがこぼれた。

 少し、外は暗くなっていることに気が付く。明かりを付けないと、さすがに本は読めない程度の暗さだ。

 俺は、月の静かな光と、星の輝きに思いを馳せる。



 久しぶりに思い出したことがある。

 地元の小学校を卒業した後、両親からは隣町の小さな魔法学園への入学を薦められた。

 俺は首を横に振った。父の生業であるハンター、その仕事を自分もやれると思っていたからだ。元魔道士の両親から魔法の手ほどきは受けており、当時の同年代と比べれば、一歩リードしていただろう。それなら、わざわざ学び続ける必要性を感じられなかった。

 父は意外にも、俺の選択をあっさりと受け入れ、弟子にしてくれると言った。母は少し難色を示したが、父が認めるのなら、と納得した。

 そうして俺はハンターとなり、日々、父の元で鍛錬を積んでいく。最初の半年は何の役にも立たなかったが、他の魔法を放り投げ、主力として使えるまで氷魔法を鍛えようと方針転換を行ってから、一気に戦闘力が上昇した。

 二年も経つと、父とは別の仕事を単独で受けることも増えた。順調にハンターとして成長しているのに、どこか、納得できない自分が居るような気がした。


「えっ、町を出るのか!?」

 そんな頃だった。

 冬、幼馴染の友人で、俺が行かなかった魔法学園に通っていたヤツが、唐突に地元を離れ、独り暮らしを始めると言ってきた。

 俺は寂しくなるな、と思って、理由を尋ねた。するとそいつは、答える。

「小さな頃から憧れていただけだったけど、本気で目指そうと思うんだ……医者を。だから、学園を転校することに決めた。王都に近い所だから、ここを離れることになるけどさ」

「――――――」

 言葉よりも、俺は、その表情に吸い込まれた。

 はにかんで、自らの夢を語る友人の瞳は、どこまでも澄んでいて――――――


 以来、俺は、彼に一種の劣等感、憧れを抱いている。

 俺がこの学園で学生をしているのは、奇跡的に入学できたから勿体ない、ということではなく、あいつのように、一途に目指せる夢を見つけたいという目的があるからだ。

 現状はといえば、正直言って、芳しくない。周りには俺を圧倒する魔道士ばかりなのに、こいつらの全員が順調に魔道士として生きていける訳じゃない。そんな現実を見せつけられてきた俺は、魔道士を目指そうなどとは、ついに思わなくなった。

 だからといって、ゆめゆめ学園を去るつもりはない。両親が俺のために、ハンエルクで暮らしていける分のお金を用意してくれたのだ。俺には卒業する努力をしなければならない、という責任がある。だからこそ頑張って、柄でもない予習復習なんかをしているのだ。



 商店街の出店をきょろきょろ見ながら、俺は家に帰る。

 比較的綺麗な家々が建ち並ぶ住宅街のある一軒を、俺は借りるという形で住まわせてもらっている。父の知り合いだという優しそうなおじいさんは、こちらに居る間は好きに使ってくれて構わない、と言ってくれた。

 見た目にこれといった特徴がなく、周囲に溶け込むありきたりな外観だ。故郷の家と同じく木製の家だが、何かを塗ってあるのか、少し光沢があるように見える。

 さすがはハンエルクの建物だ、きっと本職の人が建てたのだろう。その地味だが綺麗な見た目からは、地元の器用な者が造り上げた渾身の力作を遥かに上回る丁寧さが伺える。

 幅は周りの家と比べて半分ほどだが、それでも独りで使う分には広すぎるくらいだ。

 中に入れば、居間が目の前に広がり、節々に時間の流れを感じさせる。扉が閉まると、町の喧噪から仕切られた場所――心安らぐマイホームだ。

 吹き抜けのある二回建てで、向かって左はキッチンだ。独り暮らし二年目、さすがに多少の調理はできるようになったが、手の込んだものは一向にやる気が起きない。いつも手軽なものを作るか、外で料理を買ってくる。

 正面は二階の寝室に繋がる階段。一人で寝るには少し余裕のあるベッドが二つある。寝室は家の外枠となる二面しか壁が無いので、一階が見下ろせるようになっている。開放感があるので、俺は地味に気に入っている。

 右のほうは、ソファが一組と、その間に長方形のテーブル。普段はここで勉強をしたり、本を読んでいる。一番奥にはトイレと風呂。

 こんなにも贅沢な家を、俺はお金を一切出さずに借りている。その事実を改めて認識すると、恵まれているなと感じた。

「……ありがとう、おじいさん」

 俺はこの家を綺麗に使おう、と何度目かの決意をした。


 部屋着に着替え、ソファで一息つく。すると、どこからか声が聞こえた。

「――おい、飯をよこせ」

「うわっ! いたのか、レオン……」

 低く、威圧的な声だ。見上げると、寝室から白くてモフモフした犬が俺を見下ろしていた。

 レオンは柵の隙間から、ぴょん、と飛び降りてくる。着地するが、音も振動も感じなかった。見た目は毛の長い大型犬だ。

 こいつのことをレオンと呼んでいるが、本当の名前は知らない。というか、教えてくれなかった。しょうがないのでつけた仮名が、レオンというわけだ。

 馴れ初めはおよそ一年前、町外れの森で鍛錬していた時に出会った。造形した氷を、突然現れたこいつがむしゃむしゃ食べ始めたのだ。

 どうやら俺の氷がいたく気に入ったらしく、時々こうやって姿を現しては、飯――氷を要求してくるようになった。

「我が居ることにも気づかないとは、やはり狩猟の腕は鈍ったか?」

「鍵を閉めてる家に痕跡なしで侵入できるのはお前くらいだろ、警戒できるか! ……いつもの氷だろ。ほら」

 俺は詠唱を省略して、机の傍の床にまず皿を、その上に一口サイズ氷のブロックを複数、造形した。

「ふむ……」

 レオンは皿まで歩いて、氷をじいっと凝視する。その目は、俺の技量まで全てを見通しているように感じた。

 レオンが前に来たのは、二年生が始まったばかりの頃だ。間も空いたし、あの頃より少しは成長しているという手ごたえもある。

 レオンは氷をかじる。

 がりがりと咀嚼する音だけが響き、やがて静まった。

 感想を、妙にそわそわした気分で待っていると――

「美味くなっているな」

 ぽつりと言って、また氷を食べ始めた。

 俺は思わず頬を緩め、言う。

「だろ? 最近、たくさんの魔法書を読んでるからな」

「とにかく実践ばかりだったお前が魔法書を……珍しいこともあるものだ」

 ガリガリボリボリ。レオンは俺の造形した氷を程なくして完食した。

 足で耳元をかきながら、言う。

「うむ、やはり上達したようだ。この調子で美味い氷の製作に励め」

「いやいや、別にお前の専属シェフになるために鍛錬してるわけじゃないから」

 ふと、閃いた。口を開く。

「ところでレオン、手を貸してほしいときは言え、と言っていたよな?」

 レオンは耳をかくのをやめ、俺を正面から見据える。

「それがどうした?」

「実はさ、二年生になってから学園の講義が難しくて、進級できる気がしないんだよ。お前って魔法の知識は常識離れしてるし――――」

「ふん」

 提案を言い終える前に、レオンはそっぽを向いた。

「たかがあの魔法学園の講義で難しい、とは。手に負えん。今日はこれで失礼する」

「あっ、おい!」

 唐突にレオンが光に包まれたと思った次の瞬間、光が真上に伸びて――姿を消していた。

「くそ、逃げられた! やっぱり、地道に頑張るしかないか……」

 俺は肩を落とす。

 底知れないレオンの手を借りればなんとかなるかも、という淡い期待を一蹴され、俺は夕食の準備を始めた。


 ――――明日、とんでもない問題が降りかかってくることなんて、知る由もない。


******************


 翌日。放課後になって、まずは復習を行った。今日はさらりと終わったので、まだまだ時間がある。

 今日は何だか気分が良い。足取り軽く、第三校舎のゼミ室へと向かう。

「ふっふっふ……。今日は復習も早く終わったし、なんだか充実してるし……いい感じだな!」

 いつもの作業場へ直で向かおうと廊下を歩いていると、その隣、トーマスゼミ室の引き戸が全開になっていることに気付いた。

 普段は閉めてあるのにな、と疑問を抱くと、

「――何だ、この報告書は!」

 バン、という大きい音と、トーマス教授よりも年上、初老の男性と思われる怒声がこちらまで響き、思わず身体が強張った。

 ――机を叩いた音? すっごい声が震えてたぞ……怒鳴り声みたいだし、何があったんだ?

 俺は音を立てずに素早く移動、扉のすぐ横に背中をつけて、中の様子を確認する。

「やだなあカールさん。それはあなたに頼まれたので、カールさんの頼みなら仕方ない、ということで記入した、ゼミ活動報告書ですよ」

「そんなことを聞いているのではない! 内容が問題なのだ」

 一番奥にトーマス教授が頬杖をついて、目の前の男と話している。

 黒のスーツ、白髪混じりの頭髪。後ろ姿を見ただけでも、大物の雰囲気をまとっていることが分かる。

 ハンエルク魔法学園副学園長のカールさんだった。その威厳ある顔つきとは裏腹に、普段は学生に対しても気さくに接する、評判高い人だ。

 そんなカールさんがここまで取り乱している。原因は間違いなくトーマス教授だろう。

 リーゼはその前にある学生用のスペースで椅子から立ち上がり、あわわわと視線を二人の間で行き来していた。仲裁しようにも、教授と副学園長相手ではリーゼでも難しい。

「……何やらかしたんだ?」

 俺は小声で呟いて、ただ見守る。リーゼには悪いが、今この部屋に突入する程、俺は蛮勇ではないのだ。

 トーマス教授がカールさんを見上げ、言う。

「ちゃんと書いたと思うんですけど」

 カールさんは紙をトーマス教授に突き付け、一点を指さす。

「活動内容の詳細が短すぎるんだ! この報告書は三枚は書いて提出するのが常識だろう!」

 トーマス教授の気怠そうだった瞼が開かれる。

「ええっ? 聞いたことないですよそんなの。だいたい、副学園長がはるばるゼミ室まで言いに来るほどのルールなら、紙面上に書いておけばいいのに」

「……」

「教授、失礼ですよ!」

 無言で拳を震わせるカールさんを見かねて、ついにリーゼが口を開いた。しかしトーマス教授はどこ吹く風。反省の色は全く見られない。

「だいたい、私は読む側の人のために、端的かつ的確に、短い文章ながら活動内容を全て把握できるように書いたつもりなんですけど。ま、次から気を付けますので」

 カールさんはため息をつく。

「……お前はもう少し、会議や打ち合わせにちゃんと出席しろ。周りが敵だらけになってしまうぞ」

 教授はへらりと笑う。

「必要ないと思ってるからでないだけです。それに、僕は今の地位にこれっぽっちもこだわりはありませんから」

 部屋の雰囲気が和らぐ。どうやら危機を脱したようだ。リーゼもほっとしていた。

 このまま居てもあれだし、一応カールさんに挨拶をしておこう。俺は姿を晒す。

「こんにちはー。あれ、カールさん?」

 部屋に居た、教授、リーゼが俺に目を向ける。

 カールさんも振り向いて――――表情を曇らせた。

「カルト君……」

 俺、リーゼ、教授の三人は皆、その様子が気になり、カールさんを見る。

「あの、俺に何か?」

 我慢ならずに尋ねると、カールさんは重い口をどうにか開いた。

「……カルト君。申し訳ない」

 カールさんは、頭を下げた。俺は思わぬ行動に動揺する。

「え!? か、顔を上げてください! 一体どうしたんですか?」

 ゆっくりと背筋を伸ばして、カールさんは俺と目を合わせ、言う。

「まず、背景を説明しよう。カルト君、君はこの学園を受験した。合否を判断する試験官は、公正かつ適切な判断の元、合格者を選定する」

「は、はあ……?」

 何で今、受験の話を? 突拍子のない話題に、俺は嫌な予感を覚えた。

「君に合格通知を出したのは間違いない。しかし、しばらく後になって、その判断が誤りではないか、という意見が学園内で出始めた。筆記試験の成績は、他の合格者と比較するとあまりに低かった。合否には実技試験が大きく影響するが、それでも目を引くには十分だった。そこで、一つの疑惑が生じたのだ」

 カールさんは教授を睨みつけ、続ける。

「実技試験の試験官を務めたトーマス。こいつの判断に、私欲が多分に含まれているのではないか、と。トーマス自身は否定したが、聞く耳は持たれなかった」

 ――うおおおい!! バレてるじゃねえか!

 俺も知っていた。そもそも、名門であるこの学園に、どこの中等部でも学んでいない俺が入学できる可能性なんて、微塵も考えていなかった。

 それなのに合格通知が届いたときには、さすがに間違いじゃないかと疑った。学園に行ってみると、どうやら本当に合格をもらっていたことを知ったが、疑問は残っていた。どうして俺が合格できたのか?

 ……約一年後、俺はトーマス教授にゼミの勧誘を受けた際、衝撃の事実を伝えられた。俺の合格は、教授が半ば強引に押し通したのだ、と。近い将来ゼミを持つから、そこに加えたいと思ったというのが理由だった。 

 俺はすんなりと信じた。当然だ、何か裏がなければここの学生になっていないことなんて、自分がよく分かっていたからな。

 その時の話で、続きがある。俺は何かよくない方法を用いたのなら、バレたらやばくないかと尋ねた。すると教授は、ひらひらと手を振って、こう言っていた。

「大丈夫大丈夫、別に法を破ったわけでもないし。そもそも後ろめたいことはしてないんだから」

 あの時の発言が、脳裏にリフレインする。

 ――こいつを信用した俺が馬鹿だったか!?

 カールさんは心底から申し訳なさそうな、悔しそうな表情で、言う。

「トーマスを目の敵にする教授たち、血統主義の者たちは、君を今すぐにでも退学させるべきだ、などとぬかした。それではこちら側の不手際で君を振り回してしまうことになる。なんとか止めようと尽力したのだが……君の成績は、正直に言って低い。そこにもつけ入られ、先日の会議でついに決定されてしまった……」

 顔が自然と引きつる。ぴくぴくと震える口からなんとか声を絞り出す。

「決定って……今すぐ退学、とか?」

「今年の前期成績で判断する、ということになった」

 前期……もうちょっとで中間試験も控えている。

 あ、これ、ダメだな……。

 身体の力が抜ける。

 ああ、せっかくここまで頑張って来たけど、これはどうしようもないだろうなあ……。

「それって、もう覆しようがないんですか?」

「ない。学園代表者会議で決定した事項だ、副学園長の私一人でどうにかできるものじゃない」

 ぺんをいじりながら尋ねたトーマス教授も、今は口数が少ない。

 カールさんは、再度、俺に頭を下げる。

「……本当に申し訳ない」

 俺たちはただぽつんと、去っていく背中をただ眺めるしかなかった。



 カールさんの足音が聞こえなくなった頃、すっかり意気消沈した俺は、二人に背を向ける。

「じゃあ、俺、帰るよ……」

 これからどうしよう、と暗い暗い将来について考えながら帰ろうとする。いくら前向きな思考が得意な俺でも、さすがにこの状況では気分も底まで沈む。

「あ、ちょ、ちょっと待って下さい!」

 リーゼの声で、俺は足を止める。

「えっと……教授、どうにかならないんですか!?」

 はっとして振り返ると、リーゼが教授に詰め寄っていた。

「リーゼ……」

 教授は天を仰ぎ、唸る。

「上層部にカルト君の実力を認めさせる……それ以外に方法は思いつかないな」

「そうはいっても、カルトさんの成績だと……」

「まあ、無理だね」

 教授は不機嫌そうな顔つきで、呟く。

「全く。僕は本当に、損得抜きで評価したとしても合格させていたっていうのに。全然話を聞かない奴らだな」

 沈み込んでいた感情に、二つの光が差し込んだ。

 なんてお人よしな奴らだろう。教授はまだ分かる。この人は純粋に、戦力として俺が抜けるのを防ぎたいと考えているだろう。リーゼに至っては、まだ話すような関係になってから数週間しか経ってないし、俺のことを嫌ってるというのに。

「ふっ……」

 良い人たちだよ、やっぱり。

 俺は笑みを浮かべ、言う。

「ありがとう。まあ、諦めずに頑張ってみるよ」

「でも……」

 リーゼは顔を曇らせる。

「カルトさんの頭脳は根本的に足りていません。今の勉強方法では、良い結果は望めないでしょう」

「うっ、痛い事実だから何も言えない……」

「現在は、どのように勉強しているのですか?」

「ええと……」

 俺とリーゼが、あーだこーだと対策会議をしていると、ずっと上の空だった教授が、手をぱん、と叩く。

「よし、良い案を思い付いた」

「本当ですか!?」

 リーゼが即座に反応した。

 教授は人差し指を立てる。

「ああ。勉強もそうだけど、カールさんの言ってた代表者会議に出席する人たちの機嫌も取ろう。まず一つ目。カルト君には正式にゼミに入ってもらいたいんだ。知っての通り、ゼミに所属しなきゃいけないのは三年生からだけど、二年生から入るのが常識、みたいになってるからね。ちゃんと入ることで、やる気をアピールしておいた方がいいよ」

「確かに……」

 その意見はごもっともだ、と感心する。

 次に中指を立てて、言う。

「次に二つ目。インターンって知ってるよね? 建前は仕事に触れることで学園ではできない経験を積んでうんぬんっていうやつ。あれをこなすと、学園の上の人たちから凄く気に入られると思うよ。だからやった方がいい」

「何か不穏なんですけど」

 リーゼがぼそりと呟くが、俺と教授は無視する。

「知ってるけど、これまでそんな余裕はなかったな」

「だろうね。だから勉強の方の効率を上げて、インターンもしっかりこなす」

「できるのか? 自分で言うのもなんだけどさ」

 教授は頷く。

「もちろん。そしてこれが一番重要な点だ」

 ごくり。俺は教授の言葉を待つ。

 薬指を立てる。3本目だ。

「三つ目。カルト君の成績不振を打開する。いつも、一人で勉強してるんだよね?」

「ああ、そうだけど」

「よし、ならいける。今日から学校のある日、放課後に優秀な教師をつけるから、勉強を教えてもらってね」

 教えてもらう? それは魅力的だけど……。

「教えてもらうって、誰に? 教授?」

 教授は笑って、手を横に振る。

「いやいや、僕じゃないよ。はっきり言って逆効果になるのは分かりきってるし。彼女さ」

 指さしたその先を見る。そこに立っているのは、きょとんと立ちつくしたリーゼ・エルフォルト。

「え、ええ!? 私ですか? 待ってください、私だってやりたいことが――」

 教授はうんざりした顔で、言う。

「どうにかならないのか、と言ってきたのはそっちだろ」

「そ、それは……」

 教授は両手を合わせ、懇願する。

「ま、頼むよ。カルト君が居ないんじゃ、ウチの研究は5年遅れることになっちゃう。ゼミのためだと思ってさ、ね?」

 リーゼは恨めしそうに教授を睨みつけるが、やがてがくりと肩を落とした。

「もう。仕方ないですね、分かりました。やってみます」

 渋々承諾するその姿を見ていると悪い気がして、謝る。

「あ、あのー。ごめんな、迷惑かけて」

「私が教えるんですよ? これで見っともない成績だったら、承知しませんから」

 教えてもらえるなら楽できるんじゃないか、と心のどこかに隠れていた思惑が、リーゼに睨まれることで消滅した。

「は、ははは、努力します」

「じゃあ、次の試験までの目標を定めることにしようか。ほら、座って座って」

 

 

 こうして、トーマスゼミ室でカルト退学処分対策会議は、外がすっかり暗くなるまで続いた。

 俺とリーゼは、一緒に第三校舎の玄関をくぐった。

「お疲れさまでした。明日から、ちゃんと頑張ってくださいね。努力すれば、きっとなんとかなりますよ」

 リーゼはそう言い残し、先に帰っていった。

「俺も帰るか。明日から一層忙しくなりそうだし、早く寝よう……」

 そんな言葉とは裏腹に、不思議と気分は悪くなかった。さすがに朝のようなハイテンションに持っていくことはできないが、普通くらいにはなっている。

 ――ありがとう。本当に助かったよ、教授、リーゼ。

 人はほとんど見当たらず、外灯が暗闇を照らす中庭の光景は、二年目になって初めて目にした学園の一面だった。





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