トーマスゼミの活動記録

安心太郎

1 金色の猛獣

1-1 ゼミのお手伝い

 王都から南へ、草原を一時間程歩けば着く町、ハンエルク。

 木製の家を基調とした街並みで、白いレンガで建てられた建物が目立つ地区もある。町の外枠には、魔獣が侵入しないように建てられた簡易な柵があり、正方形を形作っている。

 町の中心には、高くそびえ立つ時計塔を中心にした円形の公園、名称、中央公園。その中心から北と南に延びている真っすぐな道は、ハンエルク商店街と呼ばれている、店の集合地帯だ。歩いていると、左右どちらにも店がずーっと並んでいて、誰でも初見は圧倒されるだろう。

 商店街に行けば、飲食物、衣服、魔法器等、なんでも揃う。町民はもちろん、ふらりと立ち寄った人々にも重宝されている。商店街で買った食べ物を中央公園で食べ歩く――よく見る光景だ。

 さすがは栄えている北西地方なだけあって、人は多い。ここに来たばかりの、田舎の村での生活が全てだった俺にとっては、同じ国とは思えなかった。

 俺、カルト・バーグリーは、そんな栄えた町に一年前、ハンエルク魔法学園という名門へ入学するためにやって来た。

 名門に通う学生、といえば聞こえはいい。しかし、俺は胸を張って、ハンエルク魔法学園の高等部の学生です、と自慢はできない。なぜなら、俺の背中には常に落第、留年が付き纏っているのだ。

 現在は高等部の二年生。なんとか一年生の進級試験を突破したものの、二年生になってから、ただでさえついていくのに精一杯だった講義は、さらに難解さを増していた。

 これまでも復習に励むことで喰らいついていたが、それだけではどうしようもない状態に傾きつつある。

 と、いうわけで、俺は少しでも多く勉強に時間を割かなければならないのだが――――



 ハンエルク魔法学園、第三校舎、一階突き当りのトーマスゼミ室。

 冬の寒さは引いて、日中はぽかぽかとした陽気、夜は肌寒いと言う春の季節。

 昼を過ぎ、少し空の青みが薄くなってくる時間だ。一刻も早く帰宅し、今日も相変わらず増えてしまった疑問点を復習したかった。

 だが、朝にトーマス教授と廊下でばったり出会ってしまったのが運の尽き。俺が逃走する言い分を考えているうちに、放課後にゼミに来てくれ、と呼び出しを聞き遂げてしまった。


 朝のことを思い出す。学園に到着し、朝一の講義室へ向かっている途中のことだった。

 細身で、スーツと背の高い帽子を着こなす紳士――いや、中年オヤジが、交差点で左からやって来た。

「あ、カルト君。ちょうどよかった」

 朝なのに、挨拶をすっ飛ばし、唐突に本題入ってくる。

 まだ頭が覚醒しきっていなかったのか、俺は頭の奥から発せられている危険信号に一切気づかなかった。

「今日なんだけど、本の整理、また頼める? あれからまた、あの工程に本が溜まってきちゃったんだよね」

 そこまで言われて、俺はようやくピンチであることを理解する。しかし、もう手遅れだった。

 俺はトーマス教授に借りがある。そのお返しとして、しばらく、教授のゼミ活動の手伝いをする約束をしてしまったのだ。

 元々はゼミに入ってほしいという要求だったので、まだマシだが……それは二年生の講義レべルを知る前の話だった。

 そんな背景もあり文句も言えず、俺は渋々承諾した。

 

 そうして今、俺は大きくて綺麗な第一校舎ではなく、そこを出て左手の、ボロい第三校舎の一室で本の整理を行っていた。

 ここ第三校舎は、今では”倉庫”と呼称されることが多いし、そう呼んだ方が通りが良い。

 その由来は、学園が持っている大きな図書館から溢れてしまった、現在では価値の薄い魔法書を保管するために利用されている事にある。ゼミ室以外の大半の部屋には本棚が並べられているのだ。

 俺に与えられた役割は、俺以外のゼミ所属者が抜き出した氷魔法に関する魔法書の中身を確認し、価値の有無を判定すること。

「うわぁ……一週間前に全部片づけたのに、また山積みになってる……」

 ゼミ室の隣部屋にやって来た俺は、いつものスペース――扉から向かって右奥にできている本のタワーを確認して、重いため息が漏れた。何冊あるんだ? あれ……。

 ゼミ生とトーマス教授に挨拶もせず、勝手に作業を開始する。

 ちなみにだが、なぜ有用な氷魔法に関する魔法書を探しているか、理由は知らない。初めてこの作業を投げられたときに教授に尋ねてみたものの、「秘密。あ、これは別に嫌がらせじゃないよ」などと、納得いかない返答だった。

 椅子に座り、上から数冊の本を手に取って、机に置く。全て捌ききるのにどれ程の時間がかかるのか分からないが、途方に暮れているのは勿体ないだろう。

 部屋の明かりは、窓から入って来る陽の明かりのみだ。机は窓際にあり、そこに置きながら読むと、少し眩しいくらいだ。逆に机から離れると、本を読むには少し暗いかもしれない。

 しかし、俺はこの空間を気に入っていた。静かな部屋、差し込んでくる放課後の日光、木製の壁と家具――地元では体験できない喧噪が響き続けるハンエルクで、故郷に居るかのような気分になれる場所だ。

 しばらくの間、分厚い魔法書のページをめくる音だけが、部屋をゆったり響き続けていた。


 魔法書の内容に集中する。

 ――魔力の構成に一見氷に無関係な要素を混ぜたら凄い反応が起こる、か。そんなことあるかなぁ……。って、ええ? もしかして実験結果ないのか? ただの提言? いやさすがにそんなことは……。

 ふと、思考に雑音が混じった気がした。俺は凄く不愉快になり、たまらず顔を上げて振り返る。

 扉を開けて立っていたのは、一人の少女。俺は複雑な気持ちになった。

 女子の平均的な身長。長く美しい銀髪。凛とした印象を与える、端正な顔立ち。全体のスタイルは高いレベルにまとまっている。

 高等部二年生、リーゼ・エルフォルト。一年生の進級試験では、総合二位の成績を叩き出した超優等生。人当たりもよく、誰にでも丁寧に敬意を持って接すると評判高い。

 まさに学生の理想像。かくいう俺も、リーゼには憧れていた。そりゃそうだ、だって、見た目は最高、性格も良いとくれば、気にならないはずもない。

 だが――――あくまで過去形である。

「…………」

 ほら、見てくれよ。あの顔。俺は痴漢でもやって捕まった犯罪者なのではと勘違いしてしまうような、心底から見下した目で俺の顔を見下ろしていた。今に限らず、大抵はこの態度で俺に相対する。

 いつも校舎で見かける、柔和な表情はどこへ行った? 誰にでも敬意を払うという評判は嘘だ。少なくとも俺に、敬意は微塵も抱いていない。あの顔から感じ取れるのは……侮蔑、軽蔑、馬鹿野郎。

 刺々しい態度でチクチクとつついてくる原因ははっきりしない。

 一度、理由を尋ねてみたことがある。てっきり、ひた隠しにしていたという趣味を暴いてしまったことが原因だと思っていたが、違った。その時の答えは、

「私、不真面目な人は嫌いです」

 だった。会話の流れから察するに、俺の成績が最底辺であることや、俺を見に来たタイミングがとても悪く、偶然サボっている間だったことなどから、不真面目であると断じられたと思われる。

 俺としては、かなり真面目に学業に勤しんでいると思っているのだが……否定するのも悲しいので、止めておいた。

 しかし、疑問は残る。学園でのリーゼを見る限り、成績が低い学生に対しても、特に態度を変える様子を見たことはない。気にはなるが、聞いたところ相手にされないだろうということは容易に想像できる。

 リーゼは立ったまま俺を見ていた。しばらくして、口を開く。

「――今日は真面目に頑張ってるみたいですね。もしかして、頭でも打ちましたか?」

「別に混乱してねーよ! いつもこんなもんだろ」

「その調子で早く終わらせてください、後ろが詰まってますから。……あと、休まないのはむしろ効率を落とします。定期的に休息を取ってくださいね」

 リーゼは手に持っていたコーヒーカップを机に置いた。中を覗く。どうやらコーヒーを持ってきてくれたようだ。

 基本は辛辣だが、このように、変に優しさを見せることもある。全くもって、意味不明だ。何か思惑があるのか、ただの気まぐれか……。

「ああ、ありがとう」

 こんな推測で答えが分かるわけでもない。俺はこの問題を放棄して、熱いコーヒーに口に付けた。



 美味しさに気分を良くしていると、扉に向かっていたリーゼが振り返り、言う。

「ところでカルトさん、気になる魔法書は見つかりましたか?」

 俺は首を横に振り、言う。

「いいや、今日の分は全然ダメだ。新発見もない」

 リーゼは不満げに、俺が”ダメな本”と仕分けた魔法書を一冊、手に取りながら、言う。

「本当にちゃんと読んでますか? この魔法書は、私がしっかりと目を通していますし、期待していたのですが……」

「確かに、内容はとても高等な話かもしれない。でも、今日の分は悉くが冷気魔法の話で、氷魔法を軸にしてるやつがないんだよ、それも含めてな」

 冷気魔法。魔力を冷気に変換する魔法の総称だ。日常生活でも需要が高く、戦闘でも、生物に対して非常に効果があるとして、戦闘用の魔法――魔術でも重宝されている。幅広く活躍している魔法だ。

 しかし、この冷気魔法と氷魔法の関係について、よく勘違いが起こる。もしかしたら俺が間違えているのか、と不安になることもあったが、ここ最近で確信へと変わっていた。

「氷魔法は冷気魔法の延長じゃない」

 俺の言葉に、リーゼが頷く。

「私もゼミでの活動を通じて、明確にではありませんが、そういった風に思うことがありました。カルトさんは、どうしてそう言い切れるのですか?」

 俺はニヤリと笑った。

「簡単な話、俺は冷気魔法が得意じゃないんだ。下手って程でもないけど、他の魔法と比較しても差はあまりないな」

 リーゼは呆れて、ため息をつく。

「カルトさんに期待した私がバカでした」

 俺はリーゼの態度から、真面目に聞いてくれていることに気がついた。

 気持ちを切り替え、真剣に語る。

「この話には続きがあるんだ。確かに俺は魔道士として凡庸だけど、氷魔法についての理論はここのゼミを手伝うことで、かなり詳しくなったと思う」

 リーゼが再び、俺を見据えてくる。

 俺は続ける。

「氷魔法は、冷気魔法の最後にフィルターを通すという行程を追加することで完成する、というのが通説――これに間違いはないよな?」

「そうですが、それが一体?」

「つまり、簡単に言い換えれば、冷気魔法にちょっとした変更を行うことで、氷魔法になるということだろ? その変更というのはあくまで単なるフィルター、出力するモノを冷気というエネルギーから氷というに変えるだけだ。ベースになる冷気魔法の質が悪いなら、氷魔法だって質が悪くなると思わないか?」

 リーゼは考え込む。

「……理屈は分かります。ですが、実際に見せていただかないと納得はできません」

 またか、と俺は心の中で頭を抱える。これまでも何度か、リーゼから俺の氷魔法を見せて欲しいと頼まれることはあった。

 もし得意な氷魔法を馬鹿にされでもしたら立ち直れないだろうから、これまで断って来たのだが……。

 すると、リーゼの背後、開いていた扉から、一人の男が姿を見せた。

「なになに、何か面白そうな話をしてるね」

「トーマス教授……」

 リーゼがあからさまに嫌そうな顔をする。こいつは、トーマス教授が苦手なのだ。

 教授の講義を受けたことがあるから分かるが、大概、サボりグセがあるし、不真面目に見えるほどの合理主義者だ。やらなきゃいけない事以外には、とても雑になる。実際に仕事をしていないことはないのだが……。

 そうなると当然、リーゼとしては文句をぶつける。が、教授は悉くを上手く回避する。しかも教授はリーゼをよく怒らせているが、わざとやっている節がある。

 いわば、天敵といったところだろう。

 そんなところに俺が来たのか。リーゼのメンタルが心配だな……。

 教授はずけずけと俺たちの元へと歩いてきて、会話に乱入する。

「氷魔法が冷気魔法のうんぬん、て聞こえてきたんだけど」

 リーゼは教授を睨みつけている。敵意むき出しだ。俺より嫌われている人が居て、なんだか安心した気分になる。

 俺はリーゼが説明するつもりがないことを察した。代わりに、これまでの会話内容を説明する。

 すると教授はうんざりした様子で、リーゼに言う。

「そんなことも知らずに、今までゼミで活動してたの? 学年二位も、これじゃ期待外れだな」

 歯に衣着せぬ発言にリーゼはカチンと来たらしく、教授に噛みつく。

「カルトさんと話す前から、予想はしていました! それに私が言いたいのは、カルトさんが言ったような理屈では、学会で認めてもらえるわけがない、ということですっ」

 教授は途端に不機嫌になり、リーゼの発言を一蹴する。

「何言ってるの? そもそも学会が氷魔法なんかの話に耳を貸すわけないでしょ」

「う、それは……」

 リーゼは悔しそうに沈黙した。

 学会とは、魔法学会のことだ。魔法に関する全般の業務を行う組織で、国も関わっている。

 研究発表はこの魔法学会で行うのだが、氷魔法は現在、魔法としても、魔術としても、便利さに欠けるだとか、効率が悪いだとか散々な評価を受けており、誰も目をつけていない。

 俺は心境を察するが、教授の論理は正しいので、憐れむしかない。

 教授は何かに気付いたのか、はっとして、リーゼに謝罪する。

「あ、ごめんごめん、言い過ぎた」

 唐突にこちらに視線を移して、続ける。

「でも、カルト君の氷魔法を見たいのは僕も同じだね。どう? 今から見せてくれない?」

 リーゼはぴくりと反応して、顔を上げた。

 俺はげんなりして、言う。

「教授は、入学試験の時に見せてるだろ」

 教授は、へらりと笑う。

「それとこれとは別の話さ。単に、僕が現状を見たいだけ。――結果によっては、ゼミの目的、教えてあげるよ。どう? 悪い話じゃないでしょ」

 俺は目を見開いた。

 トーマスゼミでの研究内容について、俺は知らない。一応、学園で公表している内容は、”新しい魔術の企画”だ。しかし、それはダミーであると教授は言っている。

 カルト君には、目的を知らないでいて欲しいんだよね。その方が、選別作業が捗るから――二度目に聞いた時の返答だ。俺はそれ以降、詮索していなかった。

 自分から情報を探してはいないが、確かに、気になる事ではあった。

 ――唯一、自信のある氷魔法を見せるのは少し気が引けるのだけど……まあ、この二人ならいいだろう。少なくとも、言いふらしたりはしないだろうし。 

 俺は頷いた。

「分かった、いいよ。何を見せればいいんだ?」

「おまかせで。とにかく、僕を満足させてくれるモノをみせてほしい」

「おまかせって……」

 俺は、毎日の献立に頭を悩ませていた母親の気持ちが分かった気がした。しかしそれは一瞬のことで、教授と目を合わせると、意味深な笑みを向けてきた。

 満足させるモノ、か……。

 なるほどな、と俺は笑う。多分、悪い笑みをしている。

「よし、分かった! 今から造形する」

 俺は立ち上がり、造形対象リーゼを一瞥する。リーゼは俺の視線に首を傾げた。

 目を閉じる。

 頭の中で、今から造り上げる氷像の形を完璧に把握する。全方角からの情報を頭の中で整理する。これまで何度も見つめてきた姿だ、楽勝楽勝。

 第一工程終了。次は右手を前に突き出し、手を開く。この造形を行うために、魔力の量、要素を考え、実際にそれを体内で調整する。

 そして最後に、右手に魔力を流しながら――詠唱。

「【”氷の造形魔法フォーメティブ”】――――」

 俺の前方に、放出した魔力を操作する。そして、ここまで準備した魔法を起動、一気に、リーゼの氷像を造りあげた。

 部屋の空気が少し冷える。白煙が少しだけ発生したが、すぐに薄まって、消えた。

 制服姿のリーゼで、両手を合わせ、お祈りを捧げているようなポーズにしてみた。俺が言うのもあれだが、とても神秘的に仕上がったのではないだろうか。足元はさすがにそのままではバランスを崩しそうなので、板を靴底にくっつけるように敷いている。

 これぞ、まさにリーゼ女神像。神々しいまでに美しいリーゼを完璧に再現できた。女神ならお祈りしているこのポーズは何だか違う気がするが、細かいことは気にしない。

 完璧な手ごたえだ。現状の俺が造ることのできる質として限りなく限界に近いものが完成した。今回の造形はあくまで見せる物なので、強度などより、外見が良くなる方向にパラメータを全振りした。

 ――よし、出来は悪くない。二人の評価は……。

 俺は緊張して、二人の反応を待つ。これまでと打って変わって、静寂が室内を支配する。心臓の鼓動が聞こえてきた。

 まず動いたのは教授だった。

「おおお、最高だよ、素晴らしい!」

 教授は興奮して、氷像を間近で観察する。

 褒められた俺は、ほっと胸をなでおろした。気分を良くして、腕を組む。

「ま、これくらいは当然だ」

 ちらりとリーゼの様子を窺うと、ぼんやりと氷像を見つめていた。が、唐突に顔を赤くする。

「え、これってもしかして、私……?」

 きっ、と俺を睨みつけてくる。そこにいつもの鋭さはない。肩をすくめ、言う。

「俺は実物を再現しただけだ、誇張もしてない」

「うんうん、まさに天使! なんて美しいんだ……」

 恍惚とした表情で褒めちぎる教授。リーゼは身体をぷるぷると震わせ始めた。

 あ、そろそろやばい。そう思った直後、教授がデッドラインの先へ、大股で踏み込んだ。

「ところで、スカートの中は一体どうなって――」

「はああああああぁぁぁーーーー!!」

 どん、と耳に音が響いたと思ったら、凄まじい加速でリーゼが氷像へ飛び込んでいた。白兵魔術はくへいまじゅつで強化した身体能力からの右ストレートを氷像に浴びせると、無残にもリーゼ像は粉々に吹き飛んだ。

 下から覗こうと屈んでいた教授は、リーゼが動き出した瞬間、物凄い速さで扉の外へと移動、逃走に成功していた。

 となれば、この獣の標的は――

「――――」

 リーゼの目が赤く光る。間違いなく、ターゲットは俺だ。両手をぶんぶんと振る。

「いやいや、待ってくれ! さすがにそこは考慮して、スカートの中は何も造形していないから、心配は――」

 言葉が途切れた。リーゼはさっきまでの剣幕が嘘のような微笑を浮かべた。

 あ、もしかして俺には怒っていないのかも、とほっとするのも束の間、少し寄り道をして、机から魔法書を一冊、右手に取った。

 あ、やばい。俺は気付いた。この笑顔は、そんなんじゃない……!

 目の前まで来て、ニッコリしたまま、言う。

「……カ・ル・ト・さん?」

「は、はい!?」

 あまりにビビッて、声が裏返った。

「正座」

 俺は素早く指示に従った。

 とん、とん。左手に魔法書の背を当てて、言う。

「さっき、女神がどうとか言ってましたね……?」

「そそれは、リーゼ様が女神の如し美しさであるとですね……!」

 俺の弁解も、女神はニッコリと受け流す。

「では、愚かなカルトさんに、女神の怒りを受けていただきましょうか……?」

「……」

 俺は口を開け、振り上げられた本を見上げることしかできない。

 ああ、これが女神の怒り。たかが人間では、抵抗すら不可能――!



 リーゼの説教はしばらく続いた。俺は頭にたんこぶをつくりながら、ただ、聞くしかなかった。

 説教が終わると、いつも間にか教授が帰ってきていたことに気が付く。あの野郎。

 教授は暇そうに本棚を漁りながら、言う。

「ところでさっきの造形魔法だけど、合格点どころか、満点を突き抜けて120点でも上げたいくらいだったよ。氷魔法だけなら、現時点で国一番かもね」

「えっ、マジで!?」

 途端に気分が良くなった。まさかそこまで評価してもらえるとは。教授は学生にお世辞を言ったりはしない。

 教授は本を読みながら、言う。

「ホントホント。入学試験の頃より成長してたし、言うことなし」

 怒りを鎮めたリーゼも、頷く。

「ええ、確かに氷自体の質は驚きました……一体どんな訓練を積んで、そこまで辿り着いたのですか?」

 真面目なリーゼの問いかけ。俺は腕を組んで、うなる。

「うーん……。どんな、か……。別に特別なことはしていないと思う。ずっと、氷魔法ばかり鍛えてきただけだ。毎日、どうすれば上手くなれるか、問題点はどこか、その対策は? そんなことばかり考えてたな、地元に居た頃は」

「そうですか……」

 落胆の表情を浮かべるリーゼを見ていると、教授が俺に向き直る。

「ま、積み重ねってことでしょ。ここまで上達しているのなら、もう話しても大丈夫だと思うし、ゼミでやりたいことを教えるよ」

 ついに来たか。氷魔法を用いた研究……気にはなる。一体、どう活用するつもりなのだろうか。

 教授は全然溜めもなく、スラスラと言った。


「僕が目指すのはさ。時間を操作して、過去に干渉できる。そんな魔法を生み出したい」


 思考が一瞬、停止した。

 ――そんな夢物語、叶うわけないだろう。

 しかし、間違いなく、教授は無邪気に語っていた。

 


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