38話:溜飲
「でも、何も知らない香港支社にアタックしてきたら、面倒なことにならない?」
「そもそもアタックしてくること自体、可能性が低いから大丈夫」
「そうなの?」
「スヴェンソンが最も困るのは、メモリを取られてしまったことだろ?」
「そうか、メモリはテロ兵器みたいなものなんだから、それを返せって香港支社に直接連絡を取ることはできないんだ」
本田は頷く。
「他にも話はしてるけど、
「
「いや、一応用意してるよ」
本田はスマートフォンの画面を見せた。スヴェンソンに渡したメールの、空っぽの受信ボックスである。
「飛行機に乗る前に機内モードにしちゃったから、実際は空っぽじゃないかもしれないけど、少なくとも乗る前は全く連絡がない」
「すごいすごい」
周りに迷惑をかけないように配慮しながら、千弘が指先だけで拍手する。
「やっぱり、スヴェンソンがショックを受けた顔を見てみたいのは確かだけど、絶対無理なんだよね。そこがつらいところ」
本田は苦笑して、
「飛行機を降りた頃にはストーカー並みに大量のメールが来てるだろうから、それを見て溜飲を下げて」
「いいの? 遠慮なく見せてもらうね」
「その紙は誰にもバレないように捨てろよ」
「はいはい」
千弘は得られたメモを折りたたんで、細かく破り始めた。小指の爪よりも小さい破片ばかりにしてしまうと、千弘はそれを口に入れ、茶で一気に流し込んだ。
「……嘘だろ」
「ただの食物繊維ですから」
千弘はすました顔だ。鹿島が映画のようなことをしたのが羨ましかったのだろう。自分もやりたくなったに違いない。
「便所に流したらいいのに……」
「どっちも似たようなもんじゃん」
そう言ってそっぽを向く千弘は、少し恥ずかしそうでもあった。
千弘は軽く首をひねって喉元に触れ、また茶を飲む。メモの破片が喉奥に引っかかったのだろうか。だから不安なのだ。本田は苦笑である。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫大丈夫」
「千弘はさ、どうして参加してくれたの」
「参加って?」
千弘はあくびを慌てて飲み込み、本田の方を向く。
「どうしてこの国まで来てくれたんだろうって思ったんだ」
「え? 本ちゃんが来いって言ったんじゃん。4人いないと成り立たなかったんじゃなかったの?」
「それはそうなんだけど、でも断られるかと思った」
千弘にとって、そう言われたのは意外なことのようだった。しばらく右斜め上を見ていた千弘は、茶を飲もうとして、もう残っていないのを見て顔をしかめると、ゆっくり話し始めた。
「……中学の頃とかにさ、面白くもない授業中に、テロリストが襲ってきてボコボコにする妄想をしたりしたでしょ。本ちゃんから話を聞いた時、これを思い出したんだよね」
千弘は少し照れくさそうだった。本田も、かつては同じ妄想をした人間として、大きく何度も頷いた。
「なんで思い出したのか、僕自身もよくわからないんだけどね。相手がサイバーテロリストだからかな? 頭を使って立ち向かうから、かも。でも、テロリストに実際に立ち向かってみろって言われても絶対にやらないけど、本ちゃんの提案は、なぜか乗ってみようと思えたんだよ」
「俺がローリスクって言ったから? じゃあ、千弘は俺に騙されたのかもな」
「実際考えてもローリスクだと思ったけど、本ちゃんに流されたのは確かだね」
千弘は素直に認めた。
「他にも理由はあるんだよ。ネットショックを起こそうとしている悪党を潰すっていう響きにも惹かれたし、本ちゃんは報酬を出すとも言ってたしね。……ねえ本ちゃん、そのあたりって、どうなの? 計画は成功したわけでしょ」
「もちろん出すよ。姉ちゃんのこともあるし、銀行の預金は動かせないけど、俺が持ってるADLERの株、俺が姉ちゃんに頼んで動かせる分は全部みんなへの報酬にするから。そっちを4人で山分けしよう」
千弘は目を剥く。面倒なタイプのアルバイトということで、日給2万円は貰うとしても4日で8万円、あるいは、それに毛の生えた額を考えていた。
それが、ADLERの株などと本田は言い出した。恐ろしい話だ。
「いくらくらいになるの……?」
「姉ちゃんを彼氏ネタで脅したら、5億円分の株ぐらいは出てくると思う」
この姉弟、本当に信頼関係があるのか?
「……じゃあ、その5億を山分けするってこと?」
「そうだよ」
単純に分けたら、1人あたり1億2500万円、そして、税金を引いても5000万円近くになる。さすがにこの額はまずい。いや、まずいというよりは、関わってはいけないという方が近い。欲が全く湧かない。この自分が。
「やめよう。そんなにいらない。あまり高いお金のやり取りはやめよう」
千弘が怖気付くレベルとなると、相当な常識はずれであるということに本田は気づいていない。本田の金銭感覚が狂うほどの金が、本田とADLERの間でやりとりされたのだと千弘は身震いしながら実感した。
「え? だって、約束しただろ」
「したけど、こんなに高額だなんて思わないでしょ」
こんなことになるのなら、あらかじめ真面目に話をしておくんだった。千弘はしわを寄せた眉間を親指で広げる。
「それなりの時給のバイト代とかもらえたら、僕はそれでよかったの」
「はじめに決めておけばよかったな……」
うっかりではあるが、非常に大きなミスに、本田は頭をかいた。
「まったくもう」
笑う千弘は、徹夜で酒を飲んだ疲れにあくびをする。そのまま、本田に対して何やら愚痴をこぼそうとするも、とぎれとぎれになり、10分もしないうちに寝てしまった。
「……おやすみ」
明日の朝から授業の詰まっている本田も、暇があれば寝たい。千弘が声をかけても反応しないのを見て、本田は大きく伸びをして毛布の中に頭を埋めた。
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