第3話 シスリー・末露・スティアードは普通の変な人

「…………そういえば、普通に考え普通に決断ってどういう事だ?」



 少し時間が経ったからだろう。落ち着きを取り戻した雅久は寿々花が言っていた事を思い出した。



 「そのまんまの意味でいいんだろうけど………………」



 雅久が特別な行動を起こす必要は無いという事なのだろうが、それなら“死ぬという予知がそもそも出て来ない”だろう。死ぬからこそ、それを回避するための予知であり、手段として寿々花は雅久に告げたのだ。



 「いいんだ…………ろうけど…………」



 つまり、これから“普通に考え普通に決断できない何か”が起こるという事なのだろうか。自ら普通でいると意識しなければいけない何かが。


 しかし、そんな事態とは一体何なのだろう。


 天変地異でも起こるのだろうか? でも、それなら雅久個人だけで済まなさそうなので、あんな予知にはならなそうだが。



 「ぬーん…………」



 頭を悩ませながら横断歩道を渡る。その先の住宅街に入り三つ目の十字路を左に曲がると、通学路の終点である我が家が見えてくる――――――――――――のだが。


 その家が視界に入った時、ピタリと雅久の足が止まった。



 「…………誰だ?」



 自宅の前に見知らぬ人物がいる。


 寿々花の予知のせいで何処か用心深くなってしまった雅久は、思わず電柱の影に身を隠してしまった。

 門のそばに立っている以上、露木家に用があるのは間違い無い。


 この時間に家へ帰るのは雅久しかいないため待ちぼうけをくらっているようだ。



 「見た事無い顔だな…………」



 そう、この時間に帰るのは雅久しかいない。


 つまり、あの人物は雅久を待っている可能性が非常に高い。普通、家に誰もいないなら出直すはずだからだ。



 「もしかして…………予知に関係ある相手……なのか?」



 この状況はそう思っていいかもしれない。寿々花の予知を無視できない以上、知らない何かには警戒していいはずだ。


 なので、家に帰るとしてもあの人物がいなくなってからだ。危険要素はなるべく排除すべきであり、それが至って普通の人間である露木雅久の考え――――――



 「つーか、あの子…………」



 ――――――なのだが。



 「…………可愛い……な」



 家の前で待っているのが美少女なら少し話が変わる。


 なぜなら、美少女に目を奪われ気になってしまうのは、至って普通の人間である露木雅久なら仕方の無い事だからだ。



 「うん…………間違いなく可愛い女子だ」



 家の前で本を読みページを捲る彼女の姿は、ただそれだけで絵になる素晴らしさがある。


 時折サラリと長い黒髪を掻き上げる仕草はそれだけで容姿の美しさを引き立たせ、垣間見える微笑はまるで天使のようだ。


 華奢な身体と誰もが振り向くような可愛らしさを持つその彼女は、見ている者を虜にさせる魅力が充分に満ちていた。


 だが。



 「でも、何なんだあの本は……?」



 ただ、読んでいる本が“広辞苑くらい分厚い”事が少々気になった。


 誰かを待つ間に読む本としてはかなりゴツい。少なくとも雅久の知る限り、あんな本を平然と持って読む女子など知らない。



 「疲れないのか? あんなデカい本を片手で持つとか、オレなら五分もしないで落とす自信があるが…………」



 そんな風にジロジロと彼女を見ていたからだろう。


 間抜けにも曲がり角から顔をずっと出し続けてしまったため、雅久は彼女と目があってしまった。



 「あ……」

 「あ!」



 発見したとばかりに彼女は声を上げ、そのまま雅久に向かって走ってくる。



 「見つけましたッ!」



 ドドドドといった擬音が聞こえそうな特徴的なダッシュ。


 その勢いに雅久は思わず後ずさってしまうが――――――――すぐにその行動は束縛された。



 「ぬぐッ!?」



 手足に妙な感覚が走り、見ると左右の手首と足首に“紙”がまとわりついていた。


 風も無く、そもそも“紙なんて何処にも無かった”のに纏わり付いているのは変だが、それ以上に“動けなくなっている”事の方が変だった。



 「は!? え!? な、なんだコレ!?」



 磔にされたようにガッチリとこの場に固定されており全く抵抗できない。


 纏わり付いている紙が、雅久を見えない壁に貼り付けているかのようだった。



 「ふー、逃げられなくてよかったです」



 その可愛らしい声が聞こえると、ガクンと雅久の身体が揺れた。急に“紙の縛り”が解けたため反動で蹈鞴を踏んだのだ。



 「へ? っとと!?」



 そして再び雅久は間の抜けた声を出す。先程纏わり付いた紙が意志を持ったかのごとく“彼女の方へ帰った”からだ。


 紙達が彼女の持つ分厚い本に吸い込まれていったのである。まるで巻き戻し画面を見ていたような動きだった。



 「うん、うんうんうんうん! うんうん!」



 いつの間にか前に回り込んでいた彼女が雅久に顔を近づけてくる。迫った彼女と雅久の距離は数センチ程度しかなく雅久は思わず顔を赤くした。



 「うん! 間違いありません!」



 だが、彼女の方は全く気にしていないようで恥じらいはなかった。


 本と雅久を交互に見比べながら彼女は呟く。


 「いやーずっと待ってました。露木さん帰ってこないから、家を間違えたのかと思っちゃいましたよ」

 頭を手で擦りながら「アハハ」と脳天気に彼女は笑う。



 「う、うん?」



 雅久はさっきの不思議な出来事で僅かに頭が混乱しており、少し気の抜けた顔をする。



 「それだと改めて探す必要が出るので滞在費を稼がないといけない所でした…………あ、その場合マッチを何処かで調達しないと行けないんですよね。そのマッチを道行く人達に売ってお金を稼いで…………アレ? たしか、お金が無い時はそうやって日銭を稼ぐのがこっちの世界の常識ですよね? マッチじゃなく笠でしたっけ? あれれ?」



 さっきまで見ていた百科事典を開いて彼女は何やら確認を始める。忙しなくページを捲る所を見るに、どうやらあの分厚い本は本当に辞典だったらしい。



 (いや、メモ帳の可能性もあるけど…………って、そうじゃなくてッ!)



 彼女は何を言っているのか。


 待ってました、という単語の意味は解読できる。家の前で自分を待っていた、という事だろう。これは普通に理解できる。


 だが、滞在費というのは、雅久がいなかったら何処かで寝泊まりするという事だろうか。


 いや、それは聞く限り絶対に間違いないのだが、何故そんな事までする必要があるのだろう。


 全く心当たりも何も無いが、探偵とかそんな職業だったりする人なのだろうか。だが、人を捜す職業の人があんな分厚すぎる本を持ち歩くだろうか。


 いや、別にそんな職業じゃなくても何でもいいが。



 「うーん……うーん……ムムム?」



 唸りながら彼女はページを捲り続け、その手が止まった。



 「あ、違いました。売るのはマッチではなく薪でしたね。すいません間違えちゃいました。アレ? でも変ですね。薪なんてこんな所では落ちてないし、薪なんて今時売れるんでしょうか? 人間界では流行って事ですか? あれれ?」



 ポリポリと頭を掻き「おかしいな~?」と再び彼女は辞典を捲り始める。



 「コイツ……」



 いきなりで色々と意味不明でわからない事が圧倒的に多いが。



 「うん、変なヤツだな」



 それだけは断言できると、呆れ気味に彼女を認識した。


 他にも美女という脳内ステータスに『天然ボケ』という状態異常項目が加わり、さらに『かなり』の一言もそこに付け加えられる。



 「あ、こんな事調べてる場合じゃありません! 申し遅れちゃいました!」



 彼女はワタワタと簡単に身だしなみを整え“分厚い本をその場から消すと”眩しい笑顔で雅久に言った。



 「私、シスリー・末すえ露つゆ・スティアードと言います。というワケでさっそく」



 シスリーは自分の名を告げると、いきなり雅久に握手してきた。



 「私達の仲間になってください! お願いします!」



 雅久はその握手で思わざるを得なかった。絶対の予感が働き、確信せずにはいられなかった。



 (これは…………)



 雅久はゴクリと唾を飲み込む。



 (あの予知に関係する何かが始まった…………気がする!)



 その予感は残念ながら大当たりしていた。

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